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人格ないなともだちいらんべっぴんいらん手が変に多かったり位置が違ってたりは愛嬌結びすぎやないやだなあ普通のおばさんって普通じゃねえやっち、チケットブースが現れ、金払った1995静岡 リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク) 熱海秘宝管(リンク) 熱海城 前編(リンク) 熱海城 後編(リンク) まぼろし博物館 入口まで1(リンク) まぼろし博物館 入口まで2(リンク) まぼろし博物館 ビヨンド(リンク) まぼろし博物館 昭和前編(リンク) まぼろし博物館 昭和後編(リンク) まぼろし博物館 歴史編(リンク) まぼろし博物館 アート前編(リンク) まぼろし博物館 アート後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 前編(リンク) 怪しい少年少女博物館 後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 お化け屋敷(リンク) 伊豆極楽苑(リンク) 秘宝展(リンク) 伊豆蝋人形美術館(リンク)
2015.06.30
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ここはまれに見る膨大なコレクションである。ちょっとそっとでは耐性が出来てしまった私でも驚きであった。1995静岡 リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク) 熱海秘宝管(リンク) 熱海城 前編(リンク) 熱海城 後編(リンク) まぼろし博物館 入口まで1(リンク) まぼろし博物館 入口まで2(リンク) まぼろし博物館 ビヨンド(リンク) まぼろし博物館 昭和前編(リンク) まぼろし博物館 昭和後編(リンク) まぼろし博物館 歴史編(リンク) まぼろし博物館 アート前編(リンク) まぼろし博物館 アート後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 前編(リンク) 怪しい少年少女博物館 後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 お化け屋敷(リンク) 伊豆極楽苑(リンク) 秘宝展(リンク) 伊豆蝋人形美術館(リンク)
2015.06.29
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でも心のどこかで飽きちゃっている脱力、その第一歩は、まあ、どこに行っても同じだよなという感覚。常に新鮮な驚きや発見をしなければいけない!と激しく自分を問うと、益々、ヘナヘナヘナとなる訳である。そこで大切なのは、マニアックになるというか自分の僅かに残った好奇心に向かって興味を集中させるか、惰性、脱力にもっていくかである。勿論両方OKである。飽きたわ、という力は大きいのである。たぐいまれな元気な人や頑張りしろのある40代の人間も沢山あり、それゆえ活躍しているのだが、40歳を超えるとそもそも人生自身に飽きてくる人もいるのである。かといって死ぬ勇気もないので、そこは、惰性にもっていくのである。怠惰とは違うよ。もう生きるの飽きたわ、でも死ぬのも怖いし、わざわざ自殺して終わらせるほどでもないよな、そういった感覚である。私もそういった感覚を学生終わる頃から感じ始めていた。そういえば、学生最後のボルネオ島卒業旅行の中で漠然と考えた。次に1ヶ月も2ヶ月も旅行するのは多分40年後だろう、今までの人生の2倍の時間だ。そう思うと、ちょとだけ死にたくなったが、ちょとだけでは死なないものなのである。気が遠くなったり、気が滅入っただけだ。勿論転職したらその間に時間はあったかも知れないと考えたかも知れないが、そのときは面倒なんで考えなかった。まあ働いてから最長で2週間旅行したことはあるものの、1週間なら何度も可能であることが判明し、でもやっぱりいつも1週間じゃ短すぎると思うのであった。まあ伊豆秘宝展・・・立川流 1995静岡 リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク) 熱海秘宝管(リンク) 熱海城 前編(リンク) 熱海城 後編(リンク) まぼろし博物館 入口まで1(リンク) まぼろし博物館 入口まで2(リンク) まぼろし博物館 ビヨンド(リンク) まぼろし博物館 昭和前編(リンク) まぼろし博物館 昭和後編(リンク) まぼろし博物館 歴史編(リンク) まぼろし博物館 アート前編(リンク) まぼろし博物館 アート後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 前編(リンク) 怪しい少年少女博物館 後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 お化け屋敷(リンク) 伊豆極楽苑(リンク) 秘宝展(リンク) 伊豆蝋人形美術館(リンク) その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト
2015.06.28
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1980年代あたりに最盛期を迎えた蝋人形、マネキンや大掛かりな機械仕掛けを多様して妄想世界を再現したエンターテイメント系秘宝館も、昨年12月31日に鬼怒川秘宝館が閉館し、熱海秘宝館ただ1店舗になってしまったのである。ほんま昭和な感じなんだぜ。レトロを感じながら悲しく笑う、それが醍醐味なんだぜ。エンタメ系秘宝館に最初に行ったのは、まあ大学生の時に、酒飲んで夜中に後輩の家に雪崩れ込んで、そのまま朝になりかけて、どっかいこか、という話になって、じゃあ、鳥羽の秘宝館にでも行って行ってみるか、ということになって車を飛ばして以来、今日でもうエンタメ系は行くところがなくなったということである。ウキペディアによると、以下のように日本国内は列記されていた。北海道 北海道秘宝館(廃館)福島県 東北サファリパーク秘宝館(廃館)・東北秘宝館極楽殿(廃館)・ 高柴デコ屋敷・道六館栃木県・鬼怒川秘宝殿(廃館)・性神の館・高尾観音(廃館)・竜王観音(廃館)群馬県 いろは美術館・武弘自然生態博物館(廃館)・珍宝館・藤原郷精魂宮(廃館)・伊香保命と性ミュージアム女神館 ・若旅民具茶屋(若旅民芸館)神奈川県 金山神社資料室・中国珍宝館(廃館)山梨県 元祖国際秘宝館石和館(廃館)・石和秘宝館ロマンの館(廃館)・桃丘コレクション・富士博物館天野コレクション(閉鎖中)新潟県 HIHOKAN夢(廃館)静岡県 熱海秘宝館・伊豆オレンヂセンター浮世絵奥の院・伊豆極楽苑秘宝展・珍品館(廃館)・沼津秘宝館(廃館)・了仙寺宝物館秘仏コレクション 愛知県 性態博物館(旧名・日本陰陽秘宝館)(廃館)三重県 元祖国際秘宝館(廃館)・鳥羽SF未来館(廃館)石川県 北陸秘宝館(廃館)京都府 江戸風俗秘宝館(廃館)兵庫県 立川水仙郷ナゾのパラダイス 島根県 神話秘宝館(廃館)山口県 道祖神の里(旧名・秘宝の館)(廃館)香川県 こんぴら秘宝館(廃館)徳島県 お花大権現奉納物殿・お山公園・男女神社秘宝館(廃館)愛媛県 多賀神社凸凹神堂 高知県 土佐桃源郷(廃館)佐賀県 嬉野観光秘宝館(旧名・嬉野武雄観光秘宝館)(廃館) 大分県 別府秘宝館(別府民族資料館)(廃館)宮崎県 愛の資料館(廃館)・ギャラリー蔵鹿児島県 笑喜屋衆楽秘宝舎(廃館)昭和末期には全国20館以上あったものの日本唯一の存在になったのが「熱海秘宝館」。昭和の香りが濃厚に残る同館には、いま若い女性客の姿が目立つという。実際にはカップルが来てたりして、ユーモアとセンスに呆れて笑うというものである。秘宝館の衰退は団体旅行客の減少にあるという。団体旅行減ってるのかなあ。楽なのにねえ。おもろいところいった、と話のネタにはなるけど、なかなかリピーターちゅうわけにはいかないので、リニューアルもされないところに問題があるのかもしれない。エンタメ系で人形が動くのはまあ電気代かかるってか、メンテもいるしなあ。古くなっていくからなあ。悲しいかな、時代は変わっていくのである。その道訪問北海道 レトロスペース2札幌市洞爺湖の珍小島虻田郡洞爺湖町乳神神社浦幌町岩手県花巻温泉郷・金精長根花巻市コンセイサマ 遠野市福島県浄土松公園キノコ福島県郡山市新潟県金玉神社新潟市遊郭に泊まる・東光院・十上神社・岩屋山石窟佐渡島雲母神社関川村ほだれ祭1・ほだれ祭り2長岡市 雁田神社 上越市茨城県御前岩 那須川町栃木県門田縁切稲荷神社足利市性神の館・ 性神の館2宇都宮市日光東照宮横、輪王寺 観音堂 香車堂日光市群馬県迦葉山弥勒天狗寺沼田市縁切寺満徳寺太田市命と生命のミュージアム・ 命と生命のミュージアム2階・珍宝館 渋川市東京都オリエント工業1・オリエント工業2・オリエント工業3・オリエント工業4局部に宿る1・局部に宿る2・局部に宿る3・局部に宿る4渋谷区ロボットレストラン1・ロボットレストラン2・ロボットレストラン3・ロボットレストラン4・ロボットレストラン5・・ロボットレストラン6・ロボットレストラン7・ロボットレストラン8新宿区神奈川県金山神社祭り ・かなまら祭り2・かなまら祭り・かなまら祭り3川崎市静岡県最後のエンタメ系秘宝館熱海市伊豆極楽苑 ・伊豆極楽苑2 伊豆市まぼろしアート館1 ・まぼろしアート館2 ・まぼろしアート館3 ・まぼろしアート館4 ・まぼろしアート館5 ・まぼろしアート館6 ・まぼろしアート館7 ・まぼろしアート館8伊東市山梨県夫婦木大神甲府市長野県姥捨・澳津神社・岩鼻上田市愛知県間々観音小牧市高浜茶屋吉貴高浜市野間大坊 美浜町 大縣神社・田縣神社 犬山市石川県スッポン堂 加賀市和歌山県円月島・歓喜神社 白浜町京都府縁結び神社 ・縁切り神社・五条楽園京都市奈良県宝山寺、色町 生駒市大阪府バーレスク大阪1・ バーレスク大阪2・バーレスク大阪3・バーレスク大阪Ⅰ・ SMクラブ潜入 ・メイドカフェ潜入・滝井新地 ・松島チョンの間大阪市橋本遊郭跡 枚方市兵庫県 なぞのぱらだいす1・ なぞのぱらだいす2・ なぞのぱらだいす3 ・芝右衛門狸、キティ 兵庫県淡路島岡山県軽部神社総社市金勢大明神赤磐市金精神社 高梁市島根県玉造温泉の珍宝石さん、八重垣神社松江市香川県お花権現、林下寺1みよし町愛媛県 凸凹寺宇和島市広島県阿伏兎観音福山市喫茶伴天連東広島市山口県マラ観音長門市福岡県鬼塚観音 岡垣町縁切神社 福岡市不思議博物館1 ・不思議博物館2 那珂川市男根岩 八女市長崎県木花咲耶姫神・雲仙大仏別院いのりの里 長崎県雲仙市壱岐 男岳 男獄神社・壱岐 男岳 賽神社・壱岐 島沖の島壱岐島愛の駅諫早市佐賀県鏡山道祖神・太閤一里塚 佐賀県唐津市秘宝館 ・秘宝館2 ・秘宝館3 嬉野市大分県秘宝館 、秘宝館2 、秘宝館3大分市熊本県七郎神和水町 潮神社(おっぱい神社) ・賽神社(だんこん神社)湯前町柴立姫神社 球磨村弓削神社龍田町弓削法皇社弓削町おっぱい岩 ・おっぱい岩再訪天草市宮崎県鵜戸神社・鵜戸神社再訪1 ・鵜戸神社再訪2日南市陰陽石・陰陽石再訪1・陰陽石再訪2・陰陽石再訪3小林市鹿児島県子授け岩日置市三角関係岩ウエルカメ与論島小山神社屋久島韓国ラブミュージアム・ラブミュージアム2・ラブミュージアム3ソウル女郎街釜山 済州島ラブランド ・ラブランド2 ・ラブランド3 ・済州島 健康と性の博物館 ・健康と性の博物館2・健康と性の博物館3 ・済州島 ワールドエロスミュージアム 済州島タイスイスホテル裏バンコクシンガポールゲイラン地区デンマークエロティカミュージアム コペンハーゲンチェコセックスマシーンズミュージアムオランダソドム街飾り窓・ソドム街飾り窓2・セックスミュージアム・エロチカミュージアム ・エロチカミュージアム2 ・ソドム事情・2018レッドディストリクト1995静岡 リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク) 熱海秘宝管(リンク) 熱海城 前編(リンク) 熱海城 後編(リンク) まぼろし博物館 入口まで1(リンク) まぼろし博物館 入口まで2(リンク) まぼろし博物館 ビヨンド(リンク) まぼろし博物館 昭和前編(リンク) まぼろし博物館 昭和後編(リンク) まぼろし博物館 歴史編(リンク) まぼろし博物館 アート前編(リンク) まぼろし博物館 アート後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 前編(リンク) 怪しい少年少女博物館 後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 お化け屋敷(リンク) 伊豆極楽苑(リンク) 秘宝展(リンク) 伊豆蝋人形美術館(リンク)
