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フランスのエマニュエル・マクロン大統領はNATOの地上軍をウクライナへ派遣した意図しているが、すでにNATO軍の将校が民間人を装ってウクライナへ入り、ロシアとの戦闘に参加していると言われている。 バラク・オバマ政権はNATOの訓練を受けたネオ・ナチのグループを使い、2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その直後に新体制を支えるため、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだほか、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加させていた。2015年からはCIAがウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練している。 ル・フィガロ紙の特派員、ジョージ・マルブルノによると、アメリカ陸軍の特殊部隊デルタ・フォース(第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)やイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)も戦闘に参加していた。ポーランドやバルト諸国からも戦闘員が入っていると言われている。その一方、兵器を供給し、兵士を訓練、軍事情報を提供している。 アメリカ/NATOがウクライナへ供給した西側の兵器の扱いにウクライナ兵は慣れていない。そこで操作するための要員が必要で、民間人を装っているかどうかはともかく、相当数の兵士が西側からウクライナへ入っているはずだ。 ロシア軍は今年1月16日にウクライナのハリコフを攻撃、軍事施設のほか、情報機関や軍関係者が滞在していた旧ハリコフ・パレス・ホテルを破壊した。この建物には200人近くの外国人傭兵が滞在していたと言われ、相当数の死傷者が出たという。犠牲になった戦闘員の大半はフランス人傭兵で、そのうち60名が死亡、20人以上が医療施設に搬送されたと伝えられている。この日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は40発のスカルプ巡航ミサイルと「数百発の爆弾」をキエフに送ると約束している。 ここにきてアメリカはウクライナでロシアに敗北した責任をウクライナ政府に負わせて撤退しようとしていると言われ、ドイツやイギリスを含むヨーロッパ諸国もウクライナへ地上軍を派兵する計画はないと発表している。フランスだけがロシアとの戦争へ向かって前のめりになっている。 マクロンはウクライナでロシアを勝たせるわけにはいかないと主張しているようだが、欧米諸国はすでに特殊部隊を含む戦闘員をウクライナへ送り込み、武器弾薬も供給してきた。その戦闘でウクライナ軍は兵士が足りなくなり、アメリカ/NATOの兵器庫は空になったとも言われている。日本に武器を提供させようとしているのはそのためだ。 そうした中、アメリカ/NATO軍が地上軍を送り込んでロシア軍に勝とうとするならば、核兵器を使わざるをえなくなるだろう。勿論、世界大戦だ。アメリカやイギリスも同じだろうが、マクロンを操っている支配層はロシアや中国を簡単に倒せるという前提で世界制覇計画を描いているように見える。ロシアや中国を倒せなければ、その計画が崩れる。「COVID-19ワクチン」プロジェクト、あるいは「リセット」も崩壊する可能性がある。人類の存続を危うくするようなことをしてきたことが明確にされ、プロジェクトの推進者たちは責任を問われることも考えられる。
2024.02.29
ウクライナの現体制はアメリカやイギリスの支配層を後ろ盾にしているが、体制を維持する仕組みを支えているのはステパン・バンデラを信奉するネオ・ナチにほかならない。ウクライナに限らず、第2次世界大戦後にネオ・ナチを保護、育成してきたのはアメリカやイギリスの情報機関だ。 バンデラは第2次世界大戦の前に組織されたOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。当初、この組織を率いていたのはイェブヘーン・コノバーレツィだが、1938年5月に暗殺された後、内部対立が激しくなる。 1941年3月にその対立は頂点に達し、アンドレイ・メルニクを中心とするグループ(OUN-M)とバンデラを中心とするグループ(OUN-B)に割れた。ドイツはOUN-Bに資金を提供、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。この年の6月、ドイツはソ連へ軍事侵攻を開始した。バルバロッサ作戦だ。その一方、イギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーはバンデラ派を雇っている。 ウクライナのリビウを制圧したドイツ軍はOUNのような排他的なナショナリストとユダヤ人を虐殺しはじめ、6月30日から7月2日にかけて犠牲になった人の数は4000名から8000名だと推測されている。ウクライナ西部全体に拡大すると、7月に殺されたユダヤ人の数は3万8000名から3万9000名に達するという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) レベジと同じようにバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコは仲間とウクライナの独立を宣言、ナチスの親衛隊は7月からOUN-Bのメンバーを次々に逮捕していくのだが、活動が止まったわけではない。8月にレベジたちはOUN-Mの幹部ふたりを射殺している。9月になるとゲシュタポがウクライナのナショナリストを摘発し始め、その年の12月にOUN-Bは1500名のメンバーが逮捕されたと発表している。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) 1943年1月にドイツ軍はスターリングラードで降伏、ドイツの敗北は決定的になった。その年の春にOUN-BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立。OUNやUPAの幹部のうち半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(前掲書) UPAはユダヤ人やポーランド人を虐殺しているが、その際、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出すようなこともしている。脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたという。1943年から45年の間にOUN-BとUPAが殺したポーランド人は7万人から10万人と言われている(前掲書) 1945年5月にドイツが降伏した後、OUN-Bの少なからぬメンバーはオーストリアのインスブルックへ逃げ込み、夏になるとバンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンの機関に匿われていく。 ゲーレンはドイツ陸軍参謀本部第12課(情報部門)の課長を務めていた軍人で、ドイツの敗北が決定的になっていた1944年にOSSのフランク・ウィズナーを介してアレン・ダレスのグループと接触、ソ連に関する情報を持っていたゲーレンにダレスは興味を持った。そのゲーレンに雇われたバンデラがCIAの指揮下に入るのは必然だ。 OUN-Bが組織した反ボルシェビキ戦線は1946年4月にABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。WACLはCIAが秘密工作を行う際の道具として機能している。WACL/WLFDの役割は小さくなったが、ウクライナで実権を握っているネオ・ナチは対ロシア戦争の最前線にいる。
2024.02.28
厚生労働省は2月27日、昨年12月分の「人口動態統計速報」を発表した。「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種者数は減少しているものの、死亡者数は14万6357人と水準は依然として高い。
2024.02.28
ウクライナのキリーロ・ブダノフGUR(国防省情報総局)総局長はアレクセイ・ナワリヌイの死について、原因は血栓であり、自然死だと発言した。ブダノフはCIAの訓練を受けた経験がると言われ、アメリカの政府や有力メディアによる宣伝に反することを口にしたことから注目されている。 ナワリヌイはシベリアの刑務所で散歩中に気分が悪くなり、意識を失い、死亡したとされているのだが、西側では例によって根拠を示すことなく「殺された」と宣伝されていた。ロシアの医師は血栓の可能性があるとしていたが、ブダノフの発言はこれを確認するものだ。 西側では「ロシアの反体制派指導者」と宣伝されているナワリヌイだが、ロシアでは人気がない。支持者は2%程度だと言われていたが、今ではほとんどいないだろう。 刑務所へ入られれた理由は財政詐欺だ。彼は弟とダミー会社を設立、数千万ルーブルを盗んだとされ、兄のオレグ・ナワリヌイは3年半の禁固刑を受け、アレクセイも執行猶予のついた禁固刑を受けていた。昨年年8月には懲役19年が言い渡され、シベリアのIK-3刑務所コロニーへ送られていた。 西側では「英雄」として扱われてきたナワリヌイだが、ロシア国内では影響力がない。そうした人物を殺す理由がウラジミル・プーチン政権にはないのだ。むしろ、その死で利益を得るのはウクライナで敗北し、ガザでの虐殺を批判され、国内問題も山積みのジョー・バイデン政権だろう。ブダノフ発言はバイデン政権や有力メディアを困惑させているかもしれない。 ブダノフ発言の背後にバイデン政権とウォロディミル・ゼレンスキー政権との軋轢があるとする見方もある。ウクライナでロシアに敗北したアメリカ/NATOはウクライナ政府に責任を負わせて撤退しようとしているのではないかというのだ。 2月25日にニューヨーク・タイムズ紙はCIAがウクライナ領内にロシアとの国境に近い地域に12の秘密基地を作っていたと報じたのだが、ロシア外務省の報道官であるマリア・ザハロワは「なぜニューヨーク・タイムズ紙は今になってこの問題について懸念を表明しているのか?」と疑問を口にした。 2013年11月にキエフにあるユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で「カーニバル」的な反政府イベントをはじめて人を集め、14年2月にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したクーデターの黒幕はアメリカのバラク・オバマ政権だ。ネオ・ナチをはじめとするクーデター参加者がポーランドやバルト3国の基地でNATOの訓練を受けていたことは本ブログでも書いた。 ヤヌコビッチ政権が倒された直後にSBU(ウクライナ安全保障庁)の長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコはCIAやMI6の現地責任者に電話し、両者をSBUの本部へ招待したとしているが、クーデターの前からナリバイチェンコはCIAの影響下にあったとする証言がある。クーデターの後に新政権がCIAに連絡したという主張は正しくないと元CIA分析官のラリー・ジョンソンも指摘している。 こうした主張をニューヨーク・タイムズ紙が行った理由はアメリカ政府がウクライナのテロ攻撃を抑制しようとしたと人びとに信じさせたいからで、彼らはウクライナでの戦闘を切り上げ、自分たちは引き上げるため、全責任をゼレンスキー政権になすりつけようとしているのではないかともジョンソンは推測している。 そうしたアメリカ政府の動きを察し、ブダノフはナワリヌイの話をしたのかもしれない。
2024.02.27
アメリカの情報機関CIAがウクライナ領内、ロシアとの国境に近い地域に12の秘密基地を作っていたとニューヨーク・タイムズ紙が伝えている。建設が始まったのは2014年2月にアメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した直後だ。 CIAが築いた基地には地下司令部があり、そこでロシア軍の通信を傍受、偵察衛星を監視している。ロシア軍の動きはウクライナ軍へ伝え、さらにロシア領内へのドローンやミサイルでの攻撃を支援してきた。ウクライナ側の説明によると、ロシアだけでなく中国やベラルーシの偵察衛星もハッキングしているという。 CIAは電子機器を利用した情報の収集だけでなく、ロシア国内に工作員を潜入させ、ネットワークを築いてきたともされている。実際、ロシア国内で破壊活動を繰り返してきた。こうしたことは以前から常識化していた話だ。 ウクライナの情報機関はロシア国内に築いたネットワークを利用して情報を収集するだけでなく、暗殺も行ってきた。GUR(国防省情報総局)総局長のキリーロ・ブダノフは「この世界のどこにいてもロシア人を狙い殺し続ける」と語ったとヤフーは昨年5月6日に伝えていた。 ブダノフも所属していた2245部隊はウクライナの精鋭部隊と言われ、2016年頃からCIAの訓練を受けている。またCIAのエンジニアは入手したロシア軍のドローンや通信機を分解、解析してロシア側の暗号を解読できるようにしたという。 2014年2月にヤヌコビッチ大統領が排除された直後にSBU(ウクライナ安全保障庁)の長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコはその前からCIAの影響下にあったと言われているが、長官に就任してまもない段階でCIAやMI6の現地責任者に電話し、両者をSBUの本部へ招待したという。CIA長官のジョン・ブレナンがキエフを訪れたのはその直後である。 アメリカはベトナム戦争の頃からふたつの戦闘組織が同じ戦場で戦ってきた。ひとつは正規軍、もうひとつはCIA/特殊部隊だ。 ベトナムへの軍事介入を中止、部隊を引き上げることを大統領として決めたジョン・F・ケネディが暗殺された翌年の8月、アメリカ政府は偽旗作戦で本格的な軍事介入への突破口を開いた。トンキン湾事件だ。 リンドン・ジョンソン政権は北ベトナムへの空爆と地上部隊の派遣を決めるが、その裏でCIA/特殊部隊は秘密プログラム「フェニックス」を始めた。CIAの分析官でNSC(国家安全保障会議)のメンバーだったロバート・コマーは1967年5月にサイゴン入りし、ICEXを始動させたのだが、これが後のフェニックスだ。このプログラムは「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画」されていた。共同体を破壊しようとしたのだ。 この作戦に参加した将校や下士官は合わせて126名で、特殊部隊のSEALsから隊員を引き抜いたとされているが、作戦の命令はCIAから出ていた。つまり統合参謀本部の指揮系統とは別の戦闘組織が作られたのである。 この組織で実働部隊として動いていたのは、CIAが1967年7月に組織したPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。PRUを構成していたのは殺人を含む凶悪事件で投獄されていた囚人たちが中心だったという。 1968年11月にコマーの後任としてウイリアム・コルビーがサイゴンへやって来た。その8カ月前、3月にソンミ村事件が引き起こされたが、これもフェニックス・プログラムの一環だ。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990) 1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で農民が虐殺された。アメリカ陸軍の第23歩兵師団第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊に所属するウィリアム・カリー大尉の率いる第1小隊に虐殺されたのだ。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。 この虐殺を止めたのは現場の上空にさしかかったアメリカ軍のヘリコプターに乗っていた兵士。アメリカ軍に従軍していた記者やカメラマンはこの虐殺を知っていたが、報道していない。虐殺事件をアメリカの議員らに告発したアメリカ軍兵士もいたのだが、政治家も動かなかった。 しかし、ワシントンDCでユージン・マッカーシー上院議員の選挙キャンペーンに参加していたジェフリー・コーワンからこの話を聞き、取材を始めた記者がいる。フリーランスだったシーモア・ハーシュだ。 彼は虐殺を記事にしたのだが、ライフやルックといった有名な雑誌は記事の掲載を拒否、ディスパッチ・ニュース・サービスという小さな通信社を通じて伝えることができた。1969年11月のことだ。 虐殺の4カ月後の1968年7月にコリン・パウエル少佐(当時)がベトナム入りをした。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官に就任したあのパウエルだ。彼が配属されたのは第23歩兵師団。彼自身、事件後に現場を訪れて衝撃を受けたと2004年5月4日に放送されたCNNのラリー・キング・ライブで語っているのだが、ジャーナリストのロバート・パリーらによると、パウエルは軍の幹部にとって都合の悪い情報を握りつぶすことが彼の仕事だった。その後、彼が出世できたのは働きぶりが評価されたのだろう。 CIAと特殊部隊は第2次世界大戦が終わるまで同じ組織に含まれていた。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのはコミュニストを主体とするレジスタンスだけ。1943年1月にドイツ軍がスターリングラードでソ連軍に降伏すると、イギリス政府とアメリカ政府はカサブランカで会談、同年7月に両国軍はシチリア島へ上陸する。同島もコミュニストの影響力が強かったことから、アメリカの情報機関はマフィアに接近し、協力を得た。そして大戦後、マフィアはCIAの手先として働き始める。 1944年になるとイギリスとアメリカの情報機関はフランスでゲリラ戦部隊を編成する。ジェドバラだ。そのメンバーのひとりがコルビーにほかならない。このジェドバラ人脈は大戦後に分割され、一部は特殊部隊へ入り、一部は極秘の破壊工作機関OPCへ入る。OPCは1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスが副長官としてCIAへ乗り込んだ。 アメリカとイギリスはヨーロッパを支配する仕組みとしてNATOを組織するが、その一方で破壊活動を目的とする秘密部隊のネットワークを築いた。中でも有名な秘密部隊がイタリアのグラディオだ。ウクライナのネオ・ナチもこのネットワークに組み込まれていると言われている。
