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ユートピアとフレームワーク●多元的な価値観が雑居しているような社会をユートピアと呼ぶのは似つかわしくないかもしれない。●トマス・モアの『ユートピア』、カンパレルラの『太陽の都』、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』に描かれた社会は、何れも単一の価値観に基づく社会である。●しかし、単一の価値観や人間のあるべき姿にそって造られるユートピアは、選択の自由の少ない社会であるに違いない。あるべき姿から程遠い人達にとっては、きっと肩身の狭い社会であることだろう。●あるべき姿から程遠いかもしれないが、人に迷惑を掛けるのでなければ、どのような宗教、思想、ライフスタイルも許されるのが本物のユートピアではないかと思う。ユートピアとは理想的な人間達の社会ではなく、理想から程遠い人間でもハッピーに暮らせる社会なのではなかろうか?●思想・信条の違いによってユートピアの姿も異なる。未来社会は、選択の自由に基づき、様々なユートピアの存在を許容するものでなければならない。●単一のユートピアは、人によっては牢獄と感じるかもしれない。多種多様なユートピアが許容されなければならないとすれば、ロバート・ノージックが「アナーキー・国家・ユートピア」で言っているように、ユートピアは枠(フレームワーク)としてあるべきであって、ユートピアの姿そのものを定義すべきではないのかもしれない。●ノージックは、このフレームワークは彼自身の唱える最小国家であると言っている。未来社会では様々なユートピアが生まれる●現代世界の国には、多種多様な考えを持つ人間が混在していて、これを国という枠で有無を言わせず括ってきた。「民主的な選挙」が行われる国では、最大公約数的な考えで政治が行われることになる。●しかし、シルビオ・ゲゼルが提案するような自由土地の世界では、国が無くなり、移動の自由が保障されるので、人種や民族よりも宗教、思想や生活スタイルを同じくする人達を地域別に集めることになるかもしれない。●自由土地と同様に未来社会では、宗教、思想やライフスタイルを同じくする人達が集まって地域が形成され、自治が行われるようになる。勿論、雑居状態が好みの人達も大勢いることであろう。●もしも、外部地域からの干渉が無い場合、カルトや排他性の強い人々を結集した地域自治が行われ可能性も高くなる。アドルフ・ヒトラー、サダム・フセインや麻原彰晃のような人間が登場し、独裁国家や宗教国家もどきの政治が行われるようになるかもしれない。●ノージックは、「自身を奴隷に売る自由もある」という。ここまでいかなくても、宗教に見られるような(自分の意志での)教祖への絶対的服従のようなものもある。リバタリアン的な自由尊重主義の社会であったとしても、(権威を求める自由意志による)中央集権的な政治が行われる可能性を否定できない。フレームワークの条件●ところが、未来社会は選択の自由に基づく社会であるので、いずれのユートピア(地域)に入ることも、そこから出ることも自由でなければならず、無境界選挙の実施も条件づけられる。●更に、全てのユートピアは、投資配当システム、無相続制度など世界共通のインフラを共有している。どのようなユートピアを建設するかは地域の人々の自由であるが、このインフラの枠を踏み外すのでない限りでのことである…ということなので、ヒトラーやフセインのような人物が政権を取るようなことにはならない。●無境界選挙では、通常、地域外の人々は疎遠な地域の選挙を棄権し、暗黙のうちに「地域内自治」に同意する。外部地域の人々が、危険な「自治」が行われるているのではと認識するや否や、内政干渉的な投票を行うようになる。●無境界選挙は内政干渉であろうか? 自由の侵害、多数者による少数者の封じ込めであろうか?●しかし、このような内政干渉システムがなければ、選択の自由に基づく様々なユートピアも危機に瀕することになる。●ノージックのフレームワークは暴力、盗み、詐欺からの保護、契約の履行などに限定される最小国家である。