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いよいよ広島原爆展開催初日。私達広島出身者4人以外にも、たくさんの協力隊員が手伝いに来てくれた。ありがたいことである。早速、問題が起きた。何事もお金がかかるので、会場テントを、ペプシから無償で貸してもらうことになっていた。しかし、そのテントが4つのうち2つしか来ていないのだ。とりあえず、ペプシと連絡を取ってなるべく早く持ってきてもらうようにお願いした。会場の設営に取りかかる。あらかじめ配置設計図は書いておいたが、テントが2つとなると、配置を変更しなければならない。試行錯誤しながら、こうがいい、ああがいいと話し合いながら進めていく。展示会場はレオン、ニカラグアを代表するカテドラル(教会)の真ん前だ。このカテドラルは将来は世界遺産になってもおかしくないほど、偉大で、そんな目の前で出来ることは凄くうれしいことである。展示パネル等を並べ始めると、まだ開始時間の10時になっていないにもかかわらず、人が集まり始めた。今回の広島原爆展の内容は、・原爆ポスター展示(30枚:平和記念資料館より寄贈)・ビデオドキュメント上映(「母たちの祈り」:平和記念資料館より寄贈)・映画上映(「はだしのゲン」:日本大使館より)・折り鶴(原爆展終了後、広島へ)・メッセージノート(原爆展終了後、広島へ)・現在の広島の写真展示である。みんな熱心にポスターを見ている。ポスターについていろんな質問をしてくる。30分ごとにビデオ上映を行うが、毎回椅子が足りないくらいたくさんの人である。折り鶴の机は、いつも人がたくさんで、みんな自分の折った鶴を持って帰りたいにもかかわらず、これは広島に贈るんだよと説明すると、快く承諾してくれる。メッセージノートに、原爆展を見ての感想を書いてもらう。みんなノートにギッシリと書く。1ページでは足りず、次のページへ。7,8歳のことも達も、それぞれの思い思いの気持ちを、ギッシリとノートに書いてくれた。公園なので、みんな通りがかる。立ち寄ってくれる。普段は1ペソくれとせがむことも達。そんな子供達も、みんなそれぞれの視点で見ている。誰にでも見て欲しい。誰にでも知って欲しい。原爆のこと、広島のこと、日本のこと。少しでも多くの人に知って欲しい。夜7時からの「はだしのゲン」映画は、残念ながら大雨のため上映できなかった。今日の広島原爆展は予定の夜21時より早く、幕を閉じた。疲れてもたくさんの人が来てくれたこと。それがとてもうれしかった。明日の映画上映は晴れると良いな。広島原爆展の写真は、http://www009.upp.so-net.ne.jp/granblue/fotodebomba.htmこの広島原爆展の内容が以下のサイトに記載されています。河北新報社http://www.kahoku.co.jp/news/2004/10/2004102101001133.htmYahooニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041021-00000089-kyodo-soci中国新聞ニュースhttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn04102210.html
Jul 31, 2004
朝、パソコンの見積を取りにコンピュータショップに行った。メーカー製のパソコンを購入するため、DELLの担当者に会いたかったが、あいにく外出中であった。 担当者と連絡がついて10分で戻ると言ったのに、1時間待っても結局来なかった。思えば、この時から不運は始まっていたのかもしれない。(これについては、今後の日記で…) さて、午後からJICA事務所で中間発表なるものがあった。これは、隊員が2年の任期の折返し地点(つまりは1年)で、自分がどんな活動をしているかを報告するものである。 本来は、この中間発表。私の赴任は4月だったので、今年の4月に行う予定であったが、JICA事務所の都合により7月になった。 30分の持ち時間で、私はPowerPointを使って、自分の生活、活動等について報告をした。 正直、この中間発表の報告のために時間を費やしたくなかった。報告ということも大切であるが、私には明日からの広島原爆展の方がもっと大切であった。 なので、この中間発表も1時間くらいで資料を作成し、30分間自分の活動について話した。 自分の番が終了したので、荷物をまとめてレオンに帰った。明日の原爆展に向けての準備である。 広島原爆展の初回は、私の任地「レオン」の中央公園で行う。 幸い、私の配属先「レオン市役所」の協力も得ることが出来た。 レオンに到着し、早速、先発隊で来てくれていた広島出身者隊員達と合流する。 彼らがもう既に、掲示板にポスター等を張って準備に取り掛かってくれていた。 20時ごろまで準備をして、夕食を一緒に食べに行った。広島出身者隊員4人。 明日からの広島原爆展の成功を祈って、4人で乾杯をした。 「たくさんの人が来てくれますように!」
