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夜明け前、まだ午前三時にもなっていなかった。昨夜は寝苦しかった夜中に寝汗をかいて、シュラフの足下のジッパーを開けた。今朝のテントの中は16℃あった外は10℃三時になると外に出ていつもの気功の修行をするまだ陽も昇っていなくて、東の空に金星が明るく輝いていた。気功の後はデジカメを持ってぶらぶらと撮影しつつ炊事場で朝食の準備をしていた。崖の下の波打ち際を撮ろうと少し下へ移動するとそこで思わぬ早起きさんたちと出会った。ここはけっこう険しい急斜面なのに、その中腹にエゾシカが居たのだきょとんとした眼でこっちを見ているここのキャンプ場には何度も来ているけどエゾシカを見たのは初めてだ海上は霧がかかっているのだろうか、水平線が見えない。やっと日の出テントサイトも明るくなった朝食後、テントを干しつつ撤収作業をしているとなにやら無線の会話が聞こえてきた近くの海上で漁船が漁をしていた。無線の会話は捕れた魚の種類と数量を漁協かどこかだろうけど知らせているらしかったのだ。撤収を完了させて、いざ出発して林道を走っているとなにか小さな生物が前を横切った自転車を急停車してそれを見ると、リスさんだった北海道ではもっと色が地味で身体が大きいエゾリスならよく見かけるけどシマリスは珍しいな、カワイイw同じコースでも帰りの方が来るときよりも楽だ行きよりも下りが多いから。キャンプ場から昆布森へ向かうとまもなくワインディングロードの始まり来るときは自転車から降りて押して歩いた所。1980年代中頃のバイクブームだった頃、釧路のライダーたちが集まっていた場所だ。重いザックを背負ってここを初めて走らせる自転車でしかもまったく新しいタイヤを履いていたので、かなり心配だったけど下り出すと全く問題が無いことが判ったブレーキもタイヤもしっかり踏ん張ってくれた。昆布森が見えてきた頃、雨がポツリポツリと落ちてきた通り雨らしい。下に着いてから、すぐに飲み物の自動販売機を探したキャンプ場で飲み水が確保出来なかったので、喉が渇いていたのだ。自販機はすぐに見つかって、ミネラルウオーターを買ったがキンキンに冷えた水を身体が受け入れなかったちょっとだけ飲んで、後はザックの水筒に入れた。昆布森トンネルの恩恵は帰り道の方が大きい以前は曲がりくねった急坂を長々と登らなければならなかった。帰りの道のりは比較的楽に感じるそれは来るときのと比較してのことだけど。途中、釧路駅のキヨスクに寄って共栄パンのピーナッツパンをyへのお土産に買った。 お終い追記、ほんとうはyに1本一万円以上もする日本酒をご馳走になるはずだったがそれは無いこととなった。その理由は『日焼け』でずーっと長いこと天気が悪くて太陽の光にまともに当たった事の無かった私の肌は遮る物の無い強烈な太陽光線を急激に浴びてそれに対応することが出来なかったのだ。日焼けというよりは火傷みたいになって、火傷じゃあアルコールを身体に入れるのはやっぱりマズイことだと。真っ赤っか、キモチワルく焼けた鼻の頭も赤くなって「まだクリスマスじゃないよ」と言われた赤鼻のトナカイだと(笑)「焼酎、飲み過ぎたんじゃないか」と酒が飲めない状態のオレにそー言うな。でも、ちょっと身体に厳しかったのか帰ってから体重計に乗ったら1キロ減っていたあと二度、来止臥キャンプやったら計3キロ減か、イイかもナ。
2009.06.26
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この日は「今日キャンプへ行かなくて、いったいいつ行くんだ!」ってほどの絶好のキャンプ日和今年も半分終わろうとしているが、前回キャンプへ行ったのが4月のシラルトロ湖でその後も二つ計画があったけど潰れてしまったので、今回のでやっと二度目。今回は数年ぶりで自転車に乗って来止臥野営場へ行く事にした。am08:25に出発最初の上り坂、幣舞橋を越えて生涯学習センターまで上る坂だが今回の自転車が20インチの折りたたみで変速機の無いタイプだったのでこれでキャンプ装備の入った重たいザック背負って上るのは大変なので降りて押して歩くつもりだったが、私の前方をランニングしている男がいてそいつもあの坂を上がるらしく、もし、私がそいつを追い越して坂で自転車を押して歩いていたら坂の途中であのランナーに追い抜かれるであろう(# ゚Д゚)自転車がランナーに追い抜かれるワケにはイカネぇぇぇ!と必死コイて自転車に乗ったまま坂を走り上った。しょっぱなから無駄にエネルギーを使ってしまったわ。ほんとに久しぶりで走る千代の浦や白樺台はいろいろと変わっていたガソリンスタンドやパチンコ店が潰れていたり新しいセブンイレブンが出来ていたり、サンクスがセイコマに変わっていたり等。市外にある釧路市のゴミ処理場を過ぎてしばらく進むと自分が知らない場所を走っていることに気づいた高度感のある橋みたいな道路を二つ行くと、トンネルが見えてきた感覚としてはそろそろ昆布森の辺りに来ているはずなのだが・・・。交番があったらお巡りさんに聞きたいくらいだがそれも無いのでとりあえずは目の前のトンネルを抜けてみることにした。トンネルを抜けると、そこは昆布森だったあっけなかった以前は、昆布森に入る直前は急カーブの続くダウンヒルがあったのだが。昆布森は以前と変わらずなんにもない小さな漁村だった。前回来たときにここに小さな公園があってそこで休憩したので今回もそこで休憩するつもりだったが、その公園が見つからない。しゃーないので休憩しないで、そのまま先へ進む事にしたこれまた急カーブの連続する急坂を自転車を降りて押して歩く。急坂を登ってかなり上に来た。それにしてもいい天気だこんな青空が見たかったんだぁam10:36やっとキャンプ場に到着『来止臥』と書いてキトウシと読むアイヌ語からきているんだろうな。この20インチの折りたたみ自転車は市内のリサイクルショップで1260円で買った物を改造したモノ。スタンドを外してリフレクターを小さい物に変え、ベルとライトとサイクルコンピュータと前後の泥よけをつけてペダルを三ヶ島FD-6に、サドルをTEAM ROOSTのチタンレールにシートピラーをカロイSP-248Dに、ブレーキレバーをダイアコンペ MX-122にタイヤをタイオガ コンペティションX 20に変えた。なんと、あの小汚いトイレがしゃれたログハウス調のトイレになっている!中もキレイで簡易式だけど水洗だ。荒涼としたイメージのこのキャンプ場としては「らしくない」けど、やっぱり清潔なのはいいナこれなら女性も誘えそう(笑)「サイコーですかー?」「サイコーでーす!」って感じ青い空、青い海!風は微弱、気温20℃これ以上は望めないキャンプコンディション!テントの中から撮ってみる海が見える、空が見える。テントの中でゴロリと横になりひょいとテントの外に頭を出すとこんな素敵な景色が見えるこれだからキャンプっていいなw日中は意外と人が行き来したそのほとんどはアベックなのだが車で乗り付けて、でもすぐに去っていくナニをやりに来たけど、私が居るから場所を変えるのか?お邪魔してまーす、でも、ここはキャンプ場なんだよね。昼飯にしようと炊事場に行くと、こんな看板が ゚Д゚)・・・ようするに、ここの水は飲めないと。ここでそんなこと言われても、キャンプ場の水を当てにしていたから今回は行動中に飲むペットボトル一つしか水は持っていないし携帯浄水器も持ってきていないし、装備の軽量化のためにおじや二食分の燃料しか持ってきていないからストーブでの煮沸殺菌も出来ないし・・・・・ここ来るまで沢山汗かいたので水分補給しなきゃならないのに・・・。で、どーしたかというと、お昼のおじやをほとんど「スープおじや」みたいな水分の多いおじやにすることによって、水分を補給することにした。浜からの風を避けてここでコソーリとやった。子供の頃、私はしゃがんで地面の上を動き回っている蟻を見ていた今も頭の上に太陽の熱と光を感じながら、こうして地面を見ているとあの頃となにも変わらないような気がしてくる現実は変わったのかも知れないが存在の本質はなにも変わらないのだ。空が白いからそうは見えないが、もう日没の時刻なのだキャンプ場の利用者は私一人、貸し切りだ。寝るためにテントに入る前に今日最後の一枚。 つづく
2009.06.25
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私のバックにはいつもデジカメが入っているなにか、私の心に触れるモノがあるとレンズを向けるしかし最近の暗い空の毎日に、なかなかレンズを向けたくなるような機会は無い。それでも少しは撮っていたのがあったので、ずっと放置しているこのブログにうpする。近所の子供がコンクリートの路面にチョークで描いた抽象画よく見るとこれは宇宙と宇宙人がテーマらしい太陽と土星と地球と、あとなんだろう?他の惑星とUFOと宇宙人。あの子は宇宙人にアブダクション(誘拐)されたのだそれを描いたものだと、妄想してみる。子供の落書き、好きだな。ブック狩人はなしのぶ橋店にいた子犬どうやらここで飼っているらしいブック狩人松浦店のバロンくんみたいな店のマスコット犬化計画か?釧路市民に『釧路を色でイメージすると何色ですか?』とアンケートすると「グレー」と答えるのが最も多いのだまあ、いろんな意味でグレーなのだが、この街は・・・この暗い毎日も明日で終わるはず、終わるはずだ・・・・・・・・・・。終わってクレ
