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【ハプニングからハピネスが生まれる】 ひすいこたろう氏の言葉から。《オーストラリア・アルプスの麓(ふもと)の田舎町での出来事です。 今夜はクリスマス・イブ。 この日は村のみんなが教会にやってきて、盛大にミサが行なわれます。 「今夜は年に一度の大切な日。村のみんなも楽しみにしているだろうなあ」 と牧師さん。 そこに突然、パイプオルガンの準備をしていた友人が血相を変えて駆けて きました。 「すみません。オルガンが壊れてしまいました!」 「え、ウソだろう? もうすぐみんながやってくるぞ」 「ぜんぜん音が鳴らないのです」 「どうしよう、あるのは私のギターだけ。ギターで聖夜とは……。 みんなこの日を楽しみにしているのに。よしっ、こうなったら……」 しかし、この夜のミサは大盛況。牧師さんが急遽作詞し、友人が即興で曲を つくって、ギターで伴奏しながらみんなで楽しく歌ったのです。 この日、生まれた歌のタイトルは……、 「きよしこの夜」 そうです。その後、毎年クリスマスには世界中で歌われることになる、あの 有名な聖歌です。 ヨーロッパの人は、とりわけクリスマス・イブへの思い入れが強い。 一年で一番大切な、そして楽しみにしている夜。 そんな村人たちをがっかりさせたくない。 その一心でつくられた曲。それが人の心を動かしたのです。 おそらく、村人たちはみんな雪がしんしんと降る教会からの夜道を、誕生した ばかりの聖歌を口ずさみながら暖かい家へと帰ったことでしょう。 実はこのハプニング、神様のいたずらじゃないか。 オルガンを壊したのは神様じゃないか……。 「ヤバい。どうしよう!?」と追い込まれたときこそ、人は火事場の馬鹿力を 発揮しますから。 そして、自分のためではなく、「みんなの笑顔のために……」。 そんな思いを抱いたときこそ、歴史に残る作品が生まれるのです。 ハプニングは新しい何かが生まれるタイミング。 そんなときこそ、「みんなの笑顔のために……」。その思いです。 ハプニングから、ハピネス(幸せ)は生まれます。 ハピネスと、ハプニング、語源は一緒だそうです。》 (出典元:ひすいこたろう・ひたかみひろ著 「運命の流れを変える! しあわせのスイッチ」王様文庫) * * * 「禍を転じて福と為す」ということわざがありますが、まさにこのことを 象徴するような物語です。 思わぬ出来事や、予想もしなかったことから、人々のためになるような製品や システムが生まれることが現実には起きるものです。 その背景には、やはり人間の熱意や情熱があるからではないかと思います。 ハプニングが起きたら、「困った、どうしよう」と一時は慌てるのも当然の ことですが、それでも、そこからいろいろなアイデアが出てくる可能性も あるはずで。 どんな人でも、そのハプニングに直面したとき、「みんなのためになること」 という目的があれば、崇高な使命感のようなものを感じることもできます。 ハプニングを恐れない人でありたいと思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月31日
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【口グセをコントロールしよう】 脳科学者・茂木健一郎氏の言葉から。《私の知り合いに、「面倒くさい」が口癖だという人がいました。 外でも家でもついうっかり「面倒くさい」と言ってしまう。 家族からもそのことを指摘され、ついに自宅で「面倒くさい」は禁句になった そうです。 そうしたところ、いかにそれまで「面倒くさい」という言葉を繰り返していた か、実際にはそれほどでもないのにすぐに「面倒くさいな」と感じていたかに 気づいたそうです。 意識してその言葉を封印してしばらく経ってからのこと、「そういえば、最近、 面倒くさいと思わなくなったな」とふと気づいたそうです。 いつも何か新しいことを始める時には億劫に感じ、ダラダラとそれを先延ばし にしようとしていたのに、そんな癖もなくなり、いろんなことに前向きに取り 組めるようになったとその人は言います。 この話を聴いて、面白いと思いました。これは全く正しい方法だからです。 行動主義の観点からすれば、人は何かを思って行動するのではなく、何か行動 するからそのように考えるのです。 分かりやすい例としては、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいという ことです。 泣くという行為をしている自分を観察することで、悲しいという感情が生まれ る。それが行動主義の考え方です。 その人はこれまでも、面倒くさいから「面倒くさい」と言っていたのではなく、 先に「面倒くさいな」と言ってしまうから、余計に面倒くさくかんじてしまい、 行動するのに二の足を踏んでいたということになります。 英語圏の場合、誰か知り合いに会った時には「How are you doing ?」と聞き ますね。 そうすると、よほどのことがない限り、「I’m fine.」と答えます。 これはもう人と人とが出会った時に必ず繰り返される定型句のようなものであ り、実際にはちょっと不調だとか、寝不足気味だというようなことがあっても、 「元気だよ」と答えていることになります。 フランス語でもドイツ語でも、それと似たような挨拶の会話があります。 この定型句のいいところは、言っている本人はあまり意識していないでしょう が、「調子、いいよ」と答えている会話を聞いている脳は、「ああ、私は調子が いい状態にあるんだ」と認識しているということです。 軽い自己暗示にかかっているようなものです。 一般的に、「調子どう?」「お元気ですか?」と聞かれた時に、「悪い」とは言わ ない方がいいのはそのためです。 もちろん風邪をひいてよほど調子が悪いという時にまで、無理して「元気だ」 と言う必要はありませんが、ほどほどの体調なら、「寝不足で」「仕事がたて込 んでいて」「最近、調子が悪いんです」などとは言わないほうがいいのです。》 (出典元:茂木健一郎著 「幸福になる脳の使い方」 PHP新書) * * * 著者が、自分の口から発する言葉が、脳や感情や思考に与える影響は大きいと 語っているように、言葉は大事に使いたいものです。 ここでは、「面倒くさい」という言葉を使う習慣をやめたら、「面倒くさい」と 思わなくなった。 つまり、言葉の発し方、あるいは口ぐせがいかに大事なことであるかを証明し ています。 口グセとは、ひとつの習慣です。 アリストテレスというギリシャの哲学者が次のような言葉を残しました。 人は習慣によってつくられる。 すぐれた結果は、一時的な行動ではなく、 習慣から生まれる さらに、もっと昔の話ですが仏教が生まれる前、インドではヒンズー教という 民俗宗教がありました。 その中に次のような教えがあります。 たぶん一度はどこかで聞いたことがあると思います。 心が変われば、態度が変わる。 態度が変われば、行動が変わる。 行動が変われば、習慣が変わる。 習慣が変われば、人格が変わる。 人格が変われば、運命が変わる。 運命が変われば、人生が変わる。 これとほぼ同じ内容の言葉は、元メジャーリーガーの松井秀喜さんが好きな 言葉でもあるそうです。 この教えを聞くと、「そうだな。その通りなのかもしれない」と思います。 しかし、人は自分の心を変えるのがいちばん難しいことでもあるのです。 ただ、この変えるべきものでもっとも、できそうな感じがするのが「習慣」 です。 その「習慣」でもいちばん身近にあるのが「口グセ」です。 まず、口グセから変えていくことは誰でもできそうです。 小さな口グセから、少しずつ変えていくことで、人生も少しずつ楽しい ものになっていくことを信じてみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月30日
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【「当たりまえ」という価値観の罠】 衛藤信之氏の言葉から。《いまの時代、多くの人が、「あって当たりまえ」の世界で「うまくいって当然」 という価値観の中に生きています。 水道の蛇口をひねれば水が出て当たりまえ、電車は時間どおり発着して当たり まえ、約束は守られて当たりまえ、欲しいものはお金を出せば手に入るのが 当たりまえ。 万事、自分の思いどおりに進んで当然と、多くの人がそう思っているように 感じます。 だから、その当たりまえが少しでもうまくいかないと、それがそのままストレ スや不満になってしまう。 一般的に、幸福を手にする方法は二とおり考えられます。 (1)いまの幸せに感謝して成功者になるか。 (2)欲望を追求して成功を求めつづけるか。 の二つです。 しかし、たいていの人は(2)のやり方を選んでいます。 こういう人は、幸福の尺度が自分の所有物の多い少ないにあるので、「自分に はあれがない、これもない、だから幸せじゃない」と、すぐにネガティブに 考えてしまうのです。 常に「ない」のがふつうだと考えれば、「ある」だけで幸せなのに、「ある」が 当たりまえと思っているから、「ない」ことがたくさんの不満や不幸の種になっ てしまう。 私個人の例ですが、幼いころの私は両親の離婚や二番目の母の死を経験するな ど、ほかの家に比べてかなり「いろんなものが足りない家庭」で育ちました。 食事なども、母親代わりだった祖母が、ささっと手早くつくってくれた質素な 料理が多かったものです。 そのため、結婚して、妻の手料理が出てきたときには、おおげさでなくほんと うに感動しました。 おかずが何品もあるし、どれもこれもおいしい。 そのことが「ホントに、これオレが食べていいの?」と罪の意識を覚えるほど 幸せに感じられたものです。 もし私が、料理研究家の家に育って、小さいときから毎日おいしいものばかり 食べていたら、その幸福感はけっして得られなかったはずです。 幸福とはそうした相対的なもので足りないことも幸せの種になるのです。 また、「ない」ことは成長のエンジンにもなります。 江戸時代、長崎の出島でしか蘭学書が読めなかった当時、蘭学の勉強をしたい 人は何か月にもおよぶ苦しく長い旅をして出島まで出向き、やっとめぐり会え た書を拝むように押していただき、全身全霊をかけて写本したといいます。 簡単に学べる場が「ない」からこそ、学びたい気持ちが強くなり、身を焦がす ような意欲や向上心を生み出していた。 「ない」ことが自分を成長させるための最強のエンジンとなり、最大の原動力 となっていたのです。》 (出典元:衛藤信之著 「ほんとうの幸せの見つけ方」 サンマーク文庫) * * * 「当たりまえ」の価値観が身についてしまうと、いざなくなったときに不平、 不満の気持ちが起きる。 これはとても正しい指摘だと思います。 「足るを知る」という言葉を聞くことがあります。 意味は、いまある物や事に感謝しよう、というものです。 紀元前500年頃の、思想家・老子の言葉からきていると言われています。 人は、当たりまえが、当たりまえでなくなったら不平・不満を感じる。 しかし、2500年前は、当たりまえであってもなくても、今、あることに感謝す れば不平・不満は感じないと教える人がいたのです。 感謝するという価値観を身につければ、不平・不満という気持ちが起きないと いうことです。 どんなことにも感謝できる人になりましょう。 それが、幸福感をより多く味わうことになっていくのです。 (by ハートリンクス)
2020年08月29日
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【得意なことに生き方のヒントがある】 経営学者、ピーター・ドラッガーの言葉から。《不得手なことの改善にあまり時間をつかってはならない。 自らの強みに集中すべきである。 無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりもはるかに多くの エネルギーと努力を必要とする。 いまさら、自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。 自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきある。 人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野において、 実現されるのみである。》 * * * 最近の特徴として、経営学の専門家や、経営コンサルタントの方々が言う内容 に、人の心とか、考え方を取り上げることが多くなりました。 簡単に言いますと、経営の本質は目に見えない「心の持ち方」(精神性)の ことが理解できないと、成功しないということでもあるようです。 もちろん、一時的に利益を上げるベンチャー企業もたくさんありますが、残念 ながら、継続性の面で不確実なケースが多いのです。 つまり、「人生も経営も心しだい」、ということが言えます。 中学校の教師を18年務め、現在は退職して全国を講演して活動している 小玉 宏さんという人がいます。 九州の大分県在住ですが、年間200日以上講演を行っています。 小林正観さんを師匠と仰いでいるそうです。 小玉さんは高校生のときは落ちこぼれだったといいます。 進学校なのに勉強する意欲が湧きませんでした。 3年生になり、受験のための補習授業がスタートしました。 小玉さんは、化学の補習授業を受けることになりました。 その先生は、変わった先生で新任でしたがおじさん先生でした。 その授業は淡々と説明する授業スタイルだったそうです。 あるとき、化学のノートを見直していたら、あることに気づきました。 問題はそれぞれ違いますが、解き方のパターンが同じだったのです。 すると、それまでまったく解けなかった問題が、不思議なことにどんどん 解けるようになりました。 数か月後、化学の試験だけ学年のトップになったというのです。 それがきっかけになり、小玉さんは化学の「おじさん先生」にあこがれる ようになりました。 ある日、「先生、出身大学はどこですか?」と聞くと、「広島大学」という ことでした。 それで、小玉さんは広島大学を志望校にしようと思ったそうです。 そのことを担任の先生に伝えると、「君には無理だ、あきらめろ」と言われた のでした。 広島大学の化学系の定員は12名だったそうです。 全国の模擬試験も受けましたが、受験者86人中、86番でした。 ところが、小玉さんはこう思ったといいます。 「5千人中5千番ならあきらめるが、80人ぐらいなら抜けるんじゃないか」 それから半年間、猛勉強しました。結果は見事に合格したのです。 大学2年になり、教授から「大学院に進んで研究者になるか、教師になるか 決めるように」と言われました。 そこで、自分の進路に影響を与えてくれた「おじさん先生」に相談しようと 帰省したのです。 ところが、高校に先生を訪ねると、その2週間前に亡くなられていました。 先生は、もとは化学関連の技術者で、会社の健診で異常が見つかり末期がんの 告知を受け、残りの命を若者に化学の面白さを伝えるために使おう、と決意し、 小玉さんの高校に来たのでした。 小玉さんは、先生の気持ちを受け継ごうと思い、理科の教師になることにした といいます。 落ちこぼれの小玉さんでしたが、化学という得意な分野で自分の可能性を広げ ていきました。 中学校の教師になり18年後、ある生徒の父兄からもらった小林正観さんの本 と出会い、それがきっかけになり人生が大きく変わったのです。 そして、現在は講演と出版を中心に活動しています。 人には、自分では気づかない可能性というものがあります。 その可能性は、何かのきっかでスイッチが入ると大きく広がっていくことが あるのです。 そのきっかけとなるような出会いを、生かすも生かさないも自分しだいです。 自分自身を含めてどんな人にも、可能性を見つけるチャンスはあると信じて みましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月28日