2024.02.27
アメリカ政府が2022年10月12日に発表した「NSS(国家安全保障戦略)」によると、彼らは「大国間競争」、つまりロシアや中国との戦いが始まっていると考え、中国を主敵と位置付けたようだ。同年10月28日に出された「NDS(国家防衛戦略)」でも中国をアメリカの「ペーシング・チャレンジ」、つまり主敵だとしている。 ウクライナではこの年の初頭からウォロディミル・ゼレンスキー政権はドンバス周辺に部隊を集結させ、攻撃を始めていた。ウクライナ軍はドンバスへ侵攻、民族浄化作戦を行う予定だったことが後に判明するのだが、ロシア側はその情報を入手していたようだ。 ロシア軍は2022年2月24日からミサイル攻撃を開始、ドンバス周辺に集結していたウクライナ軍の部隊を壊滅させた。その際航空基地やレーダー施設だけでなく、生物兵器の研究開発施設を破壊、機密文書を回収している。 この段階でロシア軍の勝利は確定的で、イスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役とする停戦交渉が始まった。双方とも妥協に応じ、停戦は実現する見通しが立ち、ベネットは3月5日にモスクワへ飛んだ。そこでベネットはプーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけている。 ベネットはその足でドイツへ向かい、オラフ・シュルツと会ったのだが、その3月5日にウクライナの治安機関SBUはキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺している。事実上、SBUはCIAの下部機関だ。 停戦交渉の進展でロシア軍はウクライナ政府との約束通りにキエフ周辺から撤退を開始、3月30日にはブチャから撤退を完了する。31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない。この動きを西側の主要メディアはロシア軍の「敗北」と「虐殺」だと宣伝した。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 4月9日になると、イギリスのボリス・ジョンソン首相がキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるようゼレンスキー政権に命令し、4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問した。その際、ゼレンスキー大統領に対してウクライナへの「支援継続」を誓う。戦争の継続を求めたのだ。この当時、アメリカやイギリスの支配層はロシアに勝てると思い込んでいた。 ペロシは2022年8月2日、台湾を強行訪問した。1972年2月21日から28日にかけてリチャード・ニクソン大統領が中国を訪問、それから続いていた「ひとつの中国」政策に挑戦したわけだ。ニクソンの訪中は中国をソ連から引き離して取り込み、ソ連を攻撃する準備だった。 ところが、バラク・オバマ政権のネオコンが2014年に行った工作がこの構図を崩してしまう。ウクライナでは2月にネオ・ナチを利用して行ったクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒し、9月から12月にかけては香港で「佔領行動(雨傘運動)」と呼ばれる反中国政府の運動を仕掛けたのだ。その結果、アメリカがロシアと中国の体制を転覆させようとしていることが明白になり、ロシアと中国を接近させることになった。 しかし、アメリカが中国に対する攻撃の準備を始めたのはさらに前のことだ。2010年6月に発足した菅直人内閣は閣議決定した尖閣諸島に関する質問主意書の中で「解決すべき領有権の問題は存在しない」と主張、1972年9月に日中共同声明の調印を実現するために田中角栄と周恩来が合意した「棚上げ」を壊したのである。 この合意で日中両国は日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないことを決めていたわけで、日本にとって有利な内容。それを壊した理由は日本と中国との関係を悪化させることにあったとしか考えられない。 そして同年9月、海上保安庁は尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、漁船の船長を逮捕した。棚上げ合意を尊重すればできない行為だ。その時に国土交通大臣だった前原誠司はその月のうちに外務大臣になり、10月には衆議院安全保障委員会で「棚上げ論について中国と合意したという事実はございません」と答えているが、これは事実に反している。 こうした状況について総理大臣だった安倍晋三は2015年6月、赤坂の「赤坂飯店」で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと報道されている。安倍政権下、着々と対中国戦争の準備が進められていることを明らかにしたのだ。日本は戦争への道を進んできたのだが、進む方法はアメリカの支配層から指示されている。日本は「頭のない鶏」状態だと言えるだろう。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書には、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画が記載されている。 そうしたミサイルを配備できそうな国は日本だけだと分析されているのだが、その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされている。2016年には与那国島でミサイル発射施設が建設された。 2017年4月には韓国でTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの機器が運び込まれ始めた。2013年2月から韓国の大統領を務めた朴槿恵は中国との関係を重要視、THAADの配備に難色を示していたのだが、朴大統領がスキャンダルで身動きできなくなっていたことからミサイル・システムを搬入できたのである。結局、朴槿恵は失脚した。 THAADが韓国へ搬入された後、2019年に奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも自衛隊の軍事施設が完成した。ミサイルが配備されることになる。 ところが、2022年10月、「日本政府が、米国製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診している」とする報道があった。亜音速で飛行する巡航ミサイルを日本政府は購入する意向で、アメリカ政府も応じる姿勢を示しているというのだ。自力開発が難しいのか、事態の進展が予想外に早いのだろう。 トマホークは核弾頭を搭載でる亜音速ミサイルで、地上を攻撃する場合の射程距離は1300キロメートルから2500キロメートルという。中国の内陸部にある軍事基地や生産拠点を先制攻撃できる。「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約は無視されていると言えるだろう。 そして昨年2月、浜田靖一防衛大臣は2023年度に亜音速巡航ミサイル「トマホーク」を一括購入する契約を締結する方針だと語ったが、10月になると木原稔防衛相(当時)はアメリカ国防総省でロイド・オースチン国防長官と会談した際、アメリカ製の巡航ミサイル「トマホーク」の購入時期を1年前倒しすることを決めたという。当初、2026年度から最新型を400機を購入するという計画だったが、25年度から旧来型を最大200機に変更するとされている。 この過程でアメリカは日本と韓国の軍事同盟を推進し、台湾では「独立派」を利用して中国を挑発、さらにフィリピンのフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)も取り込み、日本はフィリピンとの軍事的なつながりを強めている。 こうした動きをロドリゴ・ドテルテ前大統領、ボンボンの姉であるイミー・マルコス、大統領のまたいとこで駐米大使のホセ・マヌエル・ロムアルデスもアメリカとの軍事的な関係を強める政権の政策に懸念を示しているのだが、すでにJAPHUS(日本、フィリピン、アメリカ)なる軍事同盟を編成している。 このほか、アメリカはオーストラリア、インド、そして日本と「クワド」を編成、オーストラリアやイギリスとは「AUKUS」なる軍事同盟を組織、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。 ジョー・バイデン政権が中国敵視を明確にした2022年の12月、アメリカではNDAA 2023(2023年度国防権限法)が成立、アメリカの軍事顧問団が金門諸島と澎湖諸島に駐留し、台湾の特殊部隊を訓練していると伝えられている。 バイデン政権は「ひとつの中国」政策を堅持すると口にしているが、中国政府は信用していないだろう。台湾では1月13日に総統選挙が実施され、蔡英文の政策を継承していると宣言している民主進歩党の頼清徳が40%を獲得して勝利した。 蔡英文や頼清徳は中国からの独立を主張しているが、実際にはアメリカに従属する道を進むことになる。台湾人は中国との戦争を望んでいないと言われているが、ウクライナの人びともロシアとの戦争を望んでいなかった。そうした意思に関係なくアメリカ政府が戦争を始めたのだ。アメリカの手先になる道を選んだ人物が総統になった意味は重い。
2024.02.26
国際連合もアメリカ支配層の影響下にあることは言うまでもないが、その国連の機関であるOHCHR(人権高等弁務官事務所)の「専門家」が2月19日、ガザやヨルダン川西岸でパレスチナ人女性/少女がひどい人権侵害を受けていると表明した。ガザでは女性/少女が恣意的に処刑され、その多くは家族と一緒に殺されているという。 専門家の報告によると、拘束されているパレスチナ人女性/少女をイスラエル軍の男性将校が裸にし、身体検査しているだけでなく、さまざまな形の性的暴行も受けているとされている。少なくともふたりの女性がレイプされたほか、レイプや性暴力で脅迫された人もいると伝えられている。多くの女性が月経パッド、食事、薬の提供を拒否され、ひどい殴打を受けているともいう。 女性だけでなく男性もパレスチナ人は非人道的で品位を傷つける扱いを受けている。 ちなみに、「専門家」とはリーム・アルサレム(女性と少女に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者)、フランチェスカ・アルバニーズ(1967年以来占領されているパレスチナ領土における人権状況に関する特別報告者)、ドロシー・エストラーダ・タンク(議長)、クラウディア・フローレス、イヴァナ・クルスティッチ、ハイナ・ルー、ローラ・ニーリンキンディ(女性と少女に対する差別に関する作業部会)だ。 ガザでイスラエル軍は民間人を虐殺、3万人近くが殺され、その約4割が子ども、女性を含めると約7割に達するとされている。瓦礫の下にも相当数の死体がまだあるはずで、犠牲者の総数は明確でない。 OHCHRがガザにおける人権侵害について発表した前日、ブラジルのルーラ・ダ・シルバ大統領はガザでのパレスチナ人虐殺をアドルフ・ヒトラー体制における虐殺に準えた。イスラエル政府は「ホロコースト」の呪文を持ち出してルーラ大統領を批判したが、ブラジル大統領の主張に賛意を示す人は少なくない。 アメリカのジョー・バイデン政権はイギリスと同じようにガザでの虐殺を支援、西側の有力メディアはイスラエルを擁護、パレスチナ人の虐殺を封印しようとしている。有力メディアとは支配者のためのプロパガンダ機関にほかならない。 メディアは科学技術の発展に伴い、この世に現れた。輪転印刷機が19世紀に発明された後に新聞などの印刷媒体が、また20世紀には電信技術の発明でテレビやラジオなど非印刷媒体が出現している。 こうしたメディアを利用して人びとの心理を操る仕組みをアメリカで作られたのは第2次世界大戦の後だろう。デボラ・デイビスの『キャサリン・ザ・グレート』によると、1948年頃に「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしているのだ。 このプロジェクトを実際に動かしていたのはコード・メイヤーだとされているが、その上には4名のグループが存在していたという。ひとりはOSSやCIAの幹部を務めたアレン・ダレス、OSS時代からダレスの側近で、大戦後には破壊工作を実行する極秘部隊OPCの局長を務めたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポストのオーナーだったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) イギリスの情報機関MI6と同じように、アメリカの情報機関も金融界との関係が深い。例えば、ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの母方の祖父であたるゲイツ・ホワイト・マクガラーはBIS(国際決済銀行)の初代頭取、またフィリップ・グラハムの義理の父にあたるユージン・メイヤーは世界銀行の初代総裁だ。 メイヤーの祖父にあたるイサクはユダヤ教のラビで、メイヤー自身は友人のルイス・ブランデイスに引きずられる形でシオニズムに傾倒、ロンドンからパレスチナへ資金を流す手助けをしている。ユージン・メイヤーは1933年に倒産したワシントン・ポストを競売で落札した。 ユージンの娘、キャサリンは1940年6月にフィリップ・グラハムと結婚、大戦が始まるとフィリップは陸軍の情報部の要員として東南アジアで活動した。そこで彼はダレス、ウィズナー、ヘルムズらと親しくなっている。この関係のおかげでワシントン・ポストは大戦後に急成長して「有力紙」と呼ばれるようになった。 フィリップはジョン・F・ケネディと親しかったが、ケネディが暗殺される3カ月前の1963年8月に自殺、キャサリンが新聞社の社主に就任している。新社主にはポリーという友人がいたのだが、この女性はフランク・ウィズナーの妻にほかならない。この人たちのネットワークはエリート層の内部に張り巡らされ、メディアは支配システムの一部として機能することになる。 キャサリンは後にリチャード・ニクソンを失脚させたウォーターゲート事件で名を馳せるが、彼女は反戦派を嫌い、少なくとも一時期はニクソンを支持していた。 ちなみに、ニクソンが最初に当選した1968年の選挙では最有力候補だったロバート・ケネディが直前に暗殺され、72年の選挙では反戦派だった民主党の候補ジョージ・マクガバンは民主党内の好戦派に攻撃されてニクソンに敗れた。 マクガバンを攻撃していた民主党のグループで中心的な役割を果たしたヘンリー・ジャクソンの事務所では後にネオコンの中核を占める若者を育成、デタント派になったニクソンが失脚した後に副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領はデタント派を粛清、ネオコンを要職につけた。ネオコンが台頭してくるのはこの政権だ。 ワシントン・ポストの記者としてウォーターゲート事件を調査したカール・バーンスタインはニクソンが大統領を辞任してから3年後にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると、新たなプロパガンダ計画がスタートする。アメリカ国内における「プロジェクト・トゥルース」と国外における「プロジェクト・デモクラシー」だ。 政府のメディア操作で中心的な役割を果たしていた人物がCIAのプロパガンダ担当オフィサーで、1982年からNSC(国家安全保障会議)のスタッフになっていたウォルター・レイモンドだ。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004) レーガン大統領は1982年6月にイギリス下院の本会議で「プロジェクト・デモクラシー」という用語を使い、83年1月に「NSDD(国家安全保障決定指示)77」に署名、新しい段階に入った。プロジェクトの中枢機関としてNSCの内部に「SPG(特別計画グループ)」を設置し、相手国の人々を操ろうとしたのだ。(前傾書) フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。 こうした情報操作プロジェクトにとって事実は敵であり、内部告発を許すことができない。内部告発の支援をしていたWikiLeaksが敵視されるのは当然だった。この団体の象徴だったジュリアン・アッサンジをイギリスの警察が逮捕、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束している理由もそこにある。米英支配層はアッサンジを獄死させようとしていると言われている。アッサンジの運命は言論の運命そのものだ。
