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昨日息子が日本を旅立った。大学を1年休学してヨーロッパのある国へインターンシップに向かったのだ。大学入学当時から「留学したい」と言っていたが、「お金は出さない。出してくれる所を自分で見つけられたら行ってもいい」と話していた。そしたら本当にお金を出してくれる所を見つけ、その資格を得た。当然語学力はつくだろう。でも1年卒業が遅れるし歳もとる。今のご時世その後の就職を考えると不安もある。ただ条件をクリアした以上「よくやった」と送り出すしかない。出かけるまではバタバタとただ忙しいだけだったが、トランクを引っ張って家を出かける息子を見送った後、たまらなく寂しくなった。子離れはできている方だと思っていたのに・・・。今までも一人でアパート暮らしをしていたのだから、ほとんど家にいないことに変わりはない。でも、海外・・・遠いなあ・・・。娘も今県外の大学に通い一人暮らしをしている。息子はもちろんだが娘にしても、何かあった時すぐに駆けつけてやることはできない。どんなに急いで駆けつけても娘の場合は半日、息子に至っては2日近くもかかってしまう。急に具合が悪くなったり、事故にあったりしたらどうするだろう・・・。でも子どもが大きくなった以上いちいち親が付いて歩くことなどできない。「息子や娘に何かあった時、どうかたまたま近くに親切な人がいて、力になってくれますように」と願うことしか私にはできないのだ。だから考えた。せめてもの私にできることは何か?それは、何か事故やアクシデントが目の前で起きた時、誰かの息子さん、娘さんにとっての「たまたま近くにいた親切な人」に私自身がなることだ。そういう場面に遭遇したら、その人を心から大切に思っている人たちに成り代わって、できることを精一杯してあげることだ。それが私にできる唯一のことだと思っている。
2010.03.29
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子どもに少しでも早く勉強を始めさせて、他の子よりリードさせたいと願う親は多い。またそういう親を見て「自分の子が取り残される」と心配する親もいる。私も息子が4歳の時に、親しくしていたママ友から「みんなやってるわよ」と言われて、早期教育をする教室に見学に行ったことがある。小学校入学前の子どもが分数の計算をしていた。それを見て「ぜひうちの子も」と思う親もいるのかもしれないが、私はとても違和感を持った。課題に取り組む子どもたちの表情に子どもらしさがなかったからだ。競うように問題を解く子どもたちを見て、「この年齢でこれをする必要があるのか?」と疑問に感じた。自分の子どもを通わせることはなかったが、以前教師をしていたこともあって、早期教育を受けた子どもたちがその後どうなるかにはとても興味があった。私が見る限り、早期教育を受けた子どもたちは小学校の間は確かに他の子をリードしているが、ほとんどの子が中学校後半~高校の間に他の子どもたちに追いつかれる。その一方で中学校2年生あたりからぐっと力を伸ばしてくるグループがある。そのグループは家庭学習の習慣がしっかり身に付いている子、勉強することが好きな子、将来の夢がはっきりしていて今何をしなければならないかを自覚している子たちだ。子どもが幼い段階で勉強ができるようにすることよりも、勉強に楽しさや意義を見出せるような働きかけをすることの方が大切だと思う。
2010.03.25
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子どもが幸せな人生を歩むために、私は子どもに何をしてあげたらいいのだろう。順番でいけば親は子どもより先に死ぬ。だから親がいなくなっても、困難を自分で乗り越えていくことのできる「たくましさ」を子どもに身につけさせてやりたい。親がずっと生きていられるのなら、子どもを箱入り娘・息子にして守ってやることもできるが、それは無理な話だ。「たくましさ」を身につける過程はスキージャンプの練習に似ているなと思う。スポーツ少年団の小学生たちはまず小さな山を飛び越えることから練習を始める。その小山をうまく飛び越えることができるようになれば、小さなジャンプ台。そしてゆっくりゆっくりと大きなジャンプ台へとレベルアップしていく。小山や小さなジャンプ台で飛ぶ経験を積みながら、転んだ時にどうやって身を守るのか、突風が吹いたらどうやってバランスをとるのかを身体で覚えて行く。時には怪我をすることもある。