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今日は貴重な時間を裂き、勤務先の命に於いて、車の講習会に強制労働させられた。明日のため屈伸運動などの軽い準備を終えた私は、前日も草々の3時半に眠り、7時には起床し、午前の研修を無事何気に終えるのである。 まず午後の最初は適性検査があり、動体視力などを測るのであるが、その中のひとつに3本線の真ん中が手前や奥に行ったり来たりしていて、3本が並んだところにボタンを押すというのがあったのだが、まず3本に見えない、4本に見えるのである。距離感のテストである。片目をつぶってくださいといわれ3本に見えるようになったが、真ん中の線がどうしても近づいたり遠ざかたtりではなく、右に行ったり左に行ったりしているようにしか見えないのである。その検査は順調に最低ランクである。確かに車を運転していても、左端ぶつかりそうやなと思いながらぶつけたこともあれば、やたら中央線側に走っていることも多いのが事実である。危険ぞ。動体視力はまあ、普通であった。 そのあとは、実地である。町に出るのであるが、前方、自分自身、ブレーキの部分、速度計指示器部分の4箇所をビデオ撮りながら、あとでそれを見ながら分析されてくのであるが、自分の何十年という運転癖があらわになり、興味深いのであった。要は、安全安心運転にオメどこ見てんねん!とうことである。それに普段2車線では左側を走ることもないので、変にトロイスピードで走りつつ、ハンドル逆手(内がけ)する癖が出てしまうのであった。内がけは実は効率的でいいことと思っていたのであるが、違う、ぐぐっと曲がってしまうので右折したら2車線の左側に入るのでも、右側追い越し車線に入りそうな勢いとなるのである。後続車が迷うそうである。それに事故すると、ハンドルで手をささえきれず骨折する可能性が高まるということである。確かにそうだ。 あとは、左折のときである。左折するのは、少し車を左に寄せておくということであった。それは自転車やバイクが隙があればそこに入ってきて巻き込むかもしれないからということであった。できるだけ横にいれさせない、確かに言われるとそうである。自分がバイクに乗っていたときに左側に寄っている車を見て、「前に出られないやないか、なんやこの左折する車、いらつくな」と思っていたので、車を運転する時は、ちゃんとバイクや自転車が横に来れるように開けていたのであるが、それは危険であったということが分かった。いわれてみればそらそうだ、ということである。 グループで行くので、後方座席に座るのであるが、後方座席で初めてシートベルトをしたので、装着に手間取ったのであったが、シートベルト着用の義務がでたのは平成に入ったころだったのではないだろうか。まだあの頃は、シートベルトダサイ、という認識もあって割とシートベルト取締りもあった。日本であそうなので、アジアではシートベルト、は、なにそれ、であったが、一度だけマレーシアのボルネオ島のミリで、シートベルトしてくださいといわれ、車ボロボロやのに、なにゆうてるねん、でも新鮮な感覚だぜ!と思ったことがある。だから今でも覚えているのだが、途中ドライバーは途中自分の家を通過するようだったので、家に寄った(メーター制じゃないので)な。 シートベルトの3点確保の技術ってボルボが特許とらずに広めたんだよね。それでボルボの信頼性が高まって結果として成功したってことなんだよねえ。ほんま、この前、強欲アメリカのIT会社が薬の会社買収して、値段100倍以上上げて顰蹙かってたよね。IT業界全体の株が下がったぐらいだものね。 それにしても、車間距離とか法令とか標識すっかり忘れていたことを認識した日であった。
2015.10.31
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別目的地道中にあったので、もっかい見ておこうと7年ぶりに再訪するのであった。 前にも北からすぐ分かるだろうと思ったが、山の上にあることは分かっていても、なかなか思い出せないのであった。台地になっており、子のあたりは古墳も多く、大師さま一帯も鋭意公園整備中であり、造園の方々が作業されているのであった。工事の人以外はいないのだが、来た時に一人の若者とすれ違った。彼はカメラの画像を確認しながら立ち止まっていた。いい写真が取れたのだろう、と満足していたのであろうか。最近の若者は、年寄りから見たら不幸に見えるが本人達の幸福度は、3,4,50台よりも統計的には高い。それは、前にも書いたが、これ以上先行きゆくなることがないから今が幸せといった老人的な感覚だろうが、確実に我々が学生だった1980年代90年代より物価は安くなっており、地元でお金使わずつるんで、という感じなのだろうか。何だか最近のレポートを見ると、がんばっていたニューヨークも最近じゃ、おしゃれに敏感でもなくなって、そういうのにお金、お金がある人もつかわなくなってきたみたいよ。車の所有も減って、とにかく、高騰しているのが不動産、これだけだそうだ。日本の若者は、高すぎて不動産の取得には、消極的というか、おれらの20代のころは、回りもわりと持ち家になっていったけど、今の20代で不動産持つのは珍しい。そんなのいらないよ、になっているのであろうか、まあそういう気持ちになる前に手も届かないけど。あの頃はユニクロもダイソーも大型工が居安売り家電店もなかったからな。フリースも15,000円とかで買ったし、吉野家の牛丼も500円だったし、背広は5万円、家電製品も高かったよな。一眼レフもハンディビデオも10万円台から20万円台。インドまでの格安チケットが16万円、タイまでの格安チケットが8万円。発泡酒や第3のビールはなく、ビールはビール。洋酒は高かったので、免税店で買うぐらいしか手に入らない(けどそれでも高いから買わなかったけど)、Tシャツもまあノーブランドで2,000円。300円や350円で弁当なんか売ってなかった。うーん、あまりよくないね。これじゃあ、給料下がるよね。東京から電話があって来てくださいよというのでハロウィンなら見物に行ってもいいよというが、いや参加しますから、と断られた。動画、幸せそうじゃん。2015.11miyazaki 宮崎の1日(リンク) 宮崎ドライブ(リンク) 高鍋大師再訪1(リンク) 高鍋大師再訪2(リンク) 高鍋大師再訪3(リンク) 日向 馬の背、クルス(リンク) 高千穂 へ(リンク) 高千穂 天安高原1(リンク) 高千穂 天安高原2(リンク)
2015.10.30
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今日は貴重な時間を裂き、勤務先の命に於いて、車の講習会に強制労働させられた。明日のため屈伸運動などの軽い準備を終えた私は、前日も草々の3時半に眠り、7時には起床したのである。 午前中はスラロームとかあったが、メインは50キロで走っての急停車である。思いっきりブレーキを踏むという奴である。人生と未来と他者にビビりながら生きている私にとって、性格に出てしまうのだろうか、ある地点を通過した瞬間に信号がついて、それを見て思いっきりブレーキを踏むのであるが、どうしても見切りブレーキをしてしまうのである。よく分からないが、50キロキープに気をとられてしまうのである。しまった、55キロぐらいまではいいよ、といわれたものの、既に60キロを越えてしまった、「セーブしなければ」、と少しアクセルを緩めると、「あ、もうそろそろ通過地点だ、横のコーンに近づいている、ブレーキ!」と信号が変わる5メートルぐらい前にはブレーキである。指導員に「早すぎます」と注意を受けるのだが、人生と未来をまっすぐに向いていないのと同様、人生と未来と物事とまっすぐ向かい合っていないのと同様、人生と未来と物事と信号に関してフライングしてしまうのである。結局3回やっても同じフライングを繰り返し、「これで計測しておきましょう」、と大目にみてもらうのであった。まあ、50キロであれば20メートルで止まるというところである。 これには、「あっ」と急に気がついてブレーキを踏む1秒間の時間が含まれていないので更に止まる距離は延びるということである。時速50キロなら秒速8メートルである。人工衛星は秒速11キロである(と小学校の時にならった)飛行機は私の記憶では900キロぐらいで飛ぶので3600秒で割ると、秒速250メートルである。太陽までの距離は光で8分19秒で届く(小学校の時の記憶)なので、それを知ったとき、そっか、今この瞬間に太陽が実際に消えても、視界から消えるのは8分19秒後か、と思ったのである。そういえば、パキスタン西部からイランに向かう夜行バスが満席でバスの天井にへばりついていたのであるが、その砂漠を走る天井の星の輝きを忘れまい。天の川が眩しすぎて、天の川付近は星を薄くさせてしまうのであった。朝方には月が出て、さらに星空を薄くさせたのであるが、手を離せばバスから落ちるので徹夜である。寝たら落ちて死ぬ、でもこの天井の星の輝き、そしてこの見える星は星までの距離が違うので、見えている星たちは全部違う時間帯のものをみているのだ、もう今この世に存在せず星の寿命を終えた星も光がやっと気の遠くなる時間を経て見えているってこともあるのだ、と思うと、まあ、一言で言うとロマンチックである。ロマンチックで手を話すと落ちて死ぬぞ、ということである。 後続車のライトが見えているのだが、ほぼフラットである。そして休憩でバスが止まってから、後続車が到着したのは30分後ぐらいである。ライトは見えていたのだが、それは20キロぐらい後ろを走っていたのである。砂漠、スゲ、平ら、スゲって思ったのである。こういうところで、もうどうでもいいよ、っていう皮膚感覚が形成されていったのかも知れない。その割にはビビリである。石橋を聴診器当てて渡る人間ではないが、石橋を渡るか、迂回するか、飛行機で飛び越えようと考える人間となってしまった感がある。それは現実生活において歪められてしまった結末であろう。そうやって他人のせい社会のせいにしておこう。精神衛生上正しいと思うからね。 まあ、なんの話か分からなくなってきたが、そうやって急ブレーキを踏む貴重な体験をし、ABSがかかってカクカクッカクとなることも分かり、思いっきり急ブレーキ踏んだれや、と言われても、経験ないことに対しては臆病になる、まあそれを体現した午前であった。
2015.10.29
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これすげえ。 いやはや、もはや10月も中盤戦を越え、ここ2週間ぐらいに朝晩がめっきり寒くなった神戸市民の皆様、ご機嫌いかがですか?全国の皆様に声掛けしても、ニッポン、2000キロにわたる南北に細長い国、北海道や沖縄の方々に、同じように朝晩めっきりさむくなってきましたね、というのは失礼である。そうである、日本は国土は狭くても長いのである、芯が太いのである、カチカチである。短く太く硬く燃えである、ドヴォルジャークである。ヨーロッパに行って、ワテの国小さいからなんていうと顰蹙なのである。日本より国土がでかい国は5つもないのである、多分、調べたら分かるけど調べないでいうと、スエーデン、スペイン、フランス、辛うじてイギリスぐらいなものである。ウサギ小屋に住んでてすみません、って行ってもだめだ、巴里のアパルトマンなんか、ちっちゃいちっちゃい細切れルームである。家賃が高いだけである、東京並みである。 まあ、前置きは前に置いといて、全くアメリカの属国の建物はシャビーである。いや、アメリカの属国の南国である。この場合のシャビーって、多分、古い感じがいい、ではなく、熱気と雨にやられてすぐにボロッちくなるという意味でご理解いただきたいと思う。英語で性格にいうと、オールドである。オールドパーでもサントリーオールドでもない、オールドである、寒い国のオールド程価値があるのとは違うのである。それは、アメリカのインフラのものがあって、アメリカの凋落振りを示しているものでもあって、とにかくアメリカの黄金時代は、他の国より早くて、もう戦前戦中から始まっていて、それがそのままでぼろくなってしまっているという事情もあって、さらに、新築には金をかけるがメンテはまあ、そうねええ、・・・無視ってのがアメリカの相場であって、日本みたいにシャッキン抱えてまで公共工事して、道を無意味に綺麗にするというのも問題だが、作ったら作りっぱなし、コンクリート打ちッパナシ、のママ、という状態が何十年も続き、割と道もボロイがホテルもぼろいよ、だから何か?という状態なのである。dilapidated house(ぼろ家)ってことよ。細かく言うと、やがて改装して、綺麗になったなあと思っても、強烈激烈直射日光にやられ、スコールで大量の雨がボトボトと建物伝って落ちてくる様子みてたら、こりゃ、コンクリーの建物も耐えるに必死だな、早晩、またぼろっちくなるんだろうな、あーあ、庇に草まで生えちゃったりなんかして、と感じるのであった。まあ、オレが心配しても意味ないんだけど。そんな訳で住んでいる人種は違うけど、東南アジアの貧乏国家の風景と大雑把に言えば変わらない感じがする、というか、多分、アジアンリゾートは、風土に合わせて椰子とか竹とかそんなので作って数年で作り変え、ってな感じで、コンクリーは基礎だけって感じで、チーピーリゾートもそんなにぼろっちくは見えないものだ、もともとチープに作られてるし。まあ、それは、あれか、バンガロウか。合理的である。安く作って、ぼろくなったら、葺き直しってことよ。テラスで、海風に当たって、キムチいいねとか朝に言ってたら、もう夕方になる。そんな人生を18歳から覚えて、怠け者になった。そういうことだよ。分かる? そういう意味では、会社員として激烈モーレツ社員をしている私にとっては、ノンビリすべき南国も1泊であり、ビーチタイムは10分(ノンスイム)であり、テラスに出るのも、ビール1本飲む程度の時間という悲しき佐賀(別名、「性」)なのである。日本人、モーレツ社員、家庭を顧みず(あ、家庭なかった)、シャチクとして会社人間で頑張るのである。和を持って貴しとするのである。なぜかというと、日本人気質とは何の関係もなく、マジメとか他人の意見を気にするとか目立たないようにするとかではなく、会社人間になるのは、それが日本社会で生きていくに一番楽だからである。自分に有利だからである。もっと、前に!と西洋風に流れが変わりあぶりだそうとしているが、騙されちゃいけない、いけない、といいながら実はそこは、日本も随分落ちぶれてきたので自由度も上がった感じで、会社人間というのも、最近では古い感じがするよね、会社人間いなくなってきたね。会社人間の人が出世するわけでも必ずしもなくなってきたし、そもそも、全体的に上昇志向なくなってきたし。まあ、日本人気質じゃなくって、制度がそうしているだけだからね。と私は思うのだが。あえて言えば、江戸時代で戦乱のない世の中になってからだね。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.28
