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Morgan Quitno という調査会社が発表した全米の安全な都市危険な都市のリストのニュースは日本でもちらっと報道されたようだ。自分は治安や住環境重視派で、留学先の選定もプログラムの質などはさておきとにかく治安や住環境重視で移り先を選んできた。とにかく毎日気にしながら生活するのがイヤなのだ。ご存知のように、「住環境の良い留学先」「住環境が良くない留学先」などというフリーページを作ったりもしている。というわけで、今日は Morgan Quitno のソースを参照しながらさっと思いつく範囲で速報してみる。(ちなみに MorganQuitno からは有料の完全情報も購入する予定なので、そのうちにより完全な情報をアップする予定。)念のため補足しておくと、特に大都市の場合、治安の悪いとされている都市でも「まんべんなくどこも」治安が悪いというわけではない。逆に治安が良いとされていても、ピンポイントで治安の悪い地域もあるかもしれない。結局、行ってみなければわからない部分もあるのであくまでも参考までに。自分はそれでも例え自分の活動範囲に入っていなくても「住んでいる町に治安の悪い地域がある」ということを気に留めるのがイヤなので、もしここに治安の悪い都市として名前が挙がっていたら留学先として選択しない。ただそれはあくまでも個人的な好みだ。総合順位から見ていくと、治安の悪い都市の第2位は悪名高いミシガン州デトロイト。留学にはあまり縁はないかもしれないけど、自動車産業関連などで縁のある日本人は多いような気がする。お気をつけて。3位 セントルイス(ミズーリ州)ワシントン大学(シアトルのワシントン大学とは違います)に留学される方は気を付けて。6位 ボルチモア(メリーランド州)ジョンスホプキンス大学に行かれる方は気を付けて。7位 アトランタ(ジョージア州)ここはエモリー大学とジョージアテックかな。13位 ワシントンDCジョージタウン大学と、実は思ったより日本からの留学生が多いアメリカン大学でしょうか。21位 オークランド(カリフォルニア州)UCバークレーがあるバークレーは隣町です。人口50万人以上のカテゴリーに上記以外で出てくる都市は・・6位 フィラデルフィア(ペンシルバニア州)ペンシルバニア大学と日本校もあるテンプル大学かな。既に出てきたボルチモアと並んで、個人的に未来永劫絶対に住みたくない町ベスト(ワースト?)5に入っています。7位 コロンバス(オハイオ州)オハイオ州立大学(OSU)があります。8位 ナッシュビル(テネシー州)バンダービルト大学。実は自分も留学初期はここに住んでいたけど、その頃はまだ良かった。自分がここを離れた頃から急速に悪化し、その後、何度か戻った時や知り合いの話からしても、いまだに治安はかなり悪い。メトロポリタンエリア(行政区単位ではなく、生活圏)ではラスベガスとロサンゼルス、フロリダ州立大学(FSU)があるタラハシーが入ってきているな。でもご存知の通り、例えばロサンゼルスはそれ自体広大で、どこもまんべんなく治安が悪いというわけではない。さて、悪い話ばっかりしていても何なので、治安が良い町を見てみると、ニューヨーク、オースティン(テキサス大学のメインキャンパスがある)、サンディエゴ、そして住環境の良い留学先にも出てきたペンシルバニア州のステートカレッジ(ペンシルバニア州立大学のメインキャンパスがある)などがランクイン。本当に最近のニューヨークの優等生ぶりには驚くばかり。ただ、ロサンゼルスとは逆に、ニューヨークのどこにいってもまんべんなく安全というわけでもないのでその点は留意したほうがいいかも。
Oct 31, 2006
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「小林さんが優勝 8分でハンバーガー97個」本当、この人の強さは普通じゃないな。しかし、8分で97個ってことは、約5秒で1個だよ・・・。「ハロウィーン 日本各地で広がる」一義的にはいいことだと思うけどね。その裏で、日本の伝統的な祭が衰退してるってのはねぇ・・・。まあ、節操なく海外のものを取り入れるのは日本の良いところでもあり、悪いところでもあり。でも、ハロウィーンなんかはアメリカの商業主義にうまいことやられてるなぁ、ってかんじかな。ソニプラで、ハロウィーングッズを売ってるって?こっちのウォルマートでゴミのような値段で売られてるグッズがご大層そうに棚の上に鎮座ましましてる様子が目に浮かぶなぁ・・・。日本に帰るとソニプラを冷やかしに行ったりもするんだけど(性格悪いねぇ)こっちでゴミの様に売られているペーパータオルが4~5倍の値段で売られている(それもこっちでは包装なんかもびりびりで乱雑に陳列されているものが後生大事に一つ一つ包装まできちっとして、綺麗に並べられてたりする)のを見ると、なんだかなぁとは思ってしまう。