全15件 (15件中 1-15件目)
1
この本読んでみたいなぁ。「世界の日本人ジョーク集」。さすがに内容はここに書くわけにはいかないので、書評も含めて詳細はリンク先でどうぞ。そういえば、一部で美しい景観を創る会という会が選定した悪い景観100景(今のところ70カ所)というのが話題になっているみたいなので、ちょっと見てみた。いや、皮肉じゃなくて自分はこういう節操のない風景が現代日本の原風景だと思うけど・・・。むしろ気取った「美しい景観」のほうが何かを隠しているようで落ち着かないなぁ。特に郊外の看板やら幟の洪水なんて、日本にいた頃は郊外にちょくちょくドライブに出かけていた身にとってはむしろノスタルジーだよ。何もないアメリカの田舎道と比べたら人間くささが出てていいと思うけどなぁ。ってなこと書くと美しい景観を創る会の人たちには「真に『美しい景観』の中で育つ環境になかった世代の弊害」なんて言われてしまいそうだけど、自分はあくまでも悪い景観100景で挙げられているような「普通の日本の風景」が好きだな。さて、今日はヨテミテの写真第三弾。有名なハーフドームにちょっと寄ってみました。
May 31, 2006
コメント(2)
さてさてヨセミテの写真第二弾、Wawona ホテル。 ヨセミテエリアでは結局 Wawona ホテルに一泊した。Wawona ホテルはヨセミテエリアで一番古いホテルで、バストイレ共同の部屋もある。自分はバストイレ付きの部屋にしたんだけど、バスタブは西部劇に出てくるみたいなタイルの床の上に四つ足で置いてあるタイプだったな。ちなみにヨセミテまではSFから日帰りツアーなんかも出てるんだけど、片道3~4時間かかるのに日帰りツアーなんて可能なんかい?なんて思ってたら、バレー自体は結構狭いんだよね。ハイライトだけざっと見たいんだったらものの2~3時間でも足りるはず。逆にそれ以外のところ(メタセコイアなど)を回ったり、アウトドアアクティビティーまで手を出すのであれば何日あっても足りないだろうけど。話はかわって「成田空港に国内最大の広さの南ウイング完成」。やっとですかい。ってーか、まあ東京へのアクセスの悪さはもうどうしようもないとして、並行滑走路とか横風滑走路なんとかしてよ・・・。もう手遅れかもしれないけど、韓国や中国にハブ機能全部もってかれちゃうよ・・・。
May 30, 2006
コメント(4)
今日アパートの駐車場で、どうやら巣から落ちてしまった雛鳥を発見。なんという鳥だかわからないけど、見た目はもうけっこう大人。でもまだ飛べない様子。周囲に母鳥っぽいのがウロウロしてたからとりあえず見捨てられたわけじゃないみたいだけど、この辺りには半野良猫がいるから、今夜あたりが山場なのかな。なんとか生き延びてくれるといいな。そういえば、ついに(やっと?)環八が全通だそうな。「環八、50年がかりで全通…28日から通行へ」日本ってどうしてこうも道路ができるのに時間がかかるんだろうね。そういえば、次ぎに日本に帰る頃には、山手通りの地下を通る首都高の新路線も開通してるのかな。環八の工事もそうだけど、自分がアメリカに来る(12年前)以前から工事やってたような・・・。まさにネバーエンディングストーリーってかんじやね。それはともかく、自分は日本にいた頃から結構ドライブ好きだった。それも高速など使わず行きあたりばったり。日が暮れたらそのへんのビジネスホテルや安温泉宿に転がり込むといったパターン。日本の道ってアメリカと違って千変万化だから本当に面白い。道中色々なものがあるしね。ちなみに自分の日本国内旅行のスタイルにかなり近いコンセプトで書かれたこんな旅行記があったのも思いだした。もちろんアメリカにも持ってきてて、時々読み返している。と、最初はアマゾンのサイトにリンクさせてブログをアップしようとしたら「楽天以外のアフィリエイトへのリンク」エラーにひっかかって、ブログをアップできなかった。(別に単純なアマゾンへのリンクだったらアフィリエイトでもないわけだが・・・。)というわけで、グーグル検索へのリンクへ切り替えてみた。まあ楽天も商売でやってるわけだし、こちらも無料サービスを利用させて頂いている立場だからしかたないけど、そんなエラーがあるのは知らなかった。