政治権力は必要最小限の機能しか持つべきではないとの考えには同意できる。●私の考えるフレームワークは、上記のような機能も勿論含まれるが、機会の平等、無相続制度、配当システム、選択の自由をベースとしたものである。●ユートピア社会とは、愛や理性に満ち溢れた神や仏のような人間だけの社会ではない。人に迷惑を掛けなければどのようなライフスタイルも可能でなければならない社会である。●移動の自由により価値観を同じくする人達が集合した様々なユートピアができ、人は好みの「ユートピア」を比較秤量して、自らの居住地を定めるようになるかもしれない。人気の高いユートピアは人口が多くなり、偏狭なユートピアは少数精鋭になるのだろうか。理想的社会は理想的人間の社会ではない●未来社会は、配当システムによって人に役立つような活動をすべく動機づけられてはいるが、「人に役立つこと」が最高の理念であってはならない。●機会の平等から出発した選択の自由は、結果の不平等をもたらす。結果の平等は悪平等である。最も大切なのは選択の自由である。●平等とは機会の平等である。自由とは言葉としての「自由」や意味不明な「精神の自由」でもはなく、「選択の自由」である。●愛や神に関して言えば、その抽象的定義とは別に、政治の具体的な場面ではどんなことでも「愛」や「神」の下に正当化されてしまう。●愛という言葉ほど重宝なものはない。性欲は性愛として語られ、戦争も愛国心の名によって行われる。愛という言葉ほど主観的・抽象的なものは無い。「押し付けがましい愛」や「独りよがりの愛」もご免こうむりたい。ということで、私は不必要に「愛」という言葉は使わないようにしている。●愛と比べて、「人に感謝されること」や「人に迷惑を掛けないこと」は、それよりもずっと客観的・具体的である。●どのような言葉が使用されるかよりも、行為そのもので良し悪しを判断すべきではなかろうか。●宗教心の強い人や特定の思想を信奉する人は、自らの思いによってユートピアの姿を描く。ユートピアではなく、様々ななユートピアのフレームワークを考える人は、全ての宗教や思想から距離を置く必要がある。●十分な愛や理性を持っている人も持っていない人も、それどころか様々な欲望や情動をもっている人達が、互いに迷惑を掛けずに地域的な棲み分けを行い、時に競い、時に協力して、自らの望む人生を送れるような社会…以上の「理想という型に嵌められた社会」は、少なからぬ人達にとって、選択の自由とトレードオフになるのではなかろうか。●理想的世界とは、理想的な人間達が形成する世界ではなく、フレームワーク(仕組み)が理想的な世界のことであり、その仕組みが人間を人間的にするのである。
August 26, 2006
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●シルビオ・ゲゼルが提案した自由土地と自由化貨幣の社会は、現代の資本主義社会よりもはるかに人間的な仕組みの社会である。●今回は、この社会システムよりも更に人間的である未来社会の配当システムについて解説する。●ところで、減価貨幣と配当システムの類似性と違いについては、既に説明してきた。・未来社会の経済システム(ゲゼルとの対比)・お金から見た未来社会へのプロセス●私にとって、幾つかの点で「の自由土地と自由化貨幣の社会」は不満足であり、もっと良い社会の仕組みがあると考えている。この社会の仕組みが『未来社会の構造』に描いたものである。自由土地・自由化貨幣の社会の問題●満足していないのは下記の点である。(1)土地以外の相続制度について触れられていない●土地が公有(世界の共有財産)になるのに、相続制度が継続するのは社会の仕組みとして矛盾している。土地以外の資産の相続制度も廃止するのが自然である。人が誕生した時点での平等を実現するには、相続制度の廃止が必要条件である。(2)活動動機がモノやサービスの追及になるのではないか●人間の活動動機が、拝金主義の利潤追求社会からモノやサービスの獲得動機の社会になる。資本主義よりもずっとましな社会かもしれないが、他者の幸福増進が活動動機になる訳ではない。