2015.06.27
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大人は工場見学に行くのである。大人だからである。従業員の方々が笑顔で迎えてくれ「こんにちはー」と皆が挨拶してくれて、何故か清々しい、一瞬、「今日は見学者が来るからな、オマイらも笑顔絶やさず、声掛けし、かつ職人根性みしたれや」と事前に社長から激が入ったのではないかと心配するくらいである。まずは、ロールからである、70キロとか90きろとかいう紙厚の話が出来て、1ロールA2で6万枚刷れますとのことであった。まずは出来上がったカラー原稿を元に4色の刷版を作るとのことであった。入稿から3,4時間はかかるということである。いよいよロールセットである。巨大トイレットペーパーであり、人間で運ぶのは厳しすぎる。印刷されていくものを見ながら微調整するのである。微調整の機会がまるでシンセサイザーのようで、従業員が出来栄えのチラシを細かく見ながら色を微調整するすがたが、アーチストのようである。音が煩くて音楽が聞こえないのである。ぐんぐん、調子が上がってくるのである。しかし、途中でメルトダウン、だいたい調子があがってくるのは1,2万部刷ってからだそうで、だいたい1万部ぐらいのロスはするもののようだ。しかし、草々に紙が切れてしまって機械が止まったのは、見学者についついいいところを早く見せてあげようと、速度を早めに上げすぎてしまったから、ということであった。言い訳としたとしても、いい言い訳である。裁断の速度は速すぎて見えないのである、マッハの世界である、うそ。あつあつのところを通るので、冷やす、みたいな感じである。チラシ軍団が流れてくるのである。巨大タマネギを積んでフォークリフトがやってくるのである。刷った枚数を数えるカウンターがスゲエ早いのである。250部は1分もかからないのである。250部ずつ反対向きに積み上げていく。1000ぶになれば、ぐるりと回して1セットとするのである。それをパレットの上に載せて、出来上がっていくのだ。輪転が回るのは、昔、テレビや漫画で見た。例えば、この新聞紙を刷る輪転機が回る上に、ミスターX交通事故死」とかタイガーマスクで見たり。ドラマでも「三億円事件時効」とか。工場見学、イイネ。バイトで工場で働いていると、自分も機械の一部になって思考停止して気分良くなるんだけどね。そんな誘惑にどうやって打ち勝っていくのか・・・。溺れてはいけないんだ。強ければそれでいいんだ。
2015.06.26
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昨晩の夜、といってももう21時は過ぎているのだが、もう疲れてしまい(実は朝から疲れているんだけど)、少し呆然、茫然、漫然、反毅然としていると、残っている後輩社員は一生懸命仕事をかなり呆然、茫然、漫然とやっていたので、声を掛けてみた。「今、ぱっと思いついて、日本でここ旅行行って見たいな、みたいなところはあるかね」(かね、と偉そうには言わないけど、日記なので成り行き上そうなってしまった)と質問すると。「そうですねえ、伊豆の踊り子ですかね」とほんの3秒で答えた。3秒がミソである。本当に行きたければすぐに答えるはずである。でもうーんうーん沖縄とか北海道ですかね、と10ぐらいで答えると、別に特段行きたい所がないか特に良く考えていないということである。3秒で答える、それも文学作品であるからにして、それは単純に面白がって答えたと判断できた。カワバタか・・・私の体内に旋律が走った、はずはなく、じゃあそうしてみるかな、果敢にも挑戦してみるかな。そんなにもカワイイ後輩の意見に逆らうわけにはいかない。アチラ方面には行きたい所の目星は既に何箇所かあるからな。と心の中で思うどころか、「そっか、明日じゃあ行ってみるかな・・・」と、つい声に出してしまったかも知れないし、聞かれてしまったかも知れない。いや、きっと聞いていないだろう。もし聞かれていれば、馬鹿と思われるか、ウソだろと思われるかだろうが、私の場合はもうひとつ思われる可能性があって、あいつやったらやりかねん仕方ないですね、という奴である。しかし、そんな危なくないんです。やってしまっても、誰にも危害は加えないどころか、呆れられこそすれ、日本経済の潤滑油としてマネーをばら撒くという大局的に見ると素晴らしいことなのである。 まあそう決めたからには、何が大事かというと、早起きすること、それだけなのである。早起きするだけではなく、遅寝もしないといけないのである。23時頃に家に帰ったはいいが、飯を食わなければならないのであり、急いでコンビニ弁当である。しかも今日は朝も昼も食いそびれているので、胃の空腹の叫びも既に収まってしまっているのである。それを食いながら、どこに行きたかったのかを再度ネットで住所など確認しながら交通手段の確保と確認を行いつつ、他に余計なことをしていると、睡眠時間は3時間となってしまう。やはり問題は起きれるか、というか、強い意志力である。海外にいてどうしても飛行機に乗らなければならなければ1時間の睡眠でもちゃんと起きて空港に向かうのだが、何セ自宅である、終着地点にいるのである。別にいかんくてもいいのである。行きたい欲求が睡魔を凌駕するから行くのである、自宅にいるとトントンである。寝たきりでいいじゃんと誘惑されるのである。ナのでいかないと既に払ったお金損するよ、みたいにいかなければならない状況を作るのである。といえば、仕事か修行みたいけど、それは日記だからそう書いているだけで、起きれば行きたいから行くのである。だから本当に重要なことはアラームを最大音にすることなのである。起きてみて勝った、カエサルなのである。英語読みでシーザーなのである。シーザーズサラダは、カエサルは関係なくメキシコのアメリカとの国境生まれなのである。 結果的には夕刻には、横浜にある今や日本で二番目に高くなったビルを見ながら優雅に羽田に向かっている状態である。つまり朝はちゃんと5時45分に起き、6時には車を走らせて神戸空港へ(駐車料金1日だと無料だから)向かい、6時半にはチェックインを済ませ、21時半に神戸空港に戻ってきて、車を出し、途中今日はじめての飯(ラーメン太郎)を食って、帰って来ましたということなのである。その前、にあやうく、40分前に羽田に到着し、30分前にチェックインを終え、余裕かまして、15分だけ羽田空港ラウンジに行ったのだが、そこで寝てしまい、出発間際に目覚めてしまい、走ってゲートに向かうのである。リクエスト紀行は完結したが、後輩には報告するはずがない、それが、もののあわれというものだ。道義である。全世界に公開しながら、秘密主義である。いや、良く考えたら、伊豆で踊ってないやん、しまった、リクエスト実行してなかった、行っただけじゃん。いまさらに気がつく夜半過ぎであった。しかし、非常口に座ってもこれじゃあ、非常ドアの開け方分からないジャン、乗務員の方々が動けなかったりした場合にどうするんだ、指示に従うけど指示がない場合はどうすんであっぺ?そういうときのために、私は細かく窓口をチェックし、開け方をシュミレーションするのであるのであった。チェックが終わるやいなや博徒、いや、爆徒と化すのであった。1995静岡 リクエスト紀行 伊豆の踊子(リンク) 熱海秘宝管(リンク) 熱海城 前編(リンク) 熱海城 後編(リンク) まぼろし博物館 入口まで1(リンク) まぼろし博物館 入口まで2(リンク) まぼろし博物館 ビヨンド(リンク) まぼろし博物館 昭和前編(リンク) まぼろし博物館 昭和後編(リンク) まぼろし博物館 歴史編(リンク) まぼろし博物館 アート前編(リンク) まぼろし博物館 アート後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 前編(リンク) 怪しい少年少女博物館 後編(リンク) 怪しい少年少女博物館 お化け屋敷(リンク) 伊豆極楽苑(リンク) 秘宝展(リンク) 伊豆蝋人形美術館(リンク)
2015.06.25
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大きくは、語らないが、1970年の記憶はないが、万博だっけ?ゲバの終盤戦と音楽とセクスの時代か?しかし、45年たっても、高っと思う値段、どんなけ日本デフレやねん。微かな灯火で材木屋さんなんかがまだ三輪自動車を動かしていた記憶があるが、タイやインドにあるミニトライシクルの記憶は全くない。いやあ、やっぱり高い。てか1970年だったら今にしたら、給料から考えたら50万百万じゃね?野坂昭如先生晩年だんだんおかしくなっていった。神戸で一度エレベーターで乗り合わせて、馬鹿学生飲みに行くぞ、と誘われたなあ。MS-33知らん。MG5知らん。店知らん。今でこそ、これはとっても重要な案件である。日本存続のために。今の頼みの綱はヤンキーなのである。変に皆、パーのくせに高学歴化してしまったのである。何も考えず、励んで子供10代でバンバン作って人口を増やすことが日本の活力に必要なのである。なんの活力かしらんけど、そういうのには、早晩若気の至りで別れることを想定しつつも、国が手厚い教育を施すべきなのである。氏より育ちは真実であると思う。生き別れた双子の将来は教育環境で決まっている、遺伝はしれている。多分両親が東大でも、全く子供に教育環境与えなかったら高校も行くと来ないでしょ?今朝は、まだ見知らぬ二人だった、オー、ロマンチックじゃん、悪くないね、時代だね。いや、時代関係ないね。(いいね~と素直にいえるほど若くない)。クツメーカー知らん。BBは、すぐブリジッドバルドーって分かる俺も、年やな。まあ、俺の青春時代、もうBBは銀幕スクリーンからほとんどおらんかったけどな、勝手に動物愛護裂けんで変な方向に走っていってたけどな。グー。んー、多分死語。確か、前世紀後半に、蕎麦屋で隣のカップルの男のほうがそば食ってて、グーとかいって、噴出した。でも2010年代になったら、何となく復刻はしてないけど、そんなにおかしくもないかもね、グー!チョキパー!懐かしいこと思い出した。 その前世紀後半(まあ1990年代後半)にインド料理食べに行ったとき、隣の男女の男が口説き始めた。元々女性のほうもあまりそんな気がなかったのかもしれないが、私のところに、飯が運ばれてきて、インドだからな、ちゃんと手で食べないといけないな、と手で食った。私は食うことに集中していたのであるが、一緒に食ってた人が、「隣の2人、男性が口説いてたのに、女性のほう、ずっとキミが手で食っているのを唖然と見ていて、男の話まったく聞いていなかったよ」と言われ、へーちょとだけ悪いことしたかな~っと反省しなかった。いつからボイン死語でしょうか。前世紀後半にももうオマエの言葉は死んでいるだった、というか、今の中高生って分かるかな?黒いマシーン、カッコイイな1970年から20年たっても、まだブルーワーカーあったよ。クラリオンはあるけどアイワはもうない。持ってたんだけどな。字体とかナウイよね。顔で勝負、とかすごい時代やってんなあ、やらせかな時代は、えろぐろなんせんすうはうはやったんやろな、あ、おれもその遅れてきた一味かも。ちょと、車にうとくて。当時の物価から考えたらハワイ高っ。ディープパープルとか、サイモン&ガーファンクルがなうい時代か。バンビ!ケッ!今もあるよねコロナ、知らんけど。ロングセラーやな、あれ、ブンタアニキか?捕捉:熱戦入りリアウインドウ。前輪ディスクブレーキ。衝撃吸収ハンドル。カーステレオ。タコメーター。コンソールボックス。タンデムマスターシリンダー。木目仕様ハンドル。・・・スゲエ、今では高くて出来ないのではないか?