May 29, 2006
コメント(2)
いやあ、すっかりブログに穴を空けてしまった。日本に一時帰国してたとか、どっかに旅行に行ってたとかじゃなくて、ただ単にファイナルファンタジー12にハマってただけなんだけどね(爆)。というわけで、あれよあれよという間に卒業式(コスプレ大会)も終了。名実ともに Ph.D. になってしまいました。といってもとりあえずこれまで所属していた研究室に残ることにしたので、何が変わるわけでもないわけだけど。唯一変わったことといえばさすがに給料。今までもらっていたのは名目上は給料でもなかった(いわゆる「経済的補助」ってやつですね)わけだけど、これからは本当の「年棒」。書類の上だけの「就職手続き」をしたわけだけど、自分の名前が出てくるたびに、いちいち Ph.D. とか Dr. がくっついているのがなんとも小っ恥ずかしい。さて卒業式だけど、とりあえず今年度は301人の Ph.D. が生まれたらしい。いちおう式次第に名前と卒論のテーマが載ってるわけだけど、ざっと見たところ日本人らしい名前は見あたらず恐らく今年は自分だけだったんじゃないかな、日本人では。MBAを含めたマスターなどには何名か日本人の名前があった。なにはともあれ、ぼちぼちブログも再開していきますので、今後ともなにとぞよろしくお願いします。そういえば、HDをひっくり返してたらディフェンス直前に行ったヨセミテの写真が出てきた。本当は帰ってきてすぐに旅行ネタでブログを書こうと思ってたんだけど、何となく忘れてしまってたな。というわけで、今日からちょこちょこ写真のほうもアップしていきます。ま、ヨセミテと言えばこれ。「トンネルビュー」からのバレーの遠望ってやつっすね。さて、話はかわってこんなニュースが。「資格取得スクール突然閉校 5500人が行き場失う」アメリカのCPAがらみのプログラムもやってた資格スクールらしいけど、これって基本的に自己責任だと思うけどなぁ。なんでこんなニュースかっていうと、ワケあって、これからちょっとCPAがらみのネタもやってみようかと思ってたりして。無論、企画倒れに終わる可能性99%だけど(爆)。
May 28, 2006
コメント(4)
中国人留学生のGRE(アメリカの大学院留学に必要な共通テストのようなもの)のスコアははなはだ怪しいという話は以前に出したことがあると思う。「中国人同士の競争」も熾烈になってきてるらしくって、最近自分のまわりでもとみに「中国人出願者のGREパーフェクトスコア」の話を耳にする。念のため言っておくと、彼らは Verbal(英語)のセクションでも満点のことが多い。これから間違いなく中国は台頭してくると思う。そして世界の歴史を顧みた時、多数こそ正義であったケースが多い。例えば最近「中国初の半導体開発のニュースは虚偽」(外国製半導体にシールを貼っただけ)というニュースが出たけど、これからこういったニュースはもっと出るに違いない。別の例を挙げると、少し前の話になるけど「中国が色を識別できるロボットを開発」というニュースがあった。中国のニュースソースの日本語版上で発見したんだけど、当然中国の人には「この部分」だけしか伝わってないよね。で、日本の科学玩具メーカーのサイトを見てみれば、こんな製品がある。上から二番目の製品と中国のニュースで発表された「研究成果」を見比べてもらいたい。なにはともあれ「こちら側」から見れば、彼らの倫理観は「かなり違う」。なんだ、日本だって(アメリカだって)論文ねつ造してるじゃんという意見もあるかもしれないけど少なくとも西側諸国の場合はやった側に、本人は表向きそれを認めないけど、そのやり口を見れば「悪いことをしている認識(隠蔽しようとしたりするので)」があるような気がする。ところが中国の場合、なんかあっけらかんとしてるんだよなぁ。日本を含め西側諸国は完璧でないにせよ、二重三重のチェックシステムを講じて「できるだけ」正しい研究成果を積み上げてきた。最近時々そこに中国の物量にものをいわせた再検証不可能な量の「研究成果」が多量に流入してきた場合、どうなるんだろうか?という話が出ることがある。もちろん一部サンプリングして「捏造データ率」が高ければ中国からの研究成果は一律閉め出すということも可能だろうけど、そうすれば恐らく彼らは数にものを言わせて自らの「研究グループ」を作ってしまうような気がする。そしてゆくゆくは「数こそ正義」として総体的な倫理観すら置き換えられてしまわないかなぁ。中国的倫理観を良しとする人もいるのかもしれないけど、自分はいやだなぁ。
