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テーマ: 老荘思想(128)
カテゴリ: 道家思想


Steps climbing up Celestial Peak among misty clouds in Huangshan,

Photo by German Vogel
images.jpeg








  「古〔いにしえ〕の善〔よ〕く道を為〔おさ〕むる者は、
  以〔もっ〕て民〔たみ〕を明らかにするに非〔あら〕ず。
  將〔まさ〕に以て之〔これ〕を愚〔ぐ〕にせんとす。
  民の治〔おさ〕め難〔がた〕きは、其の智〔ち〕の多きを以てなり。
  智を以て國〔くに〕を治めんとすれば、國を之〔こ〕れ賊〔ぞく〕し、
  智を以て國を治めざれば、國を之れ福〔ふく〕す。
  此の兩者を知るも、亦〔また〕楷式〔かいしき〕なり。
  常に楷式を知る、是〔これ〕を玄德〔げんとく〕と謂〔い〕う。
  玄德〔げんとく〕は深く遠し。

  乃〔すな〕ち大順〔たいじゅん〕に至る。」


   古之善為道者、
   非以明民。
   將以愚之。
   民之難治、以其智多。
   以智治國、國之賊,
   不以智治國、國之福。
   知此兩者亦楷式。
   常知楷式、是謂玄德。

   與物反矣。
   乃至於大順。




   The ancients who showed their skill in practising the Dao did so, not to enlighten
  the people, but rather to make them simple and ignorant.
  The difficulty in governing the people arises from their having much knowledge.
  He who (tries to) govern a state by his wisdom is a scourge to it; while he who does
  not (try to) do so is a blessing.
  He who knows these two things finds in them also his model and rule. Ability to know
  this model and rule constitutes what we call the mysterious excellence (of a governor).
  Deep and far-reaching is such mysterious excellence, showing indeed its possessor
  as opposite to others, but leading them to a great conformity to him.

   ( Daoism -> Dao De Jing




 「古の善く道を修めた君主は、道をもって人民を聡明にしようとはせず、
 道をもってこれを愚にして治めようとした。
 人民が治め難いのは、彼らに知識が多いからである。
 君主の政治の仕方でも、知識を振りかざして国を治めようとすれば国を害することになり、
 知識に頼って国を治めようとしないで無為自然に治めるならば、
 国を福(さいわい)することになる。
 この両つの事を知る事も為政者としての法式で、
 常にこの法式を知る者を玄徳具(そな)わる者という。
 玄徳は深遠で、一見、一般の物事と相反しているようだが、
 長い目で見ると玄徳なる者こそすなわち大きな道理に順(したが)っていることになる。

 [余説]竹内博士はこの章が愚民政治を高調しているから、慎到〔しんとう〕あたりの言であろ
 うと述べておられるが、巧智を排し、素朴を尊ぶ道徳経一般の主張を推し進めれば、こういう章
 も自然に結晶される筈で、あながち法家言の竄入〔ざんにゅう〕ときめる訳には行かぬのではな
 いか。但し、こういう愚民政策が当を得ているものか否かは別問題で、現代に生きる私どもの考
 え方からすれば、この章の趣旨は全面的には肯定し難い。」

 (新釈漢文体系 7 『老子 荘子 上』P.111 明治書院発行)



 『いにしえの「道」にすぐれた者は人々に打算的(ださんてき)な思考をもたせず、
  それをしらないままにさせていた。
  人々を治めることが難しいのは、彼らが知的分別(ふんべつ)をしているからである。
  知的分別によって国を治めることは有害である。
  知的分別によらないで国を治めることは幸福である。
  この違いを知って規範をつくる。
  この規範を知ることは深遠な「徳」である。
  深遠な「徳」は奥深く遠くまでとどく。
  それはものの後戻りであり、「道」との大いなる調和へと至るのである。

   注釈

  この章は無知の意味について論じている。
 無知についての伝統的解釈は二つのカテゴリーにわかれる。
 一つは儒教のテキストによって解釈される。
 「人々はあなたに従うが、あなたは彼らがどうしてかということを知らせようとしない」。
 ここでの無知とは天下で長く見られる知識を教えないことを意味してる。
 だから、人々は知りたいことは教えられないのである。
 彼らは耳を傾けて、容易に治るのである。 
 第二のカテゴリーの解釈は第二十章にもとづいている。
 「人々は多くの野心と欲望をもっている。
 私一人だけがこれらすべてを置き去りにしてきたようだ。
 私はなんてなまくらだ。私の心はまったく愚かものの心だ。
 人々は光り輝やいているのに、私一人だけ暗くにぶい」。
 ここでの無知ということばはなまくらとか愚かを指している。
 しかし、実際は、この無知は分別より前の存在、非分別へ戻ることを意味する。
 このように、それは打算的な思考から瞑想(めいそう)的思考へ後戻りする動きである。
 だが、それは世俗的な出来事について知識をもたないということではない。
 それは、むしろ世俗的な出来事を理解し、また、
 それらが現われてくる源をつかむことを意味する。
  老子は他のところで「大いなる知恵は無知であるかのようである」という。
 この章の最後の部分でも、「この違いを知って規範(きはん)をつくる。
 この規範を知ることは深遠な『徳』である。深遠な『徳』は奥深くまでとどく。
 それはものの後戻りであり、『道』との大いなる調和へと至るのである」という。
 「道」との大いなる調和をえるということは無知の本当の意味をつかむことになる。

 (以下略)』

 (張鍾元 著 上野浩道 訳『老子の思想』P.278~279 講談社学術文庫)

  (つづく)





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Last updated  2020年09月11日 22時09分46秒


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