2015.06.24
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朝一に、吉野家で納豆定食を食った後、近所の八幡宮に用事で来た。しかし、吉野家、滅法空いている。中学校卒業して、高校に入って、そうなると電車で高校に行くようになって、なんだか、一校ラベルの上に行った同級生女子が駅でいつもそろって待っていた。私は、その高校に行くつもりだったけど、そこでは最下層平民学力になるので、高校ランクを一つ落として、頂上付近で気分良くキャンパスライフを送るエピキュリアン生活を選択した。だからじゃないけど、その高校は、ちょっと苦手だったというか、自分で決めて、ワンランク下の高校でトップクラスをエンジョイしているくせに、なんとなく屈折していた。その中にいた一人が私のことを好きで、何度か告白されていて、また何度目かの告白を朝からされて、多分私は迷惑そうな態度をとったのだと思う。 大学生になって、もうあれから5年ぐらいたって冷たくしてゴメンと反省文の手紙を実家に送った。返事はなかった。そのころに彼女と仲の良かった女性友達がこの神社周辺に引っ越してて、大学になってから会って、ちょっと酒飲んで、昔は申し訳なかった、でもあたりまえだけど好きじゃないから仕方ないんだ、と言った。そんなことは彼女はどうでもよかったみたいで、彼女は泣き出し、どうしたか聞いてみると、もうすぐ彼氏が死ぬという。そうなんだと、結局何年かぶりに彼女と会った飲み会は、彼氏の死に関する話題であった。 そこから、3年ぐらい音沙汰なかったので、連絡してみると、彼の虚言癖であったと彼女は寂しく語り、別れたといった。私は何も言わなかった。それから実家に、結婚します、妊娠しました、子供が出来ました、と3回年賀状が来て、それからどうなったかは知らない。本来の目的は違うのだが、ここは、なんつの、おみくじで有名なのだ。だから、おみくじするしかないんじゃないの?(普段しません、お金もったないから)後輩君には恋みくじをやらせる。なにせ、こいつには、一向に故意の気配も予感もなく、常に失敗100連発だから、(はたからみていて呆れるのだが)ここは、日常生活を天に運を任せているにも関わらず、更に神頼みを推す。いいのが出た。おまえのとおりやん他の例を挙げておく。他の例を挙げておく。私は来た労苦時である。いまいち。他の例を挙げておく。最後に、他の例を挙げておく。
2015.06.23
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いやはや、ページが千切れてしまう。何セ50年前の雑誌である。俺の両親も結婚していない頃である。勿論ではあるが、親からベトナム戦争の話なんか聞いたことないし、1975年に終結したし、そのくせ、学生時代はベトナム戦争に一応、ですがかぶれました、すみません。まあ、そん前にガス代です。アサヒグラフです。今、7,80歳タブーではなく、タブウやったんや。 昔、卒業して働き始めた1年目の頃だけど、何かの集まりの飲み会に友達が高校生の弟を連れてきていたんだけど、そこで、どんな話したか忘れたけど、後日、戦争になったらトイモイサンはゲリラになるから着いていくっていってるよ、と友達から聞いて、アホか何ゆうとるねん、速攻で殺されるわ、と言った記憶がある。高校生と大学生(に近い感覚)には、スンゴイ隔たりがあるからね。俺の銀行カード、まだ三和銀行。今はなんちゅうの、東海と東京と三菱と合体して東京三菱UFJ。俺の小学生低学年時代も、南北ベトナムやったで。悲しみと笑顔これみたことないな
2015.06.22
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本日は、特に何もないのだが、もう少し詳しく言うと何もあってだね、1件だけ打ち合わせてきなものがあるから、まあ、仕事的なものに出かけるかね?という感じだったわけである。それが何かというと詳しくは話できないことはないのだが面倒なので書かないだけでである。書きたいことを思いついたときだけに書く読者に厳しい自分の記憶と記録を留めておくための厳しい日記である。そういう訳で、あまり、仕事なので大きく仕事に支障をきたすと困るので書くことはできないのでああるが、まあ、簡略化していえば、何だか会社があるイベントのスポンサー的なものになったので、それでまあ打ち合わせ的なものの流れで、まあライブ見て行ってくださいや的なものから、そうでしたら最後は打ち上げBBQやな、是非来てください、というものであった。まあ、それは、そういうことで、熱い思いを引き続き語ってもらいながらも、情熱って、そうだなあ、強弱はあるけど、言葉で表現できる出来ないも強いなあと思うのであった。作品みてどうやっというより、どんなけ饒舌やねん、ってことは重要なんだよなあ、怖いわ。ああ、そういうのってプレゼン能力っていうんだよね。コムヌケーション能力だねえ。 それにしてもである、ガキノ頃というか30歳代までいまいち肉が好きでなかったのだが、加齢と共に少量でエナジーを吸収できる肉が空きになり始めていたのだが、それは高級な肉に限ってという贅沢の法則が隠れていたのだが、ここにきて、BBQの肉、いまいちやな、なんでや、アルゼンチンのアサードはどうした、モンゴルや中央アジア諸国の肉はどうなんだ、といわれたら困るのだが、結局肉は一切れだけ、おにぎりを3つと野菜を食べた。先日の焼き鳥は良かったのに・・・神戸牛ですよ~と持って来てくれたのに、その横のおにぎりを食べていた。まあそういう日もあるかも知れないし、味覚がまた変化し始めたのかもしれない、が、まあ、それはたいした問題じゃない。 帰り際に、握手して、ところであの踊りのコレ、パルプフィクションでしたね、というと、彼は大喜びで、分かる人には分かるねえ、といって歌い出した。そしてもう一度握手して別れるのであった。
2015.06.21
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こういうことをマジメに考察していた時代もあった。まあ、ほぼ1年ぶりにじゃじゃうまに行った。そこでどういう話題であったか、のことは、すっかり忘れたのである。だからここでは、詳細は省略する。 昨晩は、部内の飲み会なのに、何故かミャンマーゲームとか古今東西ゲームとかピンポンパンゲームとかをおっぱじめてしまい、一気飲みをさせられるというバブル時代の名残みたいな状態になってしまった。なってしまったのは、まあ致し方ないのであるが、隣にいた嘱託の先輩(かつての上司)が失敗に失敗を重ね、一気飲みし過ぎた。これはやばい兆候がある。私と後輩の2人は、会が終わっても取り残され、そして、介護要員となるのである。介護要員といっても、吐いたりぐったりしたり寝てしまうわけではなく、その人は胃が以上に強く、なんだかぶつぶつ呟いてヤバイ状態なのである。「なんやお前ら店しらんのか、じゃあ、電話したる、あ、でも5年ぶりやからなあ」といいながら、「もしもし、もしもし、ナニイ、席1席しかない?こっち3人やなんとかしろよ、あ、何とかなった。ほないくわ」といい、タクシーに乗ったはいいが、付近に到着すると嘱託先輩は、「何で俺も降りないといけないのだ?」と言い出し、タクシーから降ろすのに大層な時間を要した。そして、「店はどこですか」と聞くと、「なんやおまえらどこ行きたいんや」と言い出し「、いや違うんです、先ほど電話してたじゃないですか」、といったものの、あっちや、こっちや、をぶらぶら歩くだけなので、その間もなにやら一人ことをいう相当ヤバイ状態だったので、後輩と2秒ほど相談して、タクシーを止めて、車内に放り込んだ。猛烈にトイレに行きたかったので、そこから一番近い適当なバーの入り、トイレをして1杯だけ飲んで帰った、というショートストーリーであった。おまけに、帰ってから、家でも飲んでしまったときに、アル中ちゃうかと危惧した次第。
2015.06.20
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なんだか、書いていたらヒートアップしてきたので、もうちょとだけ品のないこと罵詈雑言していいですか。はい、いいですよ。ごめん、MARSなんで、空いているとは思うんだけど。 最近というか、随分前だけど、今年の2月に台湾行く前後に、KANOって台湾で大ヒットした野球の映画見たよ、野球興味ないのにだよ、いい映画なんだよ、野球に興味はないんだよ。同じ頃に、韓国ではイスイマンが豊臣を追い出す歴史的事実をひん曲げた映画が韓国で大ヒット。ほんま悲しなるで、なんだよ、俳優や監督までが本当の歴史を日本人には学んで欲しいなんて、かわいそうだな。そういうひん曲がった教育受けてしまっていては、事実を知りようもないよね。韓国人にとってか、韓国歴史学者にとって、歴史って願望でありファンタジーなんだな。そら昔のことは分かりまへんが、それより前に攻めてきたんは元寇だろ?ほとんど高麗の人間だろ?南宋の人間だろ? 確かに日本は台湾や韓国に悪いことをした。同時に余計なことに、ダムとか作って農業用水を確保してしまった、インフラを整備してしまった、教育を施してしまった、など間違ったことをしてしまった。これでは植民地から搾取できないじゃん。意見する人でてくるじゃん、賢い人の才能伸ばしちゃうジャン。だからぱくくねの親父もリトウキ(まだ生きてるよ)ニポンの教育制度に感謝しっちゃっているんだね。特に今では反日法があるから、悪い頃の日本帝国時代にも自国に尽力した人物も悪人だろう。台湾では森川清治郎とか八田よいちとか、今でも尊敬されているが、まあそれまでの圧政のほうが酷かったのかこりゃ侵略されたほうがラクで市民生活も向上したわいなてことはあったと思うのだが、それは韓国も同じである。教育制度が施され、町は近代化し生活は楽になったんだけど、まあそういうことは教えられないからね。重松まさなおとか韓国にも尽力した人はいたんだけど。何なんだろうね、自国民の両班に支配されているほうがいいのかもね、ほら地面に地をつけるのも嫌だからって人たち。ま、全員じゃないだろうけど。今でも両班精神とか両班意識とか良い意味で使われたりするらしいよ。日本じゃ、あれか貴族意識、うーん、哀れみとか侮蔑の意味入るよね。かの国も入るのかな。従軍慰安婦については、まあ乞食外交、おわり。リメンバー・ライ・ダイハンだよね。竹島もドクト部まである韓国には、かわいそうだな。でも実効支配されてしまったら、日本ももうだめなんだろうな。ま、これは確かに日本が不利な点はあるようだが。でもおっとりしてたら対馬やられるよ。しかし反日法って、ノムヒョンが10年ぐらい前に作った法律でしょ、60年前のこと穿り返して、子孫が訴えられて、金を搾り取るために。どこにそんな国があるかな、あ、北朝鮮か?でも、これ廃止してもらわないと、親日ないよな。表立って。現パククネだって、親父が親日だったから、こ法律でパクられるのが怖くて仕方ないんじゃない?オーパクパク。ま、でも、民間では別に嫌なんじゃないよ、半年か1年前に有名店に昼食食べに行ったら、たまたま前の人が韓国人一人旅でナンカのブログか何か見てなんだろう、数分並ばされてメニューが回されてきて、日本語読めないからとすぐにメニュー表をくれたのだが、そっか、ウエルカムだな、昔お世話になったからなと、席に座ってから、韓国人のテーブルまで歩いていって、伝票取り上げて、ウエルカムトジャパン、ってことだよ。これ、20年前の、30年前のお返し。まあ、民間ではそういうものだよね。ま、ランチ定食だからね。
