全5件 (5件中 1-5件目)
1
【草原の椅子】「みんな恐いんだよ。だけど圭輔、勇気を出せ。勇気を出して自分の足で歩くんだよ」「トーマは?」「俺は見てる。ここでお前をちゃんと見てる」この作品を見た時、「これってもしかして原作は浅田次郎かな?」と思った。実際は宮本輝なのだが、我ながらイイセンいってたのではなかろうか。久しぶりに邦画らしい邦画を見た気がした。やっぱり日本映画の目指すところは、こういうものでなければいけない。派手なアクションや次々と起こる殺人事件の謎解きは、ハリウッドにお任せしようではないか。メンタルの弱っている日本人には安心して鑑賞することのできる正統派の邦画をおすすめしたい。 主人公が至って平凡なサラリーマンという設定が取っつき易い。しかも妻と別れて大学生の娘と二人暮らしという、しがないビジネスマンの裏寂しさがひしひしと伝わって来る。マジメさが滲むのは、銀座のクラブやキャバクラで派手に飲むのではなく、ごく一般的な居酒屋でちびちびやっているシーンである。主人公の遠間に扮するのは佐藤浩市。この役者さんは年を経るごとに役の幅が広がっているような気がする。 ストーリーはこうだ。カメラメーカーに勤務する遠間は、仕事で疲れた体を癒すため、自宅で一杯やろうとしていた。ふいの電話に出てみると、取引先である“カメラのトガシ”社長であった。社長の富樫が「助けてほしい」と言う。愛人に別れ話を切り出したところ、逆上して灯油を全身にかけられてしまったとのこと。遠間は面倒なことに関わるのは避けたかったが、富樫の必死さに根負けし、車で迎えに出かけ、さらには自宅の風呂を貸してやるのだった。その後、富樫は関西人気質らしく、遠間の親切心が身に染みて「親友になってくれ!」と、頭を下げる。遠間はビジネス上の関係としか考えていなかったが、そういう泥臭い付き合いもいいかもしれないと、いつの間にか富樫と友情を深めていく。そんなある日、遠間の一人娘である弥生が、バイト先で知り合った上司の子どもを、しばらく預かることになった。子どもは男の子で4歳、名前を圭輔と言った。母親から度重なる虐待を受け、成長が遅れているのだった。遠間は子どもを預かることに反対したが、弥生の並々ならぬ気迫に圧倒され、渋々ながら協力することになった。 宮本輝のオリジナルの方を読んでいないため、この映画だけに関して感想を言わせてもらう。単純に捉えるのなら、身勝手な大人の無責任きわまりない育児放棄と虐待への批判である。無論、その一点だけではない。大人の友情、これが際立っている。何気ない親切心と、会話から生まれるほど良い親密さ。つかず離れずの節度ある交際というのは、だれもが目標とする友人との関係であろう。主人公・遠間と陶器店の女性店主・貴志子との関係は、ラストでちょっとムリが生じたようにも感じるが、それでも好感が持てる。大人になってからの恋愛は、このぐらいおっとりとしていて安定している方が、本物のように思えるからだ。 さらには、根っこのところで経済至上主義への痛烈な批判も感じられ、テーマは一つには絞れない。そんな中、パキスタン北西の地・フンザの、心が洗われるような風景は見ものである。“世界最後の桃源郷”と言われるだけあって、『草原の椅子』は、この風景のワンカットを見せるために作ったのではないかとさえ思うのだ。 2013年公開【監督】成島出【出演】佐藤浩市、西村雅彦、吉瀬美智子
2015.01.31
コメント(0)
【多島斗志之/症例A】◆ノンフィクションと見紛うミステリー小説とくに予備知識があったわけでもなく、何となく多島斗志之という著者に興味を持ち、『症例A』を読んでみた。サイコ・ホラーの大好きな私にとっては、メンタルのこういう領域を扱った作品に、年甲斐もなく好奇心を抑えられないのかもしれない。ところがページをめくっていくうちに、内容が思った以上に深刻であるのに気付いてしまった。世の女性たちが飛びついて喜びそうな精神分析というスタイルを、登場人物のセリフを通して真っ向から否定しているのだ。 「精神分析なんてのは、文学であって医療ではないんだ」 その痛烈極まる批判に、実は私も同感である。フロイトやユングなどを引用した心理学入門みたいな本が、あいかわらず人気だが、私は一切信じていない。 「患者の発言とか夢とかを材料にして勝手な解釈とこじつけをするような療法は、もう、いいかげんにやめてもらおうじゃないか」 話が飛躍してしまい恐縮だが、この小説が扱っているのは解離性同一性障害、いわゆる多重人格に関する症例を取り上げている。