Jul 30, 2004
明日JICA事務所で中間発表なるものがあるので、午後からマナグアに向かう。マナグアに向かう前に、カタリーナという女性の家に寄った。彼女はTシャツを作る仕事をしている。今回、広島原爆展開催時に、スタッフTシャツを作成することにした。デザインは友人の同期隊員にお願いした。Tシャツデータを彼女のところに持っていけば、Tシャツを作ってくれると職場の人から紹介されたので、彼女を訪ねてみた。彼女にTシャツデータを渡す。枚数は30枚をお願いし、一枚35コルドバで次の月曜には出来るというので、お願いした。一枚35コルドバと言うと、日本円で250円くらい。ニカラグア街中で売っているTシャツの平均相場である。さて、レオンを後にしマナグア着。連絡所に寄る前に、スーパーで夕飯の食材を買う事にした。偶然、隊員とスーパーで会った。一緒に夕御飯を作ることにし、何を作ろうか考える。と。ひとつの食材が目に飛び込んできた。魚丸一匹。50センチくらいある。値段は1000円くらいで高めであるが、まだ新鮮である。こんな魚、ニカラグアでは滅多にお目にかかれない。そもそもニカ人は魚を食べない。生魚なんてありえない。魚があったとしても、汚染された湖の魚だったりする。ってことで、みんなの意見一致で「ソッコウ買い」になった。私は、魚のさばき方を駒ヶ根訓練時代に1度だけ習ったが、あまり良く覚えてないので、魚屋修業経験と洋食屋修業経験のある隊員たちに任せた。今晩のメニュー。刺身。あら焼き。寿司。刺身なんて何ヶ月ぶりだろうか。ニカに来て、一度しか食べたことが無い。修業経験のある隊員たちは、手際よくドンドン魚を下ろしていく。すごい…。そして完成。完食。あ~うますぎ。日本食バンザイ!魚バンザイ!幸せな食を堪能した夕食であった。
Jul 29, 2004
昨日は結局バカKodakのせいで、マナグア泊となったので、朝、レオンに帰った。さすがに、朝マナグアから移動してそのまま仕事へ向かうのはしんどい。今、家にはスペイン人とイタリア人のカップルが泊まっている。そのスペイン人が、今日誕生日ということで、夜誕生会があり、それに招待された。こぢんまりした誕生会であったが、手作りのケーキが並び、フィンランド人、メキシコ人、スペイン人、イタリア人などインターナショナルな誕生会であった。彼らは国連ボランティアでこのレオンに来ているとのこと。レオンで働いているボランティアは、スペインのボランティアか、国連ボランティアがほとんどである。フィンランド人が、食事が終わるとガム(もちろんキシリトール)をくれた。彼女はいつも持ち歩いてるとのこと。さすが歯の国?フィンランド。
Jul 27, 2004
土曜日にKodakに出したデジカメデータの現像が今日出来る予定だったので、午後Kodakに出かけた。引換書を店員に渡す。店員が私の写真の袋を探している…。店員:「まだ出来ていない」私:「はっ?」今の時刻は午後2時である。引渡時刻は午前11時となっている。なんで出来てないの?なんて質問はしない。やってないものは、やってないと答えるだけである。私:「何時に出来るの?」店員:「夕方6時」私;「はっ?」今、午後2時である。何で写真6枚の現像に、あと4時間もかかるのか?!そんなの夕方の6時では遅すぎてレオンには帰れない。ブチ切れた。文句を言いまくった。写真は1時間後の午後3時に出来ることになった。それもムカつく。1時間でできるんじゃん!なんで先週の土曜日からそんなに時間がかかるんだよ!仕方ないので、近くで時間をつぶすことにした。といっても、日本みたいに本屋も喫茶店も無いのだが…。午後3時半(当てにならないので予定より30分遅く到着)、店員に引換書を渡す。店員は「できたぞ見てみろ」と言わんばかりの顔をして、写真を持ってきた。袋から出してみる…「はっ?」考えられないことが起こった。私は写真6データの現像を依頼した。広島原爆展で使用する「現在の広島の風景」や「広島城」の写真など計6枚。それが、できた写真は「広島城」の写真が6枚。全部同じ写真「広島城」が6枚現像されているのである…「広島城」「広島城」「広島城」「広島城」「広島城」「広島城」おーい。どうやったらこういうことになるんだよぉ~あきれた。と同時にまた切れた。店員が30分待てと言う。ここしか現像できるところも無いので、仕方が無いので30分待つことにした。おい、1時間じゃなくて30分でできるんじゃないか!またムカつく。30分後。やっと要求どおりの写真を現像してきた。午後2時に来て、現在4時半。なんで、高々6枚の写真現像ごときに、こんな労力と時間を費やさなければいけなかったのだろう…と考えると、情けなく、腹立たしかったが、その気持ちを何処にもぶつけることが出来なかったのが、もっとムカついた。これがニカラグアの一流企業なのか?はぁ…。今日、レオンに帰ることができなかった。
