全27件 (27件中 1-27件目)
1

食事が終わった。いつもなら、ハーゲンダッツのアイスクリームにコーヒーとなる。ところが、今回は「プリン」だそうだ。日常生活では「プリン」等の甘いお菓子類を滅多に食べない。久方ぶりにいただくプリンは甘くおいしかった。商品名は「ぼくのプリン」である。 H.T君とともにした台北・マカオの旅はこれでおしまい。
2012年03月25日

機内食。行きは「洋食」、帰りは「和食」。そう決めている。和食には「日本酒」がよく合う。
2012年03月25日

エルメスのネクタイを5本買った。タバコを吸いたい。喫煙所まで急いで歩いた。場内にはJAL関西空港行きの搭乗アナウンスが。急いでタバコを吸った。H.T君と別れ、搭乗した。ガラガラであった。搭乗日は2月1日(水)。平日であるが故、当然といえば当然である。ビジネスクラスには私ともう一人の日本人がいた。乗務員からの集中砲火を一人で浴びた。JGCメンバーであるから仕方ないが、私1人に2~3人の乗務員が入れ代わり立ち代わり。ここまで過剰なサービスを受けると却って疲れる。ハイボールを頂く際も、濃くないか?薄くないか?と尋ねられる。お代わりはどうか?とも尋ねられる。食事はどうする?仕事できたのか?メインの路線はどこだ?会話は続いた。世界を股にかけているビジネスマンであればメインの路線があるだろう。私は四国の田舎街で燻っている身分である。敢えて言えば、マカオをメインにしている。マカオには四国→羽田→香港という経路がメインとなる。博打と女のみのマカオなのだが・・・客室乗務員には、「メインは羽田⇔香港です」と言っておいた。天候も良く、全く揺れることのない快適な空の旅である。
2012年03月25日

JALは再建中である。解雇された「操縦士」「乗務員」がその無効を求めた裁判を行っているようだ。お前たちが会社を潰したんだ!大した能力もない輩が、やれ手当だ、有給だと権利のみ主張した結果である。会社は従業員のものではない。株主のものである。もう少し世の中のことを勉強した方がいい。JALはそれらのツケを客の私たちにも皺寄してきた。NY、HKなどの直営ラウンジの廃止がそれである。ところが、桃園には「サクララウンジ」が健在であった。 我が国らしさが充分感じられる造りである。清潔で食事がおいしい。今回の旅も間もなく終わる。ほんとにゆっくりと寛いだ。
2012年03月25日

JALのJGCメンバーである。私と同伴者一名がラウンジを使うことができる。貧しいH.T君を伴ってラウンジを探す。見つけた。ラウンジは漢字では「貴賓室」というのか。日本航空は日航で同じだ。
2012年03月25日

台北で顔馴染みになったベンツハイヤーの親父に送ってもらう。料金は台北市内→桃園空港、片道1200NT$、3000円弱という感じだ。宿泊したことはないが、圓山大飯店が見えてきた。40分ほどで桃園空港に到着した。松山空港より近代的な空港であった。
2012年03月25日

台北のホテルでの朝を迎えた。シャワーを浴び、荷物を整理した。朝風呂は気持ちいい。昨夜は何も食べていないのでお腹が空いた。朝食に向かった。特にコレというほどのものはないが小奇麗な空間だ。食べ物もおいしい。オムレツを焼いてもらった。
2012年03月25日
几帳面な性格である。子供の頃、夜寝る前に行うことがあった。明日の学校の時間割等の準備。それに、明日着ていく服を枕元に畳んでから眠るのである。その癖がいまだに治らない。出張では、明日の会議の資料の整理、スーツ、ワイシャツ、ネクタイを用意。ズボンはズボンプレッサーでプレスする。時計、ボールペン、カフス等を机に並べる。それから眠るのである。旅先でも同じようなことをするが、今回は違った。とにかく疲れた。ひたすら眠い。目覚ましを午前4時にセットし眠った。明日の朝、シャワーを浴びて荷物を整理することにした。
2012年03月25日

1時間程度の遅れで台北行きは出発した。飛行機は台北に向け出発した。よりによって指定された席は最後尾であった。短いフライトなので問題はないが、リクライニングができない。客室乗務員は、私の席の後ろを何かの荷物を出したり入れたりしている。常に横に人がいるような状態でイライラしてきた。更に客室乗務員から、「すいません、我々の手違いでお客様二名のお食事がありません」元々食べる気はなかったが、無いとなると腹立たしい。ふざけるな!更に、客室乗務員は私たちの分を差し上げますとのこと。要らないので断った。その後、チーズを食うか?ワインはどうだ?ビールを飲むか?様々気を使ってくれた。しかしながら、全ての申し出を丁寧に断らせていただいた。
2012年03月25日