May 13, 2006
コメント(7)
以前、ブログに官僚留学ネタを書いたことがある。官僚留学(その1)/官僚留学(その2)そして昨日、ウェブ上をウロウロしていたら、相当古い(1992年)の記事だけど、企業派遣(MBA)留学の暗部に鋭く切り込んでいる記事を見つけた。まあ、実態はそんなもんなんだろうなぁ・・・。一般ワクで出願する人があれだけヒイヒイ行ってるGMATを在職しながらスラスラ解けるほどの能力を身に付けられるような人材は、さすがにいわゆる一流企業と言えどもそんなにいないよねぇ、やっぱり。ちなみにMBAに限らず研究分野でも一般の人の頭(GRE)を飛び越して院に入ってくる官僚や企業派遣の人は稀にいる。メインの内容はさておき「もしこれ(TOEFL)を難しいと感じるならアメリカの大学の授業にはまずついていけない」という表現はかなりキツいけど、当たっていなくもないような気がする。
May 11, 2006
コメント(4)
留学生活レビューシリーズも随分長くなってしまったのでそろそろ今日あたりで一区切りにしよう。大学院への出願も終了して年が明けるとインタビューの申込みが届きはじめ、全米(といっても東海岸の学校のしか出願しなかったので、東海岸を北へ南へ)インタビュー行脚がはじまった。インタビューの旅費等は全て学校持ちだったので、「ハワイ大学に出願するべきだった」というおきまりのジョークが飛び交うようになる。全ての出願校の合否が出そろったところで、最終的に今の学校に入ることに決め、他の学校にごめんなさいレターを書いて、大学院出願プロセスは全て終了。さて、留学生活レビューシリーズの最初のほうに書いた通り自分は語学学校~大学卒業まで計6年かかっている。これははっきりいって時間かけすぎだ。だからといってどこまで短縮できたかといえば、成績維持のことを考えたら5年が限界だったのではないかと思う。語学学校は明らかに半年で十分だったし、大学の最後のセミスターはわざと卒業せずに居座っているので、大学卒業までにかけた時間は実質4年半だ。両方足して5年。(余談になるけど、というわけでアメリカの大学は自分から卒業申請しなければ、永遠に卒業にはならない。古いネタだけど、このあたりを古賀元議員や日本のマスコミはよく知らなかったみたいだね。ついでに言うと、ついついこの卒業申請をやり忘れて予定通りに卒業できない学生が毎年必ず何人か出たりする。)そんなわけで、大学卒業までは常に「人より一歩遅れている」という感覚だった。だからこそキツい中にも(特に英語で)余裕を持てた部分もあったような気がする。なにはともあれもう終わってしまったことだから、どうしようもないけど、少なくとも自分の場合は失敗は許されなかった(途中でドロップアウトして日本に帰ったところでまともな仕事なんてありっこないし)わけだし、万が一事を急いでコケてたよりはマシなんじゃないかな、と思っている。
May 10, 2006
コメント(4)
過去のブログをつらつら見てたら、昨日のブログで話に出したTAがらみの記事が出てきた。在学中に、学部の学生から留学生TAの英語がひどくて理解できないというクレームがつき、留学生がTAになるのに厳しい口語英語の試験が課されるようになった。(実はこの動きは当時、全米に広まっていた。)まあ学費払って教育(サービス)を受けにきている学部の学生(顧客)からしたらごく当たり前のクレームだとは思うけど。当然自分も受けなければならず、その顛末などを書いている。もう一つ、当時のことを書いている記事が出てきた。