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大阪地検特捜部での証拠データ改ざん事件。法の専門家である主任担当検事が証拠を勝手に書き換えたという事実に愕然とする。これでは無実の人が簡単に陥れられてしまう。「今までにもこういう形でえん罪が作られたのかもしれない」と不信感が募る。 当事者の供述に従って書かれるはずの供述調書も、ほとんどが検察官による作文だったと聞く。毎年新たに検事になる人たちは「これはおかしい」「間違っている」と感じなかったのだろうか?"良心"とはとても控え目なものだと最近思う。自分の周りで腑に落ちないことがあると、最初に私たちの心の奥では「変だ」「おかしい」「間違っている」と良心が小さな声でささやく。心のうずきを感じる。でもその声を何度も無視して放っておく内に、だんだんその声が聞こえなくなる。痛みも感じなくなる。心がマヒしていくのだと思う。そしてついにはその良心が声を上げなくなる。もしかすると良心そのものが無くなってしまうのかもしれない。普通の感覚で考えたら、証拠資料を書き換えるなんてことには大きな良心の呵責が伴うはずだ。でもその主任検事の心の中ではもうすでに"良心"が機能しなくなっていたのだろう。良心が声を上げなくなる。とても怖いことだと思う。おそらく堕落した組織は、良心に従う人の声を握りつぶそうとするだろう。でもそういう組織は、いずれ大阪地検特捜部の二の舞になるのだと思う。
2010.09.25
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私には不思議なご縁のある同級生がいた。 彼女には中学1年生の時に初めて会った。活発で明るく、お誕生日が2日違いということもあってすぐに仲良くなった。両方の母親同士も気が合って家族ぐるみのお付き合いになった。でも中学3年の時彼女はお父さんの仕事の関係で北海道に引っ越してしまった。ところが私が大学生の時、今度は私の父が北海道に転勤になり、それがなんと彼女の住む街だった。父の転勤に伴い私は大阪で学生向けの寮に住み、年に一度は北海道に帰省した。母親同士が連絡を取り合っていたこともあって、私は北海道で彼女と再会し、帰省の折にはよく会って話をした。その後私は結婚して仙台に住み、その半年後、彼女も北海道の方と結婚した。そしてほぼ同じ時期にそれぞれ二人の子どもに恵まれた。私は年子の兄妹、彼女は2歳違いの兄弟。下の子が生まれるまではよく手紙のやりとりや写真の交換をしていたが、そのうちお互い子育てに忙しくなって、連絡を取り合えなくなった。上の子が5歳の時、彼女が癌に侵されていることを知った。そしてそれがもう手遅れであることも・・・。母は彼女のお母さんと時々連絡をとり合い励まし、私も1度だけ電話で彼女本人と話をした。どうしても病気のことには触れることができず、他愛もないおしゃべりをした。1年後に彼女は亡くなった。結局私には祈ることしかできなかった。残していく子どもたちのことを最後まで心配していたそうだ。「お母さん、子どもたちをお願い」それが彼女の最期の言葉だったそうだ。幼い兄弟を残して逝かなければならなかった彼女の気持ちを思うとたまらなかった。兄弟の成長を見届けることができなくてどんなにか無念だったろう。時々彼女を思い出し、子どもの成長を見続けられること、子どもと一緒にいられることは、本当はとても幸せなことなのだと感じている。
2010.09.20
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"扱いの難しい思春期"になってから慌てて子どもと話し合いをしようとしても、そうはいかない。問題のない時にちゃんとコミュニケーションがとれていてこそ、難しい時期にも話し合いができるのだと思う。 そう考えると小学校までの期間はとても大切だ。この期間は子どもが親を信頼しているし、子どもが親に話を聞いてほしいと思っている。問題の起きることの少ないこの期間の内から、子どもと話をすることを大切にしてほしい。あくまでも親は聞き上手を目指して、せかさずじっくりと聞いてあげたい(これって親の修行?)。会話のほとんどが親の説教では意味がない。まずは子どもに話をさせるのが目的だ。親の望まない答えが返ってきても頭ごなしに否定せずに、まず子どもがどんな気持ちで言っているのかをちゃんと受けとめたい。子どもは親とは全く別の人格。親といえども子どもを自分の思うままに動かすことはできない。子どもの言っていることが間違っていると思ったら、話で子どもを納得させる努力が必要だ。小さくても相手は一人の人間だから。共働きで忙しくても、ほんのちょっとの時間でいいから子どもの話に耳を傾ける時間を作ってあげてほしい。テレビを見ながら、新聞を読みながらではなく・・・。5分でも10分でも、ちゃんとその子の話に集中してあげてほしい。子どもの心を満たすのは物やお金ではなくて「親が自分を大切に思っている」「親が自分に関心を持っている」「親が自分を愛してくれている」という実感だと思う。ちゃんと話を聞くことはその第一歩だと思う。家族が食べていくための仕事で忙しいのなら仕方がないが、「塾や習い事の費用のため」とお金を稼ぐことに一所懸命になるあまり、子どもの心が離れてしまっては元も子もない。