搭乗予定である航空機の到着が大幅に遅れている。結果として、我々のフライト予定時刻も大幅に遅れた。しかしながら何の問題もない。プライオリティパスがある。ラウンジを無料で使える。ウイスキーを飲み倒した。かなり酔っぱらってしまった。
2012年03月25日
間に合わない。計算上では余裕であったはずだ。しかし、現実と理想は違う。まず、「打令浴室」からタクシーがつままらない。待てど暮らせどタクシーが来ないのである。仕方なく前進しながらようやくタクシーを捕まえた。次に橋での渋滞。初めは事故かと思ったが、そうではなかった。合流地点が大渋滞している。さっさと行かんか!そう思ってもなかなか進まない。何とか空港に到着した。金を払うのと荷物をH.T君に任せた。私はH.T君と私のパスポートを握りしめ搭乗手続きに走った。ところがである。搭乗する予定である飛行機の到着が大幅に遅れているとのこと。走ることなかった。
2012年03月25日
打令浴室1でのプレー。ここ数年サウナでのプレーばかりであった。新富士浴室を思い出した。なつかしい。浴室とは日式浴室、昔のトルコ風呂、今のソープランドである。浴槽に湯が溜まるまで小姐は客の私にマッサージをする。ある程度の量になれば小姐と浴槽へ。浴槽の中で、様々なプレーが展開される。その後ベッドで果てるのである。今回チョイスしたのは、またも越南小姐。内容は可もなく不可もなくといったところであった。私としては、サウナが合う。浴室特有の、一戦終われば服を着て帰るというのが気に入らない。浴槽でイチャイチャも好きではない。最初から最後までベッドで戦いたいのだ。終われば休憩室でまったりとし、サウナに行くなり眠るなりしたいのだ。
2012年03月25日

マカオの風俗。年齢・容姿も重要だが、国籍が更に重要である。なぜなら、値段が違ってくるからである。ここ、「打令浴室1」でも小姐たちは国籍やモデル等のクラスによって分けられている。属するクラス等によって、小姐たちが胸につけているプレートの色・形が違うのである。小姐たちは、属するグループごとに指名されるのを待ちながら座っているのである。客はソファーに腰掛け、小姐をチョイスする。そこでの秘密兵器。双眼鏡である。ソファーから小姐の座っているところまでの距離はかなりある。たぶん7~8mはあると思う。アフリカ育ちでない限り、小姐の詳細は肉眼では確認できない。双眼鏡で観ることを恥ずかしがる日本人もいるようだ。しかしながら、この店にいる輩が考えていることは皆同じだ。恥ずかしがらずに、じっくりと選別すべきだと思うのだが・・・
2012年03月25日

グランドリスボアからタクシーで「打令浴室1」へ向かう。今回の旅、最後の発射である。砲弾は充分に補充されている。到着した。エレベーターに乗り込む。さあ、今回の旅、最後の小姐はどうだろうか?
2012年03月25日
相撲部屋のような昼食を終え、カジノに向かった。台北行きは17時過ぎの搭乗であり、充分な時間があった。以前も書いたが「連れパチ」「連れカジノ」等の「連れ博打」は必ず負けるのである。複数で行った場合、やめ時のタイミングが合わないからだ。結果ダラダラと勝負し、お互い負けが込む羽目になるのである。「有り金全部なくなってもいいや!」なんて思う時は確実に大負けである。精神状態が完全に冷静さを欠いているのだ。負けが込み腹が立とうが、止める時は止めないといけないのである。 案の定、負けが込みだした。負けが続いても何も感じなくなりかけていた。これはマズイ!。そういえば、昨日の夕方から小姐と交わっていない。博打で金をなくすのなら、マカオ最後の一発で金をなくす方が、安いし気持ちいい。短時間の一発勝負となると、そう「打令浴室1」しかないのだ。カジノを切り上げ「打令浴室1」へと向かう。夕方の搭乗を考えれば、自由にできる時間は2時間ちょっとしかない。急げ!
2012年03月25日

H.T君は何でも、いくらでも食べる。マカオの昼食。私は、焼飯に麻婆豆腐でお腹一杯だ。食いすぎて腹がパンパンの状態が好きではない。H.T君は違う。腹がはちきれんばかりの状態にならないと食った気にならないらしい。H.T君、ご飯を頼む。先程の常節のたれでご飯を食べる。完食した。H.T君、またご飯を頼む。今度は、麻婆豆腐をかける。再度完食。H.T君、更に更にご飯を頼む。麻婆豆腐の皿にご飯を投入。これまた完食だ。お店からフルーツを頂いた。H.T君「やった、ドラゴンフルーツや!」と旨そうに食べていた。お腹大丈夫か?
2012年03月24日

軽く食事をしたかった。H.T君という大食漢を伴ったのが失敗の始まりであった。いつものように昼間からビール。蒸し海老。常節。レタス。麻婆豆腐。ここまでは良かった。焼飯。ご飯がパラパラで旨い。焼飯に麻婆豆腐。ここからは、H.T君オリジナルが始まった。
2012年03月18日

まったりとサウナで過ごした。時間は12時を少し回ろうとしていた。今日の17時頃の飛行機で台北に戻る。まずは昼食に行くことにした。ロッカールームで着替える。さあ、何処に行こうか?台北に本店がある「鼎泰豊」のマカオ支店(偽物)に行こうとしたが満席だった。仕方なくいつもの「好彩 海鮮火鍋飯店」に行くことにした。
2012年03月18日
H.T君が日常使う、女性の美しさを表す最上級の言葉が「こうもん様」である。漢字で書けば「黄門様」ではなく「肛門様」となる。例えば、台湾の空港にて、H.T君「〇〇さん(私のこと)、あの売り場の女の子、肛門様です」すれ違いざまにH.T君「〇〇さん(私のこと)、今の見られました?完全に肛門様でした」という具合に使うのである。H.T君によると、肛門様とは肛門まで舐めまわしたくなる程の美しい小姐のことであるようだ。 昨晩のH.T君、その肛門様級の小姐に巡り合ったそうだ。彼の昨夜のプレーを聞いた。執拗に肛門を舐めまわしたそうである。 私「体、大丈夫か?」H.T君「全く問題ありません」私「日本に帰ってからも注意しろよ!」H.T君「大丈夫ですよ」私「中国産のサナダムシは強力だと思うぞ!」H.T君「何ですかそれ?」私「小学校の低学年の頃、肛門にシールを貼る検査しなかったか?」 「H.Tとは一回り以上違うが、昭和50年前後には日本でも蟯虫持った子供がいたよ」 「当時から見れば日本も衛生的に改善され、現在はそのような子供はいないと思う」 「ただ、今の中国は昭和50年前後の日本より衛生環境は劣悪だと思うぞ!」 「お前の行動は蟯虫を貰うようなもんだよ」 沈黙するH.T君。私「蟯虫は腹の中で2mくらいまで成長するそうだ」 「どんどん痩せるのが特徴だ」 私「あっそうだ、真梨幸子の『孤虫症』という本読んでみれば?」スマートフォンでその場から注文するH.T君。 帰国後、「『孤虫症』読みました、自分の体が心配でなりません」「どうしたらいいですか?」とのメールが届いた。
2012年03月18日

翌朝。まずは、朝食。ホットコーヒー。ポークチョップバン。サンドウィッチ。H.T君は私の残り物と焼きそばで腹を満たしていた。食後、昨晩私が眠りに就いてからのH.T君の行動を聞いた。
2012年03月18日
何組かの日本人がいた。ショータイムに歓喜の声を上げていた。ショータイムに行く気がしない。弁天様が今日もいないのである。しばらく待った。22時過ぎてもいない。自分で言うのも何だが、澳門歴は長い。ショータイムで歓喜の声を上げるほど若くはない。 以前サナドのマネージャーと話したことがある。旧正月を機に、帰ってこない小姐が多いのだそうだ。当時もお気に入りの「グレイス」という娘がいた。何度かお相手頂いた。しかし、旧正月を境にしていなくなった。親の具合が悪いと言って帰ったのである。受け取っていない給料も放棄して消えたのである。弁天様も辛かったのかもしれない。目標とする資金がたまったのかもしれない。今、ここにいないことは確かだ。しかしながら、数か月して復活する娘もいる。「ピンキー」がそうだった。まあ、仕方ない。周りを見渡したが、「弁天様」級の小姐はいない。砲弾が供給されない。仕方なく眠った。
2012年03月18日

砲弾は思いの外、少ない。本日二度アームストロング砲が火を噴いているからだ。しかしながら大丈夫である。相手次第で砲弾が供給されることを何度も経験している。「弁天様」なら充分な砲弾が適度な時間で供給されるはずだ。自信があった。本日マカオ最終日ということもあり、ゆっくりとサウナで汗を流した。隠れ家の分まで念入りに入浴した。休憩室へ。渇いた喉を癒すためアイスウーロン茶と西瓜。ショータイムが始まるのを今か今かと待った。
2012年03月18日

