《櫻井ジャーナル》

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2022.05.24
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 ジョー・バイデン米大統領が5月22日にエアフォース・ワン(大統領専用機)で在日アメリカ軍の司令部がある横田基地へ到着した。23日には岸田文雄首相と会談し、台湾を中国軍が攻撃した場合には軍事介入すると発言。24日には日米とオーストラリア、インドの4カ国でつくる「Quad(クアッド)」首脳会議に出席する。

 ヨーロッパからの移民が先住の「アメリカ・インディアン」を大量殺戮して作られた国がアメリカである。最近は「先住民」と単純に呼ぶ人が多いようだが、この用語は一般的な名称で、「前に住んでいた人」を意味するだけ。アメリカにおける虐殺の歴史は消えている。

 1492年にクリストバル・コロン(コロンブス)がバハマ諸島に到着、1620年にはイギリスから「ピルグリム・ファザーズ」と呼ばれるピューリタンの集団がプリマスへ到着した。その3年前、1617年にイギリス人が持ち込んだペスト菌で大陸東岸に住んでいた少なからぬ先住民が死亡している。ピューリタンが本格的な移民を始めるのは1630年だ。

 天然痘も使われた。天然痘の患者が使い、汚染された毛布などを贈るという手法をイギリス軍は使っていたとされている。19世紀になっても続けられていたという。銃弾や爆弾だけでなく、病原体を彼らは使う。

 1617年にマサチューセッツ湾へ到達したジョン・ウィンスロップは自分たちを「神から選ばれた民」だと主張、神との契約に基づいてマサチューセッツ植民地を建設すると語っている。この感覚はその後も生き続け、アメリカ軍を「神の軍隊」だと考える人が1960年代にもいた。

 ところが、ベトナム戦争でアメリカ軍は勝てない。「神の軍隊」が勝てないことに不満を募らせた人びとの目の前に現れたのがイスラエル軍だった。1967年6月の「第3次中東戦争」でエジプトやシリアの軍隊に圧勝、新たな「神の軍隊」になる。この後、キリスト教系カルトがイスラエルを支持するようになり、ネオコンが勢力を拡大させる一因になった。

 そのイスラエルは1948年5月に建国が宣言されているが、そこには先住のアラブ系住民(パレスチナ人)が生活していた。1936年4月にパレスチナ人は独立を求めてイギリスに対する抵抗運動を開始するが鎮圧され、共同体は政治的にも軍事的にも破壊された。その際、パレスチナ人と戦った勢力には2万5000名から5万名のイギリス兵、2万人のユダヤ人警察官、そして1万5000名のハガナ(シオニストの武装集団)などが含まれている。後にハガナが中核となり、イスラエル軍が編成された。

 アラブ系住民をパレスチナから消し去るため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動された。この作戦は1936年から39年にかけて行われたイギリスによるパレスチナ人を殲滅する作戦の詰めの作業だったという見方もある。

 4月6日未明にハガナの副官、イェシュルン・シフがエルサレムでIZL(イルグン・ツバイ・レウミ)のモルデチャイ・ラーナンとレヒ(スターン・ギャング)のヨシュア・ゼイトラーに会い、ハガナのカステル攻撃に協力できるかと打診。ハガナより過激な両武装集団は協力することになる。

 IZLとレヒはデイル・ヤシンという村を襲撃するが、この村が選ばれた理由はエルサレムに近いことに加え、攻撃しやすかったからだ。村の住民は石切で生活し、男が仕事で村にいない時を狙って攻撃するプランだった。早朝ということで、残された女性や子どもは眠っている。

 9日午前4時半にIZLとレヒはデイル・ヤシンを襲撃。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は開始され、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺された。家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされている。

 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 この虐殺を見て多くのアラブ系住民は恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。同じ戦術をアメリカは2014年からウクライナでも実行しつつあった。

 1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたが、国際連合は同年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択。この決議は現在に至るまで実現されていない。気に入らないと「制裁」を連発するアメリカはイスラエルの擁護者だ。

 パレスチナに「ユダヤ人の国」を建設する第一歩はイギリスの外相だったアーサー・バルフォアが1917年にウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡だが、建国の大きな目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったと考えられている。運河によって地中海と紅海を艦船が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だった。