いえ、場所が変われば価値観もかわり、だから意外なものに意外な値段がついたりするってのは判るけどね。例えば、日本車のスバルはアメリカではプレミアのっけて売ってるから割高だったりするし。話はハロウィーンに戻るけど、個人的にアメリカのこの手のイベントは好きじゃない。なぜって、クリスマスなんかもお年寄りの家に行けば、昔ながらのブリキの飾りなどを家の奥から出してきて、ごく家庭的にやってたりするけど、最近は安っぽい使い捨ての飾り付けをウォルマートで買ってきて、ハデだけど、極めてインスタントにやるだけだからなぁ。シーズンになってウォルマートに行って、グッズが陳列されてるのを見たりすると、ゴミの山を見ているような気分になるんだよなぁ。(それと、それが何のグッズなのかを知らずにひたすら「妙なもの」を作り続けてる中国の人はどんな気持ちなんだろう、なんて考えてみたり。)アメリカはともかく、日本はハロウィーングッズのゴミを処理するスペースはまだあるのかな(笑)。
Oct 30, 2006
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今日もまた、某未認定大学が提供するプログラムに参加している方のブログを目にした。日本での英語教育熱は高まるばかりのようで、特に小学校入学前の幼稚園や保育園での英語教育に、驚くほどの熱意を傾ける親御さん(そして育児ブログ)そしてその姿勢を手放しで誉めるコメントの数々。まあ、何事にも前向きに生きることはいいことだとは思うけど、参加しているプログラムは残念ながら公的な第三者から正式な評価評定を受けたものではない。本当にすばらしい内容なのかもしれないけど、形の上では「そこいらへんのおっさんおばさんが適当な資料を基に、もっともらしく『学校っぽいもの』を提供している」のと何ら変わりはない。内容の良さを自己評価的に「すばらしいもの」と褒めちぎるのは個人の自由だけど、「自己評価」というものがどういう性格のものかを理解できているのだろうか。何はともあれその学校の英文HPからの抜粋(赤字は筆者による)。前にも何度か出したことあると思うけどね。(ちなみに未認定校は法律によって未認定であることを明確に示すことを求められているので、自らに不利な内容であってもあえてHPに書いてあるのだ。もちろんわかりづらいところに書いてあるけど。)Xxxxxxx University is not accredited(中略)licensingauthorities require accredited degrees(筆者注:この学校で取得した単位や学位は、特定の単位や学位が必要とされる資格などの出願の際には役に立たないということ)(中略)accredited colleges may not accept fortransfer courses and degrees(中略)some employersmay require an accredited degree(以下略)それでも行くという人はあえて止めませんけど・・・。そういえばついでに思いだしたけど、この学校のプログラムを推薦しているある留学斡旋業者が以前に自ら発行する留学雑誌に「Degree Mill」に気を付けよう、という内容の記事を載せて自己矛盾に陥っていたこともあったな。(恐らく担当部署が違うとかで、気付いてないだけなんだろうけど。) ←未認定校、非認定校、Degree Mill 学位工場、学位汚染関連リンク集ブログHOMEへ
Oct 28, 2006
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ここのところサボりぎみだった Degree Mill 関連ネタ。最近、特に某校はインターネット対策に積極的に打って出ているようだ。例えば Google 検索をかけると「Google 宛に送られた法律に関するリクエストに応じて、検索結果のうち 1 件を削除しました。」などというメッセージが出たりする。これはご想像の通り「都合の悪いイメージを連想させる検索方法ではひっかからないように、Google に依頼している」ことに他ならない。もちろんこのこと自体は全く悪いことではない。たとえば不本意な情報や、誤った情報が Googleなどを経由して露出してしまう可能性がある場合、当然当事者にはそれを止める権利がある。ただ、ここで知っておくべきなのは「全く公平に(特定の個人や団体の利益、不利益などに偏向することなく)、キーワードなどのの組み合わせと数学的分析方法のみによってインターネット上の情報を検索してくれている」と思われがちな検索エンジンだけど、実は必ずしもそうではないということ。