(3)基礎金利はマイナスになるが、繋ぎ融資などのためにプラスの金利も残る●借金というものが消えてなくるわけではない。例え実物経済の補完的な融資であっても、借金といったものは全て消えて無くなった方が良い。(4)土地のレンタル料収入の使途が母親への援助資金に限定されている●女性の社会的地位の回復のためには、必要なことではあるが、より広く社会保障全般(老後の生活、失業、疾病、教育)に使用されるべきではないのだろうか…ということである。法定通貨としての減価貨幣の条件●プラス利子のお金とマイナス利子のお金は、利子がプラスかマイナスかというだけの問題ではない。減価貨幣が法定通貨になれば社会の仕組みを根底から覆すことになる。●現代世界では、モノにこそ使用価値があるにも関わらず、交換手段にすぎない(筈の)お金がモノの流通を支配している。マイナス利子のお金は「モノやサービスにこそ価値があるとする社会」を取り戻し、資本主義を廃止する。●銀行から信用創造機能を奪い、「利子が稼げない」という理由でお金が退蔵されることがなくなるので、通貨は価値表示と交換手段の機能だけになる。これによって、金利に起因する景気変動はなくなる。●プラスの利子は社会的契約に基づく。インフレやデフレによって実質的価値が変動することはあっても、名目的価値そのものが変化する訳ではない。無利子貨幣も同様である。●ところが、マイナス利子の貨幣(紙幣やコイン)は、名目的価値はそのままにして、別途マイナスの利子を徴収しよう(お金を貸した相手に別途お金を払う…といった妙なこと)という訳にはいかない。実質的価値とともに名目的価値も変化しなければならない。●減価貨幣は、名目的価値が減らなければならないので、無利子貨幣や利子貨幣とは本質的な変化を遂げなければならない。●ソフトなお金であれば、時間と共に減価させることなどお手の物であるが、ハードなお金の場合には生易しいことではない。自動的に時間ともに表示金額の変る(紙幣やコインの)お金が出来たとしても、半端な金額表示になって不便極まりない。●銀行預金は、通貨管理局のデータベースシステムの一部にでもしなければ、統一的に減価させることはできない。それに、そもそも信用創造のお金なんてものはあってはならない。●ということで、減価貨幣は地域通貨から法定通貨になったときにはITマネー(電子通貨)でなければ運用が難しくなる。スタンプ貨幣などといった紙幣やコインの形ではもはや機能しなくなる。●使用しない状態でも、投資しても、どこにあっても減価していくには、コンピュータの中に所有者と共にデータベースに管理されていなければならない。●現在でも、我々が保有しているお金の大半は銀行のデータベースに記録されていて、現金(紙幣やコイン)として持っているお金はごく一部に過ぎない。減価貨幣が法定通貨になれば、もはや紙幣やコインとしてのハードな貨幣は姿を消すことになる。●減価貨幣は、携帯電話や電卓のようなウェアラブルな機器を通じて、データとして授受されるようになる。●現在の携帯電話はもはや電話機という呼び名は適切ではなくなっている。携帯電脳機器(電話、メール、ゲーム、計算機、カメラ、ビデオ、通信、財布、メモ長)である。このようなものが未来社会の財布になる。相続制度の廃止にともなう収入の使途●土地が公有になり、オークションでレンタルされ、レンタル料が世界政府の収入になる。同様に、土地以外の私有財産の相続制度が無くなれば、このような財産も競売にかけられ、世界政府の収入になる。世界政府は、ありあまる財源を手にすることになる。●ゲゼルのいう母親に支給される以上のお金が財源として調達され、社会保障の財源になる。それでもお金はあまってしまう。●あまった財源は、社会の役に立つように投資されるべきである。この投資を政府機関が全て行うことは、中央集権になるので問題がある。当然、全ての人々が分かち合って投資を行うべきである。こうして、投資のための配当が、全ての人々に配分されるようになる。●投資された個人や組織が利益を上げれば、投資してくれた人々に感謝のお礼としてお金(授権配当)を支払うことになる。支払いを受けた人の生存中の資産になる。