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高千穂峡に行ってきませんでした。高千穂には行ったのですが何か? 何せ、頼んでもいないのに、高千穂は宮崎市から150キロ、大分市から170キロぐらい離れている、ぼやぼやしているとたどり着かない九州の臍みたいなところである。着いた頃でうろうろしている頃には、もう戻る時間が来てしまうのであった。残された高千穂峡観光時間は30分、しかし、第一駐車場第2駐車場もイッパイであり、車駐車スペースがない状態である。これでは駐車場待ちで時間が終わってしまう。絶好の写真スポットであるというのだが、まあ、それは、最近デジカメが調子悪くなり写りもおかしくなってきたので、いっちょ学生時代みたいに一眼レフ買ってみようか、危ない国の地域で脅されて盗られてしまうかと思うようになった今日この頃、腕はなくても、一定に綺麗に撮れるなあ、しかし趣味の世界ですなあ、と思うのであった。まあ、そういう感想と雑感は置いておき、日本の臍といえば、いろんなところが名乗りを上げているのである。代表格は、日本のへそ公園を有する兵庫県西脇市であろう。勿論、私も行ったが、西脇市で有名なのは横尾忠則と西脇工業陸上部ぐらいである。勿論、磯崎新作品の横尾忠則作品イッパイ美術館にも行った。それから、自慢でもないけど、渋川にも行った。饂飩食べにである。すっかり、忘れていたが、9年前に宮崎行った時も、どうやら飫肥で饂飩食ったみたいだ。思い出した。普通の民家に、看板だけあって、ほんまに食堂か?と思ってガラガラとあけて入ったら普通の民家で、家の人が普通の縁側のある和室に通してくれて、座布団の上に座ってたら、誰かの田舎の家にきたような感じで、座卓の上にメニューと調味料と橋がなければ、衝動か分からないカモフラージュ店で、その後も多分、工事かなんかで来た地元の人じゃない人が遠慮気味にガラガrと開けて、私と目があって、あのーここ食堂でいいんでしょうか、みたいなことを言われて、どうぞ、と従業員の肩代わりをした30代であった。 それはさておいてである、速攻で空港に戻る時刻が迫り、高千穂峡優雅な舟アソビや散策はやめ、それは、他人の写真に譲ることとする。それで、「見て、来て、帰った」とカエサルの名言を思い出すのである。まあそういうことで、30分程の時間の余裕さえ感じた人生の余興の時間は、お参りである。高千穂神社である。神社やお寺は割と好きだが、基本的に好きなだけで、賽銭を投げたり、お参りすることはまずない。敬うことはあっても、神頼みにお願いすることがないということはないのだが、それは心の中で思っていればいいのではないかと思っている。祭られている神々も、賽銭には興味ないだろうし。 という諸事情から、何となしに、高千穂神社お参り、と相成り帰路への旅立ちのなるのであった。離れられないって、僕たちのことだよね・・・2015.11miyazaki 宮崎の1日(リンク) 宮崎ドライブ(リンク) 高鍋大師再訪1(リンク) 高鍋大師再訪2(リンク) 高鍋大師再訪3(リンク) 日向 馬の背、クルス(リンク) 高千穂 へ(リンク) 高千穂 天安高原1(リンク) 高千穂 天安高原2(リンク)
2015.10.27
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行こう、なんていっちゃったら教条主義的やな。それがカッコイイねんけどなあ、ってことで。そのためには、心構えが必要だ。いや、必要なのか、多分必要だが、こんなことでは悔いどころか、行動を改めることが出来ないのである。いくら心構えを説法しても、釈迦に説法である(ちょと違うな)。 道徳や倫理は、考え方はあるにせよ、教育や説教、説法は難しいのである。そう思っているから、ごめん、右耳から入って、左耳から出て行ってしまう。何セ、歴史さえも、証明してしまっているのである。倫理道徳ついでにいうとイデオロギーに最も口酸っぱかったのは、社会主義国家である。昔、ちうごくにいったときも、スローガンだらけで、さすがに、学生ながら、これ意味ねえな、と思ったぐらいである。結果的に、他人の為に奉仕する、一緒にやって勝ち取るってことは、ちゃんとなく、現在のちうごくを見れば分かるとおりである。ソ連なんかなくなってしまった。何セ、頑張って働いてもサボっても一緒の報酬なら、こりゃ、道徳心高い私でさえも、ちょとサボらせてもらうよ。といいながら、今、管理職の私は、働いても働かなくても給料一緒(まあ、ボーナスは査定があるか・・・)なのに、このモチベーション、やっぱり、感嘆しきれぬ道徳心の高さ、どこからくるのか分からない飽くなき使命感、掲揚もしない克己心からくるものなのか、いや、他人の目があるからである。さすがにどう思われてもいいとは思ってなくて(割と上の人からはどうでもいいと思っているけど)、下の人に背中を見せているといえば調子がいいが、駄目だなこいつ、こんな人にはなりたくない(仕事でですよ、人格的には既にこんな人になりたくないと思われても、鬼畜と思われても変人と思われても自分はそう思ってないから平気ですけど)って思われたくない一心で素性ばれないように無い知恵絞ってがむばっているフリをしているのである。 またまた、卑下しちゃってと思われるかも知れないが、それが日本人である。もうちょっと範囲を広げるなら東アジア人である。チェーンジ、チャェレーンジ、自分の特性を伸ばすんだ!アッピール!が欧米だたったら、自分の欠点を補って自分を完成させていくーぅ、のが東アジア人である。だから卑下である。東アジア人?適当に言ったけど、それどこや?うーん、自己完成、精神を修練した温和な長老、まあそんな感じか、まあ理想はブッダだな。欧米は、若い。チェーンジ、アッピール、チャレーンジ、さすが30代にお亡くなりになったキリスト教圏だ。もっと書くつもりだったが、このへんで勘弁しといたるわ。昔学生時代、ずっと手を挙げたままのサドゥーおるって噂になったけど、映像あったが、多分、1人や2人じゃないと思うよ。馬鹿だね、俺らも手を挙げたままの旅行考えてたんだよな(リンク先19番)
2015.10.26
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いろいろグアムは忙しかった。飛行機では、飯を食ったのである。赤ワインもうっかり機内で1本開けているのである。どんどん注がれるから断れないだけである。しかし、到着すれば、すっかり酔いも醒め、寝酒である。ハイネケンと、なんだか、みたことのないアメリカンビールをドリンクする旅に出るのであった。アメリカでは、なかなか水みたいなバドアイザーとかクアーズとかミラーとかあまり飲まないのである。不味いとは思っているが、薄いのである。パンチがないのである。まあブルックリンラガーみたいな地ビール系はそれなりにいけると思うんだけど、全ては1杯目だけ。あとは同じ。マア、朝方に飲むだけでなく、食べるも充実せねばと、台湾スナック補充ナウ何で、台湾やねん、それは聞かないでくれえ~、アアアアアアアアアアアー(沢田検事口調)朝、眠いのに起きたら、あまり腹も減ってなくて、それでも、もう10時半でぼやぼやビーチで泳ぐ時間もない。あと4時間で空港に行くよ。余時間ないよ。 ホテルではキャンペーンしているのか、ランチバイキングは本日はベジタリアン、悪くないが明日は中東料理、悔しい、ホテルで食べるのはヤメだ、でもどこに行くのか、すぐ近くのベトナム料理の店まで歩いて行くのである、歩ていったが今日は定休日である。 近くの大型ホテルに行き、30分に1本の無料バスを待ち、無事乗り込み、免税店に向かう。免税店は用事がないので、すぐ建物を離れ歩き出すのである。それが、免税道。デユーティフリーロードではない。まあ、結局、アジアンバイクング15,6,7ドルの店でフォーとか寿司とかショウロンポウとかキムチとか生オニオンとか食べると相成る。南国ぽかったのは、焼き茄子のココナツ和えである。これは割といける。お代わり。あとは青いパパイヤのサラダに、タピオカバナナのココナツ和えデザートが、ま、南国的名雰囲気だったかな。そういうことである。(昔見た、「青いパパイヤのかおり」またみたきなったやないか)あとは、空港でディレイしたので日本コンビニで買った非常食食ったぐらい。TOFU!(インドネシアもそうだが、あくまでF)まあ、そんな感じで最後はハハハハハハ(ローリーアンダーソンで)マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.25
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その理由は、トップシークレットというか、フォーユアアイズオンリーである。それは、飯食いにいったというのもあるが、飯を食うなら日本のほうが安いのである。あれだよ、作家、作家、昔ならひなびた宿屋に缶詰になって執筆する、今ならホテルに監禁されて執筆する、あれあれ、環境変えたつもりで仕事の振りして、単純に、ダラダラするってやつ。心が優雅でないとできない奴さ。風流な輩でないとできない奴さ。まあ、あれ、リフレッシュって奴だったかな、そんなの。忘れようにも、思い出せない紺碧のチベットの空、それは、写真の中だけの思い出。まあ、そんな感じの青春の旅立ちである、というか、中学校のとき、白紙の紙に文字が書かれたものを背中に貼られた奴がいて、それを読むと、「オレの青空は終わった」と書かれていた。そして、貼ったやつが自慢気に、「オメー、青春終わったんか」と貼られた奴を罵ったが、周りから、「もうちょっと勉強しような」と貼った奴をたしなめていた。勿論、周りの代表者はオレである。陰険である。 貼ったやつは、立派に定時制高校を働きながら勤め上げたので、私の信頼を取り戻した。貼られた奴は、瓶の牛乳を飲んでいる時に、目が地面方向に向いていた。昨夜夜中に到着した時は、大層な雨であったが、ここでは、午前二時からアルコールの販売が中止されるので、とにもかくにも急いでABCマートだったかABCストアだったかに空港から直接乗り付けてアルコールを入手しなければならないの法則である。いや、そんな法則はなかったかも知れないが、とにかく、コンビニ系は厳しいのである。地元系は、勿論、こっそり撃ってくれるのである。いや、売ってくれるのである。茶色の紙袋に入れてくれるかカバンにすぐ入れろと忠告してくれるのである。それが法律ルール無用の資本主義というものである、それはちゃんと個人の資質によるものであり、福祉大国ノルウェーでさえ、個人商店で、「この時間帯、酒を売ることは法律で出来ないんだ。だから、カバンにすぐに入れて隠せ」という誤神託を店主から貰ったほどだ。世の中には一定数のアナーキストがいるのだ。バークニンを信望している。リバタリアンとは違うのである。まあそれはいいとして、あとひとつ、仕事を完了させなければならないのである。というながら、ビール飲みながら、テレビも見ながら、仕事の資料に目を通しながら(見るだけなら無料である)、雑誌も読みながら、意味なくホテルの規則やメニューも読みながら、ぼやぼやしていると朝の5時である。これは、早く寝ないと、朝起きれない、下手したら帰国時間に寝ているってことになっちまうぞ、明後日はちゃんと朝から通常の出勤をしなければならないんじゃないの?と気がつくのである。今からでは、睡眠時間は、飯食ったり、ビーチに泳ぎに行ったり、昼飯を食いに行ったり、やることが盛り沢山なので、2,3時間しか寝る時間がないではないか、と気がつく朝方であった。あったといいながら、起きたのは、5時間半後の10時半であった。駄目ジャン。朝は、綺麗なビーチで一泳ぎ、まあ、そんな時間はなくなったので、ビーチを見るだけ倶楽部で終わり。そういえば、去年、サイパンに行ったときもグアム1泊してるんだけど、いやはや、ビーチにいる水着姿の人には、はあはあ、思いだけだが(はあはあ、は興奮じゃなくって、まあ、泳いでいる人いるよねという「意味」ですよ)、前を歩いている日本人カップルのうちの女性が、ビーチに着いたら、服をいきなり脱いだ(ビキニを下につけていたけど)ときに、すんごく、それを偶然見て恥ずかしくなった。いや正直、興奮した。何に興奮したか不明であるが、タブーな感じがしたから興奮したのであろう。(せいてきに興奮したわけではないよ、何か、スクープだスクープだ、と別にスクープでもなんでもない光景だったんだが、恥ずかしいところ見てしまったという感じである。本人はちーとも恥ずかしくないだろうけど。こちらも、一瞬スプーンと間違えそうになったぐらいだ。)ここ最後の2枚である。スクープ写真のつもりだったが、まあ、普通である。なんだオレは、という感じであった。しかし、裸になったのかと思ってしまったよ。目が悪いからな。まあ、そういうことを思い出したのだが、今回は、時間がないので見るだけ倶楽部を5分程堪能して、すぐさま飯である。飯のことに関しては、明日のグルメの旅にて開陳ということで、今日は生意気にも終了である。ケジメが大切である、もう少しキザにいうと、ケリが大事である。アパシー状態にはなりたくないのである(医学的にも政治学的にもね)。ヤバイ、また雨が降ってきそうだ・・・。折りたたみ式傘しかない。十分だ。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.24