中国の Google が「民主主義」や「自由」を連想させるキーワード検索結果を操作しているというのは有名な話しだけど、日本やアメリカでも事の大小はさておき同じようなコンセプトが多少作用しているということだ。話はかわって、その某校は某インターネット百科事典の記述へも積極的に関与しているようだけど、自らの正当性を強調するために、某校の学位をもって教壇に立っている教官のいる日本の大学を実名で列挙してしまっているけど、大丈夫なのか(汗)? 手元にある Degree Mill の学位を経歴に入れている大学教員、研究者リストと照らし合わせても確かにその通りなんだけど・・・。こういうのを老婆心というのかな(汗)? ←未認定校、非認定校、Degree Mill 学位工場、学位汚染関連リンク集ブログHOMEへ
Oct 27, 2006
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さて、とりあえず留学(移民?)談義は今日で一区切りにするつもり。今日は、先日のブログにひよこまめ2006さんがつけて下さったコメント「未だにときどき自分の生活に現実感が感じられなかったりすることです。かと言って日本にも私の現実生活はないわけで、私はこのまま何となーくアメリカで生きていくのかなぁ、と思うとやや不安です。CAT0857さんはそんな風に感じることはありませんか?」にからめてちょっとアイデンティティクライシスについて書いてみようと思う。ちなみに、アメリカでの生活が未だに現実のものとして感じられないことがありますか?への答えは「はい」だ。周囲の環境に即して個性や性格が固定化されるのは6歳前後という話を聞いたことがある。さすがにそれは極論かもしれないけれど、たとえば日本では一般的には高校くらいから留学すれば、ネイティブに近い英語が身に付くと言われているけれど、細かいところまで英語を聞き分けられるようになると、高校から留学している人にも依然、訛があることに気付く。それでもアメリカは移民の国。ヘンな英語に寛容だからそれ自体はあまり問題にならないにしても、例えば考え方や価値観はどうだろう?今は若いからなんとか柔軟に対応できる。でも歳をとったら。実際そういう問題に直面する人たちが増え始めているようだ。ニューヨークやLAなど、日本人の多い地域では、日本人の日本人による日本人のための老人ホームというのができつつある。つまり、何十年もアメリカに住んできたけれど、結果的に色々な意味で「日本」が拠り所だったということなのかもしれない。しかして「本物の日本」に戻るのは体力的にも環境的(親戚や友人との関係はすでに希薄になってしまっているので)にも金銭的にも難しい状況になってしまっていると思われる。それでもそれまでにそこそこ資金力をつけ、そのような施設に入れる人はまだいい方なのかもしれない。そういう所に入れない人は、はたしてどこでどのように人生を終えていくのだろう。全くそのようなことを感じずにいられる人もいるのかもしれない。でもこと最近、人にとって、やっぱり「ルーツ」との関係は切っても切れないものなのかと思うようにもなってきた。自分の場合、いとこの何人かはアメリカで生まれ育ったジャパニーズアメリカンだ。国籍はもちろんアメリカ。日本語すらしゃべれないわけだけど、じゃあ自分たちは「アメリカ人?」という問いに対して全面的に「Yes」とは言ず、「なんとなく、ここは自分の居所ではない」と感じることがあるそうだ。かといって、日本に帰ったりましてや日本で暮らすことなどは不可能だ。こういう状態をアイデンティティクライシスというらしい。ちなみにこのアイデンティティクライシス、留学がどんどん若年化していく中で(親がヘタをすれば小学生から海外に送り出す)徐々に表面化してきているようにも思う。直接的に見聞きすることもあるし、そのたぐいの掲示板のメッセージを見ていても時々目にすることがある。小学生は論外として、高校生から留学したとして、果たして「日本人としてのアイデンティティ」は備わっているだろうか? 逆にアメリカ(やその他の国)のアイデンティティは備わるのだろうか? 結局、自分のアイデンティティはどこに? 無論、親は自らにそのような経験がないので、想像を超えたところで自分の子供に何がおきているのか理解できないケースが多いらしい。話を元に戻そう。幸い自分は日本で大人になり、日本人としてのアイデンティティは持っているつもりだ。さて、アメリカの中で自らのアイデンティティをどこまで見いだすことができるかというと、ちょっと疑問だ。状況が許さずこのままアメリカに残ることになればそれはそれで仕方がないと思っているけど、前にも似たようなことを書いたけど、そのあたりが、こと最近「日本に(帰れるうちに)帰ってみようか」と思うようになった理由の一つでもある。ところで、最近こんなことに注目している。何かとアジア人が多いことで有名な西海岸。特に東海岸から行くと、そこはもう既に「アジア」だ。もしかしたらアジア系アメリカ人(移民)はそのあたりに自分のアイデンティティを見いだす活路があるのかもしれない。