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【自分を変えるのは難しい】 臨床心理士・すがのたいぞう氏の言葉から。《よく「人間は中身だ!」なんてことを言う人がいる。 こういうことを偉そうに言う人に限って、いかにも中身がなさそうな感じなの で、「そう言うあなたはどうなんですか?」と皮肉りたくもなるものである。 私たちは「自分を変えよう」とか「変えたい」と思うと、ついつい「中身」、 つまり精神的な部分を何とかしなければいけないと考えがちである。 しかし、そんな無理をしてはいけない。 長いこと培ってきたものが、そうそう変えられるわけでもないのである。 それに、自分がなおしたいところも、間違いなく自分の個性なのだから、生涯 大事にしなくてはいけないのである。 変えるんだったら、まず外側を変えてみよう。 それならあまり無理しないでもできる。 たとえば、いつもイライラしている人がいる。そういう人ならば、ゆっくりと あるくこと、ゆっくりしゃべること、ゆっくり呼吸することである。 これを実践すればいいだけだ。中身を変えなくても、これが日常的にできるよ うになれば、イライラはなくなる。 暗い気分でいる人ならば、明るい服とか派手な服を着なさい。 あるいは、無理にでも明るくふるまいなさい。 笑えるものなら笑うのもいいだろう。少しは明るい気分になれる。 「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」。 これは心理学の一つの命題である。 「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」とも言い換えられる。 外側、あるいは「かたち」から入ることも大いにアリなのだ。 「そんなことを言われても、派手なスーツを着て会社に行くわけにはいきませ ん」と言う人がいるかもしれない。 それはそうだ。 そういうときには、パンツだけでもド派手なやつにすればいいのである。》 (出典元:すがのたいぞう著「こころがホッとする考え方」PHP研究所) * * * 人の性格はおおむね幼少期に決まっていくと言われています。 そして、性格は変わりにくいものです。 むしろ変えにくい、という言い方のほうがよいかもしれません。 しかし、生活習慣によって多少の修正はできるものです。 たとえば、落ち着きのない子どもを書道教室に通わせたら、しっかりした言動 をする子になった、という事例はたくさんあります。 正座して、呼吸を調えて、白い紙に向かって筆を持って字を書く。 座禅や、茶道なども同じように、精神を安定させることで物事の判断が冷静に なるという効果はあるのです。 週に一度、あるいは定期的にそのような環境の中に自分の体を入れ込むことで 自分が変化することにもなるでしょう。 この変化は、性格が変わったというより、もともとの自分にさらに別の良さが 加わったことと言えます。 もともとの自分は慌て者でも、静かになれる自分も持ち合わせることになる。 自己成長とは、そのようなものでもあると思います。 自分は自分のままで、新しい自分をつけ加えていくこともまた楽しいものです。 (by ハートリンクス)
2020年08月27日
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【禅の教えが掃除を重んじる理由】 臨済宗満願寺住職・永井宗直師の言葉から。《禅の修行中はいろいろな作務(作業)を丁寧に行いますが、なかでも掃除は みっちりやらされます。 毎朝四時に起床、日が昇った頃には日課である掃除が始まります。 禅堂の掃除や、庭の掃き掃除など、とにかく一心不乱で取り組みます。 雑巾のかけ方、箒(ほうき)の使い方なども決まっていて、すべてそれに 則ってやるわけです。 たとえば、箒には竹箒と棕櫚(しゅろ)箒の二種類があって、土の上は竹箒、 石畳みのうえは棕櫚箒というふうに使い分けます。 もっとも、修行一年目の雲水は、箒をほとんど使わせてもらえませんでした。 先輩が箒で集めた落ち葉などを手で拾い集めるのです。 掃除の基本は自分の手を使うことである、ということを徹底的にたたき込まれ るわけです。 わたしが雲水になって二年目くらいのときに、こっぴどく怒られたことがあり ました。 やっと箒を使わせてもらえるようになり、庭の掃き掃除をしていたのですが、 見れば葉っぱが落ちていない場所があるのです。 「おお、ラッキー、ここはやらなくていいや」とばかり、掃かずに次の場所に 移動しました。 すると、先輩の叱声が飛びました。これが露見してしまったのです。 「馬鹿野郎! よく見てみろ」の一喝でした。 ツツジの根元など見えないしいいかと思っていたわたしに、先輩はこういい ました。 「仮に葉が落ちていなくても、土を掃いたところと掃かなかったところでは、 土の輝きが違うであろう」 本当にそうなのです。わたしはその歴然とした違いを思い知りました。 「綺麗だから、しなくてもいい」「見えないところはいいだろう」というのは 自分の判断です。 作務は修行ですから、判断などしてはいかん、そのことに一所懸命に取り組む ことが大切だ、ということでしょう。 ◆心にも塵(ちり)や埃(ほこり)がたまる 毎日、日課として掃除をやる意義もそこにあるのだと思います。 ちなみに、掃除は朝だけではありません。 晩課掃除といって、修行中は夕食前にも掃除をします。 禅でそれほど掃除に重きを置くのは、掃除は自分の心を掃き清めることに通じ る、と考えるからです。 「一に掃除、二に掃除」とばかりに、信仰心より掃除が上位に位置づけられて いるほどなのです。 心には知らず知らずのうちに塵や埃(煩悩)がたまります。 しかし、自分ではそれは見えません。 ですから、日々、怠ることなく、磨き、掃き清めなければいけないのです。 掃除の手を抜くことは、心の塵や埃をそのままにしておくことと同じです。 また禅にはこんな言葉もあります。 「動中の工夫は静中(じょうちゅう)の工夫にまさること数百万倍」 ここでいう工夫は、通常の意味とはちがいます。 精進する、専心する、といった意味あいが含まれているのです。 すなわち、じっと坐る坐禅に専心することが静中の工夫なら、からだを動かす 掃除に精進することは動中の工夫です。 その動中の工夫のほうが静中工夫よりはるかにまさっている、と禅では教え ます。 一般的に禅の修行は坐禅がすべてと思われがちですが、実は掃除は坐禅以上に 大切な修行だということです。 生活に即した仏法が、禅の眼目であるのです。 この禅語はそれを戒(いまし)めるものでもあるのでしょう。 みなさん、もし「掃除なんか汚れが目立ってきたらすればいい」なんて考えを お持ちでしたら、いますぐあらためてください。 そして心を磨き、ていねいに掃き清める、無心になって行なう動中の工夫に 励んでください。》 (出典元:永井宗直著 「禅、ていねいな生き方」 知的生き方文庫) * * * 教育の神様といわれる、森信三師が次のように言われたそうです。 一、やらない人にわからせることはできない 二、やらないうちに「わかった」いうのは、わかりかたが浅い 三、「良いということがわかったらやる」という人は一生できない イエローハットの創業者で、掃除道を全国に広める活動を実践する鍵山秀三郎 さんが、あるとき地方の高校で全校生徒が参加する掃除のイベントに行かれた ときの話です。 時期は二月で、その日は早朝から地元の新聞記者も取材に来ていたそうです。 講堂に集まった生徒たちはあまり元気な様子ではありません。 掃除するのはトイレです。 二時間かけて掃除をしました。再び生徒たちは行動に集合しました。 すると新聞記者が鍵山さんに言いました。 「朝と今とでは、とても同じ生徒さんとは思えませんね」 つまり、この記者の方は、言葉ではわからなかった「掃除の意義」を生徒たち の姿を見てわかったそうです。 二月といえば寒さも厳しい時期ですが、生徒たちは掃除をやってみてはじめて 分かったことがあったでしょう。 日ごろ行なう掃除も、自分の心のチリやホコリを取ってくれるものだと思えば 気持ちを込めることができます。 生活に根ざした禅の教えを、自分の日常に活かしましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月26日
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【仕事から学ぶ幸福へのヒント】 濱口隆則氏の言葉から。《たくさんの経営を見てきて、また自分でも複数の会社を経営してきて、初めて 分かったことがあります。 それは、経営というのは「関わるすべての人を幸せにする仕組み」でなければ ならないということです。 だから社長は「幸せの専門家」でなくてはなりません。 それが分かってからの私は、幸せについて深く考えるようになりました。 研究するようになりました。 そこで得た一つの結論は、幸せは、他者との関係性から生まれてくることが 多いということです。 他者とは、周囲の人のことであり、友人のことであり、家族のことであり、 社会全体のことともいえます。 もちろん、自分ひとりで幸せになることもできますが、人は人との関係の中 で、より幸せになれるのです。 では、どういう関係性を築いている人が幸せなのでしょうか? 私が知る限り、幸せな人は、ほかの人を幸せにしている人でした。 別に大それたことをする必要はないのです。 いつも明るく話しかけていたり、ちょっとした親切で喜ばれたり、小さな プレゼントをしょっちゅうしていたり、幸せな人は、いつも誰かに幸せの種 をふりまいています。 幸せな人は、そうやって他者と関わっています。 私が真剣に仕事に取り組んでいて本当に良かったと思ったのはこのことに 気づいた時です。 仕事には必ず他者が存在します。他者を意識して、自分以外の誰かである他者 に喜んでもらわなければ、仕事は成り立ちません。 つまり、仕事は、幸せな人と同じ他者との関わり方を教えてくれるのです。 どうやったらそういう関わり方をすることができるようになるかを教えてくれ るのです。 だから、幸せになりたかったら、仕事を真剣にやってみることです。 きっと、仕事は幸せになるコツを教えてくれます。 そして、今までに見えなかった何かが、見えてきます。 そうすれば気づくはずです。 仕事は、私たちの人生における「最高の味方」なのだということに。》 (出典元:濱口隆則著 「心の翼の見つけ方」 フォレスト出版) * * * 仕事とは「働く」ことです。 よく、「働く」は「傍(はた)を楽にする」、つまり周りの人を楽にすること、 ということを聞くことがあります。 しかし、それはたしかにそうだと感じますが、もっと深く考えれば、 「周りの人を幸せにする」ことが、働くことであり仕事をするということでは ないかと思います。 周りの人を幸せにすれば、自分も幸せになるのです。 仕事をする親は、給与という金銭を得ることで、家族のみんなが安心して暮ら せるという幸せを手に入れるのです。 仕事はつらいもの、大変なものとだというそれだけの価値観では、やる気は 上がりません。 仕事とはつらい、大変なことであると同時に、自分の味方であるという別の 価値観をしっかり持っておくことが、仕事を好きになるコツなのです。 仕事はつらいから、嫌いだと思っている限りストレスはついてきます。 著者は「仕事は嫌い」という思い込みをしている人が圧倒的に多いとも語って います。 そして、仕事で成功している人のほとんどは仕事を味方にしているとも述べ ています。 今の自分の仕事を味方にしよう、という考えがこれまでになかったらその考え を変えてみましょう。 すでに、今の仕事は味方だと考えている人は、さらに強い見方になるよう仕事 に打ち込んでいきましょう。 味方となる仕事の先に、幸福という世界があると思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月25日