2015.06.19
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温泉世界に数年ぶりに行った気がする。最寄駅の新今宮で降りると、やたら外国人観光客が多いのである。宿泊が安いのであろうか、アジア人も西洋人もすごい数で攻めてくるのであった。ここに何があるのだ?くしかつなのか。西成あいりん地区には外人バックパッカーが増えているというのを聞いたことはあるのだが。スパワールドは過去何度も入場しているが、湯に入るのは初めてである。今回男性風呂はヨーロッパの間であった。なかなかこれが広いのである。貧乏性なのが、ガムばって全ての湯に数分おきにつかっていくのである。オメエは温泉好きかといわれると、まあ好きなのだが、熱い温泉は苦手であり、道後温泉なんか5分も入っていないのである。そういう意味では、3時間も4時間も入っていた温い温泉は良いのである水着着用ではあるが。中には西洋人までいた。そっか、こういうのが好きな人もいるのか・・・。よもぎサウナに入ると、ぴったり寄り添ったゲイ組合の方々もお目見えしたわけである。まあ、そうやって、熱い状態となり、暫く休憩して、外に繰り出すのであった。じゃんじゃん横丁である。串である。2度つけ禁止である。出てきた串は、直接皿に持っていってはいけない、タレにつけてから皿にもっていかなければならない血のルールがあるのである。出されてすぐは串の棒も熱いので、キャベツで巻いて取るのが正攻法といわれ、どうしてもタレが少ないと感じたら、キャベツでタレを掬って皿に落とし込むのが常套手段と言われているのであった。そうやって早い時間からベロンベロンになっていくのも、たまにはいいじゃん、ま、そういうことである。
2015.06.18
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この前台湾に行った時の日記に「・・・余裕といえば、戦中は日本は台湾や韓国に悪いことをした。搾取し続けたらよかったのに、何故か教育とかそんなものに力を入れてしまった。勿論、地理的に近い朝鮮のほうに、より資金を投入して、国家予算がやばくなった、というか植民地経営赤字になったらあかんやん、長期戦略なんか?ということであるが、今の台湾と韓国の当時同じようなことをして、今の反応は何であろうか。まあ、台湾はそのあと国民党が入ってきて、ちうごく無茶苦茶やないか、よっぽど日本統治のほうが良かったわ、という反応もあったからカモシレナイ。それもあるけど、やっぱ、南国じゃないけど、風土的な大らかさはあるのかも知れないと思うのである。・・・」といったことを書いた。 根底にはいろいろ理由があるのだろうが、事大主義(中華さまさま思想というか、中華から離れるほど劣化する、だから日本は中国様より遠いのだから劣化民族だ、生意気だ、はあるだろう。それから法律の悪さもあるね、反日法(戦前に親日だったやつの子供や孫から金を奪う)なんかがあるから、親日をおおっぴらにいえない。いおうものなら財産没収される悪法である。それは、あれじゃん、北の成分といっしょじゃん。戦前日本に協力した、関係なかった、金日成に協力した、だけで遺族の将来が身分制度で決められてしまうのと変わらないね。まだ両班制度を引きずっているのだろうか。 反日法は、ほらここ10年くらいの最近にできたじゃん、それまでは、反日あったけど、じいさんばあさんはそうでもなかったし、パククネの父親も日本の教育のおかげといっているじゃん。そういうこといえなくなっちゃう悪法なんなね。 それから、若い子たちはかわいそうだね、歴史ひん曲げられて教育されたら、まあこりゃ仕方ないよ。若い子には責任ない。教科書やマスコミが事実ひん曲げて繰り返し伝えているから信じるでしょ。韓国人にほんとうの歴史はこうんだよ、って諭す勇気も地道な努力もできない私ですが、せめて国や政府の皆様方頑張ってください(ごめん、無責任で)それも反知力主義の今の政府やザイトクカイみたいな韓国と同じようなことやめて欲しいわ、え、先に進まないって?そうだろうねえ。でも竹島なんか、韓国の小中学生は、本気で自国のものと思っているんじゃないの?何の疑問もなく。自国が占領しているのに、これは私たちの国の領土だ!と勝手に叫ぶのは他にどこの国にあるんだろう。 いやはや過酷な受験戦争である。価値がサムスンや大企業、海外企業に就職することが、一族郎党の夢だから。日本もアメリカみたいに0から1を生み出すのは下手だけど、1を100にするのが得意だ。しかし、サムスンはパクリだ、企業の業績のいいときに研究に力入れたらよかったのに。圧倒的に強かったのは、単純にウォン高のおかげだったというわけだ。まあ、ノーベル賞の数が多いほどいいとはいえないけど、悲しいかなたった韓国では一人、それも平和賞でしょ。平和賞は日本でもA級戦犯がもらったように、アメリカでも実績ないのに貰ったように政治的だな賞だ。こうやって受験一辺倒になるからその歪はあるんだろうなあ。要望としては、少なくとも、正しい歴史を学んでくださいということか。直ぐに韓国オリジン説を乱発するからねえ。さすがに漢字も韓国生み出したなんていいだして中国様の逆鱗に触れている。ハングル、日帝化で奪われ日本語教育を強要されたって、ハングルなかったじゃん、広めたのは日帝の教育でしょ。漢字ばかりじゃ、識字率向上にならない、教育に力いれるべしって。全く日本は余計なことをしたものだ。ロシアに併合されてたらもっと酷い目にあったよね。台湾も韓国もそりゃ教育は酷いものだった。学校にいかせるなんて労働力減らすものじゃん、という中、学校に行かせない親を巡査が説得して回ったんだからねえ。東京帝大はまああたとしても、教育に力を入れてたってのは、大阪大学や名古屋大学のような旧帝大より台北大学やソウル大学を先に作ったことに現れているんじゃね?大学を作るということは、それ以下の教育を(小中高)作るということである。何でそんなことしちゃったんだろう、日本。アジアはひとつ、みんな同じやないか、強い国つくろうや、そういうことなんだろうか。台湾は占領についてはそりゃ、怒っているが教育やインフラの整備には、感謝してくれている。韓国で、酷い目にあった、でもいいこともしてくれたなんていおうものなら、同国人にしばかれる。台湾も勿論、蒋介石がやってきた頃には反日教育はあったが、その下で民衆はいいことはいいことであったのは事実だ、と語り継いだ。多分、韓国ではそれが分断されてしまったのだろう。歴史にもしもはないが、他の国に占領されていたら(いずれ、どこかの国に占領されていた)もっと酷い目にあっただろうが、まあ、加害者なんで、その辺は置いておこう。そういえば台湾では海外渡航がやっとできるようになった6,70年代にまず、どんなツアーが流行ったかというと、「あの時の日本の先生にもう一度会いに行こうツアー」であった。恩師に会いに行くってすごいな。そんなの日本人の私でさえ、ない。ごめん。しかし、ごめん、それ昔話で、今の日本人そんなに威厳も平等感もないと思う。反日でくるから反韓って、反日と一緒ジャン。恥ずかしい。あるんだろう、っていえば、告げ口外交だね、フランスで昔の解決済みの話ほじくり返したら、多分フランスなんか、インドシナで撤退後補償も何もしてないからね、おめ、俺の国も非難してんのか?って思われているんじゃないか?日本酷いって、フランス人、いやおれらのほうがもっと酷いことしたからねはっはっは、ぐらい知っているでしょ。乞食外交やめたら。謝れ、金くれ、でしょ。まー、全然関係ないけど、日本人は、昔からどの国でホテル業界や不動産業界からは大人気だね。第一あまり文句言わない。それは舐められているけど、綺麗に使う。それはそう思う。あと臭い残さない。キムチやカレーの臭い残さない、まあ、醤油臭いって知らんけど。少なくとも、バスタオルとかバスローブとか持ち帰らないからね。 あーごめんね。悪口たまには気持ちいね。でも、きっと経済が低迷し、ストレス社会になっているのを反日で不満の矛先変えているんだよな・・。韓国、久しぶりにMARSで空いているから行くかな・・・。行けば、分かるよ、不当に物価安いから。ホテル以外はタイと変わらないよ。何セ、100万人も韓国に行く日本人旅行者減っているからね。外交姿勢のせいだね。わざわざいくか?そういえば、元ものこの前の団体台湾旅行も、もともと韓国旅行だったんだけどね。つくづく、観光とは平和産業なんだなあ、と思う。ちなみに、日本に来るのは、1位が台湾人、次に韓国人、それから中国人である。韓国(ハンコク)、恨国(ハンコク)にならないでね。発音同じですから(多分)。
