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カテゴリ: 隷属への道


Photo by igor the cat
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Youtube - Movieclips Trailers
World War Z Official Trailer #1 (2013) - Brad Pitt Movie HD






・考察「君は『はだしのゲン』の町内会長を助けるか?」
'「10番目の男というルール "The Tenth Man Rule" 」って知ってる?
 "World War Z"からだけどさ'
御用学者を叩いて晒す、そうさこの世のどぶさらい〜


   沖山の別邸を警備しているのは関東連盟百名と国際統合連盟百名であったが、
  上部の対立が伝わってきて、険悪な雰囲気になっていた。
   深山のように樹木が多い沖山の別邸に吸いこまれた五台の高級外車から降りたのは   

  世界幸福協会の暴力組織である国際統合連合の理事長柳沢こと柳敬仁(ユキョンイン)・・・・・・
  関東最大の暴力団関東連盟の総長であり南天会の影の会長であり、
  日韓ロビーの暗黒部分をになっている張本こと張斗満(チャンドウマン)・・・・・・それに
  KCIA日本駐在員の主任クラスである韓国大使館参事官の東鉃教(トンチョルキョ)だ。
   五人は、硬ばった表情で、沖山の豪勢な応接室に入った。
   しばらくたってから、一睡もしなかったらしく目のまわりにドス黒いクマを作った沖山が、
  二人のボディ・ガードに支えられるようにして応接室に入ってきた。
  「済まんな、待たせて・・・・・・実は児島君から、秘密の回線を使って電話が入っておったんでな」
   と、肘掛け椅子に崩れるように座りこむ。
   ロックウィード事件がバレてから、
  脳軟化症で言葉をしゃべることが出来ないということになっている児島良一と

   (後略)
  ( 大藪春彦 著『処刑軍団』第五章 大式典 より)










   (前略)
   私はレトリックでなしに、渡部氏の頭はどこかおかしいのではないかと思っている。
   渡部氏は議論はオバケの肉体のようなものである。
  それを切り刻んでなますにしてしまおうと、あるいは火中に投じて燃やしてしまおうと、
  すぐさままたもとのまんまの形で復活してくるのである。
   臆面もなくそれを繰り返す渡部氏を見ているうちに、わたしはゾッとするような
  薄気味悪さを覚えはじめた。マカーブルな気味悪さである。
  マイケル・ジャクソンの『スリラー』の中で、
  墓場からよみがえって襲ってくるゾンビの集団を見るような気味悪さである。
   渡部氏の議論に対しては、事実による反駁も、論理による論駁も何の役にも立たない。
  渡部氏はそうしたものに何の痛痒も感じないのだ。
  事実と論理によって何度打ち倒されようとも、渡部氏は黙って再び身を起こす。
  そして同じ議論を繰り返す。
   事実と論理における敗北を、感性に対する感情的訴えかけによってひっくり返そうとする。
   いかに論駁されようととことん同じ主張を論理的にではなく
  感情的に繰り返すという対抗手段をとることで絶対に自分の敗北を認めないのである。
  この手の論者が昔から三種類いる。
  純粋のバカ、宗教的狂信者、それに政治的狂信者(とりわけファシスト)の三つである。
  渡部氏もいずれかなのであろう。
   バカであろうと、狂信者であろうと、このような非論理的かつ扇情的言論人が、
  言論界において一定の地歩を占めているということは、
  冷静に考えてみると恐ろしいことである。 
  だが最近の世の中を見ると渡部氏に限らず、この手の人々が言論界のみならず、
  あちこちでのさばりはじめるという空恐ろしい時代になってきたようである。
   渡部氏はそうした時代の到来を告知する言論界の象徴である。

  ( 立花 隆 著『ロッキード裁判批判を斬る 3 』《番外 総括》
   殺しても殺しても生き返る扇情的文化人 渡部昇一氏との公開討論を終えて
より)









故・山本七平氏お得意のレトリック
渡部昇一の出資者(スポンサー)であった統一教会や国際勝共連合が、
日本・内外の韓国人による組織であったことはしばらく置いておこう
(皮肉なことに、統一教会=勝共連合の内幕を暴いたのは日本共産党であった)。