配当システムは減価貨幣?●配当を供給するだけであれば、インフレになるので、通貨供給量の調整のために通貨(配当)を回収しなければならない。●この回収率を税金と見なして税率と呼ぼうが、減価貨幣と見なして減価率と呼ぼうがどちらでも同じことである。もっているお金(配当)は時間と共に一定の率で消えて無くなっていく。●減価貨幣のシステムでは、銀行による信用創造によるお金の供給は無くなる。●このため、毎年の通貨発行量(X)が同じで、減価率(e)も一定の場合、市場に残存する通貨量(Y)は単純な級数になるので(Y=X/e)となる。●世界のモノやサービスの年間予想生産量が(P)で、通貨の平均回転数を(N)とすると。生産量と通貨がバランスするには(P=N・Y=N・X/e)になる必要がある。従って、年平均の必要な通貨発行量は(X=P・e/N)になる。…といったような単純なことになるので、もはや経済学は必要なくなる。配当システムの必然性●減価貨幣が法定通貨になり、相続制度がなくなれば、配当システムのアイデアが自然に出てくる。ということで、配当システムは思いつきや奇抜なアイデアでもなんでもない。「配当システム」をどのように命名するか…だけのことである。●配当システムの誕生によって、自身のためにお金やモノを獲得することが動機である社会から、自身のためだけでなく人のためという動機で活動する社会になる。●繋ぎ融資であれなんであれ借金は望ましいものではない。必要な資金は前もって投資してもらえば、借金は必要なくなる。こうして、借金が必要の無い社会になる。お金はモノやサービスを媒介するためのモノである。従って、マイナスのモノやサービスが無いのと同じ理由でマイナスのお金もあるべきではない。●未来社会の選挙制度は境界の無い極めて民主主義的な選挙制度である。●選挙制度が民主的だからといって、生れながらにして金持ちと貧乏人がいる社会は、初めから選択の自由度に差があるので、実質的に民主主義の社会とは言えない。●民主主義社会というからには、お金の配分や使い方に関しても民主主義を貫く必要がある。●土地のレンタル料や相続財産の売却による膨大な収入から社会保障費を除いた分は投資資金になる。この投資資金の運用を政府(世界政府、地方の各レベルの政府)に任せるのではなく、人々に運用を任せるのが民主主義的な投資と言える。●更に言えば、モノやサービスの必要量や良し悪しを決めるのは市場という民主主義の仕組み以外にない。望ましい価格や量などといったものを賢者が決定するような仕組みは民主主義ではない。
August 19, 2006
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●宗教は地獄作りに手を貸したことは多々あるが、地上に天国や極楽浄土を作ったことは無い。●封建体制下で為政者の悪意によって考案された減価貨幣は、その悪意に反して豊かな社会を実現した。●理想社会の実現を目指した共産主義思想は、牢獄のような社会になったしまった。●資本主義は穢れた目的(利潤追求)で動く社会ではあるが、自由競争市場と共にその社会環境としての民主主義を必要とするが故に、共産主義よりも多少ともマシな社会を実現した。もっとも、このシステムは「豊かさ」とは裏腹に、穢れた目的故に、多くの社会的悲劇、貧困、争い、環境破壊の拡大再生産を止められないでいる。●ことほど左様に、思想や宗教などによって人間的な社会が実現できたためしはない。思想が立派でも、仕組みが悪いと共産主義のような社会体制になってしまう。宗教も容易に体制の補完物になる。●逆に、非人間的な政治体制の下でも、デマレージ制度のようなマネーシステムは豊かな社会をつくる。●思想や主義の正悪なんてものはおよそあてにならない。思想を担っている組織の実態やその思想が実現しようとしている仕組みの方が問題である。●人々の生活を左右する社会規範の元になるのは、宗教や思想ではなく、政治権力とマネーシステムのような経済の仕組みの方である。●思想は本や言葉の中で意味を持つほどには、現実世界での影響力は無い。これに対して、仕組みは語られる言葉よりも現実生活に大きな影響を及ぼす。