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満たされれば満たされるほど、欲望のボーダーって高くなって行く。もちろん、その逆も。現状が悪ければ、悪いほど、ボーダーは低くなって行く。人によって、何を求めるかは違うだろうけれど、きっと、本当に必要なものって、一番低い時に望んでいるものなのだと思う。たとえば、もし私が戦時中に生まれていたなら、「死なないこと」だけを望むと思う。他には何もいらない、だからお願いって。でも、現実に私は、今の時代に生まれて、衣食住で苦労したこともなく育って来たわけで。そんな私の、一番低い時に望むものは、この歌の歌詞に出てくるような「生き続けることの意味」かな?って気がする。私は死のうとしたことはないけれど、積極的に死にたいと思ったこともないけれど、もともと、生きることへの執着みたいなものに欠けている部分がある。生きたくても生きられない人からすれば、腹の立つ台詞だろうけれど、「別に、死んでもいいや」みたいな感覚だ。もう生まれて来てしまったのだから、どうせなら最後までみずから舞台を降りたくないものだ、なんだかそれは負けのような気がする・・・みたいな感じがあるから、積極的に死のうとは思ったことはないのだけれど。せっかく生きてるわけだから、どうせなら楽しいことをいっぱい味わいたいものだ、とも思ってはいるのだけれど。とにかく、基本的には、生きることへの執着が希薄なので、大きなダメージを受けたりすると、へなへなになる。だからといって、やっぱり死のうとはしないのだけれど、ますます、「人生って修行の場なのね」みたいな、まるで仏教徒のようなことを呟きたくなってしまうのさ。そんな時、生き続けることの意味が、欲しくなる。憂鬱を吹き飛ばして元気に歩き出すための、心のよりどころみたいなものが。自分をしっかりと現実に繋ぎとめておくための、糸のようなものが。意味は、自分で探すもの、作るものなので、本を読んだって書いてやしない。人に聞いたって納得できるもんじゃない。それは自分の心の中をじっくり見つめることでしか見つからない。とにもかくにも、見つけ出し、または、既にあったそれの埃を振り払い、そして、なんとか、歩き出す。私の人生、そんなことの繰り返し。たぶん、この先も、そんなふうに続いて行くんだろう。 今日の一曲『蒼氓』山下達郎歌のタイトルを日記のタイトルにする設定は、当初の計画通り、今日でおしまい。いやー、一ヶ月、きつかったー。やっぱり制約があるって、たいへんですね(笑)本当はもっと、取り上げたい歌がいっぱいあったのですが、社会情勢的に、今はちょっとそぐわないかな?みたいな感じで、やめたりね。もともとは、春気分を満喫するのが目的で始めた企画だったので、夏頃にまた、やってみるかもしれません。その頃には、のほほんと夏を楽しめる世の中になっていることを祈りつつ、特別企画は、終了!!
2003年03月31日
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人間はみんな同じなのにね。国境だとか、宗教だとか、思想だとか、なんだかんだと境界線があったりして、争いの原因になっているけれど、そんなもん、いっそのこと、とっぱらってしまえたらいいのにね。テレビで戦争の様子を見ながら、そんなことを思い、そして次の瞬間、ふっと、同じ国の中でさえ、もっと身近で小さな身のまわりの世界の中でさえ、人は、人の価値の優劣をつけたがるものだもんな、境界線を作りたがるものなんだもんな、って思った。私に傷つく心があるのと同じく他の人にもそれはあるのだし、私に守りたいものがあるのと同じく、私に信じるものがあるのと同じく、他の人にもそれはあり、幸福を求める権利も、自分の意思を主張する権利も、背負うべき責任も、そして命の重さも、人間としての尊厳も、なにもかも、同じはずなのにね。ついつい、忘れてしまいがちだけど。自分がされたくないことは人もされたくないだろうって、そういう、ささやかなことが、大切なことで。お互いが楽しく暮らせることを最優先で、お互いにゆずれる部分はゆずりあってさ、お互いに相手の人格や自由を尊重しあってさ、折り合いつけられるところはなるべくつけながら、暮らして行くっていうかね。なんかよくわかんないけど、そういう、小さなレベルの人間関係から、平和って生まれてくんじゃないかな、と思う。作っていかなくちゃ、と思う。 今日の一曲『青空』ブルーハーツ
2003年03月30日
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親や周囲の人たち、誰にも、うまくなじめないと感じてた。子ども時代から十代、とにかく長いことずっと。なじめないということを、とても寂しく思いながらも、自分らしさを損なうことの方がイヤだった。自分らしく、ということに、とてもとてもこだわっていた。だけど大人になるにつれて、だんだんと、なんとなく「自分らしく」って言葉に、得体の知れない違和感みたいなものを感じるようになってきて。そんな頃にこの歌がちょうどヒットしてて、違和感の正体がわかった気がした。私は「自分らしさ」って檻を作ってたんだ、そのなかにとらわれていたんだって思った。心を自由に解き放っていたいからこその自分らしさのはずなのに、いつのまにか、反対に、心を不自由にするものとなってた。あるがまま、ありのままの自分が、自分なのだから、弱いのも、迷うのも、愚かなのも、マイナスの自分も、自分らしい自分のはずなのに、それには目を背けて、自分のうちに点々と存在するプラスの自分ばかりを追い求め、ほんとの自分はこんなんじゃないなんてふうに嘆いたりして、いつのまにか「理想の自分」が「本来の自分」と、ごっちゃになっていた。と、同時に、ある種、わがままや甘えの大義名分として、「自分らしく」という言葉を使うようにもなってもいた。つまりは、できもしない理想と、手前勝手な言い訳に縛られすぎて、だから、私、長いこと、同じ場所でぐるぐる回ってるんだなって気がついた。この歌の本来の意味は違うかもしれないけれど、私はこのフレーズから、そんなことを考えたのでした。 今日の一曲『名もなき詩』 Mr.Children