今回から取り上げる 山本七平 氏の著書は切り口の鋭さに驚くものがある一方で、
結論に至らず放り投げられたままのエッセイもあまたに見られるし、
投げかけられた質問に対して雄弁術をふっかけて切り抜けている場合もある。
少し長いがその一例を挙げてみよう。



「非占領体験」を忘れるな
  「戦中神話」と「戦後神話」という厚い二つの神話の雲がすべてをおおっている。
  「戦後神話」に迎合して「戦中神話」を批判しようと、
  頑固に「戦中神話」を保持しつづけることを誇りとし、
  それを基に「戦後神話」を批判しようと、いずれも神話の世界のお話であって、
  現実とそこに生きた人間には関係がない。
  「戦争体験を忘れるな」という言葉が、「戦後神話による戦中神話を忘れるな」
  という意味なら、これまた戦争体験者には関係がないから、
  関係がないことには沈黙以外ない。
  もちろん「戦中神話」は確かにあったが、それは各人の戦争体験とは別のこと。
  それなのに二つを混合して時には、応答不能な質問をされるのが少々困る。
  「山本さんはなぜ戦争に反対されなかったのですか」
   小さな会などで、不意にこういった質問をされる。
  新聞にもこういった質問と、それに対するもっともらしい答えが載っているので、
  その影響かもしれない。
  だが私に言わせればこの質問自体が、戦争体験がまったく忘れられ、まったく継承されず、
  理解不能になったことの証拠にすぎない。
   理解不能になっている人のこの「なぜ」に、本当に自らに対して誠実で、
  同時に相手をも納得させうる答えがあるであろうか。
  「人と人との間に架ける橋はない」という言葉がある。
  橋がなければ橋を架ける努力を相互にしなければならないのだが、
  時代が違い、環境が極端に違ってくると、この架橋はますますむずかしくなってくる。
   しかし最もむずかしくしている点は、この質問が、
  「自分は戦争中のことを理解している」という前提に立っている点である。簡単に言えば
  「私は戦争中のことをよく理解しているが、山本さんはなぜ戦争中に・・・・・・」である。
   理解をしていないと思っている人には、理解を求めることができるし、
  そのために払うあらゆる努力はむなしいものではない。
  だが、すでに理解で満たされていると信じている者には方法はない。
  まして短い時間内に前期の質問に答えることはできない。
   こういうとき私は、吉田(※吉田満)さんの著作の暗記している部分を
  引用させていだだいて答える。
  「『世界ノ三馬鹿、無用の長物の見本    万里の長城、ピラミッド、大和』ナル雑言、
  『少佐以上銃殺、海軍ヲ救フノ道コノホカニナシ』ナル暴言ヲ、
  艦内ニ喚(わめ)キ合フモ憚(はばか)ルコトナシ、
  これは有名な『戦艦大和ノ最期』の一節ですが、どうお考えになります。
  いやその前に、お幾つですか、学生さんですか」
  「二十一歳、学生です」
  「そう、吉田さんが海軍少尉、副電測士として戦艦大和への乗り込みを命じられたのが
  二十一歳です。
  あなたもやがて就職されて見習社員になられる。
  ところが会社の営業方針が根本的に誤っていて、このまま行けば倒産だと誰もが思い、
  課長以上を銃殺にしなければ救われないと言った暴言が平気で社内を横行している。
  その時、見習社員のあなたはどうします」
  「・・・・・・・・・」
  「当時の『海軍ヲ救フノ道コノホカニナシ』という言葉は、
  少なくとも海軍の軍人にとっては『日本ヲ救フノ道』と同じ意味です。
  この人たちは一方に於(おい)てだれ憚るところなくこう言いつつ、
  一方に於て命令通りにすべてを的確に実施しつつ、死地に突入していく。
  なぜだと思います?」
  「あらゆる資料に照らしてみて、海軍ははじめから戦争に反対でした。
  『なぜ戦争に反対されなかったのですか』と問われれば、この人たちは、
  『海軍も私も、戦争にははじめから反対でした』と一点のやましさもなく言えるはずです。
  私にはこのことは少しも不思議ではありません。
  無責任な戦争高揚記事を書きとばす新聞記者や、徒(いたず)らに興奮する民衆よりも、
  彼らは、はるかによく戦力の実態を知っていましたから。
  太平洋戦争が勃発したときの私は、あなたとほぼ同年の学生でした。
  無名の学生の反対も賛成も社会は無視するでしょう。
  しかし太平洋戦争の主役は海軍です。
  この主役である海軍の反対は、一学生の反対や賛成とは意味が違います。
  では主役が反対なのに、なぜ起こったと思われますか」
  「・・・・・・・・・」
  「あなたは、自分が反対さえすれば何事であれ、絶対に起こらないと思っておいでですか」
  「いえ、そんなことは・・・・・・」
  「そうでしょう、そんなことを思っていたら、正気の沙汰でなく誇大妄想狂です。
  奇妙なことですが、戦中にも戦後にも誇大妄想狂があります。
  もっとも症状はまったく別ですが、あなたがそれに罹(かか)っていないなら、
  次のことを想像してください。
  あなたが就職され、その会社が前に言ったような状態で、
  その方針には見習社員でも絶対反対だが、しかし、自分の前には、
  日々、的確に処理すべき仕事が山積している。
  それを処理しなければ、周囲のすべての人間に迷惑がかかる。
  その場合あなたは忠実にそれを処理しますか。
  基本方針が間違っているからと、すべてを投げてしまいますか。
  この問題は、『戦艦大和ノ最期』への批判に対して、吉田さんが書かれた反論の中にもあります。
  あなたなら、どうされますか」
   相手は当惑したように私の顔を見るが答えない。
  しかしその顔は決して私の答えに納得していないことを示している。
  むしろ「うまいこと、オレの質問をはぐらかしやがった」という顔である。
   なぜこうなったのであろうか。戦後には「昭和十五年戦争」という言葉が使われるが、
  その言葉は正確とは言えない。
   日華事変から太平洋戦争に至る継続的な戦争は、
  昭和十二年から二十年までの八年間と把(とら)えるべきであろう。
  この八年間はさかんに論じられれいるが、
  それに続く7年間の「占領期間」はほとんど論じられない。
  いや論じられてはいても、これもまた日本史の一期間、
  日本史はじまって以来の「全土被占領下」という七年間の特異な一期間であったという
  意識が皆無かもしくはきわめて希薄である。
   このことは、「戦前派」「戦中派」といった言葉はあっても、
  「被占領下」という言葉がないことにも、
  また「戦争体験を忘れるな」という言葉はあっても、
  「被占領体験を忘れるな」という言葉がないことにも現れている。
  歴史のある時期を抹消してしまうことはきわめて危険である。
  いつかそれが、正確に原因がつかめず、そのために的確に対処できない反動を生み出す。
   だが、世の中にはしばしば皮肉な現象が起こるものだ。
  『吉田満著作集』と前文相藤尾正行氏(編集注:第三次中曽根内閣の文部大臣となるが、
  韓国併合に関する発言が問題となり罷免される)の
  「“放言大臣” 大いに吠える」を目にしたのが、ほぼ同じ時期であったとは   