2010.09.16
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「『コーラン』を焼却する」とアメリカ・フロリダ州の教会の牧師が宣言して大きな問題になっている。 この類のニュースを聞くと、いつもとても複雑な気持ちになる。人を幸せにするはずの宗教が戦争の原因になり、詐欺事件を起こし、家族に確執をもたらす。どこかの国では宗教団体が「魔女狩り」と称して子どもを傷つけていると聞く。完全にビジネス団体と化している宗教団体もある。いつも思うのだけれど、もしも『神』という存在が本当にあるのなら、一つの宗教団体で括れるほど小さな存在であるはずがない。宗教団体の言う『神』を何千・何万集めても捉えきれない位大きな存在だと思う。宇宙とか自然とかいう言葉の方がぴったりするかもしれない。そういう意味での『神』なら私は信じる。自分の大切にしているものを尊重してほしいなら、他人が大切にしているものを尊重するべきだ。その寛容さのない宗教には人を幸せにすることも、世界に平和をもたらすこともできないだろうと思う。
2010.09.12
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オウム事件以来、よく知られるようになった「マインドコントロール」。他人の心を自分の意のままに操るとても怖ろしいことと考えられている。 「マインドコントロール」とまではいかないが、言葉にもとても大きな力がある。特に子どもにとって親の言葉の影響は大きい。例えば小さな失敗を気にする子に「失敗なんて大したことないんだよ」というメッセージを繰り返し伝える。そうすることで徐々に"失敗しても気にせず前に進める子"へと導いていく。親の言葉が与える良い影響の例だと思う。私の父は中学1年生の時に母親(私の祖母)を亡くした。父は勉強が苦手だったが、生前その母から、「お前は物事の道理のとても良く分かる子だね」と何度も言われていたそうだ。本当に道理の良く分かる子だったのかどうかは分からないけれど、母親の死後、苦労の連続だった父はいつもその言葉を支えにしていたそうだ。自分が死んだ後も、言葉で子どもの心を支え続けることだってできるんだなあと思った。その言葉の中に親の子どもに対する思いが垣間見える。昔日本では『言霊(ことだま)』といって、言葉には不思議な力が宿っていると信じられていた。そして発した言葉通りの結果を現す力があると思われていた。「お前は何をしてもダメだなあ」「どうしてそんなにグズなんだ」・・・深く考えずに言っている言葉が、子どもにどんな影響や結果を与えるかを考えないといけない。
2010.09.09
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私は森を散歩するのが大好きだ。突然風が吹き、森中の木々がいっせいにざわざわと音を立てるのを聞くのが好きだ。さっきまでにぎやかに鳴いていた小鳥たちが、上空を飛ぶトンビの気配に突然静かになる、その一瞬の静けさが好きだ。森のあちこちで競うように鳴く、蛙の鳴き声を聞くのが好きだ。春先にとても下手だった鶯の鳴き声が、初夏になってとっても上手くなっているのを聞くのが好きだ。自然の中に身を置くと、普段気にしている悩みやこだわりは、たいしたことではないんだなあと思えてくる。そしてどこからか新しい力がわいてくる。科学技術が進み、社会が複雑になればなるほど、自然の中に身を置く時間を持たないといけないなあと感じる。何かで行き詰った時は森での散歩・・・お勧めです。
2010.09.05
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アメリカでは簡単に「ごめんなさい」と言ってはいけないそうだ。訴訟大国のアメリカでは「謝る」という行為が裁判で不利になるからだという。 でも私は「ごめんなさい」と「ありがとう」をきちんと言える人、それもできるだけ早く言える人になりたい。実は職場に「ごめんなさい」を意地でも言わない人がいる。自分が失敗したこと、ミスをしたことを絶対に認めようとしない。「ごめんなさい」と言うことで自分の立場が悪くなる、自分という人間の価値が下がると思っているようだ。でもそれは反対だと思う。人はミスをするもの、失敗をするもの。ミスをしない人なんてどこにもいない。だから失敗したことでその人をダメな人だなんて思わない。自分だっていつ失敗をするか分からないのだから。むしろ自分のミスをいつまでも認めようとしないその人を見ていると、現実ときちんと向き合えない人間の小ささ、勇気の無さが透けて見える。欠点のない自分を取り繕うことに必死になっている姿が、かえってその人の価値を下げているような気がする。反対に、潔く自分のミスを認める人に出会うと、現実をきちんと認め、それに対して責任をとろうとする心の強さを感じる。完璧ではないありのままの自分をさらけ出すことのできる、強い人なのだなあと思う。そしてその人を信用できる人だと思う。「ごめんなさい」と自分のミスを認めると損をすると思っているのかな。でも私はそうは思わない。
2010.09.02
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