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【自分なりに納得できることをしよう】 心理学者・内藤誼人(よしひと)氏の言葉から。《「尾木ママ」こと、教育評論家の尾木直樹さんは、かつて公立中学で先生をして いた時、通信簿をつけるのがイヤだったそうです。 というのも、どんなに頑張っている生徒でも、クラスの順位によっては、「1」 の成績をつけなければならないことがあったからです。 尾木ママはこれに納得がいかず、職員室で大声をあげたそうです。 「こんな成績表をもらって、生徒の励みになりますか! こんな成績表なら、 渡さないほうがよっぽどイイですよ!」 とめったに怒らない尾木ママが怒ったというのです(尾木直樹著『ピンチを 味方にするスイッチ』主婦と生活社)。 とはいえ、成績のつけ方には決まりがあって、「そういう決まりなんだから、 仕方ないじゃないですか」と他の先生に言われてしまったそうです。 ◆「決まり」に従いながら心の自由を確保するには 世の中には、「納得できないこと」など、いくらでもあります。 しかし、「決まり」なのであれば、それに従うしかありません。 けれどもそんな時でも、自分なりに納得できるように、「自分ができること」 をするのは許されているはずです。 尾木ママは、通常の通信簿だけでなく、「尾木ちゃんからの通信簿」という 手製の通信簿をつくってクラスの全員に渡すようにしたそうです。 これには生徒も大喜びしたといいます。 「うちの会社のこのシステムはおかしい!」 「うちの部署のこのやり方はおかしい!」 そんな不満は、いくらでもあるでしょう。 しかし、制度や決まりに納得がいかなくとも、やはり「悪法もまた法なり」で 従わざるを得ないのです。 でも、尾木ママのように、自分なりに納得できるやり方は、探せばあるのでは ないでしょうか。 ◆「どうしてもイヤ」な時、どんな手を打つ? 「こんなやり方には、私は納得できない!」と文句を言っているだけでは、 何も変わりません。 ここは、「さて、では自分が納得できるようなやり方は他にないだろうか」と 考えてみるべきです。 部下の勤務評定をする時、上のほうから「そんなに昇給はさせられないから、 部下にはわざと厳しい評価をするように」というお達しがあったとします。 けれども、そのやりかたがどうしてもイヤなら、尾木ママの作戦を真似して、 「私からの勤務評定」というものを別につくって渡したっていいのです。 「自分を納得させられるやり方」は、いくらでもあるはずです。 現在のやり方に文句を言うだけではなく、「自分なりの解決策」を見つけ出す 努力をしてみてください。》 (出典元:内藤誼人著「いちいち感情的にならない本」王様文庫) * * * どんな決まり事であっても、すべての人が賛成するということはほとんどない といってよいと思います。 いろんな矛盾や不合理に直面したときに、どのような対応をするかによって その後の展開も変わってくるかもしれません。 もし、その現場に自分が居合わせたら、どのような気持ちで考え、どんな対策 を打つかは大事なことです。 ただ感情的になってしまうのか、あるいはいろんな面から感情を抜きにして 冷静に考えることができるのか。 尾木ママのとった対応策は、主役である生徒の立場をいちばんに考えた結果の ことだったと思います。 学校という建前は否定せず、しかも教師としての気持ちをいかに生徒たちに 伝えることができるか、しかも自分も生徒も両方が納得できるやり方はないか を熟慮した方法が「尾木ちゃんからの通信簿」でした。 これには、尾木ママの教育者としての信念のようなものがあったのでは、と 感じています。 もちろん、尾木ママの人格的な要素もあったでしょう。 ただ、もっとも大きいのは「自分なりの解決策」を見つけるために絞り出した 知恵であったことです。 自分なりというのは、その人にしかできない知恵と努力のこと。 その人らしいな、と周りに思わせるようなものです。 問題が起きたら、自分なりの解決策を考えてみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月24日
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【与える人ほど成果をつかむ】 スポーツドクター・辻 秀一氏の言葉から。《ビジネスの世界でも、「与える」は大事なキーワードになってきました。 大きな成功を収めている企業を見ると、その根底にはやはりライフスキル的な 「与える」発想があるのでないかと思います。 私が尊敬している企業家のみなさんが成功されているのも、「与える」ビジネス を徹底的に追求された結果だろうと思います。 会社のあり方、ご本人のあり方を拝見していると、常にライフスキル的な「与 える」発想でやってこられたことがうかがえます。 その一人は通販大手のジャパネットたかたの創業者、高田明さんだと思います。 地方の小さなカメラ販売店から始まったサクセスストーリーは、あらためて お話するまでもありません。 ジャパネットたかたがここまで成功したのは、「与える」発想そのもののビジ ネスモデルだからだと私は感じています。 クーラーをどう売るか、テレビをどう売るかではなく、物の向こうにある豊か な生活をどう感じてもらえるかだけを真剣に考えてきたことが、「与えるビジ ネス」になったのではないかと思うのです。 会社そのもの存在意義として、ただ物を売るのではなく、物の向こうにある 快適さを与えることに夢中になっている、ビジネスモデルなのだと感じてい ます。 また、高田さんが経営で重視していたのは、社員を大切にすることだったの だそうです。 働く社員が満足感を得ていなければ、顧客満足度は高まらないと考えていた のです。 だからこそ、3億円だった売り上げが、25年間で1500億円以上になった のです。 ここまでのビッグカンパニーになったのは、与えるビジネスが経営の基本に あったからだと私は考えます。》 (出典元:辻 秀一著「与える人が成果を得る」ワニブックス) * * * 「与える」ということには3つの原則がある、と著者は語っています。 それは何かといいますと、「応援思考」「感謝思考」「思いやり思考」です。 この3つの思考には、エネルギーがあるといいます。 そのエネルギーを、他者に与えることで自分もまたそのエネルギーを受ける ことになるというのです。 オリンピックで競技する選手に応援すると、応援する自分が元気になります。 食事前に「いただきます」という感謝の言葉を述べて食べると、美味しく食べ ることができます。 そして、作ってくれた人に「美味しい! ありがとう!」と言えば、相手は 喜んでくれ、その料理はさらに美味しく食べることができ、なごやかな雰囲気 が生まれます。 誰かに思いやりの気持ちで接すると、自分にもやさしくなり自分を大事にする ことができます。 プロゴルファーのタイガーウッズ選手は、ライバル選手のパットを見つめる ときは心の中で「入れ!」と言って応援しているといいます。 「与える」ことを、何か自分が損をするというイメージをしがちですが、実際 はそういうものではないのです。 人に何かを「与える」と、自分にも生きるエネルギーが「与えられる」。 このことがわかると人生も、ビジネスもとても楽しいものに変わってきます。 「与える」ことの意味を考え直してみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月23日
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【セルフイメージングの力を知る】 社会教育家・田中真澄氏の言葉から。《セルフイメージングとは、自分はこうなりたい、こうしたいという自己像を、 いつも心に描き続けることをいう。 人間は、「こうなりたい!」と強烈に思い続けていると、次第にそのような 人間になっていく動物なのである。 問題は、その願望をどのくらい強烈に長い期間にわたって持続できるかである。 多くの人々は、その思いを途中で放棄せざるを得ない事態に遭遇するか、ある いはあきらめてしまうから、思いをとげられないで終わるのである。 ◆意識は力 北海道大学の物理学科を卒業し日本製鋼所に入社し、鋼の研究で「俵論文賞」 を受賞し、その後、百瀬創造教育研究所を設立して、小・中学生や親を対象に 人間教育を行っている百瀬昭次氏は、著書『賢い母親のススメ』(偕成社)の 中で、こう書いている。 「私が『意識は力である』ことをはじめて知ったのは、三十歳を過ぎてからで、 それも自分で学んで知ったのです。 それまでは高校でも大学でも社会に出てからも誰も教えてはくれませんでし た。 言いかえれば、そういう肝心なことを知っている指導者がいかに少ないか、 またそういう根本的なことを教える教育がいかに欠如しているかということ でしょう。 教育の原点は、やはり『意識は力である』ことを教えることからはじまる、 と私は考えています。 なぜなら、どういう意識をもつかによって起こることが自ずと決まってしま うからです。 たとえば、『地球人』であることをいつも意識していると、地球的視野で物事 を考えることが自然にできるようになるわけです。 また、すばらしい人間になるためには、すばらしい魅力的な人間としての 自分を意識することからはじまります。 自分の夢を実現するにしても、ただ漠然と取り組んでいても叶いません。 目的意識をもち、夢を実現することができる人間としての自分を意識する ことによってはじめて叶います。 ですから、『意識』の重要性を根底に欠いた教育は、骨抜き教育以外の何物 でもない、といわれても仕方がないのでしょう」 この百瀬氏の「意識の力」も、セルフイメージングのことを指していると考え ていいと思う。 このように、かつて物理学を専攻した人が、セルフイメージングの力を重視 していることに注目したい。》 (出典元:田中真澄著「志が道を拓く」ぎょうせい) * * * セルフイメージングでもう一人の方のお話をしたいと思います。 この方は、台湾生まれで謝 世輝といいます。 台湾大学を卒業後、名古屋大学大学院で原子物理学の博士号を取った人です。 さらに、東海大学教授になりました。 謝教授は「これだけ科学が進歩しても、わからないことはまだたくさんある。 世の中は科学や理性では解明できないことが多く、人生を支配するのは人間の 想念、信念、意欲である」と述べています。 実際、謝氏の著書は、心理学や宗教学に関するものだけで10冊以上もあり ます。 また、謝氏自身、台湾から来日する際にもいろんな障壁がありましたが、自身 の想念の力、セルフイメージングの力で実現させています。 また、虚弱体質であったのですが、日本でこのセルフイメージングを研究する うちに健康な体になることができたといいます。 セルフイメージングとは、大きな意味では心の力のことです。 心もまた、意識、思考、想念、意欲を通して成長し強くなり、柔らかくなって いくものです。 意識の力に興味を持ってみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月22日
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【自分に内在する宝物に気づこう】 ジェームス・アレンの言葉から。《黄金やダイヤモンドは、度重なる探鉱と試掘によって発見されるものです。 人が魂という鉱山を深く掘り進めば、その人の本質にかかわるあらゆる真理を 発見することでしょう。 そして、自分が自らの人格をつくり、人生をかたどり、運命を築き上げるのだ ということを認識するのです。 自分の思考を観察し、管理し、そして変化させながら、自分自身や他人、 また人生や境遇に及ぼす影響を突き止めれば、真実が証明されます。 忍耐強い訓練と探求、そして些細な日常の出来事でも、経験として 積み重ねることによって、原因と影響を結びつける必要がりあります。 このことこそ、自分自身についての知識を得ることです。 つまり、悟りであり、知恵であり、力といったものです。》 (出典元:ジェームス・アレン著「ジェームス・アレンの法則」 ピーター・セツ 訳 (株)イーハートヴフロンティア) * * * ジェームス・アレンはイギリスの作家です。 「道は開ける」「人を動かす」の著者でもある、デール・カーネギーに最も 影響を与えた作家です。 この著書は、代表作As a Man Thinketh というタイトルでロングセラーと なっています。 ここに紹介した文章には、仏教の教えに似た解釈も見られます。 法華経の教えに「衣裏繋珠」(えりけいじゅ)というたとえ話があります。 あるお金持ちの長者が貧乏な親友とお酒を飲む機会がありましたが、貧乏な 友人は寝てしまいました。 長者は用事があり出かけることになったので、眠っている親友の服の裏に高価 な宝石を縫い付けていきました。 貧乏な友人は目が覚めましたが、長者の友はすでにいませんでした。 数年後、二人は再会しました。 ところが、長者は再会した友が相変わらず貧乏だったのでこう言いました。 「君の服の裏側に宝石が縫い付けてあるのに、どうして気づかなかったのだ」 と言って、その宝石をさして見せたのでした。 その宝石を売ってお金に変えれば、貧乏な生活はしなくて済むと長者は思い、 貧乏な友のために縫い付けたのでした。 この話は、人には内在する宝物(仏性)があるのに、なかなか気づかないもの である、ということを教え諭しています。 ジェームス・アレンは内在する宝物(仏性)というものを、 「魂の奥にある真理」 という言葉で表現しています。 魂の奥にある真理とは、抽象的でややもすると宗教色の濃い言葉ですが、 現代風に訳せば、隠れた才能・可能性という意味を持つ潜在能力のことです。 そのような能力を発揮するには思考、すなわち考え方が重要であるということ です。 これは、近代の心理学の世界でも広く知られるように、スポーツ心理学や ビジネス心理学・マインドフルネスにも応用されています。 人は、自分の思考しだいで、よい人生を築くことができるということです。 まず、自分に内在する力を信じてみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月21日
