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「売れるゲーム」、「面白いゲーム」少し昔までは、同じ意味を表すに近かったこの言葉が遠い距離になってしまったのは何時からでしょうか?ゲーム業界の中にあっても、その二つを全く相容れないもののように使う方がいます。ここ数年、面白いゲームを作りたいという言葉を残して、会社を辞め独立するクリエーターが多くおります。それらの方々から、よく聞く言葉は、「売れるゲームではなく、面白いゲームを作りたい」です。然しながら、私はその言葉に激しい違和感を覚えます。プロフェッショナルとしてゲーム作りに関わる以上は、私は、この二つは両立すべき項目として切り離して考えるべきではないかと思っています。例えるなら、面白いゲームを作る事は開発者の良心であり、売れるゲームを作る事は開発者として責任であると考えています。その片方を捨て去るという発想が私には許容出来ない部分があります。実際問題として面白いゲームを作りたいだけで独立したクリエーターが失敗した例は無数にあり、失敗する確率の方が圧倒的に高いとさえ言えるでしょう。プロフェッショナルとして開発する以上、どうしても一定以上の開発資金は必要であり、そのためには売る事も必要なのです。そこに目を瞑ってしまったクリエーターは、少しずつ資金力も低下し、やりたい事もやれなくなって、酷い時には、何の特色も無い駄作を生み出すまで落ちぶれてしまいます。その方々のそもそもの間違いが、この二つは間違いなく両立出来るのです。そこに目を瞑ってエゴばかりを押し通してしまったために、本来の目的から遠ざかってしまうのではないかと思います。私は、通すべきエゴ、飲み込むべきエゴがあると考えていますが、そこから安易に逃れようとしたために、才能あるクリエーターが潰れていくのを見るのがとても悲しいです。いつの日か、この二つの言葉が同義語になる事を願っています。近況報告:相変わらず忙しい毎日で更新も思うようにいきません・・・最近は、相変わらずのゲーム製作の毎日ですが、新しい会社で大作シリーズの中心要素に携わっているため、過去シリーズの把握、新作でのより面白いものへの昇華など、やるべき事が多く暇が無い状況です。然し、今までと違う作品に携わり高い充実感があります。加えて、この作品の開発が終了すれば、遂に、念願、私にとっては久しぶりの完全新規作品開発が待っている予定ですので忙しくとも苦痛はありません。他、最近は技術講習会、討論会でも忙しい毎日です。また、少しずつ空いている隙にブログを書くつもりでおります。余談ですが、講習会や討論会では、こんな内容について討論したりしています。http://characters.media.mit.edu/Papers/gdc01.pdfhttps://www.cmpevents.com/Sessions/GD/HandlingComplexityInTheHalo2AI.dochttp://halo.bungie.org/misc/gdc.2002.haloai/talk.html?page=7
2007.07.25
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世の中に、ゲーム会社と呼ばれる会社は数多くあります。その中には、倒産寸前の会社もあれば、左団扇の会社もあるでしょう。そこで、今回は会社の将来性を少し変わった角度から探る方法についてです。まず、簡単に考えるのであれば会社の経営状況、毎年の伸び率等の情報を調べる事が重要だと思われるでしょう。然しながら、それよりも大切な事もあります。ゲーム産業というのは決して安定した産業、職業とは言えません。そのため、一過性の利益にばかり目を取らるのではなく、違った角度で将来性を見通す事が肝要になります。さて、そこで少し変わった将来性の見極め方ですが、各会社の採用条件や採用ページをご覧下さい。大手ゲーム会社は例外と考え、この会社は明らかに採用条件や採用が難しいであろうという会社があるはずです。それは、必ずしも会社の年商とは比例しません。然し、この採用の難しさというのが重要です。採用基準が高いという事は、その会社で働いている人材に優秀な人材がいる可能性が高くあります。それでなければ、高い基準の人間を判定する事が出来ません。また、高い採用基準を設けていても試験を受けに来る人間がいるという事、又は、そのような人材のみが合格している会社という事になります。ここから考えても、どのような会社であるのかが推測出来るかと思います。会社というものは人間の力で動かします。そこで目を付けるのが働いている人間の力というわけです。然し、実際に働いている人間とコンタクトを取る事は至難の技です。そこで、採用ページの出番になります。ここであれば、誰でも簡単にアクセス可能です。そして、そこからどのようなレベルの会社、人間がいるのかの情報を盗んで将来性と結びつけるのです。勿論、必ずしも正解が得られるわけではありませんが、この方法でも良い会社を見つけるための材料とはなるかと思います。人間の力、それこそが将来性を判断する良い材料です。仮に、ゲーム会社を志す方がいらっしゃれば、明らかに難しいであろう採用基準を持つ会社に挑戦する事が良い会社と出会うためのコツになるかもしれません。
2007.05.25
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WiiやDSが猛威を振るっている事は周知の事実です。PS3の自滅、今ひとつ勢いに乗れないXBOX360を尻目に、その勢いは衰える事を知りません。ハード自体の魅力もあり、この結果に対しても、大きく頷けるところがあるのではないかと感じます。然しながら、WiiやDSの独走は日本のゲーム業界にとって、大きなマイナスをもたらすのではないかと非常に危惧しております。WiiやDSは技術的に高いレベルを必要とされるゲーム機でありません。ハードが開発者を育てるという事がありますが、この点において上記のハードは期待出来ないといっていいでしょう。北米では、XBOX360等、高性能機の売り上げも好調に推移しており、それが、海外の開発者が高性能機に真剣に取り組むのを後押ししております。それが、日本の場合において、Wii独走を受けた結果として、高性能機に対して取り組む機会が失われ、日本の開発者の技術が育成されない危険性が生まれはじめています。これは、非常に由々しき事態であると思います。勿論、ゲームというのは技術だけでは面白い物は出来ません。然し、技術が無いところに面白いゲームも生まれないのです。開発者は、高性能機から目を背けずに戦う事が必要です。日本がゲーム開発において海外と対等以上に戦っていくためにも、この点に対して、日本のゲーム開発者の最大限の努力を期待するものであります。さて、日本の開発者の技術という点に関して、私も出来うる限り尽力していきたいと考えています。日本人同士の開発者交流、そして技術交流、技術発展への一助になれるように、微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。*Wiiに対しては好印象を持っておりますが、将来のためにも他のハードの勢いの盛り返しが必要です。
2007.05.20
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ご無沙汰しております。約半年ぶりにブログに書き込みします。ここまで間が空いてしまうと最早、ブログとしての体を成していませんが、そろそろ、ブログを復活させていきたいと思っております。さて、私ですが、新しいゲーム会社に入り、頑張っております。入社日当日から仕事を開始し、某大作シリーズの開発の担当となりました。当初想定していたよりも、発言権もあり、企画やデザイナーとも相談しながら楽しく開発しております。大規模プロジェクトという事もあって強いプレッシャーもありますが、今のところ、仕事は順調といったところかと思います。週末は、技術セミナーに参加したり、他のゲーム会社の人間との交流会や、同じ会社の他のチームとの交流会に参加したりと、平日、休日共に、なかなか暇の無い毎日を過ごしています。実は、仕事以上に大変なのは、この点かもしれません。今までの付き合いに新しい会社での新しい人間との付き合いが追加され、所謂、仕事外の時間に関して、なかなかに余裕の無い状況です。もっとも、交流が増えた事により、より刺激的且つ面白い点も多くあるため、この点、喜ばしい事だと思っております。そして、つい先日は、東京大学において、ゲームの人工知能に関してのセミナー+討論会があり、それに参加してまいりました。参加後は、交流会で多くの有名ゲームを生み出した方々と美味しいお酒を飲み、楽しい一日を過ごしてまいりました。今後ですが、今の会社にも多少は馴染んでくる事が出来、多少の余裕が出てまいりましたのでブログを復活させていきたいと考えております。もっとも、まだまだ、余裕の無い生活を送っており、更新頻度が、どの程度のものになるのかも想定出来ないのですが、心機一転、ブログライフも満喫していきたいと思います。追伸:半年も留守にしたため、現在の楽天ブログがどうなっているのか全く分かりません・・・私が以前にお世話になった方々もブログにいらっしゃるのか?近日中にも、じっくりと周りを見てみたいと思っています。
2007.05.17
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最近は、新しいハードの発売、DSの好調もあって、ゲーム機が手に入りにくい状態が続いてしまう事があります。然し、そんな状況に拍車をかけているのが転売屋の存在です。以前であれば、ゲーム機の購入を考える方は、ゲームに興味を持っている方のみでした・・・ところが、最近は、転売目的で通常価格よりも高く売る事によって、差額を利益として儲けようという輩が増えてまいりました。私は、この転売屋に対して非常に強い憤りを感じております。この存在によって、本来は手に入るはずだったユーザーが、ゲーム機を手に入れる事が出来ない事や、無駄に値段が吊り上ってしまう等の弊害が多くでてきております。このような存在は、ゲーム産業を考える上で、今後も、益々、大きな問題になっていくのではないかと考えています。この種の問題は、業界だけでは対処が難しい問題でもありますから、政府や公的機関の助力がほしいところです。尚、このような転売屋は、個人単位で行っているものから、組織的なもの、挙句の果てには、ゲームショップ自体が関与してしまっているケースもあるようです。色々と対処が難しい問題ではありますが、この転売屋の存在がゲームに深刻な被害を与えないように祈るばかりです。最後に、ユーザーにおかれましては、このような転売屋は基本的には利用しないようにお願い致したく思います。一時的には、欲しい物が手に入るという利を得る事が出来ますが、長期的な観点からは、欲しい物が手に入り辛くなる可能性が高くなります。ゲーム業界、ユーザー、共に協力し、ゲームで不当な利益を得ようという方々を排除していきたいと思っておりますので、何卒、ご協力をお願い致します。
2006.11.28
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次世代機、XBOX360、PS3、Wii、それのゲーム機が全て揃う時が近付いてまいりました。これによって、次世代機戦争も遂に本格的に始まる事になります。どのゲーム機が勝者になるのか、全てが勝者になれるのか、或いは、全てが敗者になってしまうのか、それらの結果は、今後の一つ、一つの行動に掛かっていると言えるでしょう。 さて、どのゲーム機が勝者になるのか?残念ながら、この答えは、まだ誰も持ってはいません。PS2発売時代、勝者予測は容易でした。そのため、ゲーム会社はPS2のゲームを中心に開発し、その利益を得る事が可能でした。然し、現在は、どうでしょうか?どのゲーム機が勝者になれるのかの予測が非常に困難です。どのゲーム機であれば、開発費に見合った売り上げが確保出来るのか・・・その予測は、あまりにも博打性の強いものとなってしまいました。 そこで、注目されるのがゲームのマルチプラットフォーム化です。ゲームを単体のゲーム機に供給するのではなく、色々なプラットフォームに供給しようという手法です。以前から、この手法を取るゲーム会社、ゲームも多かったのですが、今後は、この傾向が促進されるものと考えております。現実にも、色々な会社において、いくつものゲームが、単体のプラットフォームに対して供給する予定だったゲームを、マルチプラットフォーム化しようという動きが出ております。 大手ゲーム会社の中には、その対策として、全てのプラットフォームに対して同じプログラムで動作出来るように、独自のプログラムを起こし対応し始めている会社もあります。これによって、マルチプラットフォーム化による、開発費高騰を抑え、移植性を上げ、来るべきマルチプラットフォーム時代に対応出来るようにしようというわけです。 さて、今回の次世代機戦争の混迷については、開発の仕方を考える意味では有意義な機会になるのではないかと考えています。何故ならば、開発者はプラットフォームに縛られない開発の仕方や、それらのマルチプラットフォームにおいて開発費を抑制する方法、その他、開発の仕方に関して、真剣に考える機会を提供されたからです。勿論、マルチプラットフォームによってのメリット、デメリットはあります。然し、開発の仕方を再考する機会を与えられたというように、肯定的に捉える事が出来るのであれば、このような機会も開発者にとっては有意義な機会であると言えます。私も、開発の仕方をより洗練する方法を模索していきたいと考えています。尚、マルチプラットフォーム化で多いものが、XBOX360とPS3の平行開発です。この2機種は同じようなハイスペック機であるため、マルチプラットフォーム化が行い易い傾向があります。逆に、Wiiは、性能的に劣り、また遊ばせ方が変わるために、前述の機種とのマルチプラットフォーム化は難しい傾向にあります。
2006.11.25
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ゲーム内における広告の重要性が加速度的に高まっております。昨今のメディアも、このゲーム内広告という手法、ゲーム広告代理店を取り上げ、この点に非常に強い注目を集めております。以前から、ゲームに他産業の広告を載せるという手法は、一部のゲームにおいては導入済みの手法であり、それが、ゲームにより強い現実感を生む事に成功し、また、開発リスクを低減させるなどのプラスの効果が生まれた事例もあります。私としては、このゲーム内広告については賛成の意見を持っています。何故、賛成であるのか、それは、開発リスクの低減や開発費高騰の問題に対して、効果を上げる事が期待出来るからという理由になります。以前よりも、開発費の高騰が高い問題になっていた事は周知の事実です。そして、その高いリスクも同様に問題となっておりました。これらの問題は、ユーザーへの価格転化という最大の危険性も孕んでおり、この点に対して非常に強い懸念を持っておりました。ところが、開発費を今までのように売り上げ金だけで賄わない手法が確立する事によって、開発費の収入源が多様化し、ユーザーへの転化という可能性を弱める事が出来ます。しかも、TV等のメディアと同様に促進する事によって、今よりも安価にゲームをユーザーに供給出来る可能性も出てくるのではないかと思っております。勿論、根源的問題、開発費の高騰というものは解決すべき問題ではありますが、この広告展開というものは、開発者にとっても、広告主にとっても、ユーザーにとっても、利益をもたらしてくれるのではないかと期待しております。昨今のゲームが色々な面で過渡期に差し掛かっている事は周知の事実でありますが、このような点においても、ゲームビジネスが変革してきている事を感じさせます。最後に、ゲーム産業以外の産業とも協力する事によって、よりゲームをユーザーの身近な存在へ、そして更に面白い物へと前進出来るように、私も業界の一員として尽力していきたいと考えております。
2006.11.20
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世の中にゲームは数多くリリースされております。その中にはユーザーに感動を与える事が出来る素晴らしいゲームもあれば、ユーザーに怒りや憎しみしか与えない駄目なゲームも数多く存在しています。今回は、その駄目なゲームを生み出す人間についてブログしたいと思います。さて、駄目なゲームを生み出す原因ですが、主に二つの原因が考えられます。一つは会社側の問題によって、もう一つは製作側の問題によってです。然し、ここで特に着目すべき点は製作側の問題です。駄目なゲームに共通する事は、製作側に問題があるという事です。会社が最高の環境を提供したとしても製作側に問題がある場合、駄目なゲームは必ず生まれます。逆に、状況が反対の場合においては、そうとは限りません。要は、ゲームの責任からは開発者は免れないという事になります。そして、最大の問題ですが、そのようなゲームを生み出す開発者に限って、その事を理解しない、しようともしない開発者が多いという事です。どのような原因があれ、開発者は、自分が作ったゲームに対しての責任を負います。失敗してしまった時、それは間違いなく自分の問題であり、何かに失敗の原因を求めるよりも、まずは、自分の中に失敗の原因を求めるべきであります。ところが、私が過去に出会った駄目なゲームを毎回のように生み出す者達に限って、会社が期間をくれなかった、会社の規模が・・・、大手だったら・・・、部下が・・・、というように自分に原因を求める台詞を聞く事が出来ません。これでは、面白いゲームを作れなくて当然です。会社に原因を求めても、その会社を選択したのは、その開発者自身です。部下について文句を言うのは自分の無能を曝け出しているようなものです。仮に、このブログを見ている方々の中に、自分が作ったゲームが毎回のようにユーザーに酷評されている開発者がいらっしゃったら、その原因を何処と見ていたのか、自分自身に確認してみて下さい。それが自分以外という結論だった場合には、今直ぐに目先を変え、何故、そのようなゲームしか作れなかったのかと自分に問うてみて下さい。何度も言いますが、毎回のように駄目なゲームを生み出している原因は、間違いなく開発者自身にも問題があり、そのようなゲームを生み出す者に限って、それを自覚しようともしない傾向にあります。面白いゲームを生み出せる可能性がある者、それは、自分自身の中に原因を求められる者、そこから発展しようという意識のある者です。そして、面白いゲームを生み出せる可能性がない者、それは、自分自身の中に原因を求められない者、まるで発展しようとしない者です。もしも、ゲーム開発者に出会った場合に、良い開発者か否かを見分けるのは簡単です。このように、質問してみて下さい。「仮に、あなたが作ったゲームがユーザーから酷評されました、その原因は何ですか?」どのような回答が悪い開発者の例であるのかは前述から、ご理解頂けているものと思います。