2024.02.25
ジョー・バイデン政権はウクライナに対し、射程距離300キロメートル、最大マッハ3のATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)を提供する可能性があるとアメリカのNBCは伝えている。ロシア領内を攻撃する態勢を整えるということだ。ATACMSはすでにウクライナへ供給済みのHIMARS(高機動砲兵ロケットシステム)から発射できる。 NATOはすでにロシアとの国境近くにISR(情報、監視、偵察)網を構築、P-8やRC-135のような偵察機、あるいはRQ-4Bのような無人機などとATACMSをリンクさせ、昨年9月10日にはアントニー・ブリンケン国務長官がABCニュースのインタビューで、この兵器を近いうちにウクライナへ引き渡すと発言していた。これまでアメリカは旧式の中距離ATACMSしか提供していない。 バラク・オバマ政権はウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すため、2013年11月から14年2月にかけてクーデターを仕掛けた。その手先に選ばれたのはネオ・ナチである。ちなみにオバマ政権は2011年からリビアやシリアの体制を転覆させるために軍事侵略を開始、その手先はアル・カイダ系武装集団だった。 オバマのクーデターはヤヌコビッチ大統領を排除することに成功したものの、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部では住民がクーデターを拒否、南部のクリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバスでは反クーデター軍が編成されて内戦が始まった。 その反クーデター軍にはネオ・ナチ体制を嫌った軍人や治安機関の隊員などが合流、クーデター軍は劣勢になり、オバマ政権は新政権を支えるためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込んだ。そのほか傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加したと伝えられていた。2015年になると、CIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めたともいう。 そうしたテコ入れでは戦況を逆転できないため、クーデター政権の戦力を増強しなければならなくなった。アメリカ/NATOはミンスク合意を利用し、武器弾薬の供給や軍事訓練などを実施、8年かけて戦力の増強を図った。その際、ドンバス(ドネツクやルガンスク)周辺に要塞線を築いている。少年少女が軍事訓練の対象になったが、その際、戦闘術だけでなく反ロシア感情も叩き込まれている。 こうした戦力増強策の甲斐なくウクライナ軍は壊滅状態にあり、日本や韓国はウクライナ支援を命じられた。クーデター体制が楽勝すると信じていたバイデン政権やEUのエリートは境地に陥り、核ミサイルを発射できるF-16やATACMSの供給が議論されているわけだ。 ロシアのウラジミル・プーチン大統領はクーデターの際に動かなかったことを後悔しているようだが、軍隊を動かしてアメリカ/NATOの動きを止めた場合、西側諸国は大きなダメージを受けず、ネオ・ナチも残っていたはず。 アメリカやイギリスの支配層は19世紀からロシアを征服して世界制覇を達成するという長期戦略を維持、侵略を諦めることはない。ダメージを受けていない米英やその属国はネオ・ナチを使い、新たな侵略作戦を立てるはずだ。核戦争の危険性がなくなることもなかった。 セシル・ローズはアングロ・サクソンを最も優秀な人種だと位置づけ、その優秀の人種が住む地域が増えれることは良いとしたが、その後継者たちも考え方は基本的に同じであり、その根底にあるのは優生学だ。
2024.02.24
日本人が政界や芸能界のスキャンダルに気を取られている間に東アジアにおける軍事的な緊張は高まっている。そうした緊張をさらに高めるかのように、アメリカ軍の空母がこの海域に集まりつつある。 アメリカ軍の2空母、セオドア・ルーズベルトとカール・ビンソンは自衛隊とフィリピン海で軍事演習を実施しているが、それだけでなく横須賀には空母ロナルド・レーガンが入港中で、空母エイブラハム・リンカーンは今月の初めにサンディエゴを出航した。数週間のうちに空母ジョージ・ワシントンがロナルド・レーガンと交代するともいう。 2空母を参加させた演習は威嚇行為だと言えるが、それ以上に挑発的なことをアメリカ軍は1983年春に行っている。千島列島エトロフ島の沖で実施した艦隊演習「フリーテックス83」だ。この演習にはエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーの3空母を中心とする機動部隊群が参加、演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとされている。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年) 米ソ両軍は一触即発の状態だったのだが、日本のマスコミは沈黙していた。その異様さを香港の英字週刊誌「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」はからかっていた。(Far Eastern Economic Review, June 16, 1983)さる高名な「軍事評論家」によると、この演習を調べること自体が「政治的」なのだという。その御仁は質問されたことに立腹していた。 演習当時の総理大臣は中曽根康弘。1982年11月に組閣、それから間もない翌年の1月に彼はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとった。その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと語ったと報道されている。 中曽根はそれをすぐに否定するが、発言が録音されていたことが判明すると、「不沈空母」ではなく、ロシア機を阻止する「大きな空母」だと主張を変えた。このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。 ワシントン・ポスト紙は「大きな空母」発言以外に、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」と主張し、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語っている。こうした発言はソ連を刺激していた。 そして1983年8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便が航路を北側へ逸脱、NORADの緩衝空域と飛行禁止空域を横断、アメリカ空軍の偵察機RC-135の近くを飛行してからカムチャツカへ侵入、ソ連の軍事基地の上空を飛行している。ソ連側の交信記録によると、ソ連領空へ侵入する際、機影が一時レーダーから消えている。 カムチャツカを横断した後、大韓機はソ連側の警告を無視して飛び続け、サハリン沖で撃墜されたとされている。ソ連側の通信記録を読むと撃墜された航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットは報告しているが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。もしサハリンで飛行が終わらず直進した場合、そこにはウラジオストックがある。ロシア軍の重要な基地がある都市だ。 その年の11月、NATO軍はヨーロッパで大規模な演習「エイブル・アーチャー83」を予定していた。これを軍事侵攻のカモフラージュだと判断したソ連政府は核攻撃に備える準備をはじめるように指令を出し、アメリカのソ連大使館では重要文書の焼却が始まったと言われている。演習を計画していた1983年11月、レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、作業は85年の終わりまで続いた。 その後、1991年12月にソ連は消滅、ネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、翌年の2月に世界制覇プロジェクトを作成した。それがアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案だ。この草案を作成したのはネオコンの国防次官だったポール・ウィルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。その時の国防長官はネオコンのディック・チェイニーだった。 このドクトリンによると、旧ソ連圏を乗っ取るだけでなくEUや東アジアを潜在的なライバルと認識、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れると同時に、新たなライバルの出現を防ぐともしている。アメリカはドイツやフランスなどヨーロッパ諸国をロシア攻撃に使うだけでなく、同時に破壊している理由もそこにある。 しかし、当初、日本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに従おうとしなかった。ネオコンは怒り、1995年2月にジョセイフ・ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表している。その前後に衝撃的な事件が引き起こされたのは、おそらく「偶然」なのだろう。 つまり、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。 1980年代とは違い、空母を集結させる軍事的な意味は大きくない。対艦ミサイルの餌食になるだけだ。アメリカが中国と戦争を始めたならば、ロシアも出てくる。空母の意味は目立つことにあり、つまり示威行動に使える反面、目標にもなりやすいということだ。そういえば、アメリカ軍の戦略的、戦術的能力が低いことをウクライナでの戦闘は明らかにしている。
2024.02.23
ウクライナとパレスチナは戦乱で破壊されて多くの人が死亡、東アジアでは軍事的な緊張が高まっている。仕掛け、推進しているのはネオコンと呼ばれるアメリカの好戦的な勢力だが、いずれもイギリスの支配層が19世紀に始めた長期戦略と深く関係している。 この戦略は「グレート・ゲーム」と呼ばれていたが、それをイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダーは理論化、1904年に発表した。日露戦争が勃発した年だ。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。マッキンダーを無視して現在の国際情勢を語ることはできない。 マッキンダーによると、世界を支配するためには「世界島(アフリカとユーラシア)」を支配しなければならない。そのためにはボルガ川から長江、北極圏からヒマラヤ山脈までの「ハートランド」を支配する必要があり、そのためには東ヨーロッパを支配しなければならない。 イギリスは海軍力の国である。ユーラシア大陸を締め上げるため、その周辺部(内部三日月帯)をその海軍力で支配するのだが、そのためには1869年に完成したスエズ運河が重要な意味を持つ。その運河を利用して地中海から紅海を通り、インド洋へ抜けることができるようになったのだ。スエズ運河の近くにイスラエル(1948年)とサウジアラビア(1932年)を作り上げたのはイギリスにほかならない。 イギリスからマダガスカル、スリランカ、マレー諸島、海南、台湾、そして日本へ至る地域は外部三日月帯と呼ばれる。マレー半島から日本へ至る地域は中国を侵略するための拠点。明治維新の背後でイギリスが暗躍、明治体制に深く関与した理由はここにあるだろう。 徳川時代の日本は長崎だけでなく、松前から蝦夷地、対馬から朝鮮半島、薩摩から琉球という経路で大陸と盛んに交易していた。鎖国していなかったことは明白であり、明治維新で「開国」したわけではない。 マッキンダーがまとめた戦略の背後にはイギリスの支配層がいた。その中心グループはビクトリア女王にアドバイスしていたネイサン・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてセシル・ローズらだ。 イギリスはボーア戦争(南アフリカ戦争/1899年~1902年)で金やダイヤモンドを産出する南アフリカを奪い取ることに成功したが、ローズはその戦争で大儲けしたひとり。その侵略でウィンストン・チャーチルも台頭してくる。イギリスの金融資本は世界の金をコントロールできるようになり、金本位制を採用する国の通貨にも大きな影響力を及ぼせるようになった。 1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けしたセシル・ローズはアングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。 ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会、『信仰告白』を書いている。その中で彼はアングロ・サクソンが最も優秀な人種だと主張、その優秀な人種が住む地域が増えれば増えるほど人類にとってより良く、大英帝国の繁栄につながるとしている。秘密結社はそのために必要だというわけだ。 1890年にローズはロンドンでナサニエル・ド・ロスチャイルドのほか、ステッド、ブレット、ミルナー、サリスバリー卿(ロバート・ガスコン-セシル)、ローズベリー卿(アーチボルド・プリムローズ)たちへ自分のアイデアを説明、そのうちローズ、ロスチャイルド、ブレット、ステッドの4人が協会の指導者になったとされている。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) ステッドによると、ローズはチャールズ・ダーウィンの信奉者で、トーマス・マルサスの『人口論』から影響を受けたとされている。ダーウィンの従兄弟にあたるフランシス・ゴールトンは優生学の創始者だが、その優生学は人口論と結びつく。人口の爆発的増加を防ぐために「劣等」な人間を削減の対象にしようというわけだ。ハーバート・スペンサーもダーウィンの仮説を社会へ持ち込んだ人物である。ローズも優生学を信奉していた。 貧困問題の原因を社会構造でなく先天的な知能の問題に求め、産児制限を提唱、フェミニストの運動を支持していたマーガレット・サンガーもマルサスの人口論やゴールトンの優生学を信奉していた。彼女は劣等な人間は生まれつきだと考え、そうした人間が生まれないようにしようということになるからだ。 ローズの遺産を利用して1903年に始められた奨学制度は今でも機能しているローズ奨学金。奨学生に選ばれると、学費を生活費が提供され、オックスフォード大学の大学院で学ぶことができる。この制度は支配層の人脈を形成する仕組みのひとつだ。 キャロル・クィグリーによると、1901年までこの協会を支配していたのはローズ。彼以降はアルフレッド・ミルナーを中心に活動した。ミルナーはシンクタンクのRIIA(王立国際問題研究所)を創設した人物としても有名で、「ミルナー幼稚園」や「円卓グループ」も彼を中心に組織されたという。 ミルナーは1854年にドイツで生まれ、オックスフォードで学ぶ。その後、1881年からポール・モール・ガゼットという新聞社で働くが、85年に退社して政界入りを試みたものの失敗し、南アフリカへ向かった。 アメリカやイギリスはイスラエルを使い、パレスチナ人を絶滅させようとしている。ウクライナではロシア軍の反撃で失敗したが、日本では遺伝子導入剤の生体実験で住民が死滅しかねない状況だ。人がいなくなれば「高貴な人種」の支配地域が増えると考えている人がいるかもしれない。
2024.02.22