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【愛情で人を育てる】 元プロ野球監督・野村克也氏の言葉から。《◆もっとも大切なのは愛情 選手をよく観察するというのは、その選手をもっとよく知りたいということ でもある。 そして、それは言い換えれば、どれだけ愛情を持って接することができるかが 重要だということだ。 「どうやって人を再生させるのですか」 よくそう訊かれる。すると、私はいつもこう答える。 「その選手に対する愛、情熱です」 そう、再生の根底にあるのは、愛情なのである。 2007年の日本シリーズで、中日の落合博満監督が完全試合を目前にいていた 山井を交代させたことが話題になった。 ここまではないにしろ、V9巨人を率いた川上哲治さんも、あと一人抑えれば 勝利投手の権利を手にするような状況で先発投手を代えることがよくあったと いう。 勝負に徹するという意味では、正しいことなのだろう。 しかし、私にはできなかった。 心では代えるべきだと思っても、その選手のことを考えるとどうしても非情に 徹することができなかった。 その選手が下積みの末にやっとチャンスをつかんだり、真摯に野球に取り組ん でいたりするとなおさらだ。 私自身が貧乏育ちで一時は高校進学をあきらめざるをえないことがあったし、 プロでも一度クビになりかけた経験があったということも影響しているかもし れない。 結果、何回も失敗した。 それが監督としての私の限界だといわれればそれまでだが、ただ、それは人を 育てることにおいて必要なことなのだと考えていることも事実なのである。 なぜなら、実績の乏しい若い選手にとってなによりも自信になるのは勝ち星で あり、それはスランプに陥ったり、あるいはケガから復帰したばかりだったり するベテランにしても同様だからだ。 だから私は、ピッチャーにゲキを飛ばし、なんとかがんばらせようとする。 現役のころもそうだった。 キャッチャーのなかには、打たれると投手の責任にするタイプもいる。 「おれが要求するコースに投げなかったから打たれたのだ」というふうに。 対して私は、打たれたら全部キャッチャーが悪いと考えた。 たとえば、バッターにはそれぞれクセや弱点があり、そのピッチャーにも 長所と短所がある。 それをきちんと頭に入れ、配球を工夫していけば、打ち取ることができる。 打たれたのであれば、私の工夫が足りなかったと思うようにしたわけだ。 もちろん、私がそう考えたのは、実績のない若い選手や他球団でお払い箱に なった選手たちをなんとか使っていかなければならない状況だったからである ことは否定しない。 しかし、根本にはやはり、「この選手をなんとか一人前にしてやりたい」「成長 してほしい」という愛情があったからだと自信を持っていえる。≫ (出典元:野村克也著「野村再生工場」角川oneテーマ21) * * * 野村さんは、 「若い人を育てるにはほめることが必要と言われるが自分にはそれができない」 と語っています。 楽天球団の監督時代、今はメジャーで活躍している田中将大投手にもほめた ことはないそうです。 叱ってこそ人は育つという考えが野村流の育て方ということです。 そして叱るのも、自分の口からではなくメディアを通して短い言葉で伝えて いたそうです。 もちろん、ほめることもあったといいます。 ただし、叱るときは気を遣っていたとのこと。 やみくもに叱るのではなく、次はこうしたらどうだというアドバイスをともな う叱り方であったといいます。 つまり、気を遣いながら叱るというスタイルの背景には、その人がもっと成長 できるようにという愛情があったのです。 愛情のない叱りは、自分の感情をただぶつけているだけです。 自分のいうことを聞かなかった、だから怒りがわいて叱った。 これでは人は育たないでしょう。 人が育つには、愛情が必要なのです。 その人が成長することを願うという気持ちが何よりも大切です。 (by ハートリンクス)
2020年08月20日
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【おおらかに許す心を持とう】 天恩山五百羅漢寺住職・佐山拓郎師の言葉から。《◆「相手を許す」とラクになる 仏教は、一言で表すと「許しの宗教」です。 宗教にしては懐が深く、いろいろなことを許してきた歴史があります。 とても寛容で、日本人の習性に合った宗教であると思います。 日本ほど、一年を通じていろいろな宗教のお祭りを満喫する国はありません。 神社で初詣をしたかと思えば、バレンタインで愛を誓い合う。 盆踊りを楽しんだかと思えば、ハロウィンで陽気に仮装をし、クリスマスも 盛大に祝う。 いろいろな意見があるでしょうが、私はとても素敵なことだと思います。 私はお寺の息子です。 でも子どもの頃はクリスマスもお祝いしていました。 家がお寺なのにクリスマスを祝うことができたのは、「同級生がみんなやって いるお祝い事を、うちだけができないのはかわいそうだ」と考えていた両親の おかげです。 そしてこの寛容さが仏教の神髄だと思います。 自分とは違うものを否定するのではなく、許す。 この信念は、お釈迦様の悟りのひとつであり、「いろいろなことを許すことに より、自分もラクになる」という教えも込められています。 仏教は相手を許し、それによって自分もラクになる。 お互いが無理をしない宗教だといえます。 自分とは違う意見や、矛盾している言動を一切許せないという人は、意外と 多いものです。 まじめで、曲がったことが大嫌いという素直な人ほど、他人に対して不寛容に なってしまう傾向があると感じます。 お釈迦様は「対機説法」(たいきせっぽう)という形で、教えを広めていきま した。 「対機説法」とは、相手の状況や性格、能力などに応じて、その人にいちばん 響くように法を説くことです。 医者が、風邪の人には風邪薬、胃痛の人には胃薬を処方することによくたとえ られます。 相手によって説法を変えるわけですから、もちろん「あの人に言っていること と、この人に言っていることが違う」ということになります。 これを「人によって、かける言葉や態度が変わるなんて矛盾している」と考え てしまっては、お釈迦様の教えも受け取ることができません。 人間と人間が影響を与え合って生きている以上、少々の矛盾や間違いはつきも のです。 それをおおらかに許すことで、いらだちや怒りといった感情に流されることな く、人と付き合うことができるようになります。》 (出典元:佐山拓郎著「流されない練習」知的生き方文庫) * * * あくまで、一般的なこととして、他人と自分の意見の違いを受け入れる寛容さ を持つことは大切です。 例えば、意見の違いを良い悪いという基準で判断すると、結果的には良い意見 と悪い意見ということになってしまいます。 別々の意見を持つ人の立場からすれば、本来は違う意見は参考意見という見方 ができないと、人間関係はうまく回っていかなくなるでしょう。 その点では、お釈迦さまの教えには、たとえ話が多くあります。 これは対機説法で教えを広めた仏教の特徴です。 しかし、世の中には多種多様な考え方をする人がたくさんいます。 自分と同じように考える人ばかりなら気楽ですが、それはそれで変化に乏しい ものになります。 世の中を生きるとき、他者との意見の違いに興味や関心を持っていこうと思う ことが自分の成長につながるものです。 興味や関心を持つと、その対象にいらいらする気持ちは湧かないのです。 自分と真逆の意見、考え方にでも、「なぜ、あの人はそう思うのだろう?」 と少し掘り下げて考えることを習性にすれば、視野も大きくなるはずです。 良い、悪い、許す、許さないという自分だけの価値観で相手を判断するより、 いろいろな見方ができる人でありたいものです。 (by ハートリンクス)
2020年08月19日
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【目標達成のための4つの公式】 ナポレオン・ヒルの言葉から。《自動車で長距離旅行に行くとき、行く先も決めず、地図も持たずに出発する 人はいないだろう。 だが人生で何を望んでいるか正確に知っていて、目標達成のために具体的な 計画を立てている人は、1000人のうち2人しかいない。 この2人は、男性であっても女性であっても、人生のリーダーである。 自分の思うままに人生を動かした、偉大な成功者なのだ。 自分が人生で何を望んでいるかよくわからないなら、今すぐに始めよう。 何をしたいのか、どれくらい望むのか、そしていつそれを手に入れたいのか、 今すぐはっきりきめよう。 ここで、目標達成のためのわかりやすい4つの公式を紹介しよう。 1、最も望んでいるものを、はっきり書き出そう。 2、目標達成のための計画と、お返しに社会のために何をするつもりか、 書き出そう。 3、いつまでに明確な目標を達成するのか、明確な期限を設けよう。 4、書き出したことを暗記し、繰り返し暗唱しよう。そして最後は、計画に 必要だったものを受けとれたことへの感謝で締めくくろう。》 (出典元:ナポレオン・ヒル著「人生指南」田中孝顕 訳) * * * 私たちは、子どものときを含めて「どうしてもこのことをやりたい」という 気持ちになって、それに没頭したことが一度や二度はあると思います。 つまり、目標が明確になっていたわけです。 ただ、それも大人になると「自分のやりたいことも簡単には実現しないもの」、 というあきらめの気持ちに負けてしまいます。 ところが、この目標を明確にすることができると、しだいに生きがいという ものを感じるものです。 日本の医学者・野口英世は多くの人が知る偉人の一人です。 彼は南米での黄熱病の研究によって、エクアドルやブラジルに「野口通り」 と呼ばれるほど街の通りに名前が残っています。 またアフリカのガーナには銅像が建てられたりするほど、有名になりました。 野口の目標は「アメリカに行き、世界を駆け巡る医学者になる」ことでした。 もちろん、彼が小さいころのやけどで手が不自由になり、いじめにもあったと いうコンプレックスがあり、出世欲も人よりは強かったのかもしれません。 しかし、医学を通して世の中に恩返したいという思いもあったのです。 彼が、アメリカに行くきっかけになったのは、当時アメリカの有名な細菌学者 のフレクスナーという人が来日した際に、通訳をしたことでした。 その後、アメリカに行きフレクスナーを訪ね、助手にしてくださいと頼んだと いいます。 しかし、フレクスナーからは「助手はいらない」と断られますが、あきらめず にお願いして助手に雇ってもらうことになりました。 ただ、賃金は当時最低の生活費が20ドル必要だったそうですが、8ドルなら という条件を受け入れたのです。 これが、世界の野口英世が生まれるスタートになりました。 このように、境遇や障壁があっても、自分の目標が明確であればあるほど、 信念も強いものになるのです。 夢や目標の大きさに関係なく、明確にして期限を設定する。 これはビジネスでも、ふだんの生活においても応用できることです。 目標に向かって生きる日々の生活を楽しみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月18日
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【聴き上手になろう】 書道家・武田双雲氏の言葉から。《僕のアトリエにはもう何年も「聴き上手」という書を飾っています。 僕らは、なぜこんなにも話を聴くことが苦手なのでしょうか。 そもそも人は自分の価値観で生きています。 人の口から出る言葉を「瞬時に」「自分の解釈」で受け取ります。 「あー、これはあのことね」「それは、こういうことだよ」と、相手と解釈が 違うことを忘れ、自分だけの価値観で人の言葉を受け取っているからです。 これは、ある意味で「反射的」なので止めることは難しいのです。 よっぽど修行を積んだ方じゃないとフラットに受けとるというのは無理です。 そこでおすすめなのが「沈黙」すること。 ただ黙って、受け入れるだけです。 例えば、身内が「こんなことがあったんだけど」と言ったら数秒の沈黙と うなずき。 その後に、ゆっくりと「そんなことあったんだ」と、ただ、相手の言ったこと をミラーリング(反復)するだけです。 ただそれを繰り返しているだけで相手は、すっごく気持ちよく話すことができ ます。 人の悪口などネガティブな話の時は、一方的に聞いているとさすがにきつい です。 なので、適度なタイミングで話を切り替えるなり、場所を変えるなり、切り上 げるなりしたほうがいいと思います。 聴き上手もTPOに合わせる必要があります。 ◆潜在意識の声をしっかり聴く 「聴く」ということは、想像以上に難しいことです。 口や顔、口、体全体の動き方に加えて、呼吸や、言葉の選び方も考えていくと、 一種の総合芸術にもなっていきます。 色々と考えて出た結論は、とてもシンプルなことでした。 僕がたどり着いた「聴き上手」の真髄とは―― 「相手に対する強烈な好奇心」 いくら、聞く技術にたけていても、相手に対する好奇心がないと、その技術は ほとんど弱体化します。 「聞く」ではなく「聴く」。 「聴く」には「心」という字が組み込まれていますね。 相手に対する強烈な好奇心を持つということは、「無意識」に、呼吸やしぐさ も相手の心が開くように向かっていきます。 そう、「無意識」というのが大切です。 強烈な好奇心は、自分の中に潜んでいる力を引き出します。 無理に聴こうとしなくても、いつのまにか最強の聴き上手になっているはず です。 「聴き上手」は何も他人に有効なだけではありません。 「自分」に対しても「聴き上手」になれます。 自分の内なる声、つまり潜在意識の声をしっかり聴くこと。 「強烈な好奇心」が聴き上手の真髄ということでした。 そうです。自分に対する強烈な好奇心。 これが、内なる声に対する「聴き上手」のコツなのです。》 (出典元:武田双雲著「ポジティブの教科書」主婦の友社) * * * 人の話しをきちんと聞ける人は、人間関係の面においてもうまくいっている ことが多いようです。 つまり、きちんと聞くのが「聴く」とことなのです。 よく、「人の話しに耳を傾ける」ということをいいますが、これも「聞く」 より「聴く」ということになるのではないでしょうか。 自分の意見を押し通す人ほど、相手の意見を聞こうとしません。 テレビなどで、コメンテーター同士が論戦しているとき、よく見ていると 自分が言いたいことを言うために、相手の発言の真意をゆがめて聞いている ケースがあります。 もしかすると、これに近いことを私たちもおこなっているかもしれません。 これは、相手を受け入れたくないという心理があるからでしょう。 本当は、受け入れたくない人の話ほど、よく聴くという姿勢が必要なのですが なかなかできることではないようです。 できれば、自分とは違う意見でも、まず耳を傾けるという姿勢は人との関係を 良好に保つ上でも必要なことです。 (by ハートリンクス)