2006.11.14
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さて、今回も私事で申し訳ありません。私の転職ですが、正式に決定致しましたので、報告致します。詳しくは申し上げる事が出来ませんが、来年から心機一転、違うゲーム会社で頑張っていこうと考えております。そのゲーム会社は、ゲーム会社としては最大手の一つであり、最古参メーカーの一つであります。全てのプラットフォームに対して優秀なコンテンツを供給しているメーカーです。その会社様にお邪魔してお話をさせて頂いた際に、私にとって非常に興味のある事業に携わらせて頂けるとの事でしたので、この会社のお世話になり、この会社の新しい仲間と共に、面白いゲーム作りに挑戦していこうと決心しました。新しい会社という事で苦労する面もあるかとは思います。然し、現職の会社においては同じようなゲームを作り続け、続編の連鎖に埋もれてしまっているような状況でした。ゲームクリエーターとして一度、続編の連鎖の中から脱出し、今とは違うゲーム作りに挑戦する事が必要であると考えました。この点、現職の会社自体には不満があったわけではありませんから、引き止めて頂いた経営者、職場の仲間には申し訳ないという気持ちです。尤も、経営者、仲間共に私の気持ちを理解してくれ、極めて和やかな雰囲気の中で退職を決める事が出来ました。経営者からも数年後には、また戻ってきてほしいという有難いお言葉を頂き、今の会社も素晴しい会社だったという思いを辞める身ながら強くしました。ゲーム業界とは不思議な業界とも言えるもので、辞めたとしても、結びつきは消えないままである事が多くあります。実際に、会社を辞めた後に、また、その会社で仕事をするという例も多くあります。私も、また、この会社の仕事に携わる可能性もゼロではないと思います。当然、それは次の会社を辞める前提で行くというわけではなく、それだけ、今まで働いた会社の仲間達とも強い絆を持っていた、そして、それは、これからも変わらないであろうという事です。机の上で個人個人が勝手に仕事をしている印象の強いゲーム業界ですが、その実は、極めて仲間意識が強く、横の結びつきが強い、素晴しい奴等が多い業界です。私も現職の会社の更なる発展を願っております。さて、今回の退職ですが、有難い事に、辞めるのであれば来ないかというお言葉を他の会社様よりも頂く事が出来ました。また、他の会社様とのお話し合いの場にもご招待頂きました。私如き人間に対しての温かいお声の数々に、辞めるという一つの転機を機会にして、皆様の温かいお心に触れる事が出来、改めて、この業界で働いてきて良かったという想いが溢れ出てくるのを感じました。遂に、来年からは新職場で新しい挑戦に身を投じていく事になります。然し、環境は変われど、その本質はユーザーに面白いゲームを届けたいという事に変わりはありません。また、来年からもユーザーに楽しんで頂けるゲームを開発するため、一心不乱にゲーム製作に取り組んでいきたいと考えております。以上、私事で申し訳ありませんが、転職報告となります。追伸:私の現職の会社で携わっていたゲームですが、辞めるには丁度良いタイミングでした。彼らとは色々な話もし、私の挑戦を応援してくれました。今後は、私の優秀な上司、仲間、部下達がそれを引き継ぎ、シリーズとして、より成熟させていってくれるものと思います。
2006.11.12
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皆さん、お久しぶりです。また、更新が滞ってしまいました・・・近日中にも、皆様のところにもお邪魔させて頂くつもりでおります。一部の方からは、私書箱にメールまで頂き、ありがとうございました。今回のブログ題材は完全に私事でありますので、ご興味無い方は、読み飛ばしてやって下さい。さて、私は、この間まで旅行に行っておりました。旅先でもカフェ等にネットが接続されているところもあり、自身のブログも、不定期に少しはチェックはしておりました。いつもは、考える暇も無い毎日ではありますが、今回は、ゆっくりと色々な事に対して考える時間を設ける事が出来ました。そこで、現状から現在の私のゲームクリエーター生活を振り返ってみたところ、今の会社を辞め、違う会社で新しい挑戦をしたいという気持ちが湧き上がってくるのを感じました。今の会社が嫌いになったわけではありません。給与面での不満は全くありませんし、好きな事もやらせて頂いていた事も考えれば、むしろ、恵まれた環境にいたのではないかと感じます。然しながら、新しい環境に身を置き、新しい自分を試してみたい、今とは違ったゲーム作りに挑戦したいという衝動は抑え難いものになっておりました。幸いにして、私が魅力を感じるゲーム会社は現職の会社以外にもありました。そこで、実は最近、その会社の一つにコンタクトをとってみる事にしました。その会社は、最大手ゲーム会社の一つです。知人も勤めている会社ではありますが、知人頼みで何かをする事は気が進まず、また、その人の目を通した会社という目線から外れたかったため、完全に私個人として、その会社様とコンタクトを取らせて頂きました。有り難い事に、早速、お会いする機会を作って頂けるとの事で、先日、その某ゲーム会社様にお邪魔してまいりました。結果としては、先方からも私という人間を欲しいというご回答を頂き、私個人としてもご提示頂いた事業内容、採用条件ともに魅力的だと感じられるものでした。さて、今後ですが、私としては、次の挑戦、違う会社へ移籍しようと考えています。現職の会社の経営者とも先日、お話をさせて頂き、退職する意思を伝えてまいりました。経営者側からは辞めないでほしいというお言葉をいただきましたが、現時点のように迷いがある状況では、現職の会社に対しても失礼になるのではないかと思います。これから、次の会社様、現職の会社と複数回の打ち合わせを持つ予定です。その中で、現職の会社に残るのか、次の会社へ移籍するのか、自分が進むべき道をしっかりと見定め、歩んでいきたいと思っております。今年から来年にかけては、私のゲームクリエーター人生の転機となるかもしれません。自分が信じる物を、自分が面白いと感じる物をユーザーに提供していきたい、その気持ちを再度、胸に刻み込み進んでいきたいと考えています。尚、現職の会社については、優秀な部下、後進ともに育ってきております。私が抜けた穴を彼らなら十分に補ってくれる事でしょう。会社側は抜けたダメージを心配しておりますが、私という蓋が無くなる事で飛躍的に伸びる人材も出てくるのではないかと思います。人はやらなえればいけない状況では飛躍的に成長する事があります。会社を移籍する場合には、部下は部下ではなくなります。今後、彼らに会う時には一人の対等なゲーム開発者として接する事が出来るよう望みます。
2006.11.07
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ゲーム会社でもアルバイトを雇用する事は多くあります。その役割、目的は様々ではありますが、ゲームの完成を目指す上で貴重な戦力になっている事は疑いようがありません。ところで、このアルバイトですが、主にゲーム業界志望者やゲームを大好きな人間が志望する場合が多数ですが、この中で、業界志望者に関しては気を付けねばならない事があります。それは、本分を見失うなという事です。業界には多数のアルバイトが雇用されておりますが、そこから正社員雇用に足る人材を探し出すという目的は、どちらかと言えば、少数派に属しております。圧倒的に多数派の雇用目的は、あくまでもゲームの完成を目指す上での、助けを得る事に主眼が置かれるケースが多くなっております。この際に、自分の本来の目的がプログラマーという目的だと仮定するのであれば、仮に、その内容がプログラムと関係の無い内容であった場合に、それによって、圧倒的な時間を拘束される事は、学生、本来の目的を消失させてしまう危険性を孕んでおります。プログラムを学ぶ機会、時間が、その作業によって圧迫されてしまうのです。どのような系統であれ、ゲーム業界を志望される方がアルバイトにおいて、ゲーム業界を経験する事は間違いなくプラスに作用します。然し、それも本来の目的を超え、度が過ぎてしまう事によって自分にとってマイナスの影響が出てしまう事もあります。私も過去において、彼らがアルバイトによって本来の目的、本分を見失い、業界に、自己が望む職種、ゲーム業界自体に入れなかったケースを多く見てきました。ゲーム製作は楽しいものでありますが、それが自分の将来においてどのような影響があるのか、しっかりとした将来に対するビジョンが必要です。学生時代を無為に過ごす、或いは、将来を見通さずに過ごす事は、日本の現状から考えても、非常に危険性が高いと考えます。自分の将来、目的に対する明確なビジョンが必要です。自分の人生、しっかりとしたキャリア運営を学生時代から心掛けていきたいものです。最後に、私達が雇っているアルバイトではありますが、彼らには、その本分を見失わずに、自己の将来像をしっかりと思い描いてほしいと願っています。アルバイトというカテゴリーだったとしても、私達のいる業界に一度は飛び込んできてくれた方々です。その将来においても、私達と一緒に仕事が出来ればと強く願っております。
2006.10.03
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多種多様のゲームが発売されている昨今において、ゲームの販売価格というものも多大な関心を寄せられております。その中において、何故にゲームの販売価格は似通ってしまうのかという疑問があります。私も開発者側の人間であり、販売価格を決定する立場に無い事から、明確な理由については、全く知り得ない立場にあるのですが、この価格の画一化には常々と疑問を感じている次第です。この問題については、何もゲームというメディアだけに代表されるものではありません。音楽、映画、その他、多種のエンターテイメントにおいて、価格の画一化は起っており、消費者の立場からすれば、これは不利益に当たるのではないかと感じる事もあります。まず、画一化の利点を探せば、価格というものに対しての吸引力が画一化によって失われるため純粋に、その商品の内容に対して、自分がどのような判断を下すかが重要になります。それは、商品の品質に主眼を置けるという点においては非常に有効に作業していると考えられます。では、逆に不利益な点とは何かを考えた時には、真っ先に、消費者の選択範囲の縮小化が挙げられるかと思います。世の中は、その価格に見合ったサービス、商品を受け取る事が出来ますが、ゲームや、その他のエンターテイメントにおいては、この価格の選択という選択が一つ抜け落ちている事になり、それが、消費者の選択権を奪っているのではないかという疑念が残ります。私としては、開発費の高騰や大作嗜好の強まり、それ以外のお手軽ソフトの台頭、諸々を含めて考えれば、今こそ価格の画一化を壊すべき機会ではないかと思います。そもそも、ゲームというカテゴリー以外は、それにかけるお金も人数も全ての環境が違うのですから、倣え右で価格を合わせる必要性は無いと考えます。大作は今よりも価格が高くとも良いかもしれませんし、逆に、お手軽のゲームであれば、今よりも価格が安くとも良いかもしれません。ゲーム及び、それ以外のエンターテイメント産業に価格の選択権の復活を。それが私の願いです。
2006.09.29
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東京ゲームショー2006が閉幕致しました。今回のショーには、19万2411人もの来場者が訪れ、昨年度の来場者数を上回る事が出来ました。まずは、その点に関して安堵の気持ちを覚えると共に、ユーザーの皆様のご期待に沿えるゲーム作りをする責任を、開発者は強く負っているのだと感じる数日間となりました。さて、この来場者数に関してですが、恐らくは次世代機発売に引っ張られての来場数増であるかと思います。今回の次世代機には賛否両論渦巻いておりますが、その渦中のゲーム機を見てみたいと考える方が多かったのではないだろうかと思います。触った上での感想は、人それぞれであろうかと思いますが、少なくとも、注目が集める事が出来たという事に関しては成功と言えるのではないでしょうか。後は、実際の発売以降にどれだけ興味を惹き付ける事が可能であるのか、これから、本当の勝負が始まっていくのだと思います。今回のゲームショー、次世代機が騒がれる事が多いショーとなりましたが、その中で見逃せない点が他にもあります。このショーにおけるゲームの中心は、据え置きゲーム機、携帯ゲーム機である事に関しては、以前として変化がありませんが、その中に、PC用ゲーム、携帯電話対応アプリも数多く出展される光景が見受けられました。これは、ユーザーの嗜好の多様化、ライフスタイルの多様化に伴う、プラットフォーム自体の多様化が起因しているものと考えられますが、来年度以降も、プラットフォーム自体が多様化していく道を進んでいくのか、或いは、以前の形態へと緩やかに戻っていくのか、この点は特に目が離せません。また、その遊び方自体の多様化を表す兆候が日本ゲーム大賞2006のフューチャー部門にも現れておりました。この賞はユーザーの投票を含め、たくさんの投票によって決定する賞なのですが、この受賞作品11作品の対応したプラットフォームは実に5種類でした。この種類の多さも現在の状況を如実に反映した結果ではなかろうかと思います。今回のゲームショーについては、次世代機が注目を集める裏で、ゲーム自体のプラットフォームの多様化が印象深いショーとなりました。この多様化については一過性のものであるのか、或いは、このまま促進していくものであるのか、状況を正確に予測する事は困難ではありますが、少なくとも、来年度以降の傾向を見る事によって、今後、暫くの傾向が決定されるのではないかと感じております。より多くのユーザーは、どちらの傾向を望んでいるのか?私のブログを訪れる方々もご意見分かれるところではありますが、今後は、より多くのユーザーが望む方向に進むであろう事は間違いありません。その審判がどちらに下っていくのか、私も開発者の一人として状況を的確に読んでいきたいと考えております。最後に、ご来場頂いたたくさんの方々、ありがとうございました。実際に、会場に足を運んで頂ける事は、ゲームの反応を直接に感じる事が出来るという貴重な機会を私達に与えてくれます。今回のゲームショーは終わってしまいましたが、非常に有意義な機会でした。来年度以降、東京ゲームショーという形で残っていくのかは分かりませんが、このような祭典において、また皆様とお会い出来ればと考えております。それでは、ご来場頂いた方々も、会場には足を運べなかった方々も、ありがとうございました。
2006.09.26
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本日より、東京ゲームショー2006が幕張メッセにて開幕致しました。日本最大のゲームの祭典とあって、土日は多くのゲームファンの方で賑わう事が予想されます。本日がビジネスデイという関係者限定での開催日であったために、私も、ショー会場まで足を運んでまいりました。そして、このショーですが、私が現在、携わっているゲームタイトルも出展されております。出来るだけの多くの方が、私の開発するタイトルが注目して頂けるように祈っております。さて、今回のショーですが、当初の予想通りではありますが、次世代機ゲームソフトの出展が多い催しとなりました。特に、PS3については多くのゲームが初めてプレイ可能な状態で遊べるとあって、PS3に期待を寄せるユーザーにとっては、PS3の実力を実際に確認出来る、貴重な機会となるのではないかと思います。また、前日のブログの通りにXBOX360のゲームソフトの充実ぶりにも目も見張ります。然し、その次世代機の中にあって、現行機のソフトの充実ぶりも印象に残りました。過去のゲームハード移行期には、現行機のゲームソフトというのは、多少なりとも縮小していく傾向を見受けられたものではありますが、今回に関しては、依然として現行機の元気も強く印象に残ったショーとなりました。この点から考えるに、当面は継続して確実に現行機へのゲームソフトは過不足無く供給されていくものであると考えられます。今、一番に普及しているゲーム機でビジネスを展開したい、そのように考えている方が多い事も印象に残ったショーになりました。余談ではありますが、ショー会場にて、PS3の値下げの発表がありました。これによって、20GBモデルの価格は5万円弱という価格になりました。この点の値下げについては、周りの評判からの苦渋の選択だったとしても、一定の評価を与えたいと考えています。然し、この価格でも以前として高すぎる事には変わりがなく、この上位モデルが幾らになるのかが不鮮明なままであります。ハードメーカーとして更なる努力に期待したいと思います。最後に、次世代ゲーム機について懐疑的である方、肯定的である方を問わずに出来るだけ多くの方に、このような貴重な機会を利用して次世代ゲーム機という物に実際に触れたり、映像として体感して頂ければと思っております。それでは、東京ゲームショーで私の作品が皆さんをお待ちしております。
2006.09.22
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最近は、WiiやPS3の影に隠れて、めっきりと印象が薄いXBOX360ですが、今回は、そのXBOX360に焦点を当ててみたいと思います。さて、このハードですが、ようやくと言いますか、本領を発揮する時期が近付いてまいりました。今年の年末から来年にかけてXBOX360ユーザー待望の大作が多く発売されます。これは、マイクロソフトが日本のゲーム会社に対して、必死のアピールをした結果として、多くのメーカーがマイクロソフトのハードでゲームを作ってみよう考えた結果でもあります。今までは、海外産のゲームが発売されている印象が強かったゲーム機ではありますが、今年の末からは純国産のゲームが多く発売されます。PS3のゲームについては、開発が難航し、発売日付近には所謂、大作は間に合わないため、高い映像表現を持ち得た大作ゲームは、XBOX360が一番、最初に触れる事が出来るゲーム機となりそうです。このような系統のゲームを好まれるユーザーにとっては、待ちわびた展開だったのではないでしょうか。先日、某社の経営者様とお会いした時の話ですが、どうやら、XBOX360は世界規模で考えれば、次世代機シェアNO.1になりそうですね。というお話がありました。私も、その可能性は捨てきれないところであると感じております。日本では普及率の少ないゲーム機ではありますが、日本産の魅力的なタイトルも年末付近から多くリリースされ、それは、海外のユーザーにとっても魅力的なゲームと映るものと思います。海外産の品質の高いゲーム、今年の末からリリースされる日本産の大作ゲーム達、XBOX360、これからが本番です!
