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シュタイナーのプロフィール●ルドルフ・シュタイナーは1861年生まれのドイツの思想家である。人智学の名で知られており、教育、農業、建築、医学、宗教など多岐にわたる分野で自らの考えを著作物にしてきた。教育分野では、世界各地にシュタイナー学校も設立されている。福祉関係や芸術関係の人の多くがシュタイナーの本を読んでいるようである。●シュタイナーの本については、私は『社会の未来』、『シュタイナー経済学講座』(この本は途中までしか読んでいない)と『エンデの遺言』(NHK出版)でのシュタイナーの紹介を読んだ程度の知識しか持ち合わせていない。●シュタイナーについて論ずることは「群盲、象を撫でる」ようなことになりかねないので、『社会の未来』(シュタイナー選集第9巻)を読んだ限りでの、私の考えとの類似点と相違点を書いてみた。社会有機体三分節化論「…公的生命としての社会有機体が、公的精神生活(特に教育制度における)の自主的な精神生活、政治=国家=法律関係の自主管理および経済生活の完全に自主的な管理に分節化されざるをえないということがわかります」「民主的な管理を行うには何らかの議会が必要になります。けれどもそのような民主的議会が精神生活という、教育活動をも含めた領域の事柄を決定することは決して許されないのです」「自主的な精神生活だけが、灰色の理論や世間知らずの学者的な見方から離れて、実生活の中に働きかけ、私たちに経済生活にも役立ちうるような認識を与えてくれるのです」「専門知識と専門手腕だけが経済生活のために良い成果をあげる条件なのです。したがって、経済生活は法治国家と精神生活から独立して、固有の地盤の上に立てられなければなりません」●シュタイナーの三分節化論は、ソ連や東欧の社会主義政権による経済のみならず、教育や思想統制を念頭においたものと考えられる。三分節化を強く主張する時代背景が強く作用していたと思える。●「精神の自由」に関連して、私の考える自由は「選択の自由」(堺屋太一)に他ならず、これには思想や宗教の自由、移動の自由も含まれる。●精神分野の独立性を唱える点はリバタリアニズムとの共通点があるように思うが、私の場合にも「選択の自由」を何にも増して重要な基本的人権であると考えており、教育、思想、宗教、芸術に国家が干渉すべきでは無いと考える点は共通しているように思える。国家の権限や法律による規制は小さければ小さいほど良い。●国家が経済にも直接干渉すべきでないという点も同様である。私の考える「配当」は、政府(世界政府から地方政府まで)が一括管理・運用する方法も考えられるが、個人に全て配分するようにして、その運用を個人や法人の自由にさせようという趣旨である。「…経済生活の中では、労働力そのものではなく、労動力が作り出す生産物だけが問題になるのです。そして、経済管理はこの生産物相互の価値を規制することだけに限定されねばなりません。労働は経済循環の圏外に置かれなければなりません。労働は法の分野の中に存在しなければなりません」●シュタイナーは人間を労働力商品として扱う経済に反対していると考えることができるが、私もこの考えには賛成である。人間を労働力商品(賃労働者化)としないために、私の考えたことは「稼ぎが無ければ生活できない」ようなお金の流れを逆転することである。しかし、人や社会への貢献度に応じた報酬は与えられて然るべきであると考える。生産手段「一般に生産手段は売却できる財としてではなく、法律によって決定される法的もしくは精神的な手続きによって、或る人物またはグループから、他の人物またはグループへ委ねられる財なのです」「ですから今日、不当にも経済生活の中で扱われている土地所有権、土地処分権、生産手段の処分権は精神分野との協力の下に、独立した法分野の中で扱われるべきなのです」●この記述の意味は良く理解できないのであるが、生産手段の社会的所有ではないようにも受け取れる。下記の専門家による指導のようなことによる「移譲」なのであろうか?●気にかかるのは、生産手段の定義である。モノは時に生産財になり、時に消費財になる。このような判断をどのようにするのであろうか?経済論専門家による市場制御「…今日の混沌とした市場の代わりに、別な制度が作られねばなりません。…連合の原則の働きの下で、実際に観察される需要に応じて商品を生産できるようにすることです。…需要を研究する専門家のいる制度が存在しなければならないのです」「…専門知識と技術能力のある人々がいかければならず、生産過程はそのような人々によって定められねばならない、と。そのような実際能力や専門知識のある人々が互いに結びつき、個人の自主性による生産を基礎にして経済生活を営まなければならないのです。--これが本当の連合の原理です」「…偶然性の代わりに、人間理性が市場に働きかけるようになるでしょう。その場合、価格はそこに機能する制度の中で取り決められたことの表現になります。こうして市場が作り替えられ、今日支配的である市場の偶然性の代わりに、理性が支配するようになるのです」●シュタイナーは経済の専門家達による適正な価格設定を考えているようだが、そうしたいという動機は分からないではない。しかし、世界中にある量も質も微妙に異なるあらゆる商やサービス品に、適切に価格を付けるといったことが、現実的に可能であろうか? 生産者だけでなく消費者からもクレームが出るのではなかろうか?●それと専門家による価格付けというのは、統制価格のようなものになり、市場民主主義の原理に反することになるのではなかろうか?●確かに「見えざる神の手」は時に、消費財の高騰を招いたりする問題を引き起こすので、全く問題が無い訳ではない。しかし、分業に基づく社会では市場は不可欠である。市場経済では受給調整機能によって、物財やサービスの生産量と価格調整が行われる。●問題は市場経済にあるのではなく、経済が利潤追求動機で動いていることにあるというのが私の考えである。●このため、人間的動機が働き易い「投資配当システム」を提案している訳である。この場合、価格は市場が決めることにはなるが、人や組織は利潤追求を動機として活動する訳ではないので、価格を幅で提示して消費者に価格決定を委ねるようなこともある。