イランのイスラム革命防衛隊の特殊部隊「コッズ軍」を指揮していたガーセム・ソレイマーニーがバグダッド国際空港でアメリカ軍に暗殺されたのは2年前の1月3日だった。その際、イスラエルが協力していたことも判明している。
その日、ソレイマーニーは緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えてバグダッドを訪れたとイラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディは語っている。
2017年6月からサウジアラビア皇太子を務めているモハメド・ビン・サルマンは新自由主義の信奉者で、ドナルド・トランプを担いでいる勢力と関係は深かい。前任者のホマメド・ビン・ナイェフが皇太子に就任したのは2015年4月だが、その当時、次期アメリカ大統領にヒラリー・クリントンが内定したと噂されていた。そのヒラリーが2016年の大統領でトランプに負け、その結果としての皇太子交代だと推測する人は少なくない。
そのビン・サルマン皇太子がアメリカの意向に反する動きをしていたことになるが、その原因はイエメンへの侵略戦争が泥沼化、アメリカの政策によってサウジアラビア経済が苦境に陥ったことにあると見えられている。
アメリカのバラク・オバマ政権は2014年2月にウクライナでネオ・ナチを利用したクーデターを成功させ、アメリカとイギリスの情報機関は同年9月から12月まで香港で「佔領行動(雨傘運動)」と呼ばれる反中国運動を行った。
ウクライナのクーデターはEUとロシアを分断、両者を弱体化させることが目的。そこでアメリカは経済戦争も仕掛けている。ロシアは石油や天然ガスが輸出の主力商品だが、そのエネルギー資源による収入を減らすため、石油相場を下落させたと信じられている。
2014年にWTI原油の相場は110ドルを超す水準まで上昇したが、同年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王は紅海の近くで会談、それから相場は加速度的に下げ足を速めていった。この階段で原油相場を引き下げる謀議があったと言われている。年明け直後には50ドルを切り、2016年1月には40ドルを割り込んだ。
ところが、原油価格の下落はロシアでなくサウジアラビアやアメリカの経済にダメージを与えることになった。ロシアの場合、石油相場と同じようにロシアの通貨ルーブルも値下がりしたことからルーブルで決済しているロシアはアメリカの私的権力が望んだようなダメージは受けなかった。
アメリカでは生産コストの高いシェール・ガス/オイル業界が苦境に陥り、サウジアラビアも財政が悪化する。2014年にサウジアラビアは約390億ドルの財政赤字になり、15年には約980億ドルに膨らんだと言われている。
2019年12月に相場は1バーレル当たり66ドルだったが、年明け後から「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」騒動が本格化して経済活動が麻痺、相場は急落。2020年4月には20ドルまで下がった。そうしたタイミングで、ソレイマーニーをアメリカは暗殺したわけだ。イランやサウジアラビアを脅しておく必要があると考えたのだろう。その後、相場は上昇していく。
ソレイマーニーが暗殺された後、イランのジャマカラン・モスクには報復を象徴する赤い旗が掲げられた。イラン・イラク戦争の際にも掲げられなかったもので、その意味するところは重い。1月7日にはロシアのウラジミル・プーチン大統領がシリアを突如訪問してバシャール・アル・アサド大統領と会談した。
喪が明けた直後の1月8日早朝、 イラン軍はアメリカ軍が駐留しているイラク西部のアイン・アル・アサド空軍基地やエル・ビルを含も2基地に対して約35機のミサイルで攻撃 、犠牲者が出ているとも伝えられている。50分後にエルビル空港近くのアメリカ軍基地などに対して第2波の攻撃があったという。この攻撃に対し、アメリカは何もできなかった。
イラン革命防衛隊の海軍を指揮しているアリレザ・タンシリは昨年11月21日、多くは報道されていないが、 イラン海軍がアメリカ海軍と海上で9度にわたって衝突 、9名が犠牲になったと語った。そのうち6回は過去18カ月の間に起こったという。
昨年10月の終わりにアメリカ軍がオマーン湾でイランの石油を運ぶタンカーを拿捕し、その石油をベトナム船籍のタンカーへ移して盗もうとしたと発表 された。
11月3日にイラン政府が公表した映像を見ると、イランが派遣した複数の高速艇がアメリカの艦艇の周辺を航行する一方、ヘリコプターからIRGC(イラン革命防衛隊)の兵士がタンカーへ降りている。