2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全25件 (25件中 1-25件目)
1
悠河はほんとに面白い子で、「ぼくは王さま」(寺村輝夫作・和歌山静子絵・理論社)を地でいくようなところがある。悠河の大好きなお話なので、真似しているのか、もともとぴったりなのか・・・・?時々「ぼくは、おうちゃま!」とビデオ(東映KK-映像化されたものは、どこか気に入らないものだが、この作品は私も気に入っている!)の声を真似て叫んでいる。夕方6時ごろ、悠河と一緒にパパさんの車で駅まで(30分ぐらいかかる)送ってもらったが、(別れが辛くていつも大泣きする悠河の対策をあの手この手こちらもこうじて・・・・)そのとき、ママさんが、「少しですみませんが・・・・。」とおみやげを袋に入れて悠河に持たせてくれた。悠河は喜び勇んで私の手を引いて飛び跳ねるようにして家を出た。車の中でもずっと、「おばあちゃんのおみやげ。まちゅどで、おじいちゃんとおばあちゃんとたべるの。」と言い続けていたのに、どこからか、「これはじぇ~んぶ、ユウガくんの!」と言いだし、とうとう駅についてもしっかり袋を握ったままバイバイと手を振られてしまった!パパがどんなに言っても、「ユウガくんのよう。」と可愛らしく主張する悠河だった。大きくなってもわらいばなしとして語り継がれそう。
2005年01月31日
コメント(2)
1月31日に、悠河が検診のため水戸の病院まで行くので、響希とお留守番のため、今日からやってきた。。響希は、よく笑う。ニコニコと愛想がいい。「ひびちゃ~ん!」「うふ~ん・・・・」「いいこ いいこネ」「うふ~ん・・・・・」「ばあばだよ!」「うふ~ん・・・・・」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・だんだん返事がしりあがりになってきて、やがて「キーッ」「キャ~ッ」という歓声(奇声?)に変わる。目を三日月にして、口を大きく開けて、それはそれはうれしそうに声を立てて笑う。「手のかからない子なんです。」とママがよく言っているが、本当に、泣くときと言えば、お腹すいたときと、眠いときと、ウンチのときぐらい。とってもわかりやすい子でもある。それでも、時々奇声を上げて存在を誇示し、大人を呼びつける!駆けつけると、またうれしそうに笑うのである。ただ、泣くときは思いっきりジャンボに泣く。「欲しいといったら、もっと早く飲ませろよ!」と言わんばかりにせっかちに激しく泣き続け、やっと出来たミルクの哺乳びんを近づけても、拒んで拒んで泣き続け、なかなか口に含んでくれないときもある。しょうがなくて、暇そうなパパさんにホイと渡したら、なんと、おとなしく飲み始めるのだ!(ん、もう!)何回かそれでうまくいった。「いつもパパが飲ませてやってるんだもんねえ。」と得意顔のパパ。(いつもと言うのはどうかな?)やっぱり飛び入りのバアバは、太刀打ちできないか・・・・ショボン!最近は、悠河も落ち着いてきて、響希にちょっかいを出すことも少なくなってきた様子。それでも時折、くわえている響希のおしゃぶりをサッと取っていって自分の口にくわえてしまうんだという。(笑)それでも響希は泣かない。お兄ちゃんがどんなにどたばた騒ぎまわっていても、気にするどろか、かえって安心するみたいで、平気でスヤスヤ寝入ってしまう。お兄ちゃんに一目おいているのかな?