2020年08月17日
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【引き寄せの法則を活用しよう】◎宮崎哲也氏の言葉から~《◆あらゆる出来事は、必然、必要、ベストと受け止め、落胆するな! 引き寄せの法則とは、心の状態に応じた現実(物、事、人、環境、境遇等)を 引き寄せるという法則です。 良い心は良い現実を、悪い心は悪い現実を引き寄せることになります。 ただし、引き寄せられた現実の良し悪しは、その時点では判断できないことも 多いので、注意が必要です。 例えば、財布を落としたりすると、どうでしょうか。 一般的には悪いことが起こったと受け止めるでしょう。 しかし、その財布を拾ってくれた人が正直に申し出てくれ、面会する、とても 素敵な異性だと分かり、好きになって、交際が始まったとしたら、どうでしょ う。 その財布を落としたことは、本当に悪い出来事だったと言えるでしょうか。 むしろ、そのことがなければ決して出会うことがなかった人との交際が始まっ たのであれば、財布を落としたことも良いことだと思えるかもしれません。 しかし、その後、その交際相手が浮気をして、あなたは捨てられたとしたら、 どうでしょう。 やっぱり、財布を落としたことがいけなかったのだとさかのぼって悔やむこと にもなりかねないでしょう。 このように、おなじ財布を落とすという出来事でも、その後の展開次第では 異なる解釈が生まれてくるものなのです。 まさに、「禍福はあざなえる縄の如し」。 私たちは日ごろの思いによって、絶えず、さまざまな現実を引き寄せています。 悪い思いは悪い現実を、良い思いは良い現実を引き寄せているわけです。 しかし、万一、悪い現実と思える事態を引き寄せたからと言って、落胆したり ヤケになったりしてはいけません。 むしろその現実を、「必然、必要、ベスト」だと前向きに受け止めるべきです。 そう受け止めることによって、あなたの魂の成長が促されるからです。 ◆悪いことも「必然、必要、ベスト」? 悪い結果というのは本質的に「悪」かというと、必ずしもそうではありません。 悪い結果を引き寄せることによって自分に対する反省や、そこに内在する問題 点というものへの気づきが生まれるなら、魂の成長という視点からはそれも 良いことだということになります。 悪いと思える出来事も、自然の法則の一種である「引き寄せの法則」の結果 ですから、「必然」です。 しかし、それをその原因となった思いの誤りに気づかせ、その人の成長を促す 教訓的な現象だと捉えれば、「必要」なことだとわかるでしょう。 そして、その出来事は、良いことでも悪いことでも、それまでのその人の思い のレベルとピッタリと符号しているという点において「ベスト」と考えられる のです。 思いの正しさの度合い、思いの誤りの度合いに応じて、それに見合った「良い こと」や「悪いこと」が引き寄せられるからです。 繰り返しますが、悪いことが起こっても、それをマイナスに受け止めて、ひど く落胆したり、自暴自棄になったりしてはいけません。 船井総研の船井幸雄会長も、多くの著書で、自分の周りに起こってくることは、 すべて必然、必要、ベストなことだから、前向きに受け止め感謝することを 勧めています。 ですから、感謝すること、人の長所を見ること、褒めることなどが大切なので す。 感謝することは、自分に生じている良い面に注意を向けることです。 人の長所を見たり褒めたりすることは、他人の良い面に注意を向けるという ことです。 それだけではありません。 そのような習慣は、思いのレベルを上げることにもつながり、ますます素晴ら しいものを引き寄せる力をアップしてくれるのです。》 (出典元:宮崎哲也著「夢をかなえる引き寄せの法則」マイナビ) * * * 人生は、自分の思っていることが実現する。 これは、大きな意味では間違いではありません。 悪いことばかりを考えるクセがあれば、どうしてもその流れに行ってしまう ものです。 しかし、たとえ良いことをいつも思っていても、良いことばかりが起きるとは 限りません。 それが、その人がより成長するために必要な課題としてあらわれるのです。 そのときに、どんな心でその課題に取り組むかがとても大事なのです。 偶然の出来事も、必然であるということがわかると、常にどのようなことを 考えればよいのか、ということも理解できます。 自分の力ではどうしようもない出来事が起きても、自分にとって必要なこと だと考えることが、結果として自分を強くしていきます。 感謝するということは、弱い人がすることではなく強くないとできないこと どもあるのです。 同時に、感謝することがさらに人を強くしていくということにもなるのです。 どんなことを引き寄せるかは自分次第です。 だから、人生は面白いといえます。 人生を楽しみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月16日
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【少しの間、ボーッとするのもリラックス】 精神科医・西多昌規氏の言葉から。《◆瞑想、マインドフルネスとは何か。 ハーバード大学に留学していたとき、「瞑想と脳波の研究をやってみないか」 と、ある研究者に提案されたことがあります。 医療費が高く、国民皆保険制度のないアメリカでは、薬剤や手術以外の「代替 療法」の研究がさかんなのです。 ここで言う瞑想とは、宗教的な悟りを開くことではなく、簡単に説明すれば 「目をつぶり、一定時間じっと座り続けるリラクセーション法」です。 最近よく耳にする「マインドフルネス」は瞑想をさらに発展させたものと 言っていいでしょう。 マインドフルネスの意味は、「注意を集中する」ことです。 わたしたちは、普段の家事や仕事などを完全に集中しておこなっているわけで ではありません。 その証拠に通勤電車からの光景をすべて覚えているひとなどいないでしょう。 こういう状態を専門的には「自動操縦状態」といいます。 自分のこころが現在ではなく、過去や未来のことに向いている状態です。 現在の瞬間をもっと自覚し意識するためには、意識的にその瞬間、瞬間に集中 して「自動操縦状態」を脱する必要があります。 「マインドフルネス」とはこのように、今、このときに注意を集中するという 意味です。 マインドフルネスの訓練は、禅や瞑想、ヨガなどいろいろな手段でおこなえま すが、適切に指導してくれるインストラクターが必要です。 しかし、知識を持っていれば、薬や嗜好品に頼らないリラクセーション法とし て応用できるようになります。 ◆日常生活での瞑想のコツは「ボーッとすること」 マインドフルネスや瞑想などといった堅苦しい言葉を使わず、ちょっとのあい だ「ボーッとする」だけでも、リラックス法として有効だと、私は考えていま す。 オフィスやカフェ、家のソファで、テレビなどの雑音を断ち、携帯電話やスマ ホは可能ならば電源を思い切ってオフにして、15分ほどボーッとしてみま しょう。 15分という時間はやってみればわかりますが、何もしないと長く感じられ ます。 つい何かをしたくなってくるかもしれませんが、その何かを考えるのを停止 して、息をゆっくり吐くことをこころがけ、「ボーッとすること」に意識を 集中させましょう。 積極的にスマホを使う方法もあります。 「マインドフルネス」「Calm」「Meditate」などの、瞑想状態を導きやすい アプリがあります。 脳がリラックスすれば、疲れていた前頭葉のはたらきを取り戻せます。 マインドフルネスと同様の、前向きに今に集中するための力が得られるのです。 ◆マインドフルネスのレッスン、プログラム。 □静かな部屋で、ラクに座る。手は膝に置いて。 □携帯電話やスマホ、テレビはオフにする。 □目を閉じて、力を抜く。 □呼吸は鼻を使って、呼吸に集中する。 □息をゆっくり吐くことをこころがける。 □標準的な時間は10~15分。 ・ドクターからのひとこと まずは「ボーッとする」時間を意識的に取ってみましょう。》 (出典元:西多昌規著「気持ちをリセットする技術」だいわ文庫) * * * ボーっとする時間を意識的につくる。 これは、常識からするとおかしいようにも感じます。 しかし、私たちが常識と思ってやっていることが実は自分の心を絶えず緊張 させていたことでもあるのです。 たとえば、電車に乗る時ですが、電車を待っている人のほとんどはスマホを 見ています。 電車に乗ってみると、さらに乗客のほとんどはスマホを見ているか、操作を しているかです。 すくなくとも、10年ぐらい前はこのような光景はなかったように記憶して います。 できれば、外出時は必要な時以外はスマホにさわらないようにしたいものです。 しかし、すでにスマホが自分の体の一部になってしまっている事実もあります。 だからこそ、ボーっとする時間を取り入れる生活が必要なのかもしれません。 (by ハートリンクス)
2020年08月15日
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【夢を持つと生活が変わる】 心理学博士・榎本博明氏の言葉から。《◆右目で「夢」を、左目で「現実」を見すえるコツ 夢を持つのは大切なことです。 でも、ただ思い描くだけ、強く念ずるだけで夢が実現するほど、現実は甘い ものではありません。 「夢を持ちましょう」「夢を描けば、それはおのずから実現します」と説く人 たちに対して、ある種のうさん臭さを感じるのは、私だけではないでしょう。 ちょっと理屈っぽい言い方をすれば、夢を思い描くことは、夢を実現するため の「必要条件」ではあっても、「十分条件」ではありません。 では、夢の実現のために、他に何が必要なのでしょうか。 ◆「何となく」ではなく、「これでなくては!」を選ぶ まず挙げられるのは、夢の実現を信じて頑張れる「意志の力」です。 夢を持たないでいると、日々の生活を惰性で過ごしがちです。 のんべんだらりとテレビを見たり、ゴロゴロしたりしていれば、一年、二年と いう月日はあっという間に流れ去ってしまいます。 ◆「夢スイッチ」がオンになると、毎日に張りが出てくる 夢を持つことで、日々の生活にビシッとしたバックボーンができます。 ある事務職の女性は、将来、会社のある部門で活躍したいという夢を持った とたんに、朝起きるのが苦痛でなくなったといいます。 朝が苦手で、いつも始業時刻ギリギリに出社していたのに、その職種に就くの に必要な資格を取得するために、朝早く起きて、出勤前に講座に通うように なったそうです。 このように、夢を持つと、ダラダラしがちだった毎日の時間の使い方が変わり ます。 ある板前さんも、独立の夢を持つ前は、言われたことをただ漫然とこなすだけ だったといいます。 ところが、独立するという夢を持ったとたんに、世界が一変したそうです。 今のうちにできるだけ多くのことをマスターしておこうという思いになり、 どんなに疲れた日でも調理場に残って、いろんな練習をしたそうです。≫ (出典元:榎本博明著「不思議なくらいやる気がわく教科書」三笠書房) * * * もし、実現したい夢があるとしたら、行動可能な計画を立てることが必要に なると思います。 ただ、その前に大事なことは、著者もいうように「これでなくては!」という 夢であることです。 その夢がモチベーションを生み出していきます。 そして、そのために、必要な時間とやるべきことをプログラム化する行動計画 を立てて日々実践していく。 基礎的な段階からスタートし、徐々に夢に近づくようなステップを具体的に 表などにして可視化することも工夫できればいいのではないでしょうか。 その根本にあるべきものが、意志の力・心の力だと思います。 小さな夢でも、実現できたという自信がつけばそれがいつかは、大きな夢の 実現につながることでしょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月14日