 この運河によってイギリスが南コーカサスや中央アジアで19世紀に始めた「グレート・ゲーム」は進化してユーラシア大陸の沿岸部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧する長期戦略が作られた。この戦略を進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーである。

 大陸を締め上げる三日月帯の西端がイギリス、東端が日本だ。その途中、インドは東インド会社の時代から植民地で、中国(清)へはアヘンを密輸出、戦争に発展して勝利している。その帯の上にイギリスはサウジアラビアとイスラエルを「建国」させたわけだ。この戦略の中でイギリスは日本でクーデターを実行させ、明治体制(天皇制官僚国家)を作り上げる。

 その一方、アメリカは1776年に独立を宣言、その後もアメリカ・インディアンを虐殺しながら支配地域を東から西へ拡大させ、1845年には太平洋岸に到達した。

 1846年にアメリカはメキシコと戦争をはじめ、テキサス、ニュー・メキシコ、カリフォルニアを制圧。フロンティアの消滅が宣言された1890年にはサウスダコタのウンデッド・ニー・クリークにいたスー族を騎兵隊が襲撃し、150名から300名を虐殺している。

 ウイリアム・マッキンリーが大統領に就任した翌年、1898年にアメリカの中南米侵略を本格化させる引き金になった事件が起こる。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈したのだ。アメリカはスペインが爆破したと主張、宣戦布告して米西戦争が始まる。マッキンリーは戦争を回避しようとしていたが、海軍次官補だったシオドア・ルーズベルトが独断で戦争へとアメリカを引きずっていった。

 この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの独立を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収することになる。ハワイも支配下におく。フィリピンは中国へ乗り込む橋頭堡としての役割を果たすことになった。その際、アメリカ軍がフィリピンで行った先住民の虐殺は悪名高い。

 米西戦争を主導したシオドア・ルーズベルトは1880年にハーバード大学を卒業しているが、その2年前に同大学のロースクールで法律を学んでいた日本人がいる。そのひとりが金子堅太郎。そうしたこともあり、1890年にセオドアの自宅でふたりは会ったという。セオドアは1901年、大統領に就任する。

 アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 明治体制は琉球併合、台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争へと突き進むが、これはイギリスやアメリカの戦略と合致している。ユーラシア大陸東岸にアメリカが最初に築いた侵略拠点はフィリピンだが、日本列島はそれに次いで古い。

 マッキンダーの戦略をアメリカ支配層は第2次世界大戦後も踏襲し、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」はマッキンダーの理論を基盤にしたが、今も基本的に変化していない。

 アメリカ海軍は2018年5月、「太平洋軍」という名称を「インド・太平洋軍」へ変更した。太平洋からインド洋にかけての海域を一体のものとして扱うことを明確にしたのだが、これもマッキンダーの戦略に沿っている。

 日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされたが、インドがロシアとの関係を強化し、インドネシアもアメリカと距離を置き始めている。

 中曽根康弘は総理大臣に就任して間もない1983年1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本列島を「巨大空母」と表現した。続けて「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語る。「不沈空母」を誤訳とする人がいたが、おそらく、イスラエルがそうした表現を使っていたからで、「巨大空母」と本質的な違いはない。

 その巨大空母から沖縄(琉球)、台湾という軍事ラインを今もアメリカは戦略的に使っている。韓国は大陸侵攻の橋頭堡だ。南シナ海の支配ではフィリピンの役割が重要になる。

 アメリカは東アジアにおける軍事同盟として「クワド」を組織した。アメリカのほか、オーストラリア、インド、そして日本で構成されているが、インドはアメリカ離れしつつある。

 そこで新たに作り上げたのがアメリカ、オーストラリア、そしてイギリスをメンバー国とする「AUKUS」だ。アメリカとイギリスの技術でオーストラリアは原子力潜水艦を建造するという。

 南シナ海は中国が進めている一帯一路(BRI/帯路構想)のうち「海のシルクロード」の東端。ここからマラッカ海峡を通過、インド洋、アラビア海を経由してアフリカやヨーロッパへつながっている。安倍晋三は首相だった2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「​ 安保法制は、南シナ海の中国が相手なの ​」と口にしたというが、その発言の背景はこうしたアメリカ側の戦略がある。

