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11月8日(火)曇り 本日、来週末(11/20)開催の井原線ウォークの下見に行ってきた。コロナ禍で波が寄せるたびに休止していたウォーク企画で今回が5回目ということになる。再開第1弾 井原線ウォークは井原市木之子町生まれの偉人馬越恭平翁ゆかりの地をめぐる。下見すると地域イベントなどでコースを変更した方がという判断も生まれる。前回発表のコースと変更がありますのでご注意ください。☆東洋のビール王・馬越恭平翁生誕の里ウォーク ○とき:11月20日(日)◆集合場所:早雲の里荏原駅(集合)9:20 (解散)12:30早雲の里荏原駅◆距離:約6km◆参加費:500円(資料・保険料)※要予約:11月17日まで/メール(okada999@ibara.ne.jp)・携帯(090-3746-8142)。◆行程:早雲の里荏原駅~馬越橋~旧井笠軽便鉄道 木之子駅跡~馬越恭平生家跡・記念館~県主神社(軽い昼食)~稲木川土手~三光寺~早雲の里荏原駅◆内容:東洋のビール王と言われた馬越恭平翁の生誕の里を地元まちづくり協議会の担当さんの説明を聞きながらめぐる。★注意事項★ 新型コロナウィルス感染対策としてワクチン接種済、マスク持参必須。風邪ぎみ発熱症状(受付にて検温37℃)の方は参加できません。軽い弁当・水分補給は各自で準備願います。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142 (岡田)
2022.11.08
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3月14日(月)晴れ 昨夜の雨で大地が清められたような爽やかな朝だ。 今朝の記事は昨日の新人さんとの観光ガイドドライブの続き、パート3からはじめます。 重玄寺の藤井住職さんに雪舟さんとのゆかりについて聞いていると座禅イベントをやっている。禅カフェというイベントだったが、コロナ禍でカフェは自粛しているとのこと。 帰り際、成福寺さんへは行かれましたかと問われ、これから行くところですと応え、成福寺へ向かう。ご住職の片岡さんにご挨拶する。 成福寺さんではお盆に音楽演奏と灯明による万灯供養会が有名だが、コロナ禍で灯明だけになっているよし。 現在は檀家さんの創瓦さんが地域の活性化を祈念して建立された「嫁来い婿来い福来い観音」のイベントが組まれているとのこと。ご住職の説明を聞いていると1組のカップルさんが手水所で手を清められていた。「福来い観音」はあちらですと声をかけると、住職に「御朱印」いいですか?と帳面を差し出す。 ここでも「御朱印だ」このブームは根強いね。 寿山のてっぺんパークのハートの芝桜と福来い観音のコラボ企画でマッチングイベントは面白そうだ。 成福寺さんをあとにして「芳井歴史民俗資料館」「芳井町特産品販売所」を見学。 これほど1日で井原市内の各所をめぐるのも久しぶりだ。 喉が渇いたので最後にお茶にしようと「舞鶴楼」に寄ってみるが休み。川沿いに西江原町の「くらら」をめざす。途中、「ノリノリマーケット」に立ち寄り玄米を購入。あらら「くらら」も休み。 日芳橋を渡って七日市に戻り「ほしぞら」にてコーヒーとケーキをいただきながら旅の行程を地図でたどる 乾いた喉に沁み込む珈琲とケーキの甘さが疲れを癒してくれる。 面白い観光ガイドの体験だった。もうまちおこしで現場に出ることはしばらくできないと思っていたが心筋梗塞のリハビリの成果か少しは動ける体になっていることにホッとする。 そろそろ20年以上続けたウォーク企画の観光財産でもある約200のウォーキングコースを「井原線ウォーク」のガイドブックとして残しておく時が来たと思う。執筆編集を再開しよう。いよいよライフワークが動き出す。
2022.03.14
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3月13日(日)曇り 新人さんとの観光ガイドドライブパート2、夢味庵で満腹中枢がマヒしたところで午後のドライブ再開。 美星町の名前の由来になった流れ星伝説の3神社をめぐる。まずは「星尾神社」。美星町星田に北向き社殿の神社。瀬戸内海の笠岡の漁師さんたちが北にあるご威光の強い神社のために魚が取れなくなったと南向きの社殿を北向きに作り直したと伝えられる伝説がある。参道には幹回り2m以上のモミやクロマツ、アカマツなどの巨木が立ち並ぶ。近くに「星尾大明神降誕之地」の碑がある。 次は「明神社」=皇(すめらぎ)神社。