同じ大学院には進学させないアメリカの大学は学生に広い視野を持たせるために、卒業大学の大学院にそのまま進学しづらいシステムを取り入れていることがある。実際自分も「セーフティーネット」としてそのまま大学院へ進学できるかどうか、在籍していた大学の大学院のディレクターに念のため訊きに行ってみたけど、「内部からの出願は基本的に後回しになる」とのこと。このあたりはアメリカの大学は日本の大学と逆のポリシーを持っているといってもいいかもしれない。まあなにはともあれ、大学最終年度の秋にGREを受け、推薦状をかき集め、大学院に出願することになる。ちなみにアメリカの大学から卒業予定ということで、ほとんどの大学はTOEFL免除だった。最後までTOEFLを要求してきた一校には出願しなかった。(つづく)
May 9, 2006
コメント(4)
PennState ではちょっと工夫したクラスのとりかたをしている。例えば在籍した4セミスターのうち、2~4セミスター目(と夏)に Independent studies というクラスをとっている。実はこれは正式なクラスではなく、研究室に所属して研究の手伝いをするというもの(ついでに言えば、その研究室でDish washer として働いていることにして、コソコソ小銭も稼いでいた)。ここまで沢山とる必要はないけど、こういった「実践系」単位は大学院の選考の際に考慮されるので、特に理系大学院進学を考えている人はそういう単位をとることを考えたほうがいいかも。大学によって名称は違うかもしれないけど、同じようなシステムはあるはず。それから PennState にはクラス番号の後に「W」がついたクラスがある。もちろん(笑)じゃない。例えば ANSC431Wといったかんじ。これは「Writing 重視」のクラスで、普通のクラスよりエッセイなどを沢山書かされるクラス。たしか卒業条件は「W」がついたクラスを2つ以上とること、となってたと思うけど、自分は必要以上に重点的に「W」つきのクラスをとった。理由は言わずもがな。最後のセミスター(卒業条件クリア後に居座ったセミスター)は何をとってもよかったので、Independent studies に加えて大学院レベルのクラス(これは本物の大学院のいい予行演習になった)、「W」つきの実験テクニック系のクラス、そしてトランスクリプト上には略称しか載ってないので正規名称は忘れたけど、 Teaching のクラスをとった。これも実は正式なクラスではなく、早い話がTAだ。このクラスは Teaching の経験を積める上に単位がもらえ、さらに給料が出るという1粒で3回美味しいクラスだった。それらのクラス加えて遊びで「中国語2」をとっている。(「中国語1」はその前のセミスターで履修済み。)ちなみにこの「居座り」セミスター、実は結果的に居座ってよかったと思ったことがもう一つある。少なくとも東海岸の有力大学院の出願は前年年末~同年年始に締め切りが集中し、同年春学期中に次々にインタビューに呼ばれることになる。日本に帰ってたらインタビューは軒並み断らなければならなかったはずで、そうしたら結果はどうなっていたかわからない。そして当然、インタビューに行くたびに学校を休むことになるばかりか、勉強時間もかなり削られる。自分が最後のセミスターにとっていた Independent studiesと Teaching のクラスはいわゆる「出席」はなく、試験もない。中国語のクラスはあって無いようなものだったし、となると気にしなければならなかったクラスは2つだけで、結構気軽にほいほいインタビューに行けた。(つづく)
May 8, 2006
コメント(8)
