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2022.02.18
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カテゴリ: 邪馬台国・卑弥呼
天照大御神は古事記、日本書紀(記紀)の神話に登場する神様です。その神様は全くの空想や架空の人物だったのでしょうか?



少し反れますが、徳川家康だって、釈迦だって、イエス・キリストだって、神様、仏様になりました。

一方、卑弥呼は魏志倭人伝に書かれた実在の人物です。

そして、仮に天照大御神が史実によるとするなら、そのモデルになりうる人物は誰でしょう?

私は卑弥呼以外に考えつきません。それが結論です。
それに神功皇后はじめとする天皇は別に列挙されています。

二人の共通点として、いずれも女性。独身。弟がいる。九州に関係している。人々(神々)から崇拝されている。国々(神々)をまとめる力があるなど、多くの点で共通しています。

また、卑弥呼程の人物なら、日本国内あるいは九州内で後日何か伝承するものが残って然るべきですが、これが見つかっていません。言い換えると見つからないのではなく、神として、あるいは天皇家の皇祖として、別なかたちで残すことにした。すなわち卑弥呼は天照大御神になって残ったのです。

なお、記紀の天皇に関する年代と卑弥呼の時代の不整合については、安本美典さんの統計的な方法による年代論の結果、つまり卑弥呼と天照大御神の年代が符合することに賛同いたします。



まず、魏志倭人伝によると卑弥呼が親魏倭王の称号を授かった年がAC 239 年です。
そして、亡くなった年がAC 247 年と覚えておいてください。

そして、初代神武天皇(即位はBC660年)が高千穂宮より東征出発の際に言った言葉に「天孫が降臨されてから179万2470余年になる」とあります。ちなみに神武天皇は天照大御神から5代目、天孫降臨したのは3代前の二二ギ(邇邇芸命)。この途方もない年に注目です。

中国では干支とは「十干十二支」と言い、十干(十干はBC4世紀頃から5行に変わる)と十二支の組み合わせでその年としており、その組み合わせが60通りとなることから60年を一巡と考え、人は60才で還暦といいます。還暦とは暦が還ると書き「もとにいた場所に戻る」という意味があります。要は60年で1周するのです。

ここで、神武天皇の言葉の年数をもう一度思い起こしてください。
179に60を加えると 239 になり、247はそのまま 247 に。
どこかでこの数字見ませんでしたか?


ここに記紀のからくりがあるように思えてなりません。
そして、卑弥呼と天照大御神とのからくりも・・・


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Last updated  2022.04.02 17:09:21


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