著者である多島斗志之は、早大経済学部卒で、代表作に『クリスマス黙示録』がある。ウィキペディアによれば、“世にも奇妙な物語”でいくつかの作品が映像化されているようだ。巻末に参考文献として取り上げられた図書の数を見ても分かるが、この著者の並々ならぬリアリティ追求の姿勢に、とても熱いものを感じる。 あらすじはこうだ。榊医師は精神科医として十年のキャリアがあるが、現在勤務する病院では三日目だった。そこで担当することになった亜左美(仮名)という17歳の高校生の診断を下すのにとても苦慮した。前任者である沢村医師(事故死した)は、亜左美を精神分裂病であろうと診断していたが、榊はそれに対し少なからず疑問を抱いていた。一方、上野にある首都国立博物館の学芸部に、江馬遥子は勤務していた。遥子は一通の封書を、金工室長である岸田に見せた。その手紙は、寺の住職をしていた遥子の父(故人)に宛てられたものだった。遥子の父は田舎で寺を継ぐ前、やはり都博の学芸部に勤務していた。差出人の五十嵐潤吉は、父の当時の同僚であった。古びた手紙には、重要文化財に指定されている青銅の狛犬が、実は贋作であることが書かれていた。遥子は真偽を確かめるため、金工の目利きである岸田に、狛犬の検査を依頼するのだった。 『症例A』では、精神病院内における榊医師を主とする話と、国立博物館に勤務する江馬遥子を主とする話が同時進行し、最終的に二つはつながっていく。途中、回りくどさを感じないわけでもないが、圧倒的なリアリティを感じさせる筆致に、ページをめくるのももどかしいほどである。単なるミステリー小説として紹介するには甚だ惜しい気もするが、ラストの純愛的なしめくくりに好感が持てる。読後の爽やかさがとても良い。しかしながら、著者の多島斗志之は現在、失踪中である。2009年に消息を絶っているらしい。(ウィキペディア参照)失踪当日に、友人らに「筆を置き、社会生活を終了します」との手紙が届いたとのこと。その後、依然として行方が知れないのが気になるところである。 『症例A』多島斗志之・著☆次回(読書案内No.155)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.01.24
コメント(0)
【プレステージ】「不可能を可能にしたいんだ」「人は言う。“現実は想像に及ばない”とね。だが違う。“人間は想像を超える”んだ。ところが世間というものは急な変化を好まない。最初に世界を変えたとき、私は先見者だと賞賛されたものだ。そして次のときは、、、引退を勧められたよ。でも今は引退を楽しんでいるがね」ストーリーは全体を通して、暗く、憂鬱なものだ。『奇術師』という小説を映画化したものとのことなので、オリジナルの方は分からないけれど、サスペンスというより男の嫉妬みたいなものをあぶり出しているように感じた。二人のマジシャンが良きライバルとして高め合う存在なら良かったのだが、お互いを意識するあまり憎しみやら復讐心やら、負のエネルギーで満ちているのだ。 久しぶりに目を見張ったのは、デヴィッド・ボウイの登場である。ビジュアル系ロック・ミュージシャンの先駆けとして旋風を巻き起こしたデヴィッド・ボウイも、今は気取りのない真摯な演技を見せてくれる、良き役者さんとなった。そのデヴィッド・ボウイが演じたのは、ニコラ・テスラという科学者の役である。この人物、実在した人である。発明家エジソンとは宿敵でもあった。エジソンとの確執は有名な話のようであるが、私はこの作品を見るまでテスラの名前さえ知らなかった。 さて、あらすじはこうだ。19世紀末のロンドンが舞台。若きアンジャーとボーデンはマジシャンを目指して、ミルトンのもとで修業をしていた。ある時、ミルトンのマジックの助手をしていたアンジャーの妻は、水槽から脱出するマジックに失敗し、溺死してしまう。その原因は、ボーデンがいつもとは異なる結び方でロープを縛ったからであった。愛する妻を失ったアンジャーは、ボーデンに対して憎悪を抱き、復讐を誓う。やがてアンジャーは、ボーデンのマジックを失敗させ、ボーデンの指2本を欠損させる大ケガを負わせることに成功した。そんなめに遭ったボーデンは、アンジャーに対して激しい憎しみを抱き、アンジャーに仕返しするのだった。こうして二人は互いに邪魔をしながら、復讐を繰り返していくのだった。 私が注目したのは、二人の主人公の生い立ちである。アンジャーは育ちが良く、貴族の出身。