全216件 (216件中 1-50件目)
仕事が忙しい。鬱波も来ているが、友達には平気そうなメールで返してしまう。
2009.02.04
10日(土)の引っ越しは大変だった。朝8時に引っ越し業者(AさんマークのH社)から2名来て、作業開始。ゾーン毎に箱に詰め込まれ、埃も拭わず(!)家具が運び出される。見積もりの時は「埃は拭って運びますから」「大切な釣り竿は注意して運びますから」ということだったのに。運び出されていく家具の後を追って雑巾で埃を拭うにも限界がある。途中から友人のHさんが手伝いに来てくれた。荷物(主に本、頂き物の食品、頂き物の服、ドラえもん)があまりにも多いので、段ボール箱と人員が補充され、トラック2台(!)で移動、自分とHさんはタクシーで移動。新居では、ママと親戚の叔母さん夫婦が手伝いに来てくれていて、既に本箱の組み立てをしてくれていた。そうこうするうちに引っ越しのトラックが来たが、新居の真ん前にある作業所で餅つき大会が催されていて、家の前に車が置けない状況の中、車で駆けつけてくれたSPにも参加してもらう。その間、業者とのやりとり、電話の応対に追われる。電話が通じてないのでダイレクトに携帯に連絡が入るので、ほぼ電話対応に追われる。(続きは後日)
2009.01.11
雪の舞う寒い日、友人のSPやHさん、おば夫婦、ママに手伝ってもらって引っ越し。詳しいことは後日書きます。
2009.01.10
引越まで2週間をきって、慌ただしいはずが、何を何処から手をつけて良いか途方に暮れている。昨日は文学関係の集まりで、大阪まで行ってきた(やっぱり夜の電車はイヤだなぁ)ので、今日は一日寝込んでたし。やっぱり、どこか外出すると翌日は疲れて寝込んでしまう。今年一年を振り返ってみると、友達に支えてもらったことが一番。初めての入院、そして、それを繰り返し。遠くからわざわざ何度も来てくれたり、寂しくないようにちょこちょこ顔を出してくれた友達。両手を思いっきり伸ばしてくれた。自分もそういう人間でありたい。今年は正直言ってあまりいい年ではなかったし、PTSDを抱えてしまったりしたけれど、そういう時、必ず友達が支えてくれた。友達を大切にする、今言える、来年の唯一の抱負。
2008.12.28
気がつけば、今年の出勤もあと2日。 めさめさ、忙しい。 その上、引越のことも考えなくちゃいけないし、頭がテンパってる。 おまかせパックだからと言っても、当日、ゴミを出さないように引っ越すためにはそれなりに荷物の整理も必要なわけで。 そんなこんなで、クリスマスツリーを出せなかった サンタさんの目印なし。 飯島愛の死・・・引っ張られたらあかん!今は引っ張られている場合じゃない!当分、朝の情報番組は見ない! 飯島愛の死は自分の不運とは別個の問題! しっかりしろ、自分。
2008.12.24
疲れ切っている。
2008.12.10
いろんな事が重なってしんどい。仕事もけっこう激務。それを友達には平気なフリをする。「忙しい」を言い訳にしたくないというポリシー。だけど、疲れた。その上、一週間で短編一本書く依頼が来た。書けるのか?
2008.12.01
あ、洗濯物取り入れにベランダに出たら、星がきれいだ。雨が近いなんて信じられない。
2008.11.26
考え事が多くて、寝る時間が遅くなっている。
2008.11.26
土曜日は寝付けなかったので、朝遅くまで寝てしまい、ママと約束していた親戚の家に行くというのも遅くなって、ママ怒る。親戚の家でも、疲れていて、失礼して横にさせてもらい、2時間たっぷり寝た。 親戚の家から帰ってからもどうにもしんどくて5時間寝た。 途中、T田さんから電話があったのはかろうじて覚えている。
2008.11.16

きゅうろく土曜日は寝屋川まで(!)飲みに出掛けました。 昔からUでのネット上のつきあいのある人Aさんに会いに、SPとともにでかけました。 そもそも、京都市の中央部分で生活していると、京阪にはあまり馴染みがない。もっと遠いのがSP(ご苦労様)で、JRと京阪を乗り継いでの行程になりました。丹波橋でSPと合流し、寝屋川へ。 お相手Aさんは空手道場の奥さんで、41歳。初対面だったので、ちょっと緊張しながら、飲み屋さんへ。そこはAさん行きつけのお店らしく、マスターもお勧め料理をふんだんに出してくれた。どの料理も本当に旨かった。Aさんもとてもいい人だった。 SPの飲みっぷりは知っていたから驚かなかったけれど、Aさんも飲む飲む。瞬く間にビール3杯空けて、次に焼酎ボトルで。これがまた瞬く間に空いた!(自分は氷をたくさん入れて、薄めてちびちび) 二本目のボトルを入れる。 もうこのへんで、SPは寝始める。Aさんは酔っぱらってるしで。Aさんは酔っぱらうとキス魔になる・・・ 良い時間になったので、SPを起こして、「帰る?2軒目行く?」と聞くと、「寝る」と想定外の反応。 結局、さらに二件目、カラオケへ。SPしっかり歩いていたし、大丈夫かなと思っていた。Aさんは千鳥足で走ったり(!)しながら移動。 カラオケ店へ行くと、SPはそのまま寝始めた。いつもの寝顔で、すっかり寝入っている様子。それをAさんがいじくるも、寝入ってた。 Aさんは完全に酔っぱらい、キス攻撃、隙あらば腕や足を絡ませてきて抱きついてくる。 7歳児には、大人が怖くなるシチュエーション。 ちょっと動けば抱きつかれ、歌いながら耳元に息吹きかけられ・・・・。 SPと電車に乗って帰った。SPは電車に乗るなり寝の体勢で、自分の肩に頭載せて寝始めた。丹波橋で「乗り換えだよ」と起こし、ホームに下りていくSPを見送る。分かっているかのように階段を上り始めるSPを見送り(振り返りもせず、階段を上がっていくので、帰り方わかっていると思ったけど、後から帰り道が分からないというメールをもらい、慌て、心配した)、三条まで。実は薬と酒でかなり気分が悪かった。どこかの駅で降りてトイレに行こうかと思ったけれど、飲んだ抗鬱剤まで吐いちゃってはいけないと我慢。丹波橋から三条まで長かった・・・。三条に付く頃には気分の悪さはとれていたけれど。帰ってきてからも、大人の怖さを思い出しては考え事をする。なかなか寝付けず、脂汗が出てくる。 大人の振りをするのはしんどい。主治医の先生は「実は子供」と言っても理解されないだろうし、大人の振りをする練習を積み重ねるのが大事だという。O病院のT木Dr.は周囲に理解してもらうのが大事と言ってた。心の年令と実年齢のギャップがある自分が悪いのだと自分を責めてしまう。
2008.11.15
とにかく疲れている。 もう一歩も前に踏み出せない。 踏み出してしまった以上、歩き続けようと思ったけど、もう歩けない。 そして、自分が全く回復していないことにも愕然としている。 どうして良いか分からずに、幼なじみAちゃんに「死んでも良いか」とメール。 心配してくれた。 だが、結局、実家に夕食を食べに行くことにした。 鍋。 温まったが、話題が新しい仕事の話になり、大泣きした。 抱きしめて欲しかったが、新聞紙でつんつんされただけだった。
2008.11.08
毎日がしんどい。
2008.11.07
朝一番に映画に行ってきた。 一緒に行ったSPが夕方から用事があるということで。 昨日封切りになった「レッドクリフ」。 混むだろうと予想して、友達が到着する前に行ってチケットを取ろうと思い、9時には二条に到着。すると、既にチケット売り場には長蛇の列。どんだけ早いねんって感じでした。 やはり、ベストポジションの列は埋まっていた。 少し後ろの真ん中がとれた。 それから、一階の食事をするところで、朝食を摂って友達を待つことに。 セルフの食堂。 それからコンビニで買い物をしようとしてレジに並んで精算していると、 店員さんが「こちらでお召し上がりですか?」 ・・・・・・? 「え?」 きっと、店員さんはファーストフードの店とバイト掛け持ちしているんだな。間違えたんだ。思わず、にやけてしまった。 映画を見終わって、SPと二条駅でバイバイし、自分はママの待つコーナンへ自転車で走った。荷物を持って欲しいのだとか。 到着すると、具合悪そうにベンチに座っているママ。 荷物をカゴに入れて実家へ。 相変わらず、パパとママはしょうもないことで喧嘩するので、「うるさい」と怒る。すると、なごやかムードに戻った。 相変わらず、パパの夕食の支度は「魚」と「魚」。バランスとか一切考慮なし。食事のことでぐだぐだ言いたくないので、黙っていたけれど。いつも、「刺身」と「焼き魚」とか「刺身」と「刺身」とか。 この部屋からの引越の話も出たが、引っ越し費用のこととか考えると気が重くなる。 ひとまずは新しい職場のことだけを考えようと思うので、1~2週間は住む場所のことはおいておくことにしよう。
2008.11.02
今月末をもって転職するので、送別会をしていただきました。11月から新しい職場です。ちょっとゆっくりする時間が欲しかったけれど、引き継ぎ等でバタバタしてその時間なし。手羽先居酒屋 手羽一郎 肥後橋店大勢の同僚に見送られ、感謝の一言。ここの究極の手羽先唐揚げはかなり旨いですよ。
2008.10.31
今日は東京へ転勤している同僚とランチ。個人的送別会を兼ねて。奴は天才肌というか、脳天気に見えて、ポイントはつかむタイプ。今回もご栄転という形で転勤している。ステーキ。何年ぶりにステーキを食べただろう。すてきなすてきステーキハウス ボビノ
2008.10.27
今日は疲れが溜まっていて、都会の雑踏に耐えられそうになかったので、同人誌の例会を休むことにして、Mさんに連絡。 直後にT田さんから休む連絡が入る。 午前中は洗濯機を回し、昼から床屋へ行き、散髪。 人生初の白髪が2本見つかり、大きな衝撃を受ける。 心は7歳児。でも、着実に年をとっていく衝撃、計り知れない。 いつものように頭頂部と左の襟足を染めてもらう。 待ち時間も長かったので、床屋を出たのは3時。 夜に友達と会う約束していたので、自転車で街中を走り回る。 自転車置き場から自転車を出す際に気付いたが、自転車に取り付けていたドラえもんのベルが壊されてカゴに放り込まれていた。 アパートの工事の人が自転車を倒して壊してしまったからカゴに放り込んだとしか思えない。 ドラえもんのベルと補助鍵は自慢だったので、かなりのショックだった。 なので、自転車屋さんに寄り、同じのはあるかと聞き、在庫も見てもらったが、なかった。仕方がないので、残っていたねじ部分も外してもらい、取り外してしまった。 買い物に出掛けたりして、自分の自転車を探すときにドラえもんが目印になっていたので、とてもショックだ。 白髪といい、ドラえもんベルといい、社会は自分を子供だと認めてくれない・・・・と被害者妄想も出現するが、それを打ち消しながら自転車で走る。 ホームセンターでカブト虫の幼虫のための腐葉土を買い、実家へ。 カブト虫の幼虫の飼育ケースに10リットルの腐葉土を入れてやり、自室へ帰った。 友達との待ち合わせ時間まで、寝るには足りない時間だったので、起きて過ごしていると、やっぱり、被害者妄想がむくむくと立ち上ってくる。 早いかなと思いながら、自転車で待ち合わせ場所近くの大型スーパーへ行く。本屋でドラえもんのカレンダーを買ったりしているうちに、友達もそのスーパーに到着。 当初、白梅町の王将に行く予定だったが、途中で気になる中華料理屋さんを発見。よくよく観察してみると、本場中国の人が調理しているらしい。少し待つことになったが、待つ価値有りと待って、カウンター席へ。 お店の人全員が中国の人らしく、活気のある店だった。 餃子や炒飯、小龍包を食べた。
2008.10.25

今日は休みだったけれど、雨の中、区役所に行ったり、病院に行ったりとけっこう移動した。その途中、小学校の同級生Kさんに会った。車道から、「えも~ん、えも~ん」と呼ぶ声。あたりを見渡すと、原付に乗ったKさん。仕事に行く途中だったらしく、ゆっくり話せないまま別れたけれど、元気そうで一安心。 区役所を出て、自分は病院に行ったのだけど、終わって実家に寄ると、やっぱり母の機嫌が悪い。 ここのところ、目の手術をした頃あたりから体調が悪いらしく、機嫌が悪い。機嫌が悪いと父にも自分にも爆弾を投げつけてくる。過去のこともほじくり返して投げつけてくる。 お世辞にもSEAMOの「MOTHER」のような母親像とは言えない状態になってしまう。こういうのが一番つらい。昼ご飯を食べてすぐに自室に帰ってきた。 バナナダイエットを始めることにした。 4本で198円かぁ。もう少し安いと助かるんだけどなぁ。(130円ぐらいなら) 実家ではこの前友達から譲ってもらったカブト虫の幼虫がすくすくと成長している。それと、父がまた今年も沢ガニを育てているようだ。 なんと、セパレートできる一番良いプラケースを使ってる!カーッ!ときたが、もう何も言う気力もなく、黙って帰ってきた。砂利を入れてあるからもう傷だらけだ。
2008.10.23
会社の友人とえんで飲んだ。仕事の話、いろんな話をした。まったり飲んだ。ご馳走していただいたのだけど、けっこう高く付いたんじゃないかなぁ。ありがたや。
2008.10.22
「琵琶湖外来魚駆除釣り大会」に参加してきた。SPや小学校の友達Iさん達と。参加したのは、仕事先の取引銀行の社会貢献ファミリーイベントだが、元々の主催共催は琵琶湖を戻す会で、それに乗っかる形で銀行が社会貢献ファミリーイベントとして開催。なので、主催の方で参加すれば参加費がかかるが、イベントを通しているので参加費無料。難しい話はさておき。去年も参加したこの「外来魚駆除釣り大会」。去年は、テンションが上がりすぎて起きるなり謎の大頭痛に襲われたけど、今回は大風邪に襲われた。金曜の夜から急に鼻水が出始め、土曜日の午前中に病院で受診したが、みるみる熱が出始め、前夜には37.5度あった。歩けないことはないが、ふらふらするので中止のメールをメンバーに出そうか、メンバーだけで行ってもらうか悩みに悩んでいるうちに、眠れないまま朝に。微熱程度まで下がっていたので、「具合悪くなったら途中で帰ろう」と思ってでかける。コンビニで2本のドリンク剤を体内に注入すると、熱っぽさがとれた。一時間以上前に現場に到着し、集合。開始と同時にハイテンションで釣り糸を垂らす。今年は全体的に去年より良く釣れた。それだけ外来魚が増えているのか、暖かくて活性化しているのか。故に結果もかなりハイレベルで、50匹釣って余裕かと思われたが、今年も去年と同じくじゃんけんで2位、3位、4位が決まり、4位だった・・・。Wii、まじでねらってたのに~!でも、楽しい1日だった。参加費無料、弁当、お茶、記念品出るし、商品でテンション上がるし。カブト虫の幼虫も友人にもらっちゃった。イエイ!風邪は帰ってきてから鼻水の色も変化して、回復傾向。
2008.10.19
本格的な風邪をひく。前夜から急に鼻水が出始めたので、怪しいと思ってた。ただ、自分は年に何度か、風邪でもないのにくしゃみ鼻水が丸1日続くことがある。何かの花粉に反応してしまうのだろうけれど。それかな?いやまてよ、頭も重いということで、葛根湯を飲んでおいたのだけど、朝になって本格的な風邪と判断し、すぐ病院に行ってきた。診察を受けた段階では本当に風邪の初期で、感冒薬ではなく、炎症を止める薬が出された。帰ってからぐんぐん勢いよく熱が出始めた。
2008.10.18

元上司に焼肉に連れて行ってもらった。北新地にある松阪牛焼肉M松阪牛専門の店だけあって、とろけるようなシャトーブリアンに出逢った。肉ってとろけるんや!そして、ほんまに良い肉というのは、ワサビ醤油(それもその場ですり下ろす本わさび)で食べると旨味が増すんや!丁寧に解説してくれる店員さんに職人魂を見た。
2008.10.17
実家の区民運動会に出てきた。 と、言っても、綱引きだけ。 昔と違って少子化で子供のいない町内などは参加しないので、町内の数が少なかった。 誰か知っている人はいないかとキョロキョロ見渡すも、同級生は見あたらず。 代替わりして、自分たちの世代が中心になっていてもおかしくはないのだけど、仕事の都合で外へ出ている人が多かったり、参加しなかったりだろう。 同世代の人は嫁に来た人、っぽい人が多くて、知らない人ばかりだ。 その上、実家の町内も区画整理などで新しく越してきた人がほとんどで、知っている人は半数ぐらい。 綱引きに出なければならないため、昼食後の薬から精神安定剤を抜いて胃薬と抗鬱剤だけ飲んだ。 それがいけなかったのか、情緒不安定に。 子供の頃、この学校で走り回っていた時は、こんな未来なんて予想してなかった。 その上、選挙が近いせいか、政治家が来賓できていて、各町内に挨拶して回っていた。 スーツを着たその若い政治家を見ていると、惨めな気分になる。 綱引きが終わったらすぐ帰ったのだけど、帰り道、自転車を走らせながら涙が止まらなかった。帰ってからも冬布団を出したりしていたのだけど、カーテンに火を付ければ死ねるかなぁなんて、今まで想像しなかった死に方を思いついてしまったり、あまり良い状態じゃない。
2008.10.12
いろんな事に疲れているのと、不安感で眠れない。友達からの携帯メールなどでは、普通を装ってしまう。ヘルプを出したいのに。
2008.10.08

土曜日今日はMさんにヘルプの電話をしたことで、いろいろと皆さんにご心配をおかけしてしまいました。 その間、母が昨日は「土曜は仕事だから」と言っていたのですが、しょうがないからと「どこかに行くか?」と言ってきたので、出掛けてきました。 行きたいところを急に聞かれて、迷って、「北大路ビブレ」か「映画」を挙げましたが、ビブレに行けば登山用品を眺めて眺めて眺め倒すでしょうと言われ、映画にしました。 「崖の上のポニョ」 映画館へ行く途中で叔母夫婦に会い、チケットを買っておいてからお茶をしました。 それから映画を観ましたが、とても面白かったです。 躍動感のあるアニメーション、わかりやすいストーリー、とても良かったと思います。 帰ってからT田さんに電話し、皆さんが心配してくださっていたことを知り、恐縮しています。日曜日今日はT田さんと一緒に植物園に行ってきた。 朝起きたら雨で、T田さんに電話してみたら、「行ってみましょう」ということだったので、予定通り準備を進めた。 昨日映画を観たためか、少し怠さがあったが、でかけることにする。 途中で、実家に預けていたジーンズやシャツをとりに実家に寄り、待ち合わせ場所に行った。 雨の中、鴨川を眺めたりしながら植物園へ向かう。 土の匂い、雨の匂いが気持ちいい。 植物園の中もハウスの中を中心にゆっくり2時間ほどかけて傘差して散策。雨で空いていて気持ちよかった。 世界最大で臭い(タンパク質が腐る匂いがするらしく、花は密閉されていた)花、ラフレシア(ゲーム「どうぶつの森」で村を汚くしていると咲く花)も観ることが出来た。 お好み焼きをご馳走になり、楽しい1日だった。 ところで、T田さんとお茶をしていて、いろいろ話している内に病気のことに話がいって、T田さんの話を聞いているときに、となりのおばさんがいきなりT田さんに話しかけてきて、T田さんが「違うんです」というように話を遮ったので、何事だったのか後で話を聞くと、どうやら親子と間違われたらしく、「子供のことで悩んでいるのですか」と話しかけられたらしい。仮に、親子として、悩んでいたとしたら、あのおばさんはその対象の親子に何かアプローチするのだろうか。何かの宗教? それにしても、シャワーを浴びるのも億劫になってきて、パソコンを立ち上げてもぼんやりしていることが多いこの頃。 自分では気付かないうちに、悪化しているような気がしなくもない。 明日から仕事に復帰。2週間ぶり。 不安だ・・・・。
