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前回では、逆境という苦しみを乗り越えると、人生のちょっとのことではへこたれない強い人間となり、その逆境の中から教訓を得て知恵や洞察力が深まることにより器の大きな人間となって、その喜びも一入となるというようなことを述べましたが、 また逆境から得た教訓をもとにして、同じような問題に悩む人たちを教え導くこともできます。逆境を悪と考えず、足腰を鍛える材料であると考えることです。いわゆるプラス思考で考え、積極的に生きていった方が人生は開けてくるようになります。この意味において運命は変えていけます。人生には必ず、各人に数多くの大なり小なりの逆境が与えられるということには、「人生の意義とは何か」という疑問に対する、一つの解答のヒントが隠されているのかもしれません。人生とは人を鍛え上げる道場みたいなものかもしれません。そして、すでに多くのものが与えられていることに感謝しつつ、よい心を持って、人のためになることをしていくならば、将来はきっと実りある収穫が得られることでしょう。積極的で明るい心を持って逆境を乗越え、また人のためにも生きることです。それは自分が向上していく道でもあります。最初から非凡な人生を生きることは誰にでもできることではありません。しかし、平凡な人生を積重ねながら、前向きに努力して生きたならば、最終的には平凡が非凡となることでしょう。おそらくは、人に尊敬される徳ある人格高潔な人物となっていることでしょう。それこそ付加価値人生を送ったといえます。人のためにお役に立てたことが大きければ大きいほど、より付加価値の大きい人生を生きたと言えます。歴史上の偉人と言われる人たちはその最たるものでしょう。どうせ生きるのであれば、自分のことだけではなくて、人のためにも生きたいものです。偉人のように大きなことをする必要はありません。自分の置かれた立場で、自分のできることから始めればよいのです。明るい元気なあいさつからでもよいのです。人のために生きることが取りも直さず、本当の意味での自分自身のためにもなります。なぜなら、何度も言いますように、それが人間の本源的欲求である「自己の重要感」を満たすことになるからです。今日からでも、意識的に人のために生きることは可能です。 過去の事実は、同じ過ちを繰り返さないための学習材料、判断材料にはなりますが、決して変えることはできません。しかし、現在をどう生きるかによって未来は変えることができます。未来にどのような影響を与えるかは、現在ただ今をどう生きるかにかかっています。したがって、現在の時間を大切にしなければなりません。むだなことに時間を浪費してないか自問自答してみる必要があります。
2007/05/26
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人生に逆境はつきものです。人生の途上では、ほとんどの人が必ず、苦難、困難といった逆境に遭遇いたします。運命といえば運命でしょうが、それから逃れようとしても本当の解決にはなりません。次々と逆境が襲ってまいります。その場合に必要なことは、逆境から逃げることばかり考えるのではなく、受け入れてしまうことです。一種の居直りです。逆境を乗越えてこそ人は強くなれます。逆境に押し潰されないことです。障害物のハードルは飛び越えるためにあります。飛び越えてこそ筋肉は鍛えられます。人生の途上に全くハードルがなく、楽な人生を送ったとしたなら、その人はどのような人物になるでしょうか。人から尊敬されたり、賞賛されたり、高い評価を受けたりする人格高潔な人物になるでしょうか。そういうことはあり得ないでしょう。これでは以前述べたような、人が本源的に持っている、「重要人物になりたいという欲求」を満たすことはできません。しかし、一生懸命に悪戦苦闘し、努力して逆境を乗越えた暁には、人生に対する抵抗力が一段と身に付き、知恵や洞察力も深まり、より成長した自己を見出すことができるでしょう。ひと回り大きな人物となるでしょう。これは何ものにも替えがたい喜びとなります。苦労したあとの喜びは格別です。昨年のお盆休みに墓参りのため、家内の実家に近いお寺に行きました。お寺の入り口の掲示板に白い紙が貼ってあり、何か墨で文字が書かれていました。近づいてよく見ると「苦しみは喜びの深さを知るためにある」と書かれていました。なるほどと感心いたしました。別の言い方をすれば、これは「苦しんでこそ本当の喜びが分かる」というようなことです。感心すると同時に、これと似たようなものとして、スイスの思想家カール・ヒルティ(1833~1909)が述べた「前もって働いていない休息は、食欲のない食事と同様で楽しみがない」を思い出しました。これはつまり「働いてこそ、休日の本当の楽しさが分かる」というものです。いずれも「苦しみ・喜び」、「労働・休日」のように相反する語の一方が他方を際立たせるという点で似通っています。