でも怪我を怖がっていては経験を積むことはできない。子どもは生まれてきたらすぐ、この「たくましさ」を獲得するために経験を積み始めるのだと思う。公園で少し位乱暴な子がいてもそれを嫌がり遠ざけてばかりいたのでは経験は積めない。乱暴な子にどう対応すればいいのか。時にはいやなことを「いやだ」という勇気を、時には一目散に逃げる判断力を、時には正面切って対決する力を、その年齢なりに身につけていくのだと思う。子どもに苦労・経験を積むことをさせずに、親がいちいち出て行って守ってやることは、小さなジャンプ台で練習をさせないのと同じ。それではいずれ未経験者に大きなジャンプ台を飛ぶことを強いることになる。もしかすると一番残酷な仕打ちかもしれない。どんな社会でも、どんな状況でも、その環境の中でなんとかして自分らしさを発揮しながら生きていく力を、「たくましさ」を身につけさせてやりたい。
2010.03.21
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誰もが「幸せ」になりたいと願う。でも、「幸せ」ってどういう状態のことを言うんだろうと時々考える。学生の時、友人2人と「幸せ」について語り合ったことがある。飲み会の後で少しお酒が入っていた(^^;)。どんなにお金があっても病気で寝たきりでは幸せとは言えないから、「幸せ」にはバランスが必要だという話になった。それでその時は○ 健康なこと○ 適度にお金があること(多すぎても少なすぎても×)○ 温かい人間関係に囲まれていること(特に家族)という結論になった。この3つが揃うのはなかなか難しい。その後就職して多くの学生と関わるようになって、「幸せ」の別の面が見えてきた。似たような境遇でも「自分は幸せだ」と思っている人もいればそう思っていない人もいることに気がついたからだ。「幸せ」を感じる心の側の問題も大きい。「幸せ」を感じることのできる「心」があるかどうか。どんなに恵まれた境遇にあっても「幸せ」を感じることができない人もいる。生きるか死ぬかの大病から生還した人はよく「今ここに生きているだけで幸せ」と言う。今まで当たり前だと思っていたことが実は本当はとても幸せなことだったりする。私は今子どもたちに「今の時代のこの日本に生まれただけでかなり幸運で幸せだ」と話している。戦時中の日本に生まれていたら・・・。飢餓や戦禍に見舞われて子どもたちが次々に死んでいくような国に生まれていたら・・・。『きけ、わだつみの声』や『もしも世界が100人の村だったら』を読んだらそれが分かる。家庭を持ち子どもを育てるようになって、「幸せ」のまた別の面が見えてきた。子どもを持ってみて初めて、今まで愛してくれた人がいたことが「幸せ」なことだったんだなぁと思うようになった。そしてそれ以上に愛する相手がいることの「幸せ」を感じた。学生時代母が箱に色々食料を詰めて送ってくれたことがありとてもうれしかった。でも今子どもたちの喜ぶ顔を思い浮かべながら箱に色々詰める時のうれしい気持ちはその時より何倍も大きい。人に何かを与えてもらう人生よりも人に何かを与える人生の方が、喜びは深いのかもしれない。何年か経ったら、また違う「幸せ」の一面が見えてくるかもしれない。
2010.03.18
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「3秒の悟り」 1.今まで自分の身に起きたことは、すべて必要だったと思うこと。2.そのすべてが自分にとってプラスであった。自分を成長させてくれた。それがなければ、自分はここまで来なかった。今日はなかったと思うこと。3.だから今までのすべてに感謝している、今までの全てに感謝できると思うこと。 先週、母が上のような文章をファックスで送ってきた。一番辛い時に何かの本で見つけ、すがるような思いで書き写していたらしい。そして「時間がかかったけれど、書かれているように思えるようになった」と話していた。10年前母はうつ病になった。誰よりも働き者で明るい母だったのでまさかうつ病とは思わず、私は母を励まし続けた。「相手がうつ病を患っている場合は絶対に励ましてはいけない」という鉄則があることを後で知り、とても後悔した。だから私は母のうつ病の改善のために悪い影響は与えたとしても、良い影響を与えることはできなかったと思う。母を救ったのは適切な治療をして下さった精神科の先生と、どんな時も母の話を「そうか、そうか」と聞いてあげた父だった。母の状態が落ち着いたと思ったら、今度は父が脳疾患で寝たきりになり、1年間の入院と1年間の在宅介護の末亡くなった。病床にあっても父はずっと母のことを心配していたし、私と弟も父の介護中、そして父の死後、再び母にうつ病の症状が出るのではないかと心配した。だが父が亡くなった当初不安定だった母の精神状態は、薄紙を剥ぐようにゆっくりゆっくりと安定していった。今でもごく弱い睡眠薬は必要だが、たくさんの友人ができ、毎日を楽しく生き生きと過ごしている。もうすぐ父の5回忌を迎える。「今、介護やうつに苦しむ友人、伴侶を亡くしたばかりの友人の話しを親身になって聞いてあげることができる」と語る母の明るい声がとてもうれしかった。