哲学が世界を変えたかどうかは分からないが、技術は、良し悪しは別として、確実に世界を変えてきた。●システムというものは何であれシンプルなものの方が良いと思うが、土地の私有財産化と利子貨幣は世界を恐ろしく複雑にしてしまった。土地の私有制廃止と減価貨幣は世界をシンプルな姿に戻す筈である。●ということで、今回はシルビオ・ゲゼルの「自由土地と自由貨幣」の経済システムが、現代世界に適用されたならば、どのような社会になるかを考えてみる。私見として、『自然的経済秩序』に記載されていないことも多少書き加えている。自由土地の影響●土地が所有地であることから解放されることによって、国境は単なる行政界以上の意味を持たなくなる。●国境がなくなることで、国が消滅し、世界を股にかけた移動の自由が保障され、領土を巡る戦争の必要性もなくなる。●地球の土地の全てが、地球上の人間のものとなることによって、国家間の対立、宗教対立や民族対立の形をとっていた経済的な対立がなくなる。●オークションによる土地のレンタル料収入が、母親の経済的基盤になることで、妻が夫に経済的に従属するという男女差別がなくなる。これによって、実質的な男女同権が実現する。●財産や遺産目当ての結婚が無くなる。●土地の自由化や移動の自由によって、地域間、人種間・民族間交流が進み、世界が均質化する。●内部経済と外部経済の境界が無くなるので、ゼロエミッションが実現し、地球環境問題は解決に向かう。自由貨幣の影響●お金を貯めようとせず、使おうとするようになる。●信用創造による金利稼ぎができなくなるので、お金が資本として機能しなくなる。お金に利潤追求動機がなくなるので資本主義が消滅する。●金利が無くなることによって、景気変動が無くなる。バブルは金利の為せる業である。●お金の獲得動機で動く社会でなく、物財やサービスの豊かさを求める動機の社会になる。●景気変動がなくなるので、企業は雇用と解雇を繰り替えす必要もなくなる。売り上げの心配もなくなるので、経営が安定する。見込み生産に伴う大きな在庫を抱え込まなくても済む。●売れるかどうかを心配する必要がなくなる。後払いよりも前払いが一般的になる。見込み生産ではなくニーズ生産になる。●ボランティアなどもお金になる仕事になる。職業とボランティアの差がなくなる。●社会や人の役に立つ活動であれば、年齢に関係なく(少年、高齢者)稼げる社会になる。●ということで、ワーキングプアなどはなくなり、限りなく失業もなくなる。●企業家の多くは技術者になる。経営者や事務職員が殆ど必要なくなるので、企業の構成員は技術者や作業者が主体になる。●需要が先行するので、売らんかなのための誇大広告、過剰包装や虚飾などが無くなる。商売から嘘が消え、騙しあい。カネを巡る醜い争いやトラブルがなくなる。●ビジネス上の虚飾が消えることは、人間関係一般での虚飾・虚礼の一掃にもなる。●地主、不動産屋、高利貸し、質屋、投機家、生協や失業保険局などが必要なくなり、これらの職業に従事していた人達は失業する。多分、暴力団も。●会計処理などの事務処理が大幅に減るので、事務職員が大幅に減る。同様に、売るための営業マンなども殆ど不要になる。●金銭を巡るトラブルや遺産を巡る骨肉の争いなどの多くの訴訟・裁判が無くなる。●会計・税務・法律などの多くの学校が必要なくなり、弁護士や経済学者の多くも失業する。●かわりに、肉体的・精神的なケアの職業が増えることになる。●高齢になって働けなくなった人は、賃貸住宅を建てて家賃収入を得るようなことを考えるか、投資して配当を貰うかするようなことになる。(基礎金利は無くなるが融資金利は無くならない)●経済的には、社会保障が下支えする。●ゲゼルの社会では土地以外の資産の相続が否定されている訳ではないので、これらの遺産の分配は問題になる場合があるかもしれない。未来社会の構造(エポカの世界)との相違点●私の考える未来社会での経済システムはゲゼルの自由土地と自由貨幣の延長線上にある(と思っている)。大きく異なるのは、次のような点である。・生まれ落ちた時点で、全て人は同じスタートラインにいる。