2015.06.17
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俺は、柿色のとカーキ色の区別を知らないまま、危うく死ぬところだった。KHAKIとは、と「土埃」を意味する言葉で、通常の用法としては主に陸軍の軍装色を指す。「カーキー色」として定義されている色は「茶色がかった黄色」である。そこをよく考えたこともなく、確かに柿色とカーキ色が同じに見えたのは、私が色弱だからかも知れない、ということを言い訳にしておく。昔、馬鹿みたいにバッキンガムの衛兵の服みたいのまま真っ赤な軍服で英軍がアフガンにやってきて、目だって目立ってしゃああない、バンバンやられた、皆殺しだ。まあそういう教訓もあって、土みたいなカモフラージュ色がいいんじゃないの?ってことになった訳である(あろう)。いやはや、迷彩服は、最近、カモフラっていうのを知ってるかい?老男女のものども、いやはや、それも知らんかったどころか20代の人に迷彩色の服というと、新しい言い方ですねと感心される始末であった。こういうのを温故知新っていうのかしら、いや、違う。それから紅葉だが、イチョウが黄色になるのは、黄葉という。これも知らなかった。 今日車に乗っていて、ETCで高速入口で、オマケみたいな横木が開くのを見て、あれにぶつかっても横木がパーンと壊れるだけだから。車は多分スピード出しすぎてなかったら被害たいしたことないよ、日本では善意を前提にしているからねえ。しかし、アメリカなんか違うよ。不届き物が普通だから、基本、突破していく対策に強力な遮断機やターンパイク設けてるぜって話をしたついでに、そういうえば、10年ぐらい前からろボーットゲートも軟弱になって、車が引っかかったらチェーンがすぐ切れる仕様に変わっていることを説明した。車泥棒より、うっかりつっこんだ車の損傷への配慮をしているのである。反対である、何故なら私が突っ込んだのは旧式のロボットゲートであり、チェーンは千切れず柱が倒れ、そして購入3ヶ月で私の車は廃車となったからである。やっかんで言っている訳じゃあるけど、突っ込んだオマエが悪いだろ、と私は思うのだが・・・・代償はあまりにでかかったが・・・車が廃車どころか、衝撃で舌千切れたし・・・・。あ、その時の緊急病院の金払ってない・・・あかん、俺はならず者だ。払うよ、払うから請求してくれ・・・なんていい病院なんだ・・・。あの日、緊急病院に歩いていって、緊急窓口の前から携帯で電話して開けてもらって、舌縫った。お金払いますといったが、レジが閉まっているのでまた払いに来てくださいといわれたものの、遠方で、病院名も忘れ・・・オメ、言い訳じゃん。すみません。ちなみに、間違ってはいても、人にはアドヴァイスできるものなんです。
2015.06.16
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ある旅行では、夜間移動18泊、ホテル宿泊26泊、民家・ゴロ寝・徹夜15泊で終えた。その間に、缶詰を2缶民家の子供に盗まれた。現金8万5千円分(半分はT/C)を強奪された。煙草数箱を機内に忘れてきた。短パンをバス内で干していて、そのまま忘れてきた。インドで買ったガーネットのネックレスが外れて機内に散らばってそのままとなった。タイ、コサムイ行きの船の中でサンダルの緒が千切れ、島には裸足で上陸。
2015.06.15
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高校生の頃のノオトが出てきたという訳だ。最近、困ったことに、4月末からの痛風モドキがやっと回復したかなという昨日に、咳をして、その反動で危うくぎっくり腰になりそうになった。実際、5パーセントぐらいなってしまった。なってしまったので、またもや出かけるのが億劫になった。なので1ヶ月以上、飛行機に乗って遊びに出かけていないとう状態である。それとは関係無しに、部屋をちょとあさると、ノオトが出てきて、高校時代は、今では全く理解できないことをやっていたことが判明した(分かっていたけど)訳である。数学を解くのは、楽しかったので、1問の問題にかかりきりで、受験勉強だといいながら2日たっても3日たっても1問の問題にかかりきりとなり、いったい何やってんだよという状態だったなあ。ノートは余ったので、2年後ぐらいに、後ろに漫画を描いていたりなんかしている。零を発見した国へ。
2015.06.14
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ALEX99さんのページを見て確かに、画期的にカタカナ便利だよなあ、と思った。漢字が伝わってきたとき、ほら、これは便利な記録語と思ったことだろう。しかし、新し物好きの好奇心旺盛な日本人が何故飛びつかなかったのだろうか。漢字は一部高級な人や学のある人の特権的な文字とされていたんだろうか。それもあるのかも知れないが、話し言葉を漢字にするのは不便なので、あまり浸透しなかったという話もある。漢字には品詞も時制も格変化も何だかないというか、原始的過ぎると感じたのかもしれない。情緒豊かな日本人!といえるかどうかは分からないけど、感情表現に限界があると感じたのかも知れない。優しい、でさえ、死シナ語にはないといえば言いすぎか(なんだ、このワード、シナの漢字が変換されないではないか、差別語じゃないのに。)そうやった悶々期間を500年超えて、仮名を思いつき、仮名があるから、まあ漢字もようやく、一般庶民も使ってもいいんじゃねえのってことになったのである。スゲエな、漢字に危険性を感じて、直ぐに飛びつかなかった古代大和人。漢字が入って、同じように時制、格変化、感情表現できないから使えないジャン!意味をもっともたせるにはどうすればいいんだ、と仮名とは逆に漢字を複雑化(1文字20画とか30画とか)させていったのが、ベトナムのチュノムだ。歴史で習ったよね。難しすぎて浸透しないどころか、もう、どんどんベトナムは自国語の言葉を失った。朝鮮なんか、もっとひどいよね。漢字導入で、自国語ほとんど失った。(国かどうか知らんけど)。でもこれもなんというか難しいとうか、名詞なんか漢字は便利で、初めて韓国行った1980年代は、新聞にもまだ漢字あったんだけどなあ。地名も割と漢字だったような気がするんだよなあ。今、まったく漢字ないよなあ。記憶違いかも知れないが。仮名のすごいところは、いやー、カタカナとひらがなの2種類を作ったことだねえ。作った時期は知らんけど、とりあえず、今なんか、いいよねえ、ここまでグローバル化したら、外来語はとりあえずカタカナにしとけや、ってことで。英語でもドイツ語でもスワヒリ語でもとりあえず、カタカナである。可口可楽とか電影とかいちいちちうごく4000年の歴史は難しい。まあ、4000年ってウソだけど。今は漢民族の時代だけど、その前の漢民族の時代って、明じゃん。乞食であるシュゲンショウが天下とって貧乏人殺しまくった明じゃん。ま、それは別の話か。ごめん、おもしろおかしくちゃらけてしまいました。それにしても、カタカナって海外の地名や企業名も、とりあえずここ十数年で出来たり普及したような、ウエブとかネットとかコンプラとかべんりだよね、あ、略してる、そうそう、これが略してけしからんではなくてまた日本独自の面白さというか便利さなんだよねえ。とりあえず、カタカナって読めるけど、そこで意味が分からなくても、ああ、これは何となく新しい言葉なんだな、とか前後の文章で意味を類推する、お、カタカナの略語って中国人が海外から入ってきた漢字と同じようなものかも知れないな。可口可楽とか電影・・・うーん、はじめてみたら、分からんでもないか(いやコカコーラは全く分からんな)、チョベリバ、パワハラ、・・・うーん、はじめてみたら、分からんでもないな、いや分からんな。ごめん、一般化には無理があった。ただ、カタカナはそのままストレートに発音を文字にしているので、漢字に無理に変換しているよりは世間に浸透しやすいかもしれんな。テレビ・・・初めて聞いたみたことない、なんやそれ、あ、これか、英語ではなんていうのテレビジョン?あそのままやね。電影、なんやこれ見たことない漢字やな、意味なんや、それなんや、え、(実物みて)え、これがそうなん?で、これ本国ではなんていうの?テレビジョン?結びつかないね。まあ、それは近年入ってくる言葉が多すぎるからのことかもね。あいつのインフリューエンスで、あ、え、日本語なんだっけ、まあ感情までカタカナにあるかといえば、新しい言葉はセンチメンタルだね、とかアンニュイだねとかニヒルだとか・・小中学生時代に初めて聞いても分からないよね。いやー、まとめようと思ったけど、めんどくさなったのでやめるわ。 ごめん、高校生時代、まったく知らない年下女性軍からアンニュイって言われていることを人伝に知らされたから、まあ書いているんだよ。自慢じゃないけど、自慢だけど、自慢じゃないのは、そう聞いたときアンニュイの意味が分からなかったこと(そして意味を知ってもそれ、もてる原因か?)、自慢なのはまあ、なんだろ、特にない、特にないが、高校時代にいい思いをしたのは、中学3年の最後に高校にいくランクを下げたことだ。そのため、高校では成績が勝手にTOPとなるのである。ごめん、今頃思い出したけど、井戸の中の蛙でも400人で1番は、まあ、気持ちいいよ。成績表もらって、たった一人の女性から「トイモイサン、何番だったの?」って勇気を持って聞かれて「え、あ、1番」というと、瞬く間に学年どころか下級生まで知れ渡ることになったのであった。それ快楽やったわ。おかしかったわ、許されたわ。 ある朝、通学途中で下級生男子生徒の話題が聞こえてきた。「前歩いている人知ってる?ヒゲ生やしてる人。あの人、学年1番でヒゲそる時間もないぐらいに勉強しているらしよ、部活もしながら」うわさは尾ひれはひれつくものである、イチビッテ伸ばしているだけである。先生に高校生らしくしろと怒られたのである。でも多分らしさ活動は苦手なのである。まあ、そういうものである。どういうものである?