Oct 26, 2006
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さて、とりあえず留学談義に話を戻してみよう。KSD_farfallaさんが一昨日のブログに「NYCで見かける日本人の大半が日本人の同伴です。一人で携帯で会話しながら歩いている子の会話は日本語です。タイムズスクエア周辺の待ち合わせは新宿のアルタ前を思わせます。」というコメントをつけて下さったけど、もちろん彼、彼女らが全員留学生だとは思わないけど、はっきりいって「旧来の留学」のイメージからかけ離れた留学をしている日本人が増えていることは確かなようだ。それが入り口となって、不法滞在、不法就労に流れていってしまう人もいるので批判の対象になりやすいのも確かだけれど、結局「周りが何を言おうと本人の気持ちはかわらない」というのもまた確か。そして特に若いうちであれば、失敗からまた学ぶものもあるだろうし、それはそれで仕方がないんじゃないか、とも思う。逆に言えば、アメリカは日本以上の競争社会。行動に日本以上にストレートに結果はついてくる。その結果、sanfrancisco_cat さんのブログに書かれているように掃除婦に落ち着いたとしても、本人が「それでも今の自分に満足しています」と言うのであれば、それはそういうことなんだろうし。ちょっと問題なのは、結果を甘んじて受けるのではなく、最終的に日本人ならではのセーフティーネットに甘えてしまう人かなぁ。親の経済力とか、はたまた生活保護とか。それはちょっと(自分の行動には最後まで自分で責任をもつという)ルール違反なのかな?とは思ってしまう。その自己責任のルールを守ろうとすると、逆に「日本人ならではの問題」も浮上してくる。KSD_farfallaさんが「再チャレンジする人間にあまり優しくないですから。」と書かれている通り、日本は途中下車した人に厳しい。中途採用などが増えたとはいえ、アメリカと比べたら無きに等しいし「効率よりも長年同じ道を歩んできた上で培われる信頼関係(浪花節)」というのはもう文化。安倍首相は「再チャレンジできる社会へ」などと言っているようだけど、むしろ変える(変わる)のは無理と言い切ってしまったほうがスッキリする。「レールから外れると大変な人生になる」「その柔軟性の無さが日本の良くないところ」というのは自分が子供の頃から言われてきたことだし、ということは少なくともここ30年、根本は全く変わっていないということだ。(ちなみに個人的にはその日本のシステムが悪いなどとは思っていない。それはそれで優れている面がいくらでもある。ただ、日本での論調はなぜかいつも否定的・・・だったんだけど、小泉改革による急速なアメリカ型のシステムの導入への反発からか、最近は旧来の日本のシステムを肯定するような本なども出てきたかな。)というわけで、留学という「途中下車」をして万が一失敗して日本に帰らざるをえなくなった場合のリスクは(日本人だからこそ)非常に高いということは知っておいたほうがいいとは思う。あちゃ~、今日で終わるかと思ったけど、まただらだら長くなってしまったな。明日はひよこまめ2006さんにいただいたコメントからの派生ネタのアイデンティティクライシスについて書いて、それでいったんこのネタは終わり・・・になればいいなぁ・・・(爆)。(というわけで、明日につづく)
Oct 25, 2006
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なんかだらだら留学談義を続けているうちに「小ネタ」のほうがおろそかになっていた。昨日の中毒ネタにからめるわけではないけれど・・・「 ネット利用『中毒』が問題に 人間関係に悪影響も」自分も気を付けなきゃね・・・(笑)。「米への留学生、2年連続減」まあ留学生の受け入れは、アメリカの思想戦略の一貫でもあるからねぇ、と、その片隅に身をおいている身にとって他人事でもないわけだけど(汗)。こないだ読んだ日本の本(最近は小泉改革によるアメリカ型競争社会化が急速に進んだ反動からか、「日本の良いところを見直そう」的本に人気が集まっているようだけど)には「アメリカ留学経験のある奴に気を付けろ」みたいな表現もあったしねぇ。なにはともあれ、教育長官なんかが留学生集めのためにこれから各国をまわるらしいけど。もっとも国土安全保障省はビザ発給基準の見直しなども含めて「入国する外国人の引き締め」を進めてるから、なんか矛盾してるよなぁ。「日本人旅行者、夢と現実のギャップで『パリ症候群』」当たり前と言えば当たり前のニュース。人がいるところいいところもあれば、悪いところもあり。