トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2024.03.04
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私の今の苗字は笹谷ですが、江戸時代末期の曽祖父の時代までは宮大工なので川岸姓を名乗っていました。

苗字が変わった・・・という事実で、自分ちの過去の歴史に興味を持ちました。



この数字にピンときました。

栃木県足利市と言えば、同じ栃木県にある日光東照宮から48㎞しか離れていません。

そうなんです。

日光東照宮は左甚五郎(本名は岸上甚五郎左義信で江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人)の分家筋にあたる「和泉」一族が建立したのは既に証明されています。

おそらく、江戸時代に幕府の要請で貝塚市三ツ松の左甚五郎の本家筋である「岸上」一族から分家する際に、本家争いをしないように貝塚市の当時の呼称は和泉国なので和泉姓に変更したのです。

実際、日光東照宮を建立に何十年も掛かり困難を極め、貝塚市三ツ松の本家「岸上」の同じ分家筋で水間の三重塔や名越安養寺の本堂の建立で実績のある名越の「川岸」一族の一派を足利市に助っ人の宮大工として呼び寄せたと推測できます(岸和田城周辺にも宮大工として川岸一族の一派が移住しているのは親族から確認済み)。


オモシロいですねェ・・・

在日韓国人(朝鮮人)なら通名を使えますが、日本人ならそう簡単には変更できず1つしかない苗字や家紋でイロイロ推測できるなんて。

去年もテレビ大阪の「誰も知らんキング」という番組で、名越町内に多い塔筋さんという全国的にも非常に珍しい苗字が取材されていましたが、放映に先立ち知り合い経由でその由来を番組ディレクターが私に間接的に聞いてきました。

町内の親戚の塔筋さんから法事の時に「笹谷家の本家の川岸仁左衛門(昔役所の間違いで今は川﨑姓)一族が水間の三重塔を建立するのに名越村から何年も掛けて通ったので、名越というのは水間の三重塔への道筋だった・・・そこから、「塔」と「筋」がくっついて塔筋という苗字が明治時代になってからついたんや・・・」という口伝が昔から伝わっていると聞いていました。

確かに非常に珍しい苗字です・・・「塔」と「筋」なんて。

関連性がひとつもありませんから、塔筋さんご本人の説明で納得です。

江戸時代の水間寺の三重塔や本堂の建立に、左甚五郎一族でも名越の川岸仁左衛門一族が大きく関わったとされ(棟梁で)、何十年も名越から水間へ大勢の宮大工集団が水間街道(通称・旧道)をゾロゾロと歩いて通っていた光景が思い浮かびます。



そして楠右衛門と縁戚?であった跡継ぎのいない水間の笹谷吟蔵さんと、次男であった私の曾祖父が合法的に養子縁組をしたのです。

曾祖父の妻(曾祖母)が名越村唯一の武士(岸和田藩足軽)の石原家の娘というのも、当時の左甚五郎一族の影響力が覗えます。

宮大工家と士族のカップルは、名越史上初だったのですから。

まぁしかし何で、そもそも左甚五郎は貝塚市三ツ松生まれなのか・・・?

泉州一帯ではだんじり文化が盛んで、寺社仏閣が非常に多いのは、左甚五郎の先祖に当たる100人の建築集団が、南北朝時代の1300年頃に近江からが貝塚市の三ッ松に移り住んだのが、そもそもの始まりです。

三ツ松に移り住んだ理由は葛城山麓で良質の木材が取れ、それを伐採し近木川伝いに木を運び、大阪湾伝いに四天王寺関連の寺社仏閣を建立するために運んだと言われています。

その証拠に葛城山麓に近い村の名前が「木積(こつみ)」ですし、同級生に「伐栗(きりくり)」君というのがいましたから。

まぁそれが何百年に渡ってこの建築、彫刻の伝統が「左甚五郎一族」に引き継がれ、泉州のみならず近畿一円、関東まで広がっていったのです。

という事で、「苗字由来net」で調べると和泉姓が香川県高松市が日本で1番多く、岸上姓が香川県観音寺市が日本で1番多い(全国2位が貝塚市)というのがナントも気になりますねェ・・・

左甚五郎の本家筋が「岸上」姓で、分家筋の一派が「和泉」姓で、左甚五郎伝説(出身地)が全国にいくつもありますが、香川県には左甚五郎美術館や墓碑があるらしいのです。

これって、絶対何か?ありそうです。

私は左甚五郎というのは特定に個人ではなく、一族(岸上、和泉、川岸、岸本、岸谷、岸田)の総称という説に賛成で、おそらく貝塚市三ツ松の岸上本家から分家した和泉と川岸から香川県にも移住したという説が正しいと思います。



まぁ「貝塚市」「栃木県(足利市)」「香川県(高松市、観音寺市)」の3か所で、何か?左甚五郎の1つの謎が解けそうです。

もしこの私のブログを読んで、何か現地の口伝や情報があれば電話やメールで連絡をお待ちしています。

電話:072-446-0798  メール:innfo@sasatani.com    笹谷まで










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Last updated  2024.03.06 16:13:55
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