愛による経済の支配「…共通の利己主義からだけではなく、共通の愛から生じるものが、精神的観点から生産体制を支配できるのです」「…共通の消費生活のために世界的規模での生産体制を生じさせるに十分強力な精神活動を行うことによってなのです。そうすれば共通の精神が共通の消費生活に働きかけて、生産と消費の間の循環、仲介を正しく機能させるようになるでしょう」●経済活動は「愛」に基づいてなされるべきであるとの理念には賛成である。問題は、具体的にどうするかであるが、シュタイナーの考えは、選ばれた専門家達に指導させるとの考えのようである。●問題は「愛」を如何にシステムに体現させるかである。「減価するお金」の採用もひとつの方法である。減価するお金を手に入れた人は、減価を避けるという「利益」のために早々にお金を使おうとする。社会のためにお金を使おうとしている訳ではないが、結果として経済を活性化し、社会のためになっているのである。●私の場合は、「愛に満ちた精神の持ち主による指導」ではなく、「愛が働き易いようなシステム」で対応しようという考えである。●共産主義や宗教の目的は人々を幸福にすることであると考えられるが、多くはその反対になってしまった。金儲け主義の罪深い資本主義が幾多の罪作りを行いながらも、「民主主義」を広めているのは、システムがそうさせたと考えることができる。邪悪な精神が経済活動を支配したからではない。●配当システムは、「愛による投資」を発揮し易くなる。「儲けるための投資」であっても、結果的に社会の役にたつことになる。どちらも人や社会のためになる。●繰り返しになるが、私の方は「愛をもった人達を増やして経済を運営する」ではなく、「愛が発揮しやすい経済の仕組み」を考えようということである。老化する貨幣『社会問題の核心』には「…貨幣所有権が一定の時日を経過した後、何らかの手段で、改鋳や、新紙幣を発行し、旧貨幣の回収を図ることもできる」との記述があるようだが、『社会の未来』にはこの記述を発見できなかった。●シュタイナーの「老化するお金」という考えにも賛成である。私の考える未来社会では、Gバンクからの配当が世界中に配分され続けるので、そのままではインフレになる。インフレを防ぐには、配分された古いお金を日々回収する必要がある。このため、お金は日を追って減価していくことになる。●次回は、『エンデの遺言』に記載されたシルビオ・ゲゼルの減価する「自由貨幣」と彼の思想を紹介する予定である。
April 29, 2006
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●「リバタリアニズム」という社会思想がある。このような思想があることを知ったのはつい最近のことである。●リバタリアニズムは、日本語では「自由至上主義」とか「自由尊重主義」とか訳されているようである。●どのような思想であるかを知るためにロバート・ノージック「アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界」という本を買おうとしたのだが、古本でも1万円以上する。●とりあえず紹介本でもと思って、森村進さんの「自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門」という本を買ってみた。一通り、読んでみたのだが、この本を買って正解だったように思う。●リバタリアニズムにも、様々な考え方の違いがあるようで、森村さんは様々なリバタリアニズムのバリエーションも紹介している。●森村さんの考えに少なからず共鳴するところがあり、意見の異なるところもある。このリバタリアニズム(ここでは森村さんの考え方を中心に)の主要な点に関して、私の考え方との類似点と相違点を整理してみた。●以下で、L:は森村進さんの考え、M:は私の考えである。類似点■自由L:個人の自由をなによりも重んじる。国家や政府の役割を必要最小限に留める。M:「選択の自由」をなによりも大切なことと考える。未来社会では、活動動機が「人に役立つこと」になるであろうが、そのことを義務化している訳ではない。●「未来社会の選挙制度」と共に「選択の自由」と「人に役立つこと」をテーマとした物語●未来からの伝言 市長の選挙■市場L:政府による経済への規制・介入に基本的に反対する。市場こそ、個人の自由が典型的に実現されている秩序である。市場社会はしばしば「弱肉強食」の社会としてイメージされるが、これは間違いである。それは協力と分業によって相互に利益を与え合う共存共栄の場である。M:商品・サービス市場に替わりうるような合理的なものは無いと考える。但し、投資配当システムというものを考えているため、資本市場は無い。■国家と人権>L:人権は国家主権に優先する。参加民主主義には国民と国家を一体化させ、忠誠心を強要する恐れがある。国は、宗教の領域だけでなく歴史観やライフスタイルの領域でも中立であるべきだ。M:国境のようなものは廃止されるべきであり、どの地域に居住するかは個人の自由である。■参政権L:参政権は、経験が乏しいとか知性が未熟だといった理由で安易に参政権を否定すべきではない。M:年齢・性別の区別無く全ての人に参政権を与えるべきである。赤子や認知症の老人は参政権を行使できないだけのことである。■国境や国籍L:国境や国籍をあまり重要視しない。M:国や国境は人為的なものであり、ナショナリズムや国益といった利害関係の温床になるので廃止される。■移民L:定住外国人にお参政権が認められるべきだし…外国からの入国や移民も受け入れるべきである。(これには消極的なリバタリアンがいるとのことである)M:国や国境が無いのであるから、移動が自由ということになる。■反民族主義L:政治における民族主義一般に反対するから、民族自決主義や「民族の統一」といった思想にも反対する。リバタリアニズムが賛成するのは民族自決ではなく、住民自決である。理想とする国家は民族との結びつきを重視しないコスモポリタンなものである。リバタリアンにとって大切なのは、国家ではなく諸個人である。M:人類史的には民族なるものは人為的なものである。DNAでの識別が困難な人種や民族によって、人と人の間に垣根を設けたりするのは不自然である。