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今年の冬は、ギリシアに行く前にマケドニアに行ってたのだが、とにかく、アレキサンダーや古代マケドニアと何の関係もないやないかコン畜生、とギリシア人に言われるマケドニアのことを書いたが、よくよく考えたら、ギリシア人だって、古代ギリシアから脈々と続くわけではないのであった。ヨーロッパの歴史はギリシア文明が作り出したんだぜ、とギリシア人も思っているようだが、19世紀初頭1900年ぶりに独立を回復したギリシアだが、DNAとしてはトルコ人と同じである。今のトルコ(アナトリア)にいた正教徒をギリシアに、ギリシアに居たムスリムを今のトルコに移住させたのである。当時はどちらもオスマントルコであった(オスマントルコと今のトルコも断絶しているが)。誰がそうさせたかというと、イギリスとロシアである。イギリスロシアの領土の覇権争いの前提として、共謀してまずはオスマントルコを解体させようぜ、ってことで宗教別に地域を分けさせたって訳。だから、今住んでいるギリシア人はソクラテスやプラトン、アリストテレスの血は流れていなくて、トルコの血が流れている。それで、宗教ちゃうやないか!ということで、まずは人工的にオスマントルコからギリシアを独立させたってことで、ムスリム国家に『隣接する最前列に立たされたのであった。 あのあたりの国は、第二次世界大戦でブルガリアもアルバニアもユーゴスラビア(今は、マケドニアとかモンテネグロとかクロアチアとかに分かれているけど)はソ連チームに、その代わりギリシアには手をつけないぜ、ってチャーチルとスターリンが手打ちをした。但し、独自路線ユーゴのカリスマチトーだけは、ギリシアの共産党にソ連を無視してテコ入れし続けたため、労働者が奮起して団結したらまずいと思った西側諸国はギリシアは、工場を作るな、農業と観光メインでやっていきな!あとはNATOの軍事基地置いてお金落とすからさ、ということになった。何セ、ギリシアは、第二次世界大戦よりその後の共産党との内戦のほうが死者を出したぐらいである。 そういう訳で、ギリシアは、「西側のオマイら!俺らを支援するんは当然やろ!返せないの知っているのに、ドイツ君は貸し続けたっての。過払いだろ!」といつまでたっても支援されて当然国家になったのである。放漫国家経営だけが原因ではないのである。 正月に破綻寸前のギリシアであったが、人々は陽気、どこが財政難やねん、って感じの空気流れまくりでありであった。それは、ムスリムの最前線のNATOやアメリカ軍の最前線空爆発射基地だろ、オメーら、どうせ、俺らを切るなんかでけんやろ!といっているかのようであった(まあ正月という浮かれポンチ面もあったとは思うのだが)。メルケルが、「オメーらもっと働けよ」、といいつつ、イヤードイツ人の方が働いてませんねえ、ってことよね。多分、「オメーら、セクスしすぎ!世界一セクスしてる場合じゃねーだろ!」とも言いたかったのかも知れない。マア、ギリシアドイツ、お互い信頼感ないね。いやはや、そう思い出したのは、沖縄に住む後輩が居て沖縄問題をチョトダケしたときに、そういえば、農業観光基地って、また沖縄も地政学的にアジアに近い重要な地点という意味でも、それギリシアじゃん、と思ったからである。しかも、何となく、自分たちは陽気な感じで。しかし、随分昔の話に思えるどころか、また正月が来そうな勢いである。この1年も何の成長もなかったような・・・。幸いにも後退もなかったような気もするが。そろそろ、年末年始の候補地2,3挙げないとな、と思うのであった。むむ、ちょっと調べてみると7年連続で、正月はヨオロッパ系か。8年前にやっと中米。やっぱ寒いから空いてるってのもあるからねえ。20年ぶりのアテネ、そのくらいでは、そんなに変わってなかったかな・・・
2015.10.23
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(前回までの粗筋)八王子まですい臓がんの後輩の見舞いに(私は日帰りりだが)行き、参加してきた奴に沖縄からマイレージで来た奴がいたので、その近況をレポート中(だと思う)。沖縄の産業はホンマやばい、って話をしていたような気がするが、その後琉球処分の話となり、後輩は沖縄の前に鹿児島から転勤し(いろいろあるがAEDも扱っている会社だ)、嫁が鹿児島なもので、沖縄って、どこまで入り込めるんだ、ナイチャーの人間は、というところである一線の話をしていたが、詳しくは聞いていないので、或いは聞き流したので覚えていいないのである。 とにかく、油っぽい沖縄のテンプラに辟易していた彼に、天ぷらを食わせて事態を収めるのである。彼には、空港迎えにこいやボケ!といいながら1,2度沖縄観光をさせたのであるが(全部おごりにする親切なオレだが)、ここ数年は忙しいから駄目ですと無視されているので、今回叱っておいた。会社より重要な事アルだろ、と。だって、変なところなかり行こうというじゃないですか、って住んでないのに行ったこともないところに行ける幸せだろ、ボケっということである。(まあ、そんなに厳しく言わないけど。でも、記憶は学生時代で止まっているので、大学5回の時に1回だったら全くの子供だったのである。こんな奴、世の中で生きていけるんだと思いきや、立派に生きているのである。嫁の実家は資産家である。資産家と行ってもギャンブラー資産家である。エビの養殖かなんかで数年に一度病気や共食いで収入が0というかマイナスになるが、普段の年収は2,3000万であり、365日2,3時間おきに様子を見にいかなければならない仕事であり、娘の結婚式で初めて島の外に出たと言うことらしい。そのため、近所のパチンコ屋にいくことぐらいしかできないのである。ということは毎年4000万ぐらいの投資をして6000万ぐらいの実入りで、全滅したらその年は収入がマイナス4000万である。だから、2000万実入りだ、ウハウハではなくちゃんと貯金せねばならない。2年全滅したら0となるのである。資産は形成できるかもしれないが、生活範囲はまあ1キロだろう。継いでくれや、そういわれても、というか、その話がでたとき、後継者でそうですか、年収2000万ですよ。まあマイナス4000万の年もありますけど。あと旅行も休みもなくなりますけどね。一生3時間に一回共食いしてないかエビが死んでないか見回りに行くだけすよ、ウヒヒ、ってウヒヒじゃねーよ) まあ、そうでもいいけど、昔クエッタというパキスタンの町で宿とったね。明日からイランに行くね、安宿で荷物ぶちまけたね。そこに中年日本人女性が急にやって来て、私はビールがあればどこでも大丈夫なんです、と意味不明の演説を入り口で主張して5分で消えたね。青年の主張はいやいやだけど、中年の主張はほとぼしるものなのかと思ったが、まあ、それは私がまだ21歳、沖縄にもいったことのない季節だった。今もそうそうだけど、国内は高くてハードルが高いのである。沖縄もやっと社会人になってからである、初めて行ったのは。学生時代、バンコクで予約をとったバンコク-ブルネイ-台北の航空券、そこから船で沖縄、チケット押さえてたのに、金払う間に金盗まれて、中断したなあ。まあそれはおいといて、あとのメンバーはまあ、省略、アイかあらず東京の億ション半値八掛けで買った後輩は、毎日キッチンのヌメリ取りをヨメから命じられてやってて、夕食作っている(彼も自営業で武器商人として働いているのだが。どんな武器だ?軍事用特殊ネジだが、詳細は国家機密なのでここでは省略するが、そんなことをしてスタンダードから外して値段を吊り上げ商売を作っているのである。アメリゴは。その日本代理店みたいなやつである。)。社長業をしながらも、岩国とかの基地に出張するときは、ちゃんと夜行バスで行っており、倹約を心がけ、某大手ゼネコンの設計責任者であるヨメに搾取されている。お決まりのフンザ近くの謎の復習の村とか、釜山のユースホステルの壁がぱかっと開いて、カメラを盗られたとか、バンコクのルンピニ公園で気がつけば素っ裸で直射日光に当たっており日付けが3日ほど進んでいて蚊にかまれまくり、財布どころか服もなく校門が痛かったという話も一通り話題に再度上がるのであった。(全然関係ないけど、学生時代バンコクで暇で日本人会館にあったゴルゴ13を何日もかけ数十冊読んだのである)あとは、同じ関西にすむ後輩ぐらいであり、最近の動向はいちいち聞いてないが、歩きがてら、「10年ぐらい前にオレ八王子で半年か1年いたよな、オマエ、上海勤務になった後か前かで、東京か福島で短期間働いてたよな、あのとき1回新宿界隈で会ったよな。」という話をして、あの頃はキノコ合法だったよな、という話をして、翌日に、(本日飯食いに行った)東急スクエアで迷子なったわという話をした。こんなところでどうやって迷子になるんですかといわれながらも、察せよ、で終わった。そういう1日であり、彼もつられて日帰りで関西に帰ったのであった。
2015.10.22
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先日の週末に日帰りで学生時代の後輩の見舞いのためと称する単なる飲み会を八王子で開催して、昼から病人ほっといて、ドンちゃん騒ぎの宴を無事終了させて、各々がそれなりに適当に満足しながら、彼をケアしながらも、家路に着いた粛々とした会であったが(沖縄から来た後輩だけは家路ではなく品川のホテル路に帰った)わけだが、それにしても、近況、特に変わらないのである。特に関西から来た同輩Oと後輩Sは、まあ間違っても1年に1回ぐらいちゃんと約束をして遭遇するのである(私のも若干名の友達はいるのである)。だから、1年ぐらいでは何も変わらない、何も変わらないよ、ブームで終わっちゃうさ、なんてチャラけていると、同級生Sは久々飲み会したあとの半年後に亡くなった訳だから、変わらないうちに死んじゃうってこともあって、親なんかも半年に1回ぐらいしか会わないから、あと考えたら、多くても50回会うかどうかなんである。それなりに気を遣っているというのはウソだが、今年中にはもう一度ぐらい海外旅行に招待しようとしているのだが、結構忙しいからと断られるのである(誘うタイミングが前日という事情もあるのだが)。まあ、それは忙しく元気にしているのでめでたい事である。親孝行したい時は親はなし、って散々言われているけど、これが、また感化して、会社の後輩までも、見習って親をネズミーランドに連れていったということを聞いて、それぐらい給料もらえるいい会社だなあと、思いつつ、啓蒙活動は必要だなあと思いつつ、啓蒙活動は言葉で口すっぱくいっても意味がなく、背中を見せることだなあ、汚いおなかを見せることではないのだなあ、と思いつつ、でもオカンと海外に行くとオカンおいて夜中飲みに徘徊しに行ってますいつも。すみません、ってことである。あ、もう寝といてね、と。オレ、アソビにいくから、どこアソビに行くねん、深夜徘徊のボケ老人チックなことしてるだけじゃん。 まあ、そういうわけで、誰も興味はないが、自分の記憶と記録の為に、ここに近況を記しておいて、多分、その後永遠に読まないと言う状態を作るという無駄な作業に今から入ることとしよう。何セ、無駄は贅沢だからな。熟語にすれば、贅沢貧乏だ。森茉莉である。まずはオレの同輩だが、間違った情報かも知れないが、毎週東京に居合いを習いに来ている。毎週と言うのは暇だ、ということだ。今日も、刀を持っていたが、日本で刀を持っていたら銃刀法違反じゃないのか?まあ、その辺は詳しく聞いていないので、いいとしよう。学生時代は、下記写真のようにその長い髪を切れ、みたいな感じで、弟から「お兄ちゃんが乞食になってもた」といわれつつ、当時の規律正しいシンガポールで入国拒否にあった経歴を持ちつつ、今日も刀を振り回していた。こんなことでいいのか。善悪の彼岸については、いちいち考えないのである、ただのリーマンは。与えられるものを淡々と処理するのが清く正しく歪んだ姿である。いちいち考えるな感じろ、ではないのである。感じるな考えなくてもいい、それがリーマンの正しい姿である。ただ、本当に考えなかったら、シコブル迷惑な奴になるだけなのだが。だから真実は、何か感じて、何だか考えてみろ、というか、リーマンならパフォーマンスしろ、ということである。おいらは、ボランティアじゃねえ。純粋無垢な高校生や大学生が路頭で募金をしている訳じゃない、募金の収益を悪い奴らに搾取されちまっている訳でもない。ゴメン、全く知らない人に、路頭で募金できない体になってしまっているんだよ、あんたたちの親玉だれなんだい?自己満足で毎月勝手に振込み募金している我が身でイキッテはいえないのであるが、それは分からないのである。分からないのは、自分の子供が手術に1000万かかります、何々ちゃんに手術の募金を、とかいうのをまあ、親本人をみたことないが、たまにそういう個人募金手術代なんとかってのがあるじゃん、ジレンマだよね、1000万の手術費用あれば、他に何人救えるんだ?親の気持ちも分かるけど、あそこにアフリカの飢餓の人が毎日何人死んでます、一人1日100円で延命できますって怒鳴り込まれたら、弱いなあ。そういって怒鳴り込んでくるやつがいるんじゃないかと、通りすがりにドキドキするんだ。弱々しい病気の赤ちゃんの写真の顔みながら、頭の中でガリガリに痩せた子供を思い出してしまうんだ。世の中はそうやって矛盾に満ち満ちているんだなあ。オレも自分の子だったら、1000人の瀕死の子供をほっといて救いたいって思うよなあ・・・。何の話だったかな。居合いの話だったかな、刀の話だったかな、ネパールのククリの話だったかな、まあ、翌日は彼も何か講師をしているというので、関西に戻るのであった。最近の彼の近況はそんな感じだ。沖縄から来た後輩と沖縄通の同輩(仕事でよく言ってた)と私も読書で感じてたことは、沖縄のヒエラルヒーというか、沖縄エリートで生活するには、外地企業(後輩のような)以外に地元産業では、役所(県庁職員の半数が琉球大学)、電力、銀行、しかないのである。沖縄の学生も大変である、というか、日本の学生は大変である。何セ、大学生が無意味に増えたからである。金融会社奨学金が儲かってしゃあないわけである。大学卒業する頃に500万とかの借金抱えてたら、ムチャ厳しいのである。まだ琉球大学ならましだが、その他にも7大学ぐらいだったか乱立していて、そら、就職先ないよ。高卒なら仕事あったのに、高卒の仕事プライドが許さないのか、ほんまになくなるのか知らんけど、それは本土の話かも知れんけど、とにかく、今時の子は大学に行ってしまうのである、らしい。それで学費も払えずに見立てのいい覚悟決めた子は仕方なしに写生産業マッシグラみたいな感じらしいよ。普通の学生は、まあ、ポエムになる。世界の貧困救いたいとか、まあ学科とかがそういうのが多いからななおもあるが、自分のヤバイ現状をおいといて、NGOとかODAとかで貢献したいなというのが夢みたいになっている。残念、その大学では無理だ。ということである。気がついているのか、気がつかないようにしているのか、それは知らないか、現実逃避か、奨学金金貸しの罠なのか、つらいものがあるのだ。(つづく。意味なく疲れたから明日に回すだけである) それにしても、帝国ニッポンは、台湾やソウルに帝国大学を作ったのに、同じ植民地の沖縄には大学を作らなかった。沖縄のエリートはすぐ反乱を起こすからだ。だから沖縄エリートは台北帝国大学や京城帝国大学(現ソウル大)に留学した。戦後アメリカは琉球大学を作ってエリートを育てた。それで文部省は焦って日本の大学に沖縄枠を作った(前知事はそれで東大に入った)ということだが、現知事は法政大学出身だが、それは関係無しに、もうできるうちにできるだけ反対しておこうという魂胆なんでしょか、と後輩は呟いていた。だから独立だろ!ベースORインデフェンダントだ!と一応言っておいた。