2003年03月29日
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最近はそうでもないのだけど、子どもの頃や学生時代に、自分が人間関係を築くうえで、大きく障害になっていたものって、「遠慮」と「プライド」だったような気がする。どういうわけだか私は、「自分のようなものが好きだと意思表示したら、 迷惑なんじゃないか?」という感じの不安を抱えていて、「私たち、友達だよね!」みたいな台詞も、「今日、一緒に遊ぼう」のような気軽な誘いの台詞も、口に出すのが、ひどく苦手だった。なんだか、しょっちゅう、迷惑なんじゃないか?不愉快なんじゃないか?ってことを気にしてしまう性格で。で、こんなに遠慮深いというのに、相手の態度によっては、いきなり180度の変化で、めちゃくちゃ強気になってしまうのだった(笑)仲間はずれにされたりした場合、それに気づいた段階で、自分からその人たちを切り捨てる。パシリ扱いされたり、かわいそうだから一緒にいてあげてる、というような態度をとられた場合も同様。それほど親しくない間柄の人に、感じ悪い態度をとられた場合も、その人の倍くらいの感じ悪い態度をとる始末。自分でもびっくりするほど、あからさま。よく考えたら、遠慮とプライドって、深い部分で繋がっているような気がする。つまりは、結局、すべては、プライドなのだと思う。プライドを傷つけられたくないから、あらかじめ遠慮深くしておく、ということ。「こっちは迷惑なのに、さっぱり気づかないんだよね」「友達だと思ってるなんて、勘違いはなはだしいよね」というような陰口を叩かれないよう、自己防衛というか、「こっちだってあんたなんかどうでもいいと思ってたよ」という感じの逃げ道というか。今でも、そういう変なプライドはあって、時々、ひょこっと顔を出す。自分のこういう部分、バカみたいだなーと思うし、好きじゃないので、あとから情けない気分になるのだけど。救いは、何故だか、恋愛に関してだけは、こういう変なプライドにまったく縛られていないところかな。素直じゃない方がかっこ悪いと思うの、恋愛は。相手が自分をどう思っているのかに左右されることなく、素直に自分はこうだよって言えることの方に、プライドを持ってたい。でもさ、ほんとは、すべてにおいて、そうなんだよね。保身が目的のプライドは、変なプライド。縛られることの方がかっこ悪いしろもの。ほんとの意味のプライドだけを、大事にしたい。と思いつつも、いまだに、なかなか、完全には割り切れないのが、悲しいところです。 今日の一曲『PRIDE』今井美樹
2003年03月28日
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美しく整理された花壇よりも、雑草だらけの野原の方が好き。何万円もするような華やかな花よりも、あるふれてるけど、たくましい野の花の方が好き。どうして?って訊ねられても、ただ、好きとしか、答えられないのだけど。子どもの頃は野原がいっぱいあったけど、最近はとっても少なくなってしまった。砂利道もすっかり姿を消した。どこもかしこも、綺麗に整備されちゃって。いいんだけど、でも、なんとなく寂しい。なんとなくつまらない。自然のままの姿は、ここしかない景色だったけど、だけど綺麗に整備されちゃった姿は、ここじゃなくても、どこででも見られそうな景色。人の心の雑草は、自然に沸き起こる感情。それは感情の中で、もっとも激しくて、もっとも打たれ強い、たくましい感情。それをないがしろにして生きてたら、せっかくの自分らしさが磨り減ってしまいそう。生まれた時から備わってるはずの、生命力も、弱々しくなって行ってしまいそう。それって、すっごく、もったいないね。 今日の一曲『Wild Flower 花のしらべ』PaniCrew
2003年03月27日
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子どもの頃から今にいたるまでずっと、あてもなくぶらぶらするのが好きだったりする。たぶん、大人でこういう人は少ないと思うんだけど。移動手段はいろいろ。徒歩だったり、自転車だったり、時間がいっぱいある時はバスや地下鉄、汽車に乗ったりもして。用事で出かけても、時間がよっぽどない時以外は、その付近の散策をしながら帰って来る。だから足が棒になっちゃうんだけど、楽しいから、全然、平気。行ったことのない場所、見たことのない景色って、ほんと、心惹かれる。名所も、そうじゃない所も、なんでもかんでも。人に言うと「あんたって暇だねえ」と言われるけど、暇つぶしじゃなくて、好きなのさ、ぶらぶらするのが。「変わってるねえ」とも言われるけど、好きなんだから、しょうがない。お金と自由な時間がもっといっぱいあったなら、日本中をぶらぶらしたいくらいです。今日は、今年はじめて、自転車に乗った。風と太陽が気持ち良くって、嬉しくなった。そして頭の中で流れていたのは、この曲。 今日の一曲『イージュー★ライダー』奥田民生
2003年03月26日
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すごく好きなんです、この歌の歌詞。諦めてないからかな。たくましい感じがするからかな。そして、厳しさもあるからかな。私は、どんな時のどんな自分でも、否定したり肯定したりじゃなくて、「ありのままの現実」として受け入れたい。いろんなもの、いろんな人、否定したり肯定したりじゃなくて、「ありのままの姿」を見つめたい。認識したい。ありのままがわからなければ、どんなふうにも広がって行くことができないから。めざす場所にたどり着けるわけがないって気がするから。ありのままがわからなければ、広がって行けないこと、たどり着けないということすら、わからなくて、迷子のままでさまようことになってしまうから。なんだか歌詞の内容と違った日記になっちゃったけど。 今日の一曲『SURREAL』浜崎あゆみ
2003年03月25日