2006.09.21
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先日、某社の社長が興味深い内容の講演を行いました。その中で、ゲーム産業の市場規模についてのお話がありました。今回は、その話題について触れていきたいと考えています。まず、当ブログを訪れている方も、同様に感じていらっしゃる方が多いと思いますが、日本の家庭用ゲーム機における市場規模は縮小しております。これは、売り上げを比較する事によっても明らかであり、それが、ゲーム産業全体に対しての危機感を煽る結果ともなっています。然しながら、この先日に発表された講演内容、データによって、ゲーム産業全体における市場規模縮小が全くの誤認識である事が分かります。まずは、このゲーム産業全体に対する市場の問題を読み解く前に、ゲーム産業の移り変わりについて述べる必要があります。過去、ゲームと言えば、家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機がその主でありました。ところが、現在のゲームの在り方は多様化しております。携帯電話におけるゲーム普及、PCゲームの成長、オンライン、ネットゲームの成長、アーケードゲーム、これらの出現にもよって、ゲームのカテゴリーは非常に増えております。では、ゲーム産業全体における市場規模を計るにあたっては、何処までを計ればよいのかという問題に際して、現在の規模を計るのであれば、これらのゲームに関しても同様に計上していくのが産業の規模を計る上で正確なデータになるのは明白であります。そこで、ゲーム産業を家庭用ゲームだけに括らない場合に、ゲーム市場規模は、どのように推移しているのかを比較しますと、驚くべき事にそれは、その誕生以来、一度も縮小していないというデータが出来上がります。非常に驚くべきデータですが、これが現在の市場における真実という事になります。そして、更に興味深い点としては、家庭用ゲーム機における市場規模のデータがあります。これについては、日本における規模は縮小しておりますが、これを欧州、北米と合わせて比較すれば、毎年、15%程度ずつ拡大しているというデータになります。これらのデータを受けて私が考える事は、現在の日本ゲーム全体に悲観的な見方が出てきておりますが、これについては、全く悲観する事は無いという事です。今後の問題は、その多様化する市場に合わせて開発者の在り方が転換出来るかという点になります。然し、現在の開発者の状況を思い返せば、10年前とは様変わりし、各々のビジネスに対応すべく、各々に特化した開発者も出現し、そのビジネスを支えるべく屋台骨を作り上げはじめております。現在は、ゲームにおける過渡期、移行期である事については変わりませんが、それは、斜陽の向かっているのではなく、成長に向かっていくための過渡期であるように私には思えます。今後、ゲームを遊ぶためのスタイルは様変わりしていく可能性もありますが、ゲームそのものは、変わらずに残っていく物として、継続してユーザーに楽しさを提供出来るものと思います。最後に、私達、開発者も現在の状況を的確に見極め、ゲームそのものの在り方と真摯に向かい合っていきたいと考えております。
2006.09.18
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遂に、任天堂Wiiの発売日と価格が正式決定しました。12月2日発売、25,000円です。東京ゲームショーの開催前という事もあって、この時期での正式発表を予想されていた方も多いかと思います。今回の時期、価格については、私は概ね前向きに評価出来るものと考えています。まず、しっかりと年末商戦に間に合わせた事、加えて、購入出来る範囲内の価格に抑えた事などゲーム機として評価する事が出来ます。肝心のソフトについても、日増しに発表されていくタイトルが増えています。以下は、任天堂のHPで公式に発表されたラインナップ映像です。任天堂Wiiゲーム映像皆様、この動画をご覧になって、どのようにお感じになったでしょうか?私は、この挑戦に対して同じゲーム開発者として非常に高く評価しております。このインターフェースが世の中に受け入れられるかどうかは、今後のユーザーの判断を待たなければいけませんが、少なくとも、新しい事に対して恐れずに挑戦する姿勢に対して好印象が持てます。新しい物を作る時、そこには必ず否定的な意見も生まれます。然し、それを通らずして、進化は有り得ません。さて、今度はライバルであるPS3の出番です。東京ゲームショーで多く出展されるPS3のソフト郡達、少なくとも、その比較によって、本年度末の勝負の行方は大方、決まるでしょう。どちらが、ユーザーの心を掴んでいくのか、はたまた、XBOX360が巻き返していくのか、或いは、現行機が元気を見せるのか、全く目が離せない状況です私は、私の携わる次世代機ラインを盛り上げるべく尽力します。そして、この流れに影響を与え、次世代不要論を打ち消すべく頑張っていきたいと考えております。
2006.09.14
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以前に、ゲームを学習教材の一つにという話しを覚えていらっしゃいますでしょうか?この件が、俄かに現実味を帯びてまいりました。東京大などが授業においてゲームを活用する方法の研究を開始したのです。日本でも最高峰に位置する教育機関が、その勉強の学習法としてゲームに着目した事は、ゲームを学習に役立てる上で非常に大きな第一歩を踏み出したと言えると思います。ゲームにおいては、その影響力が悪い方向に取り沙汰される事はありましたが、その良い方向への影響力の研究は遅れておりました。それが今回の例を代表として、良い方向に進み始めた事はゲーム産業において多大な良い影響を与えるものと考えます。然し、この研究についてですが、何も私は学習効果やゲームのイメージ改善だけを期待しているわけではありません。これは、本来の大学における研究意図とは違いますが、私は、その研究からゲームをより面白くする方法が見付かるのではないかと密かに期待を寄せています。この研究にあたっては、学習理解力の向上に主眼が置かれていると思いますが、その研究過程において、学習を理解させるための方法についても研究します。という事は、如何に楽しませ、学習を苦痛では無くすか、集中させるのか、それらについての研究も合わせて行う事になります。これは、その研究意図が違うだけで、取り組んでいる事は、ゲーム開発者のそれと非常に似通っております。そのため、そこから相互に学ぶべき何かが生まれてくるのではないかと思っております。違う立場から研究した成果を相互に生かす事によって、ゲームを更に面白い物へと昇華する助けとする、そんな状況を作り出す事が出来たならば、必ずや、ゲームそのものが、もっと素敵な遊びになれるのではないかと思います。
2006.09.12
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先日、他の方のブログにてゲームソフトの多様性の欠如の問題が話題にのぼりました。非常に興味深い内容で、私もレスを付けさせて頂きました。この問題は、ゲーム産業においても極めて重要な事であり、そのため、当ブログでも、その問題について扱いたいと思います。まず、触れるべきはゲームソフトの多様性の欠如についてです。私は、この問題についてはPS2発売に端を発していると考えています。PS2時代、それは開発費が極度に高騰した時代と言い換える事も出来ます。その昔、ゲームの開発費は1千万円以内に納める事も可能でしたが、PS2の頃になると、その費用は圧倒的な数字まで跳ね上がりました。このハードでのゲーム開発費は、ほとんどのタイトルで億を超える事態となったのです。今までも、某大作RPGのように圧倒的にお金をかけているタイトルについては、開発費30億などという途方も無い金額をかけては作っていたものですが、これは、極めて一部の例であり、少数派に属する例でした。ところが、この開発費の高騰がこの状況を一変させる事になりました。今までは、当たるか外れるかで済んでいたゲームビジネスが、堅実に開発費を回収するビジネスに移行せざるをえなくなったのです。高い開発費はリスクを高め、失敗は会社の経営を危機的な状況に陥れる要因となりました。その状況の中で、起った事は、確実性の高いゲームタイトルの開発です。これこそが、ゲーム性から多様性を奪った最大の要因だと考えています。さて、この多様性の欠如問題についてですが、今後については、私は悲観してはおりません。今回のPS2に端を発する問題については、開発者自身も問題に気付いております。この失敗を良い材料として新しい切り口、ゲーム開発の在り方を模索する開発者も増えております。そして、DSを代表とするようにゲーム性への変化の兆しも見られます。加えて、次世代機発売から見れる傾向にも、その兆候が出ております。今までの次世代機発売は同一直線上の理念に位置付けられたものですが、今回は、WiiとPS3を比較しても分かるように全く違う理念によって作られています。今までは、直線上にあったハードが違う線上に移っていく事、即ち、ハードにも多様性が生まれてきた事と考える事が出来ます。ユーザーの立場からすれば、複数ハードは歓迎出来ないものであるかとは思いますが、このハードの多様性に引っ張られる事により、より開発者がゲームの多様性について真剣に考える良い機会が生まれました。そして、この環境もゲームから多様性を回復させるための助力になると感じております。過去、PS2時代、ハードの環境に引っ張られて多様性の欠如という失敗を犯しました。そして、現在は、その問題について気付く開発者は多数です。それが、このゲーム産業過渡期において次世代機戦争に複数の理念を生み出し、ゲームから減っていった物を取り戻す機会になるものと思っております。多様性の減少という愚を犯したからこそ、より強い多様性の尊重という風潮を生み出していく可能性が生まれたのです。次世代機発売、私は、この時期には全く必要無いであろうと考えておりましたが、意外にも、これを最大の機会としてゲームの多様性が回復期に入るであろうと感じています。次世代機発売、次世代機そのものが売れないとしても、ゲームについての考え方に変化が起り、現行機に対しても、次世代機に対しても良い影響が出てくるかもしれないと考えております。
2006.09.07
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以前に、CEDECの開催については当ブログにてお伝えしました。そのCEDECにおいて、先日、面白い話しがありましたので、そちらのお話をしたいと思います。浜村氏は、ゲームを好む方には馴染みのある名前かと思います。言わずとも知れたエンターブレイン代表取締役社長です。氏は、今年の次世代機戦争について明確にWiiを勝者と予測致しました。発売前の機種を並べて、Wiiを年末の大本命と位置づけしたわけです。これは、非常に興味深い事です。通常、このように複数の機種を並べての勝者予測はするものではありませんが、今回は公の場においてWiiに対する明確な勝者予測をしました。これは非常に重要な意味を持っていると考えます。ゲーム業界と非常に関係の深い位置にいる今回の氏の発言は、所謂、内部を知った上での発言と考えるのが適当であるかと思います。この氏の発言は、現在のWiiとPS3の拮抗した状況を物語っているかのようです。他にも、興味深いデータがあります。ネットショップ最大手であるAmazonのPS3とWiiの予約通知登録件数ですが、WiiとPS3の登録者数が、ほぼ同数という結果が出ております。これは、PS2とGCの時代からは考えられないデータです。少し前に、WiiとPS3の勝者予測が開発者側から見ても判断が難しくなってきたと書きましたが、そこから、僅か数日の間に、こんなにも多くのPS3苦戦のデータが出てきております。これは、いよいよゲーム自体、ユーザーの遊び方自体が二極化していく前触れであるのか、或いは、本流そのものが移る事の前触れであるのか、どちらにしろ、少なくとも今後の次世代機発売までは、激動の数ヶ月間になります。最終的に、ゲーム業界の方向を決定付けるのはユーザーです。ユーザーが何を選択するのか、まずは、今後、数ヶ月の内に起る激しい動きを見て判断してほしいと思います。とりあえず、私については、今、自分が開発しているゲームの次世代機を盛り上げるために全力を尽くします。願わくば、今回の流れがゲーム業界に良い方向に流れる事を、加えて、私の開発するゲームがその流れに影響を与えられる事を・・・
2006.09.04
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東京ゲームショーの開催まで1ヶ月を切りました。出展する各社の開発者は忙しい毎日を過ごしております。このゲームショーですが、最新のゲームを発売前に体験出来る事で有名ですが、そこで、学生達が製作したゲームの展示も行われている事をご存知でしょうか?このゲームショーには自らが志望するゲーム業界の人間、たくさんのユーザーが来訪する機会ですから、学生達が、そこにかける意気込みは並々ならむものがあるようです。まさに、学生達の総決算と呼ぶに相応しい華やかな舞台です。学生達がこのような機会を持つ事は自己の発展を促す意味でも非常に好意的に捉えております。さて、では、今年において、私がこの学生達の展示会に足を運ぶかと問われれば答えは否です。それには幾つかの理由があります。まず第一の理由、それは、この展示会を誰に対して最も見せたいのかが伝わって来ないという理由です。その学校に進学を希望する進学希望者であるのか、或いは、自らが志望するゲーム業界の人間に対してであるのか、その点が非常に不透明であると感じられます。加えて、第二の理由、これは、アピール不足、プレゼンテーション能力不足です。学生とは言え、立っている場はプロと同列の場である事を意識するべきです。その中で、どのようにしたら自分が望む方々に足を運んでもらえるのか、それらを創意工夫する必要がありますが、その点においての工夫に欠けていると感じます。そして、第三の理由にして最大の理由、それは、学生達の真剣さの欠如です。この東京ゲームショーは3日間だけの機会です。真剣さの欠如とは書きましたが、勿論、彼らは真剣です。それは伝わってきます。然し、それでも全く足りないと感じます。以前に、この展示会に足を運んだ際にゲームを遊ばせて頂いたのですが、その際に、担当者と少し話してみたいと思う機会がありました。当然ながら、担当者をお願いしたのですが、席外しという事で不在でした。そこで、戻る時間を聞いたところでも不明という回答でした。このように自己を売り込む貴重な機会に対して、このような行動を取るという事が私を大きく失望させました。知らなかった担当者はチャンスを潰したと感じる機会は無いでしょうが、知らないところでチャンスが潰れたのです。さて、厳しい事を書き連ねてしまいましたが、これは、それだけ学生達に期待している事の裏返しでもあります。これらの理由は全て自分達の努力で取り除く事が可能です。学生時点でこのような大きな機会を与えられた事に満足せずに、そこから自分の人生にどのように生かしていくのか先を考えてほしいと思います。この場で人生が変わる事もあるのです。その可能性がある場です。この東京ゲームショー、自分の人生がかかっている位の気合で望んでほしいのです。少なくともゲーム業界の人間は仕事として来場しますから真剣な目で判断します。最後に、学生達が、この東京ゲームショーを受動的ではなく、能動的に過ごしてくれる事を祈ります。
2006.08.30
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ゲーム開発者がゲーム雑誌に代表されるメディアに露出する機会が増えています。この傾向は、主にPS時代以降に見られるようになった現象です。ゲーム雑誌においてのインタビュー、対談、形態は多種多様ではありますが、ゲーム開発者という名の元にメディアに取り上げられる事は珍しい話ではありません。この露出については開発者の顔が見え易いという点に限れば、肯定的に捉えてもよいであろうと考えています。然し、実は、私は今のゲーム開発者のメディア露出の在り方については否定的な意見を持っています。何故、否定的かという点を説明させて頂きますと、メディア露出という公的な露出に値しない人間がメディアに露出し、ゲームについて講釈をたれているのが我慢出来ないという事が最大の原因です。以前に、売れないゲームを作っていたクリエーターがインタビュー記事の中で、「このゲームが売れるか否かは、ユーザーが真に面白い物を判断出来るかどうか、ユーザー側への挑戦なのです。」というような記述がありました。極めて傲慢な話であると感じました。私は、このようにゲーム開発者としての力量に疑問符が付く段階のクリエーターは、メディアに露出すべきでは無いと考えています。そのような人間の記事を誰が読みたいと思うのでしょうか?そのような機会には、それに相応しい人間が応じるべきであるかと思っております。彼らは、スターでも何でもなく、ただの開発者にしか過ぎないのです。自己のタイトルを一定量以上を売り上げて、尚且つ、ユーザーの評価を勝ち得てから講釈をたれるべきなのです。その点において、任天堂の宮本氏に代表されるぐらいの面白いタイトル、ヒットタイトルを飛ばす方については、メディア露出に関して異を唱える必要性は皆無であり、むしろ、積極的な露出を促すべきであると思います。その理由は、彼らは露出に足る人間だからに他なりません。昨今のメディア露出は、それに足る人間がどうかの判断に欠けているように感じます。ゲーム開発者にスポットライトを当てる事については、私も開発者と喜ばしい事であるとは思っておりますが、それは、それに相応しい位置まで登りつめた人間が担うべき役割であり、それによって始めてメディアに露出する意味を見出せるものであると考えています。作られた偶像のようなゲーム開発者を多く生み出さないためにも、実を伴った偶像にならないだけのゲーム開発者だけが露出するように望みます。最後に、皆さんは、このメディア露出問題、どのようにお感じになっておりますか?