2008.10.05
病院を一泊で退院し、実家で親戚にも見守られて9月30日を過ごし、三度ほどの未遂もしましたが、そうした離人感も少しずつ回数を減らしてきました。 昨日はママと黄檗病院に“無事に9月30日をやり過ごした”報告に診察に行き、帰りに8月に入院していた「悠々病棟」の知人に面会に行きました。それで、帰りは一人で。 今日は薬がなくなりそうだったので、一人でつばき医院に行ってお薬をもらおうと思ったのですが、黄檗病院がどういう判断で薬を出していたか知りたいので、再度紹介状を書いてもらって欲しいと言われ、電話でその旨を黄檗病院のT木Dr.に知らせたところ、郵便で送るとのことだったので、とにかく、薬がなくなってしまうので、それまでの一週間の薬をもらいに一人で黄檗病院まで行きました。 何かとややこしくて少し気持ちが疲れましたが、昨日より、ひゅんひゅん飛んでくる自殺願望の数が減り、歩くのもそんなに苦になりませんでした。 ちょっと調子よかった。 それで、自室も気になるし、一度帰ろうと思って、今夜は自室に泊まってみることにしました。 アパートがまだ工事中で落ち着かないので、また明日は日中は実家に行こうかと思っています。 一人になって思うのは、一泊の隔離病室の傷か、何なのか分からないけれど、とにかく、何かに傷ついている心です。 何か分からないけれど、何かに傷ついてる。 何なんだろう・・・。
2008.10.02
昨日、予定通り入院したわけですが、今日、早々に退院して来ちゃいました。 昨日、予定の11時に病院の受付を済まし、T木Dr.の診察を受けました。改めて、9月30日に対する気持ちを問われ、「生きる選択をするに来た」と答え、入院手続きを着々とこなしました。希死念慮がある場合は保護室での入院になること、持ち物は制限されること、解離性障害の疑いもあることの説明を受けた上で、「生きる方向性を持っている」ことを話し、外側から鍵を掛ける時間はゆるゆるで夜だけ、ただ、30日だけは24時間鍵を掛けるということになりました。好きなドラえもんのぬいぐるみの持ち込みも許可を得ました。 で、また入院前の血液検査、尿検査、心電図検査を行いました。 その間に母と姉が荷物を持って病棟に向かったわけですが、本人不在の中、看護師さん達が一斉に荷物をばらしはじめ、T木Dr.の意向も確認せずに「持って帰らせる物」をぽいぽい分別し始めたらしく、自分が病棟へ上がったときにはタオルや下着ぐらいが前室(保護室は二重扉になっていて、ベッドルームにはお茶ぐらいしか持ち込めず、その他の私物は扉と扉の間の前室に置かれます。つまり、必要なタオル類は前室には持ち込めるけれど、ベッドルームには持ち込めない)にむき出しで陳列されていて、不快感と、許可を得たドラえもんも箸セットはバラバラにされてスタッフルーム預かりで、お風呂セットも洗面器他シャンプーやボディソープは危険物なのでスタッフ預かり。それは仕方ないとして、「ドラえもんは許可を得ている」と言うと、一つ一つに関して確認に行かれ、ストレスを感じました。 「守られるために仕方ない」 と母の慰めに頷くより仕方なく、ただ、どうしてもというものは許可を得ているともう一度、分別されているところへ乗り込んで、あれとこれとと荷物を取り戻して、あとは母と姉に持って帰らされたのですが、なんせ、ぽいぽい捨てるように分別されたのを母と姉が拾うようにしていくつかの紙袋に分けて持って帰ることになりました。 重い物は姉の車の中へ。 母は自分のリュックに大事にしてそうな物を入れて帰りました。 一番不快だったのは、確かに前室に貴重品(開放病棟と違って、私物に鍵のかかるような引き出しなどはなく、看護師さんがいつでも管理できるように全部剥きだしなので)は置いておけないからと通帳やカード、免許証を母に勝手に託してしまったこと。いくら親でも、いや、親だからこそ残高とか見られたくないし、不快でした。 そして、T木Dr.の意図が伝わってなかった様子ですぐにでも二枚の扉に鍵をかけようとし、「いや、30日以外は日中は鍵を開けておいてもらうことになっている」と説明しても、隙あらば鍵を掛けようとして、確認してもらって、日中解放してもらう意図を理解してもらうまでに時間がかかったこと。 それと、分かってはいたけれど、9時の消灯には電気を全部消して二枚の扉を閉めて鍵を掛けられたこと・・・・。 そのベッドルームには金属系のものは何一つなくて(テレビもなし)、マットレスだけの状態のベッドがぽつんとそれだけあって、それだけが強調された部屋の造りで、仕方がないんだけれど、2月の事件のことが思い出されて恐怖心と闘いながらほとんど眠れず、我慢して我慢して2度ナースコールしました。 開放病棟にいた頃は、眠るのが最優先だったので、「眠れませんコール」は遠慮しないでするように言われていたので、そういうと、二度目は「この時間はもう追加眠剤出せません」と言われ、結局、ほとんど徹夜で朝を迎え、6時には電気が付き(電気も空調も管理されているので、自由が利きません)、強制的に起床させられました。 翌朝、この部屋が苦しい理由を看護師さんに訴えてみましたが、そういう泣き言をいちいち聞いてられないのか、とにかくどの看護師さんも用事が済めば、すぐ出て行こうとするのです。 あと、閉鎖病棟の中でも保護室の他に4人部屋があって(全室満室!)そこの人達は食事はホールで摂るのです。で、自分も一人で保護室で食事するよりホールでの食事を希望したわけです。ところが、食後、インスタントコーヒーの瓶を持って手紙を書いていると、老人が来てコーヒーをくれと言うのです。しかも、飲んでいる自分のコップで。呆気にとられて飲まれていく自分のコーヒーを見て、コーヒーの瓶は自室に置くようにしましたが、翌日(今日)もホール近くでその老人に会い、「あんたの、コーヒー、飲まして」と言ってきたので、「コップを持ってきてください」と言って、持ってきてもらったコップにコーヒーの粉を入れてあげたりしました。あと、お金を貸してくれと言ってくる人もいたし(「(ポケットに肌身離さず財布持っていたけれど)お金は持ってない」と断りました)、突然叫んで倒れ込む人や、みんなが病んでました。 病んでることぐらい、多分、健常者がその場にいたら怖がるような状況でも、自分は病院の中だから当たり前の光景だしと割と平気でしたが、たかられるのはちょっと困りもので、ホールにも居場所がなくなってしまい、部屋に戻るとそのまま鍵かけられそうで怖くて中に入れず、診察依頼を出していたので、午後T木Dr.が来られたときに、とにかく、ここは事件を思い出すので辛いと話しました。 そして、できれば、以前入院していた開放病棟のストレスケアゾーン「悠々」に変えて欲しいと懇願してみましたが、あそこは希死念慮がある人は入れないと言われ、希死念慮がある人は保護室になるが、退院するにしても、一人のマンションに帰るのは許可できないと言われ、明日から実家に30日が過ぎるまで身を寄せることにして、退院することにしました。しかし、29日、30日は両親が不在なので、叔母に来てもらうことにしました。 ちょっと過酷すぎて、帰ってきた弱虫です。
2008.09.26
明日から、1週間ほど入院します。閉鎖病棟の保護室で、外から鍵かけられるらしい。余計具合悪くなりそうだけど、寝て暮らそう。前回2週間の入院より荷物が減るかと思ったが、必要なものはそう変わらないし、渓流釣り本とか写真集が減っただけで、荷物の数は変わらない。逆に、暇つぶしのための玩具が増えた。
2008.09.24

今日は友人が付き添ってくれて、葛川の坊村へ釣りに行くことができました。 バス停で待ち合わせ(友人より遅れてしまった、ごめんよ~)、小一時間バスに揺られ、坊村へ。 なんせ、帰りのバスが5時21分なので、時間はたっぷりあると、のんびりトイレを済ませたり、近くの喫茶店の様子を偵察したりしてから、葛川の支流の明王谷に入る。 葛川本流はピーカンで日陰がないのと、草ぼーぼーだから。 まずは明王谷に入ってすぐの河川敷に陣地をとり、友人が昼寝の体勢をとると同時に少し下流から竿を延ばすと一投目でヒット! まだ寝ていなかった友人も大はしゃぎで20センチ越えの良型を写真に納める。早速氷水につけて(生きている間に内蔵を冷やすと傷みにくくなるのである)、次の釣り場へ。 しばらくして、すぐにまたヒット!今度はイワナである。 また陣地に戻って氷水に浸したが、下流を見ると、釣り人の気配。 遠く離れていたので、何の気なしに見ていたが、また釣りに戻ると、おじさん、すぐ側に迫ってきてる。 しかも、仕掛を直している間に追い抜かれた!!!! そして、30メートルほど前方の一番良い小滝のあるところまでひょいひょい進んでいった。 むーん・・・・。これではもう釣りにならないし、時間も昼ぐらいになったので、戻って昼食に。 そこで、たき火をして釣った魚を焼こう!ということになり、木を集め、杉の葉っぱを火種に湿っている木に火を付けるのに格闘すること数十分。その間、カップルが少し上流へやってきて、こちらを興味深げに見てたwww きっと、彼らがミクシーなりブログなりやってたら、書かれているんだろうなwww 塩を持参しなかったのが悔やまれるが、しっかり渓流魚の味を堪能しました。 その後、本流の葛川も攻め、これまた一投目で良型のアマゴゲット。 友人はゲートボール場でお昼寝。 釣り進もうとするが、草ぼーぼー、ススキも伸びてこれ以上進めないと判断し、引き返す。 帰りにバス停付近の喫茶店で「山菜うどん」を食べて帰ってきました。 とても楽しい1日でした。 あっという間!