2015.10.21
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Kobe nice place 神戸Unko house.kobe people don’t go ijinkan. I was been there firsttime with hongkong’s friends. Kobe flower Never foget 1,17 for kobe peopleKobe cosmos cosmic world Aututmn in lovefountain,imperial garden waterfall near shinkansen station the end is near sunset club in kobeBIggist suspension bridge in the worldBIggist suspension bridge in the world we call south is ‘seaside’,north is’mountainside’ Ancient mountainSun Wen(孫文) was bite the hand that feeds it.one daysuma girlhunt beachwakame seaweed Cultivation Beginning of fall anpanman center Japanese traditional style Artificial island Never foget 1,17 for kobe people Artificial islandBeginning of winter kobe beef with wasabiKOBE Carnival drive along seaside
2015.10.20
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OSAKA CASTLE city in the skyPriestess shamanRhythmical! please.Bank of Bangkok in honmachiOsaka business busy peasonsShin-kan-sen The maximum operating speed is 320km/h expensive.You shuld take a night busWire BeeWhite cars sunset of osakaSakura of osakaHaniwa of osakaAllmost all osaka people is comedianDrink quickly! Free drinktime is so short! Within 15 minutes! Not amsterdam(heineken Brewery)!Rainy day in osakadatehouse of osakaagain most important issu is how to go thereOsaka wedding partyItami airporteyodo gawa (meaning is Stagnate river)Abeno Harukas/////tallest skyscraper in JapanOSAKA CASTLE Burning house of osakaAfter Burning house of osakaOSAKA LIKES CAOS! クーウジャペァン(cool japan)
2015.10.19
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今日は関西から日帰り3人組(私以外は新幹線)と、沖縄からマイレージでやってきた後輩と東京からやってきた後輩Kの合計5人が八王子に集結した。(飛行機が土曜なのに午前中満席続きで40分遅れで私は到着)沖縄からマイレージでやってきた後輩KOは、前にKの結婚式で東京に来た時、翌日新宿でアジアの純真ばかりカラオケで流しながら、もう2度と東京にくることはないでしょう、とかいいながら、キヤガッタ。沖縄には意味なく、年に1回ぐらい行くが、そのたびに、KOに、オマエ暇か、というがオレや俺たち(大学の同級生のSOを)、忙しいですから、とだんだん無視するようになり、ケシカラン険悪な状態が続いている。車を出せ、運転手をしろ!といっているだけなのに。今回、また沖縄行く時には声を掛けるから、無視するなよ、ボケと優しく忠告しておいた。何セ、学生時代にオレに大きな借りがあるのをすっかり忘れているようである。恩を忘れる奴に仇はないのである。天誅。 さておき、やっと、空席のある飛行機(もう12時だよ・・・空港に何時間おるねん)に乗ると、その月に初めてのANAの場合は機内誌を読みながら、オールナイトニッポンを聞く。ゲストは元かぐや姫の山田パンダ。恐れ多くも還暦である。関係ないけどパンダ笛吹の本を読んだことがあるが、まあ、あるだけである。サイババ暴露本は、おお、と言う感じであった。まあ、そっれはいいとして、リクエストで流れたのが、アリスの「終止符」。中学生の頃を思い出しながらも(発売とタイムリーではない)、今日の想像される出来事を思うのであった。 八王子に着き、私は、いや、みんなは何と声を掛けるのであろうか。八王子に住んでいる3つ下の大学の後輩は、静かに座っていた。「調子はどうか」まあ、そういうことぐらいしか聞けない。すい臓がんは、早期発見が難しく、最後まで分からないという。分かったときには、だいたい終わりだそうである。いや、それはいいすぎだ、5年後の生存率は1~20パーセントである。(それでも分からない、この前、定年退職した会社の先輩は、生存率1パーセントで生き残った。同じ病気の会で自分ともう一人しか生き残ってないとのことであった。 八王子のホテルで茶をイッキにシバイタ後は、誰も飯を食っていなかったので、飯を食いに行くこととなる。 マア、昼間から、彼は酒は飲めないが、俺らは遠慮しながらも遠慮なく飲むこととする。東急スクエア上階でである。いやはや、ここは思い出もあって、今から10年前は、まあ、キノコはまだ合法だったのである。いやはや、ここで迷ったわ。まだ本屋あるんかと彼に聞くと、ありますよ、と言っていた。オレが頻繁に出現するのは本屋ぐらいなものである。まあ、時効やな。彼は、会社は休んでいるそうで、自宅療養、特に安静にしておくことなのだが、週に一度病院に行くとのことである。八王子は特に何がというのではなく、多分家賃がまだ安いからか、住んでいるようだ。私も半年1年八王子で暮らしたことがあるので、懐かしいものがあった。(2、3年前に一度来てみたが)。考えたら、この後輩とは、オレが5回生のときに2回生で倶楽部に入ってきて、まあ5回生といえば天皇なので、部室に行くこともほとんどないので、接点はほとんどなく、旅行や登山やケービング等、一緒に行ったことがなく、飲み会で飲んだかな?ぐらいの学生時代の印象しか残念ながらないのである。大きな活動は大学では3回生までなので、3つ下からしかよく知らないのである。 同じ倶楽部の同級生も5,6人中、一人癌で亡くなった。そうやって、徐々に徐々に俺らはこの世から消えていく。サイナラー。 八王子で、どっから帰ったら羽田に近いか分からないのだが、新幹線組は町田経由の新横浜だ。確かに、八王子に通っていたころ、東京で降りたり新横浜で降りたりしてみたが時間はほとんど変わらなかった印象がある。6時頃の解散となり、オレは東京経由、あとのメンバーは横浜(まあ時間一緒なら新幹線も横浜から乗ったほうがちょとだけ安いか)方面に向かった。東京といっても、来る時は東京駅に出て、あとは座って中央線できたが、帰りは、新宿で意味なく乗り換え、浜松まで山の手乗るか、品川京急乗換えかといろんなコースがあるが、特に時間的にはそんなに違いはない。20時15分の飛行機で帰ったものの、神戸空港に着いたところでラインしてみると、俺らも新大阪着いたナウ的な感じで、まあ空港まで行ったり待ち時間があったりして、要はあまり変わらない、要はどこに帰るかということである。オレの場合は新大阪から1本で神戸に帰るか、神戸空港からモノレールで三ノ宮経由で帰るか考えると、これまた同じぐらいの時間ではないか、まあそういうことであった。 まあ、そういうことはどうでもいいが、是非、後輩よ、また会おうではないか。きっと、商社勤務で、インドネシアに行くことが多くてさすがに海外出張がしんどいから自宅療養しているだけである。 また元気になって会おう。(健常者のバカ後輩の今日の出来事はまた後日記す)
2015.10.18
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韓国の進出が凄かったけど、韓国人を見かけなかったのは何故か、分からないが、たまたまか。調べてみると、今年は景気が悪いにも関わらず、韓国人の海外旅行は昨年の2割増し、(韓国に行く人は1割減)らしく、特に日本へは4割増し、本音というか、反日なら来ないよね、本国じゃ親日いったら袋叩きだものね。それは国内事情が悪かったら外に敵を作るというのが国家のルール。 日本も、最近は日本って言い国だなあキャンペーンが勝手に横行し、やたら反韓国、反中国になっているのは、国力が弱まっているからという原因も少しなからずあると思う。孤高の経済力の強さを誇ったままなら、ギャーギャーいわれても、すまんねえ、よきにはからえ言わせておけだったと思う。 マッサージを受けるときに、あなたは日本人ね、といきなり言われて、そうですよというと、嬉しそうな顔を一瞬覗かせた。まあ、体も華奢でマッサージ面積が狭いこともあるが、それだけではないことは何となく分かる。俺が優しい(=気が弱い)のは俺が知っているが、日本人もまあ、たいてい優しいのである。特にお金に優しいのである。まあ、韓国人の訪問先の外国は4位になってるね、日本、中国、タイ、フィリピン、香港、ベトナム、台湾ということらしいよ。もっと遅い時間に現れるのかもな、ハングルの店。空いてたし。いやはや、普通外国料理空いているよね。 日本料理店も増えていた。1980年代は、あんだか怪しい店がいくつかったのだが、その中でお世話になったのが、1回か2回かしかいってないけど伊勢屋。お、そっか、前に来た時はあったんだ。いかん、前にきたときは、まだ強烈に飲んでたようだな。しかし、今回は、当日の夜中に行くことを勝手に決定したので、準備が、まあ、準備いらない場所だからいいんだけど、とうことで、いい加減にしたからいいものの、まあ、舐めて、寝過ごすところであった。 あと、雑感としては、昼間はビーチでノンビリしたよな、とは違う都会である。昔は昼間の怠惰な過ごし方があったが、もう帰国なのである。といっても、まあ、やっぱり、いつでも来れるからね、と思うと、ホテルでチャックアウトぎりぎりまでぼさーっとしている、というか、現実はテレビ見ながら、今からどこいくかネット検索しているのである。昔は検索モクソもなかったので、忙しい時代になったなあと思うのみである。ガイドブックはなく、あるのは行き帰りの飛行機の時刻を書き記したものと、ホテルの住所だけだ。分からんけど、こんな感じで、アジア緩いな、と思う。それだけに危ない。地理ってのは怖い。名古屋や福岡や札幌よりバンコクやマニラの都会の地理のほうが良く知っているってのがマズイ、気の緩みである。考えたら年間週二日休んでないけど、休んでたら100日も休みなんだな。考えたら、1週間の休みを3回と1泊2泊をもろもろしたら、年間1ヶ月ぐらいは海外で遊んでいるんだな。2014年を考えると、1月1日にはプラハかなんかでまあ、3日、1月にグアムオカンと3日、2月ラスベガスオカンと3日、あれ、2013年か。2013年は中米で1週間、8月はアルメニアグルジア、キプロスで1週間、11月にバンコク3日、12月は25日から北欧で1週間、やっぱ1ヶ月に勝手になってしまった。細切れにしたら分からないものだねえ。まああれか、100日の休みの3分の1か。マア気にしたことなかったけど、今、ぼーっとしてて計算して、気がついただけ。伊勢屋、空いてたなあ。海外旅行で日本料理店っていくことなかったけど、カツどん一回食べてしまいましたね。誘われてだったけど。こういう味オンチな、人間が旅行に出ても平気なんだなと思う。結婚時代に1年間米を買わなかった年もあったし、味噌汁や何かのこだわりもない、それが重要、あとは、睡眠力、どこでも寝てしまう能力と寝るにはいいけど危険力察知してな、ってとこだ。語学力とかではなく適応能力だ。ただ、それは、最近感じるのだが、若いときはそうだったが。だんだんそうでもなくなってきている気もする。好き嫌いがでてきているような気がする。加齢だから仕方ないよね。 マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.17