PennState には秋、春、夏、秋、春セメと約2年在籍している。実はトランスファー1年半後の秋セメで卒業単位は全て取得し卒業可能だったが、OPTを申請しなければ翌年秋の大学院入学まで日本に戻らなければならなかった(当時は現在と違い、OPTの申請チャンスは一生に一度だったので、大学院卒業まで温存したかった)ので、居座り目的であえて卒業を1セメ延期して計約2年の在籍となった。MTSUから PennState へのトランスファーは、提携なしでさらに accrediting association(これが何?という方は「未認定校 学位工場 学位商法」を参照してください)をまたいだものなので、どれだけ単位が移動できたかも気になるところ。コミカレ>PennState は69単位中42単位、MTSU>PennState は59単位中56単位が受け入れられている。もちろん移動できた単位が全て PennState からの卒業に有効な単位となったわけではない。さて、例によってトランスクリプトを眺めてみる。最初の秋セメは15単位、次の春セメも15単位、夏セメは6単位、2回目の秋セメは16単位(この時点で卒業条件はクリア)、最後の春セメは15単位を履修している。(つづく)
May 7, 2006
コメント(2)
さて、コミカレに一年半、MTSUに一年半在籍の後、さらに別の四大にトランスファーすることになる。トランスファーの過程について書いた過去のブログを探してみた。トランスファーの過程(その1)(11/02/05)トランスファーするには、既に履修している大学レベルの単位が少なすぎても(転入扱いにならない)多すぎても(セカンドバチェラー問題が生じる)問題になるという話。トランスファーの過程(その2)(11/06/05)転校先選びのことなど。地域、転校する意義のある学校、などという要素から絞り込んでいった。地域的には東海岸から動くつもりはなく、超有力私立大は既に履修してしまった大学レベルの単位数が多すぎて出願資格がないことが判明。一部の州立大などにも同様の問題から出願できず、また、ちょっとレベルを落とした私立大も、同格で学費が安い州立大があるので除外。結局、東海岸のフラッグシップ州立大数校に出願することになる。(詳しいことはリンクしているブログに書いてあります。)転校を決意したのは、MTSUから卒業するにしてもあと一年かかるということ。アドバイザーなどからMTSU卒で有力大学院に出願して有力校からの出願者と競合した場合、「それなりに」不利である可能性があると言われたこと。そしてまわりからも「卒業大学名は一生つき合うことになるよ」と言われ、MTSUには申し訳ないけれどやはり後々それを引きずりたくはなかったこと。(ここいらへんは「やらないで後から後悔したくない」という留学当初の動機にも通じている。)結果的にさらに一年遠回りすることになったけれど、個人的にはそれなりの大学のメリットやエコノミークラス症候群に書いたようなことも含めて良かったと思っている。まあここいらへんは個人個人の価値観によって意見が分かれるところだとも思う。そもそもコミカレから直接そこへ転校すれば良かったかもしれないけど、一昨日のブログにも書いたようにいきなり飛び込んで難関クラスでの成績が維持ができたかは疑問で結局どちらが正解だったかはわからない。というわけで、アメリカの大学四年目からペンシルバニア州立大学(通称 PennState)で過ごすことになる。(つづく)
May 6, 2006
コメント(6)
とりあえずこれまでのブログ記事の中で、テネシー時代のことについて書いたものを探してみた。今は14人(4/4/05)自分がいた時には日本人は2人だけだったMTSUに、今は日本人が十数人いるという話。今はMIXIにもコミュができている。びっくりだね。治安が悪化してしまったナッシュビル(4/6/05)自分がいたころは、なかなか環境がよかったナッシュビルがその後、全米治安ワースト10に入るくらい治安が悪化してしまったという話。当時は留学先として勧めていたけど今はとてもじゃないけどお勧めできない。ナッシュビルで出会ったスゴい人たち(その1)(4/8/05)ナッシュビルで出会ったスゴい人たち(その2)(4/9/05)シンデレラ症候群の留学生(?)の話。ウォン大暴落の想い出(4/27/05)ウォンが一夜にして大暴落し、急増していた韓国人留学生が一気に逆流し始めたが、チケット待ちの韓国人留学生が食うに困ってレストランなどで軒並み食い逃げをしていたという話。