このブログは読者の皆様に支えられています。ブログ存続のため、カンパ/寄付をお願い申し上げます。 アメリカを中心とする支配システムが崩れ始めていることを支配者たちは隠しきれなくなってきましたが、その対応策として言論統制を強化しています。 内部告発を支援する活動をしていたWikiLeaksのジュリアン・アッサンジは2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕されましたが、これはアメリカ政府の意向に沿うものです。現在、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所へ入れられ、「殺されつつある」と言う人もいます。この弾圧はジャーナリストに対する米英支配層の意思を明確に示していると言えます。 彼らは言論の自由を含む基本的な人権を人びとから奪うため、パンデミック条約やIHR(国際保健規則)改定案も実現しようとしています。WHO(世界保健機関)は2021年3月に「パンデミック条約」が必要だとする宣伝を開始、22年5月にはスイスのジュネーブで「第75回世界保健総会(WHA)」を開き、その条約について話し合いました。 パンデミックなど危機的な状況下ではWHOが全ての加盟国にロックダウンやワクチンの強制接種などの政策を強制できるようにしようというのですが、フランスでは局が指示するワクチンや医療行為を拒否した人物を罪に問えるとする法律が浮上しました。 この法律が「mRNAワクチン」に適用された場合、この「ワクチン」が深刻な副作用をもたらし、死亡させる可能性があることを発表したフランスの医学者は投獄されます。この法律は医学的事実の判断を医学者の手から奪い、政治家や「権威」による「宗教裁判」に委ねられるということです。また「ワクチン」の接種を拒否した人は3年の禁固刑と4万5000ユーロの罰金を科せられることになり、投獄されたなら刑務所の規則で「ワクチン接種」が強制的に接種させられる仕組みです。ドイツでは「mRNAワクチン」の製造会社を相手に訴訟を起こそうとしていたライナー・フエルミッヒ弁護士は怪しげな理由で投獄されてしまいました。西側の支配層は「民主主義」や「基本的人権」といった装いを脱ぎ捨て、「裸の王様」状態です。 彼らを追い詰めているのはロシアや中国を中心とする動きでしょう。21世紀に入ってからロシア軍は南オセチアやシリアでアメリカの傀儡を倒し、軍事的な能力の高さを世界に示しました。それを見たグローバルサウスの人びとは抑えていた反アメリカ感情を表に出し始めています。 また、これまでアメリカは基軸通貨のドルを発行する特権で圧倒的に優位な立場を維持してきました。その優位さを利用してロシアを攻撃しましたが、これは逆効果で、米英を中心とする金融システムが信頼できないことを示すことになっています。こうしたこともアメリカ中心の支配システムの崩壊を速める一因でしょう。 欧米の支配層は彼らの支配システムを永久化するため、人間の脳を支配しようと計画しているようです。例えばWEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは2016年1月、スイスのテレビ番組に出演して人間をコンピュータの端末にするプランを語っています。チップを皮膚や脳へ埋め込んでコンピュータ・システムと人間を融合、一人ひとりの感情を監視するだけでなく、思想や記憶の管理も考えているようです。人間の端末化だと言えるでしょう。 それだけでなく、シュワブたちは遺伝子操作を利用して「超人」を作り出すということも考えているようです。AIをナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術、認知科学と融合、自然の摂理を否定する「トランスヒューマニズム」の世界を築こうとしているとも推測されています。 シュワブの顧問を務めているユバル・ノア・ハラリはAIによって「不要な人間」が生み出されると見通していますが、その次の段階は「不要な人間の処分」でしょう。すでにAIを搭載したロボットは社会の中に入り込み、戦場ではAI搭載のロボット兵器も登場しています。 こうした計画を立てている支配層は、自分たちにとって都合の良い幻影を人びとに植えつける宣伝/洗脳の仕組みを持っています。つまりメディアや映画などですが、その信頼度は低下しつつあり、露骨な言論弾圧が始まりました。 そうした中、日本では宣伝/洗脳の仕組みが機能しているようです。世界の現実に興味を持たず、相変わらず「なりゆくいきほひ」を気にするだけの人が少なくないようです。 敗戦から間もない頃、映画監督の伊丹万作はこんなことを書いています。「『騙されていた』と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。」(伊丹万作『戦争責任者の問題』映画春秋、1946年8月) 新聞、雑誌、放送、出版など有力メディアは「言論」を放棄、信頼できなくなりました。騙されないためには「権威の御言葉」に頼るのではなく、自らが調べ、考える必要があるでしょう。私たちは正確な情報を集め、分析する必要があるのです。そうした作業に本ブログが役に立てらばと願っています。櫻井 春彦【振込先】巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2024.02.21
イスラエル軍はガザの住民を虐殺し続け、100万人以上の人びとが避難しているラファへを攻撃する姿勢を見せている。それを支えているのはアメリカやイギリスをはじめとする西側諸国だ。アメリカはイスラエルに基地を保有、武器弾薬を保管しているが、それだけでは足りない。 地中海の東にあるキプロスにはイギリス空軍のアクロティリ基地があり、そこはイギリス空軍だけでなくアメリカ空軍の偵察航空団も駐留している。 イスラエルのハーレツ紙によると、10月7日からイスラエルへアメリカ軍の大型輸送機が20機、そしてイスラエルと各国がリースした民間輸送機が約50機、物資を輸送していた。イギリスのグラスゴー、バーミンガム、サフォークとオックスフォードシャーの空軍基地に来ているともいう。アメリカやイギリスがガザでの虐殺を止めようと考えれば、イスラエルは殺戮を続けることができない。 こうした中、アメリカの医師イルファン・ガラリアがガザへ入り、医療活動を行い、そこで目的したことをロサンゼルス・タイムズ紙に寄稿した。そこで彼が目的したのは戦争でなく絶滅だったという。西側の政治家やメディアは嘆いているふりをしながら虐殺を支援している。
2024.02.20
ハマスなどの戦闘員が10月7日にイスラエルへ攻め込んだ後、イスラエル軍はガザの北部を攻撃、建物を破壊し、住民を虐殺し始めた。住民は南部へ移動、100万人以上がラファへ避難したと言われている。そのラファをイスラエルは攻撃する準備を進めているという。 こうした中、エジプト政府はガザから西へ約3.5キロメートル離れた場所に壁を建設、土地を整地しているとAPが伝えた。その中に10万人以上を収容できるという。イスラエルはガザを破壊、住民を虐殺、残った人びとをシナイ半島の砂漠へ強制的に追放しようとしているが、その「受け皿」である強制収容所をエジプトは建設している可能性がある。 イスラエルはEU経由でエジプトに対し、パレスチナ人を受け入れるように圧力をかけてきたと言われているので、その圧力に屈した可能性もあるが、受け入れた場合、イスラム世界ではエジプトがイスラエルによるパレスチナ人虐殺に加担したと見なされると指摘されている。 こうした反発を抑え込むため、欧米の金融機関は融資免除などで買収にかかっていると言われているが、そうした買収に応じた場合、イスラム世界を揺るがす事態が生じるかもしれない。 こうした中、ガザで住民を虐殺しているイスラエルに立ち向かっている人びともいる。例えば、イエメンのフーシ派(アンサール・アラー)はイスラエルへ向かう船舶に対する攻撃を開始、ガザでの虐殺が終わるまで続けると宣言している。そのイエメンをアメリカやイギリスを中心とする国が攻撃しているが、フーシ派は屈していない。 また、レバノンのヒズボラはイスラエル入植地をミサイルで攻撃、イスラエルはレバノン南部へ軍事侵攻する姿勢を見せている。イスラエルやアメリカにはイスラエルが無敵の「神の軍隊」だと錯覚している人もいるようだが、ヒズボラには訓練された軍隊があり、イスラエルの都市を攻撃できるミサイルを保有している。しかも強力な防衛線があるとも言われている。 イスラエル軍の地上部隊が2006年7月から9月にかけてレバノンへ軍事侵攻したが、その際にイスラエルが誇る「メルカバ4」戦車が破壊され、ヒズボラに敗北した。その時よりヒズボラは強い。イスラエル人の多くはレバノンに対する大規模な軍事作戦に賛成しているというが、簡単に勝てると思っているのだろうか? イラクのカタイブ・ヒズボラ、アサイブ・アル・アルハク、バドルなどのシーア派の戦闘集団もイスラエルやアメリカを攻撃した。イラク政府の圧力はあったが、その姿勢は変化していない。 こうした戦闘集団は自分たちの判断で行動し始め、それと同時に情報交換を行っているという。昨年10月の攻撃より数カ月前には会議を開いていたと言われている。
2024.02.20
ロシア軍がアブディフカを完全に制圧したとセルゲイ・ショイグ国防相はウラジミル・プーチン大統領に報告したという。 アメリカ/NATOはミンスク合意を利用し、8年かけてクーデター体制の戦力を増強したが、その一環としてドンバス(ドネツクやルガンスク)周辺に要塞線を築いた。地下要塞のあったアゾフ大隊が拠点にしたマリウポリ、岩塩の採掘場があるソレダル、その中間に位置するマリーインカはすでにロシア軍がすでに制圧しているが、その次がアブディフカだ。 アブディフカにはコークス工場を利用した要塞が建設され、ドネツクの市民を攻撃する拠点になってきた。そこが制圧されたことから市民の危険度は軽減されるだろう。 ウクライナ軍のアレクサンドル・シルスキー最高司令官は2月17日にアブディフカからの撤退を決めたのだが、2月8日に就任した際、戦闘の継続を求められていた。前任者のバレリー・ザルジニーはアブディフカからの全面撤退を主張、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と対立していた。そこで大統領はザルジニーを解任、ソレダルやバフムートで自軍の兵士を「挽肉器」に押し込んだと批判されていたシルスキーに交代させたのだ。 撤退のタイミングが遅れただけでなくシルスキー司令官はアブディフカへ「増援部隊」を派遣して傷口を広げ、ウクライナ軍の兵士はロシア軍の激しい砲火の中、泥の中を脱出せざるをえなくなった。そうしたこともあり、犠牲者は膨らんでいる。この惨状をアレクセイ・ナバルニーの死で誤魔化すことはできないだろう。 しかし、米英の傀儡であるゼレンスキーはウクライナ人の犠牲を厭わない。少しでも多くのロシア人を殺し、ロシアを疲弊させるという自分に課せられた任務を遂行しようとしている。 ウクライナの敗北はゼレンスキー本人の破滅にもつながる。すでに不正な蓄財が露見、弾圧したライバルの富豪(オリガルヒ)たちから報復される危険性もあるだろう。 ジョー・バイデン米大統領を含むグループがウクライナで不正を働いていただけでなく、アメリカ国防総省は生物兵器の研究開発を進め、実際に使おうとしていた可能性がある。その一環としてアメリカの研究機関は「万能生物兵器」を開発していたと2023年4月にロシア軍は発表している。人だけでなく動物や農作物にも感染でき、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというのだ。 この特性は日本で治験が始まっている「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」を連想させるが、そうした生物兵器を秘密裏に標的を絞って使い、「核の冬」に匹敵する結果をもたらそうとしているという。
2024.02.19
ウクライナのアレクサンドル・シルスキー軍最高司令官は2月17日、アブディフカから部隊を撤退させると発表した。犠牲を少なくするために撤退するべきだと主張していたバレリー・ザルジニー前司令官をウォロディミル・ゼレンスキー大統領は解任、ソレダルやバフムートで自軍の兵士を「挽肉器」に押し込んだと批判されていたシルスキーに交代させていたのだ。撤退が遅れたことで犠牲者は増えるだろう。 その前日、西側では「ロシアの反体制派指導者」と宣伝されているアレクセイ・ナバルニーがシベリアの刑務所で死亡したと発表された。散歩中に気分が悪くなり、意識を失ったとされている。死因は明確になっていないが、血栓である可能性があるという。 西側での宣伝とは違い、ナバルニーはロシアで人気がない。支持者は2%程度だとされていたが、今ではほとんどいないだろう。刑務所へ入られれた理由は財政詐欺。彼は弟とダミー会社を設立、数千万ルーブルを盗んだとされ、兄のオレグ・ナバルニーは3年半の禁固刑を受け、アレクセイも執行猶予のついた禁固刑を受けていた。 アレクセイの場合、その前、キーロフ州知事の顧問として別のダミー会社を通じて150万ルーブル盗み、執行猶予付きの判決を受けている。ロシアでも2度執行猶予付きの判決を受けた人はほかにいないようだ。このときの条件として居住地を変えないこと、月に2回出頭することが決められていたが、2020年だけでも彼の違反回数は6回だ。 そして2023年8月、ナバルニーは再び有罪判決を受けたが、特別体制のコロニーに19年間収容という寛大な措置が取られている。そしてシベリアへ送られた。 ロシア国内でナバルニーは影響力がなく、ウラジミル・プーチン大統領が恐れるような存在ではないが、西側の支配層にとってはまだ宣伝材料として使える。その配下にある大手メディアはナバルニーを英雄視する「報道」を展開した。 そうした中、ナバルニーの死が注目されている。ウクライナのゼレンスキー大統領は彼が「プーチンに殺された」と宣言したが、勿論、根拠などは示されていない。 そうしたメディアが支援するアメリカのジョー・バイデン政権は苦境に陥っている。これまで大量の武器弾薬を供給、莫大な資金を注ぎ込んできたウクライナでゼレンスキー政権軍が壊滅的な状況で、2月13日にはウクライナ向けの600億ドルを含む950億ドルの対外援助法案が上院で可決されたものの、難産だった。 2月9日にはタッカー・カールソンがウラジミル・プーチン露大統領との2時間以上という長時間のインタビュー映像を公開したが、カールソンの「X」アカウントだけでもアクセス数は2億件を超えている。そのなかでプーチンはウクライナに軍事介入した歴史的な背景や米英が停戦合意を壊した事実を説明、天然ガス用パイプライン爆破にも触れたが、アメリカは選挙で選ばれた人々によって運営されていないとも指摘している。西側の大手メディアが封印していた話が発信、西側で作り上げられた「邪悪なプーチン」というイメージも薄らいだ。 その前、2月8日に司法省のロバート・ハー特別検察官はジョー・バイデン大統領を機密資料の不正な持ち出しに関する問題で起訴しないと発表したが、その理由は大統領が自分の長男の死亡日を思い出せないような「記憶力の劣る高齢者」だからというもの。大統領として不適格だと思えるが、選挙で選ばれた人々によって運営されていないアメリカでは「記憶力の劣る高齢者」が大統領でも構わないのだろうか。 ちなみに、ウクライナのハリコフに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人のゴンサロ・リラは逮捕され、収監されていたウクライナの刑務所において拷問の上、死亡している。適切な治療も受けていなかった。 また、ロンドン警視庁の捜査員が2019年4月11日にエクアドル大使館の中で逮捕されたジュリアン・アッサンジはイギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。
2024.02.18
アメリカの上院で950億ドルの対外援助法案が2月13日に可決した。その中にはウクライナに対する600億ドル、イスラエルに対する140億ドル、台湾への兵器補充に19億ドルが含まれている。 ウクライナにおける戦闘でアメリカ/NATOに操られたウォロディミル・ゼレンスキーの軍隊がロシア軍に敗れたことは間違いない。ガザでの戦闘でイスラエル軍は苦戦する一方、パレスチナ人を虐殺し続けている。 ウクライナの場合は米英の私的権力の戦略と手先になっているネオ・ナチの思惑、イスラエルの場合は米英の私的権力の戦略と手先になっているシオニストの思惑が重なっている。私的権力の戦略は19世紀に立てられたもので、最終的には中国とロシアを征服して世界の覇者になることが目的だ。 私的権力はソ連が消滅した1991年、この最終目標をほぼ達成できたと考え、詰めの戦略を始動させる。ネオコンが1992年2月に国防総省の「DPG(国防計画指針)草案」という形で作成した計画だ。ディック・チェイニー国防長官の下、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって書き上げられた。 そこからNATOを東へ拡大させるが、これは「バルバロッサ作戦」の準備。作戦の開始は2013年11月から14年2月にかけてのウクライナにおけるクーデターだ。このクーデターに危機感を持ったクリミアがロシアの保護下に入り、ドンバスでは反クーデター軍の抵抗が始まる。その反クーデター軍にクーデター軍は勝てないと判断した西側の支配層は8年かけてクーデター体制の戦力を増強した。 クーデター当時、ウクライナは経済的に破綻していた。そこでビクトル・ヤヌコビッチ大統領は良い条件を出していたロシアに接近、それを阻止するためにアメリカのバラク・オバマ政権はクーデターを実行したわけだ。 クーデターが始まった直後、ビクトリア・ヌランド国務次官補は米国ウクライナ基金の大会で、アメリカは1991年からウクライナを支援するために50億ドルを投資したと演説している。資源、食糧生産、生産設備を手に入れようとしたのだ。 それだけでなく、私的権力の手先はクーデター直後の3月7日深夜、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスで乗り付け、40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込んだと伝えられている。 車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だった。作業が終わるとすぐに航空機は飛び立ち、車両も走り去ったという。その箱の中身は金塊だという情報がある。当時、ウクライナ政府が保有していた金塊は42.3トンだとされている。 その一方、相場が下落したウクライナ国債をロスチャイルドのファンド、フランクリン・テンプルトンが買い占めていた。安値で国債を買いあさり、満額で買い取らせようとしたと見られている。買い取るための資金はIMFが融資する。これまで私的権力が使ってきた手口だ。破綻国家にIMFがルールを無視して融資するのはそのためだ。 しかし、2022年2月にロシア軍が介入、ウクライナ軍が敗走するだけでなくアメリカ/NATOが敗北してしまった。アメリカやヨーロッパが投入している資金はどこへ消えるのだろうか?
