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今日のお昼ご飯はここでホットチキンサンドとアメリカンで(写真はなし)珍しくもないけれどスターバックスでもここは普通の場所じゃない。和歌山には3軒しかないうちの1軒その場所は和歌山医科大学付属病院の受付ロビーの傍らにある。けっこう流行っているのだ。でもコーヒーを飲んだらいけない病人には気の毒なことだ。だっていい香りがしてるんですよぉ。
2007.01.31
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昼食後、用事を済ませるためでかけた。用事はすぐに済んだ。そのとき午後1時半過ぎ。「さぁ、どこかに行きますか?」と主人。「えっ、今からどっかに連れてってくれるん?」1時間ほど走ったら紀南に行けるというので、少し早いけれど南部(みなべ)の梅林を見に行くことにした。南部のインターチェンジを下りると梅林への案内板が迷わずにそこに連れて行ってくれた。ここから梅林というあたりには駐車場がたくさんあったけれど、主人は無視。どんどん坂を上っていく。チラッと「観梅車は進入禁止」の看板を見たような・・・細い道を上って行くと、入園料300円というゲートに突き当たった。あれれ??係りの人が飛び出てきて、ここは車が入れないと教えてくれた。それで細い道をUターンをすることに。係りの人が親切に車を誘導してくれた。と、いうことで梅林をしっかりは見てこなかったのである。でもせっかくなので道端の梅林を写してみた。ちらほらと咲き始めている。帰りがけの南部の海 太陽がきらきらと海をくすぐっている。せっかくここまで来たのだからと、途中で横にそれて「日の岬」に寄り道をした。さっきまできらきら輝いていた海が、少し走ると黒い雲がかぶさっている。やっとついた日の岬。島の向こうは四国。肉眼で見るよりきれいに写っていないのが残念だが、四国の山々が黒い雲間から落ちてくる光に墨絵のように重なり合ってそれは幻想的だった。5時には帰る。3時間半ほどのドライブ。
2007.01.29
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青洲の里へ行ったとき、駐車場に車を停め、車を降りて目に飛び込んできたもの木のようだけどなんの木だろう??高さは向こうのおじさんの腰よりは低い。で、春林軒の受付で聞いてみた。イチジクだって栽培用で、イチジクの枝は弱いので背を低くし、採り入れのときも作業がしやすいようにこの低さだとか。切り払った幹から新枝が出てくると支柱に枝を沿わせるらしい。ここにも居たニャンコなんかネズミみたいな顔
2007.01.28
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家を朝10時半過ぎに出て45分ほど歩き、 焼きたてパンが食べ放題と、こんな美味しいデザートが出てくるランチをたらふく食べた後さらに20分ほど歩いてこんなところに行ってみた。ここは権現様、東照宮です。和歌山にも東照宮があるんです。ここ紀州徳川家は家康の第十子が始まりだし・・・先日は駐車場代が高いとぼやいていたので、今日は歩いて来ました。進んでいくと あれ?こんなところにリスが・・・ 逃げ出さないでこちらを見てるこんなところでリスに出会えるなんて思ってもみなかった。こんな素敵な石橋を通り またこんな急な階段を上る羽目に 上から見たところこの階段は108段、徳川家の武士が運んで積んだそうだ。あぁ、まだだ。 しんど と、言い訳がましく写真を撮って一休み極彩色の門の裏側やっとたどり着いた神殿この紋所が目に入らぬか!中を拝観させてもらった。お一人様500円。巫女さんが説明をしてくれた。神殿の中の柱や欄間などには左甚五郎作の彫刻がいっぱい。神殿の中のお写真は撮ってはいけないんだって。(神殿の手前の赤い柵の外からだとOK)何年かごとに修復しているとかで、わりと最近修復されたみたいで色鮮やかな神殿を拝ませていただいた。
2007.01.27
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用事で出かけたついでに、紀の川市にある青洲の里へ行った。その地は、紀州出身の医聖華岡青洲(はなおかせいしゅう)が住んだところ。華岡青洲とは何ぞや?と、思う方は上の色の違ったところをクリックしてくださりませ。簡単に言うと、1804年に世界で初めて全身麻酔を用いて乳癌摘出手術を行った人ということでしょうか。彼は医学だけでなく、庶民のためになることも積極的に取り組んだことで人間的にも尊敬されたそうだ。青洲の里にはフラワーヒルミュージアムと春林軒(しゅんりんけん)がある。春林軒は華岡青洲の住居兼診療所で医学校でもあった建築群で、資料に基づいて復元されたものとか。フラワーヒルミュージアムの中の展示室には青洲が使っていた手術道具やさまざまな資料などが展示されている。その当時のものとしての手術道具はいろいろ工夫し作られたものだろうが、すばらしいと思った。華岡家の墓地に行く途中では梅の花がほころんでいた。