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以前、オランダ人の日本ガイドブックを買ってきて眺めてたらおもろかった。その2. まあ、そんな訳でネットから適当に拾い上げてきたので、出展はもはや不明で勝手に着色しただから話半分でお願いします。 レストランや食堂入口のショーケースに入っている食品サンプルは小世界アート。サンプルが汚れていたり色褪せている店は避けること。 外から見える部分に気を使わない店の厨房が奇麗であるはずがないとの忠告。食品サンプルは相当珍しいようで、いろんなところで紹介されています。浮いたフォークは注文しても出てこないとか。大阪でも道具屋筋でサンプル見ている外人よく見ます。セコイけど、写真撮るなって張り紙しとります。電車区分がやたら細かい。特急急行快速急行通勤快速普通(各駅停車)、おまけにいくつも鉄道会社があるから、切符を一度に買えなくて難しいし、それが相互乗り入れしてたりするから、まあ、日本人の私でも東京では間違えることあるし、東京に住む人間でも、自分が普段使わない路線はサッパリですわ(そこ大阪弁?)という人もいた。また同じプラットホームから同じところに行くとは限らない。朝早くと晩は、駅が混んで、さらに車中はゼロ距離接触になる。晩は酔っ払いが死ぬほど多い。自分が酔っているときは気がつかないが、11時とかに仕事から帰るときは、臭い!こいつらみんなくたばれ!と1パーセントぐらい思ってしまう、すみません。日本では電車のチカン(色魔)問題が厳重。特に混雑している時間はチカンのように見られないように注意が必要。痴漢しないでとか、犯罪ですとか、キャンペーンでテッシュ渡してたりする。こういう啓蒙活動があって、あ、痴漢しちゃ駄目なんだと更正する痴漢多数、というか、1人いるかなあ・・・。ただ、現実的に、私は神に誓っても痴漢はしたことないし、しないが、間違われたら、絶対逃げる。間違いでも申告されて捕まったら終わりだ。だから、できるだけ、女性からは離れるようにはするものの、満員電車は、押されて相手から来ちゃうこともあるからなあ。日本人は冷えるのを嫌うのか冷え性が多いからか、弱冷房車がある。勿論私はその車両は避ける傾向。そうえば、2日前に割と寒い朝を迎えて、満員電車で揺られてたら、昨日の酔いが何故かぶり返してきて、大量の汗が出て、一人暑がって恥ずかしかった。なんだったんだ。女性専用車があり、男性はが進入すると、冷たい視線が飛ぶ。電車が閉まりそうになって走って飛び乗ったら女性専用車両だったというのが1回だけあるけど、まあ、それは車両を移るだけだが、必死に乗ってすぐドア際に立って外を見てたので、暫く気がつかなかったのがもっと恥ずかしかった。そうだなあ、女性同伴車両ってのもあってもいいかもね。駅前テッシュ配り悪質なセールスなどではないので心配いらない。こんな高価なもの何故、である。テッシュは印刷も入れたら安くても10円、だいたい15円はする。5万から10万円で何千部もテッシュ作って、まあそれ以上の効果があるって考えなのだろう。外人は喜んでもらっていくよ。さすがに海外の街頭でテッシュもらったことないな。似たようなことだが、メシ店では、席に通されるとすぐに濡れタオルが差し出される。冬は熱く蒸してあり、夏は気持ち良く冷えているこのタオルは「オシボリ」と呼ばれ、手を拭くためのものだが、よほど高級な店でなければ、男性は顔を拭いてもかまわない。ただし女性がそうするのは、はしたないことだと思われている。普通の店や喫茶店でも、簡易濡れテッシュが出される。無料である。しかし、濡れテッシュは間違いなく便利であり、海外ではまず出ないので(飛行機ではよく出るが)、日本から持って行っては食事のたびに使っている。suimasen(すみません)」はとても不思議で、そして便利な言葉である。シチュエーションによって、I'm sorryだったり、Excuse meだったり、なんとThank youという意味もある。英語が出来ない人が多いのでタクシー乗車拒否やホテル宿泊拒否が時々ある。日本のバス運転手には英語が通用しないので交通手段としてはお薦めできない日本人は完璧主義者なので、英語をマスターしていない限り英語を話してはいけないと考えている。だから、いきなり道を聞こうとしても逃げられることがあるので、まずは相手の心の障壁を溶くために「kon-nichiwa」と言いましょう。日本人はシャイで目線を合わせることが嫌いなので、なるべく目線を合わせない。頭だけペコっと下げるもの、ちょっと体を曲げるもの、90度くらいまで頭を下げるものなど、お辞儀の種類が多い。そういえば、海外では、多少ストイックになるので、こちらから握手をすることもある。ポイントは、もう一方の手も添えることだ。よい旅を。畳の上で靴やスリッパは決してはかない。まあ、これは例外があるんだけど、前に友達のボロ屋にお金持ちの奥さんが旦那とお用事があってやってこられて、そのまま、パンプスのまま入り込んできたとの事。あ、こちら部屋だったの?と言われたそうで、長年語り継がれた。まあ、オレの家もも来るなら靴はいたままでいいと思う。それでないと、足に何かが刺さるであろう。家に入るときは靴を脱ぐので穴の開いたソックスははかないこと。これがよくやらかすんだよな。何故か靴下が駄目になる週間があって、その週が来ると、多分同時に買い換えているからなだが、毎日穴が開いていくという法則。全て選択して保管して、海外に持っていって、捨てていき荷物を軽くする。(といいながら洗濯したあと気がつかず、また履いてしまったというのが共通法則)箸から箸へと食品を渡さない。箸をごはんに突き刺さない難しくても箸を使ってみると良い。それで失敗しても日本人は馬鹿にしたりはしない。ちなみに茶碗を持つのは日本のさっぽうだが、韓国では茶碗を持つのは無作法。日本では水道水が飲める。日本人は食事のマナーにうるさいので、気をつける。人の家を訪問したとき、飾られているもの(例えば花瓶)をほめすぎないように(ほめすぎると、くれるかもしれないから)。カードの使えないお店がわりに多い。物価が高い。土産物屋で観光客向けの二重設定などはまずないので、むやみにねぎらない。東京で一番危険な場所は「外国人が多くタムロする場所」。日本は治安の良い国である。しかし夜、街に立っているとたまに一般の女性にホテルに誘われることがある。・・・屈辱だね。日本は感動を押し付ける。
2015.10.16
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昔、バージン航空で、マッサージサービスというのが有名だ。今もあるのか知らないけど、何かで読んだのは10年以上前だ。ヴァージンでは、アッパークラススイートなら寝巻きも貸してくれるし、家から空港、空港から宿泊先のリムジンサービスがついている。おまけにヒースローなら、そのまま迎えの車に乗ったまま、空港のチェックインカウンターに乗りつけ、座ったままパスポルテと空港券を見せてチェックイン、という素晴らしさらしい。とかいう豪華サービスは、まあさておき、この前読んだ本で、エミレーツに勤めてた日本人客質乗務員の手記が興味深かった。エミレーツはご存知ユナイテッドアラブエミレーツ(アラブ首長国連邦)のドバイを本拠地に置く航空会社で、自国民クルーはほとんどおらず、しいていえば、レバノン人とエジプト人が多いらしい。確かに何カ国のクルーが乗ってる年って感じだった。ラマダンのときのフライトはトイレが永遠に混むらしい、お祈りしたければ場所がないのでギャレーに毛布を敷いて必要があればカーテンで仕切るらしい、座席のイヤホンでコーランが聞ける、キブラの方向が示される(いやはや、これはマレーシア航空でもみた)、液体物の持ち込みは駄目だがメッカのモスク内にあるザムザムの泉の神聖な水の入ったボトル(特別な容器ですぐ『分かる』そうだ)は100ミリ越えてもOKとのことだ。あ、勿論、料理は全てハラル料理だが、多分、トルコ航空を含め、中東系は全てそうじゃないだろうか。トルコ航空まあ、ブタは使ってないって書いてあるけど。ただ、エミレーツも優先順位てか、ヒエラルキーがあって、自国民、そしてサウジやカタール、そしてその他アラブ人だ。その他の他走らない。 そういえば、中東系のエアラインズは、前にも書いたが、だいたい機内持ち込み可能な動物が、犬猫鷹だ。まあ、そういえば、自分の体験記で言えば、オーストリア航空のコーヒーだね。嬉しかった。コーヒーがね。まあこれのほうがうれしいわ。セブ航空。
2015.10.15
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How can I deny my passion. 離陸90分前に空港に着いた。カウンターには、凡そ誰も並んでいなかったので、素早くチェックインなんだか、パスポートの読み取りがなくなってんだ。まあ、そんなことは、どうでもいい、要は、大半が90分前にはチェックイン済であった。いつまでにチェックインしたらいいのか、というのはないが、概ね、カットオフが40分前とか1時間前とかクラスによって違ったりとかあるが、早く来るに越したことないけど、まあ、海外で言えばやはり早朝便は緩いね、4時5時6時台は、割とゆったりしている感じを受けますね。まあ、だいたい空港に用事ない人は、個人だったら90分が目安だろうか。というか、最近はネット上で24時間前ぐらいからチェックインできるから、逆にチェックインしてるのに、ノーショー(空港に現れない)って事態も発生。そんな感じか、どんな感じだ。How can I deny my heart.目安じゃないけど、セキュリティが、15分ぐらい並びそうな長蛇の列で、並ぶと、後ろにちーっとも誰も並ばなくて、10分後にきても同じだったなと思いながらも、まあソレも運。アメリカでのドラッグテストも、運。手に変なもの塗って、検査されるのね。そういえば、オレゴンかどっかで、薬局で販売されるようになったねえ。 まあそれはどうでもいいにして、やっとセキュリティを通過すると免税店であるが、それには興味ないのだが、とにもかくにも何故か70パーセントオフ商品があり、女性向けだが、そんなに安いなら、買う、といってとにかく買う。末期資本主義である。マックスウエバーもびっくりである、か、先生のプロテスナンティズムと云々、は現在から見ると、外れですね。プロテスタントの禁欲主義が資本を蓄積させ、それをもとも経済発展させた、まあ、ひとことでいうとそいいいうことなのだが(間違っているかもしれない)、それより偶然の要素がでかかったというのが定説である。あ、定説なのか?How can I deny my Threat. イソイソとゲートに向かうと機材がイマイチな状態で、出発時間30分前なのに、まだクルーでさえ、ゲートでボーットしている、こりゃヤバイな、オレ明日仕事だからな、それも朝一、8時台にはデスクワーカーになっているはずだからな、だから、どうしろ、どうしようもないってことよ。 案の定、飛行機を代えての出発になります、ゲートもチェーンジです、出発は70分遅れです、とアナウンスがあり、移動しつつ、コレ飛ばなかったら、明日AMは休まないといけないな、どうやって会社に連絡するんだ?得意のフリーメールか?いやはや、着いたとしても関空から交通機関なくなってたらどうするのか?会社員なので、合理的判断で、1日の給料をタクシー代に使ってしまうということになるのだが、その前に、どうせ預け荷物はないから税関1番に抜けるので、ツアー客誘導みたいに、紙を用意して、「芦屋東灘灘方面お帰りの方、タクシーシェアしませんか。公共機関もうないです。」プラカード作るか、まずはそうしようと思うのであった。グッドアイデアだ。空港でやったことないけど、酔っ払って明石までいってしまったときとか、西宮終点のときとかに、長蛇の列のタクシー並ぶ中で、若い頃、何度か声掛けしたことはある。ちゃんと、セコイ奴はイッパイいて、メンバーはすぐに集まるのだ。大体、タクシー並んでいる奴ら酔っ払っているから。How can I deny my Belief.でも、今回は、シラフである。それゆえ、経済学に精通し、冷静な判断ができる奴を探さねばならない。しかし、旅行者はだいたいチャラけている。だから、ここは第2の矢を放つ。ご家族さんはワンユニットでよ、そちら3人でも1:1で対応しますよ、と。てか、1人旅の奴はほとんどいない、だから5人乗りとすれば、ガキンチョつれた奴では駄目だ、カッポー2組(それも結婚してるか同棲してる人)を的確に捕捉し、料金を3分の1にするといいのではないか、でも声掛けるときに、2人組様限定なんていうのも、これは難しいものだ、でもまあ、仕方ないな、と思案しつつ、紙とサインペンの用意をするのであった。(会社帰りに出発したので、赤の太字サインペンを持っていた。あと計算機とかメジャーとかセロテープとか爪切りとかも持っていたが、それは使用に値しなかった。単純に万年仕事カバンの中に入っているだけの法則である。)ところで、アベノミクスのことであるが、経済政策3本の矢を放つって、オイオイ、実はどれも一時的には、ぴょっと成功したに見えたけど、駄目ジャン。というか、もともと、毛利先生も行ってたでしょ、1人の矢じゃ弱いけど、3本の矢だと折れないでしょ。ってことでしょ、何で1本ずつ『出すんですか、全部折れるじゃないですか。少なくとも3本同時に放たないと意味ねえんじゃねの?多分、経済学者はそう指摘していると思うよ、経済学部出ただけの私でも思っていることなんだから。それとも、故事は関係ないのか?現実全部折れてんじゃん。(あ、調べてみたら、総務省は成功しているって書いてた。すげえな。どこが?それは言えません。とにかく景気はアゲアゲになったみたい) まあ、それはそうとして、ようやく、機内に入るのであるが、そこからが、また長く離陸までは遠い道であり、うたた寝もしながら、3冊目の本も終盤にかかりながら、雑誌も読み終えて、空港の片隅に置いてきたばかりであり、まあ、結局うにゃうにゃしながらリスケジュールのデパーチャータイムから50分遅れでの離陸である。70分の遅れとあわせて2時間の遅れである。How can I deny my thinking.その合間に、非常食の豆腐も食べるぐらいであった。 遅れであったが、機長が「とにもかくにもぶっ飛ばします」と宣言、そんな訳で2時間出発遅れを飛行機をぶっ放し、1時間10分取り戻し、関空に到着したのは50分遅れであった。どうやって4時間弱のフライトを3時間少々にしたのかは、まあ、不明であるが、ケロシン燃料を無駄にぶちまけたってことなのだろう。前に、サンフランシスコからワシントンDCもディレイして、6時間のフライトを、機長が「ぶっぱなすわよ(女性機長だった)」とアナウンスして5時間で着いたことがあるが、今回は、もっと早く飛んだのかも知れない。How can I deny my tension.ジェット気流だか、自転のせいで、アメリカ本土に行くのは早いが帰ってくるのは時間がかかる。こんなことを思い出した。戦時中、日本はアメリカ本土を空爆したことがある。アメリカでは数名死亡したらしい。それが、風船爆弾だ。ジェット気流に乗せて1万発ぐらい送ったらしいが、その後、細菌兵器まで考えてたようだが、それは実現しなかった。ジェット気流を利用したもので、日本から一方的に攻めるだけなので、アメリカでは割と恐怖だったようだ。(勿論、情報統制で、アメリカでは自国が被害を受けたことを隠していた。というか、日本人もアメリカ本土を攻撃したこと知らないよね、オレも10年か20年前までは知らなかった)。今ネットで調べたら、6人アメリカ人を殺したようである。本土に届いたのは10分の1ぐらいのようである。How can I deny my peace.まあ、それは置いといて、余裕の帰国となり、昨日買っておいた関空往復割引バスチケトを無事使って大阪に戻るのであった。帰ってからはインド料理を食べたぐらいである。
