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通常、有馬温泉から宝塚に行く時は蓬莱峡を通る事が多いが、昨日は時間があったこともあり名塩経由で宝塚に向かった。途中以前から気になっていた名塩和紙会館に立ち寄った。国道176号線に面した所にあるのだが、休館かな? と思うほど人気がなく電気もついていない。パンフレットだけでももらって帰るか・・・と置いてあるパンフに手を伸ばした時に事務所の扉が開いて係員が出てきた。「名塩和紙の歴史を見たいのです」と伝えると、スリッパを出してくれて二階に案内してくれた。ドアを開け、室内灯を付けて空調のスイッチを入れてくれた。係員はバツが悪そうに「節電なので温まるまで少し時間がかかります。紹介ビデオは15分ぐらいですがご覧になりますか?」びっしり15分名塩和紙の製作過程を勉強させて頂いた。展示室内には名塩和紙の歴史年表。名塩和紙に関する本等の資料類。そして全国の和紙のサンプルが入っているのだろうか和紙辞典等の本がショーケースに入れられている。そうそう和紙の製造過程の途中の状態の品々も展示してあった。有馬温泉と名塩は歴史的にも関係が深い。昔は宝塚から有馬温泉に来るルートその途中に名塩はある。文明15年。山科本願寺を建立したちょうどその時。長男を亡くした心の痛手も癒す為に蓮如上人は有馬温泉 御所坊に逗留した。当時は宝塚から蓬莱峡、船坂を越えるルートを通られた。しかし文明7年。蓮如上人が名塩を通り、その時の付き人が名塩で寺を開いたのがここの歴史だという。名塩和紙のルーツは越前。蓮如上人の越前の吉崎御坊と関係があるのか!?少し興味が湧いて来た。あ!秀吉の有馬三名水の一つが名塩でなかったっけ?1階に下りると体験教室の扉が開いていたので見せてもらった。体験プランの一つに良いと思って、写真を撮らして頂いた。新たな有馬温泉の着地型商品が出来上がるか!?と思ったのだけどいくつか課題がある。体験費用は西宮市民とその他と倍の料金格差がある。確かに西宮市の税金で赤字を補填しているのだろうと推察できる。でも倍の価格でも体験費用としては妥当だと思う。問題は2ヶ月前からの予約。講師の手配もあるだろうが、問い合わせが入った時に出来る、出来ないの対応に変えられないのかと思った。そうでないとなかなか紹介も出来ない。しかし名塩和紙には興味が湧いて来たので、今後調べる事にしよう!
2013.01.25
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お湯の中にも花が咲く「♪有馬よいとこ一度はおいで お湯の中にも花が咲く チョイナ チョイナ」私は関東に育ったので、この歌の初句は「草津よいとこ・・・」とばかり思っていた。ところが関西に来ると、草津が有馬になっている。さあこうなると、どちらが本家かわからない。だが、これまで本家争いの話も聞いた事がないので、いもりの黒焼きの本舗のように、どちらが元祖であっても、いっこうに差しつかえはあるまい。さて、この花。古池に清く気高く静かに浮かぶ睡蓮の花のように、また泥沼から出てけがれなく美しく咲く蓮の花のように、茶褐色の色も濃い湯の池に浴する美形を眺めて、かくは形容したものであろうか。あるいはいろいろな化学沈殿物の推積した湯の花のことをいうのであろうか・・・。有馬にきて、それも、やっと数年前にになって、ようやくその意味がわかった。さて、有馬温泉の効能は、といえば、アイヤお立会い、と来ねばならないが、古来から婦人の温泉といわれ古書にも「舒明天皇の皇后宝皇女に御子ましまさざるを嘆かせ給い、帝に従い有馬に行啓ましましいかば、ほどなく皇子御降誕あらせられ、御名を有間皇子と命けさせ給う」とある。したがって不妊症の婦人の来湯するもの非常に多く、わんさわんさと押し寄せた。だが中には余りにもあせり過ぎて、入浴中に行動を起こすやからも出たと見え「然れども子を求めんとて、入浴中に夫婦同会することは注意すべきなり。その心底なくして入浴するときは却て害あるも効なし」と、ものの本に書かれている。恐れ入ったる警告である。明治十六年真部医正の書いた有馬の「温泉入浴十五則」中に、一、子宮病のある婦人は器械を湯宿にて借用すべし・・・とある。この器械、木製の刳(くり)物で黒漆塗りの、時には金蒔絵を施した見事な工芸品である。長さは約15cm、太さは大小数種、婦人科医の使用する管状膣鏡の形で、側面に数条のタテ窓をあけたもの。名付けて"竜?"、また"隠し漏斗"ともいう。 ※注-1近代医学でも熱性膣洗滌法に使用するガラス製の"ドウシェー"と呼ばれるものがあるが、全く同一原理に基づくものである。その昔、すでにこのようなすぐれた医療器具が有馬で使用されていたことは全く驚嘆に価する。有馬の湯がかちえた"婦人の温泉" "必ずはらむ温泉"の名声もあるいはこの器具におうところが多かったのではなかろうか。この竜筒は大阪の医師、柘植竜州の考案によるもので、自らも不妊の婦人を同伴して実験し、一子をもうけている。この名器が影をひそめた原因の一つとして、私はお湯の中にも咲く花の運命に関連があったと思う。むかい、婦人が入浴する場合は、現代人のように素裸ではなかった。つつましく必ず腰に大幅の布を巻いて入ったものだ。だから、これを湯まき、湯文字といった。有馬の湯は、いまでいう大衆浴場であったろうし、あるいは混浴であったかもしれない。婦人が湯に入るとき湯文字がまくれ上がってはと、その湯文字の裾に一文銭を縫いこんでオモリとした。だからお湯に入ったとたん投網のようにパッと開いて沈んでいった花もあろうし、あるいはその中に空気をはらんで、いつまでも美しく浮かんでいた睡蓮の花もあろう。