2009.06.22
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「マンキン」こと武井宏之先生のマンガ『シャーマンキング完全版』の単行本26巻と27巻、それと公式ガイドブックを購入した。このマンガ『シャーマンキング』は少年ジャンプでけっこう長い事連載されていたマンガだったが2004年に突然に終わってしまった。それもラスボスであるハオを倒すことなく、終わってしまったのである。このマンガ、主人公である麻倉葉とラスボスのハオとは戦闘能力(巫力)が圧倒的に大差があって、この状態でいったい作者はどーやって主役である麻倉葉を勝たすのか、非常に興味津々だったのにそれが無く、突然に終わったのだ。私は「仏ゾーン」以来の武井宏之ファンだったけど、あまりに納得できない終わり方にとてもショックを受け、理不尽さを感じたまるで信じていた人に突然裏切られたような感じだった。あれから5年、某巨大掲示板の漫画サロンを徘徊していてシャーマンキングのあの最終回の続きが「真・完結」として単行本『シャーマンキング完全版』の26巻と27巻に掲載されていることを知った。さっそくAmazonで検索すると26巻は販売されていたが27巻は売り切れ状態だった。しかし地元のTSUTAYAに在庫があることが判って、そこで購入したのだった。さっそく「真・完結」を読んだが、武井宏之先生らしい作品だった。問題の麻倉葉とラスボスのハオの決着は「力」によってなされたものではなかった。私はドラゴンボールの悟空VSフリーザのような感じにでもなるのかと思っていたけどいい意味でその予想は裏切られた。それはまさに武井宏之作品そのものだった。麻倉葉はハオの心の中にある怒りや憎しみを優しさや思いやりや許しなどの愛の心によって癒したのだった。ハオの圧倒的な戦闘能力の元となっている怒りや憎しみを解消することで「悪者」ハオを無効化したのである。どんな者にも「仏性」があって、それ故に本質的には「善」であるとの仏教思想的なものだった。武井宏之先生は手塚治虫の作品『ブッダ』から多大な影響を受けたとインタビューで語っていたけど、納得だ。そういえば、前作の「仏ゾーン」も同じような終わり方だったな。単純な「善」「悪」や誰が最強かなどの、もういい加減止めろよと言いたくなるような少年マンガにありがちな二元の価値観を超えた「真・完結」は読み終わって心が暖かくなった作品だった。これであの最終回以来ずっと心のどこかで燻っていた納得できない思いが成仏出来た。でもいちばん浮かばれたのは作者自身かもしれない。シャーマンキング完全版(27)
2009.06.14
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梅雨の無いはずの北海道だが6月のどんよりした空はもはや定番化した感。そんな中、前日の天気予報では一日中曇りのはずだった昨日のお昼に久しぶりで太陽が顔を出した。久しぶりで明るくなった公園に近所のカラスの夫婦がやって来て水たまりで文字どおりのカラスの行水を始めた。Yahoo!天気予報釧路の天気の実況、晴れ42人、曇り1人、しかし雨の2人はなんだ?このとき、釧路のどこで雨が降っていたのだろうか?よくある、絶対に晴れなのに雨をポチるヤシ。明日からしばらくは傘マークの日々だな ↑これはてるてる坊主です
2009.06.10
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最初、近代日本の覚者と目されているらしいダンテス・ダイジの存在を知り彼が自殺者であることを知ったとき「なんで覚者が自殺したんだ?自殺するような人物がほんとに覚者なのか?」という反応をした。彼の本を買ったのは、内容を確かめて偽物の化けの皮を剥いでやろうという思いすらあった。しかしその内容を知って、私は自分の当初の思いがいかに愚かなものであったのかを思い知った。私は、借金苦で青木ヶ原の樹海で首つり自殺するのとダンテス・ダイジの死を同列に考えるという愚を犯していたのだった。