Jul 26, 2004
夕方、ニカ人の家に遊びに行った。ボルトガル産ワインが出てきた。超うまい。 そのニカ人はお酒が大好きらしく、いろんなお酒を持っていて、毎回披露してくれる。スコッチウィスキーや世界各国のワイン、オレンジリキュールなど。 で、そこで恋愛の話になった。 そこにいる女の子があるニカ人に恋をしている。彼女と彼の関係は、いい感じで、良く家を訪ねたりしている。 女の子は彼と恋人関係になりたいのだと言う。男の子の方からは、特に反応は無い。 彼女にとっては、「Pareja(恋人)」という関係がとても重要。だから、彼の恋人になりたい。彼に「私の恋人になって」と言いたい。 そう話していると、友人のニカ人がこう語った。 「恋人」っていう言葉や形って、あとからついてくるものじゃないかな。 彼女が彼を思っていて、2人の関係がうまく言っていれば、それは時がたてば自然と恋人っていう形に変わっていくものだよ。 だから、彼に「あなたの恋人になりたい」って言うんじゃなくて、彼と今の関係が続いて、お互いにいい関係が保てれば、それが「恋人」ってことになるんじゃないかな。 だから、言葉や形に囚われすぎるのはどうかなって僕は思うんだ。 そうかもしれない…。私も言葉や形に囚われやすい方かも知れない。今日はお酒を片手に、いい話を聞いた。
Jul 25, 2004
朝から原爆展の打ち合わせ。今日は、ポスターを展示する掲示板に白いペンキを塗らなくてはならない。展示するポスターは、広島平和記念資料館から寄贈頂いた30枚のポスターである。もちろんスペイン語。これら30枚のポスターを貼るには、かなりの掲示板が必要で、掲示板はJICAニカラグア事務所から貸して頂いた。ただし、色が塗ってなく、木目が汚いので、白く塗ることにした。全部で約15枚の板にペンキを塗らなくてはならないが、原爆展の打ち合わせもあり、両方同時にも出来ない。そんな時、何人かの隊員がペンキ塗りを手伝ってくれた。ありがたい。この広島原爆展。広島出身者の4人が中心で動いているが、いろんな人の協力あってここまで動いている。本当に感謝感謝。午後はKODAKという写真屋に広島原爆展で使用するデジカメ写真現像用のデータを持っていった。電話で確認して30分で出来るというので持っていったのに、現像機械がこれからメンテナンスにはいるので、今日はできないので、月曜日にしか出来ないと言う。こういうところが、日本と大きく違うところ。サービス精神が無く、お客を客と思っていない。一度で済むことが、企業側の勝手な都合で、もう一度来なくては行けなくなってしまった。仕方がないので、月曜まで待つことにした。
Jul 24, 2004
午後、マナグアに移動する。広島原爆展まであと一週間となった。この広島原爆展は、ニカラグアの3地方4ヶ所で7月31日から8月15日まで開催予定である。開催場所は、7月31日(土)、8月1日(日):レオン レオン中央公園8月7日(土)、8日(日):グラナダ Casa De Los Tres Mundos8月14日(土):マナグア Universidad Centro Americana(UCA)8月15日(日):マナグア Metro Centroとなる。会場詳細については、今後説明することとして、今日は8月14日(土)に開催予定のUCAのリハーサルである。UCAはマナグアにある私立大学で、隊員の日本語教師が、この大学で日本語を教えている大学でもある。UCAでは、・原爆ポスター(30枚)展示・ビデオドキュメント「母たちの祈り」上映・折り鶴・メッセージノート記帳・映画「はだしのゲン」上映等を行う。実際に会場で、スクリーンは見やすいかどのように展示物を配置するかなどの確認を行った。グラナダの会場と、UCAの会場では、日本人によるバンドの出演もある。今回は、客の呼び込みと言うことでこの原爆展に参加してもらった。正直言うと、私はこのバンドの参加には反対である。このバンドは、原爆展では5曲程度(ロックや沖縄の曲)を演奏するという。確かに、普通の展示会等であれば、客呼び込みに、しかも日本の曲を歌うバンドなんて興味あるし良いと思う。でも、今回は広島原爆展である。扱う内容が明るいわけではない。どちらかというと重い内容だし、来た人にはきちんと見て欲しいし、きちんと受け止めて欲しいと私は思う。だから、正直私はこのバンドの参加には反対であった。でも、この原爆展開催メンバー4人(広島出身者)のうち2人がこのバンドメンバーなのである。仕方ないでは済ませたくなかったのだが…
Jul 23, 2004