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高校時代の3年間。大体、3日に一度くらいの割合で、近所に住んでた彼と、夜の散歩をしていた。7時半から9時までの一時間半。何故、夜だったかといえば、私たちは別々の学校に通っていたし、彼はクラブ活動に熱心な人だったので、会える時間がその時間しかなかったのだった。田舎の新興住宅地だったので、お店はなかったし、その時間は人も車もほとんど通っていなかった。親は門限さえ守れば協力的という態度だった。なので、私たちは、何にも煩わされることなく、のほほんと夜の散歩を楽しんでいた。公園でブランコに乗りながら、はしゃいだり、適当な石段を見つけて腰掛けながらお喋りしたり、ぼーっと星を眺めたり、ひたすらてくてく歩き続けたり。ラブラブな雰囲気はほとんどなくて、夜の空間を貸しきりにして遊んでる子どもみたいに、時を過ごしてた。最後に二人で夜の散歩をしたのは3月の終わり頃だった。さよならをしてから3ヶ月くらいたった或る日、偶然、バスで会い、ちょうど引越を間近に控えていたこともあって、「ちょっと話そうよ」と私が誘ったのだった。いつものんびり散歩していた道を、お互いに会わずにいた間の話をしたり、意味もなくふざけて大笑いしたりしながら、ぐるぐるぐるぐる歩き続けた。陽がすっかり落ちてしまっても、話がつきず、お互いに「じゃあね」って言えなくて。通りがかったバスに乗って、街に出て、「はじめてだね、こういうの」なんて言いながら歩いたことのない道を散歩して。最終バスで戻って来ても、やっぱり「じゃあね」が言えなくて。ふたたび、ぐるぐる歩き続けて(笑)もうとっくに門限を越えていたけれど、ぐるぐるぐるぐる。毎年、今の季節になると、あの夜を思い出す。悲しくて、せつなくて、どうしようもないのに、なんともいえなく楽しくもあったあの夜のこと。 今日の一曲『さくらの咲くころに』渡辺美里
2003年03月24日
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私は人が何してようが、言ってようが、別にいいんじゃないかって感じでいる。そんなのその人の勝手だ。私も私の勝手だからとやかく言われたくない。だから人にもとやかく言わない。まあ、そういうことさ。なので、友達が、誰かのことを批判してる時なんかに、ひとりで、涼しい顔をしていることが、よくある。私は人のことで批判めいたことを言うことが、ほとんどないので、「ココナツって変」とかって言われる。たしかに変かもしれないから、それは別にいいんだけど、「ココナツって心が広いのね」もしくは、「ココナツって淡白なのよね」というふうなことを言われると、それは違う!まったく違う!と、思う。自分が迷惑かけられたら、涼しい顔なんかしてないですもん。自分が迷惑かけられるわけじゃないなら、人が何してようと何考えてようと気にならない、でも、迷惑かけられたら、文句つけるよ。そこで、何が悪いの?みたいな態度とられたら、喧嘩も辞さないよ(笑)滅多にないけどさ。そういう目にあうこと。バスで着替えしてる人を女子高生を見ても、別になんとも思いませんが、バス停で横入りされたら、「並んでるんですけどー」と言わずにいられないですよ。くだらない例で、ごめんなさいね。よく考えたら、私、人に文句言う時、みんなの迷惑だからやめてくれ、って言い方はしないですね。常識的にどうだこうだって言い方もしないです。みんなの迷惑だの常識だのって曖昧だから。「私が迷惑なんだよっ」っていう感じでいきますね。自分が迷惑ということは、鮮明な事実だから。迷惑かけられたから、その相手を嫌いになる、みたいなことはないです。そのふたつって自分の中で結びついてないですね。迷惑かけられたから、迷惑かけられたってアピールする。ただそれだけ。他意はないです。意見が違っても、別に、やな感じになったりしないしね。常識にてらしあわせて、ガーッと言ったりもしないし。「私は違うけどね」って、「そしてあなたはそうなのね。ふむふむ」って、それだけですね。「あら、なるほどね」って思ったら、結構すんなり受け入れるしね。そんなとこで意地張ってもしょうがないしね。なんだか、とりとめのない日記になっちゃった。とにかく、心広くないし、淡白でもないってことで。日記をいつも読んでくれてる人は、誰もそんなこと思ってないか。 今日の一曲『言論の自由』RCサクセション
2003年03月23日
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人間の盾の人たちのことをテレビで見てて、複雑な気持ちになった。私はいつも、戦争反対のデモをやってるような人たちを見ると、「この人たちは、 もしも自分がやられたとしてもこの主張をできるのかな?」と思っていた。たとえば、北朝鮮から戦争をしかけられたとして、それでもやっぱり戦争反対と主張できるのかな。交戦せずに、やられるままで死んでいくことを選べるのかな。なかなか、そこまでの覚悟のある人はいない気がする。だとしたら、ちょっと筋が通ってないんじゃないかって気がする。そこに、ある種の限界みたいなのを感じてしまう。違う方向で行った方がいいんじゃないの?って思う。そういう意味で、人間の盾の人たちは筋が通っている。あの人たちは自分の命がなくなるかもしれなくても、戦争、そして暴力に反対し続ける人なのだわ。だから、私は、あの人たちに、矛盾を感じてはいないのだけど。ああいう生き方を否定するつもりはないのだけど。でも、肯定する気にもなれない。まったくなれない。なんとも言えなく複雑な気持ち。どうしてだろう。それはただ命を無駄にしていることになるのでは?と思っちゃうからだろうか。うーん。 今日の一曲『拝啓 ジョン・レノン』真心ブラザーズ
2003年03月22日
