FINLANDIA

FINLANDIA

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2024年12月
2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2024年04月
2024年03月
2010年02月04日
XML
テーマ: 無情(53)
カテゴリ:
Tokyo

 清春 忘却の空
http://www.youtube.com/watch?v=n4VlR1S38E8



刃物規制という名目の注意そらし


2008年6月8日秋葉原無差別殺傷事件のあとの、
刃物に対する規制強化の動きは、
ある事柄に人々の関心を向けさせないための、
ミスディレクションでもあったと自分は考えてます。

前者は戦前~戦中の日本を思い出さないために、
後者は人材派遣という看板を掲げた現代版 “人買い” と、
刃物業者たちが対人用ナイフを文字通り武器として
販売していた実態を隠蔽するために。



“七生報国、天皇陛下萬歳” と “闘いのトゥール”
浅沼稲次郎暗殺事件の犯人 山口二矢は
1960年11月2日に
「七生報国、天皇陛下萬歳」と遺書を残し、自殺しました。
山口二矢が犯行に用いた凶器は銃剣で、
飛び出しナイフや切り出しナイフ類ではありませんでしたが、
この暗殺事件がきっかけとなって、
日本全国で “刃物を持たせない運動” がはじまりました。
それはなぜか。
右から左に転向したマスコミや教育関係者、敗戦利得者たちは、
少年鑑別所単独室の壁に歯磨き粉で書き残された言葉 “七生報国” を、
なんとしても封印したかったのでしょう。


山口二矢が自殺してから約39年後の1999年秋頃より、
ナイフ業界では一部業者たちが過去の刃物規制や国内法を無視して、
対人、護身目的のナイフを小出しにして売り始めるようになります。
その翌年10月末発売のコンバットマガジン2000年12月号には、
“戦闘ナイフ” ストライダー・マントラックが掲載されています。
その後、“闘いのトゥール”(「性質上の凶器」)と称して
タクティカル ナイフを宣伝し続けた中心的人物、
永田市郎は1943年2月5日生まれ。
山口二矢が1943年2月22日生まれですから、
山口と誕生日が17日違いで同い年の永田が
昭和期の刃物規制を知らなかったとはとても考えられないのですが。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010年02月04日 03時00分22秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: