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越前SR @ Re:水晶の湯 運転会(12/02) 高岡 富美男さんへ こんばんは、来年もよ…
高岡 富美男@ 水晶の湯 運転会 昨日の運転会、ご一緒させていただきあり…
越前SR @ Re[1]:新型車検証(12/01) Tabitotetsukitiさんへ おはようございま…
Tabitotetsukiti @ Re:新型車検証(12/01) こんにちは😃 時代は変わるものですね。
越前SR @ Re[1]:インターナショナル・ブガッティミーティング2025(11/26) やすじ2004さんへ こんばんは、この時期、…
やすじ2004 @ Re:インターナショナル・ブガッティミーティング2025(11/26) こんにちは!! 11月も残りわずか。季節の…
Tabitotetsukiti @ Re:シライハウス jazzBer(11/22) おはようございます🌞 ジャズを聞きながら…
越前SR @ Re[1]:シライハウス jazzBer(11/22) 情報ありがとうございます(AJ)さんへ こ…
情報ありがとうございます(AJ)@ Re:シライハウス jazzBer(11/22) 2025年末まで翌日が祭日の木曜日が無いよ…
越前・・@ @@@ Tabitotetsukitiさんへ こんにちは、こち…

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2004年01月14日
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大正11年、16歳の本田宗一郎は上京し自動車修理業「アート商会」に見習いとして入社したのは良くご存知のはず。

この時期、全国から小学校卒業後(16歳)上京し、自動車会社に見習いとして入社した青年は多い、特に福井県から上京した青年が多い。
福井に帰って自動車業を始め、前日日記の自動車草創期の聞き取り調査で思い出を残している。
これを読んでいると、本田宗一郎とダブル。大正11年東京に来て本田は自動車の多さに驚く。大正7年上京した本県の菱川氏はヤナセに入社、当時、東京でもタクシーは滅多に走っていなかったと書いている。ヤナセでの自動車修理は部品は何も無いので自作するだけ、パッキングも段ボールをハサミで切って作った。スプリングが折れても、自分で焼入れし作ったらしい。

この話で思い出すのは、本田宗一郎の神話に近い修理技術だ、レースの途中でスプリングが折れてリタイヤかと考えた時、社長がガスバーナーと墨(炭素)で修理したなどの話、若い時に何度も修理していたので過熱の炎で炭素含有量と強度が読めた。
これを見ていた若い社員が「神がかり」と思ったのも、うなずける。
当時の修理工は酸素バーナーと旋盤を使って部品を作った。

同時期、上京した福井の時松氏も自動車会社に見習いとして入り、大正11年、石川県知事公用車の運転手として月給100円で雇われる。当時の校長、警察署長が60円の月給の時、20前後の修理工が100円の月給だった。

運転できるだけで女性にはムチャクチャもてた時代だった。今のパイロット以上だったらし、本田宗一郎の時代がかった芸者遊びもこの時代の自動車関係者なら当然だったのかも。






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Last updated  2004年10月18日 20時14分02秒
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