2008.09.23
今日は誕生日。
2008.09.17
午前中に運転免許の更新にでかけ(これがまた、京都は遠いところにある・・・ゴールド免許なので講習はすぐに終わったけれど-最新版の交通法の改正の冊子をもらったけど、いろいろ変更点があるなぁ)、接骨院も済ませて家に帰ってきてから、禁煙した。※「えもんってば、何回禁煙すんねん。今度はいつまで続くのかいな」と思っている人も多いと思うけど。 この前の禁煙は入院と共に必要に迫られて禁煙していたけれど、今日から25日からの入院も視野に入れて自主的に禁煙することにした。少なくとも、喫煙場所探して右往左往しなければならない生活からは解放されるはずだ。値上げが噂れているし、ちょうど良い機会だ。 「ニコチネルパッチ」使用。 家中の全ての煙草を吸い終わり、灰皿を捨てた。 お灸をすえるのに残そうか思案したが、煙草の灰がこびりついた灰皿より、100均で新しいのを買おうと思った。「煙草用」ではなくて、小洒落た皿みたいな奴を。 ライターはこれもまたお灸用に必要なので、引き出しにしまった。 それだけで、テーブルすっきりで、すかっとした反面、ちょっと寂寥感に苛まれる。 それからすぐに禁煙パッチを腕に貼り、口をゆすいで手を洗った。 いつもなら、5分と間をあけずに煙草に火を付ける(1日2箱はゆうに吸っていた)ので、その作業、作業の合間の「間」が「ああ、禁煙の作業中だった」と思い返しながらやった。 それにしても、禁煙パッチで確かにニコチンの禁断症状はないけれど、行動の習慣というのは恐ろしいもので、こうして日記を書くにしても、何度も煙草を手が探してしまう。 今はパイポを咥えているが、それもまたいつかは外さないと、ずっと禁煙パッチのお世話になることになってしまう。 白い棒状のものに過剰反応してしまい、綿棒が煙草の束に見える。 気のせいかも知れないが、禁煙パッチが一生懸命ニコチンを体内に供給して、禁断症状を抑えようとしているのを感じる。 実は昨日の記事のことがまだ頭にこびりついている。 悩み事を抱えたまま禁煙に突入し、なんだか落ち着かない。人が人を思う気持ちって、一朝一夕で気持ちは切り替わらない。少なくとも、自分はそう。出逢った人一人一人が大切で、それは一般論的な一期一会に収まらない。今頃、どうしているのかなぁなどと思ってしまう。
2008.09.16

昨夜はいろいろあって、一睡もしなかった。 それで、昼間ダラダラと寝るぐらいならと思って、朝5時半に思い立ち、釣りに出掛けることにした。 事前情報もリサーチせずに、とりあえず、睡眠とっていないので、疲れることを想定してバスの本数のある花脊方面に。 相変わらず、出町柳のこの方面へのバス停には中高年の方々がたくさん。 バス停に並んだが、バス停で待ち合わせしているらしき中高年の人の仲間がゾクゾクと後からやってきて、「おはよー」と挨拶を交わしながら、順番を抜かされる。 それでも、何とか席に座ることが出来て、目星を付けた上桂川の支流に到着。 午後からは天気が悪くなるのは分かっていたので、足場の良いところを選んだが。 足場の良いところはアマゴが釣れません。浅い川で延々続くチャラ瀬を上流へと行くが、状況は変わらず。 雑魚であるカワムツですら、小さいのがひょこひょこかかる程度。 諦めて、午前中の涼しい風を感じながらコンビニのおにぎりを食べる。 何故か、いつもはそんなことないのに、今日に限って背後の山から熊が下りてきそうで怖くなった。 急にだから、もしかすると、本当に熊がこちらの様子をうかがっていて、その気配を感じたのかも知れない。 それくらい、人っ子一人いない川だった。 いや、いつもそういう場所を選んでいるが、今日に限って怖さを感じた。 早々に切り上げて、雨が降る前にバス停近くの廃墟となっている建物の軒下でバスが来るのを待って帰宅した。 つまり、雑魚は釣れたが、アマゴは坊主。 それから、大切な誰かに気持ちを伝えるというのが本当に難しいことだと感じたことがあった。メール?文字だけの方が口で言うには照れくさいようなことも言えるが、いまいち押しが弱い。電話?会話だけだから、相手の顔も分からないし、自分の表情も伝えられない。会って?全身で表現できるだろうが、相手の時間をもらう分、自分は恐縮してしまうし、時間や場所、音や温度、匂いなども影響が及ぶ。大切なんです、だから、こう思うんです、ということを伝えることがこんなにも難しいこととは思わなかった。これっきり、なんてこと・・・・ないよね。
2008.09.15
やるべき事が山積していた。一つ一つ丁寧にやっていけばいいのだと思っていても、鬱っけでうまく思考が働かず、手を付けられずにいた。そして、今日、助っ人の友人登場。午後、友人が家に来てくれて、思考の整理を手伝ってくれた。一つの書類も叩き台を作る段階まで進められた。その後、もうすぐ誕生日だからということで、両親が寿司を食べに連れて行ってくれた。当然、回る寿司だけれども。お腹いっぱいになった。あと、故愛犬と同じヨークシャーテリアとの養子縁組話も友達から持ち出されたが、残念なことに親の反対に遭い、断念。
2008.09.13
この日記で書いた、9月30日が近づいてきた。頭では回避しなければ、と思っていても、楽になりたいという想いはまだ消えない。入院中は、周囲の環境も良く、緑に囲まれて、外界から遮断されて、何もかも忘れて、病棟内という小さな空間でのほほんとしていられたが、退院すれば、そこは現実。ズタボロに傷ついてしまっている自分自身も相変わらずいるわけで。良くないことだ、支えてくれている人達に申し訳ないと思いながら、ズタボロになっている自分自身を引き摺って生きていくだけの気力ももうなくて。死なずに済むには25日からの再入院に委ねるしか自分を制することは出来そうにないけれど、そこでも、はたして、自分が本当にこの世界に必要なのかと言うことが見いだせるか自信はない。むしろ、自分の不甲斐なさ、孤独さに苛まれるかも知れない。生きて退院するのか、どうなのか、まだ自分でも分からない。
2008.09.10
前夜から、久々の釣りで興奮して眠れず、2時間しかねてないにもかかわらず、行ってきた。 体力・気力的にまだまだ良い状態ではないので、葛川ではなく、花脊方面に行ってきた。 葛川は行き帰り1日に2本しかバスがないため、帰りが遅くなるからだ。 花脊は1日5本あるので、帰りは3時頃のバスで帰ろうと思ってのことだった。ただ、勝算は断然、葛川。 それで、花脊の何処へ行くか、地図を見ながら悩むこと数日。 なんせ。決断が出来ない。決断したら、ろくなことない(死ぬとか)ので、悩みに悩んで、まず、出町柳から広河原行きのバスに乗って「八枡橋」で下車。すぐに河原へ降りる道があり、ポイントらしき場所があったので竿を延ばすも、カワムツばかり。 やはり、本流は難しいと判断し、南に戻るバスをブラブラしながら待って、「山の家グランド前」まで戻る。そこから下流がポイントだとネットに載っていたので、急勾配の杉林をまさに“滑り落ちながら”降りて、まずはさらに下流へと歩く。斜面が急勾配な上に、中途半端な連日のゲリラ雷雨で滑りやすく危険だったので、登山用の杖を伸ばして歩き進む。そこから釣り登って行ったのだけど、やはり、ゲリラ雷雨の影響か水は茶色く濁っていて、条件的に厳しい。 渓流魚は澄んだ山の岩清水に生息するが、エサを追うのは小雨などのあとの「笹濁り」状態の時が活発。というのも、かなり警戒心が強い魚なので、水上の異変を感じたらエサに見向きもしない。 しかし、いくら「笹濁り」を好むといっても、茶色すぎ! これは無理かなぁと思うや、さすが急勾配の崖下の河川だけあって、スレていないのか、一投目でかなり見事なサイズ(24センチ)のヤマメを(朱点がない)ゲット。1メートルほどの幅の河川だけれど、大きなポイントが連続してあって、短い距離なのに5匹ゲット。 写真撮りまくったけど、やっぱり、携帯のカメラでは無理。 それと、一人だと、うまく撮れない。 グランドに近づくにつれて、携帯の電波が入ることに気付く。 こんな鬱蒼とした急勾配の崖下なのに。 そうか、公共の施設だから電波が入るんだ。 5匹釣った時点で満足し、あちこちメールをする。 川の側でメールをしていると足にチクッと痛みがあって観てみると、マダニがくっついてる!!! びっくりして払いのけ、そそくさと退散しようとするが、急勾配の崖は滑り落ちるように降りたけど、登るのは大変だった。 何度も転がり落ちそうになって、踏みとどまる。 杖があって良かった。山用の長袖で良かった。 少し、リラックスできた。
2008.09.04
