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現時点から 後ろ(過去)を振り返ると 今の自分が 一番の「長老」現時点から 前(未来)を見ると 今の自分が 一番の「若造」「長老」としての知恵と経験を「若造」の自分に指南しながら行くべき方向は「前」しかない。どんな時も、「今」が「分岐点」どこへ向かうかは、「今」のかじ取り次第。歩んできた「過去」は全て「未来」への物語を彩る材料。
2023年04月22日

47歳の頃、それまでの中途半端な人生を顧みてこのままではアカン!もうこの先の人生短いし、現状は最悪やん!と途方に暮れたのがこのブログ開設のきっかけでした。2007年5月19日のことです。それから実に16年・・・あの頃は、 ・残された人生時間は少ない! ・身体もボロボロでこれ以上悪くなったら何にも出来ん!と思っていたのですが、身体はこの16年で加齢による劣化以上に内臓器官が急激に悪化しています。心臓、腎臓、大腸、十二指腸、胃、肺・・・実は今から思えば、16年前は「今よりかなり健康」だったのです。当然ですが、16年前は、今よりも残された時間がめちゃんこ多い!少なくとも、使える(使えた)時間は今よりは16年多い!思い返せば、「これ以上悲惨な事は無い!死んだ方が楽かも・・・」と思ったことは一度や二度では無いのですが、その後、その時の状況を軽く上回るような事態がいとも簡単に繰り返されてます。あの時も、その時も、この時も・・・今振り返る「本当の最悪の状況(言わば最小値)」に比べればその時々の「最悪(最小値と思われた状況)」は単に「極小値」であっただけなのでした。後の「もっと悲惨な極小値」(その時は、今度こそ人生最大の「最小値」だと確信している。)を迎えるに至って初めて「あ、あの時は今より楽な極小値やったんや。 あん時に死なんくてよかったよかった。」と思うのです。現に、その時よりも遥かに厳しい現実に直面してそれでもまだ生きてた(生きてる)わけだから・・・悲劇の真っ只中にいるその時の状況が果たして本当に「最小(人生最悪)」なのか「極小(たまたまその前後の範囲内での値)」なのか「定義域」を確定、即ち人生を確定(終了)しないと判断できないわけです。※上図では、右端の最小値は、定義域があるおかげで図の実線の黒丸で収まっていますが定義域を右に広げれば(つまりもう少し生きれば)、破線部分が更に下降しているので最小値はもっと小さく(もっと厳しい現実に)なります。グラフが下降の一途をたどるのが確実ならば定義域を「今」としてここで終わる(人生を打ち切る)のも一考の価値有り、でしょうがグラフのその先は見えてません。現に、左側の「極小」では、その後グラフが上昇したので、その時は、「最小値」(その時が人生最悪)かと思われた値が結果的には「極小値」で済んだわけです。(この先にもっと過酷な状況が有った。)つまり、「定義域を確定」させるまでは「極小」か「最小」かは決められません。数学的なグラフならば、元になる式からその後の変動は計算して予測できますが実際の人生はそんなに簡単では有りません。実際の人生では、勝手に「定義域」(人生70年とか80年とか)を設定して勝手に「人生設計」などをしているのですが、自分自身のこれまでの人生でも設計に反して、突然「人生終了」となり得たことが何度あったことか・・・直近ですら、昨年11月の突然の入院は現在自分が把握している病状とは全く別の想定外の箇所の異変で、確率的には低かったものの最悪、「THE END」のシナリオも想定されたわけだし、選択肢としては「外科手術」も含まれていてそうなると、その後の「透析」選択肢も「血液透析のみ」になっていたわけです。話は変わりますが、コロナ禍をはじめとする昨今の社会情勢を鑑みてか、金融機関や公共機関から「BCP策定セミナー」などのお誘いを受けます。中小企業庁のHPには BCP(事業継続計画)とは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のことです。 緊急事態は突然発生します。有効な手を打つことができ無ければ、特に中小企業は、経営基盤の脆弱なため、廃業に追い込まれるおそれがあります。また、事業を縮小し従業員を解雇しなければならない状況も考えられます。 緊急時に倒産や事業縮小を余儀なくされないためには、平常時からBCPを周到に準備しておき、緊急時に事業の継続・早期復旧を図ることが重要となります。こうした企業は、顧客の信用を維持し、市場関係者から高い評価を受けることとなり、株主にとって企業価値の維持・向上につながるのです。という説明が有ります。確かに、コロナ禍の状況は言うまでもなく平時ですら、中小企業は後継者問題や技術継承、従業員の確保や教育など問題は山積しています。