2015.06.13
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実家に行く前に三宮に行く。大きな声では言えないが、昔、トゥーストゥースは小さな店であった、元町駅の北側にあって、ここのムニエルがなんだか好きであった。なくなったんだなあと思うと、屋上ガーデンテラスの店となり、垂水の三井アウトレットにも支店を出すようになった。同じく、ここにはいっているマザームーンカフェも、大きな声ではいえないが一緒に仕事をしたこともある。いわゆる雑貨屋とのコラボみたいな感じである。西宮ハマとか箕面の船場に店があって、なんだ、都会の真ん中にやってきたんだ、と今更に気がつくのであった。まあ、それはいいとして、三宮に来たのは、何故なら今日はン10数千円カード引き落とし日なので。ンーともスーンともいかないのである。いかないので、銀行で操作(悪いことじゃないよ、自分の口座の行き来だよ)するためであり、お土産を買うのであった。買うといっても妹娘へのお土産である。といっても、無視されるのである。キタキツネ物語的なDVDには負けたのである。こちらはただのオッサンである。アンクル?ケッである。 妹の娘は、はっきりいって311の震災の日に産まれているので、年のカウントが容易である。2011年3月11日である。つまりここいらから多分、将来に記憶が残る頃であろう。言葉はなんだか、チャンポンである。TAILの長い、とかいっていたが、生活に根ざしてたら難しい単語も知っているんだねえ。 ところで、世界ではいろんな国があるのだが、妹の旦那はイングリッシュである。まあブリテッシュともいうのを聞いたことあるけどそれ北アイルランド抜けてるしなあ。国名がその国の人になっていない国は、まあイギリス(日本ではイギリスというからややこしいね、UKだよね)とバチカンぐらいじゃないか。あとは日本人フランス人ドイツ人インド人、国名+人だよねえ。グレートブリテン人いないからねえ。スコットランド人とかだよねえ。 まあそれはいいとして、ステーキハウスに行くという按配だが、値段というのが、なかなかいいところ突いているのがやるなあってところだった。記念日的、ハレの日に来ているファミリーが多くて、あと、デートでちょとだけ気取ったカッポー。神戸牛行ってしまえば一人1,5万円だが、そうじゃなかったら5,000円ぐらい、その間のちいといいやつは8,000円ぐらい。さああどうでるか、ってところである。お金持ちだからお金を使うか、それは知らないが、2倍美味しくなるなら2倍払ってもいいが、そこまで舌もついていかないのである。ましてガキにとっては500円も5,000円も同じである。高級ハンバーグとモスバーガーとの違いなんか、ない。それでも、おかんと俺は5,000円コースなのに、妹は、馬鹿みたいに8,000円コース頼んで、誰が金払うか知ってんのかボケ!普通ステーキと黒毛和牛の違いなんか分かるかダボ、でも1万5千円の神戸牛頼まなかっただけまだ可愛げあるか、いやあ、母もおにいちゃんも優しいねえ。(優しいよ。チャッカリーナには弱いよ。)
2015.06.12
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私の学生時代は、まあ、年がばれるけど80年代後半である。前述の通り、地球のだまし方は、アメリカ、ヨーロッパ、インドの3冊しかなかったのが大学1年生であり、遂に大学3回の頃にタイ編が出て、タイみたいにバカみたいに旅行しやすい国にガイドブックなんかいるの?と嘯いたほどである。てか、待望のタイ編が出る前にタイに行ってしまい、そのままマレーシア、シンガポール、インドネシアと渡っていったのである。インドネシア唯一のガイドブックが、宝島であった。初めて行ったフィリピンもガイドブックは宝島であった、勿論、調べてないけど20年前には廃刊である。世の中にはニッチな市場も存在するのである、80年代にスマトラ島のガイドを誰がしよう、宝島がするのである。というか、1980年代は、まあインターネットもないので、まずは図書館で地図帳である。そして旅行ガイドブックがあれば、おお、そして旅行記である、勿論出版された旅行記である。まずは出発はそういうのを参考にしながら、マイナールートは、現地に行くまで分からない、か、各地で知り合う反対側から来る旅行者のクチコミ情報である。そう考えたら、すげえな。おれもいまでこそ、誰とも旅行中話したくないのに、当時は積極的に日本人や外人旅行者に話しかけてたり情報交換してたんだな。だってそうしないと先に進めないからな、進めても高くなっちゃうからねえ。 バリ島で見かけた1行だけの旅行ガイドの張り紙か何かには、スマトラ島のメダンからマレーシアのペナンまで船が出ていると書かれていた。そこの人に聞いても、知らないといわれ、それでも何となくその1行を信じて1000キロ以上先のメダンをバスでジャワ島を駆け抜け、向かう。行く先々で、フェリーがあるか現地の人や旅行者に聞くが誰も知らない。バリを出て1週間経過し、遂にスマトラ北部近くにあるトバ湖のほとりのフェリー乗り場にそのフェリーの張り紙を発見。そんなあやふやな情報を頼りに旅行を続けていた。しかし、わからんけどこういったガイドブックは文化音楽芸術一般もカルーク扱ってて、それは地元交流に割とヤクにたつんだよ。世界3大過酷移動見たのが昔あって、中国のジャンピングバス・スーダンの炎熱列車・パキスタンのバイブレーションバス、に加え、スマトラの圧力バス、もう忘れたのでネット検索してもでてこないのだけど、当時は旅行者の間でそういわれてた(はずだ、私の記憶が正しければ) そして、スマトラバスを体験してしまったのであった。それも往復。(翌年パキスタンバスも体験)まあ、そういうことはいいとして、ガイドブックを見直して、新たなる発見と懐かしさは。村井吉敬先生も執筆してんじゃん。鶴見良行先生の名著「バナナと日本人」に続く、「エビと日本人」懐かしいなあ。 オマイラマ、かつてのインドネシアの国民的歌手。話題にして、インドネシア人に受けたが、ごめん、25年後に初めてユーチューブで聞いた。
2015.06.11
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ほんの少し前のことではあるが、小学校1年生だった。同じ学級のSさんが好きだった。Sさんの家は、私の家から3分程の所にあった。ある日、家の前で、彼女のお父さんが何かモノを洗っていて、何故か私は、同じ学級の友達の名前を中くらいの声で話し始めた。それを聞いたお父さんが、Sさんに「友達が来ているよ」とはにかみながら家の奥に声をかけた。些細なことではあるが、Sさんも私の事が好きだったようで、何故か1度だけ、一緒に学校から家に帰った。その時、男友達に冷やかされ、2度と一緒に帰ることはなかった。→名前はかおりちゃんだった。その後、小学校中学校と同じ学校だったはずだけど、2年生以降の彼女の記憶がまったくない。なんて薄情な奴なんだ。いや、もしかしたら、途中で引っ越していったのかもなあ。ほんの少し前のことではあるが、小学校2年生だった。同じ学級のOさんが好きだった。Oさんは、成績優秀であったが、少し運動音痴であった。何故かそれが面白くてか、私は彼女の長い髪を引っ張っては苛める快感を知っていた。ある九九の1分間テスト中、いつも元気な隣の席のOさんが机にうつ伏せになっている。どうやら泣いているようであった。よく下を見ると、彼女はお漏らしをしていた。凄く調子が悪かったのだろう、さすがに、心優しい私はその時は苛めることはしなかった。彼女は、先生に抱きかかえられ、そして、早退した。→名前はりえちゃんだった。口元のほくろがあるちょとぱっちゃりした子だった。三つ編みしていたな。確かに好きな子をいじめたくなるってなんだろうねえ。勿論集団で苛めるんじゃないよ。かわいいからいじめちゃう、いけないね。ほんの少し前のことではあるが、小学校3年生だった。同じ学級のYさんが好きだった。Yさんはお嬢さんのように育ちがよく大人びていたのだが、女子の中で唯一、男子から何故だか、名前呼び捨てにされていた。放課後は、いつも吊り輪をして男女とも遊んでいたのだが、ある日、突然、男子どもが猛烈に男になり、何故かおふざけで、Yを触り始めた。私だけは触ることは出来なかった。と言って注意もできなかった。他の女子達が止めに入った。Yは泣いた。私はYの泣いている姿をぼんやり見ていた。→名前は保子ちゃんだ。大変賢い子だった、どうやら、私は賢い子が好きなようだ。うーん、この子は美人になったような気がする。ほんの少し前のことではあるが、小学校4年生だった。同じ学級のIさんが好きだった。Iさんは、活発で頭の回転も速かったが、背は学級で一番小さく、おてんば、おきゃんという言葉が似合った。彼女はいつも男の子にからかわれ、ムキニなってその男の子達を追いかけるのだが、何故か、私にだけは私がからかっても、何故か恥ずかしそうにするだけであった。それから、Sさんのことが2番目に好きだったが、Sさんは、学期の途中で引っ越していった。引っ越す最後の学校の日、Sさんは「私にいうことないの?」と言った。私は無言だった。→名前はよしえちゃんだった。お兄ちゃんとはボーイスカウト関係で知り合いで、母親同士もデンマザー関係で知り合いだったな。中学校は私学に行って、それで、実は消息はちょとだけ分かってて、大学のクラブの同級生の嫁と彼女が大学の同級生で、何か出身地の話になって、同級生の嫁がよしえちゃんと同級生で結婚式に出たといっていた。まあ、それを聞いたのももう20年前の話か。ほんの少し前のことではあるが、小学校5年生だった。同じ学級のIさんが好きだった。Iさんは、少しぽっちゃりしていたが、運動が良く出来、活発な女の子であった。といっても、当時は気にならなかったが、結構、頭はフケが目立っていた。高校生になって、学校は違ったが、偶然、夏休みの図書館で出会った。お互い目が合ったが、何も話しなかった。→彼女の名前はいくみちゃんだった。言っちゃ悪いが彼女だけはあまり賢くなかったなあ。よしえちゃん同様、活発な子も好きだったんだなあ。ほんの少し前のことではあるが、小学校6年生だった。同じ学級のKさんが好きだった。Kさんは、お勉強が良く出来た。偶然にも家から100メートルの所に住んでいた。家から、彼女の部屋の明かりが見えた。音楽の時間、寒い部屋で、彼女が白い息を吐きながら歌う姿を見ていた。その後、彼女は医者になったという噂を聞いた。海の見える病院に勤めているという噂も聞いた。→まあ、薄い記憶を辿ってみたら、その後美人になったんだろうなあ。という子は他にもいっぱいいたような気がするなあ。でももうそれは思い出の中だけで、別に誰とも会いたいとは思わないし、話もないんだよなあ。SNSコミュニティやフェースブックあたりで昔の人とつながってみたいなあというのも全くないんだよなあ。あら、考えたら小学校のときからずっと知り合いで今も付き合いのある人いないな。まあ、そういうものか。まあ、10年前に書いたこtなんだけど、ここまで古くなると、10年たっても、まだ覚えているね。やっぱ新しいことはどんどん忘れるので、古い記憶が表に出てくるのかしらん。(10年間このことは一度も思い出さなかったけど、読んでも、ちっともその頃の記憶を忘れてないな)
2015.06.10