大学生は今日から冬?休みに入ったようだ。同じ家に部屋を借りている学生は、休みのため自宅に帰っていった。元々の配属先の要請の一つに、・市役所内のインターネット導入がある。私の配属先(レオン市役所)には、前任者の方が社内LANを構築されたが、インターネットはまだ導入されていない。この市役所、特に私の配属先(情報処理課)にはインターネットが必要であると思う。理由はいくつかあるが、・ドライバ類の最新データ入手先・職員の知識向上この2点が大きい。初めの、ドライバ類の最新データ入手先であるが、ニカラグアのコンピュータはほとんどが「クローン」と呼ばれる、パーツの寄せ集めである。そのためよく故障するし、OSの再インストールをする機会も多い。パーツの寄せ集めなので、パソコン購入時に、ドライバーCDが付属しているはずなのだが、ニカ人はこれをすぐ無くしてしまう。そして、OSの再インストール時に、ドライバーCDが無いので、OSの再インストールがうまくいかないことが多い。そのためにも、インターネットを利用して、OSの再インストール時に、ドライバーCDの代替となるドライバデータをインターネットからダウンロードできれば、この問題も解決しやすくなる。2点目の、職員の知識向上であるが、ニカラグアには本屋というのがほとんど無い。あっても、高価すぎて一般人は購入できない。私達は、多くの知識を本や雑誌から吸収することが出来るが、その本を目にする機会はほとんど、ここニカラグアではないのである。しかし、インターネットがあれば、知りたい情報を、多くの情報の中から的確に見つけることが出来る。電子図書館のような物である。現に、ニカラグアの学生は、インターネットを使って、宿題等の調べるものをする機会が非常に多いようである。で、前置きが長くなったが、市役所へのインターネット導入のための予算なーんてあるはずがない、市役所には。そこで、市役所内にインターネットカフェを設置し、そのインターネット回線の半分は市役所の職場に、半分はインターネットカフェに。そして、得たインターネットカフェの収益で、インターネットの月額費用を払っていこうと考えている。そのためにも、まずはインターネットカフェの市場調査から始めることに。市民がどれくらいの頻度でインターネットカフェを利用し、どれくらいの満足度を得ているのか、そしてどれくらいの金額設定が適正なのか。約15項目に渡ってアンケートを作り、今日から情報処理課職員と共に、市場調査を始めることにした。
Jul 21, 2004
昨日に引き続き、なんと今日も映画を見に行くことになった。今日は、同期隊員と。見る映画は「Hombre de Arana 2」。邦題は「スパイダーマン2」。前作「スパイダーマン」の時も思ったが、日本ではあまりスパイダーマンって有名じゃないし、人気でもないが、アメリカやここニカラグアでは結構有名みたいだ。おもちゃ売り場に行ったことがあったが、売り場の1コーナーがスパイダーマングッズでいっぱいだった。炭酸飲料やファースイトフード店といろいろタイアップもしているようだ。で、肝心の中身の映画だが…。点数的には50点。まず、映画館がうるさい!これは、スパイダーマン2のせいではないが、子供は騒ぐし泣くし、親は注意しないし、携帯は鳴るし、平気で人の前を堂々と横切るし…。集中して映画を見る環境ではない!しかも、正直映画が気持ち悪かった。悪役はタコ足のような機械に乗っ取られて、スパイダーマンと戦うのだが、その姿がグロッキーすぎる…。観客を気持ち悪くさせるのは、ある意味映画からすれば成功なのかもしれないが、私は悪役の姿が気持ち悪くて、何度が映画館を出ようかと思ったくらいであった…。そう言えば、小さい頃親に連れられて「E.T」を見に行ったが、あのE.Tを見て、私は気持ち悪くなってトイレで嘔吐したのを今でも鮮明に覚えている。ちょっとあの外見は、私には衝撃が強すぎた。内容を理解するよりも、あの衝撃だけが心に残ってしまった。そのとき以来、あの映画館の臭いがダメになった…。(最近はシネコンになって、映画館も少しは綺麗なのだが)昨日から連続3本映画。もうしばらくは、映画はイイや。
Jul 19, 2004
朝、ニカ人と映画を見にでかけた。マナグアの映画館は、朝見に行くと少し安い。夕方16時までにはいると、35コルドバ(250円)。それ以降は45コルドバ(320円)となる。ニカラグア人は、土日の朝はあまり動きたくないのだろうか。人も少ない。見た映画は「Shrek2」。http://www.shrek2.jp/index2.html全てCGで作られたアニメで、ニカラグアに来てから前作の「Shrek」も見た。サスペンス物やラブストーリー物と違って、単なるお笑いコメディーアニメだったので、スペイン語も理解しやすく、ゲハゲハと笑える楽しい映画だった。私は前作よりも、Shrek2の方がお勧めかな。お昼は友達の家に戻って、お好み焼きを作った。やっぱり決め手は「おたふくソース」に限る!http://www.otafuku.co.jp/当然ニカラグアにおたふくソースなんぞ無いので、時々日本から送ってもらっている。ニカ人はすっごいお腹がすいているというので、たくさん作ったら、たくさん余ってしまった…。