2015.10.14
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その日は、休日出勤も、平日と同じように出てきてなのである。何がなのであるかというと、仕事があまり出来ないので、仕事が溜まっているから仕方ないという面もありながら、途中イベントにも立ち会いしなければならないので。出かけるのであった。(集合時間間違えて、電話か買ってきて、ゴラア、オメエエ、どこにいるんだ、と怒られて、タクシー自腹切って飛ばして行きました物語。そのタクシー運転手が不思議な人で、オレの話が、何がおもろかったのか知らないが、ちょうどお金渡したのに、面白かったですと、300円お釣りくれた。いやいやいや、とやりとりしたが、急いでたのでもらったままに。ゴメン。) やがて、イベントも無事終了し、余り飯をちょっと頂戴しつつ、またもや会社に舞い戻るのであった。それが、何を意味するのか、単純に、まだ仕上げないといけない仕事は残っているんだぜという偽りのない証明である。偽りのないように行っておくと、五時半までに仕事を終えることができたならば、アソビに行くという心の誓いを昨日の夜な夜なプランAを立っていたのである。(プランBはないというか、まっすぐ家に帰って静かに暮らすということである) しかし、やがて悲しき5時前になり、そこで5つの仕上げるメニューのうち4つを、遂に完成し、自分の中での金の字塔を立てるはずもなく、5つ目の仕事は、アソビ中にやってもいいのではないかという判断に傾きつつあった。環境が変われば、例え、中味が仕事でも、いいじゃないか、という中年の心境の変化であった。 そこで5時からは30分程度全くの雑用処理に徹し、五時半過ぎに会社を勇ましく出るのである。ちゃんと消灯と施錠を忘れずに、カバンに5つ目の仕事書類を忍ばせるのであった。カバンのどこに忍ばせたかというと、草履とトランクスの間にである。 そんな訳で、1ヶ月前は関空に到着したのは出発50分前というハードスケジュールであったが(寝坊したからだが)、今回は余裕の1時間半前の到着である。時間的余裕は心の余裕でもある。英語で言うと平穏である。チャモロ語でいうと、ピースフルである。タイ語でいうと安寧である。古代ギリシア語でいうと、いとおかしである。まあ、どうでもいいのである、どうでもよくって、手続きを終えたら本屋に直行、雑誌は、免税店で買うべしなので、ここでは買わず、文庫本を物色である。3冊持ってきたのだが、すでに関空来るまでに1冊を消費してしまっていたのである。すなわち、それは、海外で、後に続く日本人のために蔵書する計画である。(プランCとしよう) 10分のゴールドカードラウンジでは、充電をしながら、野菜ジュースをイッキ飲みしただけで機内に乗り込み、アントマンを見る。感想、特になし。あ、感想、草々に到着してしまった。シップはランディングし、私は、乗客中堂々の1位でイミグレまで到着。風の中を走る真っ赤なポルシエか、切り立った岩場を颯爽と駆け抜けていくカモシカの如く。そこにはアドヴァンテージがあった、私が出口に一番近い座席だったという奇跡。イミグレの列に到着するときに、後ろを振り返ると2位の選手がまだ50メートルぐらい後方を走っていた。 空港からホテルに到着したからには、5つ目の仕事に取りかかなければあらない夜中であったが、雑誌読んだり、テレビを見たり、ツマミ食ったり、夜景見てぼーっとしたりで、ナンやかんやして、おまけに夜中は飲むの法則で飲んでしまったから、まあ、書類に目を通し、結果、目を通しただけ、で終わるのであった。もう明日草々に帰らないといけないのに・・・。ま、いっか。で、先日、定年退職者の方に、「毎日何をしているんですか?」って聞いたけど、今回は、オレが聞かれる番だ、「何しに来たんですか?何してんですか?」と。回答はない、ないが、何だか、行く時、機内で飛行機出発を待つ、状態に何だか不思議にワクワクした。早くいっちまいたいと。(あの世ではなく、到着のことですよ)ワクワクは大事だ。間違ったら7777に見えるぐらいなんだ。しかし、雑誌読んだら、孤独死近いな。ゴミは多い訳ではないが、他人が見たらゴミとしか思えないので丸をしたが、生ゴミはないな。あと、射光カーテンって、ドレープのカーテンないからね、1,000円のレースのカーテンだけね。収集癖って、本だけだけどね。昔読んだ、一人で死んだ人の特徴で一番ぞっとしたのが、壊れた家電が多く、冷蔵庫や扇風機が3台ぐらいあるってやつだ。これはちょと時っとしたよ。壊れた家電製品やパソコンの捨て方分からないからね。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.13
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一応、私が定年退職したのではない、まだその夢の日までは遠く激しく曲がりくねった細々道である。しかし、定年退職したら、暇じゃないのか。お祝い会には、既に定年退職された方々も何名か来られていて、ついつい、答えにくい質問をしてしまうのである。「毎日何をしているのですか」「え、毎日がシルバーウィーク」「ウマイ!」と褒め称えるものの、はぐらかされる。以前、「老人は何をしているのか」、という厳しく激しい哲学的思考を展開したことがあったが、前提は元気な老人だ。そういえば、痴呆老人は何をみているのか・・・・興味深い本だったなあ。 そういえば、父いじり、ではなく、土いじりも一つだろう。両親も戸建ての小さな庭で土いじりしまくって、野菜作ったりしているなあ。 先輩は、今は日本中をブラブラ旅行している、とのことであった。老人割引あるといっても、お金かかるものだものなあ。かといって、家にじっとしているのも、何だかなあ、という感じで、君の旅行の話の詳細をもっと聞かなければならない、と次回アポも取られ、まあじゃあ、驕られにいってあげてもいいですよ、と年金生活者を苛めてしまうのである。 思い起こせば、学生時代が終わる入社式の2日前、最後のバンコク、カオサンロードの西端の屋台の夜、チビチビとビールを飲みながら語ったのもいつのことか。「今日のような日が、次、来るのは、35年から40年後だぜ。嗚咽だぜ・・・」犯罪的な自由時間を金で勝手に謳歌した日々の終焉に、かろうじてあと2日をしがみつく。明日帰国して、単位が無事取れたか学校に確認し、明後日の入社式に出て、それから会社を辞めようが辞めまいが、何かしら年金貰うまでは食って行かなくてはならない。ゾットするぜ。20代のミックジャガーが古いインタビューで、「60歳になってもサティスファクション歌っている自分を想像するとゾッとするぜ」と答えてたことを思いながら。(年金が破綻して一生働くか、生活保護か、自殺しないといけない日が来るとはこのとき知らず)ところで、老化しつつあるったて、性格も趣味も若い頃と変わらん。それはトイモイ理論そのままだ。人生は20歳前後で、趣味の嗜好を規定する。だからおいらの年代はバルブのままであり、それに反抗した私はエセヒッピー的なままであり、好きなジャンルも増えるとしても、20代前後のジャンルが恥ずかしくなることはあっても、嫌いにはならない。あ、お祝い会の話であった。お祝い会っていっても、結局、その中では私が一番若い部類に入り、しょーちゅーをつくり続けるのボレロであった。それはそれで楽しくはないけど、イヤじゃないよ、年下だからね。氷を入れて、焼酎入れて、ホッピー混ぜずに、水の変わりにビール混ぜて、「ハイハイ、皆さん、ハッピーですよ。関東のホッピーじゃないですよ」と振舞うのみである。そして法善寺横町のバーで、マア、飲んでから帰るのである。まあ、年金の先輩に驕ってもらったので、メール入れておこう、と日記に書いておこう。 最近、オレの中で、オワコン、オワコンって叫ぶんだ、「終わったコンテンツ」のことだけど。
2015.10.12
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大学3年のときだったかな、随分間抜けなことをして、安いからと言って30日のオープンチケット(帰りの便を決めていないチケット)でフィリピンに来ていて、それは、学生時代いつもお世話になるパキスタン航空であった(いつもお世話になる成田発格安航空といえば、エジプト航空、パキスタン航空、イラク航空であった)。予約を取りに帰国の1週間前にマカティ地区にあるパキスタン航空オフィスに行くと、満席との事。なに、と私は焦り、それから1週間の間毎日パキスタン航空オフィスに毎日空席待ち詣でに参列することになったのでる。毎日ショックを受けた。これが、夏休みなら、空くまで待とうホトトギスであったのだが、履修届けを4月の第一週目までに出さないと留年してしまう。これ以上の留年はいけない。 出発前日には、泣きそうになる私をいつもの女性職員が、チケットに何かを貼った。そこには「パッセンジャーチャンス」と書かれていた。「あなた、コレもって、明日空港に行きなさい。空席があれば乗れるかも知れないから。誰か来ないかもしれないから」と言ってくれた。 私は、夕方帰り、そして、毎日のことだが、夜になると飲みに行く。まあ、飲みに行くって、学生だから、1日の予算は1,000円しかないから、そうバカ騒ぎするわけもないが、それでも、踊らないけどディスコで飲んで、バーで飲んで、屋台で飲んで、明日朝一に空港行かなあかんからな、明後日までに履修届け出さないと、1年棒に振るからな・・・。何とか誰かキャンセルして、席開けて欲しいな・・・薄れる意識の中でそう思ったのである。 目が覚めると、ちゃんと、下宿先のエマおばさんハウスに戻って来ており、時刻を確認すると、ああ、間に合わない。飛行機が離陸する時間であった。茫然とした21,22歳頃の春であった。自宅にコレクトコールで電話をした。「履修届けを明後日までに出さないといけないが、飛行機が満席で乗れなかった(寝過ごしたとはいわず)、このままでは非常にまずい状態で、大学には、一か八か、履修届けを出すのが遅れた理由を明確に詳細に書いて、大学当局と交渉するが、もし駄目な場合は・・・・あ、・・・2留だ・・・・・・ゴメン」と母に伝えた。しかもコレクトコールの料金は高そうだったので、電話は完結に30秒ぐらいで終えたと記憶する。 猛烈な二日酔いの中で復活劇を私は考えた。「お金を出してでも、日本にやっぱり帰ろう、明日帰って、そのまま空港から大学に行けば届出に間に合うかも知れない。幸い、手元には、実は、8万円ぐらいある。フィリピンに来てから40日ぐらい経過して4~5万円ぐらい使ったので、そのぐらい残っていたのである。早速旅行代理店、またこれが適当に一番近いその辺にある代理店に入った。ビシッとしたフィリピン人の女性スタッフ2人は、ヨレヨレの服を着たヒゲ面ヒッピーみたいな奴でも、冷静に対応してくれたのであった。「明日の朝一番で日本に帰りたい。とにかく空いている一番安いのをお願いできないか」と風体とは別に、エグゼクティブ的な金に糸目を問わないオーダーをしたのだが、それにも冷静に対応して頂き、 「どこもかしこも混んでいるわね・・・あ、空席1席ありました。」 「じゃあ、ソレ頼む。おいくら万円?」 「はい、ノースウエスト航空のエグゼクティブクラスです。7万円です(日本円換算)。」 「あ、ははは、すみません、片道でいいんです」 「え、片道ですよ」ガビバーンである。オレの30日期限切れ無効になった往復オープンチケットがマニラ往復で5万円ジャストだったのにである。7万円で留年阻止を買う、選択の余地はなかった。金はギリギリあった。(勿論、当時はクレジットカードなんか持ってなかったので、全財産を常に持って歩いていたという按配。パスポートと一緒にパンツの中の腰巻で。シャワー浴びるときもビニル袋に入れて浴室に持ち込んで。) そして、その夜は、最後のパーリーピーポーとなって、散財した、散財した、全財産残り1万円弱を飲みまくり驕りまくり(ってそんなことできるのか?忘れたが、多分、出来たのであろう。ビールは、バーで飲んでも100円ぐらいであったからな) 徹夜したまま、強烈な二日酔いで、草履ちゃらちゃらさせながら、空港にちゃんと民間バスで行き、エグゼクティブクラス(今で言うビジネスクラス)に似つかわしくないTシャツにビーチサンダルで乗り込み(それしか服がない。日本着いたら4月で寒くて仕方ない。勿論上着はあった。2月3月にガンバって薄着で空港まで行かないといけないからね。)、二日酔いと戦いながらも、貧乏性を発揮して、ビールをオーダーして、そして力尽き、10分ぐらいで日本に到着、そのまま大学に向かったのであった。 もうひとつは、エジプト航空の話である。 マニラ空港で待っていると、フライト情報案内表示のフラップが順繰りに回転して「デイレイ」から最終的に、またパタパタ回転して、「キャンセルド」になった。あれ?どうするねん。目の前のヒジャーブを巻いた女性の軍団(同じゴロゴロを持っていた)がぞろぞろ移動して行った。何だか10人ぐらいだけがカウンターのところに残っていて、文句を言い出した。オレも分からないが、その最後列に首を長くして様子を伺っていると、そのうち、振り替え便を手配することとなり、おれ自身格安航空だが、どさくさに紛れたのか、正当な権利だったのか今は確かめようもないが、順番に最後列に並んで、他社便に振り替えてもらった。 1980年代、今では考えられないが、エジプトやパキスタン航空がボロッいなあという飛行機と比べて、振り替えで乗ったユナイテッド航空はピカピカであった。初めて乗ったアメリカ系だったかもしれない。(以遠権の力も最近アライアンスでなくなったね。あの頃はまだ強烈にあったんだな)マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.10