  ( 山本七平 著「日本人は二度敗れた」
   さくら舎発行『戦争責任と靖国問題 誰が何をいつ決断したのか』
所収
   初出 『文藝春秋』1986年11号 




日本被占領期間中行われた検閲の爪痕を、
江藤淳 氏がアメリカの大学に所蔵された書類の山から掘り出して、
陰謀論(?)として発表した当時はさぞや衝撃であったろう。
しかし、被占領期間が終わった後、アメリカから日本の直接支配を託されたのは、
繰り返すが、GHQ と取り引きした 親米右派の日本人たち
   否、正しくは日本人工作員だったのである。


興味深いのは、最近の日本会議や統一教会がらみの御用作家の唱える歴史観が、
統一教会=勝共連合の唱えるものとそっくり同じ・・・
「私たちの歴史」という言い草であり、
もちろん、統一教会・日本会議の御用学者・渡部昇一も同じようなことを述べていた。


この「私たちの歴史」「私たちの日本」という超国家主義、全体主義的発想の中に皆無なものが、
「10番目の男 "tenth man rule" 」というものである。
9人の人間が 「鬼畜米英!」「一億火の玉」「私たちの歴史が!」 と叫んでいる時、
その9人とはまったく違う発言を述べる 10人目の人間が必要なのである。

(つづく)








I and Thou
by Martin Buber (Author), Walter Kaufmann (Translator)






Youtube - 10th man theory, the God of devils advocate







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Last updated  2019年02月14日 22時26分09秒


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