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子どもの頃は神さまを信じてた。だけど、だんだんと大きくなるにしたがって、神さまなんかいやしないって思うようになった。ブラウン管の向こう側では、何も悪いことをしてないはずの人々が、戦争や飢え、病気で、苦しんでいた。もっと身近な世界でもおんなじで、良い人が報われるわけじゃなく、悪い人に天罰がくだるわけでもなかった。キリスト教では、信ずる者は救われると言う。信ずる者しか救わないってことだ。(世界を見渡せば、 信ずる者自体、救われてるのか?って気がするけど)聖書を読めば、神さまがどれほど、別の宗教を持つ人々に残酷かがよくわかる。これじゃあ独裁者と変わりないじゃないか、と思った。条件つきでしか救わないって、なんなの、それ。だから、私は、自分の中に存在する良心や希望なんかを、神さまだと思うことにしているのさ。もしかしたら、本当に、宗教で語られているような神さまはいるのかもしれないけれど、少なくとも、その神さまは、慈愛に満ちてなんかいないみたいだから。残酷で気まぐれな独裁者のようだから。そんな奴を尊敬なんかできないし、従うのも悔しいじゃないですか。 今日の一曲『残酷な天使のテーゼ』高橋洋子
2003年03月21日
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「私、バカだからー」って、卑下だか、言い訳してんだか、わかんないバカは、嫌いだけど、「あいつ、バカじゃないか?」って陰口叩かれながらも、自分の哲学を、守り続けるバカは、大好きだ。世の中をうまく渡ってく方法は知っていても、それに身をまかせられるほど、恥知らずでも器用でもなくて、ぶつかってばかり、傷ついてばかり。それでも、自分の美学を、捨てたりしない人が、大好きだ。自分の弱さやみっともなさに嘆く日があっても、いつかは必ず、今よりもっともっと、「大好きな自分」になってやるって気持ちを、持ち続けている人が、大好きだ。 今日の一曲『アゲハ』フライングキッズ
2003年03月20日
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かつて、RCサクセションやブルーハーツなんかが、こぞって、反原発のメッセージソングを歌ってた頃。彼らのファンだった私は、その思想にすっかりかぶれ、「原発はいらねー♪」などと口づさんだりしてた。広瀬隆の『危険な話』も読んだ。ますます、こりゃ危険だわと思った。が、さらに調べてくにつれて、「原発は危険だけど必要だ、しゃあない」という考えになった。原発をなくそうとするなら、電気の使用量をぐんと減らさなくちゃならない。自分はそれはしたくない。危険と省エネ、量りにかけて、私は危険の方を選ぶわ、と思ったのさ。苦渋の選択だけど。ここでどっちを選ぶかは、その人の考え方次第だと思う。自分は危険の可能性が少しでもあるなら反対だ、と思う人もいることでしょう。そしてたぶん、こっちの方が正論でしょう。が、たとえ正論でも、みずから省エネを実践するわけじゃなく、代替案を出すでもなく、ただ「反対」と喚いているだけなら、意味ないと思うけど。(ちなみに、省エネと書いてますが、 ちょっとやそっとの省エネじゃ全然ダメです)ま、それはともかくとして。その後、原発反対運動はすっかり下火になった。一種のブームだったのかも。いや、それ以上に、原発を支持する側の活動が、うまいこといったってことなのかも。「原発は安全です」のイメージ戦略大成功ってことか。茨城で原発事故が起きた時、テレビでニュース映像を見ていて、びっくりした。「この人たちは、発電所の近くに住んでいながら、 放射能の怖さを知らないのかしら」と思って。カメラの前でふざけてる子どもたち。親は何してるんだろうと思った。しかも雨が降ってるのに。ハゲるぞ。事故発生後、ぱぱっと、避難勧告が出なかったので迅速に避難できなかった、と、国や企業を責める論調にも驚いた。国や企業の落ち度は勿論あるのだけど、私なら勧告が出なくても事故に気づいた時点で逃げる。でも、一番びっくりしたのは、事故を起こした作業員。危ないものを取り扱ってるって意識に欠けすぎ。そんなわけで、私は本当にもう、「信じられない、なんで知らないんだろう」と首を傾げていたのだけど、それを、まわりの人何人かに言ってみたところ、ほとんどの人が、「え、そういうもんなの?」って反応だったので、もっと、びっくりした。原発の危険性、放射能の怖さって、一般常識なのかと思ってたけど、そうじゃなかったの!?って感じで。原発を受け入れること自体は、いい。私もそうだし。でも、そこには、「危険なものではあるけれど現状では原発に頼るしかない」という認識が必要というか。特に直接携わる人が認識不足なんていうのは、もってのほか。茨城の事故は不幸中の幸いで、それほど大きなものではなかったけれど、今後、もっと大きな規模の事故が起きた場合、(全国の原子力発電所は老朽化しています。 発電所にテポドンが飛んでくる可能性もなきにしもあらず)今のままの認識不足でいたら、知っていたら助かるかもしれなかった人も大勢死ぬよ。これって、原発に限ったことじゃないと思う。自分の身を守りたければ自分で情報を仕入れましょう。知ってるからって危険を回避できるってもんじゃないけど、知らないよりは被害を少なくできるんだから。最悪の事態に見舞われてから、「知らなかった・・・教えてくれないから悪い」と、誰かのせいにしてみたところで、もう遅いのさ。今日の一曲『明日なき世界』RCサクセション
2003年03月19日
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AさんとBさんの問題は、当事者同士が解決する努力をしなくては、どうにもならない問題。まわりがいくら、解決の方向を示しても、結局のところ、当事者のうちのどちらかが、そっぽを向いているのでは、ダメなのだから。自分にかかった火の粉は自分で払え。自分で払おうとしてる人じゃなくちゃ、部外者がいくら頑張ってもどうにもならない。あなたが一生懸命に火の粉を払おうとするのなら、たくさんの人がそれを手伝うだろう。だから、まずは、あなたが。そんなことを思った。もうすぐ戦争が始まるかもしれない今日、思った。今ならまだ戦争は回避できる。イラク国民の安全を守る責任があるのはフセイン。守れるのもフセイン。フセインは、どうしたいと思っているの?もし大量破壊兵器なんか本当にないというなら、アメリカが動くわけには行かなくなるくらいの証拠を出して。兵器はあるけどそれを持たなくてはならない事情があったというなら、国際的な場に出て、それを説明して。国民の命を守るために、できる限りの努力をして。それが国を統べる者の責任なんだから。その責任を放棄するというのなら、あなたにはその位置にいる資格がないということを、認めてください。今日の一曲『Castle imitation』鬼束ちひろ