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みんな、驚くなよ、てか、読んでいる人がオーバー40なら誰も驚かないかも知れないが、アフガン戦争前6、70年代カブール(アフガニスタン)はヒッピーの聖地だったんだぜ、カトマンドウ(ネパール)やゴア(インド)ヤヒッカドウア(スリランカ)やマナリやバリみたいなところだったんだぜ。さすがにそういう時代には生きていなかったので、アフガニスタンなんか絶対入れないところだった(ビザ無視したらいけたけど)。私の学生時代は、まあ、年がばれるけど80年代後半である。何度か書いているけど、地球のだまし方は、アメリカ、ヨーロッパ、インドの3冊しかなかったのが大学1年生であり、遂に大学3回の頃にタイ編が出て、タイみたいにバカみたいに旅行しやすい国にガイドブックなんかいるの?と嘯いたほどである。そんな3回生であったから、パキスタンからヨーロッパまでの旅行ガイドブックはなかったのである。ないといっても、インドかネパールでついつい高い値段出してロンリープラネットを買ってしまうのである。あの頃、この辺を抜けていく人たちの情報は口コミであり、メモであり、手書きのコピーであった。私もその他にイラン情報を手書きのコピーを仕入れたぐらいである。あの頃は、どこに泊まっても、旅行情報交換会が国問わず催され、相場とか、行き方とか仕入れるのであった。ウル覚えだが、イラン情報fでは、イスファアンのハージ橋の箸の下のカフェは最高だ、ということを聞き、行ったぐらいである。宿屋や国境で向こうから来る人を見ては、先行く情報を交換するのであった、てか、どこがナンボでどうやって安く行くか相場はいくらだって情報だけど。考えたら観光地情報なんもないやん。それは現地の観光局とか、まあ適当に行けや、オラ、ってな感じか。 あやうく、それ読んで、トルコの黒海沿いにあるつまらなさそうな町、サムソンに行きそうになったからね。ここはとくに見るべきものはないなんかガイドブックに書かれていて、でも黒海見てみたいなあ。とか思っていると、旅行者が何でこんなとこいくんだよ、と横槍いれてきたので、そらまあそうやなあ、と思った次第で、要は自分でもまあ迷ってたってことだ。 イランから、トルコに抜けた国境で、ノアの箱舟伝説のアララット山を眺めながら、イラン国境に一番近い町クルド人の町ドバヤッジッドにタクシーで向かった、公共機関がないどころか荒涼砂漠に一台だけタクシーが止まっていて、そこからナイロビからきたという日本人が出てきて、情報交換して、そのタクシーに乗った、あれがなかったらいつまで国境でボーっとしてたのだろう。その後、20数年後に、逆側から(アルメニアから)アララット山を再び拝むとは夢にも思わなかった。あの頃はソ連の一部だったから。ビザが不要だっ日本人だったのが西洋人は必要だったので、イランでは、一人のヨーロッパ人もアメリカ人も会うことがナあったのに、ここではバックパッカーが糞詰まりのようにあちこちに見られた。これ以上東に行けないのだ。このときだけはヨーロッパ人に羨ましがられた。イランから来たのか!と。(その後、バブルが日本では蔓延して、相互協定でビザのいらないイラン人が日本にイーパイ来て、偽造テレカやまやくやたいま売ったので、関係が悪くなってビザが必要になった。バングラもイーパイ来て、ノービザだったけど、今は必要になった。)ははあ、西洋人のみるウエストエイジアってこのへんかいな。まあ、ガイドブックだから乗せているところ書いているだけだろうけど。ロンリープラネット、靴紐、オーストラリア人、なんだよなトニーウィラー。あら、なんか、挟まってるわ。お、はじめてみた、何でこんなとこにはさまっているのだ。この本開いたの25年ぶりぐらいなんだけど。
2015.06.09
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9年ぶりに、アリアンスグラフィックに行った。仕事帰りに近くでちょっと、ということだ。旧居留地の天井の高いバーという中の先駆けではなかったかと思う。最初に行ったのは1990年代だから、あの頃は、EHバンクとか、まだ天井の高いバーってなかったように思う。海岸ビルジングの一角だが入り口は2号線に面してないから、ちょっと隠れたという感じか、混んでいたためしがなく、(てか数回しか行ってないけど。夜に)よくも長く続いているなあと思う。こんな店がいつまでも続くといいなあと思うのである。店長かマスターか分からないけど、結構、店も暇になって、会計で、その方わりと年配の方で、また来てくださいよと3回も連呼するから、笑いながら、5年ぐらい前にきましたよ、(実は9年前だった)というと、私去年復帰したんですよ、とまるで病み上がりのような喜びの返答。10年ぐらい休んでましたとのことだった。そういえば5年前は若い店員でしたね。10数年前にも来ましたよ、というと、ああじゃあお会いしてますね、と言われる。ははは、きっと昔会ってますね、と私が言うと、近くですからまた来ますよ、というと、どこですか、と言われて答えると、ああ、隣の駅ですね、ということであった。ちょっとおじちゃんのカナシズムを漂わせながら、心配しなくていいぜ、俺、また行くぜ、死ぬまでにはね、と思うのであった。でも、マスター(かな?)人恋しそうで寂しそうだったな。そういうの嫌いじゃないよ。 もう、私は20代や30代のころのように行きつけの店ってのがほとんどない。飲み屋でさえ、マスターやママの老朽化で引退し、店を閉めた。そして、中年と化した俺はふらっと行くところがなくなったな、と思いきや、まあ、そうでもなく、飲みに行くのは飽きた。まあ、飽きてるけど、考えたら懐かしいなと思った。ボトルさえ入れておけば、いつも2,000円台。ちょっと5杯ぐらい飲むか、まあそんなこともあって悪くないな。 まあ、死ぬまで飲むよ。いや、実は、飲むのが好きな訳じゃないことは自分で証明されている。異次元になるのが好きなだけだ。だから意識の変容があるなら飲まなくてもいいんだよな。だって飲み過ぎたら、もう次の日、台無しだもの。
2015.06.08
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昨日は、大学生時代メンバーに召集がかかり、一人知恵熱で休んだダボ後輩を除き、5人ぐらいが集まった。とはいえ、大学を卒業してから大学までの人生の倍をオーバーするにあたって、全ての劣化が激しくなる一方の中、お先真っ暗の未来を語るのである。語る前に私は2時間遅刻したのであった。その前にもう一人は3時間遅刻したのであった。とはいえ、語るとは言っても、実は私が語るのではなく、ゴールドコーストから休暇で一時帰国している同級生が語るのである。昨年、旅行会社(団体旅行の世界最古の会社ね)、日本へのパソコン周辺機器クレームセンターの仕事を経て、コールセンターがオーストラリア撤退のため、失職し、40歳を越えているが、何とか、日本のテレビ番組の海外編(行ってみたらこんなとこだったとか、こんなとこに日本人とか、珍獣ハンター行ってQとか)の現地の手配屋さんで、事前に交渉事やルート確保や各種手配をするという仕事になっており、その殺伐ぶりはまあ、散々聞かされ未来がないとのことであった。未来も体力が続けばまあいいんだけどとのことでもあった。日本帰ってきたらそれこそ仕事がないので何とか向こうでやっているが家を半分留学生2人組に貸してあげてて、そこの家賃収入が10数万円あるが、それは税金や水道光熱費で消えるとのことであった。水道はオーストラリアでは滅法高く、1万円だそうである。ちなみに私は1,500円である。ちなみに1オンス35ドル。まあ、とにかく本で読んだりして走っているが、給料が高いので物価も高い。まあスイスほどではないが、スイスなんか右も左も分からない新入社員でも40万円、マクドで飯くうとしても1,000円では厳しく、週末は5時間かけて国外のスーパーに1週間分買い物ってのが普通で、貧乏人は出て行けという感じで、割と本当にスイス人がドイツやフランスに働きにいってたりなんかする。そういえば、この前、面白い宗教が認可されて、先越された!って感じだったが、何を越すんじゃい。まあ、そういう話hいいとしても、集合したのが遅かったので、元気だったので、次行こうぜ次行こうぜと荒れ狂う中年大暴れ組は久しぶりに外が明るくなるまで騒ぎましたとのことであった。こんなんで仕事いけるかな・・・。
2015.06.07
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戦時中にある年代ががさっとなくなって(死んで)、それで、企業も戦争責任とらされて、偉い人がさくっとクビになって、そのあとの世代の人が世の中の中心になった。イメージは、50,60代の人たちが急に亡くなったり会社をクビになって、世の中のえらいさんも30代や40代、文化ゲージツの中心もそういうことになったんだよね。それで更に衰退したかといえば、しこから、オーモーレツの世界にまっしぐらってわけだったねえ。この前、飲みに行って、また久しぶりにカラオケとなって、半数以上の人とは初顔合わせであり、もう私も30年前にカラオケは飽きているので、あまり歌う気もないのだが、その初顔合わせの人のひとりが、チャカポコという面白いおちゃらけの歌を歌っていた。酔いつぶれる寸前の意識の中で、チャカポコ・・・どこかで聞いたことがあるフレーズだ。何だったかな・・・と頭脳を巡ったのである。それは火曜の夜の話で、木曜日の夕方に、車内移動中に「チャカポコってなんだったかな」と問いかけ、「それは聞いたことないですね」と言われた瞬間に、ドグラマグラではないか?と脳裏を過ぎったのである。早速、ネットで調べると、やはりその通りであった。読んだのは25年ほど前である。それを何故そのフレーズを思い出したのか・・・。思い出した自分というか脳の働きというか、脳の収納力に驚いた。残念ながら、ストーリーはうっすらとしか覚えていないのに、である。 まあ、そんな感じで、仕事でたまたまガキの頃住んでいた近くに来た。ちょとだけナツカシズムオセンチメンタリズムでもあった。瀬戸内海があり、淡路島の観覧車が見えた。
2015.06.06
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見事、表紙と最後のほうのページは亡くなっている。 ひとことでいえば、インドを旅するのに物は何一ついらない。(ほう、でっかく出たな)チベットに陸路でいける合法的ルートはないが、85年からネパールからラサまでオープンした。個人で行けるかは不明。(87年、行けました)ビルマは陸路は駄目、ラングーンに空路で入れるのみで、ヴィザは7日間の延長不可しかくれない。(陸路は今もない。ヴィザは随分緩和された)バングラデシュはいくつか陸路で行け、ビザは不要。(今はビザ必要)パキスタンにはアルムツアルからラホールにいける。ビザは不要(今は必要)インドのトイレは紙がない。水でふく。(まあ手動ウオュレットである)破れたお札はお金ではない(そうだ、だから『お釣りでつかまされる』)乗り物は、リキシャー、オートリキシャー、アンバサダーという黄と黒のツートンカラーのタクシー、馬車(タンガー)定食は、大皿ターリー(3ルピーぐらい)。ノンベジ、ベジ。右手で食べる。インド製コーラは、サムズアップ、カンパコーラ、リムカ。ラッシー、チャイ、サトキビビジュース。タバコはばら売りが一般的。ビリーは小さな葉巻で、紙巻タバコより香りがいいが、下層労働者や農民しか吸わないので、中産階級は、気取って紙巻タバコを吸っている。あとはパーン。口の中が真っ赤になる。生きているなら手紙を出そう!葉書二本前2.7ルピー.(死んだら出せない)電話は繋がりまで10分から10時間かかる(スゲエ幅だな)きものもんはおれのもの、おれのものはきみのもの、それがインドだ(そうかな)。インド人はありがとうといわない(そのとおり)。バクシーシ(喜捨)が自然に対応できるようになったらキミも本物(やだな、ニセモノでいたい)いつでもジャパニと見られるわけではない。チンとかチニーとかチニヤーといわれることもある。ネパール人やチベット人に間違われることもある。(今は昔と違ってチウゴクジンの旅行者もいるからなあ)カーストについては、深刻なことだから軽々しく話題にすべきではない。(まあ、そうだ)しかし、スゲエ、都市のガイドに入るまで、インドのことについて200ページも費やされている。そういえば、デリーのページを見ると、日本大使館のジャパンインフォメーションセンターで手紙の受け取りができると書いてあり、何人かに送ってもらったことがある。今はネットなんであれだが、そういえば、よくGPO付けで手紙届けたり送ったりしたよなあ・・・ちょとだけ懐かしくなった。多分、宿屋としては、私が泊まった最安値ではないだろうか。1泊45円。まあ、最後にGET IT HIGH(お、ドラッグのページもあるやん。さすが86年度版。解説まであるぞ。)買うなら経験者の話を聞いて。効かないものを売りつけられる可能性もある。気にあった人と落ち着ける場所を選ぶ、セッティングが悪いとひどい経験をすることになる。初めての人はひとりでやらないこと。寮を過ごさないこと。へろいんやおぴうむは絶対避けること。大量に所持したり移動のときに持ち歩かない。警察に見つかると見逃すかわりに金を要求されったり、最悪の場合投獄される。日本に持ち帰らないこと。列車に乗るならチケット(ヒンディー語でティカット)を買おう。(分かるかな放浪さん)
2015.06.06