ここには宇佐八幡神社も祀られている。それぞれに鳥居があり階段があり狛犬も2体ずつ鎮座している。普通は境内社だが格式が高い神社どおしということで境外社ということらしい。 最後に八日市の「高星神社」。流れ星が3つに分かれて落ちたと伝えられる一番西の神社だ。鳥居が低く頭を垂れて境内に進む。道路からちょっと高いところにある小さな神社で通り過ぎがちな社だ。 美星町をあとにして車は芳井町に入る。花滝地区にある鳴滝渓谷をさわり部分だけ紹介する。国道313の鳴滝峡入口の駐車場に駐車して川沿いのゆず畑の山道を登り3段の滝、吉備のあけぼの、雨降滝まで歩く。この上には雄滝、雌滝などたくさんの滝が並んで勇壮なんですよ。と本日はここで引き返す。残念! ごんぼう村ふれあい広場、明治ごんぼうの里を経由して芳井支所の前を通って天神狭のもみじと桜の公園、紅葉端、天神社、黒丸神社を見学して雪舟ゆかりの大月山重玄寺にてご住職にご挨拶。 赤とピンクの梅が咲き競っていました。 (パート3に続く)
2022.03.13
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3月13日(日)曇り 今朝、突然、新任の記者さんが「資源ごみを持って行ってもいいですか?」と電話があった。 エコタウンいずえのエコステーションをやっているのでいいですよと気楽に答えた。 そして 11時頃、レトロな普通車でやってきた。「3月から赴任してきました。よろしく」とN氏が挨拶、 世間話をしていると、井原市は初めてで方向音痴なので案内してもらえませんか?とお願いされてしまった。(どういう引継ぎ申し送りがされていたのか?) 少し考えて、家族にちょっと新人さんを案内してくると言ってなかなか小回りの利かないレトロな車で日曜ドライブに出発した。 井原駅で井原市の文化財ガイドマップを手にして出発した。 旧山陽道を東進し日芳橋を渡り一橋陣屋のあとが興譲館のグラウンドの北にあった。渋沢栄一が備中に来た時に剣術の勝負をしたのがここ、平櫛田中さんの生家跡がこことガイドしつつ進む。ここから北上し美星へ進む。右手の奥に北条早雲こと備中伊勢氏の菩提寺の法泉寺がある。伊勢氏の前は那須一族が治めていたこと。那須氏の菩提寺が永祥寺、境内には一発必中の袖紙稲荷、野上町へと登りきると那須与一公墳が左手の奥にある。星田ダムをすぎて最初の目的地、美星の星の郷青空市を見学、くんせいやさんが居たので記者さんを紹介。徳山牧場のアイスクリームを食べて中世夢が原へ出発。お昼を夢味庵でと思い立ち寄ると行列ができていて予約シートに書き込みどれくらいかかるか聞くと30分待ちという。 待ち時間で中世夢が原の入り口で園内の紹介したり「あずみ」や「坂の上の雲」「武蔵」のロケ地の案内板、備中神楽伝承館を案内する。 夢味庵に戻るとすぐに順番が、席について「角煮そば」を注文する。 ホロホロの角煮にお蕎麦、美味しゅうございました。ごちそうさま。 パート2は美星町の地名のゆかりの流れ星伝説の3神社を回ります。 (パート2に続く)
2022.03.13
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10月2日(土)快晴 昨日は井笠鉄道記念館、今日は芳井歴史民俗資料館へ立ち寄った。いよいよ井原線ウォークの再開に向けて取材を始めた。 公的な観光施設が9月30日まで休館していた。そしてころなまん防が解除となり昨日10月1日から一斉に動き出したのだ。 ウォークイベントも徐々に再開されるだろうと思っていたら芳井町の芳井トンネル付近でウォークの小集団を見かけた。少人数にスタッフベストを着た人が目立っていた。 渋沢栄一&阪谷朗盧ゆかりの地?それとも山成酒造ウォークコース?それとも地区社協など地域のウォークイベントなんだろうか? 新しい取材ノートにデータを書き込むたびにイベントのイメージが膨らむ。そろそろ井原線ウォークを再開しましょうかねぇ。
2021.10.02
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3月1日(月) 今日、福山市山野町の「藍屋テロワール」を訪れた帰り「山野峡大田ワイナリー」にもお邪魔しました。テロワールの藤井さんに連絡をしてもらっていたので醸造責任者の峰松浩道さんが丁寧にお話を聞くことができました。 ワイン作りは一にも二にも葡萄づくりに限るとのこと。 ワイン特区でこの山野の里でワイン作りが始まったのは2015年、現在2ヘクタールのブドウ畑でこの地に合ったワイン用葡萄をみつけるべくヨーロッパやアメリカなどのワイン種や日本独自種など9種類?の葡萄を育てておられるようです。 *ワイナリー前に立つ峰松浩道さん。 左に見えるピンクの施設はキッチンブースで近々この地で定期的なイベント開催を予定しているという。山野の里山に賑わいを創出している未来を想像すると嬉しくなるね。 地域の人々を巻き込んだふるさと元気運動になると素晴らしいことだ。