エンターテイナー性に優れるものの、マジックの発想や独創性に欠ける。一方、ボーデンは孤児として育ち、出自が明らかとなっていない。だがマジックのセンスは抜群で、卓越したテクニックを持っていた。もともと水と油のような関係の二人だったことから、貧しいボーデンがお坊ちゃん育ちのアンジャーに嫉妬心がなかったとは言えまい。下積み時代、すでに可愛らしい妻を持っていたアンジャーを、何とかして貶めてやりたいと思っていたかもしれない。そしてアンジャーの妻を意識的か無意識のうちか、水槽の脱出マジックで溺死させてしまうのだ。 アンジャーが瞬間移動のトリックを成功させるために、天才科学者であるテスラにその装置の製作を依頼する件がある。私は正に、アンジャーとボーデンの関係を、テスラとエジソンにかけようとしている製作者サイドの意図に気付いた。確執からは何も生み出さないことの証明。あるいは、二人の男の醜い嫉妬の行き着く先を表現した物語のようにも思えた。 2006年(米)、2007年(日)公開【監督】クリストファー・ノーラン【出演】ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、スカーレット・ヨハンソン
2015.01.17
コメント(0)
【小池真理子/ナルキッソスの鏡】◆90年代流行のサイコ・スリラーを堪能せよ「今年はチェック柄が流行だね」と、若い女性の何気ない会話を聞いたのは、つい最近のこと。そうかな?と思いながらも、確かにチェック柄のパンツやストールを身に着けている人を見かけた。でもじきに流行なんて廃れてゆくだろう。時代が一過性のものであるように、変わらないものなどないのだから。 『ナルキッソスの鏡』は、言ってみれば、スリラー小説だろう。こういうサイコ・スリラー的なジャンルが90年代の最初に、爆発的に流行したのを覚えているだろうか?有名なところで『羊たちの沈黙』がある。だが『ナルキッソスの鏡』を語る上で参考にしたいのは、『ミザリー』であろう。『ミザリー』は、1991年に公開されたホラー映画で、スティーヴン・キングの原作である。あの猟奇的な主人公を演じたのはキャシー・ベイツで、この作品によりアカデミー賞主演女優賞を受賞している。 話が逸れてしまったが、『ナルキッソスの鏡』を読んでいると、このキャシー・ベイツとオーバーラップしてしまいそうな登場人物がいて、思わずワクワクする。『ナルキッソスの鏡』が“すばる”に連載されたのも、1992年のことなので、当時としたらストライクゾーンのスリラー小説として話題にもなった。著者は小池真理子で、それまで恋愛小説を書いて来た作家だという印象が強い。成蹊大学文学部卒の言わずと知れた直木賞作家である。 あらすじはこうだ。真弓は地味で大人しい女性だったが、親友の乃里子の彼を愛してしまった。そしてその彼・健一郎も、いつのまにか乃里子より真弓を愛するようになった。二人は乃里子の目を盗んで、ドライブに出かけた。何一つ悪いことをしたわけではない乃里子に、二人は罪悪感を感じずにはいられなかったが、それでも二人は自分たちの気持ちを抑えられなかった。二人は人目を避けるように逢魔高原までやって来た。そして車を降り、川べりを散策した。すると一人の女が仁王立ちになって、釣り糸を垂れていた。その女は、まるで牛のように大きく、オーバーオールに半袖のTシャツを着ていた。女は無愛想だったが、二人に「野イチゴを食べにおいで」と家に誘って来た。断るのも失礼だと思った二人は、女の家に出かけて行くが、その後、生きて帰ることはなかったのである。 この手の小説は評価がとても難しい。映画ならゾクゾクするような臨場感とともに楽しめるだろうが、文章として頭に刻んでいくと、リアリティー不足を感じてしまうのも事実だからだ。著者の小池真理子の作風は、良い意味で大人しく静かである。ドギツイ性描写もバイオレンスもなく、物語は淡々と進んでいく。男女が何気ない生活の一コマから愛を育んでいくストーリー展開なら、あるいは逆に、別れを決意する結果に至るまでの物語なら、見事なドラマに完成させるエンターテイナーだと思われる。だがしかし、そこにミステリーや恐怖が伴うものは、視覚的にも聴覚的にも一考する余地があろう。 余談だが、吟遊映人のブログでは『ミザリー』の記事を掲載していない。本来なら参考作品として引用したいところなのに、残念でならない。『ナルキッソスの鏡』を読む前に『ミザリー』を見て、キャシー・ベイツの並々ならぬ演技に触れて頂きたい。本物のホラーとはこうあるべき、というのが分かる。映像による恐怖をとっくりと味わってもらいたいのだ。 『ナルキッソスの鏡』は、ある意味、小説の限界を知る作品とも言えるだろうか。 『ナルキッソスの鏡』小池真理子・著☆次回(読書案内No.154)は多島斗志之の『症例A』を予定しています。こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.01.11