2007.01.26
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クイズこれはなんでしょう? こんなところでこんなふうに そう、大根林畑です。上の写真左は大根の葉、右は大根を抜いた後の穴 先日いただいた大根和歌山の主人の実家の近くは大根の産地でもある。海に近いせいか畑は砂地である。 収穫し や で大根を運び運ばれてきた大根は左の赤い大根洗濯機?で洗われた後 秤で重さを量り大・中・小に選別される。選別された大根はこんなふうになる。 奥のほうおまけに・・・・こんなご立派なのもあったよ
2007.01.26
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吠えた!わけではない。今日も後片付けをし、平成7年産のラブ4にいっぱい乗せてごみ焼却場へ2往復。これでもう何度行ったことか。それでもまだごく普通に家の中には物がある。今日もお天気。空を見ると青く晴れている。今日は素敵な夕焼けと夕陽が海に沈むのが見れるかも・・・・「ねぇ、夕陽が沈むの見に行かない?」とおねだりしたわけさ。急いで夕飯の支度をし、マリーナシティへ出かけた。 まだ少し早いけれど駐車場に車を置いて、海のほうへ行った。 まだ早い(17:07)今日の日の入りは5時23分 風が冷たい。 (17:16) (17:19)ありゃりゃ・・・雲が出てきた。これ以上海の中へは落ちないわ。と、寒いので帰ってきた。
2007.01.25
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一人暮らしを続けてきた義母さんのお家の後片付け。この家、築40年ほど過ぎているわけだから、その間生活してきた様々なお荷物などがある。ず~っと使っていなかったもの、直しこんであるもの、要らないものなどなど・・・それを整理しているわけだけど、あるわあるわ・・・しかしこれでも片付いているほうじゃないかと思うのだけど。人の振り見て我が振り直せだな、これは。自宅へ帰ったら、今度こそちゃんと片付けないと。物を減らせ!!片付けろ!!そしてどこに何があるか子供たちにも分かるようにしなければ。
2007.01.24
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こんなにブログをお休みしたのは初めてのこと。一つ屋根の下にいながらあまりに突然な義母の死で驚きました。1時間ほど前まで普通に話をしていたのに・・・・後で先生から聞いたところによると、「瞬時に意識が無くなり自分が死ぬという感覚も無く息を引き取ったのだろう」と亡くなった後、机の上を片付けていたらこんな句が出てきた。一人居る幸もあり一人なる寂しさもありて子と離り住む晩年の一人暮らしは次第に寂しさが増し、不安も募ってきたのだろう。最終章はほぼ義母の希望通りとなり、大往生だったと思う。義母の希望とは、長患いをせず家族に看取られてポックリと逝きたいということだった。しかし、一人暮らしの残務整理も大変なものだ。
2007.01.23
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今日夕方、突然義母さんが旅立って義父のもとに行ってしまいました。 93歳でした。 なのでしばらくブログアップはお休みします。
2007.01.16
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大根をいただいた。こんな立派なものを5本も。大きさを表すため缶コーヒーの空き缶を置いてみた。ところがこれが私の頭の悪さでございます。主人に言われるまで思いもつかなかった。どこに置いたら一番よく大きさが分かるか考えて置いたのか?と・・・・はい、さようでございました。
2007.01.16
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ってんなんも関係ないけれど・・・今朝もヘルパーさんが来ている時間、散歩に出かけた。家を出て浜辺を少し歩きマリーナシティまで出かけるとき少し冷たかたっかけれどお天気がよく気持ちがいい。マリーナシティの名の通り多くのヨットやボートが停泊されている。和歌山いちばん館の玄関横にこんなものがあった。 3初めの印象・・・変なの。なんじゃこら??よく見たら・・・・クジラの尻尾じゃんかでもしっぽだえけ?よく見たら手前にこんな変なものが・・・ 2さらによく見たらこっちにも変なものが 1おりゃ?これはクジラの頭。そうかクジラが泳いでいるのか!!!写真の角度が悪いし、柱が邪魔なんだけど・・・なんとなくわかるかな?和歌山県の南にある太地(たいじ)はクジラの取れるところとして昔から有名なところだからかな?