2024.02.17
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権はガザで住民虐殺を続け、すでに3万5000人以上が殺されたとも言われている。空爆で破壊された北部から南部のラファへ避難した100万人以上の住民に対する攻撃を激化させている。ウクライナで西側が展開してきた作り話とは違い、ガザでは実際に住民が殺され、その無惨な映像が世界へ発信されている。 こうした攻撃を可能にしているのはアメリカやイギリスからの支援があるからだ。アメリカの大手メディアはジョー・バイデン大統領やアンソニー・ブリンケン国務長官がネタニヤフ首相に対し、ラファへ軍事侵攻しないよう強く助言したと宣伝、バイデンはイスラエルの行動は「行き過ぎ」だと発言しているようだが、アメリカ政府がその気になればイスラエルは攻撃を止めざるをえない。虐殺が続いているということはバイデン政権が承認していることを示していると少なからぬ人が考えている。 ラファにおける虐殺の後、ネタニヤフ政権はガザの人びとを砂漠のテント都市へ追い出そうとしている。イスラエルやアメリカが建国の際に使った手口だ。バイデン政権もパレスチナ人の強制移住を容認しているだろうが、国連事務総長の報道官はそうした強制移住に加担しないとしている。 ところで、10月7日にイスラエルへ攻め込んだハマスはイスラエルがPLOのヤセル・アラファト対策で創設した組織。ムスリム同胞団のメンバーだったシーク・アーメド・ヤシンは1973年にイスラエルの治安機関であるシン・ベトの監視下、ムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を、そして76年にはイスラム協会を設立し、1987年にイスラム協会の軍事部門としてハマスは作られた。 2004年にヤシンとアラファトは暗殺されているが、シーモア・ハーシュによると、09年に首相へ返り咲いたネタニヤフはPLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのため、ネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。 その後、ハマスの内部に反イスラエル色の濃いグループも誕生したと言われ、昨年10月7日の攻撃の数カ月前、ハマスはヒズボラやイスラム聖戦と会議を開いていたと言われている。こうした組織は戦闘情報を交換していたようだ。 ハマスが攻め込む2カ月前、アメリカの国防総省はネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある基地にアメリカ軍人の「生命維持エリア」を建設する契約をアメリカのコロラド州に拠点を置く企業と結んだ。この基地は「サイト512」と呼ばれ、イスラエルを攻撃するイランのミサイルを監視するレーダー施設がある。ガザから30キロメートル余りの場所にあ流のだが、その存在は秘密にされていた。 アメリカは中東や北東アジアにAN/TPY-2レーダーを配備、そのひとつがサイト512。残りはトルコのサイトK、そして日本の青森県車力と京都府京丹後にある。 ハマスの攻撃をアメリカやイスラエルは事前に知っていたことをうかがわせる動きが見られた。欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、2001年9月11日から10日ほど後、統合参謀本部で彼は攻撃予定国のリストを見たという。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていた。(3月、10月) このリストを作成したのは戦争を推進しているネオコン。バイデン政権もネオコンにコントロールされている。10月7日の攻撃を利用してイランを攻撃しようと計画しているのではないかと考える人もいる。 そのイランでは1月に100人以上が死亡するテロ攻撃があった。それに対してイランは報復のため、テロ攻撃を支援または実行してきたスンニ派過激派組織を攻撃した。それらの拠点はシリア、イラク、パキスタンにある。いずれの組織も西側の情報機関、例えばイギリスのMI6、イスラエルのモサド、そしてアメリカのCIAなどと関係しているという。 イスラエルはヒズボラにも勝てないと見られ、アメリカが出てくることになるが、そうなるとロシアや中国も黙っていないはずであり、イランへの攻撃は許さないだろう。
2024.02.16
ウクライナのマリウポリにある第7病院で復旧工事をしていたチームが地下室で精神科病棟の記録に関する書類の束を発見、それをロシアのメディア、スプートニクが入手したという。そこには一般に知られていない薬品を使った人体実験に関する記録が書かれていたという。 文書には自己免疫疾患用治療薬の治験に関するものが含まれ、ファイザー、アストラゼネカ、セルトリオン、ノバルティス、メルク、サムスンの医薬品部門といった医薬品メーカーに関する情報もあった。ロシアがマリウポルを占領した2022年5月まで治験は実施されていたという。病院の敷地内にはスイス、イギリス、アメリカの研究所の住所が記載された物流会社の封筒や生体材料のコンテナが多数入った箱が発見されたともいう。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、ロシア軍はウクライナ軍に対する攻撃を2022年2月24日から開始、その際、アメリカがウクライナに建設していた生物兵器の研究開発施設も破壊している。ウクライナにはアメリカ国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったという。ロシア軍のイゴール・キリロフ中将は回収した文書の分析から研究開発はDTRAから資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で進められたとしている。 ウクライナでクーデターが始まった2013年、アメリカの国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれ、実際、建設された。ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。 また、ロシア軍は回収した機密文書を分析、アメリカがウクライナで「万能生物兵器」を開発していたと2023年4月に発表した。人だけでなく動物や農作物にも感染でき、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというのだ。「レプリコン・ワクチン(自己増幅型COVIDワクチン)」を連想させるが、そうした兵器を秘密裏に標的を絞って使い、「核の冬」に匹敵する結果をもたらすという。 アメリカの国防総省がウクライナで生物化学兵器の研究開発を進めた理由のひとつは、旧日本軍の「第七三一部隊」と同じように、自国ではできない研究を行うことにあったのだろうが、それをロシアに対して使うために便利だということもあるだろう。 医薬品業界で研究開発に長年携わってきたサーシャ・ラティポワによると、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めたプロジェクトだ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 そのプロジェクトの一環としてmRNA技術を利用した「ワクチン」が製造され、正規の手順を踏まずに世界規模の接種を開始、少なからぬ人が副作用で苦しみ、死んでいる。この「ワクチン」は遺伝子導入剤と呼ぶべき代物で、全くの新薬。危険性の度合いは不明だが、人類の存続を危うくするのではないかとも懸念されている。 そうした危険な遺伝子導入剤の接種を大半の国は止めたが、日本は例外。日本政府はこれからも接種を推進する姿勢を見せている。しかも「レプリコン・ワクチン」まで打たせようとしている。 そうした薬剤を製造するため、医薬品メーカーは工場を建設福島県南相馬市に建設。ウクライナの隣国はロシアだが、日本の隣国は中国だ。
2024.02.15
CIAが行なっている電子的監視やサイバー戦に関する文書「Vault 7」を内部告発支援グループのWikiLeaksへ渡したジョシュア・シュルティに対し、懲役40年の判決が2月1日に言い渡された。WikiLeaksの象徴的な存在だったジュリアン・アッサンジは2019年4月11日にエクアドル大使館の中でロンドン警視庁の捜査官によって逮捕され、現在、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。 内部告発とは支配層の悪事を暴く行為であり、支配層はそうした行為を許さない。アッサンジに逮捕令状が出る半年ほど前、WikiLeaksはバグダッドでアメリカ軍の戦闘ヘリコプターがロイターの特派員2名を含む非武装の十数名を銃撃、殺害する場面を撮影した映像を公開していたが、その映像をWikiLeaksへ渡したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵も逮捕されている。 シュルティ、アッサンジ、マニング以外にも内部告発した人たちはいる。例えば、電子情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡してイラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアクらだ。慎重に動いたビーニーは家宅捜索を受けた程度で済んだものの、スノーデンはロシアへ逃げ込まざるをえなくなり、スターリングやキリアクは懲役刑、カルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。事実が露見することを恐れている支配層は内部告発者を見せしめのため、厳罰に処している。 アメリカの電子情報機関NSAとGCHQはUKUSAという連合体を編成し、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの機関を従えて情報を収集、分析している。通信技術が急速に発達し始めた1970年代から通信傍受のシステムを強化、その延長線上にVault 7もある。 こうしたシステムによって全て彼らは通信をUKUSAは記録、さらにスマートテレビ、グーグル・クローム、マイクロソフト・エッジ、ファイアーフォックス、オペラを含むウェブブラウザ、スマートフォンやコンピュータのオペレーション・システムなどに侵入することも可能だ。 2月6日にウラジミル・プーチン露大統領と会い、インタビューしたタッカー・カールソンも通信を盗まれていたという。カールソンは昨年9月にプーチンをインタビューする計画を進めていたが、その際、ワシントンDCの誰かから電話があり、出向いたところ、先方はプーチンと会う計画を知っていたという。カールソンの電子メールをNSAは傍受、プーチンと会わないよう、圧力をかけてきたのだ。
2024.02.14
パキスタンで2月8日に実施された総選挙の結果、266議席のうち無所属の候補者が100議席以上を獲得、そのうち93議席はイムラン・カーン元首相が率いるPTI(パキスタン正義運動)が占めた。70議席は各政党が獲得した議席数に基づく比例代表制で女性(60議席)と非イスラム教徒(10議席)に割り当てられるのだが、PTIは政党からの出馬が認めていない。 選挙の前、パキスタンの裁判所はカーン元首相に対し、「カンガルー法廷」で立て続けに懲役刑を言い渡した。その背景でアメリカ政府が暗躍していることは本ブログでも指摘した通りだ。 インターネット・メディアの「インターセプト」が公開したパキスタン政府の機密文書によると、アメリカの国務次官補を務めていたドナルド・ルーやレ・ヴィグリーを含む国務省高官が当時の駐米パキスタン大使のアサド・マジード・カーンと2022年3月7日に会談、ルー国務次官補は不信任決議を提案している。アメリカの言いなりにならないカーンをジョー・バイデン政権は排除したかったのだ。 その命令に従い、2022年4月に内閣不信任決議案が提出されるが、下院議長は却下、カーンは解散総選挙に打って出ると表明し、4月3日に議会は解散された。 しかし、その議会解散を違憲と最高裁は4月7日に判断、4月10日に内閣不信任決議案の採決が行われて可決された。そして軍を後ろ盾にするシャバズ・シャリフ政権が誕生するのだが、国民は強く反発し、大規模な抗議行動や暴動という形で表面化した。 そこで軍は市民の自由を大幅に削減し、軍への批判を犯罪化し、国内経済における軍の役割を拡大、国内は麻痺。言論統制のひとつの結果として、アメリカ政府に従属する軍に批判的なジャーナリストが殺害されたり行方不明になったりしている。カーンは政治集会で銃撃されて足を負傷、その際、支持者のひとりが殺されている。 カーンを刑務所に隔離、彼の率いるPTIの候補者が政党から出馬すること、またクリケットのバットを選挙シンボルとして使用することが禁止された。非識字率40%のパキスタンでは大きな打撃となると見られていたが、それでも第1党になった。通常の選挙だった場合、PTIは圧勝していたのだろう。 これだけカーンを支持する国民が多いと、アメリカ政府の命令でも軍は簡単にクーデターを起こせない。
2024.02.13
アメリカ司法省のロバート・ハー特別検察官は2月8日、機密資料の不正な持ち出しに関する問題でジョー・バイデン大統領を起訴しないと発表した。 問題の文書はアフガニスタンにおける軍事や外交分野の政策に関する最高機密の資料で、バイデンが機密資料を意図的に保持し、開示したという証拠が明らかになったものの、自分の長男がいつ死んだのか思い出せないような「記憶力の劣る高齢者」であるため、有罪にすることは難しいと特別検察官は判断したという。バイデンは特別検察官のオフィスにおける面談と同じように、裁判では陪審員に対して同情的で善意ある記憶力の劣る老人であることを示すだろうとハーは報告書の中で書いている。 ちなみにドナルド・トランプ前大統領の場合は同じ容疑で起訴され、今年5月からマイアミで裁判が始まる予定だ。 ハー特別検察官に言われるまでもなく、バイデンに痴呆の症状が出ていることは少なからぬ人が感じているが、バイデン自身は報告書が発表された直後に記者会見を開き、反論を試みた。その際、彼はエジプト大統領であるアブドル・ファターフ・アッ-シシをメキシコ大統領と呼ぶ失態を演じてしまう。そうした人物をアメリカでは大統領に据えなけらばならない状況なのだ。 もっとも、アメリカでは大統領が政策を決めているわけではない。自らの考えに従って政策を進めるような大統領は暗殺されてきた。特別検察官が報告書を発表した翌日、タッカー・カールソンはウラジミル・プーチン露大統領とのインタビュー映像を公開したが、その中でプーチンはアメリカのシステムについて、選挙で選ばれた人々によって運営されていないと語っている。アメリカ人を含め、そう考えている人は少なくないだろう。大統領が痴呆でも構わないシステムなのだ。そのシステムに西側では「民主主義」といるタグをつけている。 こうした状況を変えたいと思っている人が少なくないことはカールソンのインタビュー映像に多くの人がアクセスしていることからも推測できる。この原稿を書いている時点で、カールソンの「X」のアカウントだけでもアクセス数は1億9000万件を超えている。
2024.02.12
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2月8日、バレリー・ザルジニー軍最高司令官を解任し、後任にオレクサンドル・シルスキーを据えた。ザルジニーは兵士の犠牲を少なくしようとしているのに対し、アメリカ政府の意向を受けたゼレンスキーは「玉砕攻撃」を繰り返させようとしてきた。アヴデフカでの戦闘でザルジニーは全面撤退を計画、ゼレンスキーと対立する。 そのザルジニーは11月1日付けエコノミスト誌に発表した論説の中で戦闘が「膠着状態」にあると説明、ゼレンスキーとの対立が話題になり始めた。ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントだと言われているが、同誌はイギリス支配層と深く結びついていることから、イギリス支配層がゼレンスキー大統領からザルジニー司令官へ乗り換えようとしているのではないかとする推測が流れ始めたのだ。 勿論、戦闘が「膠着状態」にあるわけではない。ウクライナでの戦闘は終始ロシア軍が優勢で、すでにウクライナ軍は壊滅状態。「ウクライナは前線でロシア軍に押されている」という生やさしい状態ではない。 ウクライナ軍は2022年2月から一貫して劣勢にあり、それを逆転するためにアメリカ/NATOは「反転攻勢」を強要、ウクライナ軍は23年6月4日から東方へ突撃するのだが、ロシア軍は「スロビキン防衛線」を築いて待ち構えていた。この防衛線は歩兵塹壕、戦車対策の「竜の歯」、土手、地雷原などを組み合わせたもので、数百キロに及ぶ。その防衛線に向かってウクライナ軍は「バンザイ突撃」を繰り返すことになる。この「反転攻勢」でウクライナ軍は壊滅状態になった。 しかし、すでに「ルビコン」を渡ってしまったジョー・バイデン政権は引き返せない。ウクライナで勝たなければならないのだ。そこでアメリカ政府やウクライナ政府の内部で対立が生じることになった。そうした中、ゼレンスキー大統領は昨年12月12日にワシントンを訪問、今年1月31日にアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官がキエフへ入ったのである。ゼレンスキー大統領に何を語ったのかは不明だが、最高司令官の交代と関係があるかもしれない。 新司令官のシルスキーは「玉砕攻撃」を指揮した人物で、昨年にはソレダールやバフムートの戦闘で多くのウクライナ兵を死なせた張本人。ザルジニーは撤退を望んでいたという。アメリカ政府やゼレンスキーに好かれたのはシルスキーだが、ウクライナ軍の内部で彼は嫌われているという。彼がこれまでと同じ戦術を強行するなら、ウクライナ兵の死傷者は増え続ける。 司令官交代の話が出た時、後任としてキリーロ・ブダノフGUR(国防省情報総局)総局長の名前が挙がっていた。昨年5月、ロシア人の暗殺を主張していると伝えられた人物で、軍事的な訓練は受けていない。そこで、ロシア国内を含む前線の後方における破壊活動を展開するのではないかと噂されていたが、シルスキーが新司令官に就任してもこの予測が消えるわけではない。
2024.02.11
タッカー・カールソンが2月6日に行ったウラジミル・プーチン露大統領とのインタビュー映像が公開された。プーチンが過去に語ったことから逸脱する話はその中になく、「スクープ」があったとは思えない。それでもアメリカでは大騒動だ。 プーチンはロシアがウクライナに対する軍事作戦を始めた理由を説明するため、中世までの歴史を語った。現在の出来事は過去の出来事の結果であり、歴史は因果の連鎖だ。ロシアとウクライナとの関係を説明するため、中世までさかのぼることは正しい。ちなみに、日本とアメリカの関係を理解するためには戦国時代までさかのぼる必要があると本ブログでは考えている。 現在ウクライナとされている地域がソ連時代に形作られたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。ソ連消滅後、自分たちがロシア人だと考えているウクライナの東部や南部の人びとは西部から離脱しようとしたが、それは実現しなかった。ウクライナを新自由主義化しようとした西側の巨大資本は黒海に面した南部、そして資源が豊富で穀倉地帯の東部を欲しかったのだ。 しかし、東部や南部の住民だけでなく、ウクライナ人の多くはロシア人との対立を望んでいなかった。そうした中、ロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチは2004年11月に行われた大統領選挙で勝利する。そこで始まったのが「オレンジ革命」だ。 選挙の直後からユシチェンコ陣営は選挙で不正があったと主張し、デモや政府施設への包囲を始めて国内を混乱させて政権奪取に成功したのだ。そしてアメリカは新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを大統領に据えることに成功した。 ユシチェンコは2005年1月から10年2月まで大統領を務めるが、彼の導入した新自由主義的な政策は一部の腐敗勢力に富を集中させてオリガルヒと呼ばれる富豪を生み出す一方、大多数の庶民を貧困化した。そこで、2010年の大統領選挙でユシチェンコが再び勝利し、大統領に就任した。そこでアメリカ支配層は2013年11月から14年2月にかけてクーデターを実行するのだが、その手先はNATOから訓練を受けたネオ・ナチだった。 クーデター体制になると軍や治安機関のメンバーのうち約7割が離脱し、東部や南部の住民もクーデターを拒否する。南部のクリミアに住む人びとはロシアの保護下に入り、東部のドンバスでは内戦が始まった。その際、軍や治安機関から離脱した人びとの一部ばドンバスの反クーデター軍へ合流したと言われている。 そのため反クーデター軍は強く、アメリカはクーデター体制の戦力を増強し、要塞線を築くために時間が必要になった。そこで出てきたのがミンスク合意にほかならない。その合意で仲介役を務めたドイツのアンゲラ・メルケル(当時の首相)は2022年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語った。 アメリカ/NATOは8年かけてクーデター体制の戦力増強に努める。武器弾薬を供給、兵士を訓練、さらにドンバスの周辺に要塞線を構築したのだ。 この地域にはソ連時代から地下要塞が作られていた。その中には親衛隊の中核だったアゾフ大隊が拠点にしたマリウポリ、岩塩の採掘場があるソレダル、その中間にあるマリーインカも含まれていた。 ロシアとの軍事的な緊張を高めると同時に経済封鎖を推進してきた西側の勢力はカールソンのインタビューに激怒している。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、イギリスの支配層は19世紀からロシアを征服しようとしてきた。そのロシアと新興国ドイツを戦わせようとしたのが第1次世界大戦だ。その当時、戦争に反対する大地主と戦争に賛成する資本家が対立、グレゴリー・ラスプーチンとフェリックス・ユスポフがそれぞれの象徴的な存在だった。ユスポフと親しかったスティーブン・アリーとオズワルド・レイナーはイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーであり、ラスプーチンを実際に射殺した拳銃を所持していたのはレイナーだ。 ラスプーチン暗殺後、ロシアでは「二月革命」で資本家が実権を握るが、それを嫌ったドイツがボルシェビキの指導者を列車でロシアへ運んでいる。そして「十月革命」が起こり、ボルシェビキの体制が成立。ソ連とドイツはナチスが台頭するまで友好的な関係を維持した。 そのソ連との関係修復を訴えたのがアメリカのジョン・F・ケネディ大統領だ。1963年6月10日、アメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言している。 その演説の冒頭でケネディは軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけたのだ。 ソ連とアメリカとの間で全面戦争が起こればいずれの国も破壊されるとケネディは主張、冷戦の段階でも「両国はともに無知と貧困と病気を克服するためにあてることができるはずの巨額のカネを、大量の兵器に投じている」と警鐘を鳴らし、最後に「われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」と語り、演説を終えている。(前掲書) その年の11月22日、テキサス州ダラスでケネディ大統領は暗殺され、この戦略が実行に移されることはなくなった。ソ連/ロシアとアメリカが友好的な関係を築くことを恐れている勢力はタッカー・カールソンのインタビューに激怒しているだろう。
2024.02.10
アメリカでNDAA 2023(2023年度国防権限法)が2022年12月に成立した後、アメリカの軍事顧問団が金門諸島と澎湖諸島に駐留、台湾の特殊部隊を訓練していると伝えられている。こうした島々は中国を威嚇するだけでなく、軍事侵攻、あるいは秘密工作の拠点として想定されているはずだ。 また、ロイターによると、アメリカ軍は中国との衝突に備え、昨年7月と8月に行われたタリスマン・セイバー演習の際、オーストラリアに装備を新たに備蓄したという。 アメリカはオーストラリアを西太平洋における軍事的な拠点にしつつある。すでにオーストラリア、インド、そして日本と「クワド」を編成したほか、オーストラリアやイギリスと「AUKUS(A:オーストラリア、UK:イギリス、US:アメリカ)」なる軍事同盟を組織、NATO(北大西洋条約機構)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は2020年6月、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本をメンバーにするプロジェクト「NATO2030」を開始すると宣言している。ただ、アメリカが考えているのは日米韓の軍事同盟だろう。 ベトナム戦争を始め、東アジアから東南アジアにかけての地域における軍事作戦や秘密工作でアメリカは沖縄を拠点にしていた。沖縄の軍事基地がなければアメリカがこの地域を支配することは難しい。その沖縄と同じように台湾もアメリカにとって重要な拠点だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、イギリスのウィンストン・チャーチル政権は第2次世界大戦でソ連を主敵と考えていた。そこでドイツ軍のソ連への軍事侵攻を傍観、ドイツ軍がソ連軍に敗北すると、慌てて動き始め、シチリア島上陸作戦を強行したのだ。 反ファシズムのフランクリン・ルーズベルト米大統領が1945年4月12日に急死した翌月にドイツは降伏、チャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるように命じた。そして作成されたのが「アンシンカブル作戦」だ。その年の7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団でソ連を奇襲攻撃、「第3次世界大戦」を始める想定だったが、参謀本部の反対で発動していない。理由のひとつは、ソ連と日本が手を組む可能性にあったという。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) アメリカはソ連の参戦に合わせ、8月6日に広島へ、8月9日には長崎へ原爆を投下したが、いずれもソ連を意識してのことだ。ルーズベルトが死亡したことで副大統領から大統領へ昇格したハリー・トルーマンが許可しての投下だ。 1945年夏の段階でアメリカ空軍はソ連を「敵」と表現(Daniel Yergin, “Shattered Peace”, Houghton Mifflin, 1977)、48年後半には特殊部隊の産みの親とも言われている「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」ている。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)この段階でマックルア将軍のソ連攻撃計画が現実的なものだったかどうかは不明だが、1952年11月にアメリカは水爆実験に成功、核分裂反応を利用した原子爆弾から核融合反応を利用した水素爆弾に核兵器の主役は移っていく。 しかし、核兵器を使うためには運搬手段が必要。この当時、原爆の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機だ。1948年から57年までSACの司令官を務めたカーティス・ルメイ中将は大戦中、日本の諸都市に焼夷弾を落として市民を焼き殺し、広島や長崎に原爆を投下、さらに朝鮮戦争で3年間に人口の20%以上を殺した人物だ。 SACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連や中国のほか東ヨーロッパの最重要目標に対しては水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。 攻撃目標とされた大都市にはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市のほか、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、そして中国の北京が含まれている。 アメリカ軍は中国も核攻撃する計画だったが、その出撃拠点は沖縄。その沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていている。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。当時、すでにベトナムへの軍事作戦がアメリカでは検討されていたはずだが、中国への核攻撃も想定されていた。 核攻撃の前にアメリカは朝鮮半島から中国へ軍事侵攻する計画を立てていたようだ。日本を兵站の拠点にしなければならないが、そのためには輸送に不安があってはならない。つまり国鉄の労働組合にストライキさせるわけにはいかない。そうした時、アメリカにとって好都合な3事件が国鉄で引き起こされた。 そして朝鮮戦争だが、大戦中に日本の情報機関で活動していた人物によると、それと並行して中国でも秘密工作が進められていたという。事件のあった1949年に中華人民共和国の建国が宣言されているが、天安門に中国共産党の幹部が並んだところを砲撃して暗殺、それに合わせて偽装帰順させていた部隊を蜂起させ、国民党の体制を樹立するという計画があった。その計画は中国側に漏れて失敗したという。 大陸で敗れた国民党は台湾へ逃げ込み、反撃のチャンスを狙う。その準備のために蒋介石たちは1949年に岡村寧次大将など旧日本軍の幹部に接近している。処刑された日本軍の軍人も少なくないが、その一方でアメリカに保護された軍人も少なくない。そのひとりが岡村だ。 蒋介石は1949年4月に曹士徴を密使として岡村の下へ派遣、東京の高輪で岡村や富田直亮少将と会談、「台湾義勇軍」を編成することで合意し、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。 白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授した。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡っている。 白団へ軍事情報を渡していたのは「富士倶楽部」、つまり陸士34期の三羽烏と呼ばれた服部卓四郎大佐、西浦進大佐、堀場一雄大佐、あるいは海軍の及川古四郎大将や大前敏一大佐たちだ。1969年に解散するまで白団は台湾で大きな影響力を維持していた。 その後も台湾はアメリカの帝国主義者にとって中国を侵略するための拠点であり、沖縄問題とも密接に関係している。
2024.02.09
アメリカのジャーナリスト、タッカー・カールソンが2月6日、ロシアのウラジミル・プーチン大統領にインタビュー、ジョー・バイデン政権は激怒しているようだ。EUにはカールソンの入国を拒否する動きがあるという。 カールソンはFOXニュースの人気司会者だったが、昨年4月21日に解雇されている。彼に限らず、アメリカ支配層にとって都合の悪い報道をするジャーナリストはメディアの世界から追い出されてきた。ウクライナやパレスチナでは命が奪われている。 こうしたことはヨーロッパでも行われてきた。例えば、アメリカのジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃する際、イラクが大量破壊兵器を保有しているという話を作り上げたが、イギリスのトニー・ブレア政権はこのでっち上げに協力している。2009年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書(9月文書)を作成、メディアにリークして人びとを脅しているのだが、これが嘘だったのだ。 その事実を2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガン記者がラジオで取り上げ、粉飾されていると語った。アラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切り、45分で破滅するという話を挿入したと言ったのだ。 事実を伝えたBBCはブレア政権から激しく攻撃され、ギリガンはBBCを追い出されるたが、それだけでなく放送局の執行役員会会長とBBC会長は辞任に追い込まれた。この後BBCは単なるプロパガンダ機関になった。 ギリガンの情報源が国防省の生物兵器防衛部門を統括していたデイビッド・ケリーだということをイギリス政府は探り出して尋問、その名前が7月9日にリークされた。ケリーは15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死。手首の傷からの大量出血や鎮痛剤の注入が原因とされたが、手首の傷は小さく、死に至るほど出血したとは考えにくい。しかも彼は古傷のため、右手でブリーフケースを持ったりドアを開けたりすることができなかった。ステーキを切ることもできなかったと言われている。(Miles Goslett, “An Inconvenient Death,” Head of Zeus, 2018) 現場に駆けつけた救急救命士のバネッサ・ハントによると、ケリーの左の手首には乾いた血がこびりついているだけで傷は見えなかったという。ハントの同僚であるデイビッド・バートレットはケリーの服についていた血痕はジーンズの膝についていた直径4分の1インチ(6ミリメートル)程度のものだけだったと証言している。そのほかにも不可解な点が少なくない。(前掲書) 日本の有力メディアも単なる宣伝機関になっているが、1960年代にはカールソンのようなジャーナリストもいた。 例えば、毎日新聞の外信部長だった大森実は1965年9月に北ベトナムの首都ハノイへ入って取材、アメリカ軍がハンセン病の病院を爆撃した事実を伝える。その報道に激怒したアメリカのエドウィン・ライシャワー駐日大使から批判された大森は1966年1月に会社を去った。毎日新聞以外もハノイ入りを狙っていて、朝日新聞の外報部長だった秦正流は大森より少し遅れてハノイ入りしている。 また、TBSのキャスターを務めていた田英夫は北爆下のハノイを取材し、「ハノイ、田英夫の証言」を1967年10月に制作。当時の日本政府はTBSの社長、担当常務、報道局長を呼びつけて叱責したが、アメリカ政府が怒ったということだろう。その後、田はテレビから追放された。 勿論、今の日本のマスコミにそうした取材をする記者はいない。権力者のお膳立てに従って動き、指示通りに伝えるだけだ。
2024.02.08
