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【竹風堂 栗もなか】世の中で、〝正統派〟というスタイルがあまり際立たなくなって久しいですね。例えば、文学の世界で言うと、もちろん芥川賞が存在する限り純文学は生き残るとは思いますが、じゃあそれこそが正統派なのかと言われると、そうでもないような・・・音楽の世界なら、日本人の魂を揺さぶるはずの演歌も、一定層には支持されてはいるものの、正統派とまでは言えないような・・・いや、正統派というのは浄瑠璃のような日本の伝統芸能を指すのだと言われてしまえば、もう何も言えないけれど・・・でもお菓子の世界では、まだまだ正統派スタイルが残っているのです。はい。今回私がリポートするのは、竹風堂の栗もなかですが、この最中を正統派と言わず何と言うのか⁈ぐらいのインパクトがあるのでご紹介します。上記のように、栗の形を模しているだけでも可愛いのに、中に入っている餡もしっかり栗を使った栗あんのみの純栗もなかなのです!今どきレモンケーキだってレモンの形はしているけれど、色は着色料を使用しているし、レモン果汁さえ使われていないことが多いのに、そんな中でも竹風堂の栗もなかは正に正統派と言えます。さらには最中の入っている袋。これもまた絵柄が栗なんです。栗以外の余分なイラストなんか入っていませんからね!この栗へのこだわり、栗愛(?)はスゴいですよね。正に正統派。*昔、スズキ自動車が何の迷いもなく〝Kei〟と名付けた軽自動車には驚きました(笑)そのまんまじゃん!正統派とは、実はそういうことなんでしょうか?竹風堂のダジャレに思わず笑ってしまうのですが、ネーミングの面白い商品を一つご紹介。竹風堂は本店が長野県の小布施(おぶせ)にあります。そこから商品名を考案されたのだと思うのですが、いわゆるブッセというお菓子に、『おーぶっせ』という商品名が付けられています。なんかもう、正統派というより、ベタな「お約束」と表現した方が良いのでしょうか?(笑)ちなみに私が気になるのは、ナガノパープルがサンドされた『おーぶっせ』。これ、ぜひ食べてみたいなぁ。私(吟遊映人)がこのおーぶっせを口にすることができるか否かは、筆頭管理人の懐事情と気前の良さにかかっているのです。~ご案内~●竹風堂 栗もなか●竹風堂 栗もなか袋●竹風堂 おーぶっせ
2024.06.15
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【 ノック 終末の訪問者 】「レドモンドは〝恨み〟、エイドリアンは〝養育〟、サブリナは〝癒し〟、レナードは〝導き〟。黙示録の四騎士だ。僕らは彼らの死を感じる必要があるんだ」「なぜ僕らが?」「特別なことなんかじゃない・・・わかるんだよ」2011年に起きた東日本大地震による被害者・行方不明者は、2万人を超える激甚災害となった。また、中国は武漢を起源とされる新型コロナウィルス感染症の世界的な蔓延。さらにはロシアによるウクライナへの本格的な軍事侵攻。パレスチナ問題・・・etcそれこそいろいろありすぎて、にわかに信じられないが、これらは全てわずか十数年の間に起きた歴史的事実なのだ。こんな状況が続いていると、オカルトや新興宗教など小指の先ほどの興味もない私でも、「すわ、世の終わりか⁈」と心胆寒からしめる心境に陥ってしまう。こんなときは、もう四の五の言わずに、シャマラン監督の作品を見るしかない、と思って私が選んだのは、『ノック終末の訪問者』なのだ。シャマラン作品の根底には、宗教的なニオイがプンプン漂っている。キリスト教の教義から引用させてもらうと、それはイエス・キリストがその身を犠牲にし、十字架の死を受け入れ、人類の罪を「あがなう」という行為。いわば、その尊い命を代価として神に差し出す代わりに、全人類の罪を赦されたということ。この解釈は、キリスト教圏ではない日本人にはあまり馴染みがないので、理解するのが難しい。日本古来の風習に例えるなら、人身御供のもっと神聖なものとして捉えたらどうだろう?要するに、自然災害などで甚大な被害が出ないようにするなめ、その土地や川を司る神様に、生娘や巫女などが生け贄にされたのである。(女性に限らず僧侶や罪人なども)現代ならそんな風習は科学的根拠がなく、人権侵害も甚だしいと一蹴してしまうところだが、古の人々の考え方はもっと原始的で自然に則っていたのだ。人が勝手に神様の持ち物である土地に築城したり、川に橋を架けたりするのは、神様を怒らせてしまうのも当たり前。「何とぞこの◯◯を生け贄として捧げ奉るので、その怒りを鎮め給え」と、人柱を立てたのである。前置きが長くなってしまったが、自然あふれる人里離れた山小屋に、アンドリューとエリック、それに養女のウェンが遊びに来ていた。もうすぐ8歳のウェンは、外でバッタを捕まえ、観察日記をつけていた。そこへ、スキンヘッドで両腕にびっしりタトゥーを入れた大男がやって来た。見かけによらず優しげな物言いで、ウェンと一緒にバッタを捕まえてくれる。ウェンは警戒心を持ちつつも、少しだけその大男と会話を交わすが、遠くから武器を持った見知らぬ3人が近付いて来るのに気が付いて、慌てて山小屋に逃げ帰る。ウェンには2人の父親がいて、どちらも養親である。アンドリューとエリックはゲイだった。2人は子どもを育てたいと願い、乳児院でウェンと出会った。結果、3人は家族となったのである。慌てて家に帰って来たウェンの話から、アンドリューとエリックはただ事ではないと、すぐに臨戦体制を取るが、結局、アンドリューもエリックも椅子に縛り付けられ、拘束されてしまうのだった。突然訪れた彼らは意外にも神妙な面持ちで、ウェンに対してはもちろん、アンドリューやエリックに対しても、拘束以上のことは何もしなかった。そして、4人の訪問者を代表して、大男のレナードという者が、「世界の終わりを防ぐために来た」と静かに言った。どうやら4人の訪問者たちは、この世界を救うために己を犠牲にする覚悟を決めているようだった。さらには、アンドリューたちにも、家族3人の中の誰かが犠牲となる決断をして欲しいと懇願するのだった。「辛い決断だが、選んだ者を殺さなければいけない。そうしなければ70億を超える人類は滅亡する」1.水が街を沈める(津波)2.未知の感染症が蔓延3.空が落ちる(飛行機の墜落)4.神の手が大地を焼き払う(落雷)ここからは私なりの考察になるが、M.ナイト.シャマラン監督のブレないテーマは「再生」である。これはシャマラン作品のどれを取っても感じられる生と死の宗教的ドラマなのだが、どんなに文明科学が進んでも、信仰に背を向けることはできないのだと断言する。要は、神の存在をクローズアップして、科学では割り切れない超自然的存在と向き合う作品スタイルを構築しているのだ。とは言え今回の作品は、いたるところに張り巡らされた伏線が上手く回収されていないのが気になった。世界の人口が80億を超える中で、なぜ4人の訪問者とエリックが命を賭すことになったのか。彼らを選んだ神の目的は一体何だったのか。そもそもアンドリューとエリックがゲイカップルという設定は必要だったのか。きっとその答えは、この作品を見た視聴者1人1人に委ねられているに違いない。2023年公開【監督】M.ナイト.シャマラン【出演】デイヴ・バウティスタ、ジョナサン・グロフ、ベン・オルドリッジそして!
2024.06.08
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