さて、この花の陰にかくれて、しのびやかに挿し入れられた器具も、素裸で入るご時世となっては、もう万事休す。姿をかくすところもない。やむなくその運命をゆく春の花のいのちとともにしたのであろう。「五十一年の医療生活中から拾あげた珍談奇談集 婦人科半世紀のメモより「百一夜ものがたり」 医学博士 中野 理明治31年新潟五泉市生まれ。東京独協を経て愛知医専卒、盛岡日赤病院医長、神戸市立産医長、市民病院の医長をされた方で、第二次世界大戦中、有馬温泉に市民病院の産科が移されていた。中野さんは有馬の名士であって色々な本も出版されていた。縁があって中野さんの邸宅を購入する事になり、その家を改装して現在御所坊の従業員の寮として使用している。※注-1 隠し漏斗は有馬温泉資料に図が掲載されており、30年程前に前念仏寺の住職がテレビで有馬の温泉の効能を話をする際、私が隠し漏斗を再現した事がある。その隠し漏斗はヒョウタンの上の部分を切り取って内部を黒漆でなくプラモデルのカラーを塗り、ヒョウタンの表は彫刻刀で龍を掘った事がある。また、群馬県の伊香保温泉にある温泉資料館で、この隠し漏斗を見つけた。現在でも展示されていると思うが、有馬では残念ながら見る事が出来ない。
2013.01.18
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昨日、有馬温泉の飲食店や物産店の新年会で有馬温泉病院の事務長と歓談した。話のきっかけは今度 たけしのみんなの家庭の医学という番組が取材に来る。日本一塩辛い有馬の温泉は足腰のリハビリに効果があるか!?という実験をするという。もちろん有馬温泉病院にもも取材の問い合わせがあったという。新年から有馬の温泉の効能や特殊性を取り上げて頂く機会が多い。しかいs事務長との話は温泉の泉質で病気は治るという事はない・・・という話だった。もちろん普通のお湯よりは温める効果はあると言うが泉質そのものでは病気は治らないという。それよりも温泉に入る事で、交感神経を刺激したりする事で、治る事がある・・・・・・治らない事もある。まだその成果が出ていないからうかつに言えないという。その点ヨーロッパの方が進んでいる。その中で、新潟の安保徹先生の話が出た。早速インターネットで調べると、賛否が分かれている。ようは身体を温めれば免疫力が増し、病気が治るというものだ。それが本当かどうか、どの病気に効くのか!? …となった時に効いた、効かないの話になってしまうのだろう。しかしアーユルベーダーの食事では身体を温めるものを食べるし、食事の最初に生姜を食べる。生姜は身体を温める事は周知の事実。ドイツなどでは、人間の体温と同じ空間に長くいる部屋がある。人間は恒温動物だから自分の体温より高いか低いとエネルギーを消費するが、同じだとエネルギーを使わなくて済む。その為に免疫力にエネルギーが使えるという。そう言えば三寒四温の季節の変わり目に亡くなる人が多いと思うのは医学的根拠がないのかもしれないが、身体の調子を悪くする事がある。温泉を生業にしている者にとっては身体を温めると良い!という主張に票を投じたいと思う。まだまだ寒い時期が続きます。温かい温泉で日頃の疲れを癒すのは如何でしょうか?
2013.01.18
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1月2日、有馬温泉恒例の入初式(いりぞめしき)が行われた。 今年は神戸大学の留学生が沢山参加してくれ、天気が良かったのかお客様も多く賑わいを見せた。留学生たちは主に北米、中央アメリカそしてヨーロッパからの学生が多かった。そして日本語や歴史・文学を学ぶ学生が多く、喜んでくれたように思う。彼らが発信する事で有馬温泉の魅力が少しでも多く、海外に届くとありがたい。式の最後に園田学園の名誉教授、田辺眞人先生が少し歴史の話をしてくれた。その中で「“湯”という言葉は世界中で少ない!」という話をされた。前に座っているフィンランドの留学生はうなずきながら聞いていた。先生の話は温泉から湯、そして漢字の訓読みの始まりの話だった。まず“湯”は「湯につかる」「湯をポットに入れる」等に使用するが、熱い水とか沸かした水とは言わない。でも外国語には少ない。そして湯という漢字のある中国でも“湯”を湯という意味では使わず、温かいスープだ。確かに湯麺(たんめん)という。カミナリが起こった時に、日本人が中国人にどういうのか?尋ねた事があったのだろう。その時、“雷”と書いた。本来の日本語の意味からいうと“神鳴り”だったのに。この様に出来たのが「訓読み」だという。湯の場合は中国で無かったので、近いスープの意味の“湯”をあてたという。そういえば年末、中国の大きな発明の一つが漢字だという特集番組があったなあ。式が終わり行列が温泉街を戻る頃、ポーランドから来た学生が「ポーランドには湯というものがあるよ!」と教えてくれた。言葉は忘れたが、シャワーを浴びる時は“あたたかい水”という意味の言葉を使い、お茶のポットに注ぐ時は“湯”の意味の言葉を使うという。すごいと思ったのは彼女達が田辺先生の言葉を完全に理解していたという事。そして色々な国の人達が集まると、面白いと改めて思った。“湯”という言葉はどうやら東欧には存在しそうだ。その後、お寺で直会を行った。留学生たちにバラバラで座ってもらったが、皆有馬の人達と歓談していた。有馬の国際化のカギが、又すこし開いたと感じた時だった。
2013.01.03
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