さて、前述のグラフを例にすると私自身、「俺様の人生は計算式でははじけないぜ!」とばかりに、・18歳の頃、大学受験に2年足踏みしたので2年長生きするぜ!・事業失敗して多額の借金背負ったので返済期間分長生きするぜ!などなど、ひたすら「定義域」を拡張することで何とか「その時の今」の「一見最小値」を「単なる極小値」に変換するべく、「長生きすりゃそのうち人生逆転ぢゃ!」などと虚勢を張って無理しながら生きてきたのです。(最終的には、「150歳まで生きるぜ~」というレベルにまで・・・)ま、そんな奴が健康的な生活習慣を維持できる訳もなく「定義域」を拡張するための最も大切な因子つまり、「健康寿命」がじわじわと崩れつつあったことに目を背けて邁進してきた結果、どうやら「定義域」も拡張の限界が見えてきたようです。担当医の見解では、このままのペースで行けば今年の8月頃には、「クレアチニン値」が「5.0」を突破!(これは「障がい者3級」認定の基準値だそうです。)●腎臓の機能が少しでも残っているうちに 早めに透析を開始した方が良い。という医学的見地とは裏腹に●「障がい者3級」にならないと透析の医療費は かなりの高額になる。という医療的見地が立ちはだかり現実には「そこそこ悪くなってから」しか透析開始が出来ないという変な状況です。となると、頑張って塩分やカロリー、水分の制限をして「悪くなるのを遅らせる」=「透析開始を遅らせる」という事が良いことなのか?という疑問が・・・「腎臓の機能が少しでも残っているうちに・・・」というのなら、いっそのこと短期的に塩分もカロリーもガンガン接種して一気に一時的にでも数値を「5.0」まで上げて障がい者認定を受けて透析を開始するか・・・(一時的に数値が上がっても実際に腎臓が悪化するには多少のタイムラグがあるのでは・・・???)などと考えてしまいます。いずれにせよ、年内には「腹膜透析の準備」として腹膜へ、カテーテルを挿入する手術が確実に待っています。いろいろ調べると「5年~10年」程は何とか持続できるようで普通の「血液透析」のように血管がボロボロになるリスクはかなり軽減されるようです。で、腹膜自体も限界になった時点ではじめて「血液透析」に移行し、後は2日に1回数時間かけて「透析」を行い着実に血管をボロボロにする日々が待っています。「腹膜透析」⇒「血液透析」でざっと15年は、何とか生き永らえたい!というのが現状の「目標」です。これを見据えて、まずは「10年」というスパンで個人的な「終活」を開始せねばなりません。それと同時に、今進めている仕事の「次世代への継承」も本腰入れて考えねばなりません。「自動運転」とまでは行きませんが、私の人生が終了した後にも少なくとも、全スタッフの給料や家賃などの経費そして借入金の返済分を捻出できるような「体制・システム・組織」を構築しておかねばなりません。福祉は勿論、この先の医療も決して「大儲け」できるような枠組みは困難になるでしょうが、食いっぱぐれるような事にはならないかと・・・事業継承も、人生も起業してから数年間~数十年間、生まれてから数年間~数十年間は、会社の基盤、人生の基盤を構築するのに必死でとても「次のステップ」(会社なら次の経営者へのバトンタッチ、 個人の人生なら、一生を終える時)の事など考える暇も有りません。大企業や、何代も続く企業は既に「先代」からの継承を経験済みなのでその次の世代へのバトンタッチは想定されているでしょうが、己が起業した会社は、「継承」は未経験ですし、己の人生は、何もかも全てが未経験です。考え方を変えてみると起業した会社も、「今回初めて生きてみた己の人生」も始まった時から既に「終活」がスタートしていたと言っても良いのではないか。人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、滅せぬもののあるべきかとは信長も口にした「敦盛」の一節ですが、これ即ち、「死ぬために生を享けた」と解釈することもできるのでは・・・(少なくとも、「死に向かって生を享けた」とは言える。)となると、人生の終盤を感じ取って、その時はじめて「終活」などと言うのではなく「己の生き様」が即ち「終活」ではないか。良くも悪くも「死」を「ゴール」とするならば生まれた瞬間から「ゴール」に向かって日々時を刻んできたのだから、過ぎ去った日々は、長い長い「終活」の一部でここまでかかって、「ゴールの姿」を作る材料をひたすら集めてきたようなもんだ。理想とかけ離れていても全然思い通りじゃなくても今まで集めた物でしか作れないんだから何とか工夫して、後はまだまだ頑張って足りないものを少しでも補充できるようにこの先を過ごしていくしかないし、どのような結末にするかをしっかりと見据えて今からでも「最大値」を目指してどこで終わるかわからない「定義域」を恐れつつも今できることを一つ一つ集めて行くしかない。会社は、形状を維持したままバトンタッチが可能だが「己の人生」にそれは望めない。となると、何を残すか・・・ 「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。 仕事を残して死ぬ者は中だ。 人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」「2022年11月13日日記」⇒「金」<「仕事」<「人」参照生物学的遺伝子を残してない身としてはせめて、「思考の遺伝子」の欠片ぐらいは次世代に残したいものだ・・・
