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2017年05月27日
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テーマ: 日本史(96)
カテゴリ: Hiekka aikaa
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Photo by Andrea Sichel
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「__ある日、一人の男に託される薄汚れた一切れの頭巾。
その頭巾は、この世の真実を写し出す、悟りの頭巾であった。
男の目の前で、すべてのものが、その本質をさらけ出す。
“虚像”
この世のすべては、幻想なのか?」





昨年末、ナイフ関係の洋書資料をまとめて紐で括って資源ごみに出した際に、
井原西鶴『世間胸算用』やら広瀬隆氏の『持丸長者』やらに混じって
イザヤべンダサン著 山本七平氏訳『ニッポンの商人』が出てきました。
これらは、一連の「戦闘ナイフ」から、秋葉原無差別連続殺傷事件〜ダガー規制に至る、
日本の刃物商たちの性質を知るために参考になるかと思い購入したものでした。


はてさて、当方自身、一生使いもしないであろうナイフを買い続けるという、
嘘の生活
日本の刃物商たちへの興味もまったくなくなってしまったのでした。
上掲『ニッポンの商人』も棄ててしまおうかと思いながら
ページをめくってみると、意外にも面白い。
購入当時は現代の商売人と江戸の商人〔あきんど〕を比較するため読んでいたものが、
「比較する」という欲目がなくなったため、
見落としていたところへ注意が向いたのでしょう。
中でも「唐人の小唄やら、日本人の寝言やら」
「悟りを開く“ふんだら頭巾”」、
「“医は算術”は徳川の昔から」
などの章はいわゆる 「虚構」を扱ったもので、

表現が柔らかくなって 「虚構論」から「空気の研究」へと移っていくわけです。


__当ブログにて既に何度も書いていますが、

現代では陽明学を 「帝王学」と誤解している人が多いようですが、
王陽明も、中江藤樹も、熊沢蕃山もそんなことは一っ言も書いてはおりません。
上の者(帝王)が下の者(部下)を恣意的に支配する、
序列主義、階級主義を勿体つける意図があるのであれば、
それは帝王学という皮をかぶった紛うことなき 「朱子学」です。

朱子学的土壌が色濃く残る政財界以外でも、
他でもない娯楽、趣味の世界にも序列、階級思想が蔓延しており、
これも度が過ぎてしまえば、いたずらに優劣を競う差別主義になります。
金額が高い方が上手〔うわて〕であるとか、圧倒的数量で凌駕するとか、
経歴年数がものをいうとか、ブランド(メーカー)による優越感であるとか、
その他、日本的体育会系などに、江戸期以降の朱子学の影響が垣間見えます。


ところが、趣味で蒐集したものがすべて 同一素材 からできており、
長い年月と多額の資金を注ぎ込んで、同じ素材で作られたものを大量に集めただけ、
となれば笑い話では済まされますまい。