土曜日に退院して、その夜から24時間テレビをやっていたので、観ていた。 毎年、この番組は好きで楽しみにしている。 今年も、いつものような感じで、好きなタレントが出ていたり、全国のいろんな人がいろんな事にチャレンジしているのを見守っていた。 エドはるみのマラソンも。 すると、何か自分自身にすごく変化が現れてきた。 感動して泣いたり、無念さを感じて涙したり、いつものように観ていたのに。 毎年、この番組の終盤は、今までやっていたネット文学賞の選考の大詰めで、24時間テレビを付けっぱなしでそれこそ一緒に何百という投稿原稿と格闘していて、「負けないで」が流れる頃には眠っていない疲労+睡魔と闘いながら結果発表をしていた。 鬱病になってからもやっていた文学賞だったけれど、さらに悪化した2年前を最後にやめた。 背負っていたものを降ろす、その勇気も大事なのだと治療をしながらようやく理解したからだ。 そして、去年からはK文学の新人賞の選考も休刊を前になくなったから、背負っていたもの、どんどん降ろした。 その間、仕事のこととかPTSDとか新たに背負ってしまったこともあった。でも、もう限界だった。 もう頑張れない、これ以上、頑張れない。 大人の振りをするの持つ枯れた。 もう、心底疲れて、疲れて・・・ 仕事を休職して入院。 テレビの中では「負けずに、諦めずに、頑張る」人達。 なんだか、とても惨めな気分になった。今までの自分なら、「負けるな!頑張れ!」と言われると、「おっしゃ!」と思えていた。 それが、「頑張れ」と言われるのがこんなに辛いとは。 その上、テレビの中の人に対するエールであって、自分に向けてのことではないのに。 惨めだった。 そして、身体が怠くなって、どてんと横になっているしか仕方なくて、眠れもせず。 だけど、今日は出勤した。 1日から復職ということだったから、と思って。 行き帰りだけでもとても疲れた。 その上、とても可愛がってくれていた人がとうとう、癌でなくなったことを知る。自分が入院中のことだったらしい。 バス釣りが好きで、その人はバスのリリース派で、笑いながら、駆除派の自分はよく議論したり、釣りの楽しさを語ったりした。 数年前に癌になって、手術して胃を半分切って、すぐに仕事に復帰。 ところが、去年の秋に再発し、再び休職。 前向きに治療されていたのに。 そのショックもあり、3時頃、仕事を上がらせてもらった。 帰り道も意識が遠ざかりそうになるほどフラフラ。 久しぶりの出勤と兄ちゃんみたいに慕ってた人の死。 もう頑張れない自分と頑張って治療して死んでいった人。鬱病は決して死にたい病・怠け病じゃなく、ホルモンのバランスが崩れて、「生きよう」とする正常な精神状態が崩れる病気で、理屈では死んではいけないって思っていても、身体の奥底から迫り上がってくる自殺衝動に苦しむ病気。科学的な病気なのだと思いつつも、死にたいと思う自分を恥じる気持ちとなんで自分が代われなかったんだろうという想いと。 言葉に出来ない気持ちが今、心に覆い被さっている。
2008.09.01
退院してきました。皆さんにはご心配をおかけしたり、遠路はるばるお見舞いに来ていただいたり、本当にありがとうございました。入退院に送り迎えをしてくれたり、何度も病院に来てくれて、ぼうっとする頭では難しい病院からの説明をかみ砕いて説明してくれた友達、大阪・神戸・尼崎等からお見舞いに来ていただいた友達。本当にありがとうございました。 2週間という短期入院(基本、1~2ヶ月の入院が多い病院です)で、退院してきましたが、外の世界はやはり刺激が多いですね。 母が昼前に病院に到着して、その後、友達が車で迎えに来てくれました。 はじめはウキウキるんるんで病院の門を出ましたが、人が歩いているのを観たり、車が走っているのを見たりしていると、少し疲れてきました。 で、たまたま、渋滞を避けて走ってくれていた車が少し迷走したところで、「力の湯」が現れて。入ってきました、露天風呂。 疲れないようにさっと早風呂し、お気に入りの「力の湯ロハスな店」で早い夕食を。病院食の無理矢理低カロリー、無理矢理多品目の食事に飽き飽きしていたので、がっつり、カレー(ご飯追加)とたこ焼きを食べました。 その後、「・・・疲れた」とワガママを言い、帰宅。 まだ、入院の荷物が部屋に散乱したままだけど、今日はこのままにして、明日片付けることに。 で、一応こうして、退院してきましたが、25日~10月2日にまた、今度は閉鎖病棟の保護室に再入院予定です。 9月30日がどうしても頭から離れないので。 その日を無事に過ごせるようにということで。 なので、あまりめでたい退院というわけではないのですが。入院中の心境や今後のことは追々、書いていきます。
2008.08.30
15日に入院して、今日はどうしても外せない仕事もあったので、入院先の病院から朝一番で出て、仕事に行った。仕事が終わってからは、病院でどうにも衣類が足りないので、補充するためにユニクロへ行って、2点ほどシャツを買い、自宅に帰ってきた。ユニクロももう、秋物一色で、目当ての速乾性シャツはほんの一部になっていて、しかも、期待していた値下がりもしてなかった。土曜日とかなら売り出しなのかも。でも、明日朝一番に行ってから病院へ戻るにはかなり時間がタイトなので、適当なシャツだけ買って帰ってきた。病院を出て、シャトルバスで駅まで行くと、通勤の人の群れ。電車に乗っていると、「社会」というか、「現実」というか、なんとも言えない重たいものがどんと自分に押し寄せてくるのを感じた。病院の中では、周辺は公園になっているし、社会と完全に遮断されていて、何かをしようとする気力はないものの暇さを満喫し、何も考えなくて済んでいた。それが途端に、現実の中に放り出されたようで、とてつもなく心細さを感じた。そして、同時に、入院する前の自分、入院して何も考えずに済んでいたけれども、本当は心の中がズタボロになっている事実に気付いた。1日、なんとかやり過ごすも、かなり、疲れてしまった。現実感すらぼうっとして危うい。
2008.08.22
今日から、入院します。
2008.08.15

午前中はなんだかやりきれなかったが、午後は楽しく海遊館へ。 海遊館に行ってきた。勿論、マンボウやジンベイザメの写真を撮ったが、いつだったかも撮って載せたので、今回はマイナー路線で。今回もやはり、日本淡水魚とアマゾンの熱帯魚に興奮。タカハヤやカワムツがうやうやしく展示されていておかしかった。
2008.08.07
美山まで、電車とバスを乗り継いで行ってきました。珍道中と、そこで感じた全てのことを後日、書こうと思います。
2008.08.05
今日は通院日ではなかったけれど、病院へ。 今なお、薬でコテンと眠ることはできても、30分から1時間の感覚で、ベッドに座ったり立ちあがったり、自傷未遂を繰り返していたので。 今日は母も同伴。 何故か、主治医は母が同伴の時は心持ち不機嫌に。 そして、状況を話すと、先生はう~んと考え込む。 基本的に、薬を増やすのを好まない先生だし、自分もできるなら増やしたくはない。 結局、寝る前に「鎮静剤」として「コントミン25mg」を7日分、処方された。基本、増やしたくないし、昼間もぼーっとするらしいので、山に行く前などは飲まないなど工夫しても良いと言うことだったので、安心した。 【コントミン】 ・気分を落ち着ける作用。 統合失調症のほか、躁病や神経症などいろいろな精神症状の改善。 ・寝つきをよくする作用。 ・脳内の情報伝達系の混乱を改善。 おもに、ドーパミンという神経伝達物質をおさえる作用によります。 とくに陽性症状(妄想、幻覚、幻聴、混乱、興奮)によく効きます。 陰性症状(感情鈍麻、思考・意欲減退)にも有効です。 ・脳に働きかけて、吐き気や嘔吐を止める作用。 ・吃逆(しゃっくり)の適応もあり。 副作用に 「体重増加」とある。げっ!今までの苦労は何だったんだ! それから実家に帰って、昼寝をしてみる。寝付いたのを見計らって、母と父は居間の電気を消し、機屋に入り、仕事する。意識は起きているので、それは感じてた。場所が変わっても、昼までも、やっぱり、立ちあがったり、座ったり、動き回ってしまう。 やっぱり、じっとして眠れないとおんおんと泣いていると、母がやってきて、お茶を飲ませてくれる。居間が見えるように、機屋との間のドアを開けてくれていたので、睡眠中に座ったり立ちあがったりしているのを全部見ていたようだった。 全身にお灸をすえてもらい、少し落ち着く。 今夜から「コントミン」を服用することにする。 横になって眠れますように。
2008.08.02