域外に対して排他的であるような住民自決は問題がある。独裁政治などを防ぐ手立てでもあるのだが、地方政府の選挙に行政区域外の住民も(距離に応じて票の重みが小さくなるような)投票できる選挙制度とする。■家族L:子供は親の所有物ではなくて別個の人格だということを忘れてはならない。…かりに親が子供に最低限の扶養や教育を与えなければ、その権限は、国民の人権を守るべき任務を負った政府によって、制限されたり取り上げたりしてもやむをえない。(保守的なリバタリアンはそうは考えないようである)M:子供を適切に養育しない親や子供の選択の自由を奪う親は、子供から勘当されるか保護者としての資格を剥奪される。●親の勘当をテーマにした物語●未来からの伝言 親の勘当■婚姻制度の廃止L:婚姻という制度を法的に定めなければならない理由は明かでない。M:婚姻制度は私有財産(相続・贈与)制度と不可分の制度であり、私有財産制度の廃止にともなって自動的に消滅する。■税制L:いかなる課税もそれ自体としては財産権の侵害だから、最小限にとどめるべき… これらの要請を最も良く満たすのは、何の例外も控除もない、一定率の所得税か諸費税である。法人税は、法人から利益を受ける個々人への課税との二重取りになるから、純理論的には正当化できない。M:個人の収入(授権配当)から、世界政府や地方政府に定率で収める。累進課税の必要もなく、法人税も必要ない。但し、個人や法人が政府に寄付することは妨げない。相違点■結果の平等と機会の平等L:法の下の平等は、結果の平等や機会の平等のための公的介入を求めるものではない。M:結果の平等は求められるべきではないが、生まれた時点で機会の平等は与えられるべきである。このため、相続制度や贈与制度はなくなる。■相続税と譲与税L:財産所有者が生きている贈与税は…正当化しがたい。しかし…さまざまな税の中で相続税が一番正当化しやすい。正当な所有者がいない財産を取り上げる税だからである。(大部分のリバタリアンは私有財産の尊重を主張し、相続への課税に対して批判的であるとのことである)M:相続制度は、生まれながらの差別システムである。譲与制度も本人の活動や努力の結果でないものを、労無く手に入れることは許されることではなく、個人が生前に獲得した資産のみが個人の財産となる。替わりに、投資配当(これは本人の資産ではない)や授権配当(収入)を寄付や投資することになる。●譲与税が不当で相続税は不当でないのであれば、人は生前贈与によって実質的に相続させることができるので、私には森村さんの考えが良く理解できない。疑問点■環境問題L:環境問題の多く、特に公害は、私有財産制度及びそれと表裏一体の自己責任原則の不徹底から生ずる。…無過失責任主義をとるべきである。また自己責任の原則も、自分が作り出した汚染は自分が--社会全体ではなしに--責任を負うことを要求する。…要するに、環境汚染をもたらすのは私有財産制度ではなく、むしろその不徹底なのである。M:資本主義であるかぎり、利潤追求動機で経済活動が行われるので、資源の無駄遣いや環境汚染によって利益を上げられるのであれば、そのような行為は避けられない。義務ではなく、自主的に過失責任や自己責任を果たそうとしないことが問題なのではなかろうか?●私は、リバタリアンではないので、相違は当然である。大きな相違点は、リバタリアンが「個人の自由」をなによりも大切にしているのに対し、私の方は、「選択の自由」の他に「生まれた時点での機会均等」も欠かせないと考えている。リバタリアンは私有財産制度や資本主義制度を肯定するのに対して、私の方は否定しているということになる。●おそらく、「私有財産制度ではない、自由な市場経済」などを提案しているのは私だけかもしれない。
April 23, 2006
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経済システム以外の未来社会の仕組みについて解説する前に、思想と社会の仕組みについての考えをまとめておこうと思います。●皆さん、良く考えて見てください! すべからく、人は家族を愛し、隣人とは仲良くし、世界の平和を望んでいるのではないでしょうか?●愛の欠如のために、戦争や犯罪や環境破壊が行われているのでしょうか? 人の邪悪な心がそうさせているのでしょうか?●願いとは裏腹に、金儲けに追われ、醜い争いをし、地球環境を破壊しているのは、社会(世界)の仕組みがそのように人をして仕向けているのではないでしょうか?●世界の支配的な社会の仕組みは資本主義の社会・経済システムです。この仕組みこそが、人の願いとは裏腹な行動をさせているのではないでしょうか? 大多数の人々は生きるため仕方なくそうしているのではないでしょうか?●しかし、資本主義経済・社会システムに代替するリアリティのある有力なシステムは発見されていません。●私の提案するエポカの世界システムは、この資本主義経済・社会システムに対するひとつの代替案です。更に良い仕組みがあれば、私は躊躇無く賛成し、取り入れるつもりです。●人間の社会では「下部構造が上部構造を規定」しています。ここでいう下部構造とは経済システムのことを意味し、上部構造は政治や法律などを意味します。●また「存在が意識を規定」しています。ここでいう存在とは社会の仕組みであり、意識とは社会規範(行動規範)のことを意味します。●社会を変革するには、多くの人が「何よりも『自由、平等、平和を願う心』や『思想』が重要である」と言いますが、「社会の仕組み」が重要であると言う人は少ないように思います。●ところが、「思想」の必要性はともかくとして、改めて「自由、平等、平和」の大切さを指摘されなくても、世界の人々の共通の願いではないでしょうか?●ところで、思想や愛の重要性とその効果ですが、イスラム教やキリスト教の千年以上の布教によっても「自由、平等、平和」な社会は実現していません。●キリスト教が支配的宗教である西欧の人々の日常を決定づけている行動規範は、キリスト教の教えではなく資本主義経済システムの「論理」です。●人の日常行動は、経済の仕組み(原始共産的共有制、封建制、資本制、国家共有制)と社会組織(階級制、民主制)によって決まります。因習、宗教などがこれに彩りを添えるのであって、逆ではないと思います。