2010.03.15
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15年以上前から週1回テニスを続けている。15年と聞くとかなり上達していると思われそうだが、試合にはほとんど出ないし、身内で楽しくやっているだけの「おばちゃんテニス」だ。高校生や大学生がやっている本当の(^^;)「テニス」とはかなり趣が異なる。 もともと主婦が子どもの幼稚園入園を機にストレス解消のために始めたもので、メンバーも学生時代は音楽系・文化系の部に入っていた人ばかり。1時間500円の公共のコートを借りて、知り合いの”つて”でコーチを頼み、みんなでお金を出し合って続けている。このテニスが意外にも私を助けてくれている。以前私はもっと「失敗を引きずるタイプ」だった。「あんなこと言わなきゃよかった」「あんなことしなきゃよかった」といつまでも後悔・反省していた。テニスを始めた頃はその傾向がとてもよく表れていた。テニスで失敗を引きずると"どつぼにはまる"。一つ前のミスショットに心が残って次のショットでもまた失敗する。そしてそのまた次のショットでも・・・。心が「今」のこのボールに集中できていないのだ。ミスをしてもすぐに気持ちを切り替えて今、この瞬間の、このボールに集中する。その繰り返し。反省している暇はない。なんだかそのトレーニングを15年間してきたような気がする。過ぎたことへの後悔やこれからのことへの不安をわきに置いて、今、この瞬間を大切にする。言葉で言うのは簡単だがなかなか実行できない。それでもテニスのお陰で以前よりずい分”今”に集中できるようになった。スポーツマン向きの性格ではないからこそ、そして気持ちの切り替えが下手な性格だからこそ、テニスに出合えてラッキーだった。親の介護や子どもの受験の時も、私にとってかけがえのない時間になってくれた。
2010.03.11
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ずい分前の話だが、私が就職の報告に祖父の家に挨拶に行った時のこと。祖父が私にこんなことを話した。 もしも人が10人いるとしたら、自分を好意的に見てくれる人が3人自分を好きでも嫌いでもない人が4人自分を嫌いな人が3人だいたいそんなものだと思いなさい。 話としてはとても簡単なことなのだが、祖父が何を言いたいのかよく分からなかった。それで自分なりに「人には好みというものがあるのだから、どんなに努力しても10人中3人くらいは自分を嫌ってもそれは普通のことだ。10人中10人に好かれようと無理をしてつぶれてしまうなよ」と勝手に解釈している。そのうち祖父に真意を聞いてみようと思っていたが、その2年後に祖父が亡くなってしまって結局聞くことができなかった。それでも「あの人には嫌われているかなぁ」と悲しい思いになる時は、祖父の言葉を思い出してあまり深く考えないようにしている。
2010.03.08
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子どもに我慢することを教えようとすると、親も工夫しなければならないことが起きてくる。子どもは小学生・中学生になるとよく「みんな」という言葉を使う。「みんなが持ってる」「みんなが行ってる」「みんながやってる」と。「みんな」と言われると親もちょっと心が揺れる。日本人は「みんな」という言葉に弱いのだ。でもそこでひるんではいけない。うちの子どもたちも「みんな」を連発するようになった。ある時紙と鉛筆を持って「みんなって誰?確かめるから具体的に名前をあげて」と言ったら、すご~く困ったような顔をして小さな声で2人の名前をあげた(笑)。「みんな」って2人???「みんな」という言葉に騙されてはいけない。仮に「みんな」が40人中35人位だとしても、親が「子どもに必要ない」「子どものためにならない」と思うものを買ってやる必要はないと思う。よそはよそ、うちはうちだ。