2006.08.28
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PS3、言わずとも知れた現在における据え置き機の覇権を握るPS2の後継機です。このハードを次世代におけるゲーム機の覇者と予想される方も多いでしょう。そんなPS3に今、異変が起きつつあります。それは、PS3で開発されているゲームの開発中止という異変です。当初、PS3は、その圧倒的性能において他の追従を許さず、また、過去のコンテンツの豊富さによって覇権を維持するものであると考えられてきました。然し、時代は完全に戦国時代へと踏み込もうとしているようです。PS3は、その圧倒的性能と比例した圧倒的な開発費による圧倒的な開発リスク、それらをサポートする上で不足している開発環境、それらによって止むを得ず開発を辞めるという決断を下すタイトルが増加しております。既に、中止を発表されているものもあり、この流れは公然の情報となりつつあります。これには、PS3の販売価格も影響している事は疑いがありません。この価格で一体、如何ほどのユーザーを獲得出来るのか、ソフトを開発するメーカーにとっては死活問題でありますが、その点に懐疑的であるからこそ、高い開発リスクを容認出来なくなってきているのです。尤も、それでもPS3が多数の人気タイトルを抱えている現状には変化は無く、その点においては、大きな優位性を持っている事には疑問の余地はありません。然し、PS3ゲーム開発中止の影で俄かに勢い付く勢力があります。それはWiiです。PS3ソフトの開発に尻込みするメーカー達は、その活路をWiiに見出そうとしているようです。特に、中小ソフトメーカーに至っては、その傾向が一層に顕著です。この傾向は、大手メーカーが中小ソフトメーカーにPS3ソフト開発リスクの高さから発注をしない、中小ソフトメーカー単独では、PS3の開発が難しいなどの理由もあり拍車がかかる一方です。次世代機戦争、それは発売後に大局が動き出すであろうと考えておりました。ところが、そんな読みを笑い飛ばすかのように激しい動きが起きています。この動きが次世代機発売までにどうなっていくのか目が離せません。PS3がリードを保ったまま発売に踏み切れるのか、或いは、Wiiが直前において逆転してしまうのか、この次世代機戦争、開発者にとっても本当に結末が予想不能になってきました・・・
2006.08.25
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ゲーム業界の噂に関して、ご質問を頂きました。噂の内容としては、ゲーム業界にまつわるネガティブなものであり、給料が安い、残業が多い、体調を崩して辞めてしまう人がいるという類のものです。(注)尚、今回のブログですが、特定の個人宛への返信という意味合いでは無く、志望する方々全般へのメッセージと受け取って頂ければ幸いです。ご質問頂いた方には申し訳ありませんが、その方へのメッセージという事ではなく、噂に関しての質問から題材を広げさせて頂きました。そのご質問して頂いて方が、この例に当てはまるという意味合いではありません。まず、この質問に関してお答えする前に噂という言葉の意味を再確認したいと思います。辞書には、このように記述されております。「世間で言いふらされている明確でない話。」ここで重要である箇所は明確でないという点です。つまりは、噂というものは明確でない話であり、その真偽に関しても合わせて明確でない話という事になります。では、それを気にする事が、意味のある事なのかという疑問に突き当たります。それらを気にしたところで真偽は明確ではなく、その正確性を確かめる術はありません。仮に、その噂を確かめる術があったとしても、その行為自体には疑問が残ります。噂というものは得てして無責任なものです。それらの真偽を確かめる事に貴重な労力を費やす事が建設的と言えるでしょうか?まず、私がご質問にあった噂に関してお答えするよりも先に問い掛けたい事があります。「噂が、あなたの決断にどのような影響を与えるのですか?」噂に影響されて自己の決断に影響を与えるとするならば再考された方がよいでしょう。以下、噂を気にして決断を下すという前提において話をさせて頂きます。噂を正とした場合に、業界を志望する事を辞めた場合の仮定です。その場合に、将来に待ち受けているのは後悔です・・・何故、あの時に噂に惑わされずに進めなかったのか、今とは違う人生を歩めていたのかもという後悔に苛まれる事になります。次に、噂を非とした場合の仮定においても、将来を待ち受けているのは後悔です・・・何故、あの時に噂を信じて進む事を辞めなかったのか、今とは違う人生を歩めていたのかもという後悔が襲う事になります。何故、このような事になってしまうのか、その原因は全て消極的な選択をした結果なのです。噂という不確かな物に惑わされて、消極的な理由において決断を選択をするという事は、人生の色々な局面において消極的な選択を連続してする事に繋がっていきます。消極的な選択の先に待ち受けているのは消極的な人生であり、噂に惑わされて決断を下す事は、自らの決断を他人に委ねるようなものです。はっきりと断言出来ますが、自らで決断を下さなかった場合に、将来において待ち受けるのは後悔と責任転嫁です。決断を他人に委ねたため、責任を他人の責任にしやすいのです。然し、これは意味の無い事です。何故ならば、自己の人生の責任は自己で取るしかないからです。自分の問題を正しく自分で判断し決断を下す。一見、当たり前のような事ですが、これが出来る、出来ないでは大きな違いが生まれます。決断を下せない人間が将来において大成する事が出来るでしょうか?その可能性は皆無であると言えます。私が言いたい事は、噂如きに惑わされない気持ちの強さを持ってほしいという事です。更には、噂に惑わされないだけの決断力の強さ、自己の信念を持ってほしいという事です。自分が選んだ事の責任は自分が負うしかないのです。その責任を放棄しないで下さい。今、噂に惑わされ、その選択を委ねる事は簡単かもしれません。然し、問い掛けたい事は、本当に噂に影響された決断で後悔はしませんか?という点です。是非、この点を自己に問い掛けた上で噂と向かい合ってみて下さい。この点について、しっかりと考えた上で下した決断であれば、業界志望を辞める、辞めないに関わらず後悔は無く積極的な人生を歩めるものと思います。最後に、ご質問頂いた点にお答えさせて頂きます。「給料が安い、残業が多い、体調を崩して辞めてしまう人がいる」それらの噂に関してですが、側面的には正しいとお答えさせて頂きます。然しながら、全ての業種において、上記の側面を持ち合わせていない職業があるのでしょうか?仕事という物においては、その成果において給料が安い人も高い人も生み出すのが必然です。残業においても同様です。残業が無い仕事がこの世界にどれだけあるのでしょうか。体調を崩して辞める人も全ての仕事において多くいます。金銭を稼ぐという事は、そう簡単な事ではありません。では、次に噂を全く正反対に変えてみましょう。「給料が高い、残業が無い、体調を崩して辞める人がいない」その噂も同様に側面的には正しいのです。物事には必ず二面性があり、相反する要素を持っています。この二面性に関しては自然の摂理でもあります。宇宙の根源がゼロで成り立っているという理論があります。この宇宙は、実数と虚数によって総和がゼロによって保たれるという理論です。この理論によれば、私達の世界そのものが対極の存在によって成り立っている事になります。話が少し大きくなってしまいましたが、何事にも二面性はあり、そのネガティブな要素だけを注視する事は意味の無い事だと言いたいのです。さて、噂に関して纏めに入ります。給料については、ゲーム業界は完全な能力制です。高い方は極端に高いと言えます。年収で何億も稼ぐ方もいます。下は、他の業界と同様に年収200万以下も存在しています。その額は、自分次第といった結論になろうかと思います。残業については、会社によっての違い、個人のスタンスの違いに影響されます。選択した会社、どこまでを目標とするかのバランスによって変化すると思われます。業界としては、年中泊まりという方もいれば、一年間で一日も泊まり無しという方も存在しています。体調を崩してという点に関しては、どの業界でも同じようにおりますから、特筆すべき事はないかと思います。以上、大まかではありますが、噂の真相という事になろうかと思います。では、本当に最後に一言だけ追記させて頂きます。この噂の真相も私という目を通した上での真相でしかありません。その真実は見るものによって変わる事があります。では、この真実をどのように捉えるか、それは各人の判断に負うしかないのです。
2006.08.23
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マイクロソフト社が一般に向けてゲーム開発環境を公開しました。その名は、「XNA」ゲーム製作の常識を変えるかもしれない製品です。この名前は、是非、ゲーム開発にご興味がある方には覚えて頂きたい名前です。何故ならば、この製品こそがゲーム業界と、ゲーム業界を志す方の関係や環境に変革を起こす可能性を秘めているからです。 従来、ゲーム業界と志望者の間には太い境界線が敷かれていたと感じております。これについては、ゲーム開発における特殊性の一つが起因していたものと考えております。種々の職業については、その根源は学校教育にあると思いますが、ゲーム開発は、その根源が学校教育には無い性質であるため、特殊な性質であるという位置付けが出来ます。私達が職業を選択するにあたって大きな影響を与える要素としては、大人になるまでに経験してきた事である事については頷かれる方も多いかと思いますが、その観点から言えば、ゲーム業界と志望者の最大の壁は、ゲーム開発に関わる何かを、部分的にであれ触れた事があるのかという点に集約されるかと思います。 これについては、私は以前よりもゲーム業界最大の問題点であると考えておりました。いくら優秀な素養を持ったゲーム開発者になれる人間であれ、そのための機会が無い事が、ゲーム産業全体における損失に結びついているのではないかと懸念を持っておりました。当ブログでも、多くの方から色々なお話を拝聴させて頂き、益々持って、この点についての改善の必要性を認識致しました。 前置きが長くなってしまいましたが、その問題の解決、それ以上の問題に対処するために、高い理想を持って開発されたのが、この「XNA」なのです。これが何であるのか、それはゲーム開発環境です。 この開発環境の理念を簡単に説明しますと、誰でもゲーム開発に携われる事、異なるプラットフォーム間での開発を容易にする事、ゲームの開発自体の難易度を極度に落とす事、それらによって、誰もがゲーム製作を可能とする事を理想として掲げております。 今までは、ゲーム開発環境はプロの占有物でしかありませんでした。そのため、志望者の大多数は、その占有物に触れる事すら叶わずに、結果として、一番、効果的である勉強を出来る機会を逃しておりました。更に、ゲーム開発という分野の教育は今まではゲーム専門学校のみの専売特許であり、ゲーム開発は一般の方から縁遠いものとなっておりました・・・ ところが、このXNAの登場によって少しずつですが、状況に変化が現れております。まず大きい点、それはプロと同様の環境を手に入れる事が出来るようになったという点です。学生が勉強する上で、これは大きなアシストになると考えております。今まで不明確であったところが、これによって明確な物へと変わっていく事でしょう。他にも、学校機関にも影響が出始めております。国内の話ではありませんが、大学教育に、この「XNA」を導入する学校が増加しております。これよって、今までは無縁であった方をもゲーム開発に引き込む可能性が生じました。 さて、「XNA」ですが、既に入手する事が可能です。ご興味がある方がいらっしゃいましたら、以下のページにもアクセスしてみて下さい。http://www.microsoft.com/xna/ 最後に、この製品については、現段階では、その高い理想に見合った地点には到達しておりません。然し、その高い理念が共感を呼び、いつの日か、その理念に相応しい商品が誕生する可能性は大いにあります。既に、賽は投げられました。その影響は方々に出始めております。業界と志望者の間の境界線を除去する製品へと上り詰める事を期待しています!