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今年二月に台湾に団体旅行(私の役割は、よきにはからえ役)に行ったのだが、割と好評だったのか、あれからそのうち2人が別の人を誘って台湾に行った模様である。まあ、それは気に入ったということである。それはトイモイ博士の良き指導の賜物である。台湾、安全、親日、メシ日本人に合うといった基本に忠実なことを私が伝授したからである。もし私が口すっぱく言わなければ、きっと皆さんガイドブックやネットでその程度のことは学んでいたに違いない。(その他、他のメンバーはその後、カンプチアベトナムやタイに行った模様。オレも確か、どっかに行った気がする。)私も私でそのときに憚らず学んだことは、団体行動の威力である。移動が一人当たり安くなるばかりではなく、ぼったくろうにも、こちらは多勢、交渉相手も民主主義の数の力で蹴散らす、というか睨みを利かせるというか、最後には脅迫に打って出ることができる。昔、インドでタクシーを降りたら、20ルピー渡すと、20ドルだ、といって喧嘩になると、近くのチャイ屋や通りがかりのオッサンや前の店の店主が出てきて、寄ってたかってインド人ドライバーの味方をして、多勢に無税に負けた、いや、負けたくなかったから、隙を突いて20ルピー投げて、荷物持ったまま走って逃げた。栄光の逃亡である。何故オレが逃亡せなあかんねん、と若い俺は思ったが、今は、勇気ある撤退は一つの数少ないショボイ決断だと思っている。今まで、両替したところでピリピン人団体チンピラ客に囲まれて金を召し上げられたり、夜中にフラフラ酔っ払って鼻歌歌って踊りながら暗い道歩いていたら4人の暴漢に襲われたり(そのとき、そういうところを歩いてはいけません、と学んだが)、小船の船上で脅されたり、何人かと知り合って、ワイワイ飲んでて帰ったら金がなくなってたとか、警官に囲まれて賄賂迫られたり、警官に因縁つけられて金むしり取られそうになったり、警官に送ってもらう中で送迎費むしりとられたり、まあ、普通にそういうことがあったが、それは、考えたら俺が一人だったからというのも大きな要因である。まあ、二人や3人でも変わらないカモシレナイが、8人ぐらいになると、無敵というか、一人ひとりが無防備になる。無防備でさえ、一人で気をつけているより安全度は高いのである。それが、数の論理という、冷たい論理である。しかし、それは強い論理である。緊急出口と書かれていても出口はないのである。逃げるのみである、敵前逃亡、それは、ひとつの選択である。未来にわたり、子孫に影響がないとすれば、自分だけで終わりだとすれば、敵前逃亡は一つの選択である。歩くおみくじ。高雄で、このときはじめてみたが、それから何度か遭遇することとなる。40歳になっても発見はあるものだ。世の中の60億分の1も知らないままに死んでいくのが、もどかしい。台湾ではイギリス系の車会社がフイツトするファイアットを売っているのだ。昔は、暇で各国で映画館で地元映画を観た。今は、残念ながら旅行中は飛行機の中でしか見ない。(アメリカやヨーロッパだったら3,4本観るけど)ゲームは幸せ。寺と商売は一体。早朝には、懐かしい風景が残っている。よく見ないと日本じゃないことが分からない。よく見なくても病状の意味が分かる。桃味とかマンゴー味とか、まあ、結局オリジナルが好きということが、自分自身で判明。でもパッケージにつられて買ってしまう悲しき性。だからオリジナルを昼間から飲む淡水。夕食はよくホテルで買ってきて食べる。過剰な量。日本でも一人なら、基本、何か買ってきて家で食べる。考えたら衣食住の優先順位は低いなあ。趣味に一番金がかかっとる。優雅だな。コーヒーショップカウンターに水槽があってもいいじゃないか!そういわれると、確かにそうだ。横断歩道が斜めにかかっていてもいいじゃないか!そういわれると、確かにそうだ。日本も交差横断歩道あるからね。ブタの血スープ、食べる気なくす。クリスピー豆腐、食べてみよかな、え、臭豆腐?統合された魚のスープ、シブイ。魚のすり潰しを固めたボールってニホンにあったっけ?アジアには一般にあるけど。行った時は、多分ハイエストマウンテンオブザワールドだったと思うけど・・・あ、山じゃなかった。90階ぐらいから見る台北って意外と田舎に見えるんだよな。(2007年ドバイに抜かれるまでは1位。ブルジュハリファにも行きましたが何か) ちなみに、台湾には、まだ行きたいところがあるんだよねえ。どうせ、珍だろ、ハイそうです。
2015.10.09
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チェックアウトしてからの粗筋・・・懐かしのパサイのエデサ周辺ルトンダからLRTに乗り、マッサルジを終える。サテ、次のマッサージに行くかと思ったが、まあ、少しは散歩である。小雨も降ってきたので、雨宿りしながらもズンズン進む。まずは、フィリピン人博物館(The Museum of the Filipino People)だ!なんだそれは、名前だけで行くことにする。確かに日本にも日本人博物館はない。アメリカに日系人博物館はあるようだが、まあ、内容は概ね想像できる。フィリピン人博物館って、フィリピン人が展示されているのだろうか。そんなわけないやろ、とトボトボ道路際を歩いて行く。休みであった。警備の人が、申し訳なさそうな顔をした。フィリピン人はどこからやってきて、どこへ行くのか、いやいや、これはナニジンにも共通する歴史と課題である。更に突き抜けていくと、パッシグ川である。ひとことでいうと、酔いそうになるというか、緑の生き物がなまこのような動きをしていて、気持ち悪いのだが、こそばいのだか・・・。川沿いを上がっていき、橋を渡る。プーンと臭う泥の川で、子供たちが飛び込んで遊んでいた。橋を越えるとチャイナタウンであった。キアポ地区である。ジプニーでは、キアポ行きを良く見かけたが、ここも今回初めて訪ねたエリアである。思い出すのである、ジプニーの客引きが、助手席から、道に向かって、「キアポ、キャポ、キアポー」と叫ぶ姿を。中国系いっぱい、とおもいきや、マレー系もいっぱい。そいうえば、この前のペルーのチャイナタウンも中国系ほとんどみなかったなあ。コスタリカのチャイナタウンも見なかったなあ。サンフランシスコの日本人街も日本人ほとんど見なかったなあ。キアポ教会に勝手に到る。あ、サンタクルス教会だった。しまった、キアポには、ナイスプレイスがあった。さて、振り出しに戻っていくのである。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.08
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朝食を終えて12時までの1時間という貴重な時間帯を漠然とテレビを見ながら、ネット検索しながら、これからどこに行くべきか検討、というか、10時間も物価の高い国なら頑張って歩き続けるが、まずは、マッサージだ。お、なんちゃってタイマッサージ、スエーデンマッサージが集中しているエリアがあることが判明、ロビンソンデパートの前のボコボ通りにある。それも、1時間750円だ。2、3回は行けそうだ。と総合的判断、というか、あとの時間どうするねん、ということだが、まあそれは、歩きながらではネット環境ないので、GPSでスマートフォンで地図見ながら考えよう、と肉体言語の炸裂しない優雅な時間帯。まあ、とりあえず、チェックアウトということに決定、あ、何も決定してない。時代は変わったねえ。ぼやぼやしていると、12時5分前となり、部屋を出た瞬間に電話が鳴っていたが、多分、チェックアウトの時間だけど何ヤッテンネンカスっ!という電話だったのであろうが、もう廊下だったので、無視してフロントに向かう。 チェックアウトしたあとは、荷物もないので、(正確にはある。手提げ袋が)預けることなく、歩き出す。腹ごしらえか、いや、1時間半前に食べたばかりだから、何も腹減ってない。とにかく、ロビンソンデパートに行くのである。でも歩いて行くには4駅ぐらい離れているのでタクシーかと思いきや、まあ久しぶりのLRTに乗ることに決定、エディサ駅まで行く。エディサ駅周辺には、かつての定宿(民家だけど)、エマおばさんの家があった。タダで泊めてもらうけど、飯はないし、私が電気代を払ったりする。時々、食べ物を買って帰ったり、その家のガキ共にビールを買いにいかせて、お駄賃と、おまいら好きな飲み物買え、と命令する。そして、小学校の卒業式に何故か出席するはめに。エディサ駅近くのルトンダはそういう地域であった。そのころの様子。そんでもってチケット買おうとすると何だか長蛇の列、それも半端ないぐらいである。30分以上は待ちそうな勢いである。きっとデパートのオープンだと思って、無視して一番先頭にまで行くと、あれ、切符売り場?オレは悪いことをした、そのまま、300人ぐらいは抜かして、切符を購入したのである。なんでしょうか?と分からぬフリをしながら、皆さんもこの人ガイコツジンだからよく分かってないね~仕方ないね~という顔をしながら。自動販売機は順調に故障したままで、電車はどんどん来るので、ホームには人がごったがえしているわけではないのがおかしい。実はLRT初めて乗ったとき新しかった。1984年開通だったんで1年たってなかったんだ。割高で空いてて(オレには安かったけど)、みんな座りたいから席がイッパイなら次の電車待っていた。だからいつもがらがらで、立っているのはすぐに来た電車に乗ったオレだけ、みたいな状況であった。知っているか?1950年代、戦後ではあるが、日本より経済発展していたのだ。1960年代では、まだ韓国より経済発展していたのだ。そしてアジアの病人になってしまい、オレの1980年代1990年代は、インドネシアとどん底を競う始末になった。しかし、今は、また政庁をはじめているようで、交通インフラ整備が割と要になっていると聞く。聞くというか、まあ、調べたらそのようだ。そんでもって、久しぶりのLRTに乗り、ペドロギルで降りる。お、やっぱり乗ろうとする人で並んでいるなあ。そういえば、学生時代、どうやってジプニーあんなに乗りこなしてたんだろう。駅を降りてからは、海に向かって歩き出し、デパートで涼んでから、マッサージ屋を探す。このあたりに来るとハングルが目立つ、が、もはや景気悪化のカンコクジンあまり来ないのか、見かけない。というか日本人も見かけないな。昼間は皆、寝てるのか。雰囲気や仕草で、フィリピン人は、日本人か韓国人か分かるようであり、マッサージのおばちゃんも、日本人か、と即当てた。韓国人じゃなくってよかったよ、と。何ガだ?それにはニヤニコあやふやに。それはどうでもいいが、1時間はあっとうう間であった。750円にチップ250円。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.07
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踏み切り、萌え。(京都。大山崎)渦潮萌え。(鳴門)都会の夕景、萌え(大阪)紅葉、萌え(神戸、六甲山森林公園)定番、浅草萌え。それぞれのお菓子、萌え。四国、かずら橋、萌え。ロングアンドワインディングロード、萌え(北海道)錦鯉、萌え。新潟でしょ。万国共通の夕日、萌え萌えないけど、神戸。水蒸気、萌え。危ない感じがいいんでしょ。どこだろ。トマソン萌え。どこの国に行っても、なんだこれは?には興味深々。看板萌え(大阪、生野区)日本家屋みたいなの、萌え。キッチュ、萌え。(のじりこ)祭りの男に、萌え。働くリーマンに、萌え。(モデルは、オレの大学の後輩)団地、萌え。(大阪、新金岡)軍艦、萌え。(京都、日本海側)湖もえ。(秋田)山側から見た都会の夕景、萌え(大阪)山下公園コソコソ萌え。(横ハマ)準備中が萌え(神戸)namahage moe(akita)伝統文化に、萌え。男鹿半島でしょ。なまはげでしょ。統一感のない汚い看板、浅草萌え。(京都駅前)桜、萌え(大阪)ゲームセンター、萌え(割と受けるらしいよ)イチョウ、萌え。(大阪)何気ないチープ灯篭、萌え。(東大阪)Qーピー萌え。萌え、るかな・・・・(新潟)。Jigoku 萌え(大分)ロータス、萌え。てか、これはアジア全般だね、ブッダとセット。日本家屋みたいなの、萌え。湿原に、萌え。(釧路)屋形船、萌え。(大阪、大川)石、萌え、(宮崎)まあ、そんな感じじゃね?あ、間違ってるか。マリモ、萌え。(ほんまか?)苔、萌え。(九州)senntakuiwa (miyazaki)萌えてみたものの、どこやこれ。
2015.10.06
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の続きである。映画では、ヒット作がでると、無難なところですぐに続編を作ってそこそこ稼ぐ、安心してみてもらう、大きなヒットは狙わないが、大コケもしなさそうということで、パート2,3と安易に作成されていくが、それと同様である。というか、1作目のガイコツ人旅行者増えた報告は別にヒットしてなかったわ。まあ、おもてなし効果がヒットしたからではなく、円安と、クチコミ(旅行者のブログやつぶやき、トピップアドヴァイザーなどのサイト)で広まっていう部分が大きいといえよう。< 最近、外人が再発見したので有名なところでは、地獄谷のサルの温泉や、広島の大久野島(昔の毒ガス工場)のうさぎの大群が有名だが、五所川原の地吹雪体験(雪のない台湾とかから人気)とか谷根千(谷中・根津・千駄木)とか有名ね。地獄谷の成功例。 オレも学生時代だったら、日本のバックパッカー向け安宿に泊まってただろうなあ。特に成田にいくときなんか。 安宿ゆううたら、まあ、アジアはさくっと出てくるわ、お世話になったわ、だよな、バンコクのカオサンロード、インドカルカッタのサダルストリート、デリーのパハールガンジ、カトマンドゥのタメル、香港のネイザンロードてかチョンキンマンション、シンガポールのゲイラン(昔ベンクーレン)、ジャカルタはジャクサ、バリはクタビーチ、ペナンはチュリア、クアラルンプールはプタリン・・・ちなみに、日本人宿ってのが世界中にあって、そんなまとめたサイトもあった。どこもお世話になってないけど。 まあ、それはいいのだが、本題はそれているので、戻すとすれば、ここ10年でガイコツジン数は2倍も観光に訪れ、リピーターも増えて、個人旅行も多くてリクエストが増えているとの事で、もう新宿ゴールデン街や思いで横丁、浅草ホッピー通りは外人でいっぱいだとのこと、知らんけど。最近は有楽町新橋間のガード下(オレも行ってのだ事アルけど)とかに、そぞろ出かけているらしい。何だか、ラーメンの食べ歩きとか、文房具やハギレの収集だとかマニアックな方向にも進みそうだ、みたいなことらしい。 観光収入は、世界で見るとサービス業の3割を占め、輸出で見ると自動車、食品の次にくるらしいので、これを期になんとかして欲しいものであると、適当に茶を濁す。知りたい情報は、行き方、相場、そのあたりじゃないか?