山を尾根伝いに歩いていると、登山道などなくて、降りているつもりが、踏み跡らしきものを感覚で探して歩くものだから、また登り道になったりして、降りているのか、登っているのか分からないまま歩く。 今、多分、7合目まで降りることができたように思う。 感覚だけど。 今日は休暇1日目。 朝、ゴミを出して、仕事に行かない感覚が判然としなくて、今日は金曜のはずで、みんなは会社や学校に行っているはずで、でも、自分は休みで。 玄関から恐る恐る外の様子を見る。 道行く人はスーツを着て、出勤していく。 パジャマ姿のまま、呆然とその様子を見る。 そうすると、自分が楽でいられるように周囲の人の介助を得て、当面、仕事をしない、という選択をしたけれど、スーツ姿で出勤していく人達の背中を見ていると、ものすごく、取り残されていくような、墜ちていくような感覚に怖くなって、玄関のドアを閉めて鍵をガチャリとかけた。 部屋の前の道を挟んで向かい側は、織屋で、平日らしく、機音が聞こえ、社長の威勢の良い電話の声が聞こえてくる。 ラジオをかけ、それをかき消す。 少しゲームをして、ものすごく身体が怠く、痛みを伴っているのに気付く。 元々、身体は生きている事への緊張からガチガチに堅くて常に強ばって頭痛がしているのだけれど、それ以上に、「自殺せよ」指令のために身体を起こそうとして座り寝をしているので、首から肩にかけてかなりの痛み。 そう言えば・・・と思い出し、仕事の同僚に、「あの案件は相手先から連絡あると思うので、22日まで待ってて欲しいと伝えてください」とメールを打つ。 仕事が頭から離れない。 半ジャージにTシャツのまま、ポケットに小銭だけ入れて、接骨院に行く。前身を念入りに、そして、力一杯マッサージしてもらい、ほんの少し楽になったような気がして、また部屋に帰る。 お腹が減ったので、タッパーに入ったご飯をそのままレンジでチンしてそのままふりかけをかけて食べる。 それから、同人のT田さんから電話があり、パソコンのメールにファイルを添付して送信したいんだけど、やり方が分からないので教えて欲しいとのこと。あーして、こーして、ファイルを選べばOKです。とお伝えし、そう言えば、京都でルノワール展がやっているらしいので、見に行かない?と誘っていただき、京都なら出掛けられかもと「当日の体調が良ければ」承諾したが、ネットで調べると京都国立近代美術館でのルノワール展は先月で終わっていた。それを伝えにT田さんに電話をする。あらあらという感じで、では、どこか京都の涼しいところへ行きましょうと言っていただき、「じゃあ、探してみます」といったん、電話を切った。 ネットで美術館系を探してみたが、なんだかよくわからないものばかりで、実際の所は、自分なら海遊館などに行きたいのだけど、休職している今、大阪まで出るのはかなりの気力がいることを伝える。そういうわけで、また何か見つかればと言うことで話は終わった。 意外だったのは、映画だったら、一カ所だけロングランで「奇跡のシンフォニー」を上映しているところがあったので、これなら、音楽家でもあるT田さんの好みに合うかなと思ったら、「それなら『ゲゲゲの鬼太郎の方』がいい」とのこと。結構意外。 そんなわけで、朝の不安感は少し晴れ、午後から来いと言われていたので、実家に行く。 その時には鏡を見たら、まるで、演技をしていない状態の山崎努が(新聞何処だっけ?)という感じで振り向いたときのような鬱顔。 実家で寝ていたが、父がなにやらぼやいていて、目が覚めた。 それから母とお好み焼きを食べに出かけた。 大好物のお好み焼きなのに、いっこうに美味しいと感じない。 健康状態というのはこんなにも味覚に影響するものなのだ。 無口に親子でお好み焼きを食べて、それぞれ家に帰ったが、どうにもお好み焼きの味を楽しめなかったこと、そして、どうしようもなく疲れていて、苦しくてたまらなくなって、Hさんに電話。 折り返しHさんから電話があって、「今から行く」と言ってもらう。 特急で駆けつけてくれて、本当に嬉しかった。 不思議なもので、嬉しいとか楽しいとかそういう感情は人を寝転がった状態から立たせるのである。 深夜まで一緒にいてくれた。 今、足を降ろそうとしている踏み跡らしき地面は、もしかすると脆くてずりずりと足を滑らせてしまうかも知れない、踏み込みが悪ければ捻挫するかも知れない。山から下りるというのは登るより怖い。 でも、「生」という世界へと一歩、降りられたのは、メールで励ましてくださる方やここで応援してくださる方、そして、実際に支えてくれる方のお陰だと思う。 でもね、「下山しよう」という意思はあるものの、まだまだ、死んだ方が楽になれるという邪念が体の芯を縛り付けているのは確かです。たらふく白梅町店
2008.08.01
酷い鬱状態が続いている。見た目は、変わらない。変わらないように見せているから。1ヶ月の病気休職。8月1日~31日。 金曜日に入院の話もあるということを上司に話してはいたが、今日改めて、「体調はどうなのか?」と訊かれ、ゆっくりと話し始めた。 もう長いこと、ゆっくり眠っていない、眠っている間に「自殺せよ」と指令があるように感じて外へ出ようとすること、ベッドに腰掛けてしまっていることを話し、無理はできないこと、それでも頑張って、頑張ってやってきた。 仕事も支障がないように頑張ってきたし、家族のことや友達のこと、そして、自分自身に降りかかってくる様々な不運にもう疲れ切ったことを話す。 医者と入院の話もしているが、緊急入院ならいろんな病状の人と同室で、決して安心して寝ていられないから、君には個室でゆっくり眠るようにと紹介された病院での診察を待っているけれど、診察を受けた病院のベッドが空くのを待っていたら、いつになるかわからない。 だけども、今、まさに今、ゆっくり眠りたいということ、もう疲れ切っているんだと言うことを話す。 冷静に、「鬱話なんてうざい」なんて思われたくないから、冷静に話そうと思っても、鼻の奥から涙がこみ上げてきたが、奥歯でかみ殺しながら話す。 そして、「どうしたい?」と訊かれたが、答えられない。 それが答えられるのならば、今日、出勤していなかっただろうから。 家で眠るのが良いのか、いつもと同じように出勤して仕事をするのが良いのか、わからなかった。今朝も眠れないまま、泣きながら考え、母と相談した。 もう、仕事を辞めてしまいたいとも思った反面で、あの会社のことは嫌いどころか、好きなわけで、本心なのかどうかも分からない。 「今日は休みなさい」 と母に言われたが、結局出勤した。 そして、夕方にその話になった。 どうしたいか・・・「眠りたい、気持ちを休めたい・・・」としか言いようがなかった。 しかし、夏場の盆休みは毎年たっぷりもらっているし、これ以上休みたいとはなかなか言いにくいので、土日に山の方の民宿にでも行くかと母からも言われていた。 でも、それならば、いっそ、一ヶ月ゆっくり休んではどうかと言われた。8月はいろいろと忙しい時期。それが気になることを伝えると、「仕事のことを気にしてくれているのはいつも分かっている。仕事が負担になっているならば、せめて、それだけでも休んでみたらどうか。どのみち、君がいなくなれば、俺らが手分けしてやらないといけないことだから、それが前倒しになるだけだから」ということで(金曜日のことを思えば、物は言い様、とも思わなくもないが、それを気にしていたらもう頭が空中分解してしまいそうなので考えないことにするけれど)、とにかく、限界に来てることは確かなので、一ヶ月の病気休職をもらうことにした。 正直、とても複雑な気分。 9月1日から普通に職場復帰できるのかどうか。引きこもりにならないか・・・休みとなれば、一日中、自分の抱える問題に対峙し続けることになるのではないか。その時に耐えられるか。 あらかたの設備機器の説明と、大まかな業務内容はノートに書いていたので、それをもとに業務は進むだろうが、22日はどうしても複雑な仕事があって、自分にしかできないので、出勤することに。 夏休みでいうところの登校日。 思っていたこと・・・、不安を全部話して、これは、親しい友達にしか決して言うまいと決めていた「もう、疲れ切った」「死にたい」ということを言ったことで、ほんの少し、楽になった。自分と接する誰かが少しでも気分良くなってもらえたらと、自分なりのキャラを演じてきて、決して言うまいと決めていた言葉。 それから小一時間、バタバタと必要な書類のありかなどを説明したり、設備機器の説明をしたり、とにかく、ややこしいことは22日に、ということにして、最後は独り残って、冷蔵庫に入れていた自分の飲み物や毎日使うもので会社に置いていた物を荷物にまとめ、机の上をきれいに片付けてきた。勿論、辞めるわけではないので、全部は持って帰らなかったけれど。それから、他の部署に「一ヶ月、長期休暇とりますので」と挨拶して回る。 ホールではaikoの公演直前で、バタバタしていたけれど。 帰ってから友人に休暇を取ったことを報告した。 「引きこもらないか不安や」 と言うと、友達は、 「何言うてんのや、病欠前から遊び回っていたやんかwww」 と言われた。 確かに、毎週山に行っていたし・・・。 でも、独りになるという療養だから。 今、安くで滞在できる山の方の民宿やキャンプ場を探し始めている。 母もそれが良いと言っていた。
2008.07.31
