ある40歳過ぎの家庭の主婦が、急に耳が聞こえなくなりました。
すぐに耳鼻科の病院に行きました。
耳鼻科の先生はいろいろと検査をしてみたが原因がつかめなかった。
そこで精神科の受診を勧めた。仕方なく河合先生のところにやってきた。
河合先生は筆談を交わしながら、そこに書く質問を声に出して言いながら書いていく。
彼女がだんだんと筆談にの中にひきこまれたと感じたとき、それに関連したことを紙に書かずに口答で質問する。例えば、「ご両両親は・・・」「早くに亡くなりました」「それじゃいろいろとご苦労されたでしょう」などというと、「ええ、ずいぶん」などと答える。
彼女は口答の質問につい応答してくる。
彼女は私の声が聞こえていたことが判明した。
これは我々にとっては理解不能なことである。
それでは彼女は仮病を使っていたのだろうか。
決してそうではない。聞こえないときは本当なのである。
河合先生は、彼女の耳に異常があるのではなく、彼女の耳は「聞こえるのだが聞こえない」状態にあることを知った。つまり器質的な病気ではなく、心理的な病気であることが判明した。
そこで心理的な治療法を行うことにした。
彼女は治療者との信頼関係を築いた時点で、治療者の声は聞こえていることを認めた。
しかし、不思議なことに他の人の声は聞こえないのである。
ただこの点は治療が進むにつれて、次第に改善されていったという。
最後に夫の声がどうしても聞こえなかった。
話し合いを進めているうちに、彼女は大変なことを思い出した。
耳が聞こえなくなる少し前に、夫が浮気をしているということを知人から聞かされたという事実である。
その時は、不思議に怒りも悲しみも感じなかった。
むしろ40歳を過ぎればどんな男でも、そんなことはあるだろうなと思ったという。
離婚するといっても損をするのは自分なのだからとも思ったそうだ。
ところが、このことを治療者に話しているうちに、彼女の抑えきれない悲しみと怒りがこみ上げてきた。
彼女はひたすら夫に仕えてきたのに、それを裏切った夫。絶対に離婚したいともいった。
しかし興奮が収まってくると、離婚してもその後の生活はどうするのか。
何も知らない子供たちを巻き込むことはさけたいなどと迷いが生じ始めてきた。
彼女の心の中での葛藤は激しく、つらい話し合い続けなければならなかった。
ところで、そのような苦しい悩みとの戦いを経験する中で、彼女は夫の声も聞こえ、耳が聞こえないという症状からは、いつの間にか抜けだすことができたのである。
このからくりは、夫の浮気に対する悲しみや怒りは、顕在意識から排除しようと思った。
悲しみや怒りを爆発してもよい事は何もない。離婚などしたら路頭に迷う。
何事もなかったように表面上では平静を装うことにしよう。
ところが悲しみや怒りは無意識部分では存在し続けていた。
そして益々大きく膨らんできた。ついには身体的な症状へと転換されることになった。
そこで無意識に追いやられた内容を治療の中で呼び起こして意識化し、それに伴う情動を再度体験して味わうというプロセスを踏む必要があったのである。
これはいわゆる精神分析的治療法です。
森田では不安や不快の気持ちを素直に認めて味わう。受け止めるということになります。
自然に湧き上がってきた感情から逃げたりしない。
やりくりをしない態度を養成することになります。
これが事実本位の生活態度ということになります。
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