お好み焼き。見た目よりお腹が膨れるからなぁ…。夕方、ニカラグアではサンディニスタ革命記念日として、マナグア市内の広場で催しが行われるとのことで、私達も広場にでかけてみた。残念ながら催しは明日に延期のようなので、どうしよう?と友達と話して、結局また映画館にでかけた…。今度は、「Acechada(スペイン語)」というサスペンス映画。日本では、Twisted(ツイステッド)という題名らしく、10月9日から公開されているらしい。http://twisted-movie.com/点数的にはShrek2が面白すぎたので、70点くらいだろうか。最後の最後まで、犯人が誰かわからない展開には、ドキドキさせられる。でも、よーく宣伝ポスターを見れば、なるほどな…って途中で気づくかもしれませんが…(私は気づいてしまった)昔から思ってたんだけど、サスペンステレビとかよく好きで見ていて、出演者の順によって、誰が犯人かだいたいわかってしまう…。例えば、始めに名前が出てる人はもちろん主役。2番目の人は、主役の仲の良い共演者。そしてその後にある人は…。だいたい犯人だったりしちゃうのだ…。ま、わかってても見てしまうのが、サスペンスなんですが…。ってことで、今日は結局一日に2本も映画を見てしまった。日本で1日に映画館で映画を2本も見たことなんてなかったから、結構疲れた。
Jul 18, 2004
16時頃マナグアに到着。連絡所ではまだ幹事会の話し合いをやっていた。幹事会とは、隊員の中から代表で何人か選ばれた人達が連絡所等で抱えている問題を解決するための打ち合わせみたいなものである。私も幹事会の一員である。でも、最近幹事会がとことん嫌である。この2004年7月から、協力隊員が休息する連絡所は隊員の運営に任せると1ヶ月前にJICA側から通知があった。今まではJICA事務所管轄だったので、電気も水道、その他維持費は全てJICA事務所持ちだった。それが、急に今年7月からは全て隊員で負担して運営しろとのこと。JICA予算削減のため、こんな所にしわ寄せが来ている。もっと減らす所は別にあると思うんだけどなぁ…。まぁ、急に1ヶ月前に隊員側に通知されても、隊員だけで運営するのにはいろいろ取り決めが必要である。それを幹事会が話し合って決めようとしているのだが、何度集まってもなかなか決めることがたくさんあって、決まらない。何時間、何日、幹事会の集まりのために時間を割けばいいのだろうか…。そう言うわけで、最近幹事会が嫌になってたわけである。さて、原爆展の打ち合わせもあったためそれに参加し、その後、ニカの友達の家に行った。友達がこれから出かけるので付いて来て欲しいと言われ、車で出掛けていった。どこに行くのかと思えば、お葬式だった。誰かが死んだらしい。そこで友人は話し込んでいた。彼は弁護士なので、なんか遺産のことでも話し合うことがあったのであろうか。その後、別の家に行くというので一緒に付いていった。人里離れた、暗い道を進む。時間は夜21時頃。真っ暗だ。しばらく進むと一軒の家があった。家の中から、10人くらいのチンピラみたいなのと、彼らの彼女達であろうか。わっと出てきた。友人は彼らと1対15くらいで喋っていた。おいおい、大丈夫かよぉ…(@??????@)正直怖かった。どういう内容を話してるのかは聞こえなかったが、明らかに襲われたら、彼1人では勝てる相手ではなかった。結局折り合いは付かなかったようだが、話し合いは終わったようで、友人宅に戻った。何の話し合いをしたたのかを聞くと、チンピラ達が以前、彼(弁護士)の家に遊びに来たらしいが、その際に、家の中のいろんな物を盗んで帰ったらしい。石けん、歯磨き粉、シャンプーから、写真までいろんなのもを。私には何のために持って返ったのか良くわかんなかったし、(特にたくさんのアルバム写真など)人の家の物を平気でもって帰るなんて、凄く気味悪かった。
Jul 17, 2004
日本から荷物が届いた。お願いして日本から送ってもらった荷物である。部屋のあそこにある、これとあれとそれを入れて送ってほしいとメールを出した。ニカラグアの郵便事情は比較的良く、早ければスモールパケット(航空便2キロ以内)で日本から5日でニカラグアに届く。荷物が届くと本当にうれしい。わくわくしながら荷物を開けた。本当に頼んだものしか入ってなかった。おいおい…。気を利かせてもっと他の物を入れてくれなかったのかよぉ-。まぁ仕方がない。2キロ以内に制限するのに、かなり大変だったらしい。やはり荷物が届くとうれしい。別に私は怪しい人ではない(と思う)が、この荷物がつい5日に前までは日本にあって、親愛なる人が詰めてくれたんだと思うと、一層うれしさが込み上げてくる。荷物を開けたときの詰まっていた空気に何かを感じた。うまく言葉では言い表せないが…。懐かしさと愛しさと…。さぁ、あなたも荷物を送ってみませんか?お問い合わせはfourseasonsjapan@yahoo.co.jpまで
Jul 14, 2004
原爆展の打ち合わせのため、毎週末マナグアに上がっている。 もう原爆展まで1ヶ月を切った。準備も追い上げてある。 午後打ち合わせが終わって、同期の友人とFridaysというファミリーレストランに出かけた。 このファミレス、日本にもあるらしいが関西圏では目にしたことがない。 日本でファミレスは食堂感覚だが、ニカラグアでファミレスは超高級である。 子供たちに「じゃぁ今日はファミレスに行くか!」な-んて言うと、子供は大喜びでハシャギまくる。 私は、「え-ファミレス?」と思いながらも、Fridaysに友人と出かけた。 雰囲気はよい。入口で待っているお客さんもいる。 とりあえず窓際の席に座って、メニューを広げた。 ゲッ、高い…。 どれも高いんならと、奮発してお肉を注文することにした。 30分位してお肉が出てきた。ま、30分ならニカラグアでは上出来である。1時間かかるところなんてザラである。(日本じゃ精々20分って所だろうか…) かわいいお姉さん方がお肉を持ってきてくれた。4人ともお肉を頼んだ。 さぁ、食べてみると…。 肉が…肉が…冷たい…。 4人分の料理を一緒に持って来ようとしたからだろうか。4人分とも料理が冷えている。 別に出来たもの順に持って来ればいいのに、変なところに手間をかける。そのせいで肉がどれも冷たい。これで350コルドバかよぉ-!!! 350コルドバと言えば、超超超高級料理である。日本円で換算すると、350 * 7 = 2450円であるが、物価差5倍を考えると、約1万2千円の肉になる。 あ-。こんな冷たい肉に350コルドバも払うんだったら、ニカ飯1食20コルドバを20回近くも食べれたのに…。 変な換算をしてしまった。 でも、もう2度とこない、ここには。そう誓った夕食であった。
Jul 10, 2004
先月体調が悪かった。原因ははっきりしなかった。 その時にレオンの病院にもいった。病院といってもこちらではClinicaと言って、診療所と言った所だろうか。 その時はうちの大家もちょうど病気だったので、その診療所に連れて行かれた。 診察が終わったら、お金は来週の月曜に来たときでと言われたので、その時には診察代は支払わなかった。 次の月曜には首都マナグアの病院で検査してもらったので、その診療所にはそれっきり行っていなかった。 お金を払ってないのもマズイと思い、お金を払いにその診療所を訪れた。 診療所の入口に、受付の老婆が座っていて、「診察代を払いに来たのですが」と言うと、「そこのいすに座って待ってて」と言われた。 なんでお金払いに来ただけなのに待たなきゃいけないの?って思いながら、椅子に座って待つことにした。 私の前には既に4,5人の患者が待っていた。 10分、20分、30分…。時間は過ぎていくのに、いっこうに自分の名前が呼ばれない。 どうもお金払う人も、診察を待っている人も同じ列で待つらしい。 私の前に待っている患者が2人になった。 その時一人の若い女性が診療所に入ってきた。 老婆とも、医者とも顔なじみらしい。彼女は待つことなしに、診察室に入っていった。 診察室の扉が少し開いているので、待合室から中が見える。 医者は彼女と楽しそうに会話をしている。 はぁ?知り合いだったら、順番抜かしなんて当たり前??? 私の2人前の患者が呼ばれた後に、あと1人かと思っていると私より後に来た患者が呼ばれた。 はぁ?どうなってるの?順番無しかよ?! 時間はとっくに1時間を経過している。 「どういう順番で待たされてるの?」と聞くと、「もう少しだから…」と言われ、追い返された。 確かに私は今患者ではない。患者の人は一刻も早く医者に自分の病気を見てもらいたいに違いないが、お金を支払うのに、なんで1時間以上も待たされなくてはいけないのか。 待ち始めて1時間半が経過した。 私は切れた。 「No Puedo Aguantar mas!(もう我慢できない)」 そう言って私は診療所を出た。 診療所を出てからも、ずっと気分が悪かった。1時間半も無駄な時間を費やしたことが、情けなかった。 診察代。そんなもの払ってない。 時は金なり。
Jul 8, 2004