2021.03.01
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3月1日(月)晴れ時々曇り 今日は福山市山野町の「藍屋テロワール」にお邪魔してお話を聞かせていただきました。 昨日は福山市東深津町の風の丘で「山野なんでワークショップ」を開催されたとのこと。田舎と都市をつなぐ活動が山野町を発信地に行われているのは素晴らしいことだと思う。 *「藍屋テロワール」藤井健太さん 藍の魅力はジャパンブルーだ。発酵した藍の染色液の色はブルーではなく緑色に近い。これが繊維にしみこんで空気に触れるとブルーが発色するらしい。 それは今回の目的じゃない。藍を学ぶに従ってその魅力は染色だけじゃない。食べる藍という魅力の可能性を見つけるために「藍屋テロワール」藤井さんに逢いに来たのだ。 そして快く藍の種を分けていただいた。今年1年、藍の栽培に挑戦して藤井さんが求める「ジャパンブルー」の魅力にプラスした「藍」の魅力を探求してみたい。 やっぱり「まちおこし」の出会いは楽しい。
2021.03.01
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12月30日(水) 「JA晴れの国岡山いばら愛菜館」が今日で年末営業最終日でした。 12時までの営業だったのでお昼過ぎ残っていた賞味期限切れになる商品を撤収してきた。と言ってもタルトが1個だけだった。 職員さんに一年の感謝と来年の希望を込めて「よいお年を!」年末年始休館:12月31日~1月5日初売り:1月6日「JA晴れの国岡山 いばら愛菜館」所在地 岡山県井原市井原町512-2TEL 0866-62-1539営業時間 9:00~14:00営業日 日曜日を除く毎日
2020.12.30
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葡萄浪漫館が今日で年末営業最終日でした。午後4時過ぎ、商品の撤収に行ってきた。職員さんに一年の感謝と来年の希望を込めて「よいお年を!」【葡萄浪漫館】年末年始休館:12月30日~1月14日初売り:1月15日
2020.12.29
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井原市芳井町の名勝「天神狭」。現在、この案内看板の左のところからトンネルができて山野や共和への車は天神狭を通らなくなって紅葉見物が安全になりました。天満宮&黒丸神社前の紅葉天神狭と言えば「紅葉橋」が有名。渡って正面奥に紅葉谷、今が見ごろです。
2020.11.15
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山野町・農村公園の対岸に見える山腹からまっすぐ伸びる白い構造物、最上部に貯水タンクがあり下の小田川に流れ下る鋼管、これは「山野水力発電所」である。山野発電所は、福山電気株式会社が昭和元年より6年にかけて建設した。発電所の工事は昭和4年に水利使用許可・建設認可され建設された。昭和6年7月3日運用開始。上流の取水ダムから山中を掘り抜いた導水路(全長6.5㎞)により取水位標高:279m、放水位標高:105m、174mの落差を確保し効率的な発電を行っている。2018年4月1日、福山電機株式会社は株式会社エネルギア・ソリューション・アンド・サービスと合併し小水力発電所を承継、「山野水力発電所」として発電されている。出力:1・998MW、日本国内の水力発電所ランキング1168位である。
2020.11.14
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福山市山野町こっとん村を訪ねました。むかしは多くの水車があり、米や麦、そばを搗いていた。山野の文化を残すために「こっとん村」が作られている。今年はコロナの影響で文化祭などいろんなイベントが中止になったということだ。ちょうど訪れた時には、会員さんたちが集まって「注連縄講座」を行っていた。水車の横には炭焼き窯もあります。山野の文化等伝承講座 ~水車について~11月18日・19日・20日を山野公民館主催で行われるらしいです。血の故郷「山野町」の元気のひとつに出会いました。