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いよいよ日本発のリージョナル機の参戦である。世界は、ほぼ大型機のエアバス(イギリス、フランス、スペイン、ドイツ連合)とボーイング(米国)、リージョナル(60から100席ぐらいの機種部門)のボンバルディア(カナダ)とエンブラエル(元ブラジル国営)で固められ、残りをロシアや中国、ウクライナ(なんかにも重い機体がある)とか多くの国に亘って存在する。その中でいよいよ、日本国産機参戦ということである。 日本はGHQに、こいつら技術高いから作らせたらあかんと、6,7年飛行機関係を禁止され、その後なんとかYSを作ったものの、人気はそれなりにあったが、経営が続かず、逆にそれにひっぱられたのか、さらに世界基準から遅れをとったという、ざくっというと、そういう航空機メーカーとしての歴史がる。 それでも、技術が高い日本は、部品をボーイングやエアバスに納品してきた。航空機メーカーが単体で作っているものはあまりなく、何万社もの出入り業者がいる(何万もないか1万ぐらいか?とにかく、理系の言い方ではないが、限りなく数多くいっぱいの会社が参加という意味だ。)いや、本当に主要で企業秘密にしたがる箇所は、コックピット、主翼、エンジンである。そこでも、他社がつくっていたのだが、最近のボーイング787に至っては遂にボーイングもその主翼を日本企業に依頼した。 物作り日本といっても、エレクトロニクス部門はみてのとおりで、車部門はいまだ世界を圧巻しているものの、電気自動車など未知の部分があるが、意外と強いのが繊維部門(繊維産業全体は厳しいが)である。繊維といってもかつての衣類関係ではなくなっている。その技術をもとにした素材である、炭素系繊維の性能はよく航空機の素材にどんどん使われだしている。東レなどはこの部門に強い。そいうえば、チタンも強い。 航空機は他の乗り物と違い、安全率が99.999パーセントでは駄目で、100パーセントでないといけなく、そのための技術は相当なものが必要、かつそんなに悠長に何十年もかけて職人を育てるわけにもいかない・・・そこで、んー、なんだったかな・・・。 今回のMRJの最大の特徴は居住性もあるが安全性を維持したまま燃費を従来より2割も改善したというところだ。ボーイング747で成田ロンドンで、ドラムカン830本分が650本分ぐらいでよくなるということだ。うーん、単純に166きろりっとる、1リットルケロシンが60円から80円とすると1000万円~1500万円ぐらい燃料代かかるのか(計算間違ってるかも。500席で一人15万円なら収入は7500万円。2割減なら1日1往復したら、400マンとか600万円毎日削減できるということか。機材やメンテのコストは知らんけど。まあ、とにかく、期待する、まあ、そういうことを言ってみたかっただけなのさ。
2015.06.04
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一応、自腹で東京などの遠方の固定電話をかけるときには、100円何枚か握り締めて、公衆電話探すがなくなったな。家からしろ?休日OKならいいけど、平日はなかなか昼間家にいないからねえ。家にいないということは、寝るだけクラブなんで、家の向きは関係ない。安かったら北向きで十分なんですけど。 ところで、アメリカにはダイヤルアップ接続人口がまだAOLだけでも350万人いる。まず、何年も前から手書きの手紙が来なくなった。年賀状が化石のように葉書として残る。今年は、死んだ友達の母から、花を贈ったお礼の手紙が届いたぐらいだ。あとは、おかんが、連絡を兼ねて手紙が時々来る。今日来た葉書には、「あなたは、○○ちゃん(妹の娘。生まれ東日本震災の日)がイギリスから来ているのに、いつに来るのですか」という内容であった。その他の郵送物はDMか請求書(公共料金。自動引き落とししではない)か、催促状(4月分の電話代振り込まれてません、6月8日までに振り込まないと電話止めます、とか)、カードの引き落とし(今月は23万6849円になります。そんなに引き落とされたら、俺も、人の子、困るじゃん。ユーロなんか、購入して、すぐキャンセルして、それだけでユーロ換金差額で600円も損してるやん。)それから寄付のお願い、している人にはされにしてもらえると思うのか、どこもかしこも遠慮なく、寄付しろしろDM,わりと鬱陶しいな。何もできないから金を毎月何箇所かに自動引き落とししているだけなのに。あと今月は電気料金の値上げの意お知らせDMも届いてたな。原発が再稼動できないから、火力の原料費が上がったからって、どうせ潰れないでしょ。原発のゴミ処理どうするんだろうか、やっぱ民主主義で公開性がないと原子力ってのは難しいなあ。うまくゲンパツゴミ捨てられるようになったら、電気料金値上げなんだろうなあ・・・。 床屋に行った。格安床屋ができてきている。しかも、何度かイロイロ試したが、3,000円や4,000円と1,000円の違いはさほどないことが判明した(あくまで私の場合。他人の客観的意見も2,3あり)さすがにヘアサロン、店長指名で6,000円、7,000円のときは、ウマイと思った、特に2,3週間すると髪型がベスト的な感じになるのがよく分かるのである。1,000円て10分で掃除もあわせたら、1時間5人で1人の収入が5,000円、2人か3人で1万から1.5万円の売上、10時間で10から15万円か、家賃、設備投資、経費でいくらか知らないが半分、利益もとったら、うーん、理容師の時給は技術料あるが1,000円台か・・・1日1万円なら月給は20万円前後か、年収300万は厳しいか?分からんけど。いやあ、ほんま、なんでも安くなったらそれでいいということじゃないよなあ。オソろしのスパイラルだで。価格勝負なら外国に必ず負けるからね。
2015.06.03
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ジャパンは、ジパングでしょ?欧州の黄金の都、平泉。中国経由でイスラームに広がっちゃた。ジーペン、福建語であり、フブライ=ハンに使えたマルコポーロにより、更に広がりを見せたというのは、ご承知の通り。でも、それは、噂、もうひとつ、東方見聞録はこのジパングが食人族であるとも書かれているよね。だから、スペイン人もポルトガル人も日本に行くのは怖がってた。コリアは高麗。インドはインダス河、サンスクリット語のシンド(河)、日本語で疲れたの呟き。ガンジスも河という意味だね。ガンガー神からだね。サハラも砂漠という意味だね。インドはやたらプルとナガルが多いよね、ジャイプル、ウダイプル、スリガナル、ジョードプル、タータナガルなんかタタ族の企業城下町。城塞都市、という意味で、プルは、シンガ(ライオン)プラ(マレー語に転化)してチンガポーだね、ライオンの町。獅子かな?ライオンなんかアフリカにしかいないからね。東南アジアは、まあ昔はインドの影響が多大。というか東南アジアて、ヨーロッパから見てということだから、その呼び方が新しいってこと分かるよね、日本からじゃあ西だからね。有名なのは、バンコクはクルンテープで天使の都、クアラルンプール泥の河。万国は、シャムだったよね、シャムネコやシャムの双生児。浅黒い人の土地。アユタヤは、ラーマーヤナに出てくる難攻不落の都市、アヨーディヤー、というか、アユタヤといってもタイでは通じない。アヨッディヤー近いな、いや違うな、話せません。インドシナはこれ簡単、インドとシナ(差別語じゃありません、CHINA,シナだよね)の間、インドネシア(インドの島々)。タミル語で山はマレー、サンスクリット語で穀物はジャワ、ヒンディ語で大海はスマトラ(海じゃないだろ)、サンスクリット語で強い人はミャンマー、サンスクリット語で勝利の年はジャカルタ。ボルネオ島はブルネイと同じ意味だ、ブルネイが訛っているがボルネオでココヤシの果実が平和(サラーム)にある場所、みたいな感じ。クメール語で都会の森サイゴン(今はホーチミン、いわずとしれた人名)。クメール人、真臘のカンプー王からカンボジア、普通なのはラオ族の土地ラオス、マレー人の土地マレーシア、フェリペ2世の土地フィリピン、おもろないなこれらは。
2015.06.02
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全然関係ないけど、今日は車移動してて、交通渋滞に巻き込まれて、ちょっとイラっとしたものの(形容矛盾で言えば、チョイイラオヤジ)、神戸を走っていたので、震災の話を今更にした。そう詳しくは話していないのだが、確か神戸港のメリケン波止場ぐらいから臨時で大阪港、海遊館あたりまでの臨時往復船が就航してて、それも長蛇の列で、家から3,4時間かけて大阪に行った記憶のことを話した。 その前に神戸を脱出した最初の日は、神戸電鉄三木線まで車で行ってそこから三田に行って、大阪に行ったからそれも3時間ぐらい会社に行くまでかかったし、そのときは既に寝泊りの道具も揃えていたな。あのときは東北の人と同じ病気に罹っていた。何故あの人たちが死んで自分が生き残っているのか病に。それは善悪の彼岸ではなく、偶然であるのだが、その偶然が許せなかったんだよな。それで、あれから、たまたま生き続けているんだよな。 全然関係ないけど、ちょこちょこトリップアドヴァイザーに訪問都市に記しつけてたら何だか国じゃなくって、750都市ぐらい今まで行っているんだねえ、と分かる。まあ、大雑把にいうと、ガキノ頃省いたら、年間平均20都市ぐらい知らないところに行ってますよ、ってことか。その割に新鮮味ないな、完全感性鈍化しとる。< 全然関係ないけど、ネット環境が進化したので、ほんま変わった。昔、インドで○月○日正午にタージマハル前で待ち合わせとか日本で1ヶ月前に決め手から、4時間遅れ、デリーのボンベイロッジで○月○日待ち合わせと日本で2ヶ月前に決めてから到着が1週間遅れたりしたものだが、逆に、今ミクロネシア共和国にいます、とかいえば、あれれ、じゃああした座礁いかない?なんて返事があったり、やミスターチルドレンのコンサートに東京から大阪に来て、コンサート開始1時間前に、友達キャンセルされてんけど、来ない?といわれて、ポールマッカトニーポールは直返事、。ミスチルはどうでもいいけど研究のためにじゃあ、すぐ会社出るわ、会社の仕事全てキャンセルってな感じ、金イラんて?いやいやおれも会社員ですから払いますよ、東京からでしょ、メシ代もだしますよ、その代わり、急に東京行ったらおごってもらいますよ、ということである。だから東京に行っても黙っているんだけど。 全然関係ないけど、金曜日に飲みに行った。最近ちょとだけ自分の中で流行っているのか流行っていないのかよく分からないけど、飲み会をシリーズ化している傾向がある。今回は2年ぶりぐらいに同じメンバーが集う会である、1年ぶりかも知れない、どうでもいい。なぜどうでもいいかというと、ただの楽しむ楽しむ会であり、そこで仕事につなげるとかコビを売るとかそういうのがないニュートラルな会なのである。知らない間に、おっさんになてきてもうちょっとしたら死ぬので、業界でも知り合いがちょとだけ勝手に増えている、増えているが、それは職務上仕方ないので、あいつは仕事もでけんのにロクでもない!とか思われつつ、まあ、私の場合は別に知り合いが多いということは私の中では割と優先順位は低いのである、が、仕事はやぱ幅広いほうが選択幅が増えるからいいんだろうなあ。でも俺、幸いにも1人で勝手に暮らしてるから、何だか業績悪くなった時に給料ンー万円減らされて、当時の部長とかに謝られて、初めて、え、給料減ってたんですか?と思ったぐらいの適当度である。勿論、今もいくら貰っているか総額でしか知らないが、毎月勝手に生きているから、ほんま、ありがたいので、会社様には感謝している。勿論、借金は何だかいろいろあるみたいだが、資金繰りに苦労しているわけではないのが、これは、ほんまありがたい。ありがとうございます。誰にや。 全然関係ないけど、そうやって飲みにいったのはいいけど、調子に乗って、3時とか4時とかまで飲んで、次の日働くってどうよ、年取ったら会社行っているだけでちっとも働いてないよ、死んでるだけだよ、死んでるだけだから後輩は何も言われず、鬱陶しい年だけ先輩のバカ今日はやけに静かだな、だよかったよかったで終わりだよ、平和だよ。だっていおうがいわないでおこうが、会社の業績には1ミリぐらいの影響しかないからさ。知ってる? 全然関係ないけど、飲み会のは、数年ぶりに私に会った人が呼び出されていて、お久しぶりですね覚えてくれてますか、とかいいながら、会話の中で趣味なんでした?とか言われながら、「趣味ないんです、仕事ぐらいしか」というと、すかさず、旅行なんか行きまくってるよ、と別のメンバーが言って、すかさず、「昔は、現地の人たちの出会いやふれあいが楽しかったんですけどねえ、今は外篭りニートです。できれば旅行中誰とも話したくないです、ほっといて欲しいです、現地人と交流したくアリマセン、たまにネタで話はしますけど・・・」ということを口走ったのだが、それは事実なのだが、じゃあ、なんだ、ああ、意地だなと思うのみであった。100カ国超えたら、ノンビリ適当な旅行が始まると思っている、あと数カ国だ。定年までにはと思っていたが、10年は短縮しそうな勢いであった。まあ、いいんじゃないの?あー恥ずかし。 全然関係ないけど、関係ないのでもう書くのやめることにする。
2015.06.01
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