鬱状態はずっと続いている。 それほど暑くてたまらないというわけでもないのにまんじりと眠れず、夜中にベッドから起き出したり、ベッドの上に座っていたり。 活発だった頃から考えられないほど、何をやってもうまくいかない、問題が次から次へと降り注いできて、性分である人ごとなのに自分事のように悩んでしまったりしたり、家族関係も大変だったり、まさかと思うような事件に巻き込まれたりしたり、不幸の象徴のような転び方をしたり、そうしているうちに、いろんなものが怖くなって、いろんなものが虚ろに感じるようになって、勿論、その時にはもう鬱病だったけれど、その上、そういう虚ろな状態になり、「キボウ」という言葉が未来にあるのにその空を見上げられなくなったり。 「笑う門には福来たる」 仕事場では明るくしているつもりだけれど。 病欠3日目。これだけ暑いと釣れないのは百も承知。 R38をちんたらちんたら北上すること1時間。 雲ヶ畑の少し手前あたりまで。 京都市内も勿論、北の方が上りだし、山の手の方へ行けばかなりの上り。 ゼイゼイ汗かきながら登る。雲ヶ畑なんて、釣り場としてはとうに時代として終わっているし、今まで見向きもしなかったが、出掛けた時間ではもうバスはなかったし、ほんのちょっと川面を渡る風にあたりに出掛けるつもりだったので、自転車で行くことにした。距離にして、12キロぐらいか。街中では車や人が多いし、かなりゆっくりスピードだった上に、途中で水分補給休憩をしたり、出掛けた時間が昼前だったために、開店しているラーメン屋もあり、食べていこうか・・・と中を覗き込んだりして、かなりスローペースで。山が近づいてきて急に上り坂になったので、1時間かかったけど、距離としては40分ぐらいなのかも。 帰りは30分で帰ってきたし。 魚はたくさんいる。いわゆる、じゃこばっかり。 天ぷらや唐揚げにしたら美味しいけど、面倒なので、28匹釣ったけど、全てリリース。大きさも唐揚げにちょうどいいサイズ。でも、リリース。 やっぱり、もうアマゴのシーズンは終わったのだな。 4~6月はかなり遊ばせてもらったから、もう、秋までお預けだろう。 帰ろうかなと道路に出ると、スクーターに乗ったおじさんがやってきて、Uターンしてこちらへきた。 「あまご?」 「ええ。あきませんわ、やっぱし」 と答えると、どうやらおじさん、釣りにはちょっとばかし、詳しいらしい。海釣り、渓流釣り、ヘラブナ、鯉、鰻とありとあらゆる釣りを経験しているらしい。 大学教授だと言っていたから、そういう研究しているのかも。 地図を広げて見せて、ここであれがつれる、この峠の先でアマゴの30センチクラスがたまにかかるとかいろいろ教えてもらい、なんだかんだと1時間以上立ち話をして教えてもらった。まあ、結論から言えば、十分分かってはいたけれど、もうアマゴのシーズンじゃないこと。それと、自転車は無謀ということ。あと、夏休みに入って、あちこちで、若者が泳いでいるから釣りにはならないと。 あと、鯉を釣る人達の間では縄張りみたいなのがあって、最初の挨拶(缶コーヒー差し入れ等)を怠ると、竿を折られるとか。(怖) 釣り堀は釣り堀で道具自慢の人とかいて大変だとか。 釣り堀って何が楽しいんだと思うけど、そこへ行く人は道具を楽しんでるらしい。 そういう裏話もたくさん聞けて楽しかった。 教授だけあって、話の仕方がすごく上手くて、どのエピソードもとても楽しかった。 でもそのおじさんには、自分が61日後に死のうと思っている(8合目)ことはわからないんだろうなと思う。 まあ、都会の真ん中に住んでいて、アマゴが釣れる冷水域まで自転車で走るのは無謀(しかも街乗り3段ギア自転車だし)っていうことで。 じゃこしか釣れなかったけど、人のいない場所で川面を見ながらおにぎりを食べるのは、ほんの少し、幸せを感じた。ちなみに、入院の話は随分先になりそうです。入院できる病院に受診に行くのが8月14日。それからベッドが空くのを待ってからだから、早くて8月下旬か9月。病院たらい回しとか、入院のベッドが空くのを待つとかよく聞いてはいたが、今苦しいのに、入院できないなんてね。医療ってどうなっているんだろうと思う。
2008.07.30
木曜日の夜、病院から帰ってから、東京に転勤している同期のM君から電話。内示があったという内容。近く昇格予定。めでたや。 そしてたまたま、M君は全国何処にでも応援に回るほど熱狂的阪神ファンで、日曜日の甲子園での試合を観戦するために帰阪するというので、土曜日、空いてるか?と聞かれ、「昼なら」と答え、ランチを食べることになった。 薬が強くなって、一日中、ぼやんとしている。 睡眠は途中覚醒は未だにあるけれど、とりあえず、寝る前の薬を飲んだらコテンと寝られるようにはなった。 途中覚醒と強い睡眠薬で朝がぼやんとしているので、例会の準備と身支度にえらく時間がかかったが、なんとな約束の時間に大阪駅に到着し、M君と会う。 M君は会社内では飄々としてエロキャラで通っていて、キャバクラ通いも頻繁だけれども、持ち前のポジティブさ(天然なんだろうな、きっと)で誰からも可愛がられている。なんか、憎めない奴だ。ぼけーっとしているようで、仕事はできる。ところが、7月の昇格に名前がなかったので、みんなでおかしいおかしいと言っていたら、サプライズ人事。 当然、M君はご機嫌だった。 というわけで、風月でお好み焼きをご馳走になり、今度は難波に移動してちょいと高級なカフェでお茶とケーキもご馳走になる。 「お前、そんな小さかった?痩せて顔がホームベースみたいになったな」 とか言われ、なんだろうこの脱力系は・・・と想いながらも、和気藹々としょーもない話をして過ごす。「今、しんどい」とは言わず、M君の脱力系会話を聞いていた。 その後、M君は地元でツレと飲み会ということで4時前に難波で別れ、自分は鶴橋へ。鶴橋に到着したのは4時前で、ランチで和んだとはいえ、体調も気力もぼうっとしているので、人混みを避けようとウロウロする。T田さんがご在宅ならお茶でもと思ったが、電話が留守電になっていた。 というわけで、例会会場のすぐ近くの喫茶店で時間を潰す。 いくら相手が脱力系のM君とはいえ、家を出てから数時間経つと少し疲れが出てくる。 入院どうなるんだろう、とか、またいろいろ考えそうになるが、言葉を戴いている皆さんの言葉を思い出し、なんだか、涙が出そうになる。 それから、ブックオフに入り、釣りの本を買う。 例会開始15分前に会場入り。 F君とKyさんがいらしてた。 始まってから、今回もまた、見学ということで、ぼーっと皆さんの意見を聞いていた。鬱の症状がこのところ顕著で、集中力ががくんと落ちているのを感じる。 昼にお好み焼きとケーキセットを食べたというのに、そして、見学しかできなかったというのに、二次会に参加させていただく。Kyさんの「ぶあいそう」にて。 飛び交うお話を聞かせてもらうのでいっぱいいっぱいだったが、やっぱり、この会は居心地がいい。 「生きているという証を書く」というエネルギーが詰まっているからかもしれない。ただ、毎日毎日、文学の勉強と仕事を懸命にしているF君が珍しく、飲んでる最中に気分が悪くなった。顔色が悪くなっていき、酷く汗をかき始めていた。冷たいおしぼりで頭を冷やし、横になっていたF君。疲れていたんだろう。無理をしないで欲しい、心からそう思った。と、同時に、F君もまた、先日、飲み会の席で他人の怒号に怯えて震えていた自分の背中をさすり続けてくれていたことを思い出す。無口なF君だが、同じように心配してくれているんだということがしみた。 自分はといえば、書き始めた作品も、薬が変わってからとにかくぼーっとしているので、また少しストップしているが、明日あたりには慣れるだろうか。ぼーっとしてしまうと、時間の使い方が崩れてしまい、ぼーっと座っているしか仕方ない時間が増えてしまい、片付け物とかが押せ押せになってしまう。 気分的にもやっぱり沈みがちで、ゲラゲラとは笑えない。 だけど・・・。 今は疲れて動けない状態だけど、簡単に“向こう側”に転がっては行けないのだ。まず、SPの言うとおり、楽しいことをする、ということだけを考えよう。Mさんも言っていた。「蝉は7年間土の中で生きて、羽化して1週間で死ぬのが格好良い」と言った自分に、「精一杯、一週間鳴くから格好良いんだよ」と。楽しいことをして、腹の底から笑って、心残りを遺してはいけないんだとSPは言う。その為に、早く、入院できる場所が見つかると良いんだけど。 独りになりたい自分、誰かの助けを必要とする自分、そのことについて、考えた。 幸せなことに、誰かの介助を必要とする時、自分には数人の支援者がいる。それだけは忘れてはならないんだと思う。 時限爆弾に似た決意が、自分の中から完全に消滅するまで、時間はかかるかも知れないけれど、だけど。
2008.07.26
昨日(木曜日)、主治医から入院のための紹介状をもらってきた。 で、入院予定の病院の初診は午前中だけなので、月曜日にやすみとって、紹介状を持ってい行こうと考えいた。 そこで、まず、月曜日を休みを取ることと入院するかもしれないことを上司に報告。 上司はやはり、鬱陶しい話は面倒で邪魔に思うらしかった。理解してもらえなくて当たり前、と思わなくては。 それでも、休みをもらい、入院先の病院に電話をかけた。 サイトを見たら、初診の場合は必ず事前に予約を入れなければならないとのことだったから、金曜日に電話して、月曜日に予約入れて主治医に書いてもらった紹介状を持って行こうと思った。 ところが、最初に出た受付の人から、「入院の相談ですね、相談員に繋ぎます」と言われたが、相談員の人が手が離せないらしく、後から折り返し電話をかけますと言われ、じっと待っていた。 ところが、いっこうに電話がかかってこないので5時を回ってから「お電話いただけるということで待っているのですけど・・・」ともう一度受付の人に電話すると、相談員につなげてもらえた。 その日は、仕事でも、前日に取引先の人に二度も伝言を頼んだのに、伝わってなくて、今日、再度電話してやっと連絡が付いたが、どうも伝言は伝わってなかったようで、「知らなかった」と。挙げ句、こちらに預けられている用紙が古いから書き直ししてもらうかもしれないということになったりしたので、けっこう、イラッとしていたのもあったので、凹んでた。 それで、主治医から入院の紹介状をもらっているので、月曜日にそちらに伺ってお話を聞きたいということを伝えたが、また後でかけ直す(担当医とベッドの空き具合によるからと)と言われ、じっと待っていた。