2006.08.17
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完全に回復した私は、再びゲーム業界で色々な仕事に関わらせて頂きながら、周りのプロの人間からも、徐々に仲間として認められるようになり、ゲーム製作と学生生活の両立した充実した毎日を送っておりました。そして、ここで更に私にとっての運命の出会いが待ち受けておりました。私には、学生時代に特にお世話になったプログラムの師と呼べる方がおります。その方との出会いを果たしたのです。彼は、某老舗PCゲームメーカーのプログラムセクションを束ねる人間であり、有名シリーズを生み出した偉大な人物でした。通常であれば、学生の私に対して何かを教えてくれるわけも無い人間なのですが、ゲーム業界で仕事をするようになって、偶然に出会い、そして、偶然に彼が忙しくない時に、偶然に私と出会ったのです。私も、そのような方と直接に色々なやり取りをする機会は無かったものですから、この機会を是非とも活かしたいと考えるようになりました。そして、彼に教えを請う事にしたのですが、驚いた事に彼は快く受け入れてくれました。仕事と教えの中から、プログラマーとして成長していく自分を感じながら、毎日が輝くほどに充実している時間を過ごす事が出来ました。然し、この毎日も就職戦線の出現によって変化を余儀なくされる事になりました。尤も、毎日が充実していると感じていた私は、就職活動に全く興味が沸きません。たくさんの学生が周りで就職先を決定し、両親、祖父、祖母からは、就職への圧力が日増しに強まっていきますが、それすらも、全く意に介さないのが当時の私の姿勢でした。考えてみれば、やりたい事を既にやっているわけですから就職という形に拘りが無かったのかもしれません。そんな親不孝者であり、就職浪人間違い無しと思われた私にも転機が訪れます。突然に、複数のゲーム会社から就職のお声が掛かかるようになったのです。バイト経験のある会社から熱心な正社員雇用のお誘いを受け、何故か過去に接点の無い会社からも、無試験での入社を保証され勧誘を受け、更に、うちを受けに来てほしいと会社の人事担当官から、私に会いに来て直接に名刺を手渡されたりと、一ヶ月の間に何社からも、大手中小問わずに正社員雇用のお誘いを受ける事態となりました。これには、非常に戸惑いを覚えました。何故に学生である私如きに、そこまでの扱いをなさるのかと思いましたが、恐らくは、私を可愛がってくれた沢山の業界の先輩方がそこに影響していたのだと思います。両親も、これを聞いて胸を撫で下ろし、何処に就職するのかが両親の話題の争点でした。そして、肝心の私がとった選択・・・それは、全ての会社にお断りを入れる事でした・・・狂っていると思われるかもしれませんが、これが当時の私の選択です。その中で、バイト経験のある会社からは、入社日である翌年の4月1日の前日までお誘いの電話を受ける事になり、その選択をした私としては、非常に心苦しい思いでした。然しながら、この選択には私なりの複数の意味がありました。一つ目の意味は、あちらから自分を選んでくれた会社に関しては、自分を認めて頂いて非常に嬉しかったのですが、既に認めて頂いている前提がある分、そこにチャレンジがありませんでした。二つ目の意味は、自分が望む分野の仕事が出来るかの保証が無かったからです。勿論、プログラマーという分野は同じですが、もっと細かいところでの話です。その後、私は自分が望む仕事が出来るであろう会社を一社だけ受験する事になります。その結果、めでたく合格を勝ち取り、私は社会人としてゲーム業界の一員になる事になったのです。思い返せば、私が業界に入る事になった全てのきっかけは出会いでした。ファミリーベーシックに出会わせてくれた友人との出会い、C言語、アセンブリ言語に出会わせてくれた友人との出会い、プログラムの世界へと誘ってくれたフリーのプログラマーとの出会い、熟練されたプロのゲームプログラマーの方々との出会い、学生時代に成長を助けてくれたゲームプログラマーの師との出会い、これらの出会いが連鎖し、私の人生に多大な影響を与えたものと考えられます。やはり、人間は人間として生きる以上、人との繋がりこそが大事なのだと思います。私のゲーム業界への就職、それは、たくさんの方との貴重な出会いによって無事に成りました。最後に、これから、ゲーム業界を志望される方も、それとは全く無関係の方も、全ての人々が出会いを大切にしてくれる事を願います。以上、長い事、つまらない私の過去の話をしてしまいましたが、これが、私が社会人としてゲーム会社に入社するまでの経緯です。その後、ゲーム業界人として色々な経験をする事になりますが、それは、私個人を特定出来る情報を多分に含むため、又、私の略歴に関しては、然程の意味を感じないため、この場で公開する事は控えさせて頂きたいと思います。宜しくお願いします。・・・ふと考えてみれば、他の会社の就職をお断りしておいて、その後に受験した会社に落ちていたらと思うと怖いですね・・・あの当時は、何も考えていない若者でしたが、今、同じ選択を迫られたと仮定したら違う結末を迎えるかもしれません。
2006.08.15
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ゲーム会社へアルバイトとして出社初日、私は、複数のプロのプログラマーの方と挨拶を交わす事が出来ました。その中で、私が、今後、どのような仕事をやっていくのか、私自身の実力は現場に入って、どの程度のものなのか、より詳細なところをテストしたいとの事でした。そして、この方々と一緒に仕事をする事になって数日間が経過したのですが、この時ほどに、自分の無力さを痛感した事はありませんでした。今だからこそ幸いであったと言えるのですが、この配属されたチーム、選りすぐりのプロであるプログラマーを数多く抱えるところでした。彼らは、数学的にもプログラム的にも一流と呼ぶに相応しい人間であり、それと比較し、自分が三流にも満たない存在である事を、しっかりと思い知らされました・・・彼らからの私への評価は低くはありませんでしたが、それは、私が学生だからと低く想定しているからに他ならず、プロとして生きていく上では実力が不足している事は自分自身が一番、理解出来ました。この時、私の頭を占めていた事は、彼らに追いつきたい、追い越したいという事でした。それには、どうするべきであるのか、この当時は暗中模索が続き、とにかく苦しかった記憶が残っています。私が出した結論は、とにかく勉強する事、その一点でした。この当時の私の睡眠時間は、常に平均3時間を切っておりました。然し、それだけ勉強しているにも関わらず、彼らとの差は縮まっている感じがしません。そんな生活を続ける中で、精神的、肉体的に疲労が溜まっていき、ついに、それが弾けてしまう日がやって来る事になりました。倒れたのです・・・夜中の病院に搬送され、意識は朦朧とし、世界がぼやけて見えます。医師の声も遠くに聞こえるのですが、良い話では無い事だけは明らかでした。倒れた原因の診断結果は、過労でした。実は倒れる1ヶ月以上前から両親に過労を再三に渡って注意を受けていたのですが、自己を成長させるためには、止まるわけには行かなかったのです。医者から絶対安静を言い渡され、休むしかない状況に追い込まれた私は、例えようの無い無力感に苛まれる事になりました。病院のベッドの上で途方に暮れ、ゲーム業界に通用しなかった自分を嘆きました。そんな無意味な日々も病状の回復と共に変化が訪れるようになります。思えば、毎日が焦りに満ちており、ゆっくりと考える暇もありませんでした。然し、これを機会に、色々な事を思い返してみました。その結果、冷静ではなかった自分に気付く事が出来たのです。確かに、彼らは一流の人間です。然し、それらに一朝一夕で追いつこうと考える事自体が、そもそもの間違いだったと気付いたのです。恐らく、彼らの実力も長い期間、自分を磨いた結果に身についたものです。この心境の変化で、私の気持ちも、ようやくに落ち着きを取り戻す事が出来ました。何も焦る必要は無かったのです。自分自身に妥協せずに最善を尽くして、自己を磨く事が重要なのであり、他人と比較する事ばかりに囚われ、闇雲に走るのは愚かな事でした。私は、自分がゲーム業界に通用する人間だと証明したいが為に、ただひたすらに焦っていただけだったのです。それに気付く事が出来てからは気持ちも晴れやかで、毎日を穏やかな気持ちで充実した日々を過ごす事が出来るようになりました。これから先は、その日々の中で、ゲーム業界の仲間として認められるためのステップへと話が進んでいきます。本当に私事が長くなってしまい申し訳ありません。次回が最終回ですので、お付き合いお願いします。
2006.08.14
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人生において、貴重な出会いというのは誰しもが訪れるものであると思っておりますが、私にも、その出会いがやってくる事になりました。最初の貴重な出会い、それは、偶然にパソコンの授業に協力するために来ていたフリープログラマーとの出会いです。この方はゲーム関係のプログラマーではありませんでしたが、その方とプログラムの話をする間に意気投合し、ゲーム外のアプリ作成のお仕事を頂ける関係までに発展していきました。これは、私にとって初の商品化されるものをプログラムした経験であり、非常に貴重な経験だったと思っております。私は、この経験を土台にプログラマーとしての第一歩を踏み出せたのです。今でも、その当時、私に仕事をくれた方へも、その出会い自体にも感謝しております。そして、この仕事を終えた私が向かった先は、ゲーム業界です。このゲーム外アプリの経験を元に、目標へ向かってのステップアップを目論見、私はゲーム業界のドアをノックしました。尤も、学生だったためにアルバイトでの採用のお願いに向かいました。はじめての接触するゲーム業界、本来であれば極度の緊張が襲うのでしょうが、若さ故か、事の重大性を考えずに、全く緊張を感じる事はありませんでした。私は、筆記試験と面接試験を受ける約束まで取り付ける事に成功したのですが、本番当日になって愕然とする事になります。この筆記試験ですが、信じられない程に難しかったのです・・・試験は、数学、プログラム、物理を基本に複数科目のテストを受験したのですが、膨大な問題数、高度な内容、そして問題数と全く比例しない短い制限時間、私は、この試験に全力を投じましたが、はっきりと不合格を確信しました・・・そして、この後に面接試験へと挑む事になるのですが、不合格を確信していた私にとっては、面接で良い印象をアピールする事に意味を見出さずに、この機会を何とか自分の技術を進歩させる機会にしたいという気持のみでした。そこで、面接という機会を使って、プログラムの技術的な話に焦点を絞り、色々と技術を盗む方向へと面接を持っていきました。例え、僅かでも技術を盗む事が出来れば、不合格だったとしても一歩前進する事が出来る、私の頭の中には、そのような考えしかありませんでした。そして、試験を終えた次の日に、一本の電話が鳴りました。その電話は、その会社からのものであり、何と採用という通知の電話でした。採用を諦めていた私にとっては、何よりも嬉しいお知らせです。ここで、ついに私はゲーム業界へ足を踏み入れる事に成功したのです。思い返せば、筆記試験の後に開き直れた事が結果的に良い方向に作用したのかもしれません。面接での行動も、熱意の表れと受け取って頂けたのかもしれません。数日後、遂にゲーム会社へと出社する日になりました。ここからは、順調に活躍して上へと飛翔していく野望を企てておりましたが、野望は儚く散る事になります・・・そこには、高い壁が聳え立っていたのです。
2006.08.11
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C言語とアセンブリ言語に出会ったきっかけですが、これは、友人の紹介で出会う事になりました。私の高校時代の友人でプログラムが好きな人間が何人かいたのですが、そこから、今の時代の主流はC言語という話を聞き、それに影響されてC言語へと移行していく事になりました。ベーシックと違い、たくさんの事が出来るC言語は、今までの世界の枠を取り払ってくれる非常に便利な言語でした。私は、更なるプログラムの可能性を感じました。加えて、アセンブリ言語との出会いも、これと同時になります。より早いプログラムを習得するために、アセンブリ言語の習得は必須だったのです。この友人の紹介を経て、私は15歳から、この二つの言語の習得に力を注ぐ事になりました。然し、この時点でも、まだゲーム業界に入るという明確な意識はありませんでした。この当時以前は、バブルと呼ばれていた時代であり、良い大学、良い会社、サラリーマンになり終身雇用が望ましい時代でした。私も、その道を歩む事に関して疑いを持っておらずに、ゲーム業界への就職というのは憧れはあっても、実際に進もうという意識まではありませんでした。プログラムに関しては、金銭を稼ぎたいという意識はありましたが、それは副業的なもの、或いは、ビジネス系ソフトウェアの就職という意識でした。ところが、突然にバブル崩壊が訪れました。これは、皆さんもご存知であると思いますが、これを境にして日本の就職に対する考え方は大きく変わっていく事になります。私も、これを機会に、再度、自分の将来を考え直すようになっていきました。これからの未来は終身雇用等は望むべくも無く、だとしたら、職業的な安定に拘る必要が果たしてあるのだろうか?そのような自問自答を続ける内に私の考え方にも変化が訪れるようになりました。どうせ、どんな業種についたところで、今後は実力社会に移行し、終身雇用など夢物語になってしまうのだろう・・・今、高い報酬が得られる仕事が、今後も同じだとは限らない、だとすれば、自分が本当にやりたいと思える仕事に就く事こそが一番、良いのではないか?そのような考え方に変化してから、ゲーム業界を志す気持ちが溢れ出すまでに、然程の時間はかかりませんでした。私は、バブル崩壊を最大の機会としてゲーム業界への道を歩み出す事になったのです。その道を心に決めたのは17歳の頃です。然し、どのようにゲーム業界を目指していいのか当時の私には皆目、検討も付かずに闇雲にプログラムに打ち込む日々でした。然し、そんな日々にも終わりがやって来る事になりますが、それは、一つの出会いがきっかけでした。
2006.08.10
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私の学生時代に関して、ご質問を頂きました。当ブログには、ゲーム業界を志す方々もいらっしゃいますので、その点に、ご興味を持たれるのも自然な事であると思います。そこで、今回は私が社会人としてゲーム会社に入社するまでのあらましをブログしたいと思います。完全な私事でありましため、大多数の方にとってはお耳汚しとは存じますが、お付き合い頂ければ幸いです。尚、今回の話題に関しては文章が長くなってしまうために、複数回に分けてアップさせて頂きたいと考えております。まず最初に、再度、申し上げる必要があるかと思いますが、私の本職はプログラマーです。勿論、そのプロジェクトによってプログラマ以外の役割を担う事もありますが、私の基本はプログラマーという職種だと覚えて頂ければ間違いはございません。さて、では、私とプログラムとの出会いから話を始める事にします。私がプログラムと出会ったのは小学生時代ですが、二つの要素によってプログラムの楽しさに目覚める事になりました。まず、一つ目の要素はファミリーベシックの存在です。その当時はファミコンが全盛の時代だったのですが、当時、ファミリーベーシックという製品が発売されました。これは、ファミコンを使用してベーシックを使いゲームを作ろうという主旨の製品で、ゲーム好きの私にとっては、ゲームが作れるというコンセプトが何とも魅力的に思えました。結果、この製品を通して私とプログラムの最初の接点が生まれたわけですが、この製品は比較的簡単にゲームを作成する事が出来るため、プログラムの面白さ、ゲーム作りの面白さが子供心に強烈にすりこまれる事になりました。次の二つ目の要素は友人の存在です。私の友人の親が幸運にも、プログラムが出来る人間でした。その友人宅にはPCがあり、その親が作ったオリジナルゲームでよく遊ばせてもらいました。その影響によって、プログラムが出来るという事は、自分の大好きなゲームを自分で作れるようになる事と同義だと感じるようになりました。プログラムさえ出来れば、自分の大好きなゲームを買わないでも好きなだけプレイ出来る、子供らしい安易な考えではありますが、強烈なモチベーションになった事は間違いありません。これら二つの要素によって私はプログラムの楽しさに目覚め、ベーシックを基本にしてプログラムの世界へと足を踏み入れる事になりました。この後、暫くは、それを基本として進み、簡単なゲームをいくつか作成しては自分で楽しんでおりました。この当時は、まだゲーム開発者になろうという明確な目標も無いままに、ただ楽しいという理由だけでプログラムで遊んでいた時代です。そして、次の大きな分岐点は15歳になってから訪れました。この分岐点というのがC言語、アセンブリ言語との出会いです。ゲーム開発における主流言語は、この二つの言語であり、この出会いが、ゲーム業界への出会いのきっかけとなっていきます。
2006.08.09
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一時期、ゲーム業界の人間がゲーム業界の過酷さを訴えるHPが、ネット上に存在しておりました。そのようなHPやブログは依然として存在しており、ゲーム業界は残酷なまでに過酷なのかと疑問を持たれる方も多いでしょう。実際に、私も業界志望者から、その点について質問を受ける事があります。今回は、ゲーム業界の過酷さという点に焦点を当てたいと考えています。まず、ゲームを開発する仕事は過酷な仕事かと問われれば、私は間違い無く過酷な仕事であると答えるでしょう。然し、これはエンターテイメントを作る上では致し方ないと考えています。面白い物を作るというのは想像以上に大変な作業です。最初の企画書通りで面白いゲームが出来るかと言えば、そんな事は通常、有り得ません。それを可能にするのは、不断の努力であり、試行錯誤を繰り返し、面白いと思える物まで持っていく膨大な労力です。そこは、怠ける事が出来ない領域であります。一度、作った物を壊してしまう事も珍しい事では無く、そんな事を繰り返すものですから、当然にゲーム開発は過酷さを帯びていく事になります。そのため、ゲーム開発者の週当たりの労働時間は多い傾向にあり、肉体的に大変な仕事である事は疑いようがありません。では、精神的な面はどうかという点ですが、こちらも、同じようにキツイところがある事を申し上げておきます。ゲームという物は、ユーザーの反応が一番、大切です。そして、このユーザーの反応こそがゲーム開発者の精神に多大な影響を与えるのです。自分が作ったゲームに対してのご意見というものは、開発者にとっては神の言葉にも等しく、この言葉一つで開発者は地獄にも天国にも行く事になります。自分の作ったゲームに対してユーザーのご意見が厳しい物であったら・・・その時の開発者の精神的な追い込まれ方は尋常ではありません。なかには、意気消沈し再起不能に追い込まれゲーム作りから去っていく人間がいるほどです。どんな面白いゲームであれ、否定的な意見は必ずあります。それらの意見を全て前向きに汲み取れる人間以外にとっては、この点において精神的にかなり負荷のかかる仕事だと言えるでしょう。加えて、上司や周りの人間の意見も同じように負荷を掛けます。妥協無き面白い物を作るためには、各担当者が作った物に対して、恐ろしいまでの厳しさが必要です。この仕事は精神的にタフな方ではないと厳しい仕事であると言えます。簡単に説明してまいりましたが、肉体的にも精神的にも過酷な仕事である事についてはご理解頂けたかと思います。何度も申し上げますが、ゲーム業界は優しい業界ではありません。間違いなく過酷な仕事なのです。最後に、このまま終わってしまっては夢がありませんので、少し追加させて頂きます。では、何故にゲーム業界が魅力的かと言いますと、物作りの楽しさを凝縮した業界であるからと言えます。音楽、映像、プログラム、シナリオ、沢山の種類の物作りの上に、ゲームは存在しております。これだけ多くの種類の物作りが関わっているエンターテイメントは、私は他にも類を見ない程であると思っています。ゲーム開発には、物作りの全てが凝縮されている、本気でそのように思える程です。これは、ゲーム開発の辛さを差し引いても御釣りがくるだけの魅力です。更に、ユーザーの反応があります。自分が作った物を誰かに面白いと言って頂ける。この喜びは、何度、味わっても何物にも変え難い喜びだと感じます。これも、ゲーム業界を魅力的にしている大きな要因です。ゲーム業界は過酷な業界でもありますが、それ以上に魅力的な業界でもあるのです。労働時間に触れましたが、最近は改善傾向にある事を付け加えておきます。勿論、会社にもよりますが、開発終了付近の修羅場は別として、最近は、通常のサラリーマンと変わらない環境の会社が多数派になっております。これは、あまりにも過酷な労働を強いる会社から人が逃げる事も無関係ではありません。しかも、過度の労働は開発者から意欲を奪う事にも繋がります。あまりにも、無理な労働を強いる会社のゲームは楽しさが足らない傾向にあるのですが、それは、開発者が疲弊しすぎて意欲が消失している事と密接に関係しています。人間が人間として生きるために必要な休息は開発者にも必要です。ゲーム業界が過酷だとは言え、最近は、そのラインは守られるケースが多い事を最後に付け加えさせて頂きます。