2005年01月30日
コメント(0)
この本だいすきの会馬橋支部の例会に出させてもらう。この支部は1年間古田足日さんの作品を読み深めてきた。歴史を持つ支部で、子どもたちは高学年、あるいは中学高校生になっているが、もう一度読み返し、子どもたちの声も持ち寄りながら、作品の魅力を語り合う。面白くない、とか、いまの子どもたちに合わないとか、率直な声も忌憚なく出し合いながら一人ずつ発言する。それがまた、とてもいい話がいっぱい出てくるのだ。レベルが高いなあ、と、いつも感心する。「ここにくると、あまり好きになれなかった本も、帰りには抱きしめたくなるほど好きになってしまうんです。」とみちよさんは笑う。それほどここの論議は楽しい。今日は「大きい1年生と小さな2年生」(古田足日さく・中山正美え/偕成社)。これは私も学校で3度ほど、1ヶ月ぐらいかけながら読んだ経験を持つ本だ。子どもはどうやって成長していくのか、読んだ大人たちは考えさせられるし、読んだ子どもはワクワクと何かしてみたくなるのではなかろうか。下の子どもに繰り返し読んだと言うエリカさんはそのときの古い読書ノートを手にしながら、再びこどもと読んだ感激と、想いを重ねて読んだ『おおきくなるっていうことは』(中川ひろたか文・村上康成絵/童心社)の木登りのくだりついて話してくれた。こどもにとって、体験、冒険、経験が成長の決め手だと、みんな改めて納得。そんななかで、ひきこもりがちだった中三の息子が、先日友達と東京タワーのあたりまで自転車旅行(?)したことの意味を改めて考えさせられたというフミコさんの話も面白かった。来月も続けてこの作品を扱うことになった。3人の主人公の変化やその要因を詳しく読んで、作品の魅力と価値に迫る。例会が終わると、後片付けもせず、わたしは荒川の退職教員の会の新年会に直行させてもらう。懐かしい先輩方と再会。ほとんどが、子どもの頃戦争の惨禍を経験した人たちだ。「再び子どもたちに戦争への道をふませまい」と、ちから強いメッセージがたくさん寄せられた。
2005年01月27日
コメント(0)
午前中シルバーの「絵本と童話」教室に。夜は、「この本だいすきの会荒川町屋支部例会」に。シルバーは、来週の保育園での園児への読み聞かせの実習準備と、2月24日の学芸会の練習。(小学校みたいでしょう!そうなんです。小学生にもどった気分で思いっきり楽しむんですよ、毎年。)まあ、バタバタと過ぎましたが、授業が終わったとき好子さんから、「こんな記事見つけたんですよ。」と渡されたメモに釘付け。ー今日は疲れたから、明日詳しく書こう。例会では、図書館で知り合った新しい仲間が二人も来てくれて、絵本の話より自己紹介で盛り上がった。昨年の「この本だいすきの会の夏の全国集会(山形)」に参加した頼子さんが、「そのとき手に入れた山形の麹で作ったのよ」と、甘酒を振舞ってくれて、身も心もほかほかになった。おしとやかな頼子さんは、その前の年の暮れの集会で、「来年の夏は山形でやりまーす。来てくださーい!」と実行委員長の麻貴ちゃんが山形弁で宣伝しているのを聞いたら、吸い込まれるように行きたくなって、出かけていったという。(荒川支部から3人も参加できた。)これが、全国組織の「この本だいすきの会の魅力だなあ」と妙に感心しながら、美味しい甘酒をたっぷり味わった。
2005年01月26日
コメント(4)
幼稚園のお母さん達との絵本の読書会で東京に出たついでに、駒込の病院に寄り、脳梗塞で倒れたまささんを見舞う。まささんは、「今まで、どんな苦労もがんばってこられたし、どんなに貧しくても苦しくても、死にたいなんて思わなかったけど、今度はつくづく生きていてもしょうがない死んでしまいたいと思っちゃいました。」と言った。「だって、どんなにしても、こっちの手と足は、私の言うことを聞いてくれないんだもの。」と嘆く。無理もない、今まで自分の身体には自信を持ってがんばって生きてきたまささんだったからね。「丈夫だったから、この程度の後遺症で済んだのよ。リハビリすれば絶対よくなるのよ。」と話す。うんうん、とうなずくまささんを見ていたら、猛烈にリハビリがんばってしまいそうな気配を感じて、「一度にやりすぎちゃダメよ。ゆっくり気長に、お医者様の言うことをよく聞いてね・・・・・。」とあわてて付け加えた。そして、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ まささん。」