●体制が比較的安定している状態では、体制に反する思想や宗教の布教活動によって変えられるのは、一部の人の頭だけであって、支配的な思想(社会規範)は変えられません。体制が不安定になりだすと、新しい思想を受け入れる人達が増えることになります。私は、思想の役割を軽視している訳では決してありません。布教活動は新体制の到来を早める役割をになっています。●思想や宗教の場合、目的が同じでも必ずといっていいほど対立関係になります。思想集団や宗教組織は、一般に閉鎖的です。組織は目的達成のため、組織の維持・拡大が不可欠になり、組織内では「組織の維持・拡大」が「組織の設立目的」よりも重要視されることになります。組織目的に反しても組織の維持・拡大の方が優先するようになります。手段である組織自体が目的になるのです。●同じような思想や教義をもつ集団ほど敵対し、憎しみあうようになります。これは、殆ど、例外がないといってもよさそうです。理想(頭)は組織(身体)を持った時から変質を開始します。●これらに関しては、参考までに下記の小説や解説をご覧下さい。『未来からの伝言』アンドロイドの神『未来社会の構造』制度と組織●イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は人間の「自由、平等、平和」を求めてきた筈です。にも拘わらず、思想や宗教が体制を変えることなく広まった場合、その思想や宗教は体制に取り込まれたか、観念の世界に限定されたことを意味します。●封建制度の下で広まったキリスト教は封建領主に取り込まれ、封建制度の補完物になり、自らも中央集権的になりました。(歴史的に、立派な思想や宗教の下で、救済とともにどれほど多くの罪が宗教の名によって行われてきたことでしょうか)●ところが、経済システムが変った場合には、良し悪しは別として、人の行動規範は劇的に変化しました。原始共産制から封建制、封建制から資本主義制度に変るたびに、人の価値観も大きく変りました。●理想社会を考える多くの人が、思想によって社会を変えるのだと言っています。思想や理念が最上位にあるべきだと言っています。●マルクス・エンゲルスの「共産主義」思想もそうでした。結果はともあれ、彼らは「社会主義」については具体的な仕組みを提示しました。しかし、かれらは社会主義の体制については具体的イメージをもっていたかもしれませんが、共産主義の具体的な社会の仕組みについて殆ど何も語っていません。社会主義に関しても、計画経済が官僚体制を必然化し、共産党の独裁政治になる必然性を認識していませんでした。●人間的社会とは「自由、平等、博愛」の社会です。しかし、立派な思想や宗教も、非人間的な社会システムに関しては荷が重過ぎます。●封建制度を前提に「人間の平等」を説いても意味がありません。仕組みを変えることなく「平等、自由、博愛」を百万回人に説いても、人間的な社会になるわけではありません。●人間的な社会を考える場合に最も重要なのは、「人間的動機が経済や社会の仕組みに反映されたもの」とすることであると思います。●思想過剰な人に、「あなたの立派な思想は分かりました。それでは、その立派な思想よって具体的に、どのような社会の仕組みをお考えになっているのでしょうか?」と質問した途端に、それまでの饒舌がなくなって、口をつぐんでしまいます。●「お金の無い社会」とか「必要に応じて得られる社会」という場合、具体的な経済や社会の仕組みはどのようになっているのでしょうか?●あるいは、「システムが問題なのではなく、愛が欠如しているから人間的な社会にならないんだ」と言う人もいるかもしれません。それでは、愛に満ちたキリスト教が支配的宗教である西欧諸国で、つい最近まで大戦を引き起こし、今もって人間的社会ができないのはなぜでしょうか?●あなたの思想や宗教、あるいは特定の思想家だけは例外だといえるのでしょうか?●思想を殊更重要視する人達は、思想に拘りを持ちます。類似思想ほど互いに異端思想扱いして争うようなことになります。●私は「社会システムの良し悪し」は問題にしますが、「思想の良し悪し」を問題にしようとは思いません。批判を行えば生産的な意見交換を離れ、泥沼に陥るからであり、無益な時間を浪費したくないからでもあります。●「自由、平等、平和」についての基本的な認識があれば、思想や宗教に拘る必要はないと考えています。人間的な仕組みが実現できれば、人は自ずから「愛」に基づいて行動するようになると考えています。●また「人の選択の自由」を妨げず、「人に迷惑をかけない」のであれば、どのような思想や宗教も許されるべきではないでしょうか? 反対に、特定の愛や倫理観の押し付け教育は御免こうむりたいものです。●私の「布教」活動は、未来社会の具体的な仕組みを提示して、「このような未来社会だったら住みたいと思いますか?」と問いかけることです。このような問いかけであれば、どのような思想や宗教を信奉する人とでも対話可能です。●そして、もっと良さそうな仕組みが提案されれば、組み入れていくことです。決して、「思想」そのものを訴えることはしないつもりです。●必要なのは、未来社会に向けた人間的社会の実現について、言葉で装飾された「美しい理念」を語るのではなく、「具体的な対案」を説明することです。対案の良し悪しは論理的にまともな議論ができますが、思想の良し悪しを議論しだすと敵意に満ちた批判の応酬になるのが落ちではないでしょうか?人間的経済・社会システムの要件●ところで、資本主義経済・社会システムの代替案は、次の要件を満たすものでなければならないと考えています。 経済的な利害対立を発生させないシステムであること 地球環境を悪化するような動機を持たない経済システムであること 法律や思想による補完が極力少なくて済むシステムであること 経済活動の動機が利潤追求などで決してなく、人の幸福増進であるシステムであること 最大限の選択の自由が保証されるシステムであること 生まれた時点での機会均等を保証するシステムであること 人に迷惑を掛けることがなければ、どのような思想、宗教、生き方も許容されるようなシステムであること●資本主義社会に代替するリアリティのある経済・社会システムの具体的姿がない限り、人間的未来社会は到来しないのではないでしょうか?
