全9件 (9件中 1-9件目)
1
私が小学校4年生の頃だったと思う。当時住んでいた社宅のご近所に脳性小児マヒで障がいの残る中学生のお兄さんが住んでいた。ごくたまに家の近くですれ違うことがあった。 小学校4年生の私はそのお兄さんが少し怖かった。夕食の時、そのお兄さんについて「ちょっと気持ちが悪い」と話した。子どもは無邪気だ。いやこの場合は無知で残酷と言った方がいい。父はとても悲しそうな顔をした。そして食事をしていた手を止めて私に話をした。 『生物というものはどんな生物でも、ある一定の確率で障がいを持った命が生まれるものなんだ。それはいつ、どこに出てもおかしくない。お前と弟にはたまたま障がいはなかったけれど、二人の内のどちらかが障がいを持って生まれたとしても何も不思議なことではないんだ。だから障がいを持って生まれた子どもは、みんなで大切に育てなければならない。そのご家族だけの問題ではなくて、社会全体の問題なんだ。神様は障がいを持つ子どもを地上に送り出す時に、その子を託す家庭を慎重に選ぶんだって。「この夫婦ならきっとこの子を大切に育ててくれる」と考えて、神様はその子を託すんだって。障がいを持つ子どもを育てるのは根気や気配りが必要で大変だろうなあって、もし自分だったらちゃんと育てることができるかなあって、いつも思うんだ。そしてその中学生のご両親は偉いなあって思っているんだよ。』 そう言われて私は、本当に本当に申し訳ないことを言ってしまったと思った。
2010.04.29
コメント(8)
私の子どもたちが通った幼稚園では、定期的に講師を呼び保護者のための勉強会を開いていた。講師は脳科学者、読書研究家、更生施設の関係者と様々だった。読書についての話はとても勉強になった。講師によると、昔は子どもが自然に本好きになったが今はそれがとても難しい時代になったのだそうだ。本以外に子どもの興味を惹き付けるものがあまりにも多すぎるというのだ。テレビやテレビゲームの面白さを覚えた子どもは、本にはなかなか見向かないという。テレビやテレビゲームは映像がそのまま入ってくるから脳にとってラクなのだそうだ。だが本は違う。本を読む時脳は文章を理解し頭の中で映像化する。その作業は訓練しないとできないそうだ。幼児が絵本を読む。最初はほとんど絵ばかりの本だ。でもその後徐々に絵の部分が減っていく。この過程は絵と絵の間のストーリーを脳が映像化する訓練になるそうだ。私は『赤毛のアン』が大好きだったが、私のイメージしていたアンと映画化された時にアンを演じた女優さんの印象が違ったのでがっかりした記憶がある。私の心の中には確かに「私のイメージするアン」がいた。「絵本を読む適齢期」に本を読まなかった子は、その後その訓練をするチャンスに恵まれないことが多い。中学生にもなると絵本を読むのが恥ずかしくなってしまうからだ。本に親しんだ結果本好きになったとしても、テレビやテレビゲームが自由にできる環境だと、やはり子どもは本を読まないそうだ。なにしろテレビやテレビゲームの方が脳にとってラクだから。子どもを本好きにするためには(1)本に接する機会をできるだけたくさん作ってあげることと、(2)テレビやテレビゲームを制限すること、の両方が揃う必要があると話していた。何もせず放っておいたのでは子どもは本好きにならない。本好きのお子さんの周りには本好きになるように工夫し、環境を整えた人がいるはずだ。親の工夫や努力が本の好きな子を作るのだ。日本語の理解力の影響は「国語」だけに留まらない。数学だって理科だって説明は全て「日本語」で行われる。母国語の理解力が全ての教科に影響を与えることを考えると、日本語の理解力をつけることはとても大切だ。
2010.04.25
コメント(8)
父はとても子煩悩な人だった。仕事が忙しくてあまり遊んでもらった記憶はないが、弟と私をいつも嬉しそうに笑って見ている人だった。でも時にとても厳しく叱られることがあった。怒鳴ったり声を荒げたりはしない。とても静かに叱られた。20年以上前のこと。結婚の挨拶をしに我が家に来た婚約者(今の夫)を見送った後、私は軽い気持ちで父に「彼は私を幸せにしてくれると思う?」と聞いた。すると父は急にとても厳しい顔をして「相手に幸せにしてもらおうなんていう他力本願な気持ちで考えているなら、この結婚はやめた方がいい」と言った。人に何かしてもらうことをあてにして幸せになろうとする人には幸せはやってこないと。そして自分にできることは「自分が努力すること」だけ。「自分が彼を幸せにする」「彼に幸せになってもらえるように自分が努力する」という決意があるなら結婚すればいいと。「自分が幸せになれるかどうかは自分自身にかかっている」そう話した父の厳しい顔を今も覚えている。
2010.04.22
コメント(6)
私は「何のために勉強するのか?」と考えたことがなかった。あまり「勉強しろ」と言われなかったからかもしれない。でも「何のために勉強するんだろう」と思っている子どもは多いと思う。息子と娘が幼稚園に通い始めた頃、ある方が「私は勉強する理由を子どもたちにこんな風に話している」と話しをしてくれた。その話を私はとても自然に受け入れることができたので、自分の子どもたちに同じように話をした。「何のために勉強するのか?」という問いへの答えは10人いれば10人それぞれ違うだろう。だから答えの一つとしてその話を紹介したいと思う。(小学校5年生位の相手に話すイメージで書いています)------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------生まれたばかりの赤ちゃんは何一つ自分ではできません。誰にも世話をしてもらえず放っておかれたら2~3日で死んでしまうでしょう。あなたが今ここにいるということは、赤ちゃんだったあなたの世話を誰かがしてくれたということです。でも家族の力だけではあなたを育てることはできません。なぜなら今身の周りにある物の何一つをとっても一人の人の力では手に入れることができないからです。毎日食べているお米を考えてみましょう。お米は農家の人が長い時間かけて作っています。田んぼを耕す機械を作る人や田んぼへの水路を作った人、収穫されたお米を運ぶ人、運ぶトラックを作った人、運ぶ道を作った人、お米を売るお店の人・・・・そんな風にお米一つのためにもたくさんの人が働いています。毎日着ている洋服はどうでしょう。もし綿のTシャツだったら綿を作る人や綿を糸に加工する人、糸を輸入するために交渉する人、糸を運んでくる船の乗組員、船を作った人、服のデザインをする人、糸を染める人、服を縫う機械を作った人、洋服も誰かの作ったトラックに乗って、誰かの作った道を通って私たちの町にやってきます。数え上げればもっともっとたくさんの人たちが関わっていることが分かります。そうやって私たちは知らないうちにたくさんの人の働きのお陰で毎日生活することができています。そのどれをとっても自分一人だけではできません。だから「自分は自分の力だけで生きているんだ」なんて言える人は一人もいないのです。私たちは大人になったら今までたくさんの人の力に支えられてきた分を、世の中にお返ししなければなりません。自分の分一人分の働きをしてお返しするのです。「一体何をしたらいいの?」と思うでしょう?でも心配する必要はありません。自分の得意なこと、好きなことでお返しすればいいんです。条件はただ一つ、周りの人や世の中の人に喜ばれること、役に立つことです。学校に行って勉強するのは、世の中にお返しできる力をつけるためです。色々なことを知っていれば知っているほど、それはあなたの力や道具になって、世の中の役に立つ働きをする時の助けとなります。理科のことが良く分かっていれば、今の地球や世の中の産業のために役にたてるかもしれません。英語を話せれば日本だけでなく外国の人の役にも立てるでしょう。社会のことが良く分かっていれば、世の中を今よりもっと良い社会にするために何かできるかもしれません。その力を使って一人分よりもっとたくさんの働きができるかもしれません。それぞれがそれぞれの場所で働いて、みんなで力を合わせて支えあっているのがこの社会です。その一員としての働きができるようになるために、今は勉強をしてその力を蓄えているのです。
2010.04.18
コメント(10)