今、教室でとりくんでいる『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作 講談社)の最後のセリフをもじって、二人で楽しく笑った。この本を共有していて、よかったなあ、と思った。多くを語らなくても、これだけで気持ちが通じ合うのだから。まささんの足は、実際、一週間前に比べると少しは動くようになっていて、感動した。手の指先も、わずかではあるが動く。希望の光は見えている。先週、新潟の美智子さんのアドバイスを受けて持って行ったお手玉を、時々は握っているのだと言う。「お手玉がこんなに重いものだとは知らなかった。」と笑っていた。「そうよ、25g入っているの。」と言いながら、そうね、このことだけでなく、何か変化がおきたことによって、いままで気づかないいろいろなこと(真実・事実)が見えてくるものなのね。と心の中で思った。まささんはどんなことをこれから悟っていくのだろうか。「生きていれば、必ずいいことがある。」-どこかで聞いたことのあるこの言葉が、ぐっと現実味を帯びてこだました。
2005年01月24日
コメント(2)
22日、23日と愛美・美姫家族は、彼らの友人たちと共にスキーに行った。愛美からも美姫(みき)からも楽しい電話が入った。「あのね、まなちゃん、スゴーく滑れるようになったよ。とっても楽しい!」「おじちゃんがね、おじいちゃんのこと知ってるって言ってたよ。おばちゃんもよろしくってさ。」電話の向こうでうれしそうにはずむ愛美の声。昔、ご近所に住んでいた浅沼さんが菅平でペンションを経営している。毎年一回はそこを利用して彼等家族はスキーを楽しんでくる。娘の幼いころをよく知っている方なので、愛美がそっくりだといって可愛がってくださる。美姫の誕生日会(8月15日ーちょうどお盆休みで休暇が取れた)をあちらのご両親も参加して、そこでやったこともあった。心のこもったいい雰囲気のしゃれたペンション。思い出もいっぱいの場所である。「あのね、ゆきがいっぱいだよ。うん、たのしい。みきちゃんもすべったよ。パパがね、みきちゃんをおひざにだいて、すべったの。」「みきちゃんね、ないちゃったの。だって、おててがつめたかったから・・・・」と、美姫。3才5ヶ月。よく電話をくれて、話がとても上手で面白くなってきた。楽しい思い出ができて、よかったね。
2005年01月23日
コメント(0)
彩華の誕生日は1月27日だが、ジジババたちの都合で、今日3歳のお祝い会をすることになった。会社から帰って来るのを待って午後6時半、それぞれ持ちよりのお料理でいっぱいになったテーブルを挟んで、いよいよ乾杯。うれしそうに可愛らしくはしゃぐ彩華。乾杯が終わって、一つ二つ箸を運んでいるうちに、彩華のまぶたは重たくなってきてしまった。朝が早かった上に、お昼寝をしなかったそうで、寝む気が襲ってきたようだ。急いでケーキセレモニーに切り替える。アンパンマンの大きなプレートがたてられたケーキのまわりに3本のろうそくの灯がともされ、暗くした部屋の中でちろちろと光る。こおどりしながらハッピーバースデイを彩華が歌う。歌声を重ねながら、それを大人たちが目を細めて眺める。灯を吹き消した後に起こる歓声と拍手に、彩華の3歳の顔は輝く。この雰囲気がいいね。次は、プレゼントのご披露。「なんだろう?なんだろう?」と楽しみにしていた大きな包みをまず開ける。悠河家から届いた女の子の「ドレッサーセット」。歓声とともに、「すばらしい!」と叫んだ彩華。(その反応が素晴らしいね!)早速スツールに座り込んで、髪をとかしたり、口紅をつけたり・・・・・。口紅をつけた後、鏡に顔を近づけて見てみるしぐさなど、こちらはもう、爆笑の連続だった。「なになに、スツールもついているのか。なかなかいいじゃないか。それ、うちの店で売りたいぐらいだよ。」と、家具やさんをしているあちらのおじいちゃん。またまたみんな大笑い!愛美家からはブランド品の衣類セット。「着てみたーい!」と手をひろげて、あわせて嬉しそうにする彩華。女の子らしいしぐさが可愛い。ママさんも大いに喜んでいる。おまけに、もう一つ大きな包みがあって、身体のジャンボな美姫には小さすぎる愛美のお下がりがどっさり詰まっていた。きれいにラッピングされていて、これもなかなか気の利いた渡し方だなあと感心させられた。あちらのおじいちゃんおばあちゃんからは、日頃からおもちゃなどたくさんのプレゼントを頂いているが、今日もすばらしいワンピース等をいただいて、「これも着てみたーい」と彩華はルンルン。わが家からは、絵本を10冊選んでプレゼント。こちらはあとで、ゆっくりじっくり読んでほしい。とりあえず、いちばん興味を示した「きんぎょがにげた」を読んで遊んだ。ひとしきり大騒ぎして、そして彩華は寝室に行ってすっと眠りに落ちていった。きっと楽しい夢を見ることだろう。その後は、久々にお会いしたあちらのご両親とおしゃべりがはずみ、大人同士盛り上がって、私たちも楽しいひとときを過して帰ってきた。