2023年04月18日

活字の本が好きです。かつては、毎日本屋さんに行かねばどうにも落ち着かないほどでした。中学生の頃から文庫本に親しんできて長じてからも、古本屋さんに足しげく通い定価では手が出ない「分厚い表紙の本」にも食指が動くようになって様々なジャンルの書物を読み漁ってきました。そんな中で、どうしても興味が湧かなかったのが「歴史」です。興味が無かった最大の理由は単に「社会の授業が嫌い」だっただけなのですが・・・社会に限らず、英語(英単語)や化学(有機化学)の「暗記せねばならぬ事」が嫌でした。暗記、と言っても数学や物理の定理や公式などはその理屈がわかると「気持ちいい」のでそれほど苦にはならなかったのです。百人一首や、古文・漢文の言い回しはこれまた「気持ちいい」ので、むしろ好き!それに引き換え、英単語・有機化学は「何でそうなの!?」のオンパレード!(語源や単語の派生語などを丹念に追いかけると そうでもないことは有るのですが、 そこまで授業ではやらないし、自分自身で そこまで追及はしなかった。有機化学も然り。)成人してからの各種資格試験でも、理屈で納得できるものは苦にはならず、それなりに及第点を取れるのですが、どうにも仕組みが理解できない「法律系」は勉強効率が極端に悪くて苦戦しました。「過去を振り返って何になる!」と嘯いて避けてきた「歴史」ですが、ある時、マンガで「半蔵の門」というのを読んで、一気に話の全体像が見えて、それにまつわる事をもっと知りたい!面白い!と感じて以来、戦国時代、三国志、中国の古典などを漫画で読み漁り、大いに「歴史」に興味を抱いて今に至る・・・のです。その後に「白戸三平」氏の「カムイ伝」などを改めて読み返すと、それまでは感じられなかったものが隙間を埋めるようにしみ込んでくるのがわかりました。それまでは、「まんが」と「学習」は全く別物と考えていたのですが、「これも有りやん!」と受け入れるようになりました。苦手な分野を、「まんが」や「図解」で視覚的に補完することはとても有意義で、遅ればせながら、積極的に取り入れています。苦手な分野だけでなく最近は、「かつてかなり深く学習したはず」なのに「その概要すら朧げになってしまった」ものを少しずつ、取り戻すために「まんがでわかる○○○」とか「図解△△△」とか「やさしい◇◇◇」などを開き直って(少しはまだ抵抗あり?)読んでます。孫子やアドラーに至っては、文字ばかりの本を何冊も読んだはずなのですが、今回購入した「図解」「まんが」で驚くほど端的に再理解すること満載!劣化した記憶を再構築するのは至難の業なのでせめてこうした方法で、「概要だけでも取り戻す」作業をして、せっかく詰まっていた脳を少しでも復活させていかねば・・・「まんが」や「図解」でもまだまだ「?」ということがありますが、最近では中学生の参考書も「QRコード」で動画解説が視聴出来たり、作図の手順を再現して見せてくれたりして我々の時代では考えられないような「はいてく」で理解を助けてくれます。(反面、脳内での「作図イメージ構築能力」などは 劣化していくんでしょうか?)英語の単語帳でも、我々の時代には外国人の音声の高価な「別売カセットテープ」はお金持ちのボンボンぐらいしか入手できず「発音記号」からでは正確な発音もわからず学校の英語の先生の「当たり外れ」で英語能力が決まる要素も多分にありました。今では、「QRコード様」←「様」扱いで、「ねいてぃぶ」の発音が簡単に(無料で)聞けます。それでも、カタカナ英語を学んできた世代はいまさら、「ねいてぃぶ」の発音はなかなか聞き取れません!(TへT)とか何とか愚痴っている内に世の中は「ちゃっとGPT」などという「ɤ-GTP」の仲間かと思うようなものが知らぬ間に出現していて、手塚治虫や藤子不二雄の世界をも凌駕しかねない時代へと突入しつつあります。「火の鳥」の「未来編」のシナリオになんだか近づいているような・・・大丈夫か?人類!
2023年04月12日
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