2020.11.13
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「井原線ウォークは1日にしてならず」 平成11年1月11日、井原鉄道井原線が開業した日に発起した「井原線まちおこしネット」。あの日各種団体を集めて井原線沿線の活性化の勝手連を発足したのがハジマリだが、井原線まちおこしネットは一日にして発足したものではない。 雪だるまも芯となる石ころがあってころころとまわりの雪をくっつけて大きくなる。コアとなる石ころなくして雪だるまは大きくならないのだ。 元は、36年前、瀬戸大橋の仕事を辞めて井原に帰ってきて家業の畳屋を継いで本業だけでなくライフワークとしての地域のまちおこしを志したことに始まる。 そのバックボーンにあったものは、産業開発青年隊の理念だった。「産業開発に挺して人類平和のため尽くさんことを誓う」当時の建設省の建設大学校の訓練所だった富士山麓の朝霧高原で植え付けられ育まれたものだった。 海底から海抜86mまでのコンクリート打設などの南北備讃瀬戸大橋の施工管理の仕事をしていたが、結婚を機にふるさと井原に帰ってきて父の畳業を継いで職人になったが、畳屋だけじゃない地域貢献する事業を行いたいと「岡田産業有限会社」を開業した。 土木屋さんから畳屋さんに転業だった。もったいないという声もあったが未練はなかった。 家業に勤しつつ、地域の情報誌「へ~じゃけ~」を発行し、フリーマーケットなども開催した。地域の郵便局さんと「ふるさとネットワークI&Y」を起こし、井原線開業を機に「井原線まちおこしネット」を発足した。「井原線まちおこし楽市」や井原線(あい)沿線情報誌「しゃむねこ通信」の発行や特産品開発、そしてふるさと探訪として「ほのぼの岡田さんの井原線ウォーク」を毎月主催し続けている。 第1回のウォークは平成11年3月だった。まだつぼみの堅い小田川の井原堤の桜を見るコースだった。あれからまるっと20年、今年で21年目となる。 多い年には年間20回以上もウォーク企画を主催していた。現在も12~14回行っている。 大きな組織にしないと続けられないと言われることもあったが、今は小さな組織というより小さな私個人の企画を中心に賛同者に助けていただくしくみだからここまで続いたと思う。 「継続は力なり」「現場にこそ価値がある」、足で歩いたデータベースは宝だ。・・・井原線ウォーク20周年&井原線まちおこしネット発足20周年を記念してふるさと井原、ふるさと井原線(あい)沿線、ふるさと備中國、ふるさと岡山・・・のウォークコースを記録として残す。井原線沿線の観光資源としてウォーキングガイドの編纂発刊を行う。
2020.01.21
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駒井農園の駒井篤さん裕子さん 来月の井原線ウォークの下見で訪れ打合せさせていただきました。 2015年に奥様のふるさと美星町に移住され、野菜をつくり、子どもを育て、地域に根を張ったニンジン農家。4種類のニンジンとブルーベリーを有機栽培している。 こちらも農薬を使わない農家なので雑草と闘い雑草と共生している姿は尊敬に値する。 1月ウォークでお世話になります。
2019.12.22
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金剛福寺ゆかりの人物として後鳥羽上皇と並んで伝承されているのが源為朝である。 源為朝は、父為義に従って保元の乱(1156年)で兄源義朝や平清盛と戦うが、敗れる。しかし、処刑されるところを武芸の才を惜しまれ伊豆大島に流される。地元では、伊豆大島より琉球にわたり、その後金剛福寺の僧をたよって当地で亡くなったと伝えられている。 この墓は、土塀をめぐらせた墓域内に須弥壇状の一段高い石垣をもうけ、その上に 9基の五輪塔が立てられている。為朝の墓と伝えられているものは、右端のもので、高さ1.35mある。
2019.06.19
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鳥羽御陵から現在の金剛福寺に向かう。池の堤の道を進む。池の名前は「寺池」という。まさにお寺の池です。紫雲山金剛福寺に到着。現在の寺は元禄14年(1701)池の東、鎮守社北から移転され、本堂は明治41年(1908)大空僧正が建立した。本尊は十一面千手観音、県重要文化財指定。
2019.06.18