ウクライナの国会議員、つまりウォロディミル・ゼレンスキー大統領の仲間は2月6日、バレリー・ザルジニー最高司令官を数日中に解任する計画があると主張した。 ザルジニーが11月1日付けエコノミスト誌に自分の意見を掲載、戦闘が「膠着状態」にあると説明してからゼレンスキーとザルジニーの対立が話題になり始めた。ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントだと言われているが、同誌はがイギリス支配層と深く結びついていることから、イギリス支配層がゼレンスキー大統領からザルジニー司令官へ乗り換えようとしているのではないかとする推測が流れ始めたのだ。ウクライナの勝利を主張してきたゼレンスキーはザルジニーの膠着発言に反発したようだが、ウクライナ軍の実態は壊滅状態だ。 イギリスのベン・ウォレス前英国防相は10月1日、戦場で戦うウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えているとテレグラフ紙に寄稿した記事の中で指摘、「ゼレンスキーの戦争」が期待通りに進んでいないことを明らかにした。前線で戦う兵士の平均年齢は42歳だと言われ、50歳代や60歳代の兵士もいることになる。ロシア軍の兵士によると、戦場で妊婦のウクライナ兵を見つけたという。 そうした中、ゼレンスキー大統領はザルジニーに対し、ヨーロッパ諸国の大使になるという条件で辞任を求め、拒否されたと言われているのだが、4日に大統領は最高司令官を交代する意向だとことを認めた。アレクセイ・ゴンチャレンコ議員によると、ザルジニーだけでなく、彼の側近も解任するという。 ゼレンスキーがザルジニーにしようと考えているのはGUR(国防省情報総局)のキリーロ・ブダノフ総局長だと言われている。昨年5月、ロシア人の暗殺を主張していると伝えられた人物だが、軍事的な訓練は受けていない。すでにウクライナ軍が壊滅状態だということもあり、ブダノフが軍を指揮するようになった場合、ロシア国内を含む前線の後方における破壊活動を展開するかもしれない。 ゼレンスキー政権内で対立が生じている中、1月31日にビクトリア・ヌランド国務次官がキエフへ入った。ゼレンスキー大統領に何を言ったのか不明だが、平和的な内容でなかったことは間違い無いだろう。彼女がキエフ入りした目的はウクライナ政府をアメリカの支配下に置くことにあり、戦争から反乱へ移行する際には彼女が舵取りすることになると推測する人もいる。 反乱を想定しているとするなら、ブダノフは適任なのかもしれない。すでに偽装帰順している工作員部隊が存在している可能性もある。何らかのタイミングでそうした部隊を蜂起させてロシアを不安定化させ、ウクライナを反ロシア感情を沸騰させる大釜にしようとするだろう。 こうした作戦をアメリカやイギリスの情報機関は第2次世界大戦の終盤に立てている。ドイツの敗北が決定的になるとイギリスのSOEはアメリカのOSSと共同でゲリラ戦部隊「ジェドバラ」をフランスで編成。この部隊は大戦後に軍の特殊部隊や極秘の破壊工作部隊OPCになる。このOPCは1950年にCIAへ吸収され、2年後にはOPCが中心になってCIAの破壊工作担当部署の計画局が作られた。その際、CIAへ副長官として乗り込んできたのがアレン・ダレスにほかならない。 大戦後、アメリカはヨーロッパを支配する仕組みとしてNATOを創設する。その前に編成していたジェドバラ人脈を使った秘密部隊がNATOの内部へ入り込む。イタリアでは1960年代から80年代にかけて爆弾テロや要人暗殺、クーデター計画などが続くが、そうした工作を行っていたのはイタリアにおけるNATOの秘密部隊「グラディオ」だ。ソ連軍が侵攻して来なかったため、アメリカやイギリスの情報機関はヨーロッパを支配するために秘密部隊のネットワークを使ってきた。現在、ウクライナのネオ・ナチもそのネットワークに含まれていると言われている。ザルジニーもネオ・ナチと友好的な関係にあり、その部隊を最前線には投入していないという。つまりネオ・ナチを温存している。
2024.02.08
2023年におけるアメリカのGDP(国内総生産)は2.5%だった。西側の有力メディアはこの数字を根拠にしてアメリカが「力強い成長」を続け、景気が「想定外に強い」と主張している。ジョー・バイデン政権の経済政策はうまくいっていると言いたいのだろうかもしれないが、GDI(国内総所得)は1.5%にすぎないとも指摘されている。要するに、大企業や富裕層は儲かっているが、中小企業や庶民は苦しいということにほかならない。 IMF(国際通貨機関)は定期的にWEO(世界経済見通し)を発表している。悪名高い機関ではあるが、その数値を見るとアメリカの成長率は今年2.1%。EUや日本の0.9%に比べて高いのだが、ロシアの2.6%よりは低い。ロシアの数値をIMFは前回の発表より上方に修正した。西側の支配層もロシア経済が好調だということを認めざるをえなくなっている。 それに対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は昨年のGDP成長率は3.5%以上になると予測、ロシアの経済発展省は2024年のロシアのGDP成長率を2.3%と予想している。賃金の上昇から消費が伸びているようだ。 冷戦時代、アメリカをはじめとする西側諸国はソ連に対して軍事的な圧力を加えると同時に経済戦争を仕掛けていた。ドイツとの戦争で疲弊していたこともあり、ソ連消滅に繋がったわけだが、21世紀に入ってロシアが再独立すると、西側は基本的に同じ戦術でロシアを攻め始めた。 アメリカ政府は2013年11月から14年2月にかけて、ネオ・ナチを利用してウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。それ以降、クーデター体制は制圧できなかった東部のドンバスに対する攻撃を開始、クリミアを狙う動きも見せた。クーデターの目的はウクライナにアメリカの傀儡体制を築くことだが、経済的にはロシアとEUを結びつけていた天然ガスのパイプラインを止め、EUとロシアを弱体化させることにあった。 そして2022年2月にロシアがウクライナへの攻撃を始めるとアメリカは経済戦争も本格化させる。ロシアを経済的に破綻させ、国内の不満を高め、ソ連のように潰そうとしたのだが、そうした展開にはならなかった。アメリカがこうしたことを仕掛けてくることを予想、準備していたのである。 アメリカは基軸通貨を発行する特権を利用し、金融で世界を支配してきた。2022年以降、アメリカはロシアの主要金融機関7行をSWIFT(国際銀行間通信協会)から排除したが、ロシアはSPFS(金融メッセージ転送システム)を稼働させている。 ロシアが国外に持っている口座をアメリカは封鎖、資産を略奪しているが、こうした行為はアメリカの金融システムに対する信頼を世界規模で失わせることになった。 結局、アメリカからの攻撃を想定、準備していたロシアは大丈夫だったが、EUをはじめとする西側諸国は深刻なダメージを このクーデターの目的はドイツとロシアを分断することにある。ドイツから安いエネルギー資源の供給源を断ち、ロシアからマーケットを奪うということだ。「経済制裁」のターゲットもドイツを含むEUとロシアだったが、ロシアは準備していたことからダメージは少なかった。それに対し、ドイツなどEUは深刻なダメージを受け、経済的苦境に陥っている。そうなることが分かっていながらアメリカの命令に従っているのがEUだ。日本もアメリカの命令でロシアや中国とのビジネスが細り、経済的に厳しい状況に陥る一因になっている。 ソ連の消滅でロシア文化の影響下にない国々は米英圏へ移動、NATOの拡大につながり、ロシアの防衛システムは弱体化したものの、経済的に見るとソ連圏の国々を「養う」必要がなくなり、ロシアは自分たちの稼ぎを自分たちのために使うことができるようになった。ロシアが早いペースで国力を回復できた一因はそこにある。 ロシアから離れた国のうち、東ドイツはナチスが台頭してからソ連を攻撃する中核になった国の一部であり、チェコの半分は1939年にナチスドイツに吸収されていた。スロバキアの半分はドイツの同盟国で、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアも同様だ。カトリック国のポーランドは歴史的に反ロシア感情が強いことで知られている。
2024.02.07
日本ではmRNA技術を利用した薬剤の製造工場をMeiji Seikaファルマと武田薬品系のアルカリスは共同でmRNA技術を利用した製品の製造工場を建設した。そこではレプリコン・ワクチン「ARCT-154」も製造されるという。 日本で2021年春から接種を推進している「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」こと遺伝子導入剤が人類の存続を危うくするほどの危険性があることが明確になってきたが、それ以上に危ない薬剤が「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」こと人工ウイルスだ。これは動物の種を超えるだけでなく、動物と植物の間でも感染する可能性が指摘されている代物で、危険性が高い。この薬剤を承認するような無謀な国は日本だけである。 いや、本当に「無謀」なのだろうか? 日本で「COVID-19ワクチン」の接種が加速的に進む前、2020年12月下旬からイスラエルでは接種が急ピッチで進められ、短期間で国民の大半が接種を完了したという。 そのイスラエルでは翌年の4月になると十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が増えていると伝えられはじめ、6月23日にはアメリカCDC(疾病予防管理センター)のACIP(予防接種実施に関する諮問委員会)が「mRNAワクチン」と「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと認めざるをえなくなる。その2日後にはFDA(食品医薬品局)がmRNA技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19ワクチン」が若者や子どもに心筋炎や心膜炎を引き起こすリスクを高める可能性があると発表した。 そうした情報もあり、イスラエルにおける接種数は少なくなるが、8月に入ると再び接種数が急増、それに合わせて「ケース」も急増した。政治トークショウのホストを務めるキム・イベルセンが入手したデータには、病院がワクチン接種者であふれ、死者も増えていると記されていた。 つまり、「COVID-19ワクチン」が危険だということを示す情報が出てきたのだが、そうした中、日本では接種が推進され、2022年春からは日本だけが接種している状況になっている。製薬メーカーは勿論、日本の政治家、官僚、「専門家」、マスコミなど接種を推進してきた人びとがそうした事実を知らないはずはない。そうした危険性を知った上で彼らは推進している。 本ブログでは何度も書いてきたが、サーシャ・ラティポワによると、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動はアメリカ国防総省がバラク・オバマ政権の時代に始めた作戦だ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。日本の「ワクチン」政策は国防総省の命令に基づく可能性がある。 ロシア軍は2022年2月24日、ドンバスへ軍事侵攻しようとしていたウクライナ軍を攻撃したが、その際、アメリカがウクライナに建設していた生物兵器の研究開発施設も破壊した。ウクライナにはアメリカ国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったと言われている。ロシア軍はDTRAの施設を意図的に攻撃した可能性が高い。 ロシア政府はアメリカ軍がロシアとの国境に近いウクライナ領内で生物化学兵器の研究開発を行っていることを前から知っていた。ウクライナでクーデターが始まった2013年、アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれ、実際、建設されている。 ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設されたという。 ロシア軍は2022年2月の攻撃でウクライナ側の機密文書を回収している。そうした文書の分析でアメリカが「万能生物兵器」を開発していたことが判明したと2023年4月に発表された。人だけでなく動物や農作物にも感染でき、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというのだ。そうした兵器を秘密裏に標的を絞って使い、「核の冬」に匹敵する結果をもたらすことが目的だ。 現在、ウクライナ軍は壊滅状態で、生物兵器の研究開発施設の多くは機能していないはず。ロシア軍に回収されなかった資料やサンプルはウクライナの外へ避難させただろう。 ところで、レプリコン・ワクチンは動物の種を超えるだけでなく、動物と植物の間でも感染する可能性が指摘されている。ウクライナで開発されていた「万能生物兵器」は人だけでなく動物や農作物にも感染する遺伝子組換え兵器。現象だけから考えると似ている。レプリコン・ワクチンは生物兵器であり、その兵器の効果を調べるために日本で人体実験を実施、製造しようとしていると考えられなくもない。ウクライナは生物兵器の実験場と化していた。 ウクライナの隣国はロシアだったが、日本の隣国は中国。ロシアも中国もアメリカやイギリスの支配層が19世紀から征服しようと目論んでいた国。日本は明治維新以降、米英支配層の影響下にある。 日本の「エリート」は無謀なのでなく、命令に従っているだけではないだろうか。
2024.02.06
パキスタンの裁判所は2月3日、イムラン・カーン元首相に対して懲役7年の判決を言い渡した。カーンは汚職容疑で懲役3年の判決が言い渡されて2023年8月から収監されているが、1月30日には情報漏洩で懲役10年、31日には汚職で懲役14年が言い渡されている。2月8日に予定されている総選挙の直前、立て続けに「カンガルー法廷」で懲役刑が言い渡されたわけだ。 こうした判決の裏でアメリカ政府が暗躍していることは本ブログでも指摘した。インターネット・メディアの「インターセプト」がパキスタン政府の機密文書を公開、その文書にはアメリカの国務次官補を務めていたドナルド・ルーやレ・ヴィグリーを含む国務省高官が当時の駐米パキスタン大使のアサド・マジード・カーンと2022年3月7日に行った会談の記録が含まれているのだが、ルー国務次官補は不信任決議を提案している。 ウクライナ軍がドンバスへの軍事侵攻を準備している中、2022年2月24日にロシア軍はミサイルでウクライナに対する攻撃を始めた。その攻撃についてイムラン・カーンは首相として中立の立場を表明、パキスタンは欧米の奴隷ではないと集会で演説している。非同盟の立場を明確にしたのだ。アメリカ政府高官とパキスタンの駐米大使との会談はその翌日に行われた。今回、公表された文書によると、その会談でアメリカ政府はパキスタン政府に対し、カーンを排除するように促している。 ルー国務次官補は不信任決議が採択されば首相のロシア訪問は首相の個人的な決断だとアメリカ政府はみなして全てを許すが、失敗すれば厳しい対応をすると語ったという。そして不信任決議の準備が会議の翌日から始まった。 2022年4月に内閣不信任決議案が提出されるが、下院議長は却下。解散総選挙に打って出るとカーンは表明し、4月3日に議会は解散されたものの、4月7日に最高裁が議会解散を違憲と判断、4月10日に内閣不信任決議案の採決が行われて可決されて軍を後ろ盾にするシャバズ・シャリフ政権が誕生した。 これに対し、国民は強く反発。大規模な抗議行動や暴動という形で表面化した。そこで軍は市民の自由を大幅に削減し、軍への批判を犯罪化し、国内経済における軍の役割を拡大、国内は麻痺。言論統制のひとつの結果として、アメリカ政府に従属する軍に批判的なジャーナリストが殺害されたり行方不明になったりしている。カーンは政治集会で銃撃されて足を負傷、その際、支持者のひとりが殺されている。 ウクライナの問題はアメリカの支配層がカーンを排除しようとした理由のひとつにすぎない。パキスタンはアフガニスタンやイランの隣国であり、アメリカにとって重要な戦略的な拠点。パキスタン政府は「アメリカ支配層の奴隷」でなければならない。そのため、アメリカ支配層はパキスタンの将軍たちを買収し、カーンのような人物を抹殺する仕組みを作り上げてきたと言われている。 アメリカに排除されたパキスタンの首相はカーンの前にもいた。ベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットだ。ブットの排除はズビグネフ・ブレジンスキーの戦略と関係していた。ただ、カーンはブットよりイスラム世界で人気があり、ブットのケースと同じ道筋を辿らないだろうと推測する人は少なくない。 ベナジル・ブットの特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派に対する資金援助を開始、その時にCIAはパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従い、クルブディン・ヘクマチアルに目をつけた。ヘクマチアルはカブール大学で学び、ムスリム青年団のリーダーになる。この組織はムスリム同胞団の青年組織で、CIAから支援を受けていた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) ズルフィカル・アリ・ブットの政権は1977年に軍事クーデターで排除され、ブット自身は79年に処刑された。クーデターを主導したムハンマド・ジア・ウル・ハクは陸軍参謀長だった人物で、アメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けているムスリム同胞団員。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019) CIAは王制イランの情報機関SAVAKは1978年、大金を持たせたエージェントをアフガニスタンへ派遣、モハメド・ダウド政権に対し、軍隊の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作している。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995) ダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まって倒される。1978年4月のことだ。そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。このタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993) このタラキ政権を倒すために動いたのがヘクマチアルを中心とする武装集団。サウジアラビアの協力でサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団も戦闘員としてアフガニスタンへ派遣された。これが「アル・カイダ」の始まりだ。そうした武装勢力の資金源はベトナム戦争の時と同じように麻薬が利用されている。 この反タラキ勢力は女性のための学校や大学を焼き討ちし、治安は悪化していく。タラキ政権は旧体制の指導者たち約2万7000名を処刑したとも言われているが、国内を安定化させることに失敗した。 タラキが実権を握って間もない1978年7月にアドルフ・ダブスがアフガニスタン駐在アメリカ大使に就任したが、この人物はリチャード・ニクソンのデタント政策を擁護していたことで知られ、ブレジンスキーとは対立していた。 1979年2月にダブス大使は拉致される。彼が拘束されていたホテルへ警察とソ連の顧問が突入した時にはすでに殺されていた。ダブスはアフガニスタンでの工作を進めるため、「生贄になった」という見方もあるが、真相は不明だ。ブレジンスキーたちはソ連の責任を主張した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) タラキは1979年3月にクレムリンへ出向いてソ連軍の派遣を要請するが、アレクセイ・コスイギン首相はこの要請を拒否。その月にイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問が殺害されている。その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になった。襲撃したのはイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力だ。1979年10月にタラキは殺され、同年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してきた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
