Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年06月28日
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カテゴリ: 霊魂論



ゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)
第18章 ゲーテの「散文の中の韻」における世界観 佐々木義之訳
●第一段
 私たちは観察する精神に対して自然が自由に提供するもので満足することはありません。自然はその創造における大いなる多様性を作り出すために、さしあたり観察者には隠されているような推進力を使用すると私たちは感じます。自然自身がその最終的な言葉を語ることはありません。私たちの経験は自然が何を創造することができるかを明らかにしますが、その創造がどのようにして生じるかを明らかにはしません。自然の推進力を明らかにする手段は人間の精神そのものの中に存在しているのです。自然が創造を生じさせるその仕方に光を投げかけるところのアイデアがそこで生じるのです。外的世界の現象が隠しているものは人間存在の内に現れます。私たちが自然法則と考えるものは自然につけ加えられるものとして考え出されるのではありません。そうではなく、それは自然そのものを内的に構成するものなのです。精神というのは自然がそこでその創造の秘密を明らかにする劇場に過ぎません。私たちが「観察」するのは事物のひとつの側面に過ぎません。他の側面はそのとき私たちの精神の内部に湧き上がって来るものです。同一のものが私たちの外側から、そして、内側から私たちに語りかけてきます。完全な現実に私たちが気づくのは、外なる世界の言葉を私たちの内的な存在の言葉に結びつけるときだけです。あらゆる時代を通して、真の哲学者たちは事物の本質的な性質、その伝達のための器官として精神が提供されるとき、それらの事物そのものが表現するところのものをはっきりと示すことだけを望んできました。私たちが私たちの内的な存在に自然について語らせようとするとき、自然はその推進力によって成し遂げられたはずのものを十分には達成できていないということが分かります。内的な方向では、経験が包含しているものをより完全な形で見ることになるのです。私たちは、自然はその創造における目標を達成していないということを見い出し、その意図をより完全な形で表現する必要を感じます。こうして、私たちは自然が意図したけれどもある一定の地点までしか成し遂げられなかったものを表現する形態を創造します。そのような形態が芸術作品、すなわち自然がより不完全に表現するものをより完全な形で提示する人間の創造行為です。哲学者たちと芸術家たちとは共通の目標を持っています。つまり、彼らは彼らが自然をして彼らの上に自らを刻印づけるようにさせるときに彼らが見る完成度を描写しようとします。とはいえ、この目標を達成するための彼らの方法は異なります。哲学者たちが自然のプロセスに向かうとき、彼らの中に「ひとつの思考あるいはアイデア」が点灯し、そして、それを彼らは表現します。他方、芸術家たちの中にはそのプロセスの像が生じるのですが、それは外的な世界の中で観察し得るよりももっと完全に自らを表現しています。哲学者たちと芸術家たちとは彼らの観察を別様に展開するのです。芸術家たちは哲学者たちに自らを現すときのような自然の推進力を知る必要がありません。彼らがある事物やできごとを知覚するとき、直ちにひとつのイメージが彼らの心に生じるのですが、その中では、自然法則が外的な世界の中の対応する事物やできごとにおけるよりももっと完全に表現されているのです。思考の形式を取った法則が彼らの心の中に入っていく必要はありません。とはいえ、認識と芸術とは内的に関連しています。それらが示すのは外的な世界の中では十分に実現されることがなかった自然の「可能性」なのです。もし、これらの推進力が真の芸術家の心の中で、事物の完全な像としてだけではなく、思考としても表現されるに至るとすれば、哲学と芸術に共通した創造的な源泉が特別な明晰性をもって私たちの眼前に現れることになるでしょう。ゲーテはそのような芸術家でした。彼は、彼の芸術作品の中で、そして、彼の思考の中で、同じ秘儀を私たちに開示します。彼は彼の詩の中で形を取るものを思考として彼の科学や芸術に関する随筆や彼の「散文の中の韻」の中で記述します。これらの随筆や詩は深い満足を与えますが、それは人がそれらの中に一人の個人の中で実現した芸術と認識の調和を見るからです。それぞれの思考との関連で生じるゲーテの感情の中には何か上昇させるようなものがあります。そこで語っているのは、彼がアイデアとして表現するものをイメージとして見ることができるような人なのです。その感情はこのような思考の力を強化します。「一人の」個人における最も気高い努力に発するあらゆるものは内的に結びつけられていなければなりません。ゲーテの叡智は、真の芸術に対応する種類の哲学とは何かという問いに答えるものです。ここで私は、真の芸術家の精神に担われたこの哲学に関する首尾一貫した素描を試みたいと思っています。
記:ゲーテの「散文の中の韻」とは、彼が自然科学論序説や精神科学に関する著作で探求した概念です。この概念は、自然が人間の精神に対して提供するもので満足することはできないという考えから生まれました。ゲーテは、自然がその創造における多様性を生み出すために、観察者には隠された推進力を使用していると感じました。彼は、自然がその最終的な言葉を語ることはなく、人間の経験は自然が何を創造するかを明らかにしますが、その創造がどのようにして生じるかを明らかにはしないと述べています。ゲーテは、自然の推進力を明らかにする手段として人間の精神そのものを挙げ、自然が創造を生じさせる方法に光を当てるところのアイデアが生まれると考えています。外的世界の現象が隠されているものは、人間存在の内に現れます。ゲーテは、芸術作品や随筆などを通じて、自然が意図したけれどもある一定の地点までしか成し遂げられなかったものを表現する形態を創造することで、自然の不完全な表現をより完全な形で提示する人間の創造行為を説明しています。この「散文の中の韻」は、ゲーテが自然科学や芸術における創造的なプロセスや哲学的な考察を通じて、人間と自然との関係性や真実性について深く掘り下げたもの。彼は、芸術家と哲学者が共通する目標である真実や完成度を描写しようとすることで、彼らの方法や思考プロセスを示唆しています。
参考図:idea



    (第18章 第一段了)

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最終更新日  2024年06月28日 06時14分09秒
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