2003年03月18日
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なんだってんだ。また雪だ。寒くなったり温かくなったり、変わりすぎだ、毎日のお天気。おかげで体調が悪くなっちゃってます。もしかして中国で大流行の新型肺炎!?なわけないか。とにかくにも、春の妖精かなんかがいるならば、気合が足りないぞって言いたいですね。ついでに自分の体にも。気合だ、気合。あー鼻水が止まらない。すっきりしないぞっそんなわけで今日の一曲は、踊りだしたくなるような一曲。ラルク・アン・シエルの『STAY AWAY』何か提案した時にリスク部分ばかりあげつらねる人との会話って、つまらないですね。「でも・・・」「だけど・・・」ってね。私はとりあえず、やってみる方です。でもこういう人ばかりだと、危なっかしくてしょうがないか。「でも・・・」の人がいるから、世の中うまく回ってるのかもしれないね。
2003年03月17日
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彼といると、私は普通。なにもかもをさらけ出してるとは思わないけど、特にそれを意識することもなく、普通にしてる。考えてみると、最初の頃からそうだった。前の恋の時とは、まるで違う私がいる。彼のために、とか、自分より彼を大切にしたい、とかって気持ちでいっぱいで、彼のダメな部分も全部受け入れるわなんて思ったりしてて、まるで天使のようだわ、自分、って思ってた、前の恋では。無理しなくても自然に優しくなれるから、彼といる時の自分が一番好きで。そういう恋をしていることが誇らしくって。今は、天使じゃなくて、普通の人の私。複雑な自分のいろいろについては、「受け止めろってんだ」くらいの気持ちだし、あなたがよければそれでいいの、なんてことも考えていない。それでよくない。ちっともよくない。普通の人の私は、よく笑い、よく泣き、よく怒る。彼と出会い、見つけた自分が、いっぱいいる。ちっぽけで、かっこ悪くて、ずるくもある自分。でも、たぶん、こっちが自然な自分なんだろうから、まあいいやって感じだ。彼といる時の自分が好きとは別に思わないけど、彼が好き、彼と一緒にいることが好き。そんだけ。誇らしくもない、別に。恥じてもいないけど(笑)ほんと、難しいこととか、理想とか、何も考えてない。なわけで、せっかく記念日だから何か書こうと思ったんだけど、語るようなことって特にないや。大体、こっぱずかしいや。というわけで、歌でお茶を濁すことにしますね。今日の一曲『ANNIVERSARY』松任谷由実
2003年03月16日
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たいへんな思いをした果てに手に入れたものってとっても価値のあるものになる。低い山より高い山の方がのぼった時に気持ちいい。春は冬のあとだからこそ気持ちいい。だから結局。終わってから、振り返ってみたならわかることではあるけれど。苦しいとか、悲しいとかって目にあったとしても、損はないのだと思う。労力が大きければ、得られるものも大きくて。労力が小さければ、得られるものも小さくて。うまくバランスとれているような気がする。自分ばかりが損をしてるとか、不幸だとか、そんなふうにばかり考えている人は、せっかく準備されてるご褒美の存在に気づけずにいる人。だから、もらいそこねてしまうのさ。きっと。今日の一曲『夢の続き』竹内まりや
2003年03月15日
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小さい頃から、風のイメージが、好きで。好きって言うより、落ち着くって感じかな。風とおしの良い場所。風とおしの良い関係。風とおしの良い生き方。みたいなものに、居心地の良さを感じる。風とおしの良くない状態にいると、息苦しさを感じて、風に吹かれたくなる。星占いだと、私の水瓶座は風の星座だしね。あんまり関係ないかな。風は自由。変幻自在。そして永遠。今日の一曲『I STAND ALONE』松たか子たぶん、この歌、知らない人の方が多いと思うのですが、私、とても好きなんです。
2003年03月14日
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こりゃダメだーって時に、ぱぱっと諦めて、方向転換する潔さって、すごく大切だと思う。でも、どうしようって迷っているのなら、慌てて答を出す必要は、ないんじゃないかなって気がする。いつか答が出るまで、同じ場所に、立ち止まっていたっていいでしょ。立ち止まってるからこそ見える景色もあるのだし。今がすべてじゃないんだし。人生長いんだし。もしかして一生、答が出ないかもしれないけど、それはそれでいいんじゃないかなって思う。理由はどうあれ、続けたという事で得られるもの、続けることでしか得られないものっていうのも、あるんだから。無理にでも答を出して、方向転換した結果、得られるものっていうのも、あるけどね。どっちでもいい。結局のところ、どちらを選ぶかはお好み次第。私は、風に乗って、生きてきます。未来に期待する気持ちを浮力にしてね。今日の一曲『GO GO HAPPY DAY』NOKKO
2003年03月13日
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私はアーティストのライブに行ったことがない。行きたいんだけど、そうでもないかも。彼と出会ってから。リクエストにこたえて、なんでも歌ってくれる気前のいい人。知らない歌なら勝手に節をつけて歌ってくれる。私は彼の歌が一番、好き。すごく、上手なのさ。しょせん素人だなんて言わないで。だって、私のためだけのラブソング。私に向けられるラブソング。彼が自分で選ぶ曲は、ハウンドドック。その世代なんで(笑)私はハウンドドックには興味なかったのだけど、彼と付き合い始めてから、ハウンドドックメドレーを歌えるほどに覚えてしまったよ。ちょっとね、こっぱずかしい歌詞だったりするんだけど、ふたりきりの空間だしね、 じーんと来たりするんだな、これが。 今日の一曲『ONLY LOVE』ハウンドドック あーハズカシイ。
2003年03月12日
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今がピークで、あとは落ちてくばかり。なんていうのは、いやだ。なんであれ。それじゃあ続けてく意味がないような気がしちゃうから。第一、つまんない。結果的にどうかってことは、ともかくとして、最初から、「そういうものだから」って諦めちゃうのはいやなのさ。諦めながら歩いてくなんてしたくない。なんだったら目指すものの形を変えたっていいから、「もっと広がっていきたい」「もっと増えて行きたい」「今よりもっと素敵になりたい」ってふうに、いつでもどんなことでも、未来に、今以上を期待しながら歩いて行きたいんだ。今日の一曲『朝陽のあたる道』オリジナルラブ
2003年03月11日
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「あ、俺があげたオルゴール・・・埃まみれ」彼が言った。恥ずかしかった。私はオルゴールの存在すら忘れてた。置きっ放し、埃だらけ。「ねえ、前にあげた指輪しないの?」彼が言った。ドキっとした。実を言うと何処にやってしまったかわからない。「きみって俺に用もないのに電話かけて来ることってないよね」彼が言った。声が聞きたいとかって思わないの?会えなくて寂しくないの?不安じゃないの?・・・そういうこと、あんまり考えない。「きみってほんとに俺のことが好きなのかなあ」好きなつもりだった。人生最大の「好き」だと思ってたほどだ。彼は疑わしそうな顔をしていたけれど。もしも私が同じことをされたとしたら?特になんとも思わない。こんなんで本当に自分のことを好きなのかなあ?なんて思わない。だって私、こんなんでも相手のことを好きな人を知ってるから。それって自分のことなんだけど。私は。信じててもらえなかった時、傷ついた。信じてて大丈夫だよって言葉を、信じていてくれなかったことに傷ついた。二人でした約束を勝手にやぶられた時、悲しくなった。私はあなたにだけは守れない約束はしないと決めてたのに。あなたはそうじゃなかったんだねって、悲しくなった。めんどくさそうに「送っていくよ」と言われた時、寂しくなった。私を別の色に塗り替えようとしているのを感じた時、寂しくなった。もしも彼が同じことをされたなら?なんとも思わないのかもしれないって気がした。それって、求めてるものが違うってことなんだと思う。前には、それに気づいた時に、ダメなんだなって思ってしまっていたけれど、今は、諦めてしまうのはいやだから、自分の中にちょっとづつ彼の価値観を育てたいなと思う。彼の中に私の価値観の種を蒔いて行きたいと思う。お互いの心の中で、私の価値観と彼の価値観がとけあって、新しい価値観が生まれたらいいなと思う。その新しい価値観を共有していけたら素敵と思ってる。今日の一曲『DISTANCE』宇多田ヒカル
2003年03月10日
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幾つかの傷をこさえてしまった二人は、気がつけば、言ってはいけない言葉だらけになっていて。たとえば、好きだと言う、単純な言葉さえ、口に出せばプレッシャーになってしまうから。以前はたわいなく口にした未来の約束も、痛みをともない、せつなくなるばかり。二人で積み重ねた思い出の話って手はあったけれど、いつか恋が壊れかけた時に、「思い出話で引き止めるなんてずるいよ」って言われてから、言えなくなっていた。過去も未来もなくて、今だけの私たちの、言葉をなくした臆病な私たちの、放っておけばどんどん広がっていく隙間を埋める術は、ふざけたり、抱き合ったりすることしか、ないような気がしてた。「こんなふうでいいのかな」と彼が呟くたび、「いいんじゃない?」って答えていたけれど、本当は良くないってこと、ちゃんとわかってた。大切なことから逃げているってこと、ちゃんとわかってた。それでも、もう少し、今を引き伸ばしていたかったんだ。さよならの準備が、まだできていなかったんだ。けれど、それだけではなくて。どうせ、あとは壊れるばかりの恋ならば、二人して、とことんダメになってしまいたかった。私の中の彼への幻想も、彼の中の私への幻想も、なにもかもを、汚してしまいたかった。もう戻りたくない、もう戻ってはいけないと、思えるくらいに、粉々にしてしまいたかった。ふざけあって抱きしめあって、数少ない言っても良い言葉を使って、今を引き伸ばしながら、次の瞬間には、最悪の壊し方を探してた頃。 今日の一曲『気まぐれ』スガシカオ
2003年03月09日
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ヒソカに自分のテーマソングのようにも思っている歌。今日の一曲『進め なまけもの』斉藤和義甘ったれた歌詞なんです。かっこ悪いんです。情けないんです。だけど、これが本音だったりする。なまけものは、なまけものなりに、甘ったれたり、言い訳してみたり、たまに自分を奮い立たせたりしながらさ、まあとりあえず、最後に笑えることを目標に。
2003年03月08日