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【忘れようとするより受け止める】 心理カウンセラー、元陸上自衛隊心理教官・下園壮太氏の言葉から。《◆嫌な記憶を「忘れよう」とするのは逆効果 誰かに嫌なことをいわれて、「嫌だな」と思った記憶が、ずっと引っかかって いることがありませんか。 取るに足らないことだ、相手も悪気があったわけではないんだから…などと 理性でなんとかねじふせ、「もう切り替えよう」と忘れたつもりでも、特に相手 が身近な人、たとえば職場であった場合、たびたび「また嫌なことをいってく るかもしれない」「また同じような気持ちにさせられるかもしれない」という 警戒センサーが反応します。 すると、無意識のうちにエネルギーが奪われていきます。 そんなとき、「いつまでもクヨクヨしてもしかたがない!」と、なんとか別の ことを考え、その怒りの感情を「忘れよう」とする人もいます。 一見、正しいストレスケアにも思えますが、このやりかたではなかなかうまく いかないことが多いのです。 なぜなら、いったん「なかったこと」にされた怒りの感情というのは、そのま ま、くすぶり続け、折に触れて勢いを盛り返そうとするからです。 つまり、忘れようとすればするほど、その怒りが蘇ってくるようになります。 ですから、「忘れる」のではなく、その怒りの感情をきちんと「受け止める」 必要がありますが、真正面から受け止めるのは難しいものです。 なぜなら、忘れてしまいたいぐらいの嫌な感情なのですから、それをガチンコ で受け止めようとすれば、当然、苦しい気持ちが湧いてきます。 ◆自分を許すための「ありがとう瞑想」 そこで、私が提案しているのが、「ありがとう瞑想」です。 「ありがとう瞑想」とは、呼吸法を取り入れながら、怒りの感情とうまく距離 を取りつつ、そっと触れるように柔らかく怒りの感情を受け止めるワークです。 少し背筋を伸ばしてラクな気持ちでイスに座り、目を閉じて、自分の呼吸を 意識します。 「こんなふうに吐き・吸わなければならない」という難しいテクニックは必要 ありません。 ただ、自分の息を「い~ち」「に~」と数えながら呼吸するようにしてください。 呼吸に集中しようとしても、心の中に引っかかっている怒りの感情が頭に浮かん でくるかもしれません。 そうしたら、その「気持ち」に「ありがとう」と感謝します。 というのも、怒りは原始人的感覚で、あなたを守ろうとしてくれているのです。 その「気持ち」に「私を守ろうとしてくれたんだね。ありがとう」と伝えます。 そして、感情の存在を認め、感謝を告げたら、「だけど、いまは呼吸に戻るよ」 と呼吸を数えることに意識を戻します。 いったん呼吸に意識を戻しても、またその怒りの感情が持ち上がってくるかも しれません。 そうしたらまた同じように、「ありがとう」と感謝を告げて、また呼吸に意識を 戻す、ということを繰り返していきます。 すると、やがて怒りの感情の波が小さくなっていきます。 しばらくすると(通常40呼吸以上)少し心が落ち着き、ゆったりとした気持 ちになってきます。 そうしたら、そのゆったりした感覚を保ったままで、「自分はどうしてイライラ してしまったのだろう?」と自らに問いかけてみてください。 その原因が見えてきたら、「では、イライラしないためにはどうすればいいのか」 と、対処法まで考えてみましょう。 この「ありがとう瞑想」を、カウンセリングの現場でクライアントに行なって もらうと、みなさん、「いままで、自分の感情とこんなに上手に、じっくり向き 合えたことはなかった」といいます。 そして、「自分を許す」というのはどういうことか、そのヒントをつかんでいき ます。 「相手を許す」ことを実践するときにも、まずは「自分を許す」ことが大前提 となります。 たとえば、職場で何かミスやトラブルを起こしてしまい、その責任が自分にあれ ば、「自分を許す」というのはなかなか難しいことです。 そんなときは、それでも自分の味方になってくれる人や、頼れる人がいてくれる のが、もっともありがたいことです。 でも、人に頼ることができないこともあるし、頼ったとしても「こうすれば よかったんじゃない?」といった正論のアドバイスしか得られず、かえって 「自分はダメだ」と落ち込む危険性もあります。 だから、私たちは、「自分で自分を許す」ためのテクニックを磨いておくことが 必要です。 この「ありがとう瞑想」は、「自分で自分を許す」ための優れたテクニックです。 ぜひ実践してみてください。》 (出典元:下園壮太著「寛容力のコツ」知的生き方文庫) * * * イヤな事、怒りが湧くような事があったときは確かに気持ちも心も乱れるもの です。 ただ、乱れたままの状態なら、イヤな事、怒りが湧くようなことに支配された ことと同じです。 それでは、自分の気持ちの整理はつかないでしょう。 忘れることができる人は、それで終わりにして、新たにやるべきことに取り組 むことができます。 しかし、多くの人はどこかでその悪いことに引きずられていくことが多いよう です。 「ありがとう瞑想」に興味がある方は、一度やってみる価値はあると思います。 著者もいうように、自分を許すことがわかれば、人をも許すことができるもの です。 許すというのは、大きい意味では寛容であるということです。 弱い自分、イライラしやすい自分、何かに怒りを感じる自分に対して、少し でも寛容になれるなら、心も少しは軽くなるものです。 弱い自分をやさしく包み込むような、自身のおおらかさを身につけましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月13日
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【ものの見方が変わる話】《◎目をなくしたカバ 『一頭のカバが川を渡っているときに自分の片方の目をなくした。 カバは必死になって目を探した。 前を見たり、右側を見たり、左側を見たり、体の下を見たりしたが、目は 見つからない。 川岸にいる鳥や動物たちは「少し休んだほうがいい」と助言した。 しかし、永遠に目を失ってしまうのでなないかと恐れたカバは、休むことなく、 一心不乱に目を探し続けた。 それでも、やはり目は見つからず、とうとうカバは疲れ果てて、その場に座り こんでしまった。 カバが動きまわるのをやめると、川は静寂を取り戻した。 すると、カバがかき回して濁らせていた水は、泥が沈み、底まで透きとおって 見えるようになった。 こうして、カバはなくなってしまった自分の目を見つけることができた。』◆「止まる」ことは「正しい」こと コップの中の泥水をしばらく放置しておくと、やがては泥が沈み、水と泥に わかれる。 この現象はしばしば座禅にたとえられる。 座禅の禅とは何か? もともとはインドの「ジャーナ」という古い言葉から来ているという。 「ジャーナ」とは心を静かに保つということだ。 茶色の泥水の状態は忙しさの中でもがいている日常である。 心を静かに保つことで、心の中の舞い上がった泥を静めてみよう。 座禅を組むところまではいかなくても、私たちは毎日の生活の中に「心を静か に保つ時間」、つまり「ぼんやりする時間」をいくつも見つけることができる。 朝の駅のホームで電車を待つ時間、食堂で定食が運ばれてくるのを待つ時間、 交差点で赤信号が青信号に変わるのを待つ時間、エレベーターで目的の階に向 かう時間―つい先頃まではそういうひとときは「ぼんやりできる時間」だった。 ところが、今や私たちはスマートフォンをいじって、そういう時間をつぶして いる。 何も考えずにぼんやりしているときにこそ、ひらめきが降りてくるという話は よく聞く。 机に座って髪の毛をかきむしっているとき、パソコンに向かって身もだえする とき、ひらめきは降りてきてくれない。 ひらめきという訪問者は、忙しい人を嫌い、ぼんやりしている人を好む。 禅語の中に「七走一坐」と「一日一止」という言葉がある(『心配事の9割は 起こらない』枡野俊明著 / 三笠書房)。 「七走一坐」とは、七回走ったら一度は坐れという意味だ。 ずっと走り続けていないと仲間から後れをとってしまう ― ついつい私たちは そんなふうに考えてしまう。 しかし、長い目で見れば、ずっと走り続けることは良いことではない。 しばらく走ったら休息をとり、自分の走りを見直すのが賢明である。 「一日一止」とは、一日に一回は立ち止まりなさいという意味だ。 ずっと歩き続けるのではなく、一日に一回くらいは自分の歩き方を見つめ直す。 そうすることで、正しい歩みをつくっていくことができる。 「一止」という字を見てみよう。 「止」の上に「一」を乗っけてみると「正」という字になる。 一日に一回、止まって自分を省みることは正しいのだ。》 (出典元:戸田智弘著「ものの見方が変わる 座右の寓話」ディスカヴァー) * * * ものごとの見方を変えるには、「いったん離れ一息入れる」ことが必要です。 これは、締め切った部屋の窓を開けて、空気を入れかえるということに似て います。 新しい空気が入ることで、すき間なく緊張し硬直していた気持ちがゆるみ、 柔軟な考えかたをすることができるようになります。 これが休息の効果だと言えます。 そもそも人が一つのことに集中できる時間は50分から1時間ぐらいとも いわれています。 もちろん、それ以上の時間を集中する必要のある職種もあるでしょう。 そのような特殊なケースは別にして、できるだけ休息をとるようにする習慣を つけることは大事だといえます。 自分の生活スタイルに合った、立ち止まり休息する方法を考えてみましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月12日
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【何かを捨てれば、運は開く】 本田 健氏の言葉から。《私たちは小さい頃から「ものを大切にしなさい」と教えられてきました。 その教え自体はすばらしい教えだと思います。 でも、ときどき「大切にする」を勘違いして、「捨てる」ことができなくなって いる人がいます。そして、それによって運気を滞らせているのです。 捨てるのは「大切にしなさい」という意味ではありません。 ときに、「捨てることで、大切にすることができる」のです。 捨てるという言葉に違和感があるなら、「手放す」と言い換えてもいいでしょう。 自分にとって不必要なものや、あまり上手に使いこなせていないものを手放せ ば、それを誰かが使ってよりよい価値を生み出してくれます。 でも、手放さずにいたら、なんの価値も生み出せないままになってしまいます。 だから、かえってムダになってしまうのです。 また、よけいなものをとっておくことで本当に大事なものがダメになってしま うというムダもあります。 たとえば、あなたの家の冷蔵庫を想像してみてください。 必要なものだけがほどよい量入っていれば、冷蔵庫はきちんと作動します。 ところが、賞味期限が切れた古い食品や、カビた食品がギュウギュウに詰め込 こまれていたら、冷蔵庫の温度は適切に保たれないし、カビが移ってほかの 食品もダメになってしまいます。 クローゼットも同様です。 もはや着ることがない古い服は、言ってみれば息をしていない服。 それを捨てることに罪悪感を持つ必要はありません。 息をしている新しい服をよりきれいに保つために、むしろ捨てるか、あげる ほうがいいのです。 「身軽さ」は、運を呼び込む重要な条件です。 ためしに、家を片づけてゴミ袋10個分のいらないモノを捨ててみると、気分 がスーッと晴れるはずです。 すっきりした状態に、素敵な運が呼び込まれてくるのです。》 (出典元:本田 健著「強運を味方につける49の言葉」PHP文庫) * * * 捨てるべきもの、と捨ててはいけないものの区別をつけるのは結構むずかしい ものです。 「物」であれば、古くなったり損傷したりして使えなくなったときが捨てる べきときになります。 ところが、物がない時代に育った年代の人にすれば、使えなくなっても修理す ればまだ使えるという気持ちがあるため、簡単に捨てられないものです。 また、物に何かの思い出のようなものがあれば、所有する人にとっては大切な 宝物となるかもしれません。 いずれにしても、捨てるか捨てないかの判断をするときはいつか来るはずです。 問題は、捨てるべきものが目に見えない感情や心の場合です。 判断に迷ったときの対処法のひとつは、身のまわりを片づけて掃除をすること があげられます。 まず、自分の部屋など身近なところをきれいにすることから始めると、心が 軽くなります。 このことが、著者が述べているゴミ袋10個分の不要なものを処分するという ことになります。 捨てると同時に、整理整頓できることは気持ちの面でも効果はあります。 整理整頓とは、不要なものは捨て、必要なものはあるべきところに置き直すと いうことです。 物の整理整頓と感情や心の整理整頓はつながっているのです。 掃除や片づけを習慣にすることで、内面の美しさを保ちましょう。 内面の美しさで良いことを引き寄せましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月11日
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【もっと深く自分を愛してみよう】 老子の言葉から。《◆愛して、身をもって天下となす(老子十三章) 人間は、だれよりも自分を愛しているであろうが、どうせ愛するなら、もっと 真剣にもっと深く、とことん自分を愛したらどうであろうか。 自分が人間として生まれ、人間としてこの世に生活していることができるのは、 いったいだれのお蔭なのであろうか。 もし、犬にでも生まれたら、エサをもらうために一日中クサリにつながれたり、 小さな箱の中で一生を過ごさなくてはならなくなる。 まことに幸運なことに、わたしたちは、人間なのである。 お釈迦さまも、 「天地自然から授かった命を、人間として生きられる以上に尊いものはない」 といっている。 自分が人間であることが、宇宙の何物にもかえられない尊い存在であることを よく自覚して、自分を強く深く愛して生きていけたら、どんなにか幸せであろ うか。 人間は、ときどき、自分の生命活動のすばらしさをそっちのけにして、高級車 とかダイヤとかが買える「オカネ」を熱愛して自分を愛することを忘れてしま う。》 (出典元:境野勝悟著「老子・荘子の言葉100選」知的生き方文庫) * * * お釈迦様、孔子、老子は紀元前500年頃、ほぼ同じ時代に生まれました。 老子の教えの特徴は、人間は大自然の命に従い、世間の価値にとらわれずに のびのびと自由に、心ゆたかに、明るく生きることを示しています。 老子の教えを広めたのが、荘子です。 現代は、二酸化炭素の過剰な排出が、地球の自然の仕組みに影響を与えている という時代です。 海水の温度が1度上昇しただけで、天候がおかしくなりますが、その天候は 人の力ではどうしようもできない。 人間の生き方も、大自然に仕組みやいとなみに沿いながら、人と自然が豊かに なるような世界であってほしいと思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月10日