April 19, 2006
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今日は、未来社会の配当システムについて補足説明を行うことにする。基本配当●基本配当は支払い時に必要額がGバンクから自動的に支給される。所定の支給額から支払いを行うものはない。この基本配当は、授権配当を十分に保有している人には支給されない。お金を必要としない人に支給する必要はないからである。●基本配当は生存権のようなものであるが、人からは不必要と思えるような買物などがチェックされる仕組みが必要になる。●赤子や老人の場合は、保護者が本人の代わりに必要なモノやサービスの支払いを行うことになる。保護者がケアに廻る場合には、相応するサービスに対する報酬をGバンクに申請することになる。保護者による基本配当の管理代行は第三者のチェックを受けなければならない。不適切な配当管理を行う保護者は法廷を通じて、保護者の役割を解除される。●このように夫婦、親子の財布も独立している。夫婦間や親子間でも、お互いのサービスに対して基本配当や投資配当が渡される。育児、家事労働、老いた父母の介護も「職業」となり、収入になる。●これは、男女不平等(性差別)と親による子供の支配(年齢差別でもある)のためにも不可欠となる。投資配当●投資配当は、人や社会のために活動する人や組織に寄付や投資するためのもので、自身のために支出することができない。●ただし、寄付先や投資先が大きな利益を生み出した場合、投資者は「お礼」としての授権配当を貰うことができる。従って、このような「儲け」を期待して投資する人も当然出てくるが、これは投資配当を社会のために有効活用したことの結果であるから、褒められても非難されることではない。●投資配当の相互交換を許せば、社会活動をすることなく、自身の投資配当を授権配当化(現金化)することが出来てしまう。このようなことは投資配当制度の目的に反するので、禁止される。このようなことを防ぐため、人や組織は生み出したモノやサービスを公開し、投資する側も投資目的を明示する必要がある。●投資配当の投資は「株」のようなものではなく、売り買いできるものではない。●この投資配当が、適切に運用されているか否かをチェックするために、投資者は必要に応じて「監査人」を指定することができる。●現代社会では、監査人は監査対象法人からの請負仕事として選任されている。これでは虚偽の監査が必然的に発生する。現代社会の会計監査、世間を騒がせている構造計算の審査やISO(9001、14000等)の審査制度も同じような虚偽が生まれる構造をもっている。授権配当●授権配当は「現金」のようなものであり、消費支出にも投資にも使用することが出来る。市場●「投資」は「株」ではないので、商品市場はあるが株式市場のようなものは存在しないことになる。●人や組織は絶えず、どのような人や組織に寄付や投資をしたら良いかを「考える」ことになるが、このような「考える」ことを代行する「投資コンサルタント」のような人や組織も生まれる。●しかし、このような人や組織は、銀行のような間接金融を行う訳ではない。あくまでも直接金融の支援である。●従って、投資コンサルタントの報酬は投資先からのものではなく、投資者からの返礼(授権配当)としてのものである。勿論、投資コンサルタント自身への直接投資もあり、これはそのまま授権配当になる。●商品やサービスの価格は、基本的には市場によって決定される。このため、価格が同じであればより良いモノやサービス、質や量が同じであればより安価なものが普及し、改善や改良を怠る法人が廃業に追い込まれるのは現代社会と同じである。●現在世界のように、利潤追求動機の企業は利益のためであれば、環境汚染、人の酷使、資源の浪費も行う。従業員が企業の利益に関わらず生活可能な世界では、企業のこのような動機はなくなる。政府機関●政府というのは、現代社会風に言えば世界政府からから市町村のようなものまである。政府の役員は選挙民の選挙で選ばれ、組織の役員は組織メンバーの選挙で選ばれる。政府の組織メンバーは全世界の人々である点が異なるだけである。●実は、世界政府からから市町村のようなものまで含めて「全世界の人々」によって選挙されるのであるが、この選挙制度については改めて解説する。●政府機関の財源はGバンクからの直接支給でも良いのではと思えるかもしれないが、一般法人の場合同様に、人や法人からの投資によって賄われるものとする。そもそも、未来社会では、全ての組織が同じような仕組みで出来ているので、役所的機能はあるが、公的セクター、民間セクターといった区分は無い。
April 16, 2006
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前回の簡単な復習から始めて、より詳しい解説に入ります。●確かに、お金の無い世の中が良いのかもしれない。しかし、お金が無い社会がどのような仕組みによって機能するかの具体的姿が提示されていない。お金が無いことによる問題もありそうだ。●お金には、価値尺度、交換手段、蓄積手段があるとのことであるとのことであるが、物々交換社会からみたら、こういった機能を持つものがあることは非常に便利なことであるに違いない。●翻って、お金そのものが罪なのではなく、お金を運用する経済システムが非人間的な仕組みになっているのではなかろうか?●現代世界にも、より人間的なお金として「地域通貨」のようなものもあるが、これを「法定通貨」に置き換えたら資本主義経済システムそのものが成立しなくなる。やはり、経済システムの方に問題があるのだと思います。●「お金のある社会=私有財産制度」ではないと思います。社会主義国家にもお金があるが、国家による共同所有制度である。ところで、中国は共産党独裁国家ではあるが、既に社会主義国家ではなくなっています。●繰り返しになりますが、私が考える未来社会は世界が単一化し、国が無くなっていることが条件になっています。グローバル化した現代世界を新たな経済システムに置き換えるのは、国単位では無理があると思うからです。それと、「境界の無い世界」(以前の記事)で述べてきたように、「境界の存在=利害の存在」であるからです。●法律や道徳で社会を人間的なものにしようとしても、社会の仕組みが利害打算で動いているかぎり無理があります。