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6月4日(火)曇り時々晴れ 今週末の渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「農兵募集de来訪編」のゴール設定を田中苑or井原駅といたします。 田中苑で解散することにより個人的に、平櫛田中美術館の所蔵品名品展Ⅰ「人間国宝―匠の技ー」を鑑賞したり、昼食に食べてみたい「丼原市の井原丼」にチャレンジするもよし。ウォーク&井原のええもんを楽しんでいただく1日を過ごし方を提案いたします。 井原線ウォークの進化形を模索・・・井原を丸ごと、もっと自由に、楽しむウォークを! 今なら平櫛田中美術館が所蔵している平櫛田中だけでなく竹工芸、陶芸、刀剣の人間国宝の作品をまとめて鑑賞できます。
2024.06.04
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井原線ウォーク、もう25年になる。途中、コロナ禍で休止を余儀なくされたのにここまでよく続けられたと思う。協力していただいた参加会員の皆さんのおかげです。シルバー世代の多い会員さんで初期にご参加いただいていた方々が「もう歩けんけぇ」とリタイヤされる方が多くなった。でもそういう方にこそ日々少しでも歩いて健康寿命を延ばしてほしいと思い「読んで楽しめる井原線ウォーク」「日々の歩数で愉しめるエアウォーク」のガイドブックをお届けしたい。ほほほ=歩歩歩⇒歩け歩け歩こう運動歩いていれば自分のことは自分でできる。特別な事はいらない。屋外を歩くのは恥ずかしい、寒い、危ないという方はお家の中で歩いてもいい。テレビを見ながら足踏みでもいい。歩け歩け歩こうよ。コース表に歩数を書き込んでコース完歩の達成感を感じてほしい。ほほほこらむ 2024.1.16 先日、ふれて楽しむ野外彫刻ウォークを企画し「ユニバーサル・ウォーキング」という思考でくらしていてふと図書館で目に付いたのが、村上隆氏の「文化財の未来図 ―〈ものつくり文化〉をつなぐ」(岩波新書)という本だ。 ユニバーサル・ウォーキングは、誰でもみんなが楽しみながら文化財を鑑賞できるウォーキングにすればいいんだ。 視覚障害者にも楽しんでもらえる芸術鑑賞をテーマとしてあれからずっと考えていた。平櫛田中美術館で観るだけの鑑賞に.物足りなさを感じた。美術品に限らず文化財は見るだけで感動するだろうか? 感動してもらうヒントはこの本にあった。「複製」だ。複製ならさわれる。「レプリカ」や「模写の点描」をふれたりさわったりできれば作家の創作の意図やノミの彫りの技を肌で感じることができる。説明も「点字」が添えてあれば視覚障害者だけでも楽しめる。さわって鑑賞できれば見常者ももっと深く五感による作品鑑賞ができる。 本物はさわっちゃいけないが数点のさわれる文化財や芸術がある美術館、博物館、資料館になったら魅力が倍加するんじゃないかと思う。ほほほこらむ 2024.2.27 読書も井原線ウォークのためにある。この「ふるさとの思い出 写真集 明治 大正 昭和 井原・後月」(井原史談会 編 岸加四郎 著)は、井原の文化財委員や井原史談会会長として「井原市史」編纂に尽力された岸先生がまとめられた写真集。カラー写真でないのが残念だが、当時の風景とその時代の趣きが呼び起こされる。 井原線ウォークの参考になる貴重な資料だ。 ユニバーサル・ウォーキングは郷土史の掘り起こしとその見せ方に尽きる。 歴史を学び、ひとつひとつの史跡や風景をいろんな視点から見直し、発信し、解説する。参加した人の感想を聞きつつそれを学びとして視点の多様性を蓄積していく。 五感をフル動員したフィールドワークこそがユニバーサル・ウォーキングの土台になる。 底なし沼のような膨大な知的空間が広がっていく。ほほほこらむ 2024.3.2 「井原線ウォークdeまちおこし」を探求して25年になる。最近、ウォーク企画がマンネリになってきている。・月1回でいいの?・毎年同じ企画の繰り返し?・周知方法が非効率?・決定した企画に柔軟性がなくなってきていないか?・単視眼的になってないか?・ひとりでやるには身体が持たないんじゃない?25周年という節目のウォーク3回は、なんとか済ませたが、1回目はユニバーサル・ウォーキングという新しい試みは良かったが、残り2回は例年通りの企画に雨にも降られ散々だった。打開策は、ひとりでガンバルのをやめる。マンネリ企画をやめる。「ほほほのおと。」をまずは1冊発行する。ほほほこらむ 2024.4.26 「ほほほのおと。」を編纂するにあたって、まずは今まで実施したウォークを現在から2013年まで書き出した。コロナや豪雨災害で休止した期間があったが105回のウォークになった。この作業はこの2~3倍はあるので「ほほほのおと。」枠組みを大雑破にグループ分けして検索できる形を整える。 ・自然探訪シリーズ ・お花見シリーズ ・野鳥観察シリーズ ・山城探検シリーズ ・歴史探訪シリーズ ・廃線跡シリーズ ・古道探訪シリーズ ・寺社探訪シリーズ ・人物ゆかりの地シリーズ ・工場見学シリーズ ・産業見学シリーズ ・芸術鑑賞シリーズ ・工房探訪シリーズ ・お祭りイベントシリーズ ・収穫体験シリーズ ・酒蔵探訪シリーズ ・うまいもんシリーズ ・タウンウォッチングシリーズ 現在書き出したのここ11年間の井原線ウォークだから基本、月1回だが。これより古くなると月2、月3回開催していた。これからが記憶も薄れてくるし大変だ。 井原線ウォークの集大成としてのウォーキングガイドブックの編纂はこれからの私のライフワークだ。ほほほこらむ 2024.5.6
2024.06.03
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6月1日(土)晴れ 古代まほろば館「平井家文書から読み解く江戸時代」 企画展最終日6月9日ということで6月の井原線ウォークのコースメニューに入れることにいたします。 コース的に駅前通りで井原駅が確認してから古代まほろば館を訪れますのでこちらで解散して平櫛田中美術館もゆっくり拝観していただくこともできます。