ベニヤ張りのタコ部屋でホームステイ(6/28/05)ビジネスとして、自宅の湿っぽい地下室をベニヤで仕切って留学生をホームステイさせていたアメリカ人の話。後に、アメリカ人に限らずLAやNYなどの大都市では「生き馬の目を抜く」ような、現地の日本人によるドロドロした留学生相手のビジネスが横行していることも知る。勝手に入ってくるアパートのメンテナンス(6/30/05)安アパートに住んでいた違法滞在の日本人カップルがアパートのメンテナンスマンに深夜、合い鍵を使って盗みに入られたという話。ついでに更にいくつか自分がテネシーいた頃の話を思いだした。クラスに熱心にノートをとる日本人っぽいおばさんがいることがあった。実際日本人だったわけだが、かたや時々小学生くらいの男の子がウロウロしているのを見かけた。教授か誰かが自分の子供を連れてきているのかと思っていたが、実は彼は超飛び級でMTSUの大学院に在籍していた日米ハーフの子供で、おばさんはそのお母さんだった。その子は当時、日本でも多少話題になったはずで「天才○○くん云々」という本が日本でも出版されていたはずだ。しかして実態は、クラスに出席するのはもっぱらお母さんで、「天才○○くん」はノートを丸暗記するのみ。現地の新聞には大学の売名行為(そして実際、超若年の学生を受け入れるのは無名校の売名の常套手段なわけだが)との批判的な記事が載ったりもしていた。しかして、彼はその後どんな人生を歩んでいるんだろう。そのお母さんは「納豆を食べると頭が良くなる」と頑なに信じていたらしく、日本食食材店で大量に納豆を買い付ける姿が頻繁に目撃されていたらしい(自分も一度だけ現場を見た)。「社長秘書は悪夢だった!トヨタセクハラ訴訟で元秘書」これは今日のニュースだが、自分がいた頃ナッシュビルでも某日系商社の支店長がセクハラで巨額訴訟を起こされていた。そのニュースは日本では一切報道されることなく、「大企業の危機管理ってすごいなぁ」と思わされたものだ。ちなみに本人は既にほかの海外支店に転勤していたが、娘さんがVanderbilt 大学に残っていたんだけど、いたたまれなくなって他の学校に転校していったという話を風の噂で聞いた。(つづく)
May 5, 2006
コメント(2)
1年半のコミカレ在籍の後、そのコミカレと提携しているMiddle Tennessee State University (MTSU) にトランスファーした。MTSU には春、夏、秋、春、夏セメと、やはり約1年半在籍している。以前のブログにも書いたけど、最初の春セメはコミカレのクラスもとっていたので、いわゆるダブルスクール状態だった。例によってトランスクリプトをひっぱり出してきてみる。最初の春セメは14単位(プラスコミカレ3単位)。夏は9単位。秋は17単位。次の春は15単位。そして二回目の夏は4単位と、MTSU では計59単位履修している。これにコミカレで履修した69単位を足すと128単位となり数の上では卒業単位数を超えていたんだけど、コミカレでとった Associate degree (短大卒学位)用の専門単位は、数字の上だけは MTSU の単位に算入されているものの MTSU(四大)の専門単位と見なされるわけでもなく、つまり一般教養単位は過剰にあるものの、専門単位が足りていなかったために、記憶が正しければ MTSU から卒業するにしても、あと一年かかる計算だったと思う。(ちなみにこの単位数はこの後全く予想だにしないところでも足かせになるわけだけど、それはまた明日以降に書くと思う。)これは全く自分の作戦ミスなわけだけど、ここから学ぶべきことは、いずれ四大から卒業するつもりであれば、コミカレなどで専門科目をとる意味はないということだ。さて MTSU に通って良かったと思うことは、(今はいざ知らず)安い学費に加えて「しょぼい大学のメリット」にまとめてあるようなこと。さらに理系限定でいうと(専攻によっては必要ないかもしれないけれど、後々の「心変わり」に備えてどっちにしろ履修しておいたほうがいいと言われてる)いわゆる関門科目と言われている有機化学 (Organic Chemistry) を MTSU で履修してしまえたのは大きかった。もし有機化学を次に移ったそれなりの四大で履修していたらかなり凄惨な闘いになっていたと思う。(つづく)
May 4, 2006
コメント(2)
さてと昨日の続き。自分の行ってたコミカレはかなり綺麗に黒人と白人が分かれていたわけだが、ご想像の通り平均成績はなんとなく黒人<白人。特に白人の中には「私は本当はコミカレに来るような身分じゃないのよ」といわんばかりに、テストで非常にいいスコアを出しては周り(特に黒人)を見下す態度をとる連中がいた。某数学のクラスでその中でもかなり露骨にそういった態度をとっていた女の子がいたわけだが、そこに自分がひょっこり現れたわけ。彼女にとって青天のへきれき。(はっきりいってこれは彼女にとってはアンフェアな闘いだった。ごめんなさいね。そもそも日本の大学で腐っても「理系」をやっていた自分にかなうはずがない。)自分が彼女を上回るスコアを出すたびに、黒人連中は彼女に向かってザマーミロといったような態度をとる。そう、彼等にとって「有色人種」である自分は仲間ということらしい。といったような経験もなかなか面白かった。ちなみにそんなわけで、そのコミカレでは学校付きの数学のTutor というバイトの口にもありつけたわけだが、数学か(日本語クラスのある学校なら)日本語の Tutor というのは日本人留学生が比較的ありつきやすい(多少なりとも将来的な評価も期待できる)学内バイトだ。そんなかんじで一年半をコミカレで過ごし、そのコミカレと提携している地元の州立大学にトランスファーした。(つづく)
May 3, 2006
コメント(0)
コミカレに通ってよかったことは、学費が安かったのはもちろんのこと、あえてはっきり書くと「アメリカの底辺」を見ることができたということだ。例えばアメリカ人でもまともな英語の読み書き、フォーマルなしゃべり方ができない人がいるという事を肌で知ったこと。他のコミカレはいざ知らず、自分の通っていたコミカレは'He don't know nothing' の世界だった。クラスメートのエッセイを見ても、自分が見てもすぐにわかるスペルミスだらけ。「使える英語」提唱者はそれすら肯定するかもしれないけれど、個人的な感想はコミカレの水準は十分「度を超していた」。ただ角度を変えて見れば、彼らはボキャブラリーがない分、基本的な単語を非常に器用に組み合わせてバラエティーに富んだニュアンスを作り出すことに長けていた。ある言語学者の説では「英語で最低限のコミュニケーションに必要な単語数はたかだか3000語で、後は『いかに自分の教育水準が高いかを相手に誇示するための単語』」だそうだがまさにその通り。彼らの「3000語のやりくり」からはやはり学ぶべきものがあったと思う。「使える英語」提唱者的に表現すれば、なにはともあれ彼らは日常生活には困っていないわけだから。ちなみに後にひょんなことから「そういう英語」に再会することになる。日本のNOVAだ。留学生活も何年か経過してから友達の付き合いでNOVAの体験入学コースに参加したことがある。そこにでてきたインストラクターの何人かの英語がまさにそんな英語だった。そりゃそうだ。NOVAのインストラクターに資格も何もいらない。ただ、「ネイティブ」でありさえすればいいわけだから、そこいらへんのにーちゃんねーちゃんがNOVAでもっともらしい顔をしてインストラクターをやっているというのは十分ありえる話なわけだ。コミカレ時代の面白かった話といえば、教室内は綺麗に黒人と白人が分かれていて(アジア系はほとんどいなかった)白人の中には明らかに「有色人種」をそういう目で見る連中がいた。ただ、平均成績は明らかに、黒人<白人だったからそれも一理あるかもなわけだけど。そこに「有色人種」である自分が割って入ったわけだが・・・。(つづく)ところでアメリカと日本の大きな違い。「全米で100万人超すデモ 不法移民の取締り強化に抗議」「不法」移民が堂々とデモをする国アメリカ。事の善し悪しはともかく、日本でこれやったら一斉摘発だよな。
May 2, 2006
コメント(4)
全15件 (15件中 1-15件目)
1