世間学者気質 巻之四 第二


  いつわりのなき世なりせばいかばかり人の言葉の嬉しからましとよみし人は。
 いかばかりいつわりならぬ人にやありけん。
 北溟に魚あり其の名を鯤〔こん〕という。大きさ幾千里なる事をしらずと。(※1)
 口にはばかる程の大嘘をつき出しの日から人をだます事をしるは。
 傾城〔けいせい〕(※2)のうそのみばへ。
 佛は方便商人はかけね。武士のはかりごとのおとし穴。
 とかく品こそかわれうそでなければ世の中は行かぬと。悪う心得たる男。
 親父はまだわしが二ッの時長々卒中風をわずらい死んでしまわれたを。
 わしが三ッになる時母者人が親父の十三年を弔うと云いて。
 小鮎雑魚の中に石うすのまぜて有ったをしらずにかめ合し。
 〓(※3)〔カク〕と云うやまいに取り付いて三日目に死なれ。
 見ずしらずのとなりのおばの世話になり。
 ひるはわらじつくり夜は馬追うて。
 夏の事で有ったが大きなぼうぶら(※4)が二つ三つなって有ったを
 ぬすんで来たらば番人が見付けて追いかける。
 餘りにはしって鯰川へふんごんで布子も綿入羽織も一しぼりに成りてにげるに。
 雪はふる雷は鳴ると。耳取りて尻ぬぐうような咄していらるるに。
 聞くものはあきれはて。あいつは千言う中に三ッほどまことらしいことが有るとて。
 千三ッと異名をつければ。いや人まことが常で合間にうそを云うをうそつきというゆえ。
 あれがのはあちらこちらうそがつねで誠を合間にいうゆえ。
 今度から誠つきとつけておこうと取々にひょうばんせられても。
 きなかとも思わぬ男。ぬからぬ顔で誠つきや千三ッではまだ名がすぎる。
 つゐに誠を云うたことがないと。みずから千皆惣次と名づけて。
 あたまつきは八月此のなんばんきびの毛のようにぼうぼうみだし。
 垢づいた布子に尻切草履。家内のきたなさ爰へ宿がえしてから十八年に成るが
 つねに畳にほうきの味をしらしませぬと是ばかり誠なるべし。
 惣次ある時晝寐〔ひるぬ〕しけるが。枕の上にこつぜんと真白な女子。
 顔は瓜さねとも見えぬれども口長くとがり。耳大きにして小さき笠をかうふり。
 よいかなよいかな汝に道をおしゆべし。
 汝今まで老荘の書に眼〔まなこ〕をさらすといえども。
 老荘の皮ばかりを知っていまだに其の実を知らず。
 汝に此の頭巾をあたうべし。
 是はむかし老子孔子釈迦の褌〔ふんどし〕の切でこしらえ賜いし無為無極巾というて
 是をかぶればさとりをひらくべし。
 即ち達磨大師の夜も晝もかぶり通し賜いし頭巾なれば。
 一名ふんだらづきんともいうなりとかなきった御音〔こえ〕。
 惣次ありがたく覺え。
 御身はそもいかなる女性にて渡らせ賜うぞといえば。
 女性われは洛東松原河原かまぼこなりのほとりより汝がために來りたりという中に。
 太鼓の音どんどん聞こえて。うしろからしわかれたる聲して。
 お蝶さまにござれやと云う聲におどろき。夢さめてあたりを見れば。
 夢中にお蝶女郎の授けされしふんだら頭巾其のまま枕元にすてあれば。
 いよいよありがたく引かぶって見れば。どうやら悪くさきにおいがして。
 壺をかぶったよりは心わるいと思いながら捨てもおかれず。
 はなをつまんでかぶってゐれば。偖〔さて〕しも我がからだはもちろん
 家財諸道具其の外着類〔きるい〕に至るまで。
 のこらず土のごとく見えけるこそふしぎなれ。
 惣次横手を打ってさてさて不思議なる事かなと頭巾をとれば。もとのごとし。


 (以下、後編に続く)


  ※1 『荘子』内篇 逍遥遊篇第一
   「北溟有魚、其名為鯤、鯤之大、不知其幾千里也」

  ※2 一般的にはチャン・ツィイーのことである。
https://youtu.be/EQbZ7GVzN60

  ※3
カク

  ※4 南瓜、かぼちゃ。





__惣次が「ふんだら頭巾」をかぶって見れば、家財諸道具みな土に見える。
(江戸時代には普及していなかった)合成樹脂も、
長時間紫外線に晒されたら劣化して砕けてしまう。
ステンレス鋼ですら劣悪な環境下では腐蝕する。
ふんだら頭巾をかぶってみる世界は、物の本質であると同時に、
物がまだ形を成す前の“過去”の姿でもあり、
かつ、物の形が本来の姿に戻った後の“未来”でもありましょう。


現在の段階ではまだ形を成していない素材は豊富にあり、
さらに現在、ある形を成しているものが分解され元の素材になり、
ふたたび別の形となって現れることになるでしょう。
つまり、物の素材はたくさんあるわけで、
特定の形状や製作時期にこだわりさえしなければ、
いずれ欲しいものが新しく形を成して、
各個人が望むもの(…の形)を身近に置く事はできるでしょうから、
何も幻想の「限定物」を競争して慌てて買ったり、
他の人が手にしたものを羨む必要もなさそうです。

また、逆を考えれば、旧約聖書にある「ヨブ記」のように、
とてつもない災厄を招き寄せる結果につながるかもしれませんが。


 (つづく)



 「__ふたたび惣次の前に現れた、お蝶という名の素体。
  いわく、佛氏の説も孔子のおしえも異なる事にあらずと。
  またいわく、天地の中に土というものより外になし、と。
  次回、 “皆土〔みなつち〕”
  私には永遠〔とわ〕の月、あなたには時の砂」










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Last updated  2017年05月27日 00時42分53秒


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