フリーページの「尊敬する人」にチェスレイ・B・サレンバーガー機長の記事を載せた。例の「ハドソン川の奇跡」の機長だ。機長の判断力、技術が素晴らしいのはもちろんだが、乗客・乗員を全て避難させた後、一人機内を2度確認したという話を聞いて、とても責任感の強い方なんだなあと思った。こういう「本物」のリーダーの話を聞くとわくわくする。数は少ないけれどこういうリーダーもちゃんといるんだなぁ。普段は威張ってばかりいて、いざとなったら部下に責任を押し付けて逃げ出すような人をリーダーとは呼べない。だって本当に大切なのはリーダーになることではなくて、リーダーになって何をするかだから・・・。
2010.04.15
コメント(6)
「親切」ということ一つを教えるのも難しいなあと思ったことがある。 息子が小学校5年生の時、仲良しのH君が下校時に転んで左腕を骨折した。利き手でなかったのが不幸中の幸いだったが、色々と不自由な思いをしていると聞いた。H君と息子は同じクラスで席も近く、ずっと前からの仲良し。だから私は息子に「H君、今大変だから手伝ってあげられることは手伝ってあげてね」と話をした。息子も「そうだね」とその気になっていた。私は「親切」について教えることができたと思い込んでいた。一週間ほどたって、何気なく息子に「H君の手はどう?少しは良くなったみたい?」と聞くと息子の様子が少しおかしい。ぶすっとした顔をして返事をしない。あれ?と思って「え?何?何かあったの?」としつこく聞いた。息子は私の質問攻めから逃げられないと観念したのか話を始めた。「H君、最近自分でできることまで「あれして、これして」って僕に命令するんだ。まるで家来にされたみたいで」と。息子の表情は暗い。私が「親切にしてあげて」と言ったから我慢してH君の世話を焼いているようなのだ。私は話の成り行きに唖然とした。まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。すっかり「親切」を教えたつもりになっていたから・・・息子に「親切とは相手を生かすものでなければならない」と話した。たとえ親切心からでも、それをすることで相手が自分のするべきことをしなくなる、その人がだめになってしまうのは親切とは言えないと。そしてしてあげることが相手のためにならないと思うなら「NO」と、「自分でできるだろう?自分でしろ」と突き放すのが本当の親切だと話した。「NO」と言うのにはそれなりに勇気がいったようだが、それでも「NO」と言ったようだ。それで二人の関係がおかしくなることはなかった。もともとH君も優しい子だから「NO」と言われて反省したようだ。優しくしてもらって甘える気持ちが出てしまったのだろう。これは子どもだけに起こる話ではない。大人だって同じだ。善意や親切が裏目に出ることがある。日本政府が発展途上国に行ったODAでも似たようなことが起きている。援助を受けた途上国側に結果的に依存体質が生まれてしまったケースだ。親切一つ、でもその親切一つが難しい。
2010.04.11
コメント(16)
日本では大学受験を境に勉強をしなくなる学生が多い。最も高度な勉強をするために大学に行くはずなのに、大学で勉強することよりも大学に入ることの方が目的になってしまっている。でも大学に入ったとたん勉強しなくなる子どもの気持ちも分かるような気がする。中学・高校と毎日塾に行っていた子を知っているが、その子の生活は傍から見ていてとても大変そうだった。学校から帰るなりおにぎりをつまんで塾に行く。塾から帰ってくるのは10時頃だ。さらに学校で出された宿題、塾で出された宿題を帰宅後しなければならない。授業中に眠ってしまう、授業中に隠れて塾の宿題をする。そうしないととても時間が足りない。学校と塾で勉強の進度が違うからその両方に対応しなければならない。人間ってそんなに長い時間集中し続けられるものだろうか?私は朝8時半から夕方5時までの仕事をしているが、朝7時半に家を出て夕方6時に家に帰ってくるとその日はもう何もしたくない。そんな自分を考えると学校と塾を両立させている子どもは本当に大変だなあと思う。長い時間勉強することで返って時間当たりの集中力が落ちているのではないか?いやというほど水(勉強)を飲まされた後、さらに水(勉強)を飲まされている状態になっているのではないか?と疑問に感じる。勉強を嫌いになる子がいてもおかしくない。本人に何かとても大きな目標があるなら話は別だが、もし親が「とにかく何も考えないで勉強しなさい」と駆り立てているのだとしたら心配だ。それは「やらされる勉強」だから。そして大学に合格した途端「今まで言われる通り勉強してきてあげたじゃないか。もう勉強はしたくない」と言いだしかねない。一体誰のための勉強なんだろう?「○○君ちでは学年で10番以内に入るとお小遣いが倍になるんだって」なんていう話を聞くと、ますますそう思う。