・生存中の収入は本人の財産になるが、土地を含めてこれらの財産を相続させることができない。・お金は稼ぐものではなく、世界政府の通貨管理局のような組織から各人に、「社会保障制度としての基本配当」や「社会的に有用な活動を行う個人や組織に投資するための投資配当」が提供される。・「基本配当」は赤子を含めて支給されるので、親による子供の経済的支配もなくなる。・「投資配当の謝礼としての授権配当」は収入になる。・「基本配当」と「投資配当」の財源は、土地のレンタル料と従来の相続資産の売却料である。・拝金主義(利子貨幣システム)の社会でも、物財やサービスの豊かさを求める動機の(減価貨幣システム)社会でもなく、人に役立つことを動機とする(配当システム)社会になる。
August 10, 2006
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●シルビオ・ゲゼルは『自然的経済秩序』において、資本主義や社会主義に替わって「自由土地と自由貨幣」による経済システムを提案した。●ゲゼルの自由土地は、私が考える「境界のない世界」や「相続制度の無い社会」との類似性がある。●ゲゼルが提案した自由貨幣については地域通貨の運動に大きな影響を与えている。しかし、自由土地に関しては全くと言ってよいほど、政策として掲げられることも話題になることもないように見える。●この理由は、地域通貨が地域限定の補完通貨として社会の体制や人々の私有財産を脅かすものではないのに対して、自由土地は地球上の全ての土地を公有にすべきであるとの非現実的で過激な主張であるからに他ならない。●ところが、この自由土地は、豊かな人間社会や世界の平和をもたらす、自由貨幣と一体のシステムである。■戦争と平和についての記述国内の平和は国際平和の出発点である。国内平和を犠牲にするものは、例外なく戦争を招く。戦争は内戦が悪化したものではなくその逆であり、暴力的手段で表に出ることを抑えられ、文明国の内部でうごめく内戦や階級闘争が、戦争に吐け口を求め、戦争にまで「悪化してしまう」のだ。経済に秩序があるならば、平和も保証される。精神世界での対立は決して平和を深刻に乱すものではない。いわゆる宗教戦争でさえも、非常にさめた経済的動機がある。また、一般的に戦争は日常の生活とは関係ないため、民族や言語も戦争の引き金にならない。土地の権利と金属貨幣(そしてその後継者である紙幣)という古代からのしくみは社会的なバクテリアであり、爆弾で、すでに古代国家を瓦礫にしたのであり、それらから早急に解放されなければ、われわれの文明も同じ眼に合うであろう。国家による法こそ戦争で、人権が平和なのだ。国家による法の発展が進歩と呼ばれる。これは正しくなく、歴史に反している。国家による法を通じて国家が強くなると、我々個人が弱くなる。国家による法によって平和を生み出す努力は、必然的に目的に反する。国家による法はつまるところ、国土を支配する国家主権である。これが、争いの元になっている。国家主権の下では、人間が意図的に卑しめられ、結果として人間が飢え渇き、凍えて死ぬような世界が生まれる。そのため私は繰り返すが、諸国の平和を望むのであればまず土地は例外なくすべての人間のものであるという欲求を満たさねばならず、この根源的権利を侵害する公的権利や国家主権をなくさなければならない。私的な地代がなければ戦争もないが、それは関税もなくなるからだ。それ故、土地の国有化は世界自由貿易と世界平和を同時に意味する。■自由土地の原則原則1:平和大同盟を締結する全ての国で、土地の私有が完全に廃止される。土地は国の財産になり、最も高い価格を払う民間の経営者に公的に貸し出される。原則2:出生地や言動、悪癖や犯罪歴や身体障害の有無に関わらず誰でもこの貸し出しを申し出ることができる。賃借料は、その出身地に関わらず、全ての女性や子供に全部均等に分配される。■自由土地についての要約1.人間の間での競争は、土地に関する個人ならびに国家の特権がすべて廃止されたときにのみ、公平な土台の上で決着がつけられ、かつその高邁な目的に従って行われる。2.誰もが例外なく、人種や宗教や教育や健康状態に関係なく土地に関する平等な権利を持つ。