ワシントン・ポスト紙はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とハマスについて「奇妙な共生関係」と表現している 。ハマスはイスラエルを破壊すると宣言、ネタニヤフはハマスを破壊すると宣言、緊張を高めることでいずれも自分たちの存在意義をアピールしてきたとは言えるだろう。
本ブログでも繰り返し書いてきたが、ハマスの創設にイスラエルが深く関与している。第3次中東戦争の際、中東のイスラム諸国はイスラエルの攻撃を傍観していたが、唯一イスラエル軍と戦ったのがファタハであり、その指導者がヤセル・アラファトだった。それ以来、アラファトはイスラエルにとって目障りな存在になる。
このアラファトの力を弱めるためにイスラエルはムスリム同胞団のメンバーだったシーク・アーメド・ヤシンに目をつけた。イスラエルの治安機関であるシン・ベトの監視下、ヤシンは1973年にムジャマ・アル・イスラミヤ(イスラム・センター)を、そして76年にはイスラム協会を設立。ハマスは1987年にイスラム協会の軍事部門として作られる。
シーモア・ハーシュによると、 2009年に首相へ返り咲いた時、ネタニヤフはPLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした 。そのため、ネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたという。
今年10月7日、ハマスなどの戦闘部隊がイスラエルへ攻め込んだのだが、この出来事には謎がある。ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所であり、その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが張り巡らされ、人が近づけば警報がなる。地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっている。ところがハマスはイスラエルへ突入できた。しかも突入の数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させている。そうしたことから、ネタニヤフ政権やアメリカのジョー・バイデン政権はハマスの攻撃を事前に知っていたのではないかと疑う人が少なくない。
攻撃の際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされた。その後、犠牲者の人数は1200名だと訂正されたが、イスラエルの新聞 ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊した という。イスラエル軍は自国民を殺害したということだ。 ハーレツの記事を補充した報道 もある。さらに、停戦にともなって解放された人質もイスラエル軍にイスラエル市民が攻撃された実態を当事者として証言しはじめた。
イスラエル軍は自国の兵士が敵に囚われるのを嫌い、かつて、自軍を攻撃し傷つける代償を払ってでも、あらゆる手段で誘拐を阻止しなければならないという「ハンニバル指令」が出されたが、2016年にこの指令は撤回されたとされている。しかし今回、発動したのではないかという噂がある。
10月7日の出来事の背後にどのようなことがあるのかは不明だが、イスラエルやアメリカ政府の支配層の内部で利害対立が生じている可能性が高い。
今回、ネタニヤフとハマスが「奇妙な共生関係」にあると書いたワシントン・ポスト紙はCIAと関係が深いことで知られている。
アメリカをはじめとする西側諸国の有力メディアがCIAの影響下にあることはデボラ・デイビスが書いた『キャサリン・ザ・グレート』、カール・バーンスタインがローリング・ストーン誌に書いた「CIAとメディア」、ウド・ウルフコテの告発などで明らかにされている。
言うまでもなくバーンスタインはワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材したことで知られているが、ローリング・ストーン誌でメディアとCIAの癒着を明らかにしたのはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年だ。このテーマをワシントン・ポスト紙で書くことはできなかった。
ウクライナを巡ってはCIA(アメリカ)とMI6(イギリス)との間で対立が生じていると思える動きが見られるが、パレスチナでも内紛が始まったのかもしれない。