セラピストMASAの「心の旅日記」

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2012年07月13日
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 あの最後のベールのゆらめきにも似て。


 幻影の向こう側にある「それ」へといざなう。


 戦いが終わる。


 葛藤が消えていく。


 あの赤ん坊の肉体に入った時。


 感じた不自由。


 限りなき制限。


 物質の束縛。





 他の生き物の命を食わねば生きていけない矛盾。


 肉体のしがらみに縛られた様々な生存への条件。


 人の性(さが)と業(ごう)の積み上げられた世の中の有様。


 世界のどこかで戦争は終わらず。


 世界のどこかで子供がバタバタと飢え渇き死んでいき。


 世界のどこかで不条理がこれでもかとまかり通る。


 飽くなき権力闘争や影でうごめくものの姿。


 美辞麗句で表向きを飾って人心を操り。


 どこが底とも見えぬ闇が常に世界に覆いかぶさっているように見えた。


 深い狂気が目に見えぬ所から支配している世界。





 私が神様ならこんな世界は創らないだろう。


 そして自分の心の醜い姿にも辟易(へきえき)していた。


 自分すら、この自分が人として生きている不可解な世界と同じく神の失敗作に思えた。


 多分、普通の人より、多次元宇宙にアクセスする能力が勝っていた子供の私は、人から見れば天国のような高周波の高次元世界にもアクセスしたし、暗く冷たく重い地獄のような低次元世界にもアクセスをした。


 そう、文字通り様々なパラレルワールドにアクセスしたが、それはどちらも私という子供に絶望しかもたらさなかった。





 絶望。


 やがて私は、高次元世界にアクセスすることを(おそらく無意識の内に)やめてしまった。


 何で?とか、もったいないという人もいるかも知れない。


 でも、当時の私にはただただ絶望だった、耐え難い苦痛になってしまった。


 逆に低次元世界、それも深い悪意の世界の住人達は、いたいけな子供だった私に対して侵略してきた。


 いやだと言っても問答無用で無理やり侵略してきた。


 それが私には仮面を剥いだこの世界の裏でうごめいている者達にも見えた。


 子供の私に取って人生とは、この毎日24時間の絶え間ない拷問や苦痛に耐える作業になってしまった。


 いつかはたどり着くかも知れない、あの暗いトンネルのはるか先に見える針の先のような小さな出口の光りに向かって、永遠とも思える道のりを歩む道程になってしまった。


 深い絶望と苦しみの中で、生命力を奪われ、私のものではない狂気の思念を送り込まれ続けながら、ただひたすら耐えた。


 人外のものをふくめ、主なところで5~6体。


 全体ではおそらく30体以上、こういうのに憑依され、暗く冷たく重たい人生を、それでも希望の光だけは抱えて生きていた子供だった。


 逆にこのような過酷な境遇が、私の思いを純粋なものにした。


 神はいるのかいないのか?


 宇宙はどういう構造をしているのか?


 人はどこから来てどこに行くのか?


 人の存在価値とは何か?


 世界はどうやって創られたのか?


 この高次元世界や低次元世界とは何か?


 私はどうしたらこの闇の者どもから逃れられるのか?


 この狂気が支配している部分がある世の中を変えるにはどうしたらよいのか?


 真実が知りたい!


 例えば、今までに読んだ本は少なく見積もっても1万冊以上になる。


 それも色々な分野に及んでだ。


 本当に世界を知ろうとしたのだ、真実を知ろうとしたのだ。


 そんじょそこらの人の真剣度とは違った。


 私に取ってそれはサバイバルだった。


 私はサバイバー(生存者)だった。


 このサバイバーという言葉は心理学の専門用語の方では、生死をさまようような深い虐待状態を生き残った子供にも使われるが、私はそれに近いかそれ以上の状態にあった。


 命がかかっており、命以上のものがかかっていた。


 本当の本当にそうだった。


 もちろん本だけでは無い。


 実体験でも色々なことを探った。


 やがて様々な人生体験や認識が私を深めていった。


 少しづつ、少しづつ、私は実感として、わかり始めた。


 それと同時に私も変わっていった。


 今ならわかるのだ。


 様々なことが。


 そしてそれを生きることが出来るのだ。


 私自身として。


 私はやがて・・・。


 不自由すら体験する自由があったことを知った。


 制限を自分に課した条件だとわかり始めた。


 制限を制限と見なさずいきなり乗り越える方法もあるが、それとは別に制限を制限として使いこなし、制限を利用して制限を越えることも覚えた。


 そして一度マスターしたものは、二度目は無かった(あっても本当に又出来るのかの自分に課したテストみたいなものだった)。


 もう学んでしまったからだ、また人生に出てくる必要性が無い。


 肉体の牢獄に苦しんでいた私は、肉体にすら波動を染み込ますことを覚えた。


 やがてこの世もあの世も関係なくなっていった。


 肉体もそれ以外の高次元体も関係なくなっていった。


 そしてあのすべての背後に潜むワンネスに気が付き始めた。


 高次元世界や低次元世界の住人達どう関わるか、その究極の選択権は自分にあることを学んだ。


 そもそも彼らはある意味では、自分の無限の心のある領域からのそれぞれの訪問者達であるようなものでもあることも学んだ。


 世界を変えたければ、自分を変えることだということも学んだ。


 私は自分を愛し始めた。


 私は世界を愛し始めた。


 世界をどうしようもない狂気が、正体のわからない闇が覆いかぶさっている所と見なすのを止めた。


 ある意味ではだが、世界や人々に負っていた責任や負債を手放した。


 それぞれの者達がそれぞれの場所で神を表現している冒険者達なのだと見なし始めた。


 それでも胸痛むことは痛むし、助けになることは助けになろうと思う。


 それでただよいのだということも学んだ。


 自分が本当にしたいことの機会は、ただ訪れてくるのだと言うことも学んだ。


 自分を失敗作と見なすのも、欠陥品と見なすのも止めた。


 私もまた、すべての者達とまったく同じく、神の冒険旅行のある視点なのだ。


 私はただ私だった、それでよかったのだ。


 どのパラレルワールドを選ぶのかと言う選択権を行使できるのだということも学んだ。


 そしてそのパラレルワールドとは、すなわち自分自身でもあるのだということも学んだ。


 自分自身が心底信じ感じているものが、体験する世界そのものを創造しているのだということも学んだ。


 人はその本源においてまさに神そのものなのだということも学んだ。


 こういうことを述べていけば切りが無い。


 そしてこの学んだと言うのは、知的に理解したということでは無い。


 私は本当に実感として知ったということなのだ。


 そしてそれらをほとんど再現し、実行できるということなのだ。


 自分で創り出すことが出来るということなのだ。


 それらをマスターしたということなのだ。


 そしてそれこそが、私が自分に対して選んだ人生だったのだ。


 それは豊かな、限りなく豊かな人生だったのだ。


 他のすべての人、そべての存在が、それぞれ選んだ神の表現と同じように。


 限りなく豊かな人生だったのだ。


 それが私だった。


 そして、それでよかったのだ。






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Last updated  2012年07月13日 10時14分56秒 コメント(4) | コメントを書く


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