そのため誰もが希望する土地への移住する権利を持つ。そこで彼らは先住民と同様の土地の権利を享受するべきだ。土地に関してはどのような特権も個人や政府、あるいは社会が持ってはならない。なぜなら我々は誰もが、地球の先住民だからだ。3.自由土地の考えには制限というものは許されない。これは絶対的なものだ。それ故、地球との関連で言えば国家間の国際法、国家の主権や自己決定権というものはない。地球の主権は人類にあり、国にあるのではない。このことからいかなる国も、国境を制定したり輸入関税を徴収したりする権利はない。自由土地の考えにおいて、地球は単なる球体なのであり、そこには商品の輸入も輸出もない。従って、自由土地の意味する所は自由貿易、しかも世界的な自由貿易、あらゆる関税の壁の完全な撤廃である。国境は単に行政の境界、たとえばスイスの州境のようなものであるべきである。4.こういった自由土地の主張に従えば、「イギリスの石炭」や「ドイツのカリウム」、あるいは「アメリカの石油」などといった表現は、これらの産地を示すだけのものとなるべきである。イギリスが所有する石炭やドイツが所有するカリウムというものはない。それは、どの国籍を保有していようが誰もが「イギリスの石炭」や「アメリカの石油」、あるいは「ドイツのカリウム」に対する同等の権利を有しているからだ。5.世界の誰もが例外なく参加できる公的な競売を通じて、土地は耕作者に貸与される。6.こうして得られた貸借料は国庫に入り、余すところなく子どもの数に応じて毎月母親に支給される。出身がどこであれ、母親はすべてこの分配を受ける。7.土地の配分は完全に、耕作者の必要に応じてなされる。つまり、小家族には小さな土地が、大家族には広い土地が与えられる。また、広い土地は協同組合、共産主義的・無政府主義的・あるいは社会民主的なコロニー、さらには宗教的団体に割り当てられる。8.少しでも自由土地の考えを制限しようとする国や国家、民族や言語共同体、宗教団体や経済組織は追放され、禁止され法の保護を受けないものとされる。9.今日の私有地の地代を廃止するにあたっては、それに相当する額の政府債務証書の発行を通じて完全に補償される。●ゲゼルはこのように「得られた土地の貸借料を母親に支給する」としているが、私の場合には、土地の貸借料や相続の廃止の伴う売却資産を社会保障費としての基本配当や投資配当の財源としている。●『未来からの伝言』での説明■談話室 三種類の配当■社会主義と自由土地●確かに、自由土地ようなシステムは少なくとも一国規模でなければ実現できるものではない。資本主義社会の中で「自由土地」を唱えることは空論にしか聞こえないであろう。ところが、土地の私的所有が無い社会主義に国にあってはリアリティがある。●悪貨は悪意によって生まれ善をなす。悪貨は良貨を駆逐し、貯蓄手段であることをやめて交換手段に徹すれば経済の繁栄や雇用機会を増やす。古代エジプトや中世ヨーロッパのデマレージ制度もそうであった。●社会主義国ではもともと土地は私有ではないので、資本主義よりも「自由土地」が容易に実施できる筈であった。社会主義が悪政であるならば、悪政ついでに、悪貨としての減価貨幣システムと市場経済を導入し、自由土地を採用していたら、資本主義との競争に負けずに、返って人間的社会を実現したかもしれないものを!●社会主義国は、資本主義に負けて資本主義に回帰するのではなく、人間的な「自由土地・自由貨幣」の社会に向かうこともできた筈であるのに、返す返すも残念である。…と言ってみたくはなるが、権力というものは、決して自主的には手放すものではないということである。●腐敗政権には悪意による善政はありえるが、賢人政権にはこのようなことは起こる筈もない。●自由土地や自由貨幣のようなシステムは、私有財産秩序を頑なに守ろうとする資本主義諸国よりも社会主義的な公平化政策をとる南米諸国のような民主主義の国々の方が採用しやすいのかも知れない。
August 5, 2006
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