2007/05/20
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現代日本は先進国の仲間入りをしており、経済的にも世界でアメリカに次いで世界第2位です。こうしたなかで日本人の役割は何でしょうか。ただ自分のことだけを考えているだけでよいとは思われません。世界にはまだ、餓え、病気、紛争等で苦しんでいる人たちがたくさんいます。もちろん日本にもいろいろ問題点はあると思いますが、たいていは贅沢なことで悩んでいるのではないでしょうか。生活が苦しいといっても、今の日本では、餓死する人はほとんどいません。不登校、いじめ、学級崩壊とかいっても、世界を見わたせば、砲弾やミサイルが飛び交う中で授業を受けている子供たちもいます。大昔は衣食住に追われて大変でした。その中でも特に食の方は大変でした。日常生活の大半が生きていくための食探しの生活でした。ある意味ではほとんど動物に近いような生活をしていました。このような状況ではほとんど自分のことしか考えられないでしょう。考えるとしてもせいぜい家族が餓えないようにということでしょうか。現代でも地球上にはこれと同じような生活をしているところもあります。しかし、現代日本は高度に文明が発達し、時間的余裕ができ深く考える時間が持てるようになりました。そして他人にも目を向ける余裕がでてまいりました。もちろん、現代人は時間的に密度の濃い、ある意味では忙しい日常生活をおくっていますが、工夫次第で時間はいくらでもつくりだすことができます。こうしたことを考えると、日本人は他の多くの国のことも思いやらねばならない立場にあるのではないでしょうか。日本は先進国の一つです。開発途上国と比較すれば国民の民度は高いはずです。先進国の国民なら、それにふさわしい生き方というものがあるはずです。それは開発途上国の手本となる生き方です。同じ日本人の中にも、働けるにもかかわらず、役立つ仕事をせずに、文明の恩恵にあずかって、単に消費するだけの人たちがいます。自分は何ら生産的なことはせずに、他人がつくりだした、たとえばコンピュータ、TVゲーム、映画、携帯電話、車、電化製品等を単に消費するだけの人たちがいます。どうせ生きるなら、自分のためだけでなく人のためにも生きてみたいものです。人のために生きることは、自分自身をないがしろにするということではありません。逆に、人のために生きることは、真に自分自身をも生かす道ともなります。自分のことで精一杯なのに、どうして人のために生きなければならないのか、そんな余裕などないと反論されそうですが、その根拠は、それが本当に自分のため(自分を生かすこと)にもなるからです。ここにパラドックスが成立します。その理由は後日にゆずります。
2007/05/06
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前回では人のために生きようとすることが大切で、そのためにはまず自分にできることから始めたらよいということについて述べました。今回はその具体例をみてみます。たとえば、家庭の主婦という立場であれば、毎日の料理を負担に感じて作るのではなく、意識的に家族のために作ろうと思っていれば、自然と家族の喜ぶおいしい料理や、家族の健康を考えた料理を、腕を振るって作るようになります。こうすることによって、食卓は楽しいものとなり会話もはずみ、また夫や子供はあまり病気をすることなく毎日元気に会社や学校へ行くことができます。つまり善の循環が始まります。また親という立場であれば、世間体だけを考えて子供をいい学校やいい会社へ行かせたいと思って育てるのと、本当に子供のためを思って育てるのとでは違った結果が表れてくるでしょう。