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寒い日が続くのでT360には乗っていない。
T360ネタが無いので、上記、長ったらしい名前の法案を。(簡単に)
T360はこの法案があったから生まれた。
この法案は貿易自由化に対抗するために準備された。
この法案のために10の分科会が発足、自動車では
「乗用車小委員会」と「特別小委員会」が下部組織として設けられた。
乗用車委員会は昭和37年2月発足、特別小委員会はメーカー代表
で組織され37年10月発足しているが、
ホンダはまだ4輪車を生産していないので「特小委員会」に入れなかった。
(この流れで行くと、ホンダの4輪車発売は寸刻を争うので
「T360開発・発売が最優先された」は納得できる)
ホンダがT360とS360発表、半分しか出来ていなかった
鈴鹿サーキットで発表したのは37年6月なので
委員会にぶつけるように発表したのが分かる。
この法案はメーカーの規制みたいだが、実際はもっと厳しく
「車種規制」が本題になっている。
つまり、新規参入はもちろん、現在作っている自動車も規制をうける
厳しい法案だった。
(この法案に反対したの本田宗一郎とメーカー委員の3名だけ)
当時の国産車のコストは、外車100とすると平均で150を越えている。国産車は外車に比べて割高・・これでは勝てない。(800ccでは1.74倍)
さらに、昭和37年の乗用車生産は約27万台。
この年スズキも生産を開始したので9メーカーで27種類のクルマを
生産していた。
単純計算で1型あたり12000台、月産千台では多種少量生産。
外車に対抗するには車種規制しかなかった。
そんな事情のなかで 空前絶後水冷4気筒ツインカムエンジン
軽トラT360は大急ぎで登場した、
コストはど~でも良かった、とにかく・・ド肝を抜く必要があった。
『軽自動車誕生の記録』小磯勝直著 から引用した。
T360/500オーナーズグループ FB 2022年04月14日
ホンダT360ユーチューブ動画 2021年12月03日 コメント(2)