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15歳。卒業式から数日たったある日、春休みの学校に友達と遊びに行った。なにをしに行ったのかは忘れてしまったけれど。数日前まで、私たちの教室だったはずのその部屋は、もう既に、なんとなくそらぞらしい雰囲気で、なんだか寂しい気持ちになりながら、それでも友達と私は、お互いの心に流れるそんな思いには触れないで、わざとはしゃぎあっていた。「あ、ココナツ。ちょっと来て来て」突然、大きな声で呼ばれて、振り返ると、友達は私の彼が使ってた机をのぞきこんでいた。そこにあったのは、私の名前。机に私の名前を書いてる彼を想像して、照れくさいような、おかしいような、しあわせな気分になった。見つけたことは彼には言わなかった。どうして言わなかったのかは自分でもわからないのだけど。話は変わって、高校3年の夏の頃、ちょっとした悪戯をした。卒業の頃に見つけてもらえるようにと、彼の教科書の最後の方のページに、こっそりメッセージを書いておいたのだった。別々の高校に通っていた彼が、教室で、ふいに私のメッセージを見つけた時の気分を想像しながら。ワクワクしながら。私の悪戯を見つけた時の彼は、きっと私が彼の机を覗き込んだ時に感じたような、照れくさいようなしあわせな気持ちにはならなかったと思う。なぜって、その時、私たちはもう、終わってしまっていたのだから。「ずっと仲良くして行きたいね(パンダのイラスト付き)」 今日の一曲『卒業写真』荒井由実
2003年03月07日
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別に卒業・入学するわけでも、入社や引越するわけでもないのに、はっきり言っちゃえば、昨日までと同じカラーの毎日が続いていく私なのに、なんだか新しい気分になってしまうのは春の魔法かな。せっかくだから、恋でもしてみようかな。あんまり柄じゃないけど、甘ったるい恋でもしてみようかな。彼に。昨日までもずっと一緒の、見慣れた彼に。2003年春バージョンの恋を、今日から始めましょう。今日の一曲『ロマンス』原田知世
2003年03月06日
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春めいた光と風が、心地良くって、なんだかとてもいい気分で歩いていたら、知らない女の人に声をかけられた。体つきの雰囲気や年恰好なんかが、どことなく、数年前に亡くなった祖母に似ている、その人は、「かわいそうに。折れているんですよ」と言った。なんのことかと思いながら、視線の先を目で追うと、桜の枝が一本、今にも千切れそうに、ゆらゆら風に揺れていた。陽射しは春めいて来たとはいえ、雪だらけの風景。言われなければ気がつかなかった。桜の木があることになんか。いつもの通り道なのに、すっかり忘れていた。女の人は私と枝をかわるがわるに見ていた。ああ、そうか、と思った。折れてしまった枝はどうせこのまま枯れてしまう、だから家に持って帰りたいということか。女の人は背が小さくて、そこまで手が届かないのだった。なので言ってみた。「とりましょうか?」背伸びして、その細い枝をつかんでみて、幾つかの蕾がくっついていることに気がついた。うわあ、まだこんなに寒いのに、もう蕾がいっぱいだ。見ると、他の枝にも、たくさんの蕾がついている。「はい、どうぞ」「ありがとう」「きれいな花が咲くといいですね」そんな会話をかわして、にこにこしあって、そしてまた歩き始めた時、私はさっきよりさらにワクワクした気分になっていた。ほんとにもうじき春なんだなあ。昨日も一昨日も雪が降ったのに、桜は寒さに負けたりせずに、ちゃくちゃくと春の準備をしていたんだなあ。すごい、すごい。私も春の準備を始めなくちゃ。明日は薄手のコートで外に出てみよう。今日の一曲『スウィート・ソウル・レヴュー』Pizzicato Five
2003年03月05日
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いつか、と書いておいて、次の日の日記に書くのもどうかと思うのだけど、「本当の私」でいたなら、人に好かれない。という思いを抱えていたことについて書きたいと思う。とりあえず、本当の自分って言葉は、つきつめて考えないで欲しい。ただ単に、素の自分という意味なので。私は人に好かれたいと思ってる子ではなかった。あらかじめ、好かれないものだと思っていたから、そういう贅沢な所にまで考えが及ばなかったのだ。それに、たまに、好かれてるような気がした時も、一体どうしてだろう?この人は何か大きな勘違いをしてるんじゃないか?いつか、がっかりされてしまうんじゃないか?などと考えてしまうので、どうにも落ち着かなかった。だから、別に、好かれたくなかった。そうして、嫌われたくなかった。嫌われると意地悪されたり見下されたり、みじめな目にあわされて、ろくなことがないから。好かれたくないし嫌われたくない。そんなわけで、私は、人と踏み込んだ付き合いをすることができなかった。いつもある一定の距離を保っていないと落ち着かなかった。「本当の私」を知られることに怯えてもいたので、距離は絶対に必要だった。「本当の私」を知られることに怯える私は、他人の「本当の姿」を知ることにも怯えていた。私は人の心の闇のようなものが怖かった。生々しい生活臭を感じると嫌悪を感じた。自分のすべてを受け入れられないわけだから、人のすべても受け入れられないというわけだ。踏み込んで来られたことによって、付き合うことが鬱陶しいような怖いような気持ちになり、あらためて距離をとってしまったことが何度もある。がっかりされてしまうのが不安で、相手の期待する自分を演じてみせたり、思わぬ時にがっかりされるくらいなら、みずからそうしてしまえとわざと偽悪的にふるまうことで、プライドの折り合いをつけてみたり、とにかく、誰といても、リラックスできなかった。いつでも気をはっていた。近くに誰かがいるってだけで、くたびれた。自分は一生、こうやって生きていくのかなと思うと、うんざりもした。「本当の私」でいたなら、人に好かれない。私の抱えていた問題のすべては、そこに通じていたような気がする。まったくもって、大きな呪縛だったと思う。正直言って、今でも、その呪縛から、完全に解放されているわけじゃない。