2007.01.15
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1月4日尾道から帰る途中、新幹線の中から姫路城を見つけた。写真を撮ろうとカメラを出したときはすでに遅く、姫路の駅を通り過ぎてやっと撮ることができた。 新幹線の中から見た姫路城(丸印の中)ちょっとトリミングして大きくしてみるとビルにも引けをとらない大きさ。しつこいけれどもう少し大きくトリミング現代の大きなビルにも負けない大きさを誇る姫路城。周りに大きな建物が何もなかったその昔のお城はものすごく大きく、威容を放っていたのだろう・・・なんてふと思ったりした道中。追記1月10日の日記の和歌山県警の黒い白バイ(?)ですが・・・ あれは通称『黒ヒョウ隊』と呼ばれる夜間専門(暴走族と二輪車が 主な相手)のバイクチームです。 二輪車相手だとパトカーでは逃げられるので、こういうものが作られたそうです。 まぁ、夜の白バイと思っていただければ判りやすいでしょうか? と教えていただきました。ありがとう。
2007.01.14
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海南市下津にある長保寺へ行った。 大門長保寺は長保2年(1000年)、つまり、枕草子や源氏物語が書かれたころの創建といわれているそうだ。1666年紀州徳川家初代藩主頼宣(よりのぶ)により菩提寺に定められたという。本堂の後ろにある山の斜面に歴代藩主のお墓がある。 大門を入り本堂に向かう階段(今日もまたたくさん階段を上った) 本堂 多宝塔大門・本堂・多宝塔は国宝に指定されている。(本堂・塔・大門と三つそろって国宝に指定されているお寺は奈良の法隆寺とここだけだそうだ)今の建物は鎌倉時代に再建されたそうだ。昔は色彩鮮やかだったのかもしれないが、今はひなびた趣のある感じだった。これもまたいいもの。その後、歴代藩主のお墓巡りをした。本堂の裏山の斜面に初代から15代藩主のお墓が点在している。うっそうとした木々の中を階段を上ったり下りたり枯葉で足を滑らせそうになったりしながら進んだ。木の枝や葉っぱが道にたくさん落ちていていたり、倒木で石灯篭や石の柵が壊れたりと、がずいぶん荒れた感じではあったけれど、風と木々の擦れ合う音以外の静寂の中でそれぞれの藩主が眠っている。現世からかけ離れた場所。そんな感じがした。14代が江戸時代最後の藩主で和歌山県初の知事でもある。ただ、5代藩主のお墓が無い。なぜか??それは・・・・・5代藩主は例の有名な8代将軍徳川吉宗だからであります。パンフレットに「花の寺」と書いてあるように境内にはいろんな花が植わっていた。しかし、残念ながら今の時期花は あまり咲いていない。桜の季節はさぞ美しいだろうなしかし、「ここは周囲が山に囲まれ要害堅固である」という頼宣の言葉が残っていて、万が一のときの陣地として考えられていたようだ。と、2時間ほどのぶらり散策。
2007.01.13
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坂の街・寺の街 尾道そのほかにネコの街でもあるそうな。1月3日、尾道で出会ったニャンコたち 西国寺で 天寧寺の近くで 志賀直哉旧居近くで 志賀直哉旧居近くでそしてこんなニャンコも 天寧寺近くで石に書かれた石猫(=^・^=)だけど、ネコの視線から尾道を眺めている。「招き猫美術館」の館長でもある園山さんが、この「石猫」を作り、市の許可を受けてあちこちに置かれた石猫がニャンコの視線から尾道を眺めている。
2007.01.12
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昨日のソフトは 桃のソフト今日はお茶屋さん(お茶の葉を売っているお店)で買った 豆乳煎茶ソフトこの二つの写真を見て、ソフトクリームがなんとなく滑らかでないと思いませんか?ザラザラというかいつもの滑らかなソフトクリームではありません。昨日ソフトを手渡されたとき、一瞬「あれっ?桃シャーベットやったっけ?」と思った。でも食べたらまぁソフトかなという感じ。今日もまたやっぱり・・・そのわけはこの時期だからかね?夏場ほど売れてはなさそうだし注文をすると冷凍庫?の中からパック入りのものを出してそれを器械で搾り出してねじってソフトクリーム状にした。今日のお茶屋さんでもそうだったので、お店の人に聞いてみた。「これで作るんですか?」「そうだよ、冷凍庫で硬く固まったクリームを特別な冷凍庫でやわらかくしてあるの」だって。どちらも美味しかったんだけど、ザラザラ感が見た目ソフトクリームじゃないみたい。それに、普通のパック入りのアイスを無理やりソフトクリーム風に仕上げた感じがした。やっぱりソフトクリームのあの器械から搾り出されるのがいいな。
2007.01.11
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お昼前ドライブがてら出かけたところで今年の初ソフト 桃のソフト買い物に行く途中、競技場のほうから音楽とナレーションが聞こえてきた。なんじゃろか?行ってみようと競技場へ寄り道。Wakayama policeと書いたジャンパーを着きた人が立っている。パトカーも何台か停まっている。「何があるんですか?」と、Wakayama policeジャンパーを着た人に聞いたら、やさしい声と柔らかな物腰で「年頭視閲式です」との答え。今日は1月10日 110番の日というわけでもあるまいが・・・これは行かねばならぬ。と行ってみた。すると、ちょうど部門ごとのパレードの最中で白バイの隊列が来た。なんかかっこいいです。と・・・・白バイの後ろに真っ黒けなバイクが・・・ひょっとしてこれは覆面パトならぬ覆面黒(白)バイ?パトカーのパレードもあったしもちろん覆面パトらしきものも出席?していた。パレードが終わった部門が整列。さすがきれいに整列しています。白バイがこんなに多く集まったところは初めて見た。壮観。
2007.01.10
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主人の実家から車で10分もかからない和歌の浦まで主人と行った。車で通り過ぎることはあっても降り立ったことは無かった。和歌の浦は万葉歌人山部赤人(やまべのあかひと)の歌によって全国に名を知られた。若の浦に 塩満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴きわたる昔紀ノ川は河口を和歌の浦に大きく開き、そこに小島を6つ浮かべていた。それが玉津島だとか。現在は一つを残し陸地になってしまった。万葉の「若の浦」は平安時代に入って「和歌の浦」となり歌枕の代表のひとつとなる。(玉津島神社境内にある和歌山市の表示を参照)和歌の浦にある4ヶ所を周り1. 玉津島神社 2. しお(機種依存で文字が出てこない)竈(がま)神社3. 不老橋 4.多宝塔東照宮へ(ここ和歌山は徳川御三家のひとつなので東照宮があってもおかしくはない)山の中腹に立っているのが東照宮とばかり思っていたら、そこは天満宮だった。鳥居をくぐると急勾配の階段が待ち受けていた。 下から 横から 上から階段の下や途中に「この階段は急勾配なので気をつけておあがりください。横に勾配のゆるい階段もあります」というような立て札があった。確かに急勾配でしたわ。階段を上がるとこんな風景が 天満宮の近くにある東照宮に行こうと駐車場に入ったら、駐車料金が気に入らなかったので出てきた。(罰当たり?)和歌山市!!観光といってもさほど整備されてないと思ったよ!石碑など保存状態もよくなかったのでなんと書いてあるのか読めないし、読めても文字が読めなかった。説明がもっとあるとよかったのに・・・と感じた。
2007.01.09
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尾道というとこのような場所からの写真が多い。私が小学校3年から高校3年まで住んでいた場所は尾道といっても右側のほうの向島(むかいしま)というところ。細長い流れは川ではなくて海。瀬戸内海の一部だ。その名を尾道水道という。鶴湾(かくわん)といわれるように鶴の首のように細い海。大阪の淀川べりに住んだあと、この地に引っ越してきたのだが、子供の目にもこの尾道水道が淀川より小さく見えた。 向島側の桟橋から見た尾道と、前置きは言いとして・・・1月3日古寺めぐりの途中。フェリー(渡船)に乗って行ってみた。 こんなフェリー車は前向きに乗ったら対岸ではそのまま前へ降りて行く。歩きの人は矢印の始まりの部屋へ入る。中は矢印の先のようになっている。私が高校のころ乗ったものとは格段によい。大人一人100円。渡船を降りて通いなれた道を行く。し・か・し・・・やっぱり変わっている。昔の家は数件ほどしかない。住んでいた地区へと入る。むむむ・・・なんか違う。と思ったら一つ通りを間違えていた。元に戻ってやり直し。やっぱり違う。「ちんから峠」と我が家で呼んでいた丘はしまなみ海道の道へと変身。その下にあった我が家は跡形も無かった。そしてその前に住んでいた家も然り。全然まったく面影が無い。歩いていると、目隠しをされて突然見知らぬ場所に放り込まれたようなさびしい感じになってしまった。そして昔はメインストリートだった通りは、お正月のせいだけではないと思うが閑散としていた。この島を歩いて懐かしかったけれどさびしく感じてしまった。