日本で紹介される情報は「受け手のウケ」が重要だから、基本的に「いいところ」に偏重して(美化されて)いる。(留学情報にしてもしかり。)そもそも現地の人は毎日の生活でいっぱいいっぱいなわけで、「現地の言葉もまともに判らない他人」に親切につき合わなければならない義理もない。アメリカに日本から留学してくる留学生のよくある誤解。「アメリカでは、日本で英語をしゃべる人(特に欧米人)のまわりに人が群がるように、アメリカでは日本語や日本について知りたいアメリカ人がまわりに群がる・・・までは期待しないにせよ、多少は興味を持ってつき合ってくれるだろう。」「(英語に興味をもっている)日本人がたどたどしい日本語をしゃべる外国人に辛抱強くつき合うように、たどたどしい英語でもみんな親切に辛抱強く相手をしてくれるだろう。」実際は英語に興味を持っている日本人の頻度からすれば、日本語に興味を持っているアメリカ人なんていないに等しい(いても基本的にオタク)。日本ではシロウトのネイティブスピーカーをタムロさせるだけで「英会話喫茶」などという商売が成り立つけど、たとえばNYで「日本語喫茶」をオープンしたとしても、一瞬で店じまい(アニメとか、付加価値をつければかろうじて大丈夫かな・・・でも集まるのはオタク)だろうな。そもそも普通の人は日本になんかに興味はないし、いちいちたどたどしい英語につき合う程ヒマじゃない。「お前の語学留学のために50万円投資しておいたから…」それにつけても、暴力団が女子大生を脅迫する時のネタにするほど、留学って身近になったんだねぇ(苦笑)。先月末のブログ「宇多田母、NYで現金没収」の後日談。「藤圭子、NYで没収された4900万円は『旅行費』」まさにセレブな生活。どっかの空港で見かけたりしないかな(爆)。今まで空港で見かけたことがある有名人はせいぜい宮沢りえと(まだ売れてた頃の)小室哲哉(とTRF)くらい(爆)。やっぱ、ハワイとかじゃないとだめなのかな。明日はまた、昨日つけていただいたコメントを元に留学(そして移民?)談義に話を戻したいと思います。なんか丁寧なコメントをつけていただきまして、本当にありがとうございます。
Oct 24, 2006
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いつどこで見たのか忘れてしまったけど、異文化に触れた際(もしくは環境が急激に変化した際)の心理的変化(と書くと難しそうだけど、要するに海外に行った時の心理変化)の話。具体的な数字や細かい部分は忘れてしまったけど、こんなかんじだったと思う。最初の一カ月くらい(第一期)は「興奮期」。異質なものとの接触で「興奮ぎみ」になり、あらゆる現象をポジティブに捉えがちになる。(逆に、自分が元いた社会についてのネガティブな評価は誇張されぎみに。)その後、多少状況を冷静に捉えられるようになると、自分が「異質」であることに気付きはじめ、まわり(例えばアメリカの)いやなところが目につくように。「グチ」を言うことが多くなるらしい。さらに滞在が長期になると、自分の中に「現地の価値観」が多少なりとも入り込んできて、元いた社会と現在いる社会の「よいところ」「悪いところ」を冷静にとらえることができるようになり、心理的にも落ち着いた状態になる。(かすかに残ってる記憶が確かなら、この状態に至るまでが、約一年じゃなかったっけかな。)さらに時は流れ、十年ほどたつと、現地の価値観が元いた社会の中で培われた価値観を逆転し、元いた社会に戻る時に、逆に「異文化との接触プロセス」(「readaptation プロセス」とかなんとか言ってたような気がする)を経なければならないようになる。(自分はこのラインを「踏み越えて」しまっているのでかなり気を付けるようにしている。)そんな中、注目したいのは「第一期」。ちなみに人は徹夜をするといわゆる「脳内麻薬」が分泌され、だから夜遊びには一種の習慣性(中毒状態)がある。個人的にこの「第一期」にも同じことが起こっているんじゃないかと思ったりすることがある。実際「海外旅行中毒」という話はある。タバコを止めやすい人、止めにくい人がいるように、人によって中毒に対する感受性が違うから、中毒にかかりやすい人とかかりにくい人はいるだろうけど、「留学」を(途中で失敗しても)何度も繰り返す人は、多少なりとも「第一期」(留学初期の周囲が全てバラ色に見える興奮状態)に対する中毒症状にかかっているという説明はどうだろう。確かに留学してから出会った他の留学生や、留学系のブログを見ていると、言動や内容がこのタイムラインに沿っているような気がすることがある。最初は積極的(興奮状態?)な発言が連続し、それからグチ。そのまんま落ち込んでいって(ブログの場合エントリーの頻度がしりすぼみ的になることも多い)約一年後に帰国、とか。ただ、一度帰国してしまうといやだったことは忘れ、「第一期の刺激」を思いだし「また行きたい」という気になってきたりして。もしこの仮説が本当だとすると、第一期だけを経験することになる短期留学をした場合、「良い時期」だけを経験することになるので、逆に「また行きたい」という気持ちになった時に多少冷静になるようにしたほうがいいのかもしれない。