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欅の杜を出発し大谷開墾地を抜けて金剛福寺へと歩を進める。右手に眺望がいい墓所がある。その先に金剛福寺が見えてくる。さらに進むと右手田んぼの中に桜の木が1本植わった墓所が見えるここが「鳥羽御陵」である。右折して下ると右に御陵近くなる。御陵を訪ねる前に左手の森に鎮守社があるのでこちらに立ち寄る。阿吽の狛犬の先に鎮守社が祀られている。この社の前に金剛福寺は建てられていた。聖武天皇の御代、行基上人に勅して鎮定祈願のため天平12年(740)建立。僧坊12院を縣主の地に起こす。のちに、建久9年(1198)11月、当山に行幸し給う。この因縁により後鳥羽院の法号「紫雲金剛」に因み寺号を紫雲山と称す。承久の乱で敗れた後鳥羽天皇が隠岐の島に流されたが、上皇は文歴元年(1234)金剛福寺に第2回行幸されたと伝わる。この地には上皇を慰めるため踊られた「鳥羽おどり」が伝わり踊り継がれている。
2019.06.18
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欅の杜の杜の市に到着。 20周年を迎えた欅の杜は里山運動の先駆け。 昼食はこちらでいただきます。 少し遅くなって焼きそばやお弁当が足りない。 在庫のあったピザ生地を全部焼いていただきました。
2019.06.18
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縣主神社から木之子工業団地を通り抜け登山道に入りくねった坂道を登る。木立で少し薄暗いが森の中を進む感が面白い。曲がりくねった道で車の行き来はほとんどない。前方が明るくなる。欅の杜に到着です。正面に「欅の杜」の大きな石碑があり出迎えてくれる。欅の杜の元祖、坂口さんの欅林は現在、5年ほど前から紫陽花が育てられ紫陽花園が整備されている。欅の中を遊歩道や休憩所が設えられ木漏れ日の中をあじさい鑑賞ができる。坂口さんお一人でこつこつと創り上げられた由、素晴らしいことで敬服する。この日は行程上時間がなかったので紹介にとどめた。もう少し鑑賞したかった。(反省)見頃は、6月中旬~7月中旬。
2019.06.17
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今回の県の里探訪ウォーク最初の目的地「縣主神社」に到着。鳥居をくぐると長い階段がある。登り切ると目の前に神社がある。アート御朱印と猫で有名になり参拝者が増え社務所が増設され待合所までできている。6月の御朱印は3種類準備されている。その中の1枚がこれだ。縣主神社の招き猫のしろとアジサイの構図だ。
2019.06.17
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おはようございます。6月11日(火)昨日の雨はスコールを思わせる雷雨付きで、週末の「県の里欅の杜ウォーク」の下見中で少しバタバタした。ちょうど鳥羽御陵の取材で写真を撮ろうとしている時だった。後鳥羽上皇の怒りの涙か?雷が大地を震わせた。県主神社では営業時間を過ぎていて話せず、金剛福寺では早く話をしておいてほしかったとお叱りをいただいた。散々な誕生日だった。でもね。畑の野菜たちには慈雨だったようだ。
2019.06.11
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井原駅から芳井町の芳井小学校までは同じで今回の目的地の重玄寺・内山完造生誕の地・正霊山城跡をピックアップしたコース。
2019.05.12
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正霊山城跡、本丸跡は平らになっているが、周りは急峻な崖になっている。頂上からの眺望はいいね。これが領主の眺めかな。
2019.05.11
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正霊山の登り口の民家の間の狭い道を登りはじめるとすぐに分かれ道がある。まずはまっすぐ登り次も左へ行かずまっすぐ、次はひとりやっと登れる左の道へ進む。すぐに右に曲がってお墓の裏をしばらく行くと大きく左カーブを進むと古びたお堂が見えてくる。中を見るとお大師様かお地蔵様か祀ってある。お堂の前を右に進むと頂上が見えてくる。
2019.05.11
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今日は明日開催する芳井探訪ウォークの下見をしてきました。先日お邪魔した重玄寺から北に進んで沢岡地区の「内山完造先生生誕之地」石碑日中友好の先駆けとして戦争中、上海で内山書店を開き魯迅など中国の文化人と親交を温め、戦後日中国交正常化を民間の立場で尽力された地域の大先輩。
2019.05.11
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藤井氏の居城だった正霊山城の本丸は標高112mの正霊山山頂にあった。東西55m、南北15mの回字型となり、北側に二重の堀切があり、南側に腰曲輪を備えている。
2019.05.11
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旧芳井町役場の井原市芳井支所の裏の標高112.8m、比高差50mの丘陵に所在する。藤井好重が築城し、子の皓玄(こうげん)が受け継いだ。藤井皓玄は、戦国時代に芳井地域を支配していた戦国武将で、中国地方の覇者である毛利氏に対して挙兵し、一時は備後における拠点である神辺城を奪った。
2019.05.11
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小田川横断こいのぼり事業、元は地域の商工会が設置していたが現在は井原市観光協会の事業になっている。川の護岸に描かれた魚たちと一緒に小田川を横断してこいのぼりが泳いでいる。5月12日の芳井探訪ウォークで紹介させていただきます。
2019.05.10
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重玄寺を訪問して5月12日の井原線ウォークの説明をし受け入れの確認をしました。ちょうど山門の修復中でジャッキアップした状態を見ることができました。江戸時代、明治時代に2階の修復がなされているとのこと。歴史が感じられてこれはこれで素晴らしい。
2019.05.09
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井原堤の桜が満開に、3月28日に開花宣言して10日以上もお花見が楽しめることは今までなかった。 今年の冬は暖冬、温暖化で休眠打破が不十分でなかったのに加えて開花以来低温が続いてつぼみのままで耐えに耐えていた。ここ数日の陽気に桜はホッとしたように綻んだ。 ここまで咲いてしまうと今夜の雨は酷かもしれない。夕方には2kmの桜回廊の桜舞い散る風景は圧巻だろうね。
2019.04.07
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本日夕方、井原堤を散策しました。ほぼ満開状態。多くの花見客で賑わっていました。明日の桜まつりは最高の状態で迎えらそうです。心配なのは雨雲のゆくえ、予報では15時ごろ雨マークがついているが少なそう。3月28日の開花から10日で満開というのは長持ちしてくれました。すでに花びらが舞っている木もあるが明日は桜舞い散るシチュエーションに遭遇できるかも。井原市産業まつり会場からのシャトルバスの運行も予定されています。明日の井原堤は最高のお花見が出来そうです。
2019.04.06
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子どもの頃春休みの楽しみの一つが4月4日の郷社のお祭りだった。境内一杯に屋台や露店が並び楽しかった。久しぶりに郷社祭りに立ち寄った。露店はあるが昔の4分の1ほどになってしまっていた。もうこういう伝統行事は集客力を失ったのか?寂しいね。井原堤の花見客をここに導けることができればにぎわいを取り戻せるかもしれない。
2019.04.04
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お店の中に溢れる人ヒトひとお店の外も人ヒトひと香月堂さん、嵐の如く押しかけて、ご対応ありがとうございました。
2019.04.02
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桜橋公園やアートループ商店街や川原で昼食をいただく。寒いので茶店の甘酒が美味い。ワークショップをしてる親子連れ、紙類を何度も飛ばされながら楽しく作品を作っていました。さて、桜堤桜花回廊を後にします。一般花見客とウォーク参加者の見分けがつかん。大丈夫でしょう。しゅぱ~つ。
2019.04.02