2007.01.08
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スーパーに買い物に行った。年末よりも異常?に車が多くなんだろう??と思った。店内で着物を着た女性やちょっと気取ったスーツを着た若者がいた。ほほう・・・今日は成人式なのか。(本当は明日だけど)そういえばこの近くには会場になるホールのようなものがあったわ。成人おめでとう!!と言いたいけれど、20歳の雰囲気じゃないのがけっこういた。なんか高校入学式じゃないか?と思うようなのが・・・って自分が年をとりすぎただけなんかな??
2007.01.07
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尾道の名物わんこ「ドビンちゃん」古寺めぐりをした前日、パンフレットを見ていて名前は知っていた。でも実際どんな犬か知らなかった。散策の途中、小さな写真館に「ドビンがお昼寝をしているなんとか・・・」と書いてあった。ふ~~ん、ここにいるんだ。と思ったけれど、見えなかった。階段を下りて振り返るとガイド犬と書いてあったけど、癒し犬でもあるようだ。ドビン(ウィキペディア)ドビンちゃんのブログ
2007.01.06
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これ何に見えます?横座りのちょっと悩ましいお姿実は今年の干支「いのしし」です。でもただのイノシシではない。イタリアからやってきたらしい。名は「ポリチェリーノ(仔ぶた)」オリジナルはイタリアのフィレンツェ市の通称「わら市場」の広場にあるのだとか。よく見ると豚イノシシの鼻の先がテカッテルでしょ?みんながナデナデするからよ。鼻をなでると「幸運に恵まれる」そうな。観光バスの運転手さんは鼻をなでると願いがかなうと言ったから、そうしたんだけど・・・まぁ、どっちでもいいか
2007.01.05
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ホテルをチェックアウトした後、出発時間まで友人とドライブに行った。「どこ行きたい?」と聞かれたので「高見山」と答えた。ここから見える瀬戸内海の風景は、私の中の瀬戸内海の原点だ。「お昼はなに食べたい?」「お好み焼き」といっても彼女もあまり食べたことが無いという。ほかの友人にわざわざ電話をかけておいしいところを聞いてくれた。そしてここへ広島風お好み焼きのスペシャルミックスa 溶いた小麦粉を薄く丸くのばしb 粉カツオ節をふりかけるc たっぷり千切りキャベツをのせるd、e スペシャルミックスなので具をいっぱいのせる エビ、イカ、タコ、肉、イカ天、もやし(後なんだか忘れた)f eをひっくり返し、その奥で中華そばを炒め、ネギをのせる。g 中華ソバの上にひっくりかえしたeを乗せ、卵を焼く。 h その卵に乗せひっくり返し、お好み焼きソースをたっぷりそして青海苔と紅生姜のトッピングで出来上がり食べきれるか心配するほどでかかったけれど、満腹すぎたけれど食べきった!!もちろんおいしかった。だけど・・・・むか~~し、むかし少女のころ食べたお好み焼きとはチト(いやぁ、ずいぶん)違っていた。
2007.01.04