自殺の動機は、なんらかの苦しみがありそこから逃れる術が見つからずもうこれ以上はこの苦しみの中に留まる事が出来ないとき自分を殺す事で、この苦しみを終わらせようとするものだろう。そこには苦しむ自己の存在がある。通常、死にたくて自殺する人間はいない。自殺する人間もほんとうは死にたくはないのだただ、死ぬ事でしか苦しみから逃れる事が出来ないと思い込むのだ。『死』は除外して、とにかく生きようとするのは生物の本能そしてその本能から派生してエゴが生じる。エゴはどんなことをしても自らの存在を守ろうとする「自己保存」はエゴの基本性質。それはたとえ肉体の『死』があったとしてもだ。それは自分の肉体の遺伝子であるかも知れないしこの世界に自分が作った物かも知れないあるいは自分の功績や文化、文明の伝承としてあるいは思い出として、誰かの記憶の中に。形を変えても何かの対象と自己同一化をすることでこの世界に残ろうとする。これとは逆に、この世界が嫌いでそれ以上に自分自身が嫌いで、未来永劫に自分自身を消し去りたいという思いを持っている人もいる。それはこの世界だけじゃなくて、あの世も含めてである。自分自身に絶望している人。私はそんな人と「教会」で出会った。絶対に自己保存したいのも、絶対に末梢したい自分もそのどちらにも『私』というエゴの重たい思考や感情がある。普通の自殺には、このエゴの存在が根底にある。しかしダンテス・ダイジの自殺は、それとはまるっきり違っているそう、私は感じた。ダンテス・ダイジの自殺も他の人の自殺も現象の表だけを見たら同じ「自殺」だ、違いない。しかし内容は全く違う。ダンテス・ダイジは苦しむ自己存在(エゴ)が死に向かわせたのではなく逆にエゴが自分の中から脱落していって希薄になって死んでいったように私には思えた。重たい氷の塊が溶けて水になりそれが蒸発して虚空の彼方に消えたみたいに。彼が大悟したそのときから、生き死にや主客は無くなったのだろう。そこで彼が見たものを、エゴで生きるしか知らない百凡な我らがその小さな物差しで測ろうとすることは、適当なことではなかろう。ダンテス・ダイジを読んで、私は自分がほんとは肝臓の状態が悪くて、肝臓癌の可能性が高いのにそれを直視したくなくて病院へも行かずに「大丈夫だ、なんでもない」と言いながらいつまでも酒を飲んでいる酒飲みのように思えた。『死』について思うところはあるでもそれは当面先の話で、とりあえずは今日明日を生き、嫌なことは極力避け、好きなモノ、楽しい事を可能な限り集め幸福を求めて、エゴに生きる、懸命に、夢の中で・・・。この本はダンテス・ダイジの境地を自ら綴った詩と座禅やヨーガの実修のための解説から成り立っていた。彼の詩は、今まで見たこともないような類の詩だった。実修の解説はけっこう具体的に思える。ミラレパがその師マルパから伝授されたマハームドラーもあってとても興味深かいけど、私は気功の師匠から他の修練法をやることを固く禁じられているので、やることが出来ないのはちょっと残念。詩はよかった、彼の詩は今まで何者も触れたことが無い私の心の領域に触れてくる、不思議な詩だった。彼の本は他に二冊あるみたいで、そこにも詩が載っているらしいからいずれ購入して読んでみたい。
2009.06.09
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昨日から六月になったので、これを機に本のしおりを作ってみた。今まではその辺にある適当な紙をビッと破いてそれをしおりとして使っていたけどあまりに味気なかった。それが最近、某巨大掲示板で『おっぱい専用しおり』というAAを見かけたのだなんでここでしおりなのか?しかもなんでおっぱい専用なのか疑問だったけどなぜか気に入ってこれでリアルしおりを作ってみようと思い立ったのである。プリンターで印刷してカットしてパンチで穴空けてリボン付けて出来上がり。なかなか気に入った(笑)『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』は今読んでいる本これの著者ダンテス ダイジは近代日本の覚者と目されている人物。何人?って感じの名前だけど本名は雨宮第二という東京都出身の日本人。でも自殺した人物でもあるらしい。覚者は生死を超えた存在だというが、なんでわざわざ自ら死ぬ必要があったのか?彼はなにを悟り、何故に最後は自殺で終わったのか?私は彼のことは全く知らなかったので、とても興味深い。
2009.06.02
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