ネット上でこういう話をするのはどうかとも思うが、まぁ日記なので、思ったままを書いてみる。協力隊員の配属先には、「カウンターパート」と呼ばれる現地人がいる。隊員は、このカウンターパートと一緒に働き、彼らに技術移転等を行うことになっている。私の職場にも33歳になるカウンターパートがいる。彼はとても優しく親切で、仕事も熱心である。何人もの日本人と接しており、日本人の扱いには慣れている。しかも男前である。彼は去年の12月に再婚して、奥さんと娘(前の奥さんとの間の子)と一緒に生活している。が!男前で優しいと来れば…女にはモテル。どちらから声をかけてるのかは知らないが、いつも彼には女の噂が絶えない。私も彼の彼女を2人は知っている。1人は彼と同じ情報処理課で働いている女性職員。もう1人は、近くのUNANという大学で働いている女性。しかも彼の奥さんは、彼が働いている情報処理課の2つ先の部屋の課で働いている。更に驚くのが、この大学で働いている彼の彼女。仕事なのか質問なのか、それとも彼としゃべりたいだけなのかしょっちゅう職場を訪ねてくる。彼と彼女が仲良くしゃべっている時に、奥さんが職場を訪ねてきたりする時は最悪である。奥さんと彼女との間で、火花がバチバチである。1回や2回ではない。市役所の仕事は基本的には夕方6時までであるが、私やカウンターパートは夜遅くまで仕事で残ることがある。今日も、今日中にやっておきたいことがあったので、6時以降も残って仕事をしていた。が!カウンターパートの彼女(大学勤務)が訪ねてきた。職場には、私、カウンターパート、彼女の3人のみ。彼女は私に、さっさと帰って欲しい光線を浴びせていた。私には、彼女が何のために職場にやってきたかがわかっていた。市役所中噂にもなっているし、一度だけ現場を目撃したこともある。(思い出したくない…)この情報処理課の職場が、ホテルに変わるのである。初めて聞いた時は信じがたかったが、現場を目撃してしまった時に確信した。なんで職場なんかで、そんなことをするのかと同職場の友人に聞いたことがあったが、彼曰く、ここには、冷房がある。ドアに鍵もかかる。広いベットもある(いやぁベットじゃなくて、机でしょ。机)しかも値段はタダである。こんな快適な場所はないじゃないか。と言うのである。そんなのホテルに行ってしろ!と思うのだが、友人曰く、毎日行っては金が持たないとか…。毎日かよぉ!!だから、私は毎朝職場に来たら、自分の机が完全に掃除された後でないと座らないことにしている。だって友人曰く、私の机が一番片づいているから、その可能性が一番大きいんだとか…。あーいやだいやだ。で、話は戻って、この彼女、早く帰れ光線を浴びせてくるもんだから、落ち着いて仕事が出来ない。でも、ここで帰る
Jul 6, 2004
協力隊員は、基本的に任期2年のうち任国外に出ることが出来るのは1回のみである。これを任国外研修旅行という。この制度は、私の隊次(平成14年度3次隊)で終わりとなる。私以降の隊次(平成15年度3次隊)からは、私費任国外旅行となる。この2つの制度の違いは大きい。まず、私の隊次まで存続した任国外研修旅行であるが、2年のうち、一度のみ21日間の旅行(指定国)が認められる。私以降の隊次からの私費任国外旅行は、2年のうち、何度でも20日間以内の旅行(指定国)が認められる。そして、何よりも大きな違いは、任国外研修旅行は名の通り、「研修」旅行なので、JICAから航空券代約US800ドルと滞在費約US300ドルが支給される。私費任国外旅行は名の通り、「私費」旅行なので、JICAからの航空券代は支給されず、滞在費約US300ドルが一度のみ支給される。今までは、任国外研修旅行と名の通り、「研修」を意識したものであったので、JICAより支給があったが、だんだん「旅行」の色合いが濃くなってきたこともあり、「私費」旅行制度に変更になったようである。お金のことを言えば、私達までの隊次の「任国外研修旅行」の方が航空券代が出て良いように見えるが、私は、次の隊次の「私費任国外旅行」の方が良いと思う。理由は20日(21日間)の旅行期間を複数回に区切れるかどうかである。私達の隊次までは、21日間の旅行期間を1度で使ってしまわないといけないが、次の隊次からは、20日間の旅行期間を何度でも区切って使える。ニカラグアが何もないという訳ではないが、たまには息抜きして、他の国に行ってみたくもなる。でも、2年のうちに一度しか国外に出ることが許可されていない場合は、どこでこの貴重な一度の旅行を使うかどうかを慎重に検討しなければいけない。それに比べて、合計20日間と限られてはいるが、何日かに区切れば、気軽に国外に出ることが出来れば、息抜きもしやすくなる。2年間生活していれば、良いことばかりではない。嫌なこともある。息抜きしたくもなる。そんなときに、気軽に気分転換できれば、後の活動もより良いものになると思う。まぁ、隣の芝生は青く見えるようで、私は私より後の隊次から適用される「私費任国外旅行」が良いように、私以降の隊次にとっては、私達まで適用される「任国外研修旅行」の方が、航空券代が出て良いようである。で、話は横道にそれたが、そろそろ任期も10ヶ月を切ったので、私も「任国外研修旅行」に行く予定をたてることにした。行き先は、メキシコ、ホンジュラス、エルサルバトル、コスタリカ、パナマ、ドミニカ共和国の6カ国の中から選択しなければ行けず、飛行機経由地もこれ以外の国を通ることは出来ない。私は、パナマ、ドミニカ共和国、メキシコの3カ国に行く予定にしていた。アメリカを経由できれば、効率の良いルートで回ること
Jul 5, 2004