このような場合、人の頭を改造するために「思想や主義」の教育や押し付けが必要になります。●それよりも、システムそのものを人間的なものに造り変え、足らざるところを法律や道徳で補完するという考えの方が良いのではないでしょうか?ということで、私の考える経済の仕組みは次のようになります。(1)相続制度の廃止●相続制度は、生まれながらの差別システムであり、機会均等ではないので廃止します。●相続制度の廃止は、人生でお金を溜め込むことの意味を無くし、自身の人生を心身とも豊かに過ごすことや人や社会への奉仕を活動動機に転換する大きな要因になると思います。●進学や就職の動機、働くことの意味、芸術品の価値(資産価値から感動価値へ)などを変えることになると思います。資産価値以上に使用価値の方が重要な関心事にもなります。(2)お金の流れを変える基本配当●お金は「稼がなければ手に入らない」ものではなく、生活に支障の無いお金は予め配分されているようにします。赤子にも、認知症の老人にもこのようなお金が配分されることになりますが、保護者がこのお金を管理することになります。投資配当●これとは別に、自分のためではなく、社会のために役立てるお金が別途配分されるようにます。これは、自分自身のためには使用することができないように性格づけられたお金です。●「稼がなければならないお金」から「自身の生活のためのお金(基本配当)、社会のためのお金(投資配当)」へと、お金の性格が根本的に変化します。●「稼がなければならない」世界では、人のためになることや地球環境の保全よりも、自身、自社、自国の利害が優先しますが、これらの配当によって、人の意識が「稼ぐことや利潤追求動機」から「人のために活動する動機」に転換します。授権配当●人へのサービス(奉仕、モノの販売)の結果としての収入は授権配当になります。投資先からの返礼も授権配当になります。これはどちらも、人や社会の役にたったことの結果なので、この授権配当は「徳」の指標にもなります。この授権配当を多く手に入れた人は、より豊かな人生を送ることができるようになる点は現代社会と変りません。●従って、未来社会では、現代社会のように「お金が神様(お客はカモ)」なのではなく、「より良いモノやサービスを提供する人や組織が神様」になります。●お金の要らない世界では怠け者がやたらに増えるのではないか、強欲な人が野放図にモノを欲しがる場合はどうなるのかといったことは取り越し苦労かもしれません。しかし、社会のシステムとしては、このような人が登場してきても機能するようにしておく必要があると思います。…ということで、この授権配当は、これらの危惧への担保になります。●人間に競争は不要なのかもしれませんが、お金ではなくとも、努力の結果が評価されないというのは、寂しいことのように思います。積極的な奉仕が「得」や「徳」になることが望ましいのではないでしょうか?Gバンク●このような、基本配当や投資配当の財源は相続制度がなくなれば、自動的に生み出されることになります。●基本配当や投資配当を世界中の人々に提供するのは世界銀行のような機関(Gバンクと呼んでおきます)です。●基本配当はともかくとして、投資配当のようなものは人々に配分せずに、Gバンクが全ての投資行動を行うようにしても良いのではないかという考えもあると思いますが。官僚主義や賢人政治のようなことになり、破綻した社会主義の二の舞になる恐れもあります。投資に関しても民主主義を貫く方が良いと思います。減価するお金●基本配当や投資配当を世の中に提供し続ければ、当然インフレになります。したがって、古い配当は回収する必要があります。ということで、未来社会のお金は、「地域通貨」のような「補完通貨」と同様に時間と共に減価することになります。●未来社会のお金は溜め込むためのものではなく、役立てて初めて価値のあるものになるわけです。(3)借金の廃止●借金は数多の罪作り、悲劇の元になってきました。世界大戦の原因になった信用恐慌は借金経済であることに原因があると思います。●私の提案する配当システムの経済でも借金制度を採用することが可能ですが、基本的にその必要が無くなっています。先のような理由から借金制度を採用しない方が良いのです。必要な資金は、投資配当を募集することで賄えばよいことになります。調達する投資資金は借金ができないため大きくなるかもしれませんが、人は既に投資配当をもっているからです。(4)市場経済●官僚(選ばれた人達と言ってもよい)の手による社会主義計画経済はものの見事に破綻しました。●今でも「価格の決定は、市場の偶然ではなく、経済連合体の中から選ばれた価格決定の専門家が、行うべきである」 と言っているような人もいます。私にはこの「べき」はとても信じられません。「市場の偶然」というのも気にかかる表現で、基本的には受給の均衡点だと思うのですが…。多種多様な物財やサービスが溢れ、その質も量も微妙に異なる現代世界で、市場を介すことなく、こんなことができるものでしょうか?●それ以上に、これは価格統制そのものであるので、市場から民主主義が無くなることになって、賢人による独裁政治みたいなことになりはしないであろうかと心配になります。●中谷巌さんは「分業による資源配分を可能にしたマーケットこそ人類最大の発明」と言っています。しかし、資本主義の市場は、利潤追求動機で機能しているので、大きな問題が発生することがあります。儲からなければ、貧困に喘ぐ人々がいる中で、収穫物が廃棄されたりします。このため、市場の機能は活用するけれども、経済の動機は変更する必要がある訳です。●お金が無ければ、経済合理性を計る手段である市場も無くなります。ということは、資源を無駄使いして作ったモノとより少ない労力や資源でより良いモノを作ったとしても、その差が分からなくなります。より良いものを造った人が評価されることも組織が発展することもなくなります。(5)価格●価格は市場経済である以上、基本的に市場が決めることになりますが、人も組織も利潤追求動機で動いている訳ではなく、「感謝されることを目的」に動いており、そのことが結果として「収入」になるということなので、生産者側は(大道芸の場合のように)価格を提示せずに購入者の満足度に委ねたり、価格を幅で表示するといったことも出てくるのではないかと思います。●以上のように「思想や道徳」によって経済システムを人間的なものにしようとするのではなく、システムの構造によって人や組織が人間的に行動するように仕向けていこうということです。もっとも、このような考えも思想と言えば思想なのですが…