2024.06.01
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6月1日(土)晴れ もういくつ寝るとお正月・・・ もう10つ寝ると誕生日、68歳だ。 折り返しを過ぎて身体にガタが来てこの世から退場の日が刻々と近づく。何でもできると思っていた若い時と違って心臓の機能が40%失われてしまうと、ちょっとした段差にも躓き、ガンバルとすぐに息が上がる。残りの人生に有限さを感じるようになると時間の使い方も節約が必要になってくる。 今までの人生を総決算してやりたいことをそぎ落としてひとつだけに絞らなければならない時が来たようだ。 ふるさと運動を創めて35年、「ふるさとネットワークI&Y」を経て「井原線まちおこしネット:25年」。心筋梗塞発病以来、体力だけでなく血流の低下で記憶が消えていく日々、400回を超える「井原線ウォーク」の集大成として「ほほほのおと。」だけは残しておきたい。
2024.06.01
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5月31日(金)曇り 渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「農兵募集de来訪編」コース図
2024.05.31
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5月30日(木)曇り 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その15】 興譲館から西へ進む右手の山裾に井原中学校がありその裏山が青蔭城址、興譲館の応援歌にも詠まれています。大正橋を渡ると桜の名所、井原堤です。JAと広島銀行の信号を左折すると駅前大通り、しばらく進むと右手に御菓子司「古月堂」があります。このウォークコースのお土産は「朗盧饅頭」がおススメです。井原駅に帰ってきました。那須与一ゆかりの地ということで駅舎が弓と矢、そして澄川喜一作「扇」がお出迎えです。御菓子司 古月堂 には「扇の的」もございました。お疲れさまでした。
2024.05.30
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5月28日(火)雨【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その13 】 武徳殿と仰徳園。武徳殿は昭和15年に新築された武道場、興譲館の文武両道をめざす教育の要。その向こうの丘が仰徳園、初代館長や歴代館長の功績碑が並ぶ。 講堂にも掲げられていた阪谷朗盧署「天下」の漢詩を刻んだ「天下の碑」が道路脇に建っている。渋沢栄一と阪谷朗盧に共通する考え方として「中庸」の大切さがある。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その14 に続く】
2024.05.29
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5月28日(火)雨【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その12 】 講堂に入ると正面左に、阪谷朗盧署 漢詩「天下」(年不詳)の掛け軸、右に、阪谷朗盧署 漢詩「興譲館之起時之詩」(慶応3年)が掛かっている。ここで講義が行われていたのです。書斎、朗盧さんが実際に使用した部屋が残されている、机には書籍も並び、肖像画も飾られている。昔が偲ばれる。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その13 に続く】
2024.05.28
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5月28日(火)雨 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その11】 校門から奥に進んでいよいよ「講堂」にやってきました。佇まいは幕末嘉永6年、開学当時のままです。屋根は当初かやぶきだったものを安政6年に瓦葺にしたもので元治元年当時の興譲館 講堂はこのようだったと思われます。ここが渋沢栄一と阪谷朗盧のファーストコンタクトの場所?! 玄関より奥を見ると講義をしたであろう2間が続く。「興譲館」という扁額は栄一が来訪した当時のものではなく明治45年に彼が揮毫したものである。元治元年、来訪時には古賀茶渓揮毫の扁額が掛かっていたのか? 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その12 に続く】
2024.05.28
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5月27日(月)曇り 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その10】 校門脇にある石碑「白鹿洞書院掲示」を校是として、毎朝、子弟共々講堂に会して朝礼を行い、この「白鹿洞書院掲示」を唱えてからその日の課業に入りました。以降、160年の間この「白鹿洞書院掲示」が興譲館の教育の根幹を貫く建学の精神として脈々と息づき、伝承の校訓として引き継がれています。渋沢栄一が朗盧先生を尋ねられた時も一緒に唱和されたのではないかと思う。 いよいよ「講堂」(嘉永6年完成・岡山県指定史跡)です。「大河ドラマ 青天を衝け」で、栄一が朗盧先生を訪ねたシーンはこの講堂をNHKさんが調査に来られてスタジオ内に再現して撮影されたという。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その11 に続く】
2024.05.27
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5月26日(日)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その9】さあ、いよいよ郷校興譲館です。一橋代官友山勝次の発議に七日市宿の佐藤正左衛門など領内の主だった庄屋が設立運営に当たった庶民の子弟が学べる学校です。その初代教授として請われたのが阪谷朗盧でした。設立はペリー来航の嘉永6年(1853)でした。そして元治元年(1864)、この興譲館の阪谷朗盧に会いに来たのが渋沢栄一でした。ここで2人はお互いを認め合い地域の人々に信頼され栄一の「農兵募集」は成功したのでした。 校門をくぐると正面に本館、その右奥に渋沢栄一がこの学校を訪れた時にもあった「講堂」がある。講堂に行く前に校門横の「館祖お手植えの紅梅」を見てほしい。一時期、樹勢の衰えが進んでいたが手当てが功を奏し今年も春にはピンクの花が咲いていた。館祖阪谷朗盧が植えて以来170年以上の長きにわたり見守り続けた紅梅だ。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その10 に続く】
2024.05.26
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5月25日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8】 「一橋府江原役所跡」消えかかった木製の標柱が残るのみだがこの奥に広い陣屋があった。江原陣屋の守護神として勧請された正一位稲荷、俗に「館跡稲荷」と呼ばれ、鳥居には「文政十三年」「平木京助奉納」と刻銘されている。一橋領の時代には、2月の初午の日に陣屋の門扉が解放されて領民がお参りしていたという。江原陣屋は三方に濠をめぐらせ文政十二年に竣工し、歴代九名の代官が赴任した。その中でも弘化四年から十年在職した第六代友山勝次は経済・医療・教育に功績大きく名代官として有名。陣屋見取り図の北西にある稲荷は今も現存している。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その9 に続く】
2024.05.25
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5月25日(土)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 】 東新町公民館にやってきました。ここに池田丹次郎という者の家があり、地域の有力者に聴いた「撃剣家・・・剣術の先生なら関根某という人がある」ということで、この家で関根という剣術の先生と手合わせした。難なく栄一が勝ち、その噂が近隣の人々の口から口へ伝わり彼を見る目が変わり人々が集まりだしたということが「渋沢栄一伝記資料」に記されている。 江原八景絵図を見ると旧山陽道の江原東新町に直線道が意図的に曲がったつくりで枡形とよばれる、城下町や宿場町などの入り口に造られた敵の侵入を防ぐため道路を直角に曲げた場所。ここに池田家があった。かなり広い屋敷だったようである。 旧山陽道を東新町から本新町を抜け神戸川まで戻る。橋を渡って右折し川沿いを進むと西江原郵便局、興譲館グラウンドが左手にある。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8 に続く】
2024.05.25
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5月21日(火)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その6】蓮華寺からすぐに国道486号を左折して信号を渡って蓮華寺からの延長線上の細い道、旧山陽道に進むと斜めT字路、くの字に曲がって左手に現在の「平成一ツ橋自治会」がある。 ここに幕末の頃、一橋陣屋の札会所があった。当地を訪れた渋沢栄一も立ち寄っただろうし、この建物の裏手に陣屋があったのだからこの周辺は農兵募集に苦戦していた頃にはイライラしながら歩き回っていだろう姿が思い浮かぶ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 に続く】
2024.05.21
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5月18日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 】 日芳橋碑から堤を下る、この細い道が旧山陽道、自動車修理工場の隣が山陽酒造、備中江原八景図にも描かれている酒屋さんだ。昔のお店の玄関だろう。一橋陣屋から近い酒屋さんということを考えると渋沢栄一が阪谷朗盧にお酒と漢詩を送ったという話を思い出す。 こちらの蓮華寺も絵図に描かれている。目をつむって通りに佇むと幕末の頃のこの備中江原の繁栄がしのばれる。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】
2024.05.18
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5月15日(水)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4】 小田川に到着、江戸時代には芳井川と呼ばれ幕末になるまで橋を架けることが許されていませんでしたが、一橋領になり友山勝次が代官として赴任すると領内の産業振興のため橋の架設を願い出て日芳橋が架けられました。 橋ができるまでは水かさによって渡河運賃が定められ「七日市宿 川上がり場」が定められていました。 安政4年(1857)に木橋(幅約3.6m、長さ60m)が完成し、七日市と芳井川から1字ずつとって日芳橋と名付けられました。渋沢栄一がこの地を訪れたのが1864年ですから木橋の日芳橋を渡って当地の若者たちを説得したことでしょう。 現在の赤いトラス橋の日芳橋は、大正15年(1926)に完成して両端に街灯がともりモダンな設計です。大正期の鋼鉄橋は珍しく岡山県内には岡山市の京橋と同橋しかなく。「日本の近代土木遺産」に登録されています。 橋を渡って西江原町の川岸に「日芳橋碑」がある。興譲館館祖の阪谷朗盧が安政5年(1858)に日芳橋架橋の経緯を碑に残し、友山勝次の功績を顕彰している。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 に続く】
2024.05.15
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3】 本陣跡の石碑から90m、割烹料理一久の狭い脇道、これが笠岡往来笠岡小路だ。ここから南へ進むと笠岡の港へとつながっている。 渋沢栄一が農兵募集で訪れた時、興譲館の塾生や近隣の若者と笠岡沖で鯛網を楽しんだという記録が残っている。まさにこの道を栄一達も通った小路だ。今見ると細い道だが江戸時代にはこれが主要道だったんだね。 進行方向三目を向けると赤い橋が見える。これが日芳橋だが、旧山陽道は右に見える細い道であった。この狭い道を大名行列も往来していた。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4に続く】
2024.05.14
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その2】 井領堂から旧山陽道をしばらく進むと武速神社前の信号がある。この信号を左折すると笠岡往来の井原小路である。江戸時代には旗本池田家の井原陣屋への道であり梁瀬村の桜渓塾へとつながっている。 神社の西に脇本陣があった。本コースでは旧山陽道を直進する。 武速神社は平安中期に創建され、「天王様」とも呼ばれスサノオノミコトなどが祀られている。境内の椋木は江戸時代の絵図にも描かれている。 神社正面にも脇本陣があった。 武速神社から40mの道向かいに石碑があるここに七日市宿の本陣があった。現在は駐車場になっている。農兵募集で訪れた栄一もこの七日市宿で村人に声をかけていたのだろうか? 本陣東隣にも脇本陣があった。七日市宿には本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠権があったというから大変賑わっていたようだ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3に続く】
2024.05.14
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5月11日(土)晴れ 6月9日(日)の予定している「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」についてはコースの変更を行います。 「桜渓塾~山成酒造」については7月に開催します。 「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」を2回構成で開催いたします。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「農兵募集de来訪編」〇とき:6月9日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約5km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~旧山陽道(七日市宿界隈~西江原界隈~西江原陣屋跡)~興譲館高校~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れました。この時、興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集は大成功し、第15代将軍徳川慶喜に認められました。井原は栄一にとってサクセスストーリーの始まりの地です。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.11
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5月10日(金)晴れ 本日のコースは、日本の資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一が一橋家の所領だった備中江原村に一橋慶喜の命で農兵募集にやって来た時から始まった井原市における渋沢栄一の足跡を想像しながら歩きます。スタートは井原駅です。さあ、しゅっぱ~ついたします。駅前通りを進み2つ目の信号を右折します。この通りは江戸時代の山陽道です。現在は旧山陽道と呼ばれています。すぐに左に四つ堂がある。井領堂です。栄一もこの堂に腰かけて休んだかもしれません。少し進むと七日市宿に入ります。参勤交代の大名行列が入宿するときには宿の入り口の下座所に村役などみんなが土下座して迎えたようです。下にぃ~、下にぃ~、ってね。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その2 に続く】
2024.05.10
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5月6日(月)雨 今日は雨天なので内業をした。現在から2013年までに実施したウォークを書き出した。コロナや豪雨災害で休止した期間があったが105回のウォークを確認していくと「ほほほのおと。」の中のコースごとの大雑破ながらグループがまとまりつつある。目次であり検索をするときの住所のようなものだ。 ・自然探訪シリーズ ・お花見シリーズ ・野鳥観察シリーズ ・山城探検シリーズ ・歴史探訪シリーズ ・廃線跡シリーズ ・古道探訪シリーズ ・寺社探訪シリーズ ・人物ゆかりの地シリーズ ・工場見学シリーズ ・産業見学シリーズ ・芸術鑑賞シリーズ ・工房探訪シリーズ ・お祭りイベントシリーズ ・収穫体験シリーズ ・酒蔵探訪シリーズ ・うまいもんシリーズ ・タウンウォッチングシリーズ 現在書き出したのここ11年間の井原線ウォークだから基本、月1回だが。これより古くなると月2、月3回開催していた。これからが記憶も薄れてくるし大変だ。 井原線ウォークの集大成としてのウォーキングガイドブックの編纂はこれからの私のライフワークだ。
2024.05.06
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5月2日(木)晴れ 今日は「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」のフィールドワークで、吉澤先生とまほろば館に立ち寄って学芸員さんにいろいろと教授いただいた。 「ほほほのおと。」ウォークガイドブックの編纂の心強いアドバイザーだ。しゃべったことは消えやすいが活字になると間違いが残ってしまう。ウォークコース上のチェックポイントのデータベースは出来得る限り正しいものを発表したい。 まほろば館からの帰りに久しぶりに鏡獅子に会いに平櫛田中美術館に立ち寄った。 玄関を入ったところに「ガンダムマンホール」が展示されていたので写真を撮った。 バンダイナムコグループの「ガンダムマンホールプロジェクト」に井原市が応募して寄贈を受けた2パターンだ。星空を見上げる「RX-78-2 ガンダム美星星空保護区バージョン」と鏡獅子と美術館の前に立つ「MS-06F-ZAKUⅡ 平櫛田中美術館バージョン」だ。 手を触れないでください」とのこと。記念写真を撮っているカップルさんが2組、これは経済効果と言えるのかな。
2024.05.02
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4月29日(月)雨 「シャクヤク花摘み体験ウォーク」コース図を描いているとチェックポイントが自然と浮かんでくる。幕末のこの地に赴任した友山勝次代官がつくった観光花園「花山」、景勝地「高月山」、ゆるやかに曲がりくねった山道を登りながら新緑の爽やかな空気を一杯吸い込む。 山頂からの風景を愛でながら「シャクヤク畑」で花摘みを楽しむ。○とき:5月3日(祝) ◆集合場所:井原駅(集合/解散)◆距離:約6km ◆行程:井原駅~花野~高月佐能農園(シャクヤク花摘み体験)~井原駅 ◆内容:高月山は江戸時代、歌にも詠まれた景勝地、その山頂にある芍薬園が目的地。井原市内の薬用芍薬栽培グループとのコラボ企画、芍薬は美しい女性の姿を形容する花、根は葛根湯などの原料。美しい花はイライラを鎮めてくれます。芍薬農園de花摘み体験ウォークを一緒に楽しみましょう。 ◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.04.29
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4月20日(土)曇りのち小雨 明日の井原線ウォークのコース図です。☆北条早雲ウォーク○とき:4月21日(日)◆集合場所:早雲の里荏原駅(集合)9:00 (解散)13:00早雲の里荏原駅◆距離:約12km ◇少雨決行 ◇歴史・健脚向コース◆参加会費:300円【参加会費(保険料含む)】◆行程:早雲の里荏原駅⇒法泉寺⇒大岩刻早雲供養碑⇒谷古屋登山道⇒山上山城跡⇒高越城址⇒新九郎薬師⇒早雲の里荏原駅◆内容:戦国武将の魁、北条早雲こと伊勢新九郎ゆかりの備中伊勢氏の戦国の足跡をめぐる戦国ロマンウォーク。居城あとの高越城址では早雲まつりが開催されます。
2024.04.20
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4月20日(土)曇り 高越城址から二の廓に降りて高越谷方面登山道を下る。 廓からすぐに左手に産湯の井戸と伝わる小さな井戸がある。ここから木々の中を左右に折れ曲がりながら登り口の看板まで下り左折すると民家とお地蔵さんの間の道を上ると「新九郎薬師」がある。 伊勢新九郎が寄進したとされる薬師如来立像が祀られている。像の裏に「祈願主新九郎」と印されている。新九郎が遠く離れた伊豆の地から荏原庄の領民の安寧を祈願して送ったものと思われる。 一路、井原鉄道の線路沿いにスタート地点の早雲の里荏原駅にてゴール。広場の早雲像にウォークの無事を感謝して終了です。
2024.04.20
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4月20日(土)曇り 一の廓に高越城はあった。 この眺めを若き日の伊勢新九郎盛時も見ていたことを想像すると感慨深い。山頂から南を見下ろすと出城の横畑城址がありその下に平野と小田川そしてその向こうには笠岡の山並みが広がる。横畑城の登り口は平井集落だ。伊勢氏の家臣だった平井氏の所領だったのだろう。山際を旧山陽道、西国街道が東西に通じている。 西に目を向けると山上山の出城跡が見える。高越城から見えない西の平野の監視をしていたのだろう。谷を登ってくる敵を本丸と山上山城で挟み撃ちにする作戦だ。 高越城址山頂、元々、高越城は鎌倉時代に元寇襲来に備えて鎌倉幕府の命で宇都宮貞綱が西国街道の抑えとして築城したと伝わっている。元寇に備えて関東を中心に全国の武士団が西国街道を北九州から山口へ駆り出されていったのだろう。 その後、室町幕府の名家伊勢氏一族の備中伊勢氏の所領となり高越城を拠点にして荏原庄の運営が行われた。「北条早雲ウォークコース その5」 に続く
2024.04.20
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4月20日(土)曇り 大岩刻を後にして平野を横切り谷古屋口から登山。竹林の山道を登り広い道に到達。まっすぐ進むと高越山頂、左に進むと駐車場とお祭り広場、右に進むと出城への分かれ道。下に進むと横畑城址、そして上の道が山上山城址へ続く。今回はこちらへ進む。 尾根道をしばらく進むと登りきったところが開けている。ここが西の出城、山上山城だ。今は木々に視界が遮られているが、室町・戦国時代には西からくる軍勢に備えていたのだろう。 山上山城祉から駐車場の広場に戻り早雲まつりを楽しみ昼食を摂ったら頂上へ。大門を潜り、四の廓、一の廓へと登ると「北条早雲生誕の地」ののぼり旗がはためいている。「北条早雲ウォークコース その4」 に続く
2024.04.20
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4月19日(金)晴れ 早雲父子の墓前からお寺裏手の坂道を上る。 途中、木村重成の従兄弟の重宗のお墓がある。豊臣秀頼の小姓、その後、3千石の近習旗本となり大坂夏の陣で戦死したが、従兄弟の重宗は落ち延びてここ法泉寺まで逃れてきて匿われ、出家して僧となりこの地で没したと伝えられている。 得脱稲荷下の小道から寺の全容が見えてくる。まさに城郭構えで備中伊勢氏の菩提寺兼お城だったことがうかがえる。「得脱稲荷大明神」またの名を「金毛窟」という。法泉寺の昔々の言い伝えに「伊豆修善寺の狐が刷り袈裟を取り返そうとやってきて和尚様に見つかって法泉寺をお守りするお稲荷様となった狐の夫婦が祀られている」とのこと、むかしこっぷり。 法泉寺から鎌迫池の堤を経て下谷川に沿って下ると森奥橋の手前の山中に「大岩刻 早雲供養碑」がある。地域の人々によって道が整備されているが狭いので気を付けて上っていただきたい。 足の悪い人は下から手を合わせるだけでよい。 早雲供養碑の下には「道了尊石仏」がある。これは小田原を中心に多く祀られている石仏で岡山県では見当たらない。荏原庄と小田原後北条のつながりを示す石仏といえる。 大岩には「普早雲寺殿天岳瑞公大居士墳」と刻されている。 「北条早雲ウォークコース その3」 に続く
2024.04.19
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4月19日(金)晴れ お天気が心配ですが、少雨決行です。降雨量によってはコースを変更して「井原市北条早雲まつり」を皆さんで愉しんでいただくメニューを考えております。 「ほのぼの岡田さんのほほほのおと。」ではコースのチェックポイントを紹介します。 スタートは早雲の里荏原駅の陣羽織姿の北条早雲石像前です。 ここは、戦国大名の魁といわれ備中伊勢氏の所領、荏原の庄に生まれ青年期をこの地で過ごし京都の足利幕府で将軍の申次衆を務めた伊勢新九郎宗瑞の国盗り物語の始まりの地です。 早雲の里荏原駅からCP化成の工場に沿って進み井原ゴルフ倶楽部への山道を登る。野球場のT字路を左折して下っていくと右下に砦を思わせる城郭をのような回廊を有する備中伊勢氏の菩提寺、法泉寺がある。 法泉寺は、荏原郷の領主であった伊勢盛定が古澗仁泉を招いて開いた曹洞宗のお寺で伊勢氏のほか備中守護職である細川氏や地元の有力武士たちから土地の寄進を受け大いに発展し、備中・備後に末寺30ヶ寺を持つまでになる。 仁泉は、亡くなる年に弟子である3人の僧に法泉寺の住職を交代でするよう遺言しこの地で80歳の生涯を閉じている。 屋根には三つ鱗の北条氏の家紋が見える。 お寺の裏の墓地の一番奥に伊勢新九郎盛時(伊勢宗瑞=北条早雲)と父の盛定の供養墓がある。その横には歴代住職の墓もあり備中伊勢氏の菩提寺としての歴史がしのばれる。「北条早雲ウォークコース その2」 に続く
2024.04.19
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4月16日(火)晴れ 井原鉄道 早雲の里荏原駅から井原ゴルフ倶楽部への道沿いに色鮮やかな桃源郷がみられる。 大谷集会所を中心に植わった140本の枝垂れ花桃が咲き誇っている。 集会所手前のガードレールに沿った斜面にはじまる花園。 集会所前の並木が木が大きく昨春はみごとだったが、夏の猛暑で少し元気がない。自然のものなので試行錯誤しながら育てているとのこと。 集会所前を右折してゴルフ場へ進むとカーブの先に一番元気な枝垂れ桃と菜の花が咲き誇る様は圧巻! 近くに住む福尾仁志さんが、ふるさとを桃源郷にしようと半世紀植え続けこの景観がつくられてきたことを思うと頭が下がる。
2024.04.16
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4月15日(月)曇り 小田川を上流へと進み天神トンネルを出るとそこは川相地区、新落合橋を渡ってすぐに左折して川沿いに進むと川向うに渡る橋がある。しばらく進むと山あいにぽっかりと公園が現れる。左手奥にあるのが特別養護老人ホーム小田川荘、右手に小田川荘さくら庭園がある。 2017年開園した小田川荘の庭園だが桜の季節には入所者だけでなく地域内外の人も楽しめるとのこと。 今回の井原の桜名所では紹介しなかったが、同川相地区「圓信寺」の枝垂れ桜、芳井町井山地区「光福寺」の枝垂れ桜の老巨木は一度は見ておきたい。但しこちらは、交通の便が悪いので天神狭駐車場から歩いて見学するのがいい。
2024.04.15
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4月14日(日)晴れ 袋田公園といえば「ちびっこ田中さん作品群」で有名。2月の井原線ウォークで「さわって鑑賞するユニバーサルウォーキング」を楽しんだ公園だ。 桜を愛でながら野外彫刻を楽しむお花見も面白い。
2024.04.14
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4月13日(土)晴れ 星田池のダム湖にも桜の名所がある。 湖畔の駐車場を囲むように植えられた桜が湖面の水喪と面白い景色をかもしている。 ダム下の遊歩道の桜公園には美星畑地灌漑揚水機場があり常時放水している。 星田川沿いを下る親水遊歩道を進むと滝山自然公園、第2星田ダムがある。 滝山渓谷ウォークコースは「春は桜」「夏は新緑」「秋は紅葉」「川のせせらぎ」と四季を通じて自然を楽しめる。
2024.04.13
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4月12日(金)晴れ 来週末の井原線ウォークの北条早雲コースの備中伊勢氏の居城だった高越城址の桜が素晴らしい。 城址公園駐車場から高越城址への下り坂の桜並木から始まる。下ると城址の城門があり少々キツイ登り道を上る。 頂上の一の廓に到着。360度の眺望がすばらしい。特に桜の開花の今が圧巻だ。 南の井原市から笠岡市の平野を見下ろす眺望は雄大だ。 戦国時代の人々も旧山陽道を見下ろし戦の趨勢を計っていたのだろうか。 北条早雲生誕の地の幟が桜の薫風の中でたなびく。 ここが高越城山頂「北条早雲生誕之地」の石碑が立っている。
2024.04.12
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4月11日(木)晴れ 芳井町のお花見スポットとして芳水橋下の小田川堤の桜は雰囲気抜群だ。桜並木に沿うように整備された幅広の河川敷はお花見の宴で賑わう。 ソメイヨシノが一度に植樹されたようで樹の大きさが揃っている。その中に1本だけ品種の違う桜がある。意図したことか?偶然か?面白い。
2024.04.11
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4月11日(木)晴れ 芳井町にも桜の名所がある。 桜渓公園だ。元気いっぱい伸び放題、散る桜の花びらが舞う様を幕末の時代に朗盧さんも愛でたのだろうか。 興譲館館祖、阪谷朗盧がこの地で桜渓塾を開き地域の若者を教えた。 地名を「桜」というから昔から桜の木が多く植わっていたのだろうか。
2024.04.11
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4月10日(水)晴れ 井原市美星町にも知る人ぞ知るお花見の名所「木野山公園」がある。 木野山公園は、美星町星田の標高は425mにありキャンプ場が併設されている。キャンプしながらのんびりお花見もいいね。 公園入口の枝垂れ桜が見事に咲き誇っていた。
2024.04.10
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4月10日(水)晴れ 井原市青野町には、知る人ぞ知るお花見の名所「青野ダム公園」がある。 青野ダムは、灌漑用のダムで標高は250mにありお花見の隠れ里的ビュースポットだ。 ダム湖の南山ろくにありわかりにくい。ダム手前の細い坂道を登ると桜の公園になっている。
2024.04.10
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4月10日(水)晴れ 井原市経ヶ丸山頂にも桜の名所がある。 山頂の標高は281mで360℃の眺望が楽しめるビュースポットだった。 西半面経ヶ丸観音院の木々が伸びて視界が240度となっているが、東屋もあり休憩もできる。東半面の眺望は吉備の山並みを見渡せる。この東半面に6段の桜並木がある。
2024.04.10
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4月9日(火)雨のち曇り 相原公園は井原堤の次に有名な桜の名所だったが、樹齢と病気によって樹勢が衰えていた樹勢回復施術によって元気になってきた。新たな植樹もなされてお花見客も戻ってきつつある。
2024.04.09
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4月8日(月)曇りのち雨 舞い散り舞い上がる桜吹雪の中を闊歩する。 咲き揃った桜回廊をそぞろ歩く、春の醍醐味だ。 水底から見上げながらのお花見も一興なり。 水面を求めて枝を延ばす桜の古木。 舞い散る桜の花びらが水面を流れゆく。 雨の気配がうらめしやぁ。
2024.04.08
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4月8日(月)曇りのち雨 井原堤2㎞の桜トンネル 本日、「満開」なり。 夕方からの雨、恨めしい。 桜吹雪の美しさが恨めしさを増す。 大正15年に架けられた日芳橋と満開の桜。 井原大橋からの井原堤の満開の桜を眺望。 明日の朝まで雨が降るという。恨めしやぁ~。
2024.04.08
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4月7日(日)晴れ霞み このコース、矢掛町から倉敷市真備町に進む。備中呉妹駅から国道486号を迂回してさくら公園を進むのもいい。吉備真備駅から道路付け替え工事によりコース図が変わっているが直線的に進みやすい。川辺宿駅と清音駅間には高梁川を渡り進む。清音駅からはJR伯備線との共用部なので伯備線に沿って進み総社駅に到着、これにて(46㎞・65,714歩・所要時間11時間30分)の「井原線全線ウォーク」ゴールと相成り全線踏破と相成る。 一気に全線ウォーク踏破にチャレンジするもよし、分割して駅ごとのチェックポイントを踏破するもよし、一駅ごとに脚力に併せて進むこともよし。無理せずチャレンジして下さい。【井原線全線ウォークコース 4/4 総社・清音・真備編】・・・(三谷駅)⇒備中呉妹駅⇒吉備真備駅⇒川辺宿駅⇒清音駅⇒総社駅(ゴール)
2024.04.07
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4月7日(日)晴れ霞み このコース、井原鉄道、小田駅から矢掛駅手前1㎞ほどが旧井笠鉄道廃線跡を利用して敷設されている区間。国道486号の歩道を進んでもよし山際の道を進むもよし。常に井原鉄道の高架や盛土された井原線を確認しながら歩けるので安心だ。 矢掛駅を過ぎるとトンネル区間があり線路を確認できなくなるので国道486号を進むとわかりやすい。 【井原線全線ウォークコース 3/4 矢掛編】・・・(小田駅)⇒矢掛駅⇒三谷駅
2024.04.07
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4月6日(土)曇り このコースの井原鉄道、子守唄の里高屋駅からいずえ駅と井原駅の中間にある岩山神社までは旧井笠鉄道廃線跡に敷設されており、現在の井原鉄道は高架の上を走っているが、井笠鉄道時代は小さなフォルムで「マッチ箱」の愛称で親しまれた軽便列車が家々の間をすり抜けるように走っていた。 岩山神社前から小田駅手前の旧井笠鉄道小田駅の区間は新規に敷設されており盛土されているところが多い。【井原線全線ウォークコース 2/4 井原編】・・・(子守唄の里高屋駅)⇒いずえ駅⇒井原駅⇒早雲の里荏原駅⇒小田駅
2024.04.06
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4月5日(金)晴れ 井原鉄道3周年の時につくったウォーキングコース地図が出てきた。 このコースは「井原線全線ウォーク」という井原線全駅を1日で踏破するという企画にあわせて作ったもので、朝8時に神辺駅をスタートして各駅をチェックポイントしてゴールの総社駅まで踏破距離46㎞の過酷なコースだった。 主催した私もまだ若く車でのサポートも苦にならなかったが、参加者も若かったので一気に踏破する人続出だったのは驚きだった。しかし途中リタイアする人も多かったのでその後は、2分割、3分割で開催した。神辺駅から湯野駅、御領駅から子守唄の里高屋駅の区間は旧井笠鉄道の廃線跡を利用して敷設されている。【井原線全線ウォークコース 1/4 神辺編】・・・神辺駅(スタート)⇒湯野駅⇒御領駅⇒子守唄の里高屋駅
2024.04.05
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4月3日(水)雨 日日の健康づくりのためにウォーキングを取り入れる時にちょうど2㎞のコース設定をしておくと便利、ということで設定したのがこのコースだ。 井原駅をスタート⇒ゴールにした基本コースだ。 歩幅70㎝で2,857歩。所要時間は30分。 体調に合わせて歩幅を広げたり、スピードを速くして負荷を掛ければ筋力アップを期待できる。 所要時間を記録しておくと健康状態の目安になる。
2024.04.03
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3月7日(木)晴れ 今夜は楽しみにしていた井原市歴史講座「明治時代の鉄道の発展と井笠鉄道」講師 小西 伸彦 先生(就実大学人文科学部総合歴史学科 特任教授)を聴くことができた。 夕方、予定が入っていて諦めていたが、早く済ますことができ会場の「アクティブライフ井原」メルヘンホールに自転車を走らせて開園時間に間に合った。 馬越恭平翁の関わった明治時代の鉄道の歴史を拝聴できよかった。 講演が終わってから片付け中の小西先生に話ができ情報交換できるようになった。 今年、編集予定の「ほほほのおと。」井笠軽便鉄道廃線跡コース編のガイドブックの内容の補強ができそうでうれしい。
2024.03.07
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2月28日(水)晴れのち曇り 今日は久しぶりに吉澤先生と井原の史跡や文化財の話ができて沈んでいた気持ちが軽くなった。井原線ウォーキングガイドブック「ほほほのおと。」の史跡や文化財、歴史についての監修をお願いできるのは心強い。 言葉足らずの内容を発表してしまうといくらいい企画も評価されない。独りよがりの一眼視点の思考になりフェイク情報の発信になりかねない。2重三重のチェック体制でいこう。。 25年の集大成としてやるからに小さな1歩でも悔いの残らない作品を世に送り出したい。
2024.02.28
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2月9日(金)晴れ 今日は中国新聞さんの取材に応じた。25周年記念ウォークということで取材の時間を取って欲しいということだった。 よくここまで続いたと思いながら質問に答えた。コロナ禍でやめてしまおうと思ったこともあったし、一時は体力的にウォーク企画の運営は無理だと思うこともあった。それでも歩くことがリハビリになる、むしろ歩かないと心臓の老化が加速すると思い直してリハビリと摂生に励んだ結果、2022年秋に井原線ウォークを開催できた。 質問にもあったが、嬉しかったことは参加者が待ってくれていた方々がいたこと。協力してくれる方々がいたこと、その方々の応援があったからこそ25周年を迎えることができる。 自分一人では何もできない。そして自分が弱くなったからこそ「25周年の目標」が生まれた。 ・ユニバーサル・ウォークの試み ・ユニバーサル視点に立ったウォーキングガイドブックの編集出版。 今までもガイドブックの編集はしていたが、畳屋の片手間でやるには荷が重いしただ歩くだけのコース設定では満足できなかった。 今回の「視覚障害者も一緒に楽しむ井原野外彫刻鑑賞ウォーク」の視点は病気で体力の衰えと戦う今の自分にしかできないウォーキングガイドブックが作れると確信した。 今年1年、歩き重視の健常者の歩きガイドと視覚に障害を持った方々の五感を使った歩きガイドの2バージョンを試行錯誤しながら井原線ウォークの運営、ガイドブック作成にチャレンジしようと思った。 取材を受けると考えがまとめられていいものだと思った。
2024.02.09
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