ニカラグアは中米ではあまり知られた国ではない。しかも、中米最貧国と言われている。そんなニカラグアなので、有名な歌手・アーティストのコンサートも、たいていニカラグア国での開催はとばされてしまう。ニカラグアの北に位置するホンジュラスでの開催の次は、ニカラグアの南に位置するコスタリカでの開催というように…。しかし!そんなニカラグアにも、大物アーティストが来ニカ(?)する日がやってきた。来ニカするアーティストはChayanne(チャヤーン)と言い、プエルトリコ人の男性である。Chayanneについては、http://www.chayanne.net/webartists/chayanne.nsf/index_es.htmプエルトリコと言うと、カリブ海に浮かぶUSA配下の島の一つで、有名アーティストでは、リッキーマーティンがいる。最近中米では、リッキーマーティンよりもこのChayanneの方が人気で、彼はBailarin(踊りがうまい人)でもある。入場料は、200、400,550コルドバの3種類。日本円で言うと7掛けなので、1400円、2800円、3850円と言ったところだろうか。日本円に換算すると、確かに大物のアーティストにしては安い価格であるが、物価格差(約5倍)を考えると、日本円で7000円~2万円となるので、ニカラグア人にしては結構高いコンサートになる。会場はニカラグアで2番目に大きい競技場(1000人くらい収容)で行われた。私はニカの友人と行くことにし、400コルドバ(2800円)のチケットを購入した。会場にはいると、なぜか1番高い550コルドバのチケットは、メインステージ左右に設置された椅子のエリアに座らされることになり、私達の400コルドバのチケットは、メインステージ正面だった。18時にコンサートが始まったが、最初の1時間は、ニカラグアを代表する(?)歌手が歌を歌った。ニカ人の中ではブーイングが起き、Chayanneの登場を今か今かと待っているようだった。19時。Chayanne登場。メインステージとの非常に近く、間近に見ることが出来る。MTVなどのビデオクリップで見るよりも、背が高かった。彼は連続で15曲程度の歌を歌い、踊り続けた。歌も良かったが、踊りが凄く格好良かった。よく歌いながら、こんなにも踊れるなぁ~と思いながら、コンサートを楽しんだ。全身汗だくになりながら、彼は15曲踊り続けた。2回のアンコールの後、彼はすぐに自家用飛行機で家族のいるマイアミに戻ったとのこと。ニカラグア滞在時間、約8時間ほどらしい…。残念ながら、コンサート会場は満員とは言い難いくらい空きが目立ち、会場の3分の1くらいしか人が入っていなかった。やはりニカラグアの物価から考えると、娯楽に使うお金としては、まだまだ高いのだと思う。でも、久々にコンサートを特等席で観覧した気分は、最高であった。
Jul 4, 2004
ニカ人の友達の家で、国際交流パーティなるものに招待された。招待状にはパーティは夜8時からとあったが、ニカラグアの場合、指定された時間から1時間遅れていくのが普通らしい。夜8時とあれば、夜9時に行くというように。どうりで映画紹介の時も、夕方6時からとアナウンスしても、夜7時に普通に人が来るのは、このせいのようだ。日本食を作って欲しいと主催者に頼まれていたので、食材を持って友人宅を訪れた。到着すると既にいろんな国の人が来ていた。ニカラグアを始め、コスタリカ、エルサルバトル、スウェーデン、ドイツ、イタリア、スペイン、スイス、ノルウェー、フランスなど12カ国以上からいろんな外国人が集まっていた。さすがにアジア圏は、日本だけだった。台所を借りて、ちらし寿司と餃子を作った。この国では日本食材屋はない。中華食材屋なるものは2件ほど存在するが、日本のものはほとんど売って無い。だから、食材はほとんど日本から送ってもらうのに頼ることになる。ちらし寿司と言っても、日本米に近いカリフォルニア米を炊いて、ちらし寿司の素と混ぜて、卵を焼いて錦糸卵を上にかける程度。餃子と言っても、これがなんとマナグアのPriceMartという外資系スーパーに冷凍食品として売られていたものを焼く程度。両方とも、お皿に盛って出すとすぐになくなった。うれしいことである。好評であった。餃子のタレは飲むのか?いや、飲まない飲まない。何事も知らないと、いろんな事を考えるものである。このパーティで何人かの外国人と知り合うことができた。パーティも夜2時くらいでお開きになり、友人に連絡所まで送って帰ってもらった。
Jul 3, 2004

レオンでの日本映画紹介も今回が4回目となる。4回目に選んだ作品は、「ラストサムライ」スペイン語では「Ultimo Samurai(ウルティモ サムライ)」となる。1回目が「転校生」2回目が「シコふんじゃった」3回目が「魔女の宅急便」ラストサムライは、ここ最近では海外でも日本の舞台を描いた有名な作品といえるのではないだろうか。残念ながら、この映画のほとんどