ウクライナ軍はクラスター爆弾を搭載したATACMS(陸軍戦術ミサイル・システム)で6月23日、クリミアのセバストポリ近郊の海岸を攻撃した。使われたミサイルは5機で、そのうち4機は途中で無力化されたものの、残りの1機が浜辺の空中でクラスター弾頭を爆発させ、2名の子どもを含む4名が死亡、150名以上が負傷した。
これまでもATACMSをウクライナ軍は攻撃に使ってきたが、このミサイルは複数の慣性航法ユニットをソフトウェアで組み合わせて使用しているため、ロシアのECM(電子対抗手段)でGPSを利用したシステムが機能しなくなっても目標に到達しやすい。それでも、ロシア軍の別の防空システムによって大半は撃墜されているようだ。
このミサイルを目標へ到達させるためのオペレーターはミサイルを供給した国が派遣し、偵察衛星からの情報も必要だという。つまり、ミサイルの発射場所はウクライナでも、攻撃しているのはアメリカ人である可能性が高い。ロシアは攻撃の詳細を知っているようだ。
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はリン・トレーシー米大使をロシア外務省へ召喚、ロシアとアメリカは平和な状態ではなくなったと伝えたと言われている。今後、ロシアはアメリカと同じように、シリア、イラン、朝鮮といった国だけでなく、ハマス、ヒズボラ、アンサール・アッラー(通称、フーシ派)へもロシア製の高性能兵器を提供する可能性が高まった。
ラブロフの発言が強いものだったと指摘する人もいる。虐殺の責任者であるアメリカは報復されると警告しているように理解できるというのだ。アメリカと違い、ロシアは口にしたことを実行する。このメッセージを出して何もしなかった場合、プーチンやラブロフは国民から激しく非難されることになる。
ミハイル・ゴルバチョフからウラジミル・プーチンに至るまで、ソ連やロシアの指導者はアメリカやヨーロッパを信頼できる体制だと信じていたようだ。ゴルバチョフはニコライ・ブハーリンを「別の選択肢」として研究していたグループのひとりで、西側の「民主主義」を信じ、アメリカの支配層を信頼していた。
実権を握ったゴルバチョフはソ連の「改革」に乗り出し、打ち出したのがペレストロイカ(建て直し)だが、これを考え出したのはKGBの頭脳とされ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだと言われている。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)
このボブコフは同僚のアレクセイ・コンドーロフと同じようにジョージ・H・W・ブッシュをはじめとするCIAのネットワークと連携していたとする情報がある。CIA人脈とKGB中枢が手を組み、ソ連を解体して資産を盗んだというのだ。このクーデターは「ハンマー作戦」と呼ばれている。私利私欲が絡んでいるかどうかはともかく、ソ連の仕組みは機能しないとKGBは考えたのだろう。
しかし、ソ連が消滅して間もなく、西側が帝国主義体制にすぎず、信頼できない相手だということをロシア人は理解したはずだが、西側幻想を完全に払拭することのできない人もいた。そのひとりがプーチンだろう。
しかし、西側の私的権力は約束を無視してNATOを東へ拡大させ、隣国のウクライナで2度にわたってビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させた。アメリカに従属せず中立を主張する政権をネオコンは許せなかった。2004年から05年にかけて抗議活動を演出して倒したのが最初。いわゆるオレンジ革命だ。
この革命で大統領に就任したビクトル・ユシチェンコは金融資本の手先で、新自由主義に基づく政策を進め、大多数の国民は貧困化した。西側の正体を知ったウクライナ人は2010年の選挙でヤヌコビッチを選ぶのだが、これをネオコンは許さない。そこで2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターを実行したのだが、ヤヌコビッチの支持基盤である東部と南部の住民はクーデター体制を拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは内戦が始まったのだ。
それでもプーチン政権は穏便な形での解決を目指したが、西側にはそうした姿勢を嘲笑する人がいた。西側を支配している米英仏の金融資本にそうしたことが通じないことを西側の人間なら知っている。
2014年の段階では軍や治安機関の内部ではネオ・ナチ体制を拒否する人が少なくなく、一部はドンバス軍へ合流したと言われている。そこで西側はロシアと「停戦交渉」するポーズを見せ、ミンスク合意という幻影を見せた。その「交渉」で戦力を増強するために8年稼いだ。そして2022年に入るとキエフ政権はドンバス周辺に部隊を集め、砲撃を激化させ、本格的な軍事攻撃を始める兆候を見せ始めた。
8年の間に軍事訓練を行なって兵士を育てただけでなく、兵器を供給し、偵察衛星や偵察機で収集した情報をウクライナ軍へ知らせる体制を整えていた。
また、ドンバス周辺に要塞線を築いている。地下要塞のあったアゾフ大隊が拠点にしたマリウポリ、岩塩の採掘場があるソレダル、その中間に位置するマリーインカ、そしてアブディフカには地下要塞が建設されていたという。ドンバスで住民を虐殺、ロシア軍を要塞線の中へ誘い込み、そこで足止めさせている間にクリミアを別働隊が攻撃して制圧するという作戦だったとも言われている。ロシア軍がキエフへ迫った理由は別働隊の動きを止めることにあったと考えるべきだろう。
その間、ロシア政府とウクライナ政府はイスラエルやトルコを仲介役として停戦交渉を進め、3月に入ることにはほぼ合意した。ロシア軍は約束通りにキエフ周辺から撤退を開始、3月30日にはブチャから撤退を完了した。31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えている。
市長は虐殺の話をしていないが、ロシア軍が撤退した後に西側のメディアはロシア軍による虐殺という話を流し始める。その後の調査で、ロシア軍が撤退した後に現地へ入ったウクライナの親衛隊が住民を虐殺したと考えられている。
停戦交渉を止めさせるため、イギリスの首相を務めていたボリス・ジョンソンは4月9日にキエフへ乗り込む。4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。
この後、ロシア政府は9月21日に部分的動員を発表したが、本格的な戦闘は始めない。それでもウクライナ軍は壊滅状態になり、NATOの兵器庫は空になった。
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