Oct 23, 2006
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さて、昨日からの「なぜNY?」ネタを続けてみよう。一昨日のブログへの KSD_farfalla さんのレスの中に、「(アメリカだからではなく)NYにしかない自由を求めて来るってこと?」という内容があったけど、大都市だからこその「選択の自由」というのはアメリカの他の場所と比べればあると思う。もちろんその選択肢の中には昨日も書いたように「いざとなれば手軽にプチ日本を楽しめる」という選択肢も含まれている。ただ、Traditional、もしくはもう Classic、はたまたConservative とまで言われてしまうかもしれないけど、「学業目的の留学」から繋がる将来性といった面からは、特に「なにがあってもNY」という理由は見あたらない。大都市ならではの、ダンス、(ネイル)アート、DJなどの「スクール」は、当然、東京にもあるという意見もあると思う。でも東京のものは「オリジナルでない」「自分のテイストに合わない」と言われてしまえば、あとは他人がとやかく言うことではない。さてさて他に考えられる「自由」。それはやはり周囲(親や社会)のプレッシャーからの自由。確かに首都圏では既に娘に結婚のプレッシャーをかける親(親族)という話もあまり聞かなくなったけど、地方だとまだそうでもないような気がする。個人的な印象だけど、アメリカに来ている人は実際、地方出身者が多いような気がする。さらに実は周りはプレッシャーをかけていないにもかかわらず、自らプレッシャーを感じてしまうケース(友達などがどんどん結婚してしまって)はあると思う。ちなみにそういった(社会的責任に起因する?)プレッシャーから一方的に逃げるのは無責任、という意見も当然あるだろうとは思うけど。さらに日本で30歳前後になってから「やっぱりこれをやりたいから学校に行き直す」などと言い出すのはかなり勇気のいることだと思うし、実際やりとげたところでその社会的評価は低い。(昨日のブログへのsanfrancisco_cat さんのコメントにも同じような内容のコメントをつけました。)日本では大卒入社して、その後務めながら苦学して大学院を卒業しても、社内的には全く評価されないケースがほとんどそうだ。それが悪い、と言っているわけではない。社会システム(欧米は学校が人材を育て、日本は会社が人材を育てる)が違うだけなのだ。だからといって、もちろんアメリカに来れば方向転換が保証されているわけではない。所詮外国なわけで、むしろ日本でそれを目指すよりも成功率は低いかもしれない。それでも周りの目を気にせずそれにトライできる環境と(実現できるかはさておき)明確に見えている、決してゼロではない「希望」という面でアメリカに来る価値があるとする人もいるのではないかと思う。「時に無責任なまでのアメリカ社会のポジティブ思考」と(「留学で輪廻にはまる」参照)、結果的に日本から似たようなバックグラウンドをもった人が集まって来るので「(日本人同士で、駆け込み寺的に)お互いに励まし合う環境」というのも見過ごすことはできない。(記事内でも、日本そのまんまの居酒屋で日本人同士集まり語り合う、というシーンが描かれている。)そしてよく耳にするのは「やらないで後で後悔するより、例え結果的に成功しなくても、やるだけやってから後悔したい」という考え方だ。これももう個人的人生観なので外野がとやかく言うことはできない。(なんだかずいぶんダラダラ長くなってきてしまったけど、こうなったらとことんまで書いてみるつもりなので、もうしばらくお付き合い下さい。備忘録的に書いておくと明日は心理学的見地から見てみると、編。)
Oct 22, 2006