April 9, 2006
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●未来社会の仕組みを考える(1)で書いたように、既存の権威や思想は疑ってかかる。自分の頭だけで考えてみることが大切であると思います。『地球村』の高木善之さんもそのようなことを言っていますが、大賛成です●私も、殆ど、自分自身では、誰の思想に染まることもなく、自分自身の頭で考えてきました。ことによるとそう思っているだけかもしれませんが、姿勢としてそういうことです。●確かに、そのことで、独断と偏見に満ちた考えになることもあるかと思いますが、排他的になることは避けるよう心がけています。●人には、上手く人を説得できない、単なる信念に過ぎないと思える確信をもっている人が大勢いるように思います。(私もそうかもしれません)このような場合、議論は平行線のままになります(幾度となくありました)が、敢えて平行線を曲げるようなことは避けた方がよいと思います。●こんなことを、繰り返し述べる理由は、未来の社会を考えているような人には、「思想的な人や精神主義的な人」(と呼ばせてもらいます)が多いように思うからです。ところが、私が伝えたいのは思想ではなく、仕組みです。確かに、仕組みを考える上でも思想は必要になります……が、できるだけ思想的なことや精神論的なことを言うのを避けようと心がけています。●人によって思想、心情、宗教、ものの考え、趣味・興味が異なります。同じ言葉を使用していても意味が異なることがあります。これは未来社会でも同じだと思います。●従って、この様々な思想の異なる人間というものが共存できるような仕組み(経済や社会のシステム、法律)を考えようということなのです。●より良い社会規範を唱えるのではなく、より良い社会規範が仕組みによって醸成されるようにしようということで、「人は……であるべきだ」といったことを言わないようにこころがけています。●私に信念があるとすれば、「人の行動や思考の基本形態は、思想が決定しているのではなく、基本的には経済や社会の仕組みが規定している」との考えです。基本的にということで、絶対的にというつもりはありません。「仕組み次第で、人は戦争も犯罪も行いますし、環境も汚染します…」ということです。●資本主義社会の中で「金を稼がなければ」と考え、行動するのは、思想がそうさせているのでしょうか? 資本主義の経済システムがそうさせているのではないでしょうか? イスラム教徒がイスラム教を信じるのは、イスラムの教えを信じなければ生きていけないシステムがあるからではないでしょうか? 白紙の状態でキリスト教とイスラム教を比較してイスラム教を選択したのでしょうか?●私はできるだけ「愛、自由、平等」などといった言葉は生のままで使用しないようにしています。戦争や紛争の当事者同士が、互いに本心から(多分)「愛、自由、平等」といった言葉を使用し、行動しているからです。つまり主観的な言葉のように思えるからです。●代わりに、私が考える上で基準にしているのが「選択の自由」(他人の選択の自由を尊重するということです)と「人に迷惑をかけることは良くないこと」ということです。この2つは比較的客観性があると思えるからです。それ以上には、できるだけ「…すべき」を書かないようにしています。●「愛の無い」ような人もいます。私も家内からは「情が無い人」などと繰り返し言われています。「愛が無い人や怠け者」でも、人に迷惑をかけない限り責めることはできないのではないでしょうか? こういう人にも生きる権利はあるのではないでしょうか?●今日は寄り道しました。改めて、「未来社会の仕組みを考える」を書いていくことにします。関連記事●思想・宗教や理念が立派でもだめなんです●思想や宗教が先導する場合●性善説と性悪説
April 6, 2006
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●未来社会の仕組みを「お金」の問題から話すことにする。1.お金無い社会●これは、昔からある考えで、トマス・モアの「ユートピア」からマルクスの「必要に応じて得られる」共産主義社会まで、現代でも繰り返し「お金の無い社会」が語られている。確かに、お金のようなものが無くて済むのであれば、それに越したことはない。●しかし、お金が無い場合の素晴らしさは語られていても、お金が無い場合の問題や経済・社会システムがどのようして機能するかについては殆ど語られていない。勢い、愛や思想が理想社会実現の主な手段ということになっているように思う。●お金の無い社会では、次のような問題をどのように解決するのであろうか?お金の無い社会は市場経済では無くなる。この場合、労力や資源を有効活用した製品と大いに無駄遣いして出来た製品の差がなくなるのでは? お金のようなもの以外に効率性の尺度や受給調整の手段があるのだろうか? まさか伝統的社会主義のような計画経済になるとは思えないが…。「必要に応じて得られる」ことになると、強欲な人間がいた場合どうするのか? お金の要らない社会では不届き者がいなくなると言い切れるものであろうか? 一定期間内に購入可能な物財やサービスの量を制限するために、ポイントのようなものを設定することになれば、直ちに「お金」のようなものが復活してしまうが…。必要なものが努力もせずに手に入ることになった場合、怠け者がやたら増えて社会が機能しなくなる心配もある。強欲な人間と同様、多数の怠け者が出現したりはしないと言い切ることができるであろか? 人間は社会の仕組みに応じて悪魔や神になってきたが、環境次第で働き者にも怠け者にもなるのではなかろうか?人間はお金がなくなれば、積極的に人のため、社会のために活動すると言い切ることができるだろうか? その保証は、またまた愛や思想教育になるのであろうか?法律や政治の仕組みはどうなるのだろうか? トマス・モアの「ユートピア」にはキリスト教的な社会規範と法がある。ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』に至っては「政治なんか一切ない」ということのようだ。