2006.08.07
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以前に、ゲームバランス調整に関してご質問を受けました。ゲーム会社がどのようにバランス調整を行っているのか、ゲームをよくプレイされる方は、一度は疑問に思った事があるのではないでしょうか? まず、バランスの目安は何を基準という点についてですが、これは、そのゲームが狙っている購買層を基準に難易度を設定する事が基本です。同じようなゲームであっても狙っている購買層が変われば、必然的に難易度の目安が変わってくる事になります。例えば、これはシリーズ物でも同様です。今回のシリーズは高校生に売りたいという場合と小学生に売りたいという場合、その狙いによって大きく難易度は変化します。国の違いも重要です。日本の場合は低い難易度を好み、北米の場合は高い難易度を好みます。このように、難易度の基準は基本的には、狙う購買層を目安に決定付けられるのです。但し、世間の流行も見逃せません。今は難易度が高いゲームに流れが来ていると感じれば若干、上げるようになりますし、その逆も然りというわけです。 次に、バランス調整を行う工程について話を移します。では、最初に、バランス調整のコツは何かを発表しましょう。ずばり根性、これに尽きます。冗談と思われる方も多いかと思いますが、これは、冗談でも何でもなく本当に根性と気合と時間が重要なのです。 ゲームのバランスを調整するタイミングは大きいところでは2段階存在します。一つは、ゲーム開発初期においてのバランス調整です。この段階では、細かいデータを作る前にテスト版のゲームを作成し、今から作ろうと思っている物が果たして面白い物なのかをテストする工程です。ゲームという物は膨大なデータを必要とするゲームが増えております。そのデータ(分かり易い例ではグラフィックスデータ)を作る前には、必ず、そのデータがゲームとして理に適った物かのテストを行います。 この段階で、例えば、遊ぶにはフィールドが狭いなという感覚であれば、広げて調整し、適切なレベルまで繰り返し調整する事になります。この段階のバランス調整を担当するのは、主に開発者のみになります。開発者同士が意見をぶつけ合って、適切なバランスを見つけていく作業を繰り返します。この時間をどれだけ捻出出来るか、調整が適切なところを見出せたのか、この点が最終的にゲームバランスに大きな影響を与える事は言うまでも無いかと思います。 そして、最後の大きいバランス調整のタイミングは開発末期です。この時になりますと、ゲームのバランス調整に携わるスタッフは開発者だけではありません。アルバイトでユーザーを雇ったり、デバッガーを雇ったりと、開発を行った人間以外にプレイして頂く事によって、実際のユーザーに近い視点でのデータ収集が可能になります。それを活用し、どのようなバランスにするのか、延々と何度も調整を繰り返すのです。この調整は、ゲームの最終バランスを決めるために、膨大な時間が掛かるケースが多くあります。この最後の調整でバランスが決まると言っても過言ではない程の重要工程です。 上記の重要工程、加えて、ゲーム開発中の細かなバランス調整を経て、ゲームは商品として完成する事になります。バランス調整、それは労力の賜物であり、労無くして生み出せるものではありません。もし、バランス調整が甘いと感じるゲームがあったとしましたら、この工程において開発者が誤ってしまったのか、或いは、何らかの事情でバランス調整に足る充分な時間を捻出出来なかった事情が窺い知れます。 最後に、このバランス調整データですが、非常に貴重な財産になります。某RPG有名メーカーのプロデューサー、ディレクター等は、自分だけの経験値レベルアップ表や、どのタイミングでどれだけの敵を倒してレベルが上がる事が適正なのか等の、色々な情報を集めたデータを保持しております。次回は、これを元にバランス調整を行うわけです。 ユーザーがバランスの良いゲームに出会えた時に、センスがあるというお言葉がありますが、今度、その機会がありましたら、この開発者、根性があるなと思ってみて下さい。ゲームバランスは紛れも無い根性の産物なのですから。大作RPGのバランス調整は特に大変な作業です。あまりにも大変な作業のため、次回はRPGは作りたくないという人間も・・・
2006.08.05
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最近、ユーザーのゲームの楽しみ方について、多少、思っている事があります。それは、ゲームの楽しみ方がネガティブになっているのではないかという事です。時代は進んで、ゲーム発売前からたくさんの情報を手に入れる事が可能になりました。そこから、発売前のユーザーの反応を開発者も手に入れる事が容易になったのですが、その反応の仕方が、以前とは違う傾向にあるように感じます。ユーザーの目が肥えた事も一因であるかと思いますが、ゲームを楽しむ前に、最初に欠点を探すような傾向が強くあるような印象を受けています。勿論、ユーザーという立場からすれば、ゲームを貶す事も、褒める事も全くの自由です。プレイしたゲームをどのようにも評価する権利があります。その権利については侵害されるものではありませんが、ゲームを楽しむ上で、減点法は適さないように思います。減点法では、あくまでもゲームの楽しさの最高は100点にしかなりません。欠点によって、点数が減っていくのみです。それよりも、加算法の楽しみ方が良いのではないでしょうか?最高点が100点なんて、誰が決めたのでしょうか?欠点、欠点と欠点を探すよりも、ここが面白いというところを楽しむ法が建設的であり、また、ゲームをより楽しめると思うのです。最近は、発売前からゲームの評判が悪い、ゲームのシステムが発表される前からゲームの出来に対しての不安の書き込みがあったりと、ユーザーの多くがネガティブな気持ちに支配されてしまっているように感じます。これは、楽しみ方が下手になってしまっていると言い換える事も出来るかと思います。どうせ、楽しむならポジティブに楽しむ方が絶対にゲームを堪能出来ます。せっかくのゲームです、まずは面白い物だと思ってプレイしてみてほしいと考えています。ユーザーも開発者も、頭の中を真っ新にしてポジティブにゲームを楽しみたいものです。その方が、遥かに徳であると思いませんか?蛇足ですが、つまらないゲームを面白いと思えという事ではありません。まずは、ポジティブな気持ちでゲームに触れてみた方が、ゲームを堪能出来るだろうという事ですね。
2006.08.02
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経済産業省が2007年度にゲーム開発者向けの技術検定制度や表彰制度を創設する事を、”ゲーム産業戦略骨子案”に盛り込みました。この案、制度については、優秀なゲーム開発者の育成を目的とし、ゲーム産業を輸出産業として、国際的な競争力を強める目的があるようです。また、政府として中小ソフト会社の支援、海外市場の調査、優秀者に対する表彰を行う事を発表致しました。このような事は、既に海外では行われている国もあり、後手になっている感は否めませんが、国が積極的にゲーム業界に対して動き始めた事に関しては、一定の評価が出来ると考えています。これは、以前にも当ブログでも触れた、ゲーム産業戦略が動きだしたと言えるでしょう。私としては、今回の流れの中で、ゲーム業界のイメージ改善、ゲーム産業に必要な技術の一般への理解の促進、国際的競争力を強化するにあたっての官民との共闘関係の強化、各開発者による技術に対する意欲強化、今までよりも壮大な規模でのゲーム開発を可能にする事等の効果を期待しております。今、世界の市場を席巻し始めている北米市場は、ゲーム業界以外との共闘関係を強化し、そこからゲームに対して、壮大なスケールでのアプローチを可能にしております。それが、日本においても、今回の官民ゲーム産業共闘という流れの中で、同様規模の計画を実行に移すだけの下地を作るために役立てていければと考えています。さて、技術検定制度単体に話を移しますが、こちらの実施に関しては、懸念点も残されています。まず、ゲームというものは技術も重要ですが、面白い物を想像するという感性の部分が非常に重要です。それらはテストでは計れる類の能力ではないため、その点について、どのような対策をとるのかが気になるところです。この技術検定は、間違った方向に進めば、技術自慢の開発者の育成だけが促進されてしまう危険性があり、各開発者の評価が技術力単体に重点が置かれてしまう危険性があります。当然ながら、面白いゲーム開発のためには技術は必須項目ですが、そこだけに重点が置かれないようにゲーム業界の人間としても注意していかなければいけません。最後に、今回の流れは、経済産業省が具体的にゲーム産業と向き合い始めた事を実感出来る流れの一環であり、今後の国家と民間が協力し合ったゲームの誕生を期待させるものであります。これを機会として新しいゲームのビジネスモデルの構築に期待したいです。
2006.07.25
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世界も21世紀に入って時間が経ちましたが、相変らず世界は人種差別という問題に悩む日々を過ごしています。人種差別という問題は解決の糸口が見つからない闇へと迷い込んでいるようです。この人種差別についてですが、この点において、私はゲーム業界に誇りを持っています。昨今のゲームの表現の進化は誰の目に見ても明らかであると思います。然し、これだけの表現力を持ったメディアのわりには、人種差別的な問題が起こる事は、まずありません。これは、他のメディア(例えば、映画や本等)と比較しても、非常に珍しい例だと言えるのではないでしょうか。これは、一重にゲーム産業に従事する人間、個人単位での差別意識が非常に低い事が起因しているのではないかと考えております。以前にも、当ブログにおいて述べた事だと思いますが、ゲーム産業は多国籍な人間が協力し合ってゲームを作る場合が増えてきている事については触れた事であります。この多国籍な職場というのは、他の産業においては人種的な問題が起こりやすい環境でありますが、ゲーム産業においては、この問題が起こる事は殆どありません。何故かは分かりませんが、ゲーム業界に集まる人間は、人種、信じる宗教、生まれの環境等は気にしない傾向があります。重要なのは、個人の努力であり、能力であるという事をこの業界の人間は知っております。ゲームを面白くするためには、人種なんて関係無い事を知っているのです。この事はゲーム業界の働く一員として、他の産業に対しても非常に誇れる事だと思っております。差別が多い世の中で、差別が極端に少ない世界を構築しているゲーム業界、差別に嫌気がさしている方にとっては魅了的な業界であると言えます。この部分をもっと内外にアピールして、この業界の一員に加わってくれる方を増やしていきたいと思います。最後に私の意見を付け加えさせて頂きます。私も、人種差別を憎んでおります。人種、学歴、色々な点において、世の中は差別する人間が多い傾向にありますが、それらの差別する人間は、自分が弱いから差別しているに過ぎません。自分が弱いからこそ、他人を差別して安心しているだけに過ぎないのです。自己の弱さ、劣等感を他人を不当に落としてめて安心する・・・私が、最も下劣だと感じる行為の一つです。差別それは、差別する側の人間の心の弱さであり、無知である事の証明です。世界から差別が一掃される事を願ってやみません。私の会社でも、日本人以外の人もいますが、日本人も外人も一緒に昼食を取ったり、一緒に宴会で盛りがったりと、本当に日本人同士と変わらない付き合いをします。そこには、外国人だという意識はありません。同じ人間です。付き合ってみれば、そこに大きな差なんて無いのです。・・・稀に他業種の方の話を聞いて、外国人の扱われ方、日本人と外国人に広がる溝の話を聞くと非常に悲しく情けなくなります。何故、同じ職場で同じ目標に向かう仲間なのに仲良く出来ないのでしょうか・・・差別という心の闇が、人の心から無くなる日が早く来てほしいですね。
2006.07.23
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最近、考える事があります。それは、エンターテイメントの未来です。ゲームに限らず、世の中にはエンターテイメントと呼べる物が数多く存在しております。それらは、細かな違いこそ多くあれど、消費者に楽しみを提供しようという理念において一致した存在であると思っております。そして、そのエンターテイメントの未来についてですが、私は、ゲーム、アニメ、映画という細かなカテゴリーが消失すると考えています。以前までは、全てのエンターテイメントは、明確に分ける事が出来ました。然し、最近では、そのカテゴリー分けも怪しい時代へと突入してきたように思います。映画のようなゲーム、ゲームのようなアニメ、アニメのような映画、以前と比較して、これらの言葉が組み合わさる事が圧倒的に増えている事は、気のせいでは無いと思っております。突き詰めるところ、楽しませたいという欲求は貪欲であり、その方法論に関しては、枠にはめるべき物ではないと考えています。その考えに従うと、各カテゴリーにおけるエンターテイメントは、違うエンターテイメントの楽しみ方の方法論を吸収し、肥大化していくと考えられます。そして、その収束がもたらす結果は、エンターテイメントの統合です。この収束した形態こそが、究極のエンターテイメントであり、究極のゲームと言える物なのかもしれません。話を人間に例えさせて頂きますが、個々は弱い存在ですが、それらが力を結束し、一つになり力を発揮する時に凄い力を発揮する事は、人間なら誰しも理解している事です。それと同様の考え方が、ゲームというエンターテイメントにも通じるのかもしれません。個々のエンターテイメントには限界がある、然し、それらのエンターテイメントの枠を完全に崩した時こそ、今までの常識を覆した凄いエンターテイメントが誕生するのかもしれませんね。上記は戯言かもしれません。然し、そんな未来もあるのではないかと最近、考えています。同じエンターテイメントに付く職業の方と力を合わせる機会が年々、増えておりますが、それらは、この統合への序章と言えるのかもしれません。
2006.07.21
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最近は、ゲームの公式サイトに開発者のブログのようなものを載せる機会が増えてまいりました。それ自体については、やりようによっては面白くなると思いますから否定的な気持ちはありませんが、一部の節操が無いブログに関しては、遺憾に思います。ゲームの公式サイトに載せる以上は、ユーザーがそのゲームの楽しみを促進させる事が出来るように、楽しみをアシストするようなブログにするべきです。ところが、一部の開発者ブログについては、内輪ネタの嵐、2ちゃんねる用語乱発での公式サイトとしての品性の欠如、悪ふざけの嵐、はっきり言って産業廃棄物に等しき存在であると思います。ゲーム開発者において最悪の状態は自己満足にあると考えています。このようなブログからは、それが、はっきりと感じる事が出来ます。自分達が楽しみたいだけなのであれば、世にゲームを出す必要なんて無いのです。それを理解せずに、自分達の見せたいところ、自分達だけで盛り上がるような姿勢は、強烈に非難されて然りです。ゲームという物は、全ての要素が最上級の物で揃っていたからと言って面白いとは限りません。それらの方向性が違う方向を向いていれば、全く統一感が無い作品になってしまいます。このようなブログを書く開発者が作るゲームは往々にして、その傾向があります。どうだ、俺が作った箇所は凄いだろ。私が作ったところも凄いぞ。確かに、その通りかもしれません。然し、全体を考えてみれば、ゲームとしての統一性に欠け、作品から独創性を消失しています。皆さんは、開発者が、そのようなブログを作っていたとして楽しめますか?今後、ゲームをご購入される方については、是非、公式サイトをご覧になってみて下さい。その際に、上記のような開発者ブログが載っているゲームについては、どうか、ご購入を再検討してみて下さい。上記は、つまらないゲームを見つける上での一つの判断基準になると私は思っております。私としては、このブログによってゲーム業界の人間が、常識知らずだと思われてしまう事も耐え難い苦痛です。このようなブログの存在によって、開発者は何でも有りなんだと勘違いしてしまう志望者の出現を恐れています。ゲーム業界の人間という以前に、一人の社会人なのですから、最低限の常識だけは守ってほしいと思います。同じ業界の人間として非常に嘆かわしいです・・・
2006.07.18
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今年も、9月に東京ゲームショーが開催されます。日本で一番に大きなゲームの祭典とあってか、毎年の入場者数は10万人を超える来場者で賑わっております。各ゲーム会社は、この時期になりますと、この祭典において自己のゲームをアピールするべく、より一層の精魂を込めてゲーム開発に勤しんでおります。 この東京ゲームショーですが、既に各ブースのスペース等は決まり、どのような展示物を出すかを最終調整しているところであります。 さて、その件に関連して、先日、某ハードメーカー様との打ち合わせを行ってまいりました。前回のゲームショーに行かれた方はご存知だと思いますが、ハードメーカー様のブースには、自社のソフト以外にも他社のソフトが展示される場合があります。昨年度、ソニー社は期待のPS3ソフトの一部を大きなモニターで映像出展しておりました。今回も、それと同じように私達の作品をハードメーカー様のブースで扱うか否かを含めて、細かいところを含めてお打ち合わせしてまいりました。 この時期には、沢山のゲームがより多い露出を求めて、ハードメーカーブースを含めて獲得合戦を繰り広げております。その結果をどうするかを、この時期に情報を集めて決定しようというわけです。このたった3日間の祭典のために、各社の駆け引きや、やり取りは数ヶ月単位で行われます。それだけ、日本の各社がこの祭典に力を注いでいるのです。今年の東京ゲームショーは次世代機がしっかりとした形で揃い踏みするゲームショーであり、ユーザーにとっても興味深いゲームショーになるのではないかと思います。ハードメーカー主導とも思われる次世代機戦争ですが、ここらへんで、がっちりとユーザーにアピールしていきたいところです。 このブログをご覧の皆様も、この私達が注力する祭典において、私達の作品を観ていただければ、それは大きな喜びです。東京ゲームショーまで、あと2ヶ月!この1年で最大のイベントを盛り上げていきたいです! そういえば、先日のハードメーカー様との打ち合わせにおいて嬉しい事がありました。その帰りに、他の会社の開発チームの方から突然に話しかけられました。お会いした事が無いチームの方でしたので何かと思ったのですが、「作品に非常に期待しておりますので、頑張って下さい!発売された時には買わせて頂きます!」というような内容でした。同じゲーム開発の人間からの突然の温かい励ましに、とても勇気付けられました。ゲーム開発というのは、ユーザーだけではない、同業者の期待も背負っているのだと認識させられました。それらの期待を裏切らないよう誠心誠意努力するのみですね!