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昨日のブログに KSD_farfalla さんが、なぜNY?というコメントをつけて下さったので、それについてちょっと書いてみるか。ちなみにこの記事について触れている他の(特にアメリカ在住者の)ブログでも「なぜNY?」という問いかけは多かったように思う。「ネタ元が『NY Times』だから」というあっけないオチも考えられるけど、まあそれはさておき、留学(プチ移民)先としてNYを東の横綱とすれば、西の横綱はもちろんLA。両者に共通することといえば、日本人が多く、情報も豊富。本や雑誌、HPなどなど情報はイヤという程あるし、記事中にも出てきているけど、例えば「既にそこに住んでいる日本人の友達の所にとりあえず転がり込む」などという事も可能。それができなくても、ぼったくりも多いが(ぼったくられた事に実際にこちらに住み始めて生活に慣れてきてから気付いて、「後追い」でそういった施設やオーナーを誹謗中傷するメッセージを日本語掲示板などよく目にする)日本人オーナーの、(一見)安価なウィークリーマンションなども多い。いざ「海外生活」に疲れた時には逃げ込める「プチ日本」がいくらでもある(日本人の横繋がりもすぐできる)。記事にも出てきているけど、日本の居酒屋そのまんまのような所もあるし、ラーメン屋、牛丼屋、本屋・・・挙げていけばきりがない。違法合法問題はさておき、日本人としての雇用機会がある。ジャパニーズレストランを含めた日系企業、そして日本人の日本人による日本人のためのキャバクラ、デリヘルなど風俗産業があるのも周知の事実(ずっと前、ブログにその広告をネタに出したことがある)。これは日本人「女性」を最大の武器にできる雇用機会だよね。日本語だけでも結構生活できてしまう。これは日本ローカルにおける東京と同じことだと思うけど基本的に「外から来た人」によって構成されているのでヨソモノを受け入れる土壌がある。カタコトの英語でもそれなりに相手にしてもらえる。(ちなみに上目づかい、エイジアンスマイルで、必死に舌足らずの英語をしゃべる日本人の女の子はかなり「ロリ心」をそそるという話はかなりデフォルト。)これも東京で考えてみればすぐわかるけど、大都市ならではの文化、娯楽の機会が豊富。結果的に日本から来る人が当初の目標とすることが多い、ダンサー、(ネイル)アーティスト、DJなどなど「プラスアルファ的」の業界に触れる機会、需要も多い。さてそれではNYとLAの圧倒的な差はなんだろう?それはもちろん「車の必要性」。女性の免許取得率は上がってきているとはいえ、やっぱり海外でいきなり運転するのは二の足を踏む人が多いんじゃないかな。そういった意味でNYはLAよりも「セッティング」が日本に近いので住み始めやすいんだと思う。(これも余談だけど、というわけでアメリカ人アッシー君(死語)を見つけることになるわけだけど、その彼が送り狼(死語)に豹変するという話もけっこう聞く。)(なんだか長ったらしくなってきたので明日につづく。)
Oct 21, 2006
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(昨日からの続き)それでもアメリカの現実(思ったより色々厳しい)を知っている身にとっては止めたくもなるケースも多い(多かった)けど、特に女性の場合(恋愛と同じで)本人の気持ちは決まっているケースが多く、本人的には「好きだから好き」的自己完結をしていて(フリーページのインターンシップの項でも「アメリカにいたいからいる」という人の例を出している)、ネガティブな情報の提供はお互いにとって時間と労力の無駄が多いことも学んだ。だからこのブログのフリーページのように、あくまでもpassive な情報提供に留めるようにしている。ただ腑に落ちないのは「自分のケツが自分で拭けない」人の存在だ。バブル期の異常な経済状態の尻馬に乗って留学をした自分を棚に上げるようで申し訳ないが、最近は(逃避的)留学も親の資金頼り、というケースが多いような気がする。本来大学に行くような年齢層であれば、親に頼るのは決して恥ずかしいことではないと思う。ただ、20代後半~30代前半に多いと言われている「人生を一度リセット」型留学をするのに親を頼るのはどうだろう。百歩譲って親頼りの留学を容認するとして、帰国後(多くの場合は社会的、客観的評価をあまり高めることなく帰国することになるので)の「後処理」も親がかり、という人はいないだろうか? 20代後半~30代前半であれば、いかなる結果に終わったとしてもやはり「自分の蒔いた種は自分で刈り取る」ようにはして欲しいものだ。ところで話はがらっと変わってこんな話をしていたらふと、こんなことを思いだした。自分が日本で働いていた20代前半、周囲には地方から出てきて東京で働いているという人たちがけっこういた。中にはそこそこ成功して東京に居着く人もいたけど、20代後半に入っても「芽が出なかった」人は、徐々に田舎に帰っていった。話のスケールは海外 vs 東京でだいぶ違うけど、何となく構図は似ているような気がする。たとえ成功率は低くてもその確率に人生の一時期を賭けてみることについては他人がとやかく言うことではない。特に20代前半であれば、最悪「親」というセーフティーネットを使うのも許されるような気がする。しかし、やはり20代も後半になってくるとそれなりの社会的責任というのは回避する(される)べきでないと思う。
Oct 20, 2006
