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関東から来られたT360オーナーさんと桜満開の大野市内の見物。
大野歴史博物館も見学。
展示物は・・・200円の入館料相当です。なかなか良心的。
水戸天狗党の来訪は幕末の大野藩ビックニュースなので解説されてた。
天狗党が大野市(福井県)に入った先導者は大野藩の侍、
しかも大野藩大野丸の副船長だった。
福井藩政治顧問・横井小楠の国民国家・殖産興業の理論を
大野藩が最初に実行した。
遅れること数年、福井藩の三岡八郎(初代東京知事、初代大蔵大臣)が
大野藩の成功を見て殖産興業をはじめた。
この件はブログに多数載ってる、参考までに1点、面白いブログです。
数年後に友人の坂本竜馬がこの成功を見て海援隊を設立。
なので日本最初の総合商社は大野藩が作ったことになる。
福井藩の第一回の貿易利益は100万両、お城の蔵の床が千両箱で抜けたそうだ。
三岡は長崎で、ヨーロッパで一番人気のある絹布を手に入れ、これを小さく切り、
福井の農民に分け、サンプルと同じ物を造れと指示。
莫大な利益を上げ藩には10万両だけ収め、残りは
農民に還元した。
横井小南のいう、国民(農民)が豊かになれば国は富むを実践。
徳川幕府では考えられない事だった。
福井藩には莫大な借金があった、元金を返そうとしても大阪の商人は
利子しか受け取らなかったそうだ。商人は先を見る、福井にお金を貸しておけば
間違いなし、商売上有利になるから。
100万両の利益は1859年、1861年には300万両の利益を出してる。
坂本竜馬が海援隊を創設したのは1865年?、
いかに越前大野藩と越前福井藩が進んでいたかわかる。
なので、最近発見された坂本竜馬の手紙には 三八(三岡八郎)を
新政府の初代大蔵大臣に推薦している。
三岡八郎は下級武士だが、ペリー来航で江戸に応援部隊として派遣される。
本体はちんたら歩くので頭に来た三岡は江戸まで一人走り、3日早く到着。
この時、三岡八郎はたまたま知り合った坂本竜馬や桂小五郎と
黒船見学に出かけている。
坂本竜馬などは見てるだけだったが、三岡八郎は漁師にばけて
黒船に乗り込み詳しく観察し殿様(松平春嶽)に報告してるので
並外れた行動力。
発見された坂本竜馬の手紙は桂浜の坂本竜馬記念館で公開されてる。
福井から原付三輪車アペでここまで走るとは我ながら呆れる。