 海上自衛隊は「ヘリコプター搭載護衛艦」の「いずも」を2010年に発注、15年に就役させている。この艦船は艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有して多数のヘリコプターを運用でき、艦砲、対艦ミサイル、対空ミサイルを持っていない。いずれも外観はアメリカ海軍の強襲揚陸艦「アメリカ」を連想させる。MV22オスプレイやF-35Bの購入などともリンクしている。「いずも」に続いて「かが」も就航した。こうした艦船の建設は安倍晋三の発言と結びついている。

 アングロ・サクソンの世界制覇プランは第2次世界大戦後、「冷戦」という形で均衡が保たれていたが、1991年12月のソ連消滅で均衡が崩れる。ネオコンなどアメリカの好戦派は自国が「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手にできる時代になったと考えた。

 ところが日本の細川護熙政権は国連中心主義から離れない。そこでマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触、ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表している。キャンベルは現在、NSC(国家安全保障会議)でアジア地域の責任者だ。

 そうした中、日本では衝撃的な出来事が立て続けに引き起こされた。1995年には3月の地下鉄サリン事件、その直後に警察庁長官だった國松孝次が狙撃され、8月にはアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に日本航空123便に関する記事が掲載されている。その記事の中で自衛隊の責任が示唆されていた。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。

 アメリカではビル・クリントン政権で国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年に1月から戦争へと向かい始める。

 1998年4月にアメリカ上院はソ連との約束を無視してNATOの拡大を承認、その年の秋にオルブライト国務長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃。その際にスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊し、中国大使館を爆撃している。

 バラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行したクーデターはその延長線上にあり、現在の戦乱はその続きにすぎない。1992年から30年間、西側で「戦争反対」の声はか細かった。反戦運動やリベラル派は消えたという声もしばしば聞いた。

 もっとも、戦争に反対する人は少数派である。ベトナム戦争でも戦争に反対する人が増えるのは終盤になってからだった。そこで1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会で「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」が集会を開いたのである。

 その主催者は「沈黙が背信である時が来ている」と訴えているが、その訴えにキング牧師は賛意を示し、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」と話している。

 ロン・ポール元下院議員によると、​ キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していた ​という。それが「リベラル派」の実態だった。そうしたアドバイスを牧師は無視、発言のちょうど1年後に暗殺された。

 人種差別も侵略戦争も根源は同じ。つまり資本を握る富豪が大多数の労働者を支配する仕組みそのものを問題にしなければならない。支配者は逆に、人びとの目をそうした問題からそらさせる必要がある。「労働者階級」を「白人下層中産階級」と呼ぶようになったとニューヨーク誌が指摘したのは1969年4月14日号だ。「労働者」というタグで白人と黒人が結びつくことを恐れたのかもしれない。

 ベトナムへの本格的な軍事作戦をジョンソン政権が始めたのは1964年のことだが、軍事介入を正当化するために言われた口実は嘘だった。7月30日に南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島、ホンメとホンニュを攻撃、31日にはアメリカ海軍の特殊部隊SEALsの隊員に率いられた20名ほどの南ベトナム兵がハイフォンに近いホンメ島のレーダー施設を襲撃。この襲撃に対する報復として、北ベトナムは8月2日、近くで情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃したと言われている。

 しかし、リンドン・ジョンソン大統領は議会幹部に対し、公海上にいたアメリカの艦船が北ベトナムの攻撃を受けたと説明、8月7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決した。この決議を受けて1965年2月から北ベトナムに対する本格的な空爆、ローリング・サンダー作戦が始まる。

 ベトナム戦争後、「反戦運動」は衰退し、アメリカの侵略戦争を正当化するために「良い戦争」というタグも使われるようになった。アメリカの好戦派が1990年代に侵略戦争を始めた時に「反戦」、あるいは「平和」の声を多くの人があげていれば、その後の世界は今と違うものになっていただろう。現在、バイデンを含む西側の好戦派はロシアと中国を核戦争で脅してるが、この脅しは機能しない。









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最終更新日  2022.05.24 18:29:53


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