森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2024.02.23
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カテゴリ: 生の欲望の発揮


この言葉は、どう行動すればよいのか判断に迷うときに、拙速に態度を決めて行動してしまうと益々問題を大きくして収拾がつかなくなるということかと思います。

例をあげて説明してみます。
神経症のために会社に出社できなくなっている人がいるとします。
そういう方が、藁にもすがるような気持ちで集談会に参加されました。
そして出社できない状況と葛藤や苦悩について話されました。

この方に対して、普通は「それは大変な状況ですね」などと同情されると思います。あるいは、「そんなに苦しいのならリタイヤした方がいいかもしれませんね。過労死でもすればもともこうもありませんからね」などと助言する場合があるかもしれません。

またよくありがちなのは、「でも、現在の会社を辞めて、どこの会社に転職しても同じようなものですよ。会社に出社していれば給料や賞与がもらえる。社会保険も完備しているじゃないですか。辞めてはダメだと思う。第一生活ができなくなるじゃないですか。この先家族はどうやって養うつもりなの」などと忠告する人もいます。

この相談者は、自分の苦しい胸の内を聞いてもらいたい、吐き出したいという気持ちなのではないでしょうか。
この方はご自分でも「今の状況がとても過酷なので出社することは困難だ」「でも、会社を辞めると生活できなってしまう」ことはよく分かっています。
この 2 つの相反する気持ちの中でどうすればよいのか葛藤しているのだと思います。そしてその苦しみを受けとめてほしいという気持ちがあるのだと思います。

私たちはこのようなときに、この森田の言葉を活用・応用したらよいと思います。
この方の 2 つの気持ちを理解して、相反する2つの揺れ動く気持ちを言葉にして提示してあげるとよいのではないでしょうか。
相手が感じている気持ちを整理して言葉にして返してあげるのです。

気の効いた助言やアドバイスは一害あって一利なしです。
アドバイスしたい人にとっては、どちらかに態度を決めることができないというのは、実に居心地が悪いものです。モヤモヤして、すっきりしないからです。
どちらかに自分の立ち位置をとって持論を展開する方がよほど楽なのです。

このように相反する気持ちの中で、解決策が見つからないで右往左往することはよく発生します。
こういう場合、拙速に態度を決めて行動に移すと問題が益々大きくなり大変なことになります。

心がけたいことは、どうしたものだろうかと2つの揺れ動く気持ちの狭間に身を置いて、時間の経過を待つようにすることです。
時間の経過とともに状況が刻々と変化して、自然に収まりがついていたということはよくあります。
またそのときは解決策が思いつかなかったが、後から明確で正しい解決策が見えてくることもあります。

「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」という考え方は、どちらを選択したよいのか分からないとき、時間の経過にまかせて様子を見るということだと思います。
拙速に態度をきめて思いつきで行動しないということになります。
この言葉は是非とも生活の中で活用させてもらおうではありませんか。








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Last updated  2024.06.04 09:41:52
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
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