今から52年前の3月16日、南ベトナムのカンガイ州にあるソンミ村にミライ地区とミケ地区で農民がウィリアム・カリー大尉が率いる小隊に虐殺された。アメリカ軍によると犠牲者の数はミライ地区だけで347名、ベトナム側の主張ではミライ地区とミケ地区を合わせて504名だという。この虐殺はCIAが特殊部隊を使って実行していた皆殺し作戦フェニックス・プログラムの一環、つまりアメリカ軍の作戦ではなかった。
虐殺が発覚した一因は、農民が殺害されている最中に現場の上空にさしかかったアメリカ軍のOH-23偵察ヘリコプターが介入したからだ。ヘリコプターからヒュー・トンプソンという兵士が農民を助けるために地上へ降りたのだ。その際、トンプソンは同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったなら銃撃するように命令していたとされている。
事件が報道されるとCIAは事件の隠蔽を図る。調査を任されたウィリアム・ピアーズ将軍は第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIA台湾支局長を務め、その後もCIAとの関係は続いていた。
その調査を受けて16名が告発されたものの、裁判を受けたのは4人にすぎず、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけだ。そのカリーもすぐに減刑されている。ソンミ村での虐殺を責任に問えば、フェニックス・プログラム全体が問題になってしまうからだ。
そうした虐殺事件などをもみ消す役割を負っていたひとりが1968年7月に少佐としてベトナム入りしたコリン・パウエル。カリー大尉の小隊は第23歩兵師団に所属していたが、パウエルが配属されたのも第23歩兵師団で、虐殺について知っていた。
トンプソンを含むアメリカ軍の兵士は帰国後、ベトナムで住民を虐殺している実態を議員などに告発しているが、政治家は動かない。アメリカ軍には従軍記者や従軍カメラマンがいたが、そうした人びとも沈黙を守った。虐殺事件を明らかにする記事を書いたシーモア・ハーシュは従軍していたわけではなく、ジェフリー・コーワンという人物から聞いて取材を始めたのである。
コーワンは1968年の大統領選挙で民主党の上院議員でベトナム戦争に反対していたユージン・マッカーシーの選挙キャンペーンに参加していたが、ハーシュもマッカーシー陣営にいた。コーワンがソンミ村の虐殺をハーシュへ伝えられた一因は、彼の父親がCBSの社長を務めたルイス・コーワンで、母親のポリー・コーワンはテレビやラジオのプロデューサーだということだろう。
有力メディアはベトナム戦争でアメリカの戦争犯罪を報道しようとしなかった。デボラ・デイビスによると、アメリカの支配層が第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃からモッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトが始められ(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)、ウォーターゲート事件を取材したことで有名な元ワシントン・ポスト紙記者のカール・バーンスタインによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
また、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、 ウド・ウルフコテ
アメリカをはじめとする西側の有力メディアはユーゴスラビアやイラクへの先制攻撃、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を傭兵として使った侵略戦争、あるいはCOVID-19(新型コロナウイルス)に関して偽報道を続けてきた。彼らに「報道の自由」を期待することは犯罪的だ。