まさか、『アミ 小さな宇宙人』のように「愛が法」ということで済ませられるようには思えない。この手の話でいつも気になるのが、愛の定義であるが…。神や愛が全ての解決手段になっている。これらは、殆ど御伽噺の世界ではなかろうか?●ということで、お金の要らない社会の殆どは「願望としての社会の姿」あるいは「思想」であって、リアリティがある(科学的)とは思えない。●私には、市場経済は必要であるように思える。つまり、未来の人間的社会でもお金のようなものは必要ではないかと思う。但し、お金の性格を根本的に変える必要があると考えている。●そこで、法定通貨ではない補完通貨について触れることにする。2.地域通貨(補完通貨)●地域通貨やエコマネーなどと呼ばれている補完通貨は、様々な国や地域で実際に運用され、法定通貨よりも人間的性格をもっているようである。スイスのWIRのような『法定』と『補完』の中間的性格の通貨もあるが、これも補完通貨であることには代わりがない。●補完通貨の特徴のひとつに「減価するお金」としての性格がある。●この補完通貨を「補完」ではなく、「法定」に置き変えたら、経済システムはどのようになるかを考えてみるのは興味深い。…が、資本主義経済と利息や金利のないお金が両立するとは思えない。補完通貨のようなものが通貨の主人公になるためには、資本主義経済を止めなければならない。3.未来社会の通貨(配当システム)●そもそも、お金そのものが罪つくりなのなのだろうか? 罪つくりなのは、利潤追求動機で動く拝金主義の経済システムにあるのではなかろうか? だとすれば、お金の優れた機能(分業に基づいて生産される物財やサービスの配分機能や受給調整機能)は活かして、お金を人間的なもの(性格)にすることのできる経済システムを考えれば良いということにならないだろうか?●お金を人間的なものにすることの核心は、お金の流れを変えることにあると思う。●資産・貯蓄のためのお金、稼がなければならないお金ではなく、稼ぐ前に手元にあり、自分の生活と他人・組織の活動に役立てるお金にすることである。●このような点を踏まえて、私の考える未来社会(新紀元:エポカ)のお金についての要点は次のようになる。受給調整機能としての市場経済は維持する。このため、よりよい製品やサービスの提供を行う人や法人がより多くの収入が得られることは現代社会と代わりが無い。「稼がなければ得られないお金」から、必要最低限のお金は「基本配当」として予め配分されるようにする。教育、雇用、医療、年金などの様々な社会保障が統合化されたものである。これとは別に、自らは購買に使用できない、人や社会の役に立つ投資を行うための資金として「投資配当」を配分する。投資配当の投資によって、感謝のお礼としての「授権配当」を手に入れることができるようにする。この投資配当の原資は、相続制度の廃止に伴って集められる資産である。基本配当や授権配当が支給され続けると、インフレになるので、これらを一定率で回収する。このため、このようなお金(配当)は、補完通貨と同様に、時間と共に減価することになる。基本配当以外の収入を獲得するためには、人や法人からの投資やお礼を獲得する必要がある。このため、人は社会に感謝されるような活動を行うことになる。法人には基本配当が配分されないので、人の場合と同様に人や社会に感謝されるような活動を行う必要がある。所得は富としての指標というよりも「徳」の代替指標になる。社会の役に立たない活動をする法人が、淘汰されるのは現代社会と変りがない。投資配当は、株とはことなり、回収したり、売ったりすることのできないものとする。予め、基本配当や投資配当が配分される社会、借金に伴う悲劇を避けるため借金の無い・できない社会とする。このため、現代社会で言う借金に相当する資金が必要ならば、投資配当を募って確保することになる。生れながらの不平等を無くし、生まれた時点での機会均等を実現するため相続制度は廃止する。減価するお金、相続のできないお金(配当)であるため、貯めこんで資産とするものではなく、社会に役立てるためのものとなる。●このようなお金(配当システム)に置き換えるには、世界が単一化していることが条件になる。●このようなお金によって、私有財産制度や生れながらの不平等を廃棄でき、借金のできない・必要としない社会を実現でき、人や社会に貢献することを活動動機とする社会が実現できる。●人的資源や物財等を効率的に活用するため、市場経済は存続し、適度な競争(奉仕活動の競争)も残ることになる。●未来社会の経済システムの詳細については、下記のページをご覧頂きたい。◆『未来からの伝言』三種類の配当◆『未来社会の構造』経済の仕組み4.新紀元(エポカ)の歴史的必然性は?●世界の経済や社会システムが構造転換するには、まず「素晴らしい思想が必要」ということではない。望ましい世界の姿に向けた個々人の弛まぬ変革に向けた努力も必要かもしれないが、必然性の無いものは実現しない。●社会の体制は、順風満帆の時には決して変革されない。体制が切り替わるのは、体制が行き詰まりを見せるときである。そして、このようなとき、思いもかけない展開が開始される。●既に、未来社会への地均しになる様々な動きがある。資本主義による民主主義の強要、情報通信技術と国際資本が築いてきたボーダーレス世界、世界の均質化、国境を跨いだ通貨圏……の行き着つく先は世界単一国家である。世界がひとつになればイコールフィッティングとなり、全世界共通の競争条件や法制度が実施しやすくなる。●地球環境に最悪のシステムである資本主義の評価すべき点として、資本の自由のおこぼれの「議会政治」や「民主主義」と「ボーダーレス世界」がある。●社会保障を求める圧力、相続税や所得税の累進率アップの圧力、地球環境危機の回避圧力、なによりも非人間的動機で動く経済・社会システムに起因する様々な社会問題に対する運動、法定通貨に対する地域通貨の広がりなどは、今のところバラバラな動きかもしれないが、やがて新しい経済・社会システムの要求に集約されていくものと考えられる。●未来社会へのプロセスの詳細については、下記のページをご覧頂きたい。◆未来社会(新紀元)へのプロセス◆『未来社会の構造』未来社会へのプロセス
April 1, 2006
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