2006.07.14
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世間では、子供の学力の低下が著しいと騒がれております。子供達の能力は即ち日本の未来ですから、それだけ騒ぐのも当然と言えば当然です。然し、騒ぐばかりで学習させるための方法論については、古いしがらみに縛り付けられたままの方法であり、そこには、勉強を楽しませるという工夫に圧倒的に欠けているのではないかと思います。そこで提案したいところなのですが、ゲーム業界とタッグを組めないものでしょうか?今、色々な勉強教材が出ておりますが、それを思い切ってゲーム業界に仕事を任せてほしいと思っています。例えば、DSを使って学習をしたりする事によって、小学生はまるでゲームをしているような楽しい感覚で勉強に取り組めると思うのです。(今も似たようなゲームソフトが出ていますが、それらを発展させる形です。)現在の勉強の仕方は楽しませ方が工夫されていないように感じます。そこで、楽しませ方を研究しているゲーム業界とコラボレートする事によって、楽しさと学習の混在を成立させる手法を模索するわけです。古い考え方に縛られずに勉強を楽しいものだと小学生に分かり易く感じさせるには、有効な方法ではないかと思います。今までは、勉強は勉強でしかありませんでした。ですから、勉強をゲームに、ゲームを勉強にという発想を試してみる事は無駄ではありません。よくゲームは中毒性が高いというご指摘を受けますが、それを良い方向に利用すれば、必ずや国にとっても有益な結果を導けるのではないかと考えています。ゲームを学習教材に!是非、政府は検討してほしいところです。ゲーム業界にとっては、子供がゲームに慣れ親しむ機会を得られるために有益ですし、国にとっては子供の学習意欲を自然に向上させる事が出来るために有益であると考えます。もし、当ブログをご覧になっている政府関係者がいらっしゃいましたら、是非、ご検討下さいますようにお願い申し上げます。
2006.07.12
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昨年度も紹介しましたが、今年もCEDECが開催される季節がやってきました。このCEDECは、ゲーム業界で活躍する人間が集結し、最新のゲーム開発に役立つ最新技術、ビジネスを学ぶ場を提供しております。このCEDECの良いところは、それに加えて一般の参加も許可している点にあります。今年は、8月30日~9月1日の3日間開催されますので、是非、ゲーム業界の詳細を知りたい方は、ご参加を検討されてはどうでしょうか?「CEDECのホームページリンクです。」今回のCEDECには、私も参加する予定です。例によって、今年も知人の講習がありますので、そこを中心に周ろうと考えています。さて、昨年度は私のブログではCEDECだけの紹介だけで終わっておりましたが、今回は私が注目するセッションの内容を列挙してみたいと思います。ご興味があれば、是非ご参加下さい。その際には、気付かないところで私と出会っているかもしれません。では、以下が私が選ぶ要注目セッションです。1.チーム内プログラマから見たICO/ワンダと巨像の制作について ワンダと巨像は目立たないかもしれませんが、沢山の素晴らしい技術が導入された作品です。 次世代機では標準的である技法等も、近似的に表現する事によってPS2に落とし込み、 美しい独特の映像美表現を可能にしています。 その作品について、チームのプログラマーである関、杉山、両氏によって解説が行われます。2.SIMPLEシリーズのビジネススタイル ゲーム業界でも独自の路線を行くSIMPLEシリーズ、その低価格とは裏腹に、 ディースリー社は高い利益を確保しているようです。 その開発のノウハウ、ビジネスプランを同社の常務取締役の岡島氏が講演します。3.プロデューサー vs. ディレクター ~大神の乱~ ゲーム業界内でも評判が良かった、PS2用ゲーム「大神」、 その製作でのやり取りが赤裸々に語られます。 ゲーム業界以外の人間でも、すんなり聞き易いセッションとなりそうです。 講演を担当するのは、プロデューサーの稲葉氏とディレクターの神谷氏です。4.ファンタシースターユニバースの開発現場より~5年間の歩み~ 家庭用ゲーム機のネットワークRPGの先駆者である、ファンタシースターシリーズ、 その開発ノウハウ、制作秘話が明かされます。 講演は、セガの研究開発部に所属する、節政氏と酒井氏によって行われます。5.FINAL FANTASY 12解体新書 常に時代の先端を走っていたファイナルファンタジーシリーズ(以下、FF)、 その開発現場、方法はひたすらに闇の中に隠されてきました。 今回は、そのFFがどのように開発されたのか、どのような技術が用いられているのかを、 スクウェアエニックスのプログラマーが解説します。6.次世代機に向けたゲームエンジンの設計 次世代機のゲーム開発は複雑化、大規模化の一途です。 それらにどのように対応するべきなのかを実際の開発事例を参考に講演します。 講演担当者は、カプコン社のメインシステム設計を担当する石田氏です。それでは、皆さん、CEDECでお会いしましょう!
2006.07.10
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”くそゲー”と呼ばれるゲームが存在します。ゲーム発売後には、製作者も、この烙印を押されないか戦々恐々としています。ユーザーの皆さんも、この”くそゲー”に出会って怒りを感じた事もあるでしょう。さて、この”くそゲー”ですが、ゲーム業界に必要でしょうか?全てのゲームが完成された面白いゲームという状況は素晴らしい状況であると言えます。然し、私としては、時には、このような物もゲーム産業には必要では無いかと考えています。過去、ゲームにおける草創期には愛すべき”くそゲー”が存在しました。振り返って、今はどうでしょうか?確かに、今も変わらずに存在はしております。然し、そのくそゲーは単純に面白くないゲームでしかありません。愛す事の出来ない”くそゲー”となってしまっているわけです。ゲームという物も時代を経て、ゲームとしての文法が確立されてまいりました。それは、どのゲームであれ、一定以上の面白さを提供する事が容易になった事を意味します。但し、それは、愛すべき”くそゲー”が誕生する機会を失ってしまったと言えるのではないでしょうか?現在は、中途半端に面白く無いゲームは数多くあれこそ、悪い意味で極めたゲームという物は存在しなくなってしまいました。ゲームの技術、文法が確立した今だからこそ、愛すべき”くそゲー”が再び生まれる事が必要なのではないでしょうか?ただの”くそゲー”はゲーム業界には必要ありません。何事も中途半端が一番、いけない事です。”くそゲー”を作るなら志を持って、”くそゲー”を作れという事です。私も、稀に意図的に”くそゲー”を作りたくなります・・・勿論、会社側はそんな事は許すわけもありません。時間があれば、作ってフリーで配る等したいですね。(くそゲーでは、お金を取ってはいけませんよね・・・)
2006.07.07
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ゲーム雑誌というものは世の中に数知れず存在しております。ゲームというカテゴリーを扱った雑誌という特性もあって、ゲーム雑誌会社とゲーム会社には、沢山のやり取りがあります。特に、激しいやり取りがされるのが雑誌での掲載ページ数です。このページ数は多ければ多いほどに宣伝効果もあるために、基本的には何処の会社も一定以上のページ数を掲載してほしいと願っています。そして、この掲載ページ数ですが、雑誌社が先導して決めているかと言えば、必ずしも、そうではありません。ゲーム制作会社との何回にも及ぶ打ち合わせの末、決定される場合が多々あります。このページ数は、掲載1ヶ月以上も前から雑誌社に資料を持ち運び、果たして、そのページ数の掲載に耐えられるだけのネタがあるのか、その他、沢山の検討の結果として掲載ページ数が決定されます。その掲載までの間、ゲーム開発会社とゲーム雑誌社でのページ数をめぐっての攻防が行われるのです。何気なく目にしている雑誌ですが、水面下では、沢山の攻防があった上で一つの雑誌が出来上がっていくのです。ゲームを完成させるまでには、このような開発とは違うところでも、多大な労力を割いて交渉している人間がいます。そのような事が積み重なってユーザーの皆様にゲームを認知してもらい、そして販売へと繋がっていくのです。ゲームが売れるのかどうか、こんなやり取りの一つ一つも重要な要素です。よく面白いゲームを作っているが売り上げに結びついていない事もありますが、そのような会社は、このような交渉役だったり営業が弱い傾向にもあります。面白いゲームを幅広く普及するには、ゲーム開発以外の部分でも、戦って勝てるだけの人間が必要です。業界にとっては優秀な交渉者はダイヤモンドよりも貴重な存在と言えます。今後のゲーム業界を盛り上げるためには、もっと沢山の優秀な交渉人が必要です。そのような存在がゲーム業界に魅力を感じ入って来てくれる事を願う次第です。
2006.07.05
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先日のマイクロソフト社のビルゲイツの引退宣言は、世界に少なくない衝撃を与えました。言わずとも知れた世界最大規模の企業の最高責任者の引退は、今後のマイクロソフトにおける変革を予感させるものであります。然し、今回の引退宣言、少し前のソニー社の社長交代劇、世界有数企業、ライバル企業の似たような時期の似たような交代劇、これを偶然と片付けるべきかと言えば、否であると感じます。時代という流れの中で、重要な変革期というのは、節目に必ずやって来ました。その大きな変革期が、正にこれから何年かをかけて起ろうとしている事を、今回の一連の引退、交代劇を表しているであろうと思います。今後、時代はパラダイムシフトの真っ只中へと送り込まれる事になるでしょう。思い返せば、最近では、沢山の変革期が同時に訪れております。当ブログでも扱うゲームに関する問題、今回の次世代機争いが今までの争いと様相が全く違う事については再び述べるまでもないでしょう。加えて、PC界における半導体という最重要部分に関する設計概念の変革、これは、ソフトウェア、ハードウェア産業にとって、何十年に一度かに起る変革です。更に、アナログからデジタルへの急速なる転換、日本でも一般的話題とも思えるTVのアナログ配信からデジタル配信への完全なる転換等、この手の話題も枚挙に遑がないです。世界情勢についても、ここ数年のおいて、テロと国というように、既成概念とは違う戦争の構図が浮かび上がってきました。これらの同時期に起る変革は偶然の積み重ね等ではなく、時代そのものが大きな変革期に来ているために、積み重なったに過ぎないと考えられます。そららの変革に対応すべく、この世界的最大規模の企業のトップは、今回のような結論に至ったのではないかと思います。ここらへんは、流石な世界有数の企業の判断と言えるでしょう。さて、この変革期ですが、停滞していてはいけません。各企業は停滞を良しとせず、変革へと目を向けていく事が必要です。変革期には新しいビジネスチャンスも同時に生まれるものですし、古いビジネスが消失する可能性もあります。私も、この変革の時代に上手く乗っていきたいと思います。
2006.07.03
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ソニー社がソフトウェア開発力の向上について本格的に取り組んでいく事を表明致しました。以前にも触れていた通りに、ソニー社におけるハードウェアとソフトウェアの開発力は歪なバランスとなっておりました。その点についての改善がなされるのであれば、ソニー関係者のみならず、開発関係各社、更に消費者にとっても有益な改善となるであろうと思います。然し、このソニー社の後手の発表に一抹の不安を感じるところです。この弱点についてはソニー自身も認知していたと思っておりますが、それに対しての施策が今という事では正直に対応が遅すぎると感じてしまいます。しかも、本年度の末にはPS3の発売を目論んでおります。ここが、とても重要な点となります。PS3の真の狙いは、家庭ゲーム市場に収まらずに、家電製品全体における中心的役割をPSに担わせ、各家庭における全ての家電や端末の支配に狙いがあると思われます。その観点から言えば、ソフトウェア開発強化のこの時点での表明は残念と言わざるをえません。強力なハードウェアを生かすためには、強力なソフトウェアが必要です。今回のPSのように家電の中心に位置する事を目的として強力なハードウェアには、それの基盤となる強力なソフトウェア、OSが必要です。ところが、ソフト強化の施策の遅れによって、本来は最強のソフトウェアが積まれるべきである、この家庭の中心を狙うハードウェアには、相応しくないソフトウェアが搭載されていると言えます。今後、ネットという形で強化されたソフトウェアが供給される可能性も十二分にあります。然し、その施策の遅れは明白であり、それがソフトウェア開発者としての私の立場からすれば、とても悲しく思います。ソフトウェア無くしてハードウェア無し。ハードウェア無くしてソフトウェア無し。その精神をソニー社が強めていく事が出来るかどうかが、今後のソニーにおける世界的支配の野望の成否を分けていく要因になっていくのではないかと感じます。最後に、今回の件については明るい兆しもあります。ソニー社の社長が少し前に変わった事は大きなニュースとなりましたが、その社長が変わってから短い間に、このようなソフトウェア強化の施策が打ち出されたという事は、今後のソニー社がただのハード屋から、ソフト、ハード両面において強固な存在になる可能性が出てきたとも考えられます。新しい社長による、新しい施策に期待したいと思います。
2006.06.30
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ここ数年、原油価格の高騰が続いております。それにともなって、原油を使った製品は軒並み卸売りねや販売価格への転化が相次いで起っており、経済に深刻なダメージを与える事が懸念されております。まず、この原油価格の問題が早期に修正される事を願います。然し、この高騰ですが、意外にもゲーム業界への追い風ではないかと思う節があります。これには、ガソリンの価格が非常に高くなっている事が影響しています。このガソリン価格は、即ち、各家庭、各個人での外出頻度の減少に繋がります。そうなると、家にいる時間が増えるわけですから、家で出来る娯楽に対しての需要が増加する事に繋がると考える事が出来ます。実際のデータとしても、同時多発テロ以降の北米では旅行が減少し、ゲームの売り上げが伸びたというデータもあります。その事を考えますと、この高騰によって世間の景気とは反転して、ゲーム業界に対する追い風となる可能性を感じます。私としては、このような追い風は到底、嬉しいとは思えませんが、この奇妙な反転現象には興味を覚えるところです。今回の例からも分かるように、何かの影響によって景気が好転する業界もあれば、景気が悪くなる業界もあります。総じて考えれば、結局は同じ量のお金が何処に回っているかの違いであると考えられます。以下、社会主義的、共産主義的な考え方ではございますが、全ての業界が手を取り合って、相互の利益の誘導を正確に行う事が出来れば、貧しい人を減少させる事が出来るのではないかと思います。尤も、これは、ただの夢物語でしかありません。思えば、人間は文明を進歩させる事によって人間としての進化を勝ち取ってきました。ところが、人間の意識、思考という面での進化は停滞しているのではないでしょうか。話が逸れたように思いますが、この事はゲームにも共通している問題だと考えられます。ゲームという技術(文明)が進化し、人がそれに追いついていない状況、人が作りだすゲームだからこそ、人としての問題が反映されている、そのように思います。今後のゲームをより進化させるためには、やはり人自身が、もっと進化出来るようにする事が必要だと今回の例を通して思います。
2006.06.27