マッサージ嬢に90分のサービスを受けた。ハンドジョブは必要なかったが、責められ昇天した。約束どおりチップを払い休憩室へ。H.T君が一人待っていた。H.T君はやる気満々状態であった。しかしながら、先に行くことは許されない。同時に小姐を物色し、私が先に選ぶのがルールである。しばし体力の回復を待った。小一時間程してから、三木助に小姐をチョイスしたいと言った。今回は小姐全員から選びたかったが、三木助は今回も越南小姐の集団を紹介した。仕方ない。まあいいや。本番は「弁天様」である。どれにしようか一瞬迷ったが、外すリスクも考え、昨日の小姐を選んだ。 昨日は正常位だったが今回は騎乗位で果てた。果ててもなお激しく上下運動を繰り返す越南小姐。最高であった。休憩室に戻り思った。「デジャヴ」だ。昨日と今日、同じ小姐にハンドジョブをしてもらい、同じ小姐で果てたのである。もったいない。わざわざマカオまで来て・・・弁天様でラストを飾ろう! 隠れ家を出ると夜だった。
2012年03月11日

話をマカオに戻したい。 私は日本人である。従って、約束は守るのである。子供の頃、親からは「約束は守れ、守れない約束はするな」と教えられた。律儀に約束を履行した。そう、昨日のマッサージ小姐へのチップである。このまま、店に行かなければ、それまでである。訴えられることもない。もう二度と会うことも無いかもしれない。しかし、約束は守るものである。「因果応報」という言葉を信じている。人を騙せば、自分が騙される、家族が騙されると思っている。昨日に引き続き、隠れ家を訪れた。マッサージの小姐の番号を聞いていたので指名した。H.T君はマッサージは要らないと言った。三木助に部屋に案内される。昨日の小姐が部屋で微笑んでいた。
2012年03月11日
紹介状・レントゲンを持参し日赤へ。入院すれば大変なことになる。お客様・会社に大迷惑だ。しかし、死にたくない。救急の受付へ。しばし待たされる。1年間で病院に通うことが一度あるか無いかの健康体である。救急の待合室で驚いた。救急車が頻繁にやってくる。次から次へとお年寄りが運び込まれる。事故で骨折した人や血まみれになった人ではない。ただのお年寄りである。しかも、しかもである。私がいた限りでは全てのお年寄りが看護師と話ができたのである。中には横になりながらの首上げ(柔道で首を鍛える練習)ができる爺さんもいた。救急の必要があるのか?その場限りの感想だが、お前ら元気だよ!我が国の異常な財政赤字の元凶をここに見た気がした。あまりにも気安く救急車を頼みすぎではないだろうか? そういうことで、私の診察時間は後へ後へとずれ込んでいった。CTスキャンで腹を輪切り撮影。血液検査。血圧。 ようやく医者から呼び出しが掛かる。家族の方も来てくださいとのこと。緊張した面持ちで妻が同席した。腸閉塞ではないです。軽い腸炎です。早ければ明日にでも治ります。しかし、血圧が異常です。200を超えています。腸炎では死にませんけど、この血圧は死にますよ。 翌朝土曜日、血圧の治療を受けに病院を訪れ、薬をもらった。
2012年03月11日
金曜日のこと。何やら腹が痛い。特に変わったものを食べた記憶もない。昼食も要らない気分だった。取りあえず、昼食に行った。「寿司定食」を頼んだ。にぎり寿司5貫、小さい蕎麦、てんぷら、茶わん蒸しである。通常の食欲では、まず頼むことのない少なさである。しかしながら、大食いの私が珍しく残してしまったのである。食べたくない。ただそんな感じであった。昼からも腹が周期的にシクシク痛む。夕方社員との懇親会として、ボーリング・食事会があった。この体調では行けない。懇親会を断り、定時に帰宅することにした。妻に車で迎えに来てもらい、病院へ行った。病院でレントゲン検査。医者「この後、時間ありますか?」私「は?」医者「当院での検査には限界があります」 「紹介状を書きますから、今すぐ日赤に行って検査をしてください」私「重症ですか?」医者「検査しないとわかりませんが、即入院という事態も想定されます」私「病名は何ですか?」医者「腸閉塞の恐れがあります」 「最近お酒をたくさん飲まれましたか?」私「息子の合格祝いにワインを2本空けました」医者「お一人で?」私「そうですが・・・」医者「普段からそれほど飲まれるのですか?」私「普段はウイスキーを飲んでいます」 「2日でボトル1本が空くペースです」医者「急性膵炎から腸閉塞を起こした可能性が高いですね」 「お願いしますから、日赤に行ってください」 なんてこった!
2012年03月11日
息子が県下No1の私立中学校に合格した。中学-高校の6年間一貫教育の学校である。その高校からは過去50年間連続して東大合格者を輩出しているのである。全国で過去50年間連続して東大合格者を輩出している学校は12校しかないそうだ。偏差値と人格は違う。これで人生の勝ち負けは決まらない。ただ、親として最高の環境を用意してやりたかった。その環境の中でどう生きるかは息子次第だ。息子よ、頑張れ!
2012年03月04日
全27件 (27件中 1-27件目)
1