かなりの部分で楽になったけれど、まだまだ、どんなに近い存在の人にでも、自分の何もかもをさらけ出す勇気はない。(でも、何もかもさらけ出してる人なんているんだろうか)どんなに好きな相手とだって、四六時中一緒にいるのは疲れてしまうし、それを望む相手だったら、絶対、自分は根をあげると思う。逃げ出したくなると思う。それでも、ちょっとづつ、ましになってきた。人を受け入れることができるようにもなったし、偽ることなく人と向き合えるようにもなったし。何年もかかって、ようやくここまでって感じだけれど、とりあえず、去年よりも今年、というふうに、楽になってきているのだから、今年よりも来年、来年よりも再来年と、どんどん、楽になっていけるように思う。だから、いい。「本当の私」でいたなら、人に好かれない。でも私は「本当の私」を好きだと思えるようになったから、他の誰が見捨てても私は私を見捨てないと思えるようになったから、だから、いい。 今日の一曲『空』大黒摩季
2003年03月04日
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私の母は、「もし血が繋がってなかったら、 あんたみたいな子は好きになれない」という言い方をよくしていた。それを言われるたび、私は複雑な気持ちになった。親から愛されているという実感を持てずに子ども時代を過ごした、ということを、私はよくこのHPで書いている。それは本当にそうなのだけれど、実のところ、それって完全に正確な表現じゃなかったりする。つまり、血が繋がってるから愛されているが、血が繋がってなければ愛どころか好かれもしないのだと感じていた、ということだ。簡単に言えば、「私は親から、人間的に愛されてはいない」血の繋がりゆえの愛情を、否定する気はない。たいていの親子間の愛情というのは、血の繋がりによって結びついているのだと思うし、血の繋がりゆえの愛情だからこそ、それ以外のことには無条件であり、無償であったりもするわけだし。たいていの人は、そのことに、親の愛の深さを感じこそすれ、ひっかかりを感じたりしないのだと思う。私はたまたま、親から、ずばりと、「もし血が繋がってなかったら、 あんたみたいな子は好きになれない」という言葉を言われていたものだから、考えてしまったのだった。血が繋がっていなければ愛されない自分、ということについて。それは、血なんてものをとっぱらった、1人の人間としての自分には、母に好かれる要素がまったくないということに繋がる。事実、母は、私の考え方、感性などの、私が私であることの核になっている部分を否定していたわけだし。世の中の誰よりも「本当の私」を知っている人である母に、血が繋がっていなければ好きになれないと言われることによって、私はこう感じた。「本当の私」でいたなら、人に好かれない。そのことをコンプレックスに感じて、どうしてこうして、という話をすると、脱線するので、いつか書くことにして、省略するけれど、とにもかくにも、私は、そういう経緯から、血の繋がりゆえの愛情というものに懐疑的になった。否定はしないけれど、自分としては、そういう愛情なら嬉しくないという感じになった。それは今も続いていて、血の繋がりのある母に対してよりも、血の繋がりがないのに愛情を注いでくれる父に対する感謝の方が大きいのは、だからだったりする。そして、子ども時代のある時期からずっと、少しも迷うことなく、親よりも、友達や彼というような存在の方を、大切だと思い続けてきたのも、だからだったりするんです。 今日の一曲『スワロウテイルバタフライ あいのうた』 Yen Town Band
2003年03月03日
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誰でも一度は人を殺したいと思ったことがあるはず、ということを言う人って結構いるけど、私はない。普通、あるのか???と、不思議に思う。いつも。私はそういう面で、ずるいのかもしれない。自分が大事なのでそんなリスク背負いたくないっていう意識が、とても強い。それでもって、弱いのかもしれない。人の死なんていう、とてつもなく大きな罪悪感に、耐えられそうもない。なので、人を殺したいなんて考えたことがない。そこまで追い詰められたことがないからだと、言われるかもしれないけど、ずるくて弱い私は、追い詰められる前にさっさと逃げ出しているから、追い詰められたことがないわけなので、それを言われても困る。なので、ほんと、わからないのだ。人を殺したい、という気持ちが。 今日の一曲『カウントダウン』Cocco
2003年03月02日
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三ヶ月くらい前から、どうも、首や肩のあたりが痛い。もともと、こりやすい方ではあるけれど、それにしたって、何をやってもいつまでたっても治らないのは、珍しい。なので、原因を考えてみた。仕事のせいかとも思ったけれど、内容的に以前と同じような仕事なので、いつまでも、こり続けるっていうのは、納得行かない。で、思い当たったのが、まくら。そのくらいの時期に変えたんだわ、まくらを。もともと私は高いまくらが好きで、普通のまくらを折って使ったり、まくらの上に小さなクッションを乗っけたりしていたのだけど、テレビで、「高いまくらは美容と健康に悪い、 まくらはない方が良いくらいだ」とやってるのを見て、これはいけない!と、低いまくらに変えたのだった。すっかり、自分は美容と健康に良いまくらを使っていると思い込んでいたけど、冷静に考えてみれば、そんなもん、人それぞれに決まってるじゃないか。ああ、間抜けだった。というわけで、今夜から、思いっきり高いまくらで寝ようと思います。自分には自分のあったやりかたが一番いいのさ。そうなのさ。高いまくら、最高。今日の一曲『SMOKIN’BILLY』 ミッシェル・ガン・エレファント
2003年03月01日
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