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【執着を手放せば…】 コーネル大学宗教学博士・松原正樹氏の言葉から。《◆執着を手放せば、必ず新しいものがやってくる 『グレイテスト・ショーマン』という映画があります。 19世紀のアメリカの興行師、P・T・バーナムの実話を元にした映画ですが、 主人公は見世物小屋のサーカスを立ち上げて大成功します。 ところが火事になり、築き上げた施設をすべて失ってしまうのです。 もう一度、小屋全部を立て直せないか? そんなお金はありません。 なら、「どうせマンハッタンは土地が高すぎるんだ」「いっそどこかにテント でも立てて興行しようじゃないか」と、川辺にテントを張ってサーカスを再開 するのですが、これがいわゆる“テントのサーカス小屋”の始まりになった わけです。 この映画のシーンは、執着を捨てたところにあるのは、むしろ新しい人生の 流れだということを教えてくれているのです。 禅語に「放下著」(ほうげじゃく)という、「すべてを捨て切る」という考え方 があります。 私は人からよく、「修行道場でたくさんのことを習ってこられたでしょう」と 言われます。 しかし、より正確に言えば、修行によって多くを得たというより、むしろ 「すべてを捨て切る」ことを教えていただいたと思います。 「捨て切る」からこそ、「なんでも入る」という道理と思います。 「無一物中無尽蔵(むいつもつちゅうむじんぞう) 有花有月有桜台(はなありつきありろうたいあり)」 「応無所住而生其心」(おうむしょじゅうにしょうごしん) という禅語もこのようなことを示しています。 すべてを「捨て切って」、かたよらない・こだわらない・とらわれない心を 耕作していくと、花も月も楼閣(ろうかく)も、それらがそのまま真理を表し ているとわかります。 また、そのような心を持つならば、どのような状況であれ、心を自由に対応 させることができるのです。 押して開くドアをいくら引いても、私たちはそのドアを開けることはできませ ん。 自分の執着を捨てて、縁にまかせてドアを押してみれば、必ず新しいステージ が待っているのです。》 (出典元:松原正樹「感情を洗い流す禅の言葉」知的生き方文庫) * * * 執着とは囚われる、固執するということでもあります。 どちらかというと、悪い意味で使われることが多いようです。 もともとは仏教用語だそうですが、執着する心は悟りの妨げになるという意味 があるのでしょう。 昔、二人の僧が修行のために地方を廻っていました。 あるとき橋のない浅瀬の川があり、そこを歩いて渡ろうしていました。 そこに若い娘がおり、その川を渡るには着物が濡れてしまうのでどうしようか、 と案じている様子です。 すると、修行僧の一人がその娘に近寄り、何か話しかけました。 すると、修行僧は娘をおんぶして、川の中を歩きだし、向こう岸につくと 娘をおろしました。 娘は、何度も頭を下げてお礼を言い去っていきました、 もう一人の修行僧はあっという間のできごとだったので、ただ黙って見ている だけでした。 二人の修行僧は、それから二時間ほど歩き続け休息のために、木陰を見つけ そこに座りました。 すると、修行僧の一人が、娘をおんぶした修行僧に向かっていいました。 「あなたは、修行僧の身でありながら、あのような娘をおんぶするなど不謹慎 ではないか」と言いました。 すると、言われた修行僧は、 「あなたは、まだあの娘のことにこだわっているのですか。私は川を渡り岸に おろしたときに、娘のことは置いてきましたよ」 文句を言った修行僧は、返す言葉もありませんせんでした。 おんぶした修行僧は、困っていた人に自分ができることした、ただそれだけの ことで、あとは何もないと捨てているわけです。 どちらの修行僧がのちに悟りを得るのか答えは出ています。 修行僧とは違う世界で生きる私たちも、この話から学ぶことはありそうです。 他人との関わりの中で生きる以上、いろんな出来事や仕事を通して情報から 振り回されることがあります。 それらの出来事や情報をどこかで、いったん捨て切ることも必要です。 生活のメリハリをつけるために、時期を見て捨ててみる。 そうすることが、新しい空気を日々の生活にとり入れることになり、違う視点 で物事を考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。 とらわれる心を手放す習慣をつけたいものです。 (by ハートリンクス)
2020年08月09日
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【他人に合わせず自分の心に従う】 植西 聰氏の言葉から。《◆他人のストライクゾーンに合わせない 折れにくい心を作るための方法のひとつに、「他人の基準で自分をはかるのを やめる」ということがあります。 心の病のひとつに「過剰適応」があります。 どういう症状かというと、その名のとおり、必要以上に自分以外の周囲に 合わせようとしてしまうのです。 その症状になると、 「頼まれたら、イヤと断れない」 「どんなことも求められたことは100パーセント完璧にしなくては、と 考えてしまう」 「周りの人から好かれるためならなんでもやる」 というふうに、自分以外の誰かのために、とにかく夢中でがんばろうとします。 そんなふうに思うことは、大変すばらしいことだと思います。 しかし、度が過ぎると自分のストレスになります。 その結果、うつ病になってしまう人もいれば、頭痛や円形脱毛症など、ストレ スが体に出てしまう病気になってしまうケースもあるのです。 そうならないためには、常に他人を優先するという考え方を捨てることです。 この病気は、努力家で、自分より他人のことを優先する人たちによく見られる 症状です。 この「過剰適応」になりやすい人たちは、学校や職場、友だちとの関係は良好 で、頼りがいのある存在と慕われています。 しかし、その心の中は、「他人に嫌われたらどうしよう」「他人に認められなけ れば生きている価値がない」という不安で一杯です。 彼らは、他人のために本当に自分が感じている気持ちや「こうなりたい」と望 んでいることをムリに抑えつけて、周りの人が期待している役割を一生懸命に 演じています。 そんな人たちに言いたいのは、「他人に合わせて生きる必要はない。自分の心 に従って生きたほうがいい」ということです。》 (出典元:植西 聰著「折れない心をつくるたった1つの習慣」青春出版社) * * * 誰かのためにがんばることほど、崇高なことはありません。 愛他精神が強く、自分の労力を惜しまないというタイプです。 はたから見ていると、心が動かされるときがあります。 もともと、リーダーシップ能力の高い人に多いようです。 しかし、自分では何ともないと感じていても、どこかで無理をしてしまう という一面もあります。 これが、「度をすぎる」という状態です。 余裕がある間はいいのですが、精神的な疲れがたまってくると、よけいに がんばらなくては、と自分を追い込んでいきます。 著者が、指摘しているように、「自分の心に従うこと」が大事です。 ややもすると、自分の心に従うことが、何か楽をするようにとらえてしまう かもしれませんが、けっしてそうではないということです。 いちばんいいのは、「自分の心の疲れの目安」を自分で知っておくことでは ないでしょうか。 自分がこの程度疲れているときは、少し休むべきだという自分の限界を知って おくと、度をすぎることもないと思います。 折れにくい心をつくるには、自分をよく見ていくことも大切なようです。 (by ハートリンクス)
2020年08月08日
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【自分の中の宝石】◎「菜根譚」の言葉から。 ◆一、人というのは、自分の家にあるたくさんの財産を忘れて、 家の前に並ぶ乞食の子どもの真似をしたがるものだ。 二、また、心の貧しいお金持ちは、実現しそうもない夢ばかりを 語りたがる。 どんな家の台所からも、食事をつくるときは煙が上がることを 知るべきだ。 (菜根譚 前集160項) * * * 一に書かれているのは、私たちはもっと自分の中にある可能性や能力が あることを自覚するべきである、ということを説いています。 人は自分と他人をすぐに比べたがるものです。 “隣の芝生は青く見える”ということわざがありますが、なぜかよその家の ほうが自分の家よりも立派に見えてしまう。 それは間違いで、もっと自分の家にも隣の家にはない高価な宝物があるはず。 それをさがす努力をしていないだけだ。 同じように、自分の中には、他の人よりも優れた能力があるはずだから、 もっと努力しなさい、ということを語っています。 二には、目の前にある金銭を得意になって自慢しても、死後の世界にまで 持って行くことはできないのですよ。 それよりも、目に見えないものを大事にする人間になることのほうが本当の 人としての生き方なのです、という意味です。 最近の保険会社のコマーシャルの特徴は、70代や80代からでも加入できる 商品が多いことです。 この現象をどうとらえればいいのかわかりませんが、少なくとも人生100年 という枠組みができつつあるようです。 これからは、人生の質をいかに高めていくか。 かりに病気になっても、その病気とうまくつきあうことも大事です。 また、人との関わりもスキンシップだけに頼ることなく、AI技術などにも 最低限度使いこなせる程度の能力は持っておくべきでしょう。 そのためにも、自分の中の隠れた宝石をどれだけ見つけて磨いていくか、 それを楽しみにする生き方をしたいものです。 (by ハートリンクス)
2020年08月07日
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【笑顔の効用】 明治大学教授・齋藤孝氏の言葉から。 (※これから社会人になる人のために書かれたものです)《◆上機嫌でいることは社会人の基本的マナー 「笑顔を忘れない」というのは、人に好かれる場合の基本中の基本です。 この点に関して、みなさんは日本人に生まれたことをおおいに喜んでください。 小泉八雲の日本名で知られるギリシャ人作家ラフカディオ・ハーンは「日本人 の微笑」という文章の中で、日本人はたとえ身内の不幸を人に伝えるときでも 微笑みをたたえている、と書いています。 これは自分の不幸悲しみを相手に伝染させないようにする日本人ならではの 配慮です。 芥川龍之介の『手巾』(ハンカチ)という短編小説にも、息子の死を微笑みを たたえて話しながらも、テーブルの下でハンカチを裂かんばかりに握り締めて いた母親の話が出てきます。 みなさんも、これから社会人として、人から嫌われずに生きていくには「一生、 上機嫌で行く」という決意が必要です。 わが子を亡くしたときでさえ、微笑みをたたえているのが日本人なのですから、 みなさんも少々仕事がうまくいかないくらいで不機嫌になってしまうのは、あ まりにも未熟で幼稚だと心得ましょう。 私は職業倫理として上機嫌でいることが必須と考えていますので、それを徹底 するため「上機嫌Tシャツ」というのをつくったことがあるくらいです。 胸の前には「上機嫌」と大きくプリントされ、背中には小さな文字で「意味も なく」と書かれています。 それを着て、授業をすると、不機嫌には決してなれません。 「意味もなく上機嫌」「どんなときでも上機嫌」というのが、人に好かれるため の大人の作法になります。◆笑顔の効用は人からかわいがられること 上機嫌とは、いつも微笑んでいる、笑顔を見せるということですが、笑顔の 効用は人からかわいがられる、ということです。 犬も喜んでしっぽを振って駆け寄ってくるほうが、人間にかわいがられます。 カーネギーはこんな例をあげています。 病院の待合室で、みんな押し黙って順番を待っていたときのことです。 若い母親が赤ちゃんをつれて入ってきました。 そして、不機嫌な顔つきで順番を待っている紳士の隣に座ったのです。 赤ちゃんは満面に笑みをたたえて、不機嫌な紳士を見つめました。 すると紳士は赤ちゃんに微笑み返し、若い母親に自分の孫のことを話し始めた のです。 やがて待合室にいた全員がおしゃべりに加わり、いらだった雰囲気がほぐれた ということです。 心にもないつくり笑顔ではこうはいきません。 赤ちゃんの心の底から出てくる笑顔がみんなの笑顔を引き出したのです。 口角を上げただけの張りついたような笑顔と自然の笑顔とは違います。 「今ここに生きていることが楽しい」と言わんばかりの喜びの表情が場をなご ませ、明るくします。 みなさんも何か心がはずむような感覚を自分のくせにして、いつも笑顔を見せ られる習慣をつけるといいでしょう。》 (出典元:齋藤孝著「齋藤孝が読むカーネギー『人を動かす』創元社」 * * * 人間が他の生き物と違ういちばんおおきなことは、人間は笑顔になることが できるということです。 生まれてすぐの赤ちゃんは母親の笑顔に接することで、自分の存在が喜ばれて いることを感じ取り、笑顔で返すのです。 赤ちゃんが最初に学ぶのは、笑顔になるということです。 笑顔になると、笑顔が返ってくる。 これが人間の社会なんだな、と赤ちゃんは学びます。 だから、いつも笑顔でいることが生きる喜びにつながっていくのです。 年齢をかさねると、笑顔のほかに微笑みというもう一つの表現が身につきます。 人がふとしたときに微笑む光景を見たとき、何ともいえない心地よさを感じた りするものです。 笑顔の習慣を身につけ、心地よい毎日を過ごしましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月06日
