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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
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Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2026.04.26
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カテゴリ: 文芸
朝ドラ『風、薫る』 が始まって4週間。
 かなりハイペースでお話はどんどん進んでいますが、
 早速、原案である本著を購入して読んでみました。
 が、本著で描かれているお話は、朝ドラとは全くと言って良いほど別物でした。

   ***

下野国黒羽藩主・大関増裕の縁戚で、鉱山開発実務を一手に引受けていた国家老の大関弾右衛門。
その妻・哲との間に、二男三女の次女として安政5(1858)年に生まれたのが大関和(ちか)。
会津征討を巡り藩主・増裕は自害、新藩主は戊辰戦争で新政府側に立って会津藩を攻撃した。


和は、弟・衛、妹・釛と共に書道と算術の塾に通い、釛とは華道と茶道も学んだ。
また、哲からは裁縫、機織り、料理を仕込まれ、黒羽の士族・柴田豊之進福綱に18歳で嫁ぐ。
22歳年上の豊之進は、陸軍少尉として勤務後退官、大地主として成功していた。
しかし、妾の千代とその子どもたちと別宅で暮らし続け、義母は和に米作りを命じた。

長男・六郎を連れて東京で里帰り出産した和は、明治13(1880)年長女・心を産むと、
柴田家に離縁の意思を伝え、幕府の中国語の通訳として重用されてきた鄭家の女中となる。
鄭家の主・永寧の二男で大蔵省で勤務する永慶から植村正度が経営する英語塾を紹介され、
通うようになると、さらに正度の兄・正久が牧師を務める下谷御徒町の教会にも足を運ぶように。

和は洗礼を受けた後、永寧から鹿鳴館で開かれる『婦人慈善市』の手伝いを打診され、
明治17(1884)年6月、会津藩出身の大山捨松に英語対応を申し出て外国人対応を引き受けた。
数日後、永寧を通して捨松から鹿鳴館で通訳をしないかと誘われると、鄭家の女中を辞し、


3年後、宣教師マリア・トゥルーの娘・アニーが経営する桜井女学校に附属看護学校を作るので、
1期生として入学しないかと正久に勧められ、マリアらと横浜で貧民救済活動に参加する。
意を決した和は、明治20(1887)年に麹町区の櫻井女学校附属看護婦養成所に入学した。
寮で同室となった長身で断髪、同い年の鈴木雅は、ナイチンゲールの著作を原書で読んでいた。

   ***


実在の大関和と、朝ドラの一ノ瀬りんとの間には、かなりの相違があることが分かります。
そして、鹿鳴館や貧民救済活動に纏わるお話も、大家直美の挿話として描かれていましたが、
実際は鈴木雅ではなく大関和に関するものであり、和の英語能力の高さがが伝わってきます。

   ***

看護学校1年目は教室での座学で、教師・峯尾纓と8人の学生が『Notes on Nursing』を翻訳。
2年目は第一医院での実習に6人の学生が臨み、修了式後には和が第一医院の外科看病婦取締に、
雅と桜川里以が内科看病婦取締となり、1年も経つと和の奮闘ぶりは医療界中に知れ渡っていた。
が、その精神は医局には容れられず、第一医院を去り高田女学校寄宿舎に舎監として赴任する。

高田では廃娼運動に時間を費やした後、新設された知命堂病院の看護婦長に就任。
その頃、雅は留学を取りやめ横浜貧民窟で天然痘に対処した後、慈善看護婦会を設立していた。
一方、和は赤痢の防疫に尽力、以後『婦人新報』に感染症予防や看病法について寄稿する。
そして高田で5年半を過ごした後、東京看護婦会で雅の片腕として多忙な日々を過ごすことに。

雅と共に東京看護婦会講習所で看護婦養成を行い、大日本看護婦人矯風会会長に就任すると、
廃娼運動で知り合った社会運動家・木下尚江が逮捕されると、監獄署へ足繫く通い求婚される。
が、雅に反対され、後に新宿中村屋創業者となる相馬愛蔵も猛烈に反対し、結婚話は白紙となる。
そして、明治32(1899)年、41歳の夏に『看護婦派出心得』を出版した。

明治33(1900)年に病院実習を行っていた長女・心が結核を患い20歳で早世すると、
和は雅に辞表を提出して箱根で隠遁生活に入るが、翌年、雅が引退すると東京看護婦会の会長に、
さらに婦人矯風会の衛生課長に抜擢され、その翌年には大日本看護婦協会幹部に選ばれる。
やがて、東京看護婦会に代わり大関看護婦会の看板を掲げ、所属看護婦はクリスチャンに限った

その後、身内の度重なる死にさらされ、自らも病を抱えるなか、
大正11(1922)年には、雅が息子・良一と共に京都・下鴨へと旅立って行った。
その4年後、雅は沼津へとさらに居を移し、昭和15(1938)年82歳で永眠した。
一方、和は関東大震災後に病気がちとなり、昭和6(1931)年73歳でこの世を去っていた。

   ***

大河ドラマ 『べらぼう』 『蔦屋』 も全く別のお話でしたが、
こちらの場合は、両方とも概ねフィクションでしょう。
それに対して、朝ドラ『風、薫る』はフィクションですが、
本著については、巻末「おわりに」に

  史料の乏しい部分や会話には創作を加えている。(p.347)

とあることから、話の流れ自体は凡そ史実に基づいたものだと思われます。
これらのことを踏まえた上で、朝ドラも楽しんで観ていきたいと思います。





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Last updated  2026.04.26 16:54:57 コメントを書く
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