さらに子どもは家族の中の誰が厳しくて誰が甘いかを感じ取る。誰に話したら要求が通るかを察知するのだ。うちの夫はヨドバシ系に甘く、私は本系に甘い。子どもたちがちゃんと買ってくれそうな相手に話をするから笑ってしまう。 だがこれは気をつけないと父親・母親の立場を悪くする。もし父親が「だめ」と言ったのに母親が買ってあげてしまえば、子どもは「お父さんの意見なんて無視していいんだ」と思うだろう。もし母親が「だめ」と言ったのに父親が買ってあげてしまえば「なんだお母さんは発言権ないんだ」と思うだろう。うちではそうなるのを阻止するために、子どもが「○○買って」と言ったら「お父さん(お母さん)と相談してみる」と言って即答を避けた。そして子どもが寝てから相談して意志統一した。夫婦と言えども価値観が違うから意志統一するのは結構大変だった。祖父母が同居していたらこれはさらに大変だろうと思う。親も工夫が必要だ。
2010.03.05
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あるところに小さな島がありました。そこには原住民が住んでいて、食料も豊富。みんなで仲良く暮らしていました。ですがそのうち自然災害などで食糧がどんどん減っていきました。困った住民の一部が「新天地を探す」と船で島を出て行きました。冒険心のある(無鉄砲な)人たちです。「島を出て台風にでも遭ったら大変だ」と島に残った人たちもいました。慎重な(臆病な)人たちです。人類はこうやって種を維持していくのです。もし全ての住民が臆病で島に残っていたら食料が無くなって全滅したかもしれません。もし全ての住民が無鉄砲で島を出ていたら台風に遭ってやはり全滅したかもしれません。2つの道に分かれることで種が生き残る可能性を少しでも高めるのです。人類は種を維持するためにできるだけ多様性を確保しています。それはせっかち屋、のんびり屋、といった性格だけではありません。脂肪を蓄えやすい人、脂肪を蓄えにくい人など体質にまで及びます。 この話を聞いた頃、私には職場で嫌いな人がいた。その人は頭の回転の速い人で、何をするにも要領がよくて、立ち回り方がずるいのだ。どちらかというと気が利かなくてずるいことが嫌いな私は時々腹が立った。でも人類が種の維持のために多様性を持つようにできているという話を聞いてから、自分がその人を嫌っていることは無意味なことだなぁと思うようになった。そもそも人間はそういう多様性を持つようにできている。色々な人がいるようにできているのだ。全く反対の性質を持つもの同士が互いにその種の維持の可能性をそれぞれに担っているのだ。その人と私は同じ時代に生き、共にその多様性を担う仲間だと思ったらなんだかその人を嫌う気持ちが薄れていった。
2010.03.03
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子どもが幸せな人生を歩むために、私は子どもに何をしてあげたらいいのだろう。大人の社会は我慢することの連続だ。我慢のできない人はあちこちで衝突し楽しい社会生活を送ることはできない。だから我慢する力を育てる必要がある。結婚前に勤めていた学校で先輩の先生に質問したことがある。「学校で禁止していることが分かっているのに、親はどうしてバイクを買ってやるんでしょうねぇ」と。先輩の先生は次のように説明してくれた。それは子どもが幼いうちに、そして子どもの要求が小さいうちに我慢することを教えていないからだ。子どもが小さくてその要求するものが小さい内は、親は無理をすればその要求をかなえてやることができる。だから安易になんでも与えてしまう。でも子どもはどんどん大きくなり、子どもが要求する物もどんどん大きくなる。小さな要求で我慢する経験をしなかった子は、当然大きな要求についても我慢することができない。子どもから大きな要求をされて親は今度は抑えようとするが、その時は体格も体力も子どもの方が上。結局子どもの要求に屈してしまう。それを聞いて我慢する力は子どもが小さい内から育てなければいけないのだなぁと思った。買ってほしいものがあって幼児がデパートでひっくり返って泣きわめいている場面に出くわすことがある。周りの目を考えると親はとてもいたたまれない気持ちになるだろう。でもそれは子どもにとって大切な分岐点だ。「買わない」「ダメ」と決めたなら、親はぜひ頑張って毅然とした態度をとってほしい。
2010.03.01
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