世間体だけを考えて育てれば、子供の本当の能力を引き出すことが難しくなるでしょう。世間体だけに目がいって、子供の本当の能力や適性を見抜けなくなるからです。本当に子供のためを思ってこそ、子供の能力を伸ばし、社会に貢献できるような立派な成人にして社会に送り出すことができます。世間体だけを考えた育て方は、子供にとっても、社会にとっても不幸となるでしょう。また子供を育てていく段階で、子供の成長していくのを見るという親の喜びは、何ものにもかえがたいものです。子供のために生きているつもりが、実は親も子供から喜びを得ています。スポーツ選手や芸能人の場合、人を楽しませ、夢や希望を与えるという仕事をしています。意識的にフアンを本当に楽しませたいと思えばこそ、フアンが何を望んでいるかに敏感となり、また普段の練習や稽古にも身が入り、いろいろと創意工夫するようにもなります。こうすることによってますます自分の技や芸に磨きがかかってまいります。フアンのためと思ってしていたことが、技や芸が上達することにより、自分の喜びともなります。ところが有名になりたい、お金もちになりたいと自分のことだけを考えていると、欲に目がくらみ、フアンが本当に望んでいるものが見えにくくなって、一時はよかったかもしれませんが、やがて消えていく運命にあります。職業人であれば、仕事を通して社会に貢献したいという意識を常に持っている方がいいでしょう。そのほうが仕事に心を込めることができます。その結果、よい仕事ができます。そして人から喜ばれ、自分の評価も上がり、会社もますます発展します。大きな会社に勤めているのであれば、自分は組織の歯車でなかなかそういった意識は持てないと言われるかもしれませんが、歯車の役割を、魂を込めて果たそうと思っていることが必要です。機械も、たくさん付いている歯車のうち一つでもだめになれば、その機能を十分に果たすことができません。まず社会に対し自分の勤めている会社が果たしている役割は何かという全体像を把握し、その中での自分の歯車としての役割を把握すれば、自分の使命となすべきことが明確となります。これまで付加価値人生の例として、分かりやすくするために一般的なものを上げてきました。何度も繰り返しますが、各人の持ち場、立場でできることをやればよいと思います。それこそ、人の数ほどあると言っても過言ではないでしょう。
2007/05/05
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人のために生きるといえば、大げさに聞こえ、自分は何もできないと思うかもしれませんが、そんなことはありません。自分でできることをやればいいと思います。歴史上の偉人のような偉大なことでなくてもいいのです。自分の環境や置かれた立場でできることをすればいいのです。寝たきりであれば、人に対する笑顔だけでもよいでしょう。あるいは、世話をしてくれる人に対する「ありがとう」という簡単な感謝の言葉だけでもよいのです。「ありがとう」と言われた人は何かしらうれしくなります。そしてまた人のお役に立つことをしようと考え方が前向きとなって、別の人にも親切にするかもしれません。「ありがとう」と言った最初の人にも、めぐりめぐって誰かが親切にするかもしれません。いわゆる善の循環が始まります。簡単な感謝の言葉を言うだけでそれが人のためになります。しかしうわべだけの感謝の言葉ではだめです。本当に心から感謝して「ありがとう」と言わなければ、相手に通じません。そのためには日頃から、本当に人のために生きようと思っていることが大切だと思います。実際には、自分の生活に追われて、他人のことなどかまっていられないという状況の人が大半だとは思いますが、そうであったとしても、どこか心の片隅にでも常に「人のために生きよう」と思っていることが大切ではないかと思います。経済的に生活が苦しくて、自分のことで精一杯だとしても、わずかでもいいからこの思いを持ち続けて、少しでも人のためになることをしたいものです。そうすれば人が喜び、結果的には自分にもよいことが返ってくる可能性が高くなるからです。人のために生きようと意識して生きるのと、意識せずに生きるのとではその結果に大きな違いが表れるでしょう。
2007/05/04
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