《櫻井ジャーナル》

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2009.08.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 24年前の8月12日、日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落し、乗客乗員524名のうち、520名が死亡した。

 運輸省事故調査委員会の武田峻委員長は、墜落が「昭和53年(1978年=引用者注)大阪国際空港における事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました」としているが、この見解に疑問を持っている関係者は少なくない。

 隔壁が損壊し、尾翼が内部圧力で吹き飛ばされ、操縦系統も失われて墜落したというのだが、そうなると客室では急減圧が起こり、酸素マスクをつけなければ3分もすると小学校1年の国語教科書を読む速度が遅くなり、6分30秒を経過すると手に痙攣が見られるようになり、チアノーゼで指先が紫色に近くなるとされている。ところが、異常が発生してから約9分後でも123便の機長は酸素マスクをつけていないのに、手の痙攣や意識障害はなかった可能性が高い。

 このほか、技術的な疑問点は、航空関係者が詳しく検証、調査委員会の結論を批判しているので、ここでは深入りしない。ともかく、再現実験では、調査委員会のシナリオが有りえないことは確認されたと聞いている。

 事件から10年後、1995年8月にアメリカ軍の準機関紙スターズ・アンド・ストライプスに寄稿されたマイケル・アントヌッチの体験談は衝撃的な内容で、日本のマスコミは重要部分を伝えなかった。

 アントヌッチは123便に異常事態が発生したころ、C-130輸送機に乗り、横田基地に向かって大島上空を飛行していた。18時40分のコールが叫び声のように聞こえ、尋常でないと感じられたため、C-130の乗組員は横田基地の管制から許可を受けた上で、日航機に接近を図っている。

 123便が墜落したのは18時56分だが、その地点をC-130は24分後の19時20分に特定、報告している。運輸省に捜索本部が設置されたのは19時45分なので、捜索を始めた時点で日本政府は日航機の墜落現場を正確に把握していたはずであり、地上でも目撃者から正確な墜落位置を知らされていた。ところが、捜索隊は別の場所を探すことになる。故意に発見を遅らせようとしていた可能性が高い。

 C-130が墜落現場に到着した直後、厚木基地から海兵隊の救援チームが現地に向かっている。20時50分には救援チームのヘリコプターが現地に到着、2名の隊員を地上に降ろそうとしたのだが、このときに基地から全員がすぐに引き上げるように命令されている。日本の救援機が現地に急行しているので大丈夫だということだった。

 命令を受けた後もアメリカ軍側は現場にいたのだが、21時20分に航空機が現れたことから日本の救援部隊が到着したと判断、その場を離れている。ところが、日本の捜索隊が墜落現場に到着したのは翌日の8時半だとされている。



 墜落後にヘリコプターの音が聞こえたとも話しているが、これは米海兵隊のヘリコプターであり、しばらくして離れていったのは、帰還命令に従って戻ったからだと推測できる。そのほかの航空機について話されていないということは、現場に到着したはずの救援機はどこへ消えたのだろうか?この事件で撃墜説を追いかけていた某記者には脅迫があったと聞いている。





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最終更新日  2009.08.12 02:48:15


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