しばらくして折り返し電話があったが、「紹介状(治療経過報告書)がないと判断できないので、月曜日に来ていただいても無理」と言われた。 それで、「主治医のつ○○医院さんからそれを直接ファックスしてもらってくだい、それと、別の病院での入院も視野に入れて考えてくださいということをつ○○医院に伝えていただけますか」と言われた。 ベッドがすぐに空かないのは仕方ないと思っていたが。 すぐにつ○○医院に電話して(この時点でかなり混乱して悲しみでいっぱい)、事情を話した。先生は診察中だったが、スタッフサンガとても親切に対応してくれた。すぐに相手の病院にファックスして話をしてくれたらしい。 ちょうど、仕事時間が終わって帰る時間なので、京都駅に着いたらもういちど電話してくださいねと言われ、京都駅について電話してみると、「○○病院の○○相談員にFAXしました。月曜日に受け入れられるかフィッシャーちゃんに連絡してくれるそうです」ということだった。 考えてみれば、精神科というのは、外科手術や抗ガン剤やそういう大きな治療行為がないから、入院は儲からないのだろうなと思った。それより、外来でより多くの患者を診た方が儲かるという話を聞いたことがある。 そう言えば、前に書いた友達もなかなか入院できなかった経緯があった。 紹介状をもらって、すぐに相手の病院で診察受けて、部屋が空くのを待つ時間はあってもそれなりにスムーズにいけると思っていたが、最初の段階で躓いて、弱っていた心にはダメージが大きかった。 落ち着き先が決まらない疲れが大きかったのに、それを癒すための場所も見つからない不安はとても大きい。 夜になって、SPと電話していたら、「尾越の家にしばらくいたら?食料は運んであげるから」と言ってもらった。いずれにしても、また、躓いてしまったことで、ちょっとまた余計に調子が悪い。 土曜は例会がある。 東京に転勤しているM君が帰ってきてるから昼飯食おうと電話があったので、大阪に出るつもりなので、例会はまた「見学」ということで参加しようと思う。 M君は同期入社で、なんというか、「楽天家」の典型みたいな人で、適度にキャバクラで遊び、適度に要領よく仕事し、社長の目の前で携帯いじって怒鳴られてもあんまり気にしないほどプラス思考の持ち主で、そのプラスパワーをもらおうと思ってます。お好み焼き奢ってくれるらしいので。
2008.07.25
今日は通院日。 こんな日に限って電車が遅延。 病院に到着するとかなりの患者で随分待ち時間があった。 絵本を片手に待ち時間をすごす。 診察室に呼ばれ、症状を全部話す。 「入院、しようか」 と主治医。 強制でも緊急でもないので、ひとまず、紹介状を持って、病院へ行くことになった。見学させてもらって、居心地良さそうで、個室が空いていたら、それを確認して入院となる。目的はぐっすり眠って身体と心を休めることなので、ショートステイの予定。(向こうの先生がなんと判断するかわからないけど) 仕事の都合もあるので、明日すぐにという事にはできないけれど。なんとなく、ホッとした。そして、薬ががらっと強い物に変更になった。薬飲んで、気がついたら床で寝てて、朝5時。身体痛い・・・。
2008.07.24
かなり、堅い決心。そして、決心してからは妙に心が平穏になり、もうすぐ楽になれると思うと、冷静さが戻ってきたように思う。ずっと前、発病する前からずっと前、子供の時からの傷とか今の状況とか、一昨年、去年、今年といろいろあって、それらを背負っていくのも疲れたし、もう限界であるのは間違いない。姉ちゃんだって、自分がいるだけで迷惑だろうから。だけど、「それは変だ」とMさんが気にして何度かメールを下さっている。忙しい中、毎日、「おはよう」とメールを下さる。死のうと決心した時、その後、自分は信頼している人の言葉もしんどく感じている。だって、67日後には全てから解放されるのだから。最近はネットで自殺についていろいろ調べものをしていた。自殺予告をしているひとの書き込みに対するレスは「電車飛び込みは何万人もの人に迷惑をかける」飛び降りだって、それを見てしまった人は気分が悪くなる、「だから、死にたければ樹海へ行け」というレスが多かった。で、そうしようと思ったが、捜索願が出されれば、捜索費用の請求が家族にくるそうだ。どんな方法でも、人に迷惑をかける・・・という現実をMさんは言い、そして、「それは甘えだ」と言った。最初は、やっぱり理解してもらえないのかなと言う失望感が頭をよぎったが、ふと、本当に自分がしたいことは何だろうと考えてみると、とにかく、ゆっくり休みたい、ということだった。時間に追われるように一週間があっという間に過ぎているのに、極度の疲労だけが身体に蓄積されていく。仕事に行って、少し残業して、月6回の通院、心を守るためにあり得ないほど硬直した身体から生じる肩こり、頭痛、腰痛、足のむくみをほぐしてもらうために接骨院へ。帰ってきたら、玄関のドアを閉めるやいなや、そのままうずくまって動けない。メンタル系の病気というのは、心がただ沈むとか気持ちの持ちようがマイナス思考だとかそれだけの問題じゃなくて、脳内のホルモン分泌が狂うために、身体のあちこちに異常が現れます。自律神経の乱れから身体が硬直して激しい頭痛、胃腸の不具合、不眠、過眠、過食、拒食、前身の怠さ、不整脈、いろんな症状が出ます。例えば、仕事のパワハラ・過労など明確なストレスの場合は、それを取り除く(求職・転職)ことと休養と薬で数ヶ月で復帰できるケースもありますが、自分の場合は、過労がきっかけでしたが、結局は何十年物積み重ねからなので、完治は難しいです。だから、もう、本当に疲れていた。そんな折り、同じくメンタル系の病気でお里帰りしている友達のお父さんが友達の介護疲れで自殺された。それから友達は入院しているのだけど、自分の主治医から見舞いは止められている。心の中で気がかりで、ある時、夢でその友達が一緒に死のうと誘いに来る夢を見た。それから死のうと決意をして、その日まで楽しもうと週末になると釣りに出掛けていた。けど、リラックス状態が続くのは2日程度で、仕事が始まるとまた硬直し始める。まじで疲れた。会社では、勿論、可愛がっていただいて、日頃は冗談も言い合っている。でも、誰だってそうであるように、鬱陶しい話など聞きたくないから、具合が悪いと言えば、簡単に病気求職や有給を遡って取得するようにしてくれるが、仕事場ではヘラヘラし続けているから、実情を話そうとしてもはぐらかされる。それに、今、会社はものすごい多忙期で、みんな疲れ切っているからそんな話をするのも躊躇われる。いろんなことを気にしすぎて、ドロドロの鬱状態でも仕事に行って、へらへらしているから、「元気そうやな」と声をかけていただく。返答に困りつつも、「ぼちぼちです」と言うのがやっと。そんなこんなで、もう限界で、日々、9月末日の決行の想いが強くなっていた。だけど、知人から毎日メールが届いていた。「どんなに親しい人だって、誰だって、自分の仕事と家庭を守るのに必死で闘っている。自分のことなんか、あっという間に忘れるに決まってる」と思いこんでた。今も、それが完全に払拭された訳じゃない。でも、かなり堅い決心だったが、知人の「全部投げ出せ」ということばに別の選択肢を模索しはじめた。 明日通院日だし、相談してこよう。まだ、決心は堅いけれど、模索してみよう。67日。その間、模索してみようと思う。入院も含めて。保険とか何も入っていない(鬱病は保険に入れません)ので、入院費用がどれだけかかるのか、その間の仕事が山積みになるのではないかとか(休みは簡単にもらえるけど、仕事に関してサポート体制を敷いてくれない)課題はあるけれど、せめて、自宅療養とか「何にも頑張らない」時間を作ってみようかと思う。その間に、決行の日に関しての考えも変わるかも知れない。(変わらないかも知れないけれど)
2008.07.23
7月16日の日記で、「そして、(ほとんどアクセスもないでしょうから気付く人もないと思いますが)このことで、電話やメールをしてくるのも勘弁してください。」と書きました。今日、友人から連絡がありました。「拒絶されているように思える」と。ん・・・少し書き方が良くなかったようで、申し訳ありません。正直、今も疲れ切っているということは変わりがなく、もう頑張れない状態であるのには違いなくて・・・ただ、一般論的に「頑張れ」とか「気の持ちよう」とか根性論を聞くのがしんどいということで。友達のことは大切に思っているし、拒絶しているわけではないのです。その日まで、普通に会話するのはうれしいことです。連絡をくれた友達とは長いつきあいじゃないけれど、すごいやつだと尊敬もしているし、自分に対しても敬意をはらってくれて、対等で、自然体でいられて、とても大切な友人です。だから、決して、拒絶しているんじゃなくて。なんで、9月末かというと、渓流釣りが9月末で禁漁期に入るし、観たい映画「20世紀少年」(これは3年かけて3部作で公開されるので、全部観られないのはちょっと心残りだけれど)を観て、思い残すことはないかな・・・という感じで設定しました。あと、毎年、9~10月の鬱が激しくて、これが何より怖いこと、もう気力も限界なので。
2008.07.21
全216件 (216件中 1-50件目)