2015.10.05
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私が私である頃、久しぶりに、休日となり、こうなったら徹底的に家から出ないぞ、と、数ヶ月ぶりぐらいに、家から出ずに気楽に過ごしたという状態。 結婚します、私がではない。そう連絡があり、最近は葬式のほうが多いので、結婚式は、2006年上智大学卒の知り合いではなく、2009年取引先の人でもなく、ガリバー先輩の場合ではなく、2010年自閉症後輩以来(彼は2回目)なので、何年ぶりかというと、実に5年ぶりである、多分。その前に、来月、東京まで見舞いに行く。大学の4年後輩で、ガンで、会うのはこれが最後になる。もともと4年離れているので、そう親しい訳ではなく10数年前に会ったきりであったが、何て声をかけたらいいのだろうか。昨日6ヶ月の定期券を買ったが、駅を変えたので、イコカは2枚つくれませんといわれ、磁気のカードを作ってもらい、今のイコカの定期券が切れたらソレに乗せることができると言う話であった。しまった、結婚して引越しするんだったら、6ヶ月も定期券買う必要なかった、あ、オレじゃなかった。 久しぶりに、昼寝までしてしまった優雅な昼間であった。普段であれば、仕事をしているふりをしているか、どこかに向かってダッシュしている時間帯である。寝転んで本を読んでいると、よく寝たはずだが、気を失ってしまったようである。 今日は、いちにちだらだらして忙しかったのであった。おわり。
2015.10.04
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ホセ・リサールを知ってるかい?オレは、もう30年ぐらい前から知ってるぜ。フィリピンの国民的英雄で、紙幣にもなってんだぜ。あと、フィリピンの英雄はラプラプだ。魚の魚の名前ではない。ラプラプは、スペイン方面からやって来て現地人を殺害したりおかしたりする残虐なマゼランをぶっころした。命からがら部下は逃走し、気がつけば世界一周してしまってた。リサール公園には、25円の入場料が別途必要な公園の中にコンクリー動物公園がある。それから、ピリピン地図の池もある。俯瞰できるのはLRT(近郊高架鉄道)の車内からである(乗ってて発見して、やってきた)ルソン島北部ミンドロマニラセブスールー諸島ミンダナオマニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.03
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フィリピンには、残念ながら、洗練された宮廷料理がない。だから、他の東南アジアや韓国中国に比べて、ウマイってのが、なかなかない。スペインや中国、一部アメリカの影響を受けており、純粋なフィリピン料理って、ないのではないか。但し、全てフィリピン風味になっており、スペイン料理どこが?という感じである。イメージは、インディカ米に、汁付きの肉や魚を添えたり、上からかける、乗せると言った感じである。割と手でも食べるが、スプーンとフォークがメインである、スプーンはナイフ代わりとなる。肉は豚肉が一番えらく、そしてアヒル、鶏となり、牛はいまいちであり、タガログ語でも、牛のことを「バカ」という。関係ないか。タガログ語で「バカ」は「ガグー」である。 学生時代、フィリピンのマニラだけは、どこか誰かの民家に泊まるのが普通だったので、家庭料理を何十回も食べているが、それが何なのか、よう覚えていないというか、見ただけでシンプルすぎてそれが何なのか分かるのである。ただ調味料はよく分からないが、フィリピン全土を微かに覆う臭いはバゴーンかもしれない。全体を覆うということは、ちゃんと臭くないといけないということだ。確か、マンゴーにもちょこっと乗せたりなんかして食べるような気がする。 まあ、そんな感じで沖縄って、突然ですが、東南アジア圏だなあと思う。チャンプルだからね。ほんまに距離にしてもそう、関西から沖縄まで2時間だから、台湾上海1時間、フィリピンも香港も2時間、バンコクも4時間、多分ホーチミンで3時間てとこじゃない?考えたら、考えなくてもだけど、バンコクからビルマのラングーン、ラオスのヴィエンチャン、カンボジアのプノンペンは1時間なのに、シンガポールまでは2時間以上なんだねえ。遠いなあ。 まあ、てな訳で、ベロンビルンに酔ってホテルに戻ってからは、先ほどコンビニで買ったビールを空けるがひとつはフルーツテイスト、おれこれきらい。 それにしても、サンミゲルを現地で飲んだ18歳、その美味さに感動した記憶をまだ持っている。これ、ムッチャ美味いな。飲んだあとでつぶやいたぐらいだ。まあ、雰囲気に飲まれてただけだけど。ホテルの朝食が、マレに見る充実度で喜んだ。2日酔いもまあ、我慢だ。にんにくいりおかゆルーガウと味噌汁とクリームスープとコーヒーとオレンジジュースで液体を採りまくり、調理場でオムレツを作ってもらい、寿司やパスタや豆などをちょっとずつだけ集め、食う。朝食は10時半までで、起きたのが10時だったので急いで食べに行ったが、店じまいはたんたんと、もうおわっていいかい?と聞きに回られたぐらいだ。満腹なので、12時のチェックアウト5分前まで、部屋に戻り、まあ休憩とうかウトウトする。まるでボケ老人である。そこから次に飯をくったのが8時間後ぐらいであったと記憶する。まずはビール、フィリピンでは、冷えていないビールに氷を出すことしばし。他人が食べているのを見て、小声であれと同じの、といってオーダー。勿論ビールは2本目。そして、完食したあと、更にビールを追加注文、満腹になると割と暇になってきて、少し困りながらも、更にビールを追加注文。フィリピンはビールの値段が100円とか200円とかなので、意味なく財布との相談もなしに、じゃんじゃん追加注文してしまうのが、悪い癖である。昔はそうやって、何人かで飲んでいて、床にケースを置いておき、飲んでいくたびにケースに空ボトルを入れていくのである。ケース全体が空ボトルでいっぱいになると、まあまあお開きのヘベレケとなるのであった。気がつけば、3人のエリートオカマに囲まれ、酔えるどころではなくなっていた、という状態もあった。お釜行為はできないが、お釜は本当に楽しい。割とただのお付き合いとして私との親和性が高いというか、芸術肌とか天才系にお釜多いので、刺激になるのである。そういえば、そのときの一人がパイロットで、フィリピンの空港税高いだろ、これで払ってよ、と空港税相当分のお金をくれようとしたが、いえいえ、と経済的な旅行してますが、お金ありますからと固辞したな。さすが、18歳でも固辞できる人間だったのだる、エッヘン。それを理由に掘られたらエラいことになるのである、エッヘン。 そんな訳で、学生時代は、フィリピン以外の国ではビールが高いので、飲むことはタマにしかなかったのであるが、フィリピンだけは、連日連夜のビール三昧、屋台で買えば1本35円だったので、どんな飲むねんというほど、飲んで、帰国時には白目が黄色になっていた程だ。 まあ、そういう訳で、2リットルのビールを飲み、そのまま前の道に出て、タクシーを拾った。「空港まで」空港に到着し、ビールを購入、おお、空港なのに100円、安いね、ちょとだけ感動した。それで、グアムに早朝着いて、朝の6時からビールって、え、5.75ドル?昨年5ドルやったやん、それに、今1ドル120円やん、高っ!しまった買ってもたやん。今回、唯一のお土産はポルボロンである、スペインのお菓子である。食感は、味は違うがちんすこうである。粉末が口の中に広がりますよー。という感じである。クッキーの粉末を固めましたよ、という感じで、割とアジア人は食べないが、ヨーロッパ人は好きなである。なんとなく、間違いかも知れないが、時々オランダとかででも見かけたような気がするのである。とにかく、オレは、急にそのことを空港に向かう前に思い出して、とにかく、その辺の人に、「ポルボルンどこでかえるのだ、どんなだ」と聞き、コンビニででも売っているよ、とか聞きだし、それも"goldilocks"に行けということであった。まあ、行く時間ないケド、帰る時間しか。 こりゃフィリピン名物やで、と思ってニヤニコ、時間がないので空港で500円も出して買ったら、そのあとのグアムでも販売。グアムのセキュリティの横にフィリピン料理のフードコートがあって、そこにたまに置いてあるのである。グアムとかパラオってフィリピン人が多く、チャモロ料理って、フィリピン料理ぽいのだ。ま、そんな感じで、ポルンボルンのこと、わざわざ紙に書いてもらいましたよ、と。楽しいね。マニラ グアム 出発1(リンク) 出発1(リンク) 出発2(リンク) マニラ到着(リンク) マニラアキノ空港1(リンク) マニラアキノ空港2(リンク) バロット(リンク) チェックアウト10時、フライト22時1(リンク) チェックアウト10時、フライト22時2(リンク) リサール公園(リンク) マニラgourmetの旅(リンク) マニラまとめ(リンク) グアムニュース(リンク) グアム何しに1(リンク) グアム何しに2(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) グアムgourmetの旅(リンク) 帰国へ(リンク) 1(リンク) 2(リンク)
2015.10.02
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オロとは黄金のことか。ということは、フィリピンのミンダナオ島のカガヤン=デ=オロは黄金のカガヤンか。何だか、懐かしいな。その他、銅、白金、銀てか・・。まあ、いいんだけど、4階建ての建物にびっしり黄金を満載したギャルリー。しかし、世の中、どれだけ黄金博物館あるねん、世界の金の総量は、25メートルプール2杯分ぐらいじゃなかったっけ?お、台湾の九イ分の近くにもあるやないか。まあ、九分への個人的な行き方あんまり知らんけどな。人数おったら知ってるけど。輩に声かけられるのを待つの法則だ。ペルーにもあるよ。個人宅みたいけど、いかなかったよ、黄金伝説、言葉は魅力的だけど、ソレが何だということだよね、いや、それは、チャンピオンなのである。オレの黄金時代、そやなあ、忘れたなあ、ってか、そんなんないなあ。ああ、あったあった。高校の時のなんかの試験だ。全国模試みたいなやつ、あれで数学で確率も問題の難問で、答えは1/2と覚えているのだけど、最後行き詰って、どうしようかと思ってたら、ふと閃いて、式を微分してみたんだ。そしたら式が解けた。嬉しかったなあ。何でも今も覚えているんだろう。後日先生が50分の授業で解説していたが、これができたのは私だけだったと先生が言ったが、何故確率も問題で微分するのか、分からなかった。先生も、最後に、「ここは、式を微分するんです」と言ったが、確率の問題で今まで一度も微分なんかしたことないのに、先生も唐突だなと思った。私もセンスが閃いただけで、何故確率の問題に微分でてくんだ?と分からなかった。ずっと分からないままに30年ぐらい経過した。数学は、好きだったが、実は、あれも経験なのだ、どれだけ問題を精密に解いて、その類似を探るかであった。もう、今は、数学のスも忘れてしまったが、類似問題をどれだけ引っ張ってくるか、センスというより経験だったのかも知れないな。いやはや、いろんなことを忘れてしまって、恐縮なのだが、本当は貧乏でもないのに、貧乏旅行してて、よくも昔、あんなにわけの分からない交通公共機関利用して移動したなと思う。マニラのジプニーやバンコクとかソウルとかカルカッタとか市内のバスとかどうやて路線知ってたんだろう、いや知らないか、地図と、聞いて聞いて乗ってたんだな。たぶン。今はバンコクもソウルも地下鉄類が分かり易くなったし、もう、それよりすぐタクシーである。あ、黄金伝説の話だった。ギャラリーのカフェ行くかと思ったが、注文に列ができてたので、すんなりやめる。1995夏南米 出発(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) ペルー リマの夜 ペルー リマ ラインキシオン宮殿(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内1(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内2(リンク) ペルー リマ 世界遺産観光案内3(リンク) ペルー→ボリビア(リンク) ボリビア ラパス 干しミイラ(リンク) ボリビア女子プロ(リンク) ボリビア デスロード(リンク) ボリビア ウユニ塩湖(リンク) ボリビア ラパス世界一標高が高い首都(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ1(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ2(リンク) ボリビア ラパスミテレフィリコ3(リンク) ボリビア ラパス正しい観光案内(リンク) ボリビア ラパス終了(リンク) ボリビア→コロンビア(リンク) コロンビア ボコタ到着(リンク) 親日コロンビア (リンク) コロンビア ボコタの印象(リンク) コロンビア人(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ1(リンク) コロンビア ボコタ フェルナンドボテロ2(リンク) コロンビア ボコタ シモンボリバル(リンク) コロンビア ボコタのなんだこりゃ(リンク) コロンビア ボコタ正しい観光案内(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館1(リンク) コロンビア ボコタ 黄金博物館2(リンク) 南米gourmetの旅(リンク) 米国便(リンク) コロンビア→日本(リンク) インカへの道(リンク) 正しい帰国(リンク) 今回の移動一覧(リンク)
2015.10.01
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