2024.02.05
アメリカのCENTCOM(中央軍)は2月2日、B1爆撃機を含む航空兵力を使い、イラクとシリアを空爆した。目標は85カ所以上だったとされている。アメリカを攻撃したわけでない主権国への攻撃であり、「国際法違反」だと言えるが、アメリカはそうしたルールを守る意思はない。そもそもアメリカ軍は2014年からシリアへ地上部隊を侵入させ、20以上の基地を建設している。そのひとつのアル・タンフだ。 2011年春にバラク・オバマ政権は「アラブの春」を演出、アル・カイダ系武装集団を利用してリビアやシリアへの軍事侵略を開始、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はその年の10月に倒れ、カダフィ本人はその際に惨殺された。その後、武器や戦闘員をシリアへ集中させたものの、バシャール・アル・アサド政権を倒せない。 そこでオバマ政権は配下の武装集団に対する支援を強化するが、それをアメリカ軍の情報機関DIAは危険だと考え、2012年8月にホワイトハウスへ報告書を提出している。反シリア政府軍の主力はアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだと指摘されていた)であり、その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だと指摘、オバマ大統領が主張する穏健派は存在しないとしている。 オバマ政権はDIAの警告を無視、その結果、2014年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)が出現した。そのダーイッシュは残虐さを演出、同政権は世界の人びとを恐怖させた上でアメリカ/NATO軍を投入しようとした。 そのため、アメリカでは軍事力の行使に慎重な人びとが粛清される。2014年8月にはDIA局長だったマイケル・フリン中将が退役させられ、15年には2月に国防長官がチャック・ヘーゲルから好戦派として有名なアシュトン・カーターへ、また9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーから軍需産業と関係の深いジョセフ・ダンフォードへ替えられた。 デンプシーが退任した直後の9月30日にロシアはシリア政府の要請を受けて軍事介入、ダーイッシュや「アル・カイダ」系武装勢力を敗走させ、アメリカは軍事介入するタイミングを逸した。 そうした中、アメリカ軍はシリア領内へ侵入して基地を建設、敗走したダーイッシュに替わってクルドを手先として使い始めた。それ以来アメリカ軍はクルドを守り、クルドはシリアの石油を盗掘、その石油をいイスラエルへ供給している。 ガザでの虐殺はパレスチナ問題の一場面にすぎず、パレスチナ問題はイスラエルの「建国」から始まる。イスラエルなる国をアラブ人が住んでいた豊かな場所に作り上げるプロジェクトを始めたのはイギリスだ。この辺の事情は本ブログでも繰り返し書いてきた。 イスラエル軍は10月27日にガザへ3師団と数旅団を侵攻させたが、中東のメディアによると、その作戦にはアメリカ軍約5000人が参加しているとする話も伝えられていた。現在伝えられている話では2000人だとされ、そのほとんどが軍事顧問だというが、ガザでの戦闘にアメリカ軍の特殊部隊が参加していることはクリストファー・マイヤー国防次官補が語っている。 また、10月7日にハマスの戦闘部隊がイスラエルへ攻め込んだ際にイスラエル軍が醜態を見せたことから、アメリカ軍の司令官が事実上、イスラエル軍を指揮しているとする話も流れていた。 ハマスが攻め込む2カ月前、アメリカの国防総省はネゲブ砂漠のハルケレン山頂にある基地にアメリカ軍人の「生命維持エリア」を建設する契約をコロラド州に拠点を置く企業と結んでいる。 この基地は「サイト512」と呼ばれ、イスラエルを攻撃するイランのミサイルを監視するレーダー施設がある。ガザから30キロメートル余りの場所にあり、その存在は秘密にされていた。ハマスのミサイルはガザから発射されたため、このレーダーは探知できなかったようだ。アメリカは中東や北東アジアにAN/TPY-2レーダーを配備、そのひとつがサイト512。残りはトルコのサイトK、そして日本の青森県車力と京都府京丹後にある。 ガザへ攻め込んだイスラエル軍は苦戦を強いられている。病院が学校を破壊して3万人近い住民を虐殺しているものの、ハマスなどの戦闘部隊は大きなダメージを受けていない。ガザへの侵攻作戦は失敗したと考える人が少なくない。 ハマスの創設にイスラエルが深く関与していることは広く知られている話で、10月7日にハマスの戦闘部隊がイスラエルへ攻め込んだ際にもイスラエル政府やアメリカ政府は事前に知っていたかのような動きを見せていた。 しかし、ヤセル・アラファトが暗殺された2004年にハマスを創設したアーメド・ヤシンも殺され、その後、反イスラエル色の濃いグループも誕生した。10月7日の攻撃の数カ月前、ハマスはヒズボラやイスラム聖戦と会議を開いていたと言われているが、こうした組織は戦闘情報を交換していたようだ。各組織は独自に動いているものの、情報は共有しているという。イスラエルはハマスの動きを見誤ったのかもしれない。 いわゆる「国際社会」がイスラエルによるパレスチナ人虐殺を傍観している中、イエメンのフーシ派(アンサール・アラー)はイスラエルへ向かう船舶に対する攻撃を始めた。ガザでの虐殺が終わるまで続けると宣言している。 それに対し、アメリカとイギリスはガザで虐殺を続けるイスラエルを支援するため、1月12日からオーストラリア、バーレーン、カナダ、そしてオランダを引き連れてイエメンを攻撃しはじめた。 さらに、イラクやシリアで活動している反米グループもアメリカ軍施設への攻撃を開始、1月28日にはシリアとの国境に近いヨルダンのアメリカ軍基地、タワー22基地が攻撃され、アメリカ兵3名が死亡、25名以上が負傷したと発表されている。それに対する報復としてCENTCOMはイラクやシリアを空爆しているわけだ。 ジョー・バイデン政権は戦争の拡大を望んでいない風を装っているようだが、アメリカが世界制覇プロジェクトを作成した1992年2月当時から中東全域どころか世界を火の海にするつもりだった。 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイスラエルにとって目障りなイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていた。2001年9月11日から10日ほど後には統合参謀本部でクラークが見た攻撃予定国のリストにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。(3月、10月)
2024.02.04
捕虜交換に向かう途中のウクライナ兵65名を乗せたロシア軍の輸送機を1月24日に撃墜したのはウクライナ軍のPatriot PAC-3ミサイルだったことが確認された。このシステムをウクライナ軍は扱えないはずで、アメリカ兵が撃ち落とした可能性が出てきた。この問題は尾を引くだろう。 ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、捕虜の交換は何週間も前から行われている。協議は両国の大統領であるウラジミル・プーチンとウォロディミル・ゼレンスキーではなく、軍のトップであるロシアのワレリー・ゲラシモフ参謀総長とウクライナのバレリー・ザルジニー最高司令官によって進められたという。そのザルジニーをゼレンスキーは解任しようと試み、失敗したと言われている。 本ブログでも繰り返し書いていることだが、ザルジニーは11月1日付けエコノミスト誌に意見を掲載、イギリスの支配層がウォロディミル・ゼレンスキー大統領からザルジニー司令官へ乗り換えようとしているのではないかと噂された。 ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントだと言われているが、同国の支配層は彼に見切りをつけた可能性がある。現在、ゼレンスキーを支えているのはジョー・バイデン米大統領の周辺だと言われている。 そのバイデンが副大統領を務めていたバラク・オバマ政権で国務次官補を務め、2013年11月から14年2月にかけてキエフで実行されたクーデターの際、現地に入って指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官は1月31日にまたキエフへ入った。 ヌランドのキエフ入りに合わせ、ウクラニア軍は無人機で黒海艦隊に所属する艦船を破壊。1989年建造、排水量493トンのイワノベッツだ。ちなみに、自衛隊で大きさが近い艦船は基準排水量690トンの「あわじ」型掃海艦であり、「ヘリコプター搭載護衛艦」とされる「いずも」は1万9500トンに達する。つまりイワノベッツの破壊は軍事的に意味はなく、ロシア軍の報復を誘発するだけだ。 そのロシア軍はウクライナ軍の兵站を徹底的に叩いてきたが、近いうちに本格的な攻勢を始める可能性がある。ザルジニーは「膠着状態」にあると主張しているが、実際は壊滅状態だ。それでもゼレンスキーが戦闘を止められないのは、それが彼やその周辺の破滅を意味するからに他ならない。
2024.02.03
ガザでの虐殺を阻止するため、あらゆる手段を講じるように命じる暫定判決をICJ(国際司法裁判所)が出したのは1月26日。その判決から48時間の間にイスラエル軍は市民345人を含む373人のパレスチナ人を殺害した。その4割は子ども、女性を含めると7割に達すると言われている。 これだけの虐殺を実行するためには相当量の武器弾薬が必要だが、イスラエルにそれだけの生産力はなく、外部から運び込まなければならない。イスラエルにはアメリカが武器弾薬を保管していたが、それでは足りないのだ。 イスラエルによる虐殺を支援しているアメリカやイギリスは自分たちの軍事拠点があるキプロスから物資をイスラエルへ運び込んでいると当初、伝えられていた。キプロスにはイギリス空軍のアクロティリ基地があり、イギリス空軍だけでなくアメリカ空軍の偵察航空団も駐留しているのだ。イスラエルのハーレツ紙によると、10月7日からイスラエルへアメリカ軍の大型輸送機が20機、そしてイスラエルと各国がリースした民間輸送機が約50機、物資を輸送している。 ここにきて6機以上のイスラエル軍機がイギリスへ飛来しているとする情報が伝えられている。10月7日からイギリスのグラスゴー、バーミンガム、サフォークとオックスフォードシャーの空軍基地に来ているという。 イギリスの基地を飛び立ったイスラエルの輸送機はネゲブ砂漠にあるベールシェバに到着している。そこあるネバティム空軍基地は兵站の拠点だ。 12月13日にはイスラエル空軍のボーイング707-300がイギリスのミルデンホール基地からアメリカのデラウェア州にあるドーバー基地へ飛んだ。第436空輸航空団がいるドーバー基地は航空貨物ターミナルで、イスラエル軍機は10月10日にそこを飛び立ったという。また1月23日にはアメリカ空軍のC-17輸送機がイスラエル軍の基地からトルコへ飛行している。 約2000名のアメリカ軍部隊がイスラエル支援の準備をしていると10月に伝えられていたが、すでにイスラエルの核施設を守るために配備されているとも報道されている。
2024.02.02
パキスタンでは2月8日に総選挙が予定されているが、本来なら勝利する可能性が高いPTI(正義のためのパキスタン運動)は裁判所の決定により、同党の候補者は「無所属」として立候補することを強いられている。党首のイムラン・カーン元首相は汚職容疑で懲役3年の判決が言い渡され、2023年8月から収監されている。しかも1月30日に情報漏洩で懲役10年、31日には汚職で懲役14年が言い渡された。 裁判ではメディアや一般の傍聴が一切認められず、検察側の証人や専門家に対する弁護士の反対尋問も拒否されている。この裁判は茶番にすぎず、カーンを2月8日の選挙に出馬させないだけでなく、政治的な暗殺を目論んだと言える。 カーンはアメリカに服従することを拒否、2月24日にロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めた際には中立の立場を表明していた。この戦闘の発端は2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使って仕掛けたクーデターであり、元アメリカ政府高官の中にもロシアの動きは遅すぎたと批判する人がいた。 この件については本ブログでも取り上げたことがある: インターネット・メディアのインターセプトがパキスタン政府の機密文書を公開した。その文書にはアメリカの国務次官補だったドナルド・ルーやレ・ヴィグリーを含む国務省高官が当時の駐米パキスタン大使のアサド・マジード・カーンと2022年3月7日に行った会談の記録が含まれている。 その直前、2月24日にロシア軍はミサイルでウクライナに対する攻撃を始めたが、首相だったイムラン・カーンは中立の立場を表明した。パキスタンは欧米の奴隷ではないと集会で演説、非同盟の立場を明確にしている。会談はその翌日に行われた。今回、公表された文書によると、その会談でアメリカ政府はパキスタン政府に対し、カーンを排除するように促している。 ルー国務次官補は不信任決議を提案、その決議が採択されば首相のロシア訪問は首相の個人的な決断だとアメリカ政府はみなして全てを許すが、失敗すれば厳しい対応をすると語ったという。そして不信任決議の準備が会議の翌日から始まる。 2022年4月に内閣不信任決議案を提出されるが、下院議長は却下。解散総選挙に打って出るとカーンは表明し、4月3日に議会は解散されたものの、4月7日に最高裁が議会解散を違憲と判断、4月10日に内閣不信任決議案の採決が行われて可決されて軍を後ろ盾にするシャバズ・シャリフ政権が誕生した。 議会や裁判所はアメリカ政府の意向通りに動いたわけだが、国民は強く反発し、大規模な抗議行動や暴動という形で表面化した。そこで軍は市民の自由を大幅に削減し、軍への批判を犯罪化、国内経済における軍の役割を拡大して国内は麻痺した。言論統制のひとつの結果として、アメリカ政府に従属する軍に批判的なジャーナリストが殺害されたり行方不明になったりしている。軍は独裁体制へ向かっている。 昨年11月にカーンは政治集会で銃撃されて足を負傷した。その際、支持者のひとりが殺されている。勿論、カーンを負傷させるために銃撃したわけではなく、暗殺未遂だ。これを認めようとしない人はパキスタンのエリートと同様、アメリカの支配層に従属しているのだろう。 パキスタンはアメリカにとって軍事的に重要な役割を演じてきた。例えば: ズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいてCIAは1979年4月にアフガニスタンで秘密工作を始めた。ソ連軍が侵攻する半年以上前のことだ。その工作についてCIAのイスタンブール支局長はパキスタンの情報機関ISIの協力を得ている。 しかし、パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助し始めていた。その反体制派とはクルブディン・ヘクマチアルだが、その選定をしたのはISIだ。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) この工作を進めるためにCIAはパキスタン政府の協力が必要だったのだが、ベナジル・ブットの父親、ズルフィカル・アリ・ブットの政権はアメリカ政府にとって好ましくなかった。自立した政策を進めていたからだ。ブット政権は1977年の軍事クーデターで排除され、ブット自身は79年に処刑されている。 クーデターを主導したムハンマド・ジア・ウル・ハク陸軍参謀長はノースカロライナ州のフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)
2024.02.01
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