2005年01月22日
コメント(8)
義母(ことおばあちゃん)は今日すっかりよくなって、無事に退院できた。帯状疱疹といっても、本当に軽くてすんでよかったなあと喜んだ。悠河ママの提案で、パパ兄弟三家で、退院のお祝いにと花束が贈られテーブルに飾られた。ことおばあちゃんは家に着くなりニコニコ。これはいいアイデアだったね。響希を無事出産して家に帰ってきたときにも愛美ママから立派な花束が届いて、やっぱり心が和んだものだ。みなさんありがとう。ことおばあちゃん、喜んでいたよ。
2005年01月21日
コメント(0)
久々のわらべ唄研(昼の部)。2ヶ月休んだ罪滅ぼしに、悠河とわらべ唄のことをレポートを作って持っていった。一歳のころからままと一緒に参加している太一くんはもうすっかりみんなと仲良し。手を振ってニコニコと入ってきた。やっぱりわらべ唄が大好きで、帰り際には、「参考にして、帰ったらこの子にも、いろいろやってみます。」と言っていたのがうれしかった。暮の集会で紹介されたわらべ唄であそんでみたり、ゆきなさんの送ってくれた七福神のコピーに喜んだり・・・・、今日も楽しいひとときだった。
2005年01月20日
コメント(0)
4月から行くことになっている幼稚園に、悠河とママは出かけた。入園説明会と制服等の注文があるらしい。響希とお留守番。悠河のやきもちを気にせずたっぷりと響希と遊んだ。響希は2ヶ月と3週間。よく笑うようになった。「ヒービキくん!」と声かけすると、「ああん」と、返事をするかのように呼応して声を発する。これ、これ。確かにこれだ!と思い出すことがある。生まれたばかりなのに、と記憶している!二男を抱いておっぱいを飲ませながら私はよくお話をした。「むかしむかしね、あるところにね、おじいちゃんと、おばあちゃんがいたんだって。・・・・」すると、「ね」のところであかんぼは「うふん」とあいずちを打つのだ。話が分かるかのように、そこにくるときまって笑う。話が分かるのではなくて、心地よい何かを感じるのだろう。生まれて間もない赤ちゃんなのに、こんなに反応することがうれしくてうれしくて、いつもいつも語っていたものだ。響希も同じだ!とうれしくなった。語りも、授乳も、繰り返しのつながりがないからお話は無理だが、わらべうたならいいかな?と思って、やってみた。♪ここはてっくび てのひら ありゃりゃに こりゃりゃ せったかぼうずに いしゃぼうず おさけわかしの かんたろさん「てのひら」のところで人差し指で手のひらをくすぐると、にこっと笑うのである。続けて指いっぽんずつ触れていくにつれ、声を立てて笑う。オムツ替えのときなど、わき腹から足に、のびのび延び・・・となでてやると、ほんとにうれしそうにしている。なんとも楽しいひとときだった。昨夜は、「ひさしぶりだね、おおきくなったね。」と抱き上げて声をかけたら,はじめはニコニコしていたが、2~3回笑った後、きゅうに真顔になり、べそ顔になり、そして泣き出した。ママと違う人間だ!と分かったんだ。もう人見知りするんだ!と、日々成長する赤ん坊の姿に驚いた次第。この反応は、今日の夕方やってきた夫にも同じだった。べそをかく表情まで悠河にそっくりで、面白かった。幼稚園では、親達が話を聞いているとき子どもたちは別室で遊んで待っていたのだが、悠河は離された時大泣きしたそうだ。(苦笑)でも、悠河は、だれかれなく子どもと遊ぶのが大好きな子だから、全くだれも心配していないよ。幼稚園に行ける日が楽しみだね。
2005年01月19日
コメント(2)
この本だいすきの例会に参加した後、悠河のところへ。例会は、いつもより集まりが多く(私もここの例会にはお久しぶりだった)盛会だった。一人ずつ子どもが読んで楽しんだ本、お勧めの本を紹介しあった。「先月○○さんが紹介してくれた本を読んで・・・・」等と学び愛がはっきり見えている例もあり、嬉しいことだった。『あらしのよるに』(木村裕一)の作品について、「優れた本ではあるが、終わり方が不満。困難な中で、いかに友情のためとはいえ相手のために死を選ばざる終えない結末は残念。生きて潜り抜けていくありかたを探ってほしかった。」とコメントした新聞のきりぬきを紹介してくれた人がいて、印象的だった。私は大いに納得!だんだんシリーズがふえていくにつれ、何となく鼻についてきたのは、そうだ、お涙ちょうだい的なセッテイングになっていることへの反発だったのだと、納得。多様な本が紹介されたし、面白い例会だった。午後から悠河のところへ泊まりに行く。明日はじいじが仕事の帰りに寄るというので、車がダブらないように電車で行った。駅まで息子に迎えに来てもらったが(バスはいちにちに数本という村なのだ)、悠河も一緒に行きたくて支度をしていたのに、パパが勝手に行っちゃった!ともめていた。今年初めての訪問で、響希には4週間ぶりだった。
2005年01月18日
コメント(1)
「台所仕事は好きでいやではないが、このごろ買い物に行くのがおっくうでおっくうで・・・・」と珍しく電話の向こうで弱音を吐いていた母。そりゃあそうだよ。こんな寒い時期誰だっておっくうになるよ、といってはみたが、心配で、今日は荒川区の幼稚園に行く約束をしていたので、その帰りに寄ってみた。まささんの病院にも寄ってきたので、4時過ぎになってしまったが、駅についてから、いま行くよと電話を入れたら「今日は元気になったから来なくてもいい」と言う。それでも何でも押しかけていった。夕食の準備が食卓の上に並び、早々と、ちゃんと準備を済ませて、家族の帰りを待っていた。少しばかり持っていったものも喜んで食卓に加えてくれた。ヘルパーなんて要らない!とかたくなに拒む母。杖もつかず、カートに使わない。外で何度もころんでびっくりさせられるが、骨折は一度もしたことがない。上手に転ぶんだなあ、と感心させられるが、それでも、ヒヤヒヤしてしまう。「元気!元気!」と明るく笑っている母だった。
2005年01月17日
コメント(2)
かつて同僚だった音楽の先生のお嬢さんが、芸大でクラリネットを学んで卒業し、ドイツやさまざまなところで修行し腕を磨き、今日、リサイタルを開くに至ったとのこと。お祝いをかねて夫と一緒に行ってきた(上野の東京文化会館)。エネルギッシュな見事な演奏会だった、懐かしい人、思いがけない人たちにも会えてよかった。
2005年01月16日
コメント(0)
お弁当を持ち込んで、義母の病室へ。点滴のおかげで、痛みはかなり和らいできたという。よかった!昼食後はとろとろ眠っていて、相撲が始まるとずっとテレビを見て過した。たまたま病院が、両国の国技館に隣接していて、テレビの画面を見ながら、「今この取り組み、あそこでやってるのよね。」などと話しながら見た。窓から、国技館の中で人が行き来するのもよく見える。土俵が見えないのは残念だが。昔から相撲が好きで、しかも、見ているだけで十分理解できて楽しめる相撲は、聞こえの衰えている義母にとって最高。飽きずにずっと見ていた。好きな力士が勝ったりすると、手をたたいて喜んでいる。笑顔が出るとホッとする。絵の美しい昔話絵本「かさこじぞう」(いわさききょうこ文・あらいごろう絵/ポプラ社)と「つるのおんがえし」(松谷みよ子文・いわさきちひろ絵/偕成社)を持参していったが、一緒に見て楽しむチャンスがなかったのは残念。個室で、大きな声を出してもよい条件が揃っているから、ここはいい。また、今度ね。
2005年01月15日
コメント(2)
「激痛が走るというので、おばあちゃんを救急車で病院に連れて行ったら、帯状疱疹ということで、そのまま入院させたの。」同居している義妹から連絡が入った。びっくり!実はお正月から頭痛を訴えていて、1月4日に彼女が連れて行ったときも、1月11日に私がいつもの糖尿の診察に連れて行ったときも、「風邪から来る頭痛でしょう。」と、診断された。11日には、たいそう混んでいて、当人が辛そうにしているので、そのことを訴えて、緊急措置をとってもらったにもかかわらず、ただの風邪だとー。バファリンで治るでしょうと思っていたのに。でも、よかった!大事に至らなくて!一週間入院して治療することになった。義妹とともに面会時間ギリギリのPM8;00までいて帰ってきたが、「さみしい、さみしい。」と涙ぐんでいた義母。あしたも来るからと約束する。でも、命には別状なさそうで、ほっと一安心。水疱瘡と同じウイルスだというから、わたしも保菌者になってしまうと、赤ちゃんの健診に付き合えなくなるのかなあ・・・・・・?ちょっと心配。あしたお医者様に聞いてみよう。付記(1/15) 今日、直接担当医にあって聞くことができた。結論から言えば、大丈夫とのこと。気になるようだったら、よくうがいして、手指の消毒をきちんとするようにとのことでした。ホツ!
2005年01月14日
コメント(2)
今日は、近くの「この本だいすきの会K支部の例会」に参加させてもらった。あるお母さんの話から、サンタの存在をいつまで受け入れられるか、という話題に花が咲いて面白かった。「うちの子、5年生だけど、まだサンタさんを信じているみたい。『ほんとは、お父さんとお母さんがくれるんでしょ?』と疑っていたときもあったけど、『信じている限り必ずサンタさんは来るのよ。』と言ったら納得したみたい。叔母と電話で話しているとき、『・・・・・かぎ穴とかから入ってくるんじゃないの。』といっているのを聞いて、可笑しいやらホッとするやら・・・・。」と、あるおかあさんが話したのがきっかけ。どうやら、幼稚園児ですらもう「あんなのうそだよ。」としらけている子が多いとか。松岡享子氏の著書に「サンタクロースの部屋」(こぐま社)というのがあって、そこにはこう書かれている。「子どもたちは遅かれ早かれ、サンタクロースが本当は誰であるかを知る。知ってしまえばそのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。 しかし幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に信じるという能力を養う。私たちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」「心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。(中略)この空間、この収容能力、つまり、目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かは言うまでもない。後に、いちばん崇高なものを宿すかも知れぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。」長々と引用したのは、この一節が長年、私の読み語り活動の意味を支え続けてきた座右の銘でもあったから。『サンタクロースって、いるんでしょうか?』(偕成社)という有名な本は、今から100年も昔に書かれた、ある少女の疑問に答えた社説。そのなかでは、「サンタクロースなんていないんだというあなたのお友達は、間違っています。」ときっぱり言い切っています。「うたぐりやは、目に見えるものしか信じません。」「この世の中に、愛や、人への思いやりや真心があるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。」こうして、100年以上も前から人々は大切なものとして守り続けてきたのがサンタクロース。『星の王子さま』(サン・テグジュペリ作・岩波書店)のなかでも、「・・・心で見なくちゃものごとははよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」と、きつねが王子さまに語る場面がある。これも忘れられない一場面だ。サンタの存在を信じきって、サンタのそりについた鈴がほしいと願った少年は、サンタのすずを手にする。そして、素敵な鈴の音色にうっとりするが、父さん、母さんには何も聞こえていなかったというオールズバーグの「急行『北極号』」(あすなろ書房)も、すばらしい絵本だ。忘れかけている大切なものに気づかせてくれる絵本だ。
2005年01月13日
コメント(2)
シルバーのお教室の日。今日は、お正月にちなんだわらべ唄も紹介し、昔の文化に少し触れることができた。 ななくさ なずな・・・・春の七草のカードで せんぞう(千艘)や まんぞう(万艘・・・・七福神の大判の手拭七つの神様について、あれこれ持ち合わせの知識を出し合った。私は知らないことが多いので白髭神社でもらってきたパンフレットをもとに説明させてもらった。面白かったのは、毘沙門天の解説。鎧兜に身をつつみ、武器をたずさえている毘沙門天は、ありあまるほどのたからものを持っていて、善い行いをした人たちにそれを与えるのですが、「あいにく、世の中には、そういう人が少ないので宝が余ってしまい、毎日宝を焼き捨てている」のだそうだ。(笑)また、福の神の布袋様は、「この世の幸福とは、金銭欲や物欲を満足させることだけではない。ということを教えてくれる神様である。」とのこと。平和の神様でもあるそうだ。七福神もサンタクロースのようなもので、ロマンがあっていいなあと思う。身分制度の中に閉じ込められた人々にとって、唯一邪魔されないのは夢を持つことであった。福をもたらす神様を大切に扱うこと、そのことは大きな自分への励ましであり、生きる力でもあったことだろう。お教室のお一人から、こんな興味ある話も聞いた。むかし、「夢売り」がいて、夢枕を売っていたそうな。それを枕にして寝ると、いい「初夢」がみられるのだそうだ。そんなむかしの人々の心に触れることは、日本の文化を大切にしていくことでもあると思う。学芸会まであと2回しか練習の機会はない。大体出来上がっているが・・・・。当日は、プログラムのトップバッター。会場のみんなを巻き込んだ楽しい工夫もいろいろ考えてみた。効率のよい準備をしっかりしておかなければ・・・・。午後からその足で、銀座松屋で開かれている「金子みすず展」を見に行った。(続く)
2005年01月12日
コメント(2)
太灯くんのママからのメールに次の文が添えられていました。我が子を見つめる視点がすばらしく、うれしくなって思わず転記させてもらいました。(了解なしでゴメンナサイ。)「最近の太灯は、一人遊びをするようになりました。なにやらむにゃむにゃ言いながら、自分なりに工夫したり、試してみたりしながら、15分くらいの間、集中して遊んでいます。既成のプラスチックのおもちゃより、やかんや、スプーン、お皿、手作り布おもちゃでよく遊んでいるので、「身近なもの」は心引く何かがあるのだと感じています。 寝るときにスリーパーという毛布のお包みのようなものを着せて寝かせているのですが、起きてから着替えるまでの間、移動するたびに、足元にスリーパーがまとわりつき、邪魔なようで、すそを持ち上げて移動するようになりました。教えたわけでも、やって見せたわけでもないのに、自分で動きやすいように工夫していました。そんな太灯の姿にとても感心しています。人間は、工夫して生きていくんだと、つくづく思いました。」ーーーーーーーーーー"「身近なもの」は心引く何かがあるのだと感じています。""人間は、工夫して生きていくんだ"と、そういうとらえ方のできるママさんがすてき!あかちゃんをペット的にではなく(笑い事ではなくて、そういう人多いんです!)一人の人間として見つめるまなざしがうれしく、心が躍ります。
2005年01月11日
コメント(4)
84歳のまささん(シルバーの受講生)が脳梗塞で倒れたとの連絡があり、肝をつぶした!心配で心配で、新年会の予定をことわって病院に飛んでいった。幸いにして右手右足の麻痺はひどく舌も回らない状態ではあったが、命には別状はなく意識もしっかりしていて、まずはホッとした。新潟で介護の仕事をしている美智子さんからたまたま来たファクスに、まささんのことを書いて「もっと介護のこと勉強しておけばよかった」とメモをそえて返信したら、心を砕いてくれて、電話で詳しくアドバイスしてくれた。(感動!)専門的なリハビリはお医者様に任せて、われわれにできることは弾む心を引き出しながら自然に手足を動かすように仕向けることだという。一番いいのは、折り紙とお手玉なのだそうだ。いいこときいたなあ。身寄りも何もないというまささんだから、これからチョクチョク絵本とお手玉をもってお見舞いに行こう。そう言えば、いつだったか、まささんが検査入院として1週間東大病院に入院していたことがあった。その間にちょうど「絵本と童話」の教室の日が入っていて、来られないといっていたにもかかわらず、当日ちゃんと出席していたのでびっくりしたことがあった。どうしても行きたくなって、担当医にお願いして外出許可をもらってきたという。そんなど根性のあるまささんだから、きっと治りも早いだろうと期待しよう。
2005年01月08日
コメント(4)
幹太朗くん(4ヶ月)のママからの年賀状には「『うまはトシトシ・・・・・』やっています。」と書いてあった。お膝の上に抱きかかえられながら、キャッキャと笑ってよろこぶ母子の姿を思い浮かべたら、なんだか、とってもうれしくなった。
2005年01月06日
コメント(2)
夫の仕事が始まって、孫たちもいなくなり、今日は静かな、むしろ何か忘れ物をしてきたような感じの一日のスタートだった。が、しかし、我に返ると、さあたいへん!書かなければならない年賀状の返事は全く手つかずだし、いや、それより前に、書かなきゃならない原稿がある!そっちが先だ!こっちが先だ!と、閉じ込めていた用事が飛び出してきて、メモに書き出してみたら、「静かないちにち」どころではなかった。原稿は午前中いっぱいかかってしまった。(頭の中で大体構想を練っていたのに、けっこう時間がかかってしまったなあ。)すぐポストに。午後からは賀状の返事。懐かしさに浸りながら書いていると、それだけで日が暮れてしまった。(よし、来年は先に出してしまうぞ!と心に誓う。・・・・ちょっと発想がやましいかな。)在職中はやむ終えないことだったが、何故かいまだにいつも積み残した宿題を抱えているような重苦しさから解放されないのは、処理能力のなさと、自分の限界以上のものまで背負い込んでしまう見極めのなさから来るものなのだろうか。今年は、積み残しをなくして、いつもすがすがしい気分でいられるように、一つ一つがんばってクリアーしていきたいものだと、しみじみ思った。今朝、出勤の夫を車で駅まで送る途中、二人で思い出して笑ってしまったことがある。(昨日の日記に書き忘れたね。)悠河を連れて帰ったとき、私のお気に入りのお店のケーキをお土産に持っていって、早速みんなで頂くことになった。ママさんが紅茶を入れてくれていた。そのとき、悠河がママに向かってこう言ったのだ。「おじいちゃんは、ビール!」もう爆笑。そのことを思い出してまたひとしきり楽しい思いに浸った。じいじは、もう、うれしくて仕方がないのだ。
2005年01月05日
コメント(2)