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・デニム屋さんの駐車場で「アートループ商店街」の茶店をやっていたのでちょっと休憩。 お花見に来てお茶も食べるところもないのは寂しい。今年は茶屋を開いて盛り上げている。 桜橋公園に到着、井原の桜の標本木の前でトイレ休憩。 寒いので残りのコースを一気に歩きます。桜橋に戻って昼食です。さあ、もうひと歩きいたしましょう。
2019.04.01
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・井原堤桜花回廊ウォーク、いよいよ桜堤を歩きます。日芳橋から井原大橋付近まで開花が早いところを歩く。寒風荒ぶ川土手を歩く人も植わった桜も縮みあがる。 大橋をくぐって郷社に立ち寄る。ここが井原堤の桜並木の発祥の地という説明をする。 大正3(1914)年、当時の井原町長、原田吉平が井原の観光に寄与しようと郷社の境内で桜の苗木を植え、それを小田川堤に移植して広めたのが始まりである。 昭和10(1935)年には、山陽新報(現山陽新聞)から「岡山県十勝地」に選ばれ、郷社・足次山神社の鳥居の横に記念碑が建てられている。 桜堤に戻って大正橋を過ぎるとガードマンが立っていて生活者以外の車を通行止めにして花見客専用道となっている。
2019.04.01
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「出発前のストレッチ風景」 準備運動のスペシャリスト田桑さんの指導のもと井原駅前を埋め尽くしてみんなでストレッチを行いました。井原駅前を埋め尽くしたパフォーマンスは「なんだろう?」と道行く人や駅の中から興味を持たれたようだ。 駅を出発すると駅前広場を抜けるとその場で振り返って「扇」の説明をする。この作品は井原駅を借景に、いや一体の作品として出来上がっていることを説明。 初めの信号を右折して銀杏並木を進み七日市の小路を抜けて旧山陽道小田川の渡し場「川越し上がり場跡」に到着。ここから上流2kmの桜並木が「井原堤桜花回廊」です。 いざお花見・・・と言ってもまだ3分咲き程度で物足りないかな。
2019.03.31
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9時半、受付完了。本日のウォークの説明、ストレッチ運動を済ませてみんなで集合写真。井原線ウォーク20周年の儀式だ。先の酒蔵ウォークは雨に悩まされ、今回のお花見ウォークは風に悩まされることになった。まさに宮沢賢治の雨ニモマケズ風ニモマケズといったところだ。川風は冷たいね。でも無事に終わった。多くの人が参加して下さって感謝!
2019.03.31
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「得脱稲荷大明神」どこからお参りするのか?と思うようなところに狛犬ならぬ狐様が左右に鎮座してござる。人はここから参ることができないのでわき道を登る。お狐様ならひょひょいのひょいかな。「金毛窟」伊豆修善寺の狐が刷り袈裟を取り返そうとやってきて和尚様に見つかって法泉寺をお守りするお稲荷様となった狐の夫婦が祀られている。
2019.03.28
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法泉寺裏山より本堂、庫裏、全容を眺める。
2019.03.27
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・法泉寺に来て早雲父子の供養塔に手を合わせてひと通り見た聞いたと思ったが、忘れちゃいけない裏山の「得脱稲荷大明神」。時間があるのでお参りすることになった。 登りはじめると右手に何やら風情のある墓所がある。そういえば山門の案内板に「木村重宗」ゆかりの寺という記述があった。 木村重成の従兄弟の重宗のお墓です。 木村村重は豊臣家の重臣、秀頼の小姓、その後、3千石の近習旗本となり大坂夏の陣で戦死した。従兄弟の重宗は落ち延びてここ法泉寺まで逃れてきて匿われた。その後、出家して僧となりこの地で没したと伝えられている。
2019.03.26
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法泉寺の左手奥の墓所の奥まった所に北条早雲父子の供養塔がある。早雲寺殿天岳瑞公大居士:伊勢新九郎盛時こと北条早雲華光院殿静庵鎭公大居士:伊勢新左衛門尉盛定、早雲の父
2019.03.25
