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古代ユダヤ教を読んでいたんだが、理解するのが難しいこともあり、改めて読み直すことにして、今回は、マックス・ヴェーバーの代表作ともいうべきこの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んだ。 なぜ、資本主義が、西ヨーロッパにおいて初めて生まれたのかを解き明かした1冊。 自分が高校生時代に学んだ世界史を思い出すと、資本主義が生まれたのは、西ヨーロッパであり、商業の発展による富の蓄積から資本家が生まれ、科学の進歩による技術革新などにより産業革命が起こり、産業のあり方が、農業→工業という形で大きく変化した結果、農民が労働者に転じていくことによって、資本主義が成立していったという感じで習った記憶がある。 学校で習う世界史というものが、ヨーロッパ中心主義的なものであり、今も昔も圧倒的に欧米からの情報流入が多く、自然と欧米フィルターを身にまとうことになるために、疑問に思うこともなかった。 しかし、考えてみれば、世界三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷)も純粋に西ヨーロッパのみで生まれたわけではなく、中国などからのものを発展させたといっていいだろうし、清朝の全盛期には、世界の富は清朝に集まっていたわけだし、小室先生のイスラム原論にも、ブルボン王朝全盛期のベルサイユ宮殿を訪れたオスマントルコの外交官は、その宮殿の案内が終わった後に、この程度の広さですかと、まったく驚きもしなかったということからも、富の蓄積から言えば、中東も中国も西ヨーロッパを圧倒していたわけだし、科学技術も進んでいた時期があったわけだから、資本主義が生まれてもいいはずが、生まれなかった。 なぜ、西ヨーロッパで生まれたのか?西ヨーロッパにあって、中東や中国にはないもの、それはキリスト教であり、その中でもプロテスタンティズム、特に、カルヴァンの予定説、そしてその影響を強く受けたイギリスのピューリタンの経済倫理が、その生誕に大きな役割りを果たしたこと(唯一という意味ではないが、とても大きな役割りを、宗教改革者が、ピューリタンが、願っていたわけではない結果として)が説かれている。 ウェーバーの考察は、その当時の近代的企業における資本所有や経営、高級労働にかかわりを持つプロテスタントの数が、カトリックの数よりも相対的に多いというところから、資本主義の成立・資本主義の精神の誕生にプロテスタンティズムが大きく関わっているのではないかと睨み、論証を重ねていく。 プロテスタントの海の親ともいうべきルターは、聖書をドイツ語に翻訳する際に使った「Beruf(英語ではCalling 日本語では天職)」という言葉を使った。この「Beruf」には、職業という意味だけでなく、神からの使命という意味も込められており、日常の労働は、神の使命を果たすという大きな意味を与える契機となる。このBerufを発展させるのが、カルヴァンである。 カルヴァンといえば、予定説である。予定説とは、神に救済されるものは予め定まっている。善行を積もうとも、寄進しようとも、教会に行こうとも救われる救われないは関係ないというものである。信者は、この教えにより、救われるための一斉の呪術的なものから解放されることになり、合理的精神が育っていくことになる。ただし、それゆえに信者は、自分は本当に救われるのだろうかという大きな不安に襲われることになる(カルヴァン自身は、自分は神の「武器」であると感じているため、救われる存在であることを確信しているからいいわけだが、そこまで思えない信徒にとっては大きな問題)。 この「救いの確証」は、予定説という教えに出会うこと自体が、自ら選ばれている存在であると考え、絶え間なく神からの使命である職業労働(Beruf)に打ち込み自己確信することによって得られるのである。働くことは、生活のためや、裕福になるためという理由ではなく、救われる存在であるという証拠を得るために、毎日他のことを置いて(労働以外は誘惑)働くという禁欲を伴う労働観念=天職観念が生まれるのである。そしてこの天職観念をもっとも首尾一貫して受け継いだのが、イギリスのカルヴァン派で、のちにアメリカに渡るピューリタンである。ピューリタンは、富裕になることを目的に働くことを排斥していたが、神の使命を果たすために(神の栄光を増すために)働いた結果として富を得ることは否定しなかった。そして奢侈的な消費を許さなかった。その結果、富の蓄積が起こることとなる。そして蓄えられた富は、奢侈的な消費ができないので、神の栄光を増すために、投下資本として使われ、またそれにより富が得られるという結果が繰り返される。まさに資本が利潤や余剰価値を生み出す社会システム=資本主義につながっていくのである。 しかし、誰しも金持ちになると、奢侈的な使い方をしたくなるものであり、その財という巨大な誘惑に負ける形になり、信仰が薄れていくと、営利活動が、神の栄光を増すためというような宗教的であり、そして奢侈的な消費を認めない倫理的な意味が薄れ、富自体を追い求める競争的な勘定に結びついたり、スポーツ的な色彩を帯びるようなものになる。富の追求が目的化されてしまうことになるのである。結果、禁欲的プロテスタンティズムの影響から生まれでた資本主義の精神が変容し、これまでは宗教により培われた倫理観から形成された資本主義の精神が、今では、禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が薄れた富の追求を合目的化する資本主義が、鉄のおりの様に強力で、逃れ得ない力を振ることになってしまった。 カルヴァンは、富のために宗教改革をしたわけではない。ピューリタンも富追求のために、厳格な規律をもって、神の使命たる天職に打ち込んだわけではないが、その結果からもたらされる富の大きな誘惑により、はからずも、マックス。ヴェーバーのときも、そして今も宗教的・倫理的な意味がなくなった資本主義が、世を覆うことになってしまったということで、ヴェーバーもこの力は、化石燃料の最後の一片が燃え尽きるまで、人々の生活スタイルを決定し続けるだろうと説いている。 正直、注釈も多くて、読むのが結構骨が折れるが、とても勉強になる1冊だった。ただこの本を読んで、こういったことを、よりわかりやすく説いてくれる小室直樹先生ってすごいと思った。 大変だけど、資本主義って、どうやって生まれたんだろうというのを単なる事象面でなく、もっと深い面で知りたい人には、ぜひ読んでほしい1冊だ。プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神著:マックス・ヴェーバー 訳:大塚久雄岩波文庫 定価:800円+税1989年1月17日 改訳第1刷発行 2002年6月25日第32刷発行 エビケンの活動記録は、こちら
2006年06月20日
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マックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」を読み始めたわけだが、とても苦戦している。いろいろと人名が出てくるのだが、相関関係や、先後関係などが分からなくて、それゆえに???になってしまっている。こういった事態に至った理由は、ユダヤ教やユダヤ人の歴史に関して、あまりにも知識がないためだということだと痛感して、いったん中止して、まずは、その理解をと思い、副読本的に読んだ1冊。 宗教法典(タルムード、シュルハン・アルフ)やイスラエル政府が定めた帰還法のユダヤ人の定義によると 1.ユダヤ人の母親から生まれた者(宗教法典と帰還法の定義) 2.ユダヤ教に改宗した者で、他の宗教に帰依していない者(帰還法のみ)とあるように、母系を重視する。ちなみにユダヤ教への改宗は、日本の多くの新興宗教のように簡単に行えるものではなく、さまざまな手続きを経て、そして男性であれば割礼を受け、ようやくできるものなんだそうだ。 旧約聖書を唯一の聖典とし、その旧約とは、モーセがエジプトで奴隷として虐げられていた民族を、エジプトから脱出に導き、シナイ山の山ろくでモーゼが唯一神ヤーウェとの間に結んだ契約を指し、キリスト教の新約聖書は、イエスによる新たなる契約ということになるんだそうだが、実は、このイエスの存在が、キリスト教世界で、ユダヤ人への迫害に向かわせることになるのである。なぜなら、ユダヤ人が、イエスを断罪(磔刑)からだ。自分が高校時代に世界史を学んだときは、ユダヤ人がイエスを処刑したという習い方ではなく、ローマ帝国の総督ピラトが処刑したと習った記憶があるのだが、ピラトは処刑する気はなく、むしろ大赦の際に、これといった罪が見当たらなかったイエスを釈放したいと考えていた。しかし、民衆はそれを望まず、処刑を強く望んだ。それにより、イエスは処刑されることとなる。この事実が、キリスト教世界におけるユダヤ人迫害を生み出した大きな原因になっているのだ。 シオニズム運動やイスラエル建国についても、単純にパレスチナの地に戻ることと思っていたが、シオニズム運動の当初では、パレスチナに限らず、キプロス・エジプト国境のエルアリシュ・ウガンダの案もあったが、エジプト政府の反対や、多くのシオニストの反対によって、最終的にパレスチナ路線を堅持したことや、ユダヤ人国家建設については、日本が満州においてユダヤ人国家建設を考えていたことも改めて知った。そして建国に際しては、さまざまな思惑が入り組んでおり、今やイスラエルは、中東の親米国だが、もともとはスターリンのソ連が、イスラエルが社会主義国になる可能性があったことや、ドイツなどのファシスト国家との対抗から、反ユダヤ政策から、ユダヤ支援に切り替えていたことや、逆に英米はユダヤ人国家建設については反対していたことなどは、歴史の皮肉を感じさせられる。 今の中東情勢からは、信じられないことだが、当初は、アラブ側も帰還を歓迎していたことが、アラブ人のエミル・ファイサルやヨルダンのフセイン国王は、むしろ歓迎していた。また旧約聖書にもユダヤ人とアラブ人が異母兄弟であるとも書かれていたのである。それが、当時中東支配をもくろんでいたイギリスが、アラブとユダヤの反欧米主義的な国家が生まれることに危機感を感じ、分割統治による外交が、お互いを反目させた結果、今のような中東情勢を生み出しているのである。まさにヨーロッパ列強の帝国主義・植民地主義の徒花といっていいだろう。 この本を読みながら、中東の情勢において、日本は審判のような立場で関わることができるんではないだろうかと思っている。ヨーロッパはキリスト教世界であり、今は以前ほどではないが、そういってもユダヤ人によってキリストが断罪されたという思いが強くなれば、ユダヤ人とは相容れないという状態になる恐れがある。イスラム教世界とユダヤ人は中東情勢で分かるとおり、完全な対立関係にある。キリスト教とイスラム教も、アメリカのブッシュ政権のこれまでの外交姿勢もあって、かなり悪い関係にある。そういった意味では、どの一神教世界にも属していない日本は、第三者的な立場として審判を務めることができるのではないだろうか?審判は中立な立場でなければいけないから、3つの世界に属さない日本には最適な役割りなんではないだろうか。面白いほどよくわかるユダヤ世界のすべて著者:中見利男 発行所:日本文芸社平成15年4月25日第1刷 平成17年8月25日改訂第1版5刷定価:1,300円+税エビケンの活動日記は、こちら
2006年06月04日
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