コメント(0)
【プロメテウス】寒中お見舞い申し上げます。当ブログをご覧頂いている皆さま、年始はお元気にお過ごしいただけましたか?吟遊映人は、今年も映画や読書を中心にご案内させて頂きますので、何とぞよろしくお願い致します。「その船を止めないと大変なことになる! 帰り着く地球がなくなってしまう! それは、、、それは死を運ぶ宇宙船よ!」「つまり、我々に戦えと言うのか?」「戦ってもかなわないことぐらい、重々承知の上よ。でも止めなければ、、、」平成27年の幕開けにピッタリ(?)の作品をご紹介できることが嬉しい!やっぱり年の始めはガツンと来るようなインパクトの強いものでなくちゃ。人は皆、自分のルーツというものを知りたがる。それがすなわち、己を知ることになり得るのだから。 『プロメテウス』は、『エイリアン』のプロローグみたいなものだ。あの不気味でグロテスクなエイリアンが、どうやって誕生することになったのか、そこに焦点が当てられている。だが、エイリアンを探ることは、どうやら人類の起源をも探ることになるようなのだ。何回か見てみないと、解釈を誤ってしまいそうだけれど、少なくともエイリアンが自然発生的に誕生したわけではないことが分かる。そこには必ず「創造主」が存在するのだ。一方、時代は2089年が舞台となっているため、当然のように人が作り出したアンドロイドというものが存在する。アンドロイドの「創造主」は人であるが、どうもこのアンドロイドは人に対して反逆の精神(?)を抱いている。(アンドロイドは魂を持っていないはずなのに。)この宇宙人→人→アンドロイド、という関係性が、物語の軸になっていると私は考える。 ストーリーはこうだ。考古学者であるエリザベスは、古代遺跡の壁画から、人類を創造した知的生命体からの招待状ではないかと分析した。ウェイランド社による出資で、科学者たちを中心に編成された調査チームが、宇宙船プロメテウスに乗って未知なる惑星を目指した。エリザベスの論説では、エンジニアなる宇宙人が存在し、その異星人こそが人類を創造したのではないかというものだった。惑星に巨大なドーム状の岩山を発見し、着陸したところ、すぐにチームは調査を開始することにした。その岩山内で発見したのは、エンジニアらしき生命体が扉のところで頭部が切断された死体であった。エリザベスは、その死体の頭部をプロメテウスに持ち帰り、DNAを分析したところ、なんと人間のものと完全に一致するのだった。 さすがリドリー・スコット監督が手掛けたものだけあって、ビジュアルが美しいのなんのって!目の覚めるようなCGを駆使した見事な出来栄えなのだ。こういう作品を見ると、「ああ、やっぱり映画っていいなぁ」とつくづく感じる。近い将来、人類を取り巻く環境がこんなふうに変化するのかと思うと、ワクワクする!ロケ地を調べたらアイスランドとのこと。(ウィキペディア参照)広々としていて深遠で、勢いよく流れる滝など、マイナスイオンたっぷり感にあふれていた。だがそれだけじゃない、リドリー・スコット監督の十八番とも言える、リアルな気持ち悪さを表現しているシーンも見逃せない。それは、エリザベスが体内に寄生したエイリアンを、自動手術装置で異物摘出をする場面である。これは凄まじい!視聴者はこういうリアリティーによって、SFホラーを娯楽として楽しめるのだ。 作品には、おそらく重厚なテーマが掲げられていることは間違いない。しかし、大切なのは月のクレーターの細部ではなく、全体として眺める「お月様」の美しさなのだ。私はこの『プロメテウス』に、久しぶりの高揚感を覚えた。 余談だが、エイリアンとプレデターとの戦いがまた見たくなってしまった(笑)いずれにしても見事なSF超大作である。 2012年公開 【監督】リドリー・スコット【出演】ノオミ・ラパス、シャーリーズ・セロン、マイケル・ファスベンダー
2015.01.04
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1