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伊豆修禅寺の北条早雲こと伊勢新九郎から寄進された「摺り袈裟の版木」墨で真っ黒な版木が箱に納められています。元々は袈裟に印刷していたものだが、和紙に印刷して檀家さんや来訪された方々に功徳をひろめていた。これは版木が文化財指定になる前に和紙に印刷されたもの。今はもう墨を付けることはできないとのこと。お寺に残っている2つの「摺り袈裟」のひとつ。
2019.03.20
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先納住職さんの「摺り袈裟」のお話・・・摺り袈裟は地獄に落ちないためのパスポート袈裟とは僧侶が身にまとっていた布。仏教では本来、出家僧侶は財産になるような私有物を持つことを禁じられており衣服も例外ではなかった。そのため価値や使い道が無くなり捨てられたぼろ布を継ぎ合わせて纏う布を作ったので糞掃衣(ふんぞうえ)とも言う。この袈裟にお経を摺ったものが摺袈裟である。井原語りの会わわわの金川さんの昔話「摺り袈裟と早雲」・・・伊豆の狐が摺り袈裟の版木を取り返しに来るお話。
2019.03.19
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勅使門をくぐると山城のような回廊が正面に現れる。右手の紅葉が季節を彩る。春から夏には若葉が茂り、秋の紅葉は一段と美しい。奥行きのある階段、その先の不揃いの階段、この歩きにくい階段が、伊勢氏の菩提寺としての防御機能だ。広い階段を駆け上がった適は不揃いの狭くなった階段で勢いを止められ、周り回廊から弓矢で狙われたら一網打尽だ。回廊の門をくぐると正面に法泉寺本堂が在る。
2019.03.19
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法泉寺にやってきました。山門には「曹洞宗大本山総持寺元輪番地」の石碑が建っている。これは大本山総持寺の住職を輪番で住持する格式のお寺ということだ。門の左右に格子の部屋がある。本来はあうんの仁王様が鎮座しているのだろうが・・・ない。山門を入ると池があり池を回って勅使門がある。昔昔創建当初には室町幕府の勅使を迎えていたのだろう。普通の人は脇の通用門を出入りしていたのだろう。
2019.03.19
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『袖神稲荷の縁起には「屋島の源平合戦の際、その名をはせた那須与一宗隆は稲荷を守護神として戦場でも肌身を離さなかった。平家の船が扇を竿の先につけ舳(へさき)に立たせて源氏の兵に射せしむ、射失じなば生還せずと、右袖を波打ち際に投げ捨てる。この袖を拾った同族の主、押し戴いて稲荷大明神に大願の成就を祈念す。与一その扇の要を一矢にて射抜き、戦功により荏原の庄を賜り、その孫荏原に小菅城を築き城内に稲荷を祀りご神体と共にその片袖を安置す。最初は片袖稲荷と申し上げていたが、いつ頃からか袖神稲荷大明神と唱え、小菅城より永祥寺境内に遷し祀る。」』一発必中のご利益があるということで受験生や新規出店など商売繁盛を祈願する「絵馬」などが多くかけられる。
2019.03.18
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源義経率いる源氏の中で弓の達人として屋島も合戦で一発必中の功績で荏原荘などを賜った那須与一、一族の結束を図り領地経営するために菩提寺を開基した。与一の功績をたたえた「与一音頭」が歌い継がれている。
2019.03.18
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本尊は聖観世音菩薩。奥に入ると開山した実峰良秀和尚を中心に多くの仏像が並んでいる。実峰良秀和尚は昔話「道祖の龍」にも出てくる法力を感じるお姿です。
2019.03.18
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永祥寺は曹洞宗の寺院ということで入口に注目、大きな「すりこぎ」と「しゃもじ」が掛けられています。ここから禅問答が始まっているのですね。「すりこぎ」のようにわが身をすりへらしてでも他人のために尽くしなさい。「しゃもじ」のように人をすくう生き方をしなさい。
2019.03.18
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