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いやあすっかりブログに穴を空けてしまった。ま、予告通り旅に出てたんだけどね。さて穴を空けてるうちにこんなニュースがあった。「若い日本人女性、NYに脱出する人が増加」今に始まったことじゃないし、このブログのフリーページでも自分が見聞きしてきたことを書いたりしてるけどね。さらにしばらく前にはブログリンクさせて頂いているsanfrancisco_cat さんのブログでも似たようなネタが出ていたな。自分も留学してきた当初は自分は棚に上げて、「なんとも無計画(アメリカに何かをしに来る、ではなく、日本がいやだからとにかく日本を出るという動機)な行動だなぁ」と思っていた。まあ実際、直接的であれ間接的であれ状況を見聞きしたその手の「プチ移民」の人たちは、客観的には特に得る物もなく(もしくは第三者に対して普遍的に説得力のあるような成果をともなわず)日本へ帰っていくケースが多かった。例えば記事中にあるように、日本でのキャリアに半年~三年の穴を空けた上で日本に帰国した場合、それを補って余りあるキャリアアップ(客観的にわかりやすいバロメーターは収入だね)を果たせるケースは皆無だと思う。それでも本人達は「自分を内面から成長させてくれる経験はできた」などと抽象的なことを最後まで言うケースも多いし、「自分的には満足している」「お金(収入)が全てではない」と言われてしまえば、もう外野がとやかく言うことでもないとも思う。ちなみに留学系ブログで、留学末期になるにつれだんだん歯がぬけたような更新状態になり、最終的に放置されて廃墟になっているブログのブログ主はたいていそういう人が多いという傾向もあるような気がするけど、何はともあれ個人的には「本人の人生の満足度」は最終的には本人の主観によるものだと思うし、だから既に書いたように外野がとやかく言う問題ではないと思う。たとえば sanfrancisco_cat さんのブログにでてくる掃除婦に甘んじている元留学生のケースにしたって、本人に「それでも自分は今の生活(結果)に満足している」と言われてしまえばそれまでだ。時々いわゆる「正規留学」さらに「正規就労許可」そして「正規永住権取得」を目指す人から「そういう(適当な)人がいるからビザ申請要件が厳しくなったりして迷惑だ」などという意見が出ることもあるけど、じゃあ全ての人が完璧にルールを守ったところで、アメリカは日本からの移民に対して特別な配慮をしてくれるとも思えないからその論法についても説得力がないと思っている。(つづく)
Oct 19, 2006
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いやあお久しぶりです。なんのかんのいいつつ来週からの旅に備えて忙しい毎日を過ごしているうちに、ブログがおろそかになっていました。恐らくこのブログ停滞状態はあと2週間ほど続くと思われます。さてこの季節になると目につきだすのが「アメリカの大学院出願系のブログ」。出願の時期だもんねぇ。とりあえず経験者として突っ込みどころ満載のブログも多いわけだけど、やはり「どなたかご存知の方、コメント下さい」系のブログにはコメントをつける気にもならない。それでもまれ~に親切心が芽生えることもあるんだけど以下のような内容に、その親切心の芽も萎えてしまう。(これがけっこう多いんだ。)「推薦状も自分で書き上げ、あとは教授にサインをもらうだけです。」バレるバレない以前の問題として、モラル的にこれはどうだろうか。そもそも日本には推薦状という文化が根付いていないから教授だって書き方知らなくって面倒くさがるし、そもそも教授は忙しそうだし頼んだところで「じゃあ自分で書いてもってきて」と言われるという事情は知ってますよ。でも百歩譲って自分で書かざるをえないとしても、ブログのような公の目に触れるところに堂々と書くようなことじゃあないと思うけどなぁ。(あげくの果てには留学業者のHPや留学雑誌にて堂々とそのようにアドバイスされていたりする。その点において、GREのスコアを捏造してくる中国からの出願者とのことは笑えないような気がする。)ちなみに突っ込まれるといけないので、念のため。アメリカでも自分で推薦状(もしくは盛り込んでほしい内容のドラフト)を書くことはあります。それは例えばビザ申請用など、書類の「頭数」として推薦状が必要な時だけで、進学、就職などの際の推薦状を自分で書くなどということは(まともなところであれば)まずありえません。万が一ばれたら(どのようにしてばれるかは悪用される可能性があるのであえて書きませんが)それは「文書の捏造」と言われてしまっても仕方がないと思います。
Oct 7, 2006
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