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私事ではありますが、私がブログを始めてから1年が経過致しました。偏った話題、拙い文章と酷い内容のブログではありますが、幸いにして、コメントを付けてくれる方もいらっしゃいまして、私としては色々と勉強させて頂いております。最近は、平均アクセス数も増加傾向にあり嬉しい限りです。この場を借りて、謹んでお礼申し上げます。私がブログを始めたきっかけというのは、ネットでのユーザーと開発者の関係性を、もう少し踏み込んだものとしたかったからです。何故、このように思ったかと言いますと、ネットというものが、ゲーム開発者にとっては単方向性のメディアになっていたためです。確かにネットという利便性があるものが発達し、ゲーム開発者はユーザーからのご意見をより多く聞く事が出来るようになりましたが、そららは、開発者が発言出来るわけでもなく、完全なる単方向のものとなってしまっていました。せっかくネットという場でユーザーと開発者が触れるための機会があるのに、そのチャンスを喪失しているという事を残念に思っておりました。また、ネット自体がゲームソフト単体に対する意見が主であって、ゲーム業界全体に対するユーザーの意見というのは聞ける機会は少ないものでした。そこで、私自身が開発者として日々、思った事を更新し、開発者からの一つ意見をネットを通して情報として流す事によって、ネットメディアを双方向のものとしたいと考えました。その結果、私の意見にコメントを付けて頂ける方も現れました。沢山の方のご意見に触れる事が出来るようになり、私としては有意義なやり取りをさせていただいていると思っております。この点、皆様に対する、感謝の念が絶えません。1年を経過するにあたって1年を振り返ってみると、更新も少なく、開発が忙しい事もあって2ヶ月弱も更新を休んでいる事もありました。皆様にとっては、読みづらいブログであったかと思いますが、今後共一層のご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます 最後に話が変わりますが、当ブログに他ゲーム会社の方もいらっしゃっているようです。このページで話題として扱った事のある会社の方からもアクセスがあります。私も開発者という立場上、最低限の守秘を守りつつブログを運営していきたいと心掛けております。そこで、各社の皆様に、この場で申し上げたい事があります。時に、各社様にとっては否定的な意見を述べることもございます。然し、それら全てはゲーム業界への愛故でありますし、私はゲームに携わる全ての会社の皆様を同業者として尊敬しております。同じ業界の仲間として、このゲーム産業全体を盛り上げていきたいと思っております。どうか私と私のブログを温かく見守っていただけるようにお願い申し上げます。仮に、私の意見によって迷惑を感じている、誤っているという事があれば、お手数ですが、私書箱までメールをお願い致します。その内容の如何によっては、速やかに該当内容の削除或いは補足・訂正も検討させて頂きます。それでは、皆様、今後とも当ブログを宜しくお願い致します。追記:本ブログはあくまでも個人的に行っている事であり、私という一開発者の視点を通して書かせて頂いております。つまりは、同じゲーム開発者の方でも個人によって物の見え方は変わってくるという事です。私の意見、ブログが必ずしも正しいとは私自身思っておりません。あくまでも一つの意見、一つの視点という事で宜しくお願い致します。今年1年のブログ更新率は25%強でした・・・4日に1回しか更新していない計算になります。今後の目標は更新率のアップは難しいかもしれませんので、長期間ブログを留守にしない事が一つの目標です。
2006.06.21
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任天堂DSの躍進は留まる事を知らず、現在のゲーム業界の中でも異例の売り上げ速度を維持しております。任天堂の発表によれば、今夏にも1000万台以上の普及となる見通しのようです。これは、据え置きゲーム機を含めたとしても異例の速度であり、現代のゲームに対して求められている事が、DSの在り方と正確に合致した結果によって、このような圧倒的な売り上げに結びついているのでしょう。然し、この圧倒的な躍進で目立っておりませんが、相変わらずに未解決な問題は残ったままになっています。その問題こそがサードパーティーのゲームの売り上げです。任天堂は言わずとも知れた圧倒的な開発力を誇る一流のソフトウェア会社でもあります。その結果として良質なゲームの提供を可能にしているところは任天堂の魅力でありますが、それによって、ハードメーカーがソフトにおいても支配者になってしまっている構図があります。ここに、任天堂ハードの最大の問題点が潜んでいます。つい最近の6月14日の週のゲームソフトの売り上げからですが、DSのゲームソフトはベスト20位以内に、なんと13本ランクインしております。複数のハードが存在する中で、このランクイン数は驚異的ですが、この13本のうち、実に11本が任天堂のゲームソフトなのです。これは、ソフト支配率にすれば、単純計算で85%の支配率になりますが、実際の売り上げベースで考えれば、任天堂の支配率は、更に上と言えるでしょう。任天堂にとっては、良い事尽くしと考えられる数字ですが、この数字こそが任天堂ハードにとっての最大の泣き所とも言えるのです。まず、これだけにソフト産業まで支配されているハードに、サードパーティが参入するメリットがどれだけあるのでしょうか?わずか、15%の層を喰い合う結果でしか無いとしたら、サードパーティーの参加は減少するか、或いは見送られるケースが増えてくる事が想定出来ます。ハードの魅力を維持する上で、コンテンツの多様性は必要不可欠の要素でありますが、任天堂のハードからは、この多様性に関しての欠陥が残ってしまう事が考えられます。何故、ソニーがPSで覇権を握れたのか、それはサードパーティーのチャンスが多かった事も決して無関係では無いのです。そのチャンスが今のDSからは、僅かしか感じ取る事が出来ません。任天堂のソフトは素晴らしい事に対して疑問の余地はありませんが、コンテンツの多様性、ユーザーに飽きさせない事を考えるのであれば、今後は、もっとサードパーティーのソフトも盛り上げていく事が必要です。現在、圧倒的に好調を維持している任天堂だからこそ、サードパーティーと協力する事によって業界を盛り上げていってほしいと思います。
2006.06.19
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先日、髪形や服装に関してご質問を受けました。返答が長くなってしまいそうでしたので、こちらでブログという形で回答させて頂きたく思います。*質問の内容(ドジっ虎さんの文章より抜粋させて頂きました。)******かつてテレビでゲームクリエーターの仕事ぶりを紹介されていました。クリエーターは基本的に「服装自由」というようなことでした。当然企業によって差はあると思います。ゲームクリエーターも社会人ですから、当然ながらある程度節度を持った服装や髪色で仕事に臨んでいると思われます。(営業でしたら言うまでも無いことでしょうが)クールビズに対応してラフなスーツスタイルとかですね。ですが同時に僕の考えでは髪の色どうこうで人格が疑われるのもおかしいのではないかということです。髪を染める行為は所謂不良が多かったせいでしょうか、あまりいい印象はもたれていません。就活のときはもってのほかでしょうけど、ここはひとつゲームクリエーターさん個人の意見で構いません。服装や髪の色についての考察やあるいは現在勤められている会社の状況でも構いません。教えていただければ幸いです。*********************************まず、私の考えから述べさせていただきますが、髪形も服装も自由で全く問題無いと考えています。個人の実力は、そことは違うところにありますから、髪を染めようが、奇抜な服装であろうが私は問題無しだと判断します。次に、会社側の話ですが、ゲーム業界は基本的に自由な会社が多数派です。私の会社でも同様に自由であり、金髪、銀髪、編み込み何でもOKです。勿論、接客に携わる人間や営業は、この範疇にありませんが、開発の現場で髪形や服装で責められる事例は、殆どありません。但し、不良という書き込みから思ったところがあるのですが、以下の点は、しっかりと認識する必要があります。それは、不良のような髪形と、お洒落な髪形は違うという点です。ゲーム業界はセンスも見られる業界です。その中で、不良のような髪形だと判断されれば、言い方は悪いですが、センスに欠けている人間であると判断されマイナス材料となります。ところが、お洒落な髪形だと判断されれば、逆に、センスのある人間だと判断されプラス材料になります。その境目をしっかりと正しく認識する事が大切です。そして、面接ですが、常識を知らないと判断されないようにする事が重要です。例えば、面接において断りもなく私服で来るような人間は、ただの常識知らずだと判断され不採用になります。何事も時と場合を考える事が必要であり、これは服装や髪形の問題というよりも常識力の問題とも言えます。また、面接時ですが、開発の人間以外も面接をする可能性があります。役員や人事担当者等、状況、会社によって様々です。つまりは、実開発現場よりも幅広い人間が判断を下すわけです。そこでは、幅広い人間に不快感を抱かせない髪形や服装である事が大事です。一般的に学生が、スーツに黒髪で面接を受けますが、それは、その格好が一番、失礼が無く、失敗が無い無難なスタイルであるからとも言えます。それを外れるという事は、自分のお洒落に対しての正しい認識が必要です。周りに不快感を与えずに、お洒落に決める事が出来るのであれば、全く問題になりませんが、なかなか難しいところであると思います。さて、まとめに入っていきますが、基本的には、ゲーム会社において、髪形、服装は自由でも全く問題はありません。然し、それは周りからセンスが良いと判断されればの話です。髪形一つで人格を疑われるのもというお話もありましたが、私としては、全てを肯定するわけではありませんが、正しいところもあると思っています。センスの良い髪形をする人間は、やはりセンスがあるのです。そして、センスの悪い髪形であるのにお洒落を気取っている人間は、やはり、どこかセンスに欠けている部分や、ずれている部分があるものです。面接ではそこを見られてしまいますし、特に、デザイナー系で、この欠如を判断されてしまうと致命傷になります。結果、センスがあればOK、センスが無ければNGという結論になります。節度云々よりも大事な事はセンスです。そして、時と場合を判断する常識力です。それらをしっかりと正しく認識出来れば、色々な髪形や奇抜な服装を、めいいっぱい楽しむ事が出来ます。ゲーム業界はセンスの良い服装や髪形には圧倒的に寛容です。それによって人格を疑われるなんてケースは稀有な事例です。業界を志望されている方は、安心してお洒落を楽しんでみて下さい。そのセンスが周りから認められるものであれば、ゲーム業界はあたなを肯定してくれます。勿論、お洒落では無い人間もゲーム業界には入れます。然し、お洒落を明らかに気取っているのに外れていると、周りから、外れている事を認識出来ない人と思われしまうので要注意です。あまり自信が無いのであれば、周りから確実に不快だと思われない、髪形や服装にするように気をつけましょう。
2006.06.14
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ゲームを面白くするために必要な事は沢山ありますが、私としては、開発者同士の喧嘩も重要な要素であると思っています。この喧嘩は、ゲームを面白くする目的での喧嘩です。開発者同士が、仲がよく喧嘩もしないチームを見かける事がありますが、そのような開発チームは、あまり良くない開発チームだと言えます。このチームの悪いところは、他の人が良くない物を作ったとしても、的確に指摘出来ないところにあります。雰囲気が悪くなる事を恐れたり、個人の感性を重んじすぎる傾向があります。ゲームを面白くするためには、隣の仲の良い人間の作業に対しても、肯定的意見も否定的意見も出せなければいけません。ゲームの面白さの追求の前に、相手への気遣いは無用です。お互いの感性をぶつけあって、そこで出来たものが良い物です。その中で、お互いが信じるものをぶつけ合うために、当然と喧嘩になります。然し、その喧嘩の中から生まれたものが、感性がぶつけ合った上に誕生した良い物です。開発現場での喧嘩は日常茶飯です。周りから見れば異様に映り、開発が上手くいっていないと思うかもしれません。然し、その喧嘩がゲームをより面白い物へと昇華させているのです。ゲームを作る人間は、この喧嘩で相手に対して不快な感情を抱くようでは勤まりません。お互いが良い物を作るために動いている事を理解し、喧嘩が終わった後は、また共通の目的に向かって進む仲間として、ポジティブな気持ちで、進む事が大切です。いささか、極端な意見であるとは思いますが、面白いゲームが誕生するかを見極めるやり方は、良い喧嘩をしている開発チームなのか、そうではない開発チームなのかという見方も出来ます。ユーザーからは見る事が出来ない要素ですが、この良い喧嘩をする開発チームを業界に増やしたいと思っております。私も、実開発において喧嘩は日常茶飯事です。酷い時には、毎日のように怒声が飛び交います。お互いが面白いと思っているものが違う時には徹夜で言い争いになる事も・・・然し、それは仲が悪いという事ではなく、お互いが思った事を遠慮無く言える仲であるからです。喧嘩をする事によって、お互いに腹に抱えているものが無い人間だと理解出来れば、より相手との信頼関係も強固になっていきます。
2006.06.10
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先日、某社がゲームソフトのレンタルについてのビジネスプランを発表致しました。今回は、その話題についてブログで扱っていきたいと思います。まず、このゲームソフトのレンタルですが、私としては、反対の意見だという事を明確にしておきます。レンタルとしてゲームを扱うのであれば、未体験なユーザーに対して面白さをアピール出来るレベルのものに留めておくべきであると思います。つまりは、体験版相当で十分であると考えています。何故、そのように考えるか、それらを下記に列挙致します。1.ゲームを遊び尽くすには長い時間が必要である。 レンタルするものが映画等であれば、限られた時間で鑑賞可能であり、 そのため、短いレンタル期間で済むため使用者の利益に繋がります。 ところがゲームの場合は長時間かけて遊ぶものが主です。 そこに大きな問題があります。 ゲームを短期間で遊びつくすためには、 1日あたりのプレイ時間が長時間になってしまう事にあります。 何事においても適正量という言葉がありますが、 それを逸脱してしまう方向に持っていくのは業界として避けていくべきです。 ゲームもTVも全ての遊びは適正な量の上に遊びとして成り立っています。 それらが崩れてしまっては、害悪のある存在になってしまいます。 ゲーム業界自ら、害悪に成り下がる方向性に絶対に賛同出来ません。 仮に、長い期間かける場合には、 今度は、購入した方が安くあがってしまう場合が発生してしまいます。 元を取るためには、とにかくゲームをプレイするしかないのです。 ゲームも、他の遊びと共存していくべきであり、 ゲームだけを遊びにしてしまってはいけません。 2.ユーザーからゲームという商品を奪う危険性がある。 私としては、今回のビジネスモデルが、 最終的にユーザーからゲームを購入し手元に置くという権利を、 奪おうとしている流れの一環であると感じています。 将来的に、ゲームを買うのではなく、個人単位でゲームを遊ぶ権利を買う、 それらの抵抗を少なくするために業界全体が動いていると考えられます。 何もこれらの動きはゲームに限った事ではありませんが、 この動きは、最終的にユーザーにゲームを手に入れた喜び、 その買った商品を自由に扱う権利を束縛するものであります。 ゲームに限らず、この自由に扱う権利を 束縛しようとしている流れについては大きな懸念を持っております。以上の事を踏まえて、ゲームのレンタルビジネスには大きな反対の意見です。ゲームは遊びのための一つの手段です。ビジネスも大事ですが、利益と関係無いところでも、ユーザーの事を考える事が大切だと思います。最終的には、レンタル店でゲームをレンタル出来る時代が来るのでしょうか・・ゲームが短時間で遊びが完結するメディアであれば賛成も出来るのですが。
2006.06.07
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