2010.04.08
コメント(8)
街中で『小さなお兄ちゃんやお姉ちゃん(弟や妹のいる幼いお子さん)』を見かけるとつい目が行ってしまう。小さなお兄ちゃん・お姉ちゃんがちょっと気になるのだ。うちの息子も1歳9カ月の時に妹ができたから『小さなお兄ちゃん』だった。我が家の小さなお兄ちゃんは公園で遊ぶお友達の中で一番早くお兄ちゃんになった。だから公園への行き帰り、お友達はみんなベビーカーに乗っていたが、我が家のベビーカーはもう妹のもの。お兄ちゃんはいつもベビーカーのはじっこを握って歩いていた。私に「ここをしっかり持っててね!!」と言われて一緒に歩く。でも2歳のお兄ちゃんはすぐにそのことを忘れてふらふらと勝手に歩いて行こうとする。「だめ!そこを持ってて!」と私に叱られ、あわててまたベビーカーのはじっこを握って歩く。子どもを二人連れて外出する時はとても緊張していたから、小さなお兄ちゃんを思いやってあげる余裕などなかった。だから今、街中で小さなお兄ちゃんやお姉ちゃんを見かけるとなんだか妙に愛おしい。以前盛岡に住んでいた頃よく行っていたスーパーの片隅に小さな軽食コーナーがあり、フランクフルトやポテトを売っていた。息子が4歳のある日、スーパーで買い物をしていると下の子が「ポテト~」とぐずり始めた。「今日は買わないよ」としばらく押し問答になった。娘は結構頑固だったので説得するのに時間がかかっていた。それを聞いていた4歳のお兄ちゃんが突然妹に「僕のお金で買ってやる」と言った。「?」聞き間違いだと思って「何?」と聞くとやっぱり「僕のお金で買ってやる」と。僕のお金?何だそれ?すると息子は握りしめていた手をゆっくりと開いた。そしてそこにはきたな~い5円玉(!)があった。お兄ちゃんの目はきらきらと輝いている。「どこかで拾ったんだ・・・」そう思うとおかしくてたまらなくなった。きっと初めて手にしたお金。それを大事に握りしめていたのだろう。 「ダメだよ~。こんなの拾っちゃぁ~」と言いながらなんだかとっても嬉しかった。初めて手にしたお金で妹にポテトを買ってあげようとしたのだから。しょっちゅう喧嘩しても気持ちはちゃんと「お兄ちゃん」になっていることに感動した。街で小さなお兄ちゃんやお姉ちゃんを見かけると、ついつい心の中で「がんばって!」とエールを送ってしまう。
2010.04.05
コメント(8)
早期教育が大成功したケースもあるのだろうと思うが、残念ながら私の周りでは見られない。ほとんどの子が高校入学前後に他の子たちに追いつかれている。でも追いつかれたとしても問題ではない。問題だと感じるのは次のようなケースだ。 A君は幼稚園の時から早期教育の教室に通っていた。小学校入学時すでにかなりのレベルまで習っていた。早期教育の教室で賞状を何枚ももらったとお母さんがよく話していた。小学校で授業を受け始めて彼は自分が他のクラスメートよりかなり進んだ勉強をしていることに気付いたようだ。そして自分がとても優秀だと錯覚したのだと思う。授業がばからしく思えたのか先生の言うことをほとんど聞かなくなった。うちに遊びに来た時にも友達を見下すような言動があるので何度かたしなめたことがある。「学ぶ」という行為はとても謙虚なものだ。誰かから何かを学ぶ時は相手を尊敬し、信頼していなければ教えられたことが頭に入ってこない。その一番大切な「学ぶ姿勢」が彼には見られなかった。一日の大半を過ごす学校で先生の話を聞かないのでは、一日のほとんどが無駄な時間になってしまう。中学校に入ったあたりから彼の成績は全く目立たなくなってしまった。知識を詰め込むことにばかり気をとられていないだろうか。それに見合った心の教育がされているだろうか。「人から学ぶ姿勢」や「人を尊ぶ気持ち」を教えずに、知識だけを詰め込んでも、先が見えているような気がする。
2010.04.01
コメント(10)
全9件 (9件中 1-9件目)
1