今日は悠河が家に帰る日。荷物整理をしていたら、朝食の残りのパンを持ってきて、「おうちへ帰って、ママと一緒に食べる。」とカバンに詰めた。車の中では、「ひびきないてるかなあ。」「ユウガおにいちゃんがだっこしてやる。」などといっていた。家に着くと自分がママに抱きついて、とってもうれしそうだった。響希はしばらく見ないうちにふっくらとして、目もパッチリし視線を合わせるようになったし、表情もでてきた。可愛い声でナン語も多く発するようになり、ますます可愛さがましてきた。
2005年01月04日
コメント(3)
今日はわが家に孫たちが全員集合(生まれたばかりの響希は別だが)。賑やかだったこと!悠河はうれしさのあまり大興奮。・キャッキャとはしゃぎまわり、バスタオルを振り回したり、ぬいぐるみを投げつけてふざけあったり、背中を押したり・・・。みんなの非難のまなざしを浴びる結果となった。「牧の原牧場に放牧(馬になぞらえて)されて、野生に戻って凶暴になったんじゃないの」等と長男は笑った。でも、悠河はそれが遊びなのだ。いつだったか、障子紙の長い芯を見つけ出し「おばあちゃん、ケンカしよう。」と私には短いプラスチックの棒を渡してちゃんばらして楽しんだこともあった。力を振るいあってきわどさを競うのが楽しいらしいのだ。それは、相手によっては決して楽しい遊びじゃないよ、ということを分からせていかなければならないが、厳しく非難して済むと言うものでもない。みんなが帰った後、「彩ちゃん泣いてたでしょ。かわいそうだったね。ペンしちゃだめだよね。もう、ペンしないよ。」というと、「もう、ぺんしない。」と、しおらしく答える悠河だったが、夫が、「悠河くん、今日はみんな来てくれて楽しかったか?」と聞いたら、「うん。たのしかった。ケンカした!」と嬉しそうに答える悠河だった。いつもパパとじゃれあっている悠河にとって、力をぶつけ合うことは楽しい遊びなのだろう。手加減を学んでいくことがこれからの課題となろう。エネルギーありあまってトラブルをおこしている悠河のことを見て、愛美だけはこっそり私の耳に囁いた。「あのね、悠河くん乱暴には乱暴だけど、顔みてると、笑っていて可愛いいよ。」と。そう言えば、いつかママが言っていたっけ。クラスで乱暴者として通っている男の子のことを、愛美は決して悪く言わないのだそうだ。「だんだんいい子になっているよ」と、いいところを見つけて報告するのだそうだ。愛美はほんとに優しい子だ。子どもは周囲の人間のまなざしの中でいかようにも育っていくと言う。急にいろんなことができるようになり、感情の発達の目覚しくなってきた3歳の境目を過ぎたこの時期は、難しいことも多いが、大切な時期なんだろうなと思う。
2005年01月03日
コメント(3)
「このにおい、なに?」鼻をヒクヒクさせながら、朝、悠河がパジャマのまま台所にやってきた。たどり着いたところは白い湯気の立ちのぼる炊飯器の前。「・・・・・・は、なに?」としり上がりに訪ねる言い方は悠河の口癖。「ご飯の炊けるにおいだよ。」と言うと、、「何だか、いい気持ちがする!」と、鼻を上に向けてくんくんとオーバーな動作をくり返した悠河。そんな悠河を、とてもさわやかな気持ちで眺めていた私でした。今日は、悠河を連れて、夫と共に双方の実家の母に新年の挨拶に出かけた。私の母は喪中だからお見舞い。悠河は緊張気味に、それでも教えられたとおり、上手に畳に手をついてごあいさつができて、ほめられた。どちらの母も大変喜んでくれて、どちらの母も、風の冷たい中帰りは外にまで出て見送ってくれた。ひ孫に「握手でバイバイバイ・・・・」と可愛い手で握手されたら、やっぱりうれしいだろうな。少しばかりだけれど料理(おせちというにははばかる)を用意したり・・・・と、出かけるのはあわただしく、疲れてしまって、帰ってくるとすぐ悠河と一緒にいったん寝てしまった。最近は、トイレもお風呂も添い寝も遊びも、鼻をかむのまで「おじいちゃん おじいちゃん」とべったりご指名で、おじいちゃんはご満悦!おかげで私は大助かり・・・・・。でも、暮れからの疲れが出てきたような、かなりバテ気味でした。
2005年01月02日
コメント(2)
年の瀬は、手際の悪さも重なって、あわただしくやり残しもいっぱいで、31日まで年賀状を引きずっている状態で、これでお正月が迎えられるか!という有様だったが、悠河とパパが来てくれたおかげで、はずんだ楽しいお正月になった。太灯くんママからの年賀状に、「太灯はわらべうたのリズムが心地よいらしく、唄ってやるとニコニコです。今、お気に入りは『あのね、おしょうさんがね、暗い本堂でね~』です。」とあり、思わずそばでいたずらしまくっていた悠河に唄いかけてやると、なんといたずらをやめてニコニコと拍をとりながらとびはねて踊りだすのです。楽しくてたまらないらしく、何度も何度も歌わせられました。ごむまりをもってきてついてやると(これは本来まりつき歌)またまた大喜び。「キャベツでホイツ!」とエプロンでまりを隠すと、それがまた楽しいらしくゲラゲラ笑って興奮状態。ひとしきり楽しんだ。これが、わが家の初笑いだったなあ。みなさま、1日に賀状が届かなくてごめんなさい。あらためて、新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2005年01月01日
コメント(2)
全25件 (25件中 1-25件目)
1