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昨日の雨も上がり、ホテルを出て尾道駅前を通り古寺めぐりのスタート地点の看板の前に立った。道順を写真に写そうとカメラを出しスイッチオン。あれれ???メモリーカードが入っていませんだってさ。しょうがないのでもと来た道を戻りホテルに帰ってカードを入れなおし再出発。すでに出足をくじかれて疲れた??わたしはこんなバスに乗って一番先の浄土寺まで行くことに。そしてそこから古寺めぐりを始めた。しかし全制覇は難しそうなので、バスの運転手さんが教えてくれた「浄土寺、西国寺、千光寺の3つを見れば尾道の寺めぐりは良し」という言葉を実行しようかと・・・尾道は坂の町、寺の町と言われている。こんな坂や階段を上ったり下ったり 天満宮 大林監督の映画「転校生」で少年と少女が入れ替わるところを撮影した場所今日行ったお寺は浄土寺→(高校)→西国寺→千光寺→天寧寺(この後、別のところへ行くのだがこれはまた後日)このほかのお寺の前や境内を通ったり観光もした。浄土寺 国宝の多宝塔 西国寺 重要文化財の三重塔 しかし西国寺といえばこの大わらじ千光寺 ここはロープウエイで上った天寧寺 重要文化財の三重塔 浄土寺から西国寺へ行く途中、母校の高校があるので立ち寄った。校舎は建て替えられ、昔の面影なまったく無いけれど、校門横にある林芙美子の碑とフェニックスは昔のままの場所にあった。(なぜ林芙美子の碑かというと、彼女の母校だから)その場所は高校3年のとき、NHK合唱コンクール県大会で優勝した記念に写真を写した思い出の場所だ。ただし・・・フェニックスは伸びて伸びて・・・年月を感じさせた。と、歩いて歩いて2万歩弱かな???朝9時半過ぎから夕方4時過ぎまでですからね。お昼なし。お昼は3時に「からさわ」という手作りアイスクリームのお店でこんななのを食べたのさ。 ヘッヘッヘ・・・たまご・抹茶・ごまの3色盛りだよ。(これで260円)おいしかったですぅ。尾道まちめぐりというページです
2007.01.03
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使いたくないけれど・・・・今日は還暦同窓会だった。しかしまだまだ若いのよわたし。(つもり)第二のふるさと尾道。幼稚園から中学校まで同じ敷地内にあった。しかし、今はそれぞれ独立して別の敷地にある。私は小学校3年から高校3年までいた思い出の地でもある。今日は朝から八幡様でお祓いを受け、午後から尾道市内のホテルで宴会。地区ごとに写真を撮ったり (この写真には私はおりませんのじゃ)12:30~先ほど8;00過ぎまで。まだ残っている人もいたけれど・・・・名残惜しみながらお別れをした。思い切って来てよかった。とても懐かしい人たちに出会えたから。中には顔は思い出せても名前がわからなかったり、名前を思い出すけれど、顔と一致しなかったり・・・・残念だったのは、21名の方がなくなっていたこと。今回の同窓会を楽しみにされていたのについこの間亡くなった方もいらした。女性人は大体わかったけれど、男性諸君は昔の面影を残している人が少なくほとんどわからなかった。宴会では名札をつけて、あぁ、誰だだれさんだとか誰々君だとか懐かしい名前を見つけたり。楽しかった!!!だんな様、来させてくれてありがとう。
2007.01.02
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夕方、尾道に着いた。小3から高校卒業まで住んだ尾道。第2の故郷といっていいほど懐かしいところ。33年ぶりに乗った山陽新幹線。その当時はまだ岡山までしか開通していなかった。福山で新幹線を降り在来線に乗る。昔は、林芙美子の「海が見えた。・・・・」のとおり、尾道に近づいて海が見えると感激したものだったが、今回は車窓の風景が変わっており、感激より驚きのほうが大きかった。尾道の駅を降りても然り。まぁ、時代が変わったといえばそれまでだが。ホテルに着くと同時に友人がホテルに現れた。20年ぶりの逢瀬?積もる話をした後、急遽友人のお宅へお邪魔することになった。こんなにテーブルにお料理がならぶ(すべて手作り) 場所はここ そう、友人のおうちはお寺さんなのだ。そして・・・・生まれて初めて食べたこれ。 何だと思います???実は・・・ふぐの白子クリーミーでとろけるようでおいしかったぁ!!!!
2007.01.01
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あけましておめでとうございますいよいよ年女の年のはじまりぃ!!この先どう生きていくか・・・ちょっとはまじめに考えんといけんかな??今年もどうぞよろしくお願いいたします。今日はこれから尾道へと出かけます。
2007.01.01
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