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【主張と行動】 イエローハット創業者・鍵山秀三郎氏の言葉から。《いまの社会の特徴は「口先だけ」で行動がともなわないことにあると思います。 なぜそうなったかというと、子どもときから議論したり、しっかりと自己主張 したりすることを学校で重要視することになったからでしょう。 「個性の尊重」とか「創造性を育てる」という目的は、聞こえはいいのですが、 そのために自己主張を前面にだしすぎている気がします。 そういうことに慣れた結果、口先だけの社会が作られてきたのだと思います。 自分を主張するのは決して悪いことではありません。 言いたいことがあっても黙っているというのは、誉められたことではないでし ょう。 しかし、自己主張の度が過ぎると、今度は周囲が見えなくなります。 自分の自己主張が周囲に迷惑をかけていることに思いが至らないと、かまわず 平気でやるようになります。 また、議論に熱中しすぎた結果、自分で自分の言葉に興奮してしまい、だんだ ん現実離れしていくこともあります。 私は昔、高等学校時代の国語の教科書で、文部大臣をやった天野貞祐(あまの ていゆう)という人の文章を読んだことがあります。 そこにはこういうことが書いてありました。 「教養のない人の喧嘩はいつまでも本質から離れないが、学問をした人の喧嘩 は本質から離れていく」 初めて読んでから六十年も経っているのですが、私はいまでもそのことを覚え ています。 教養のない人のほうが、本質をもとにした喧嘩をするということです。 それに対して、なまじ学問のある人は、いつの間にか議論がどこから始まった かわからなくなってしまいがちです。 テレビの討論番組でも、そういう光景をよく見ますね。 「なにが正しいか」ではなくなっていて、「どっちが正しいか」という議論に なりがちです。 そして、心と口との距離が遠くなっていきます。》 (出典元:鍵山秀三郎著「正しく生きる」アスコム) * * * 掃除を通して社会を明るくするという理念で、社会活動を実践する鍵山さんの、 人の心のありかたはどうあるべきかという指摘でもあります。 さらには、掃除道というのは行動なしにはあり得ないという立場から、口で 言うだけでは、人の心はついてこないということでもあるのだと思います。 コロナ禍の中で、今、社会は混乱しているように感じる方もあるでしょう。 原因はいろいろあると思いますが、国や組織のリーダーの発言に心がこもって いないことが挙げられます。 ただ、鍵山さんは、私たち一人ひとりの考えや行動にも努力する必要があると 語っています。 してもらうことが当たり前という考えになり過ぎると、それに見合った庶民の リーダーを選んでしまうという結果になることもあるのです。 ただ、最近は主張と行動が一致する地方のリーダーも見かけるようになりまし た。 それは、やはりそういうリーダーを選んだ庶民の方々の努力の結果でもあるで しょう。 少なくとも、これからの時代は発言したことが人々の心に響き、その上で行動 するリーダーが必要になってくるのではないでしょうか。 一人の庶民、国民としてその努力をしていきたいと思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月05日
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【想像の力】手塚治虫さんのお話です。《◆原稿枚数15万枚を描いた「マンガの神様」 マンガの神様・手塚が生涯につくったマンガは約700作品、アニメは 約60作品、原稿枚数は15万枚と言われ、最盛期は13本の連載を抱えて いました。 ◆尽きることなく湧き出るアイデア 幼い手塚に、マンガや絵本を読み聞かせたのが彼の母です。 登場人物によって声色を変え、想像力をかきたてる彼女の読み方は、手塚を マンガの世界にどんどん引き込みました。 ある日、小学校の授業中にマンガを描いていた手塚は、先生に叱られてしまい ます。 しかし、呼び出された母は手塚が描いたそのマンガを読み終え、こう言いまし た。 「治ちゃん、このマンガはとてもおもしろい。 お母さんはあなたのマンガの、世界で第一号のファンになりました。 これからお母さんのために、おもしろいマンガをたくさん描いてくださいね」 そんな母の愛情と、豊かな自然の中で育まれた手塚の想像力は、大人になって 「アイデアは、バーゲンセールするほどある」と言わしめてしまうほど、尽き ることがなかったのです。 「想像力」は、クリエーターだけが持つものではありません。 相手の気持ちを深く考え、連想し、お互いの幸せを生むアイデアこそが 「想像力」。 つまり、相手への愛が「想像力」であり、あなたとまわりの 「幸せを引き寄せる力」なのです。》 ~想像の力こそ、 人類ゆえの最高に輝かしい、 エネルギーなのです。~ (手塚治虫) (出典元:発行人 三芳寛要 「成功者が残した引き寄せの言葉」発行元パイ インターナショナル) * * * 手塚治虫さんのマンガの想像力を高めた最大の力は、お母さんの子どもに 対する絶対の愛だと思います。 手塚少年が先生から叱られたことよりも、自分が描いたマンガを認めてくれた 母親の気持ちに、少年は母の愛を感じたのでしょう。 おそらく、手塚少年も授業中にマンガを描いていたことはよいことではなく、 先生から叱られてもしょうがない、と思ったはずです。 ところが先生から叱られたのだから、母親から叱られても仕方がないと思って いたときに、母は自分のマンガを褒めてくれた。 手塚マンガの根本がここにあるようです。 愛というのは、思いやりです。 相手に対するちょっとした思いやりの積み重ねが、受けた側の想像する力を 強くしていくのだと思います。 毎晩、枕元で読み聞かせをした母親の思いやりが、子どもの想像する力や感性 を豊かにしていきます。 今のような時代だからこそ、マンガでも絵本でも読み聞かせをすることは大事 なことのように思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月04日
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【笑人道】 斎藤一人さんの言葉から。 ~「笑人道」を極めれば、成功~《人生って、「笑い」が大切です。 たとえば、みなさんのなかで、上司との折り合いが悪い人がいると思います。 「嫌な上司に苦しめられていて…」と、 たいがいの方は、そういうんですが、そんな嫌な上司も、「笑い」があれば、 コロッとマイッタしてしまいます。 少し、話が横道に逸(そ)れてしまうのですが、精神修養のために山で滝に 打たれる人がいると思います。 私も、たまにそれをやるのですが、滝の上から落ちてくる水というのは、冷 たいだけではなく、棍棒で叩かれるぐらいに痛いんです。 それに、じぃーっと耐えると、悟りが開ける、という。 ただし、私の場合は、悟りは開けないのですが…(笑)。 ところが、私たちが日常生活している場所、職場には、滝がありません。 その代わりに嫌な上司がいる。そう思えばいいのです。 だから、「今日も、あの嫌な上司の下で働かなきゃいけないのか」ではない。 嫌な上司に、ナントカの滝とかいう名前をつけて、 「よし、今日も、滝に打たれに行くか」と思いながら、会社に行くんです。 それで、小言をいわれたら、 「感謝してます! (いい滝とめぐりあえて、よかったな ※心のなかで いってください)私はツイてます」という。 相手は、これで、コロッと、マイッタしてしまいます。 私のお弟子さんのなかで、これをやった人がいます。 その人は以前、車の教習所で教官をしていた人で、上司と仲が悪かったのです が、毎朝、上司にあったときに、 「おはようございます! 感謝してます」 というようにしたら、上司がご飯をご馳走してくれたり、とにかくいろいろ 世話をしてくれるようになったというんです。 そんなものなんです、人生って。 だから、どうしたら自分が笑えるか、おもしろくなるか、ということを考えて みてください。 そうすれば、きっと、人生、ハッピーです。》 (出典元:斎藤一人著「ツイてる!」角川oneテーマ21) * * * 人生には笑いが必要―。 これをもっと身近に言えば、笑顔になるような相手との関係をつくることだと 思います。 それは、テレビでコントやお笑い番組を見て笑うこととは違うものです。 心がなごむと、自然に顔もほころび、笑顔になっていくように、あくまでも 心の世界の問題です。 そして、人の心は複雑です。 相手のことを嫌いだと思うと、その人を避けたくなるものです。 嫌いなら、避けたほうがよい場合もあります。 無理に相手に近づこうとして心の病になるよりは、避けたほうがよいでしょう。 しかし、斎藤さんは、その方法とは別に、「笑い」という要素を新たに加える ことで人生がよくなる方法を教えてくれています。 つまり、笑いを武器にするのです。 笑顔になるような心を、武器にするのです。 どんなときも、笑顔になるような心で人に接していきたいものです。 (by ハートリンクス)
2020年08月03日
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【人間にエネルギーを吹き込むもの】 小林正観さんの言葉から。《「人間にエネルギーを吹き込むものとはなにか」という角度から考えると、 「感謝」「笑顔」「賞賛」の三つが挙げられます。 私はこれらの頭文字をとって「かえしの法則」と名づけました。 「ありがとう」と感謝されると元気になる。 そして「笑顔」を向けられると元気になる。 さらに「今日の服は素敵ですね」など、なんでもいいからほめられると元気に なるのです。 これら三つの反対の概念は、「あらさがし」「不機嫌」「不平不満」です。 これらは、周囲の人々のエネルギーを奪い取るものです。 不機嫌な顔をして、不平不満を言い、ネガティブな見方であらさがしをしてい れば、相手はエネルギーダウンした状態になり、病気がちになったり、ウツに なったりするかもしれません。 病気の人では、薬や栄養や休養と同時に、「感謝」「笑顔」「賞賛」の三つによっ て、エネルギーを充電してあげると、元気になっていくことでしょう。 エネルギーダウンしている人がいたら、「頑張って」というのではなく、「感謝」 「笑顔」「賞賛」で、あなたはあなたのままでいい、あなたがいてくれて嬉しい、 と言ってあげることで、その人は元気を取り戻します。 「頑張って」は、その人のそれまでやってきたことを9割は否定しまっている ことになる。 今のあなたでいい、というメッセージを送ることで、元気になるようです。 さらに、人間だけでなく、「賞賛」をたくさん浴びた「物質」も、エネルギー を貯めているらしい。 富士山や、名画、名品と言われるものは、そのように言われ続けて、エネルギ ーを貯めているのでしょう。 人間も、ほめられればエネルギーが充電されます。 ほめられた人は「賞賛のエネルギー」で充電され、元気になるということがわ かると、人間関係がよりスムーズになるのではないでしょうか。 「ほめっぱなしメガネ」で人を見つめ、いつも温かく優しい言葉を投げかける 人の周りには、常に温かさが満ちていくでしょう。》 (出典元:小林正観著「魅力的な人々の共通項」清談社) * * * 植物や花に水を与えるとき、「バカヤロー」と言って育てた場合と、「いつも ありがとう」と言って育てた結果は、まったく違うそうです。 「バカヤロー」と言われたほうは、枯れてしまい、「いつもありがとう」と 言われたほうは長い時間元気だったという話を聞いたことがあります。 また、水を与えなくてもよい観葉植物にも、いい言葉を投げかけてやると植物 全体が活き活きするそうです。 言葉には波動があると言われています。 物質はもちろん、生命体や人の心も波動というものに反応します。 つまり、波動はエネルギーですから、ある種の生命力を生むものです。 その意味では、私たちが日常的に使う言葉もできるだけ、明るい力のある言葉 を使ったほうがよいということです。 自分の発する言葉が、よいエネルギーとなるような意識づけをしましょう。 (by ハートリンクス)
2020年08月02日
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【感動を得るには】福島正伸氏の言葉から。《感動を得るためには、日々、安楽に流されて生きるのではなく、夢を持って 一生懸命努力することです。 そして、努力するほど感動は大きくなります。 感動で溢れた人生を送るためには、以下の六つの条件があります。 第一に明確な夢を持つことです。 夢はなるべく具体的なものでなければなりません。 なぜなら、具体的ではない夢では、今日何をやっていいのか決まらないから です。 ですから、「オシャレなお店をつくる」「良い会社にする」「幸せな家庭のため に」といった形容詞や副詞を使ったものは、夢にはなりません。 その場合は、まず夢を具体化すること、つまり絵や図にしたり、具体的に定義 することから始めましょう。 第二に、その夢を実現する前に、困難や障害が立ちはだかり、あらかじめでき る保証がない、ということが必要です。 あらかじめできるとわかっていることは、たとえ実現できたとしても、そこで 大きな感動を得ることはできないからです。 第三に、その困難や障害を乗り越えるべく、一生懸命努力しなければなりませ ん。 努力しないで夢が実現したとしても、そこで感動を得ることはできないからで す。 第四に、その努力が簡単には成果につながらずとも、あきらめないことです。 あきらめないとは、結果が見えない中で努力を続ける状態のことです。 結果に至るまでに、たくさんの労力と時間がかかるほど感動は大きくなって いきます。 第五に、それらを自発的に取り組むことです。 つまり、やりたいことを夢に描いて自分の意思で行動している、という感覚 を常に持っていることです。 やりたくないことを、仕方なくイヤイヤやっても、感動にはつながりません。 たとえ、上司に言われたことでも、「よし、やってやろう」という気持ちで 取り組めばいいのです。 そして第六に、仲間の存在が感動をより大きなものにしてくれます。 仲間と一緒に努力したり、自分を周りの人が支援してくれたりして、仲間と共 に感動を共有した時、一人で感動するよりも何倍も大きな感動になるはずです。 感動は分け合う他人がいるほど大きくなります。 自分が努力したことで、周りやお客様が感動してくださった時、私たちは真に 心の底から感動を得ることができます。 これら六つの条件が満たされたとき、毎日の人生が感動に包まれるようになる のです。 ~夢に全力で突き進め! あきらめずに挑戦し続けよ! 感動は困難とともにある!~》 (出典元:福島正伸著「心に灯をともす」イースト・プレス) * * * 何らかの夢を持って生きている人と、そうでない人との違いはどこにあるので しょうか。 ひとつ言えることは、夢を持って生きている人の発する言葉には、明るさと 躍動感があります。 これは、いつも自分の意識の中に夢を実現させようという、その人特有の 「思考」(考え方)が、積極的なことです。 失敗や、難しい問題があっても、どうすれば解決できるかということをいつも 念頭に置いています。 まず、小さくても自分なりの夢を持ちましょう。 感動とは、プラス感情が動くということです。 たしかに厳しく、大変なことに出会うこともあるでしょう。 しかし、それらも夢の実現のためには必要なものでもあると考えるのです。 感動する心があれば、厳しさ大変さも、やりがいと喜びに変わります。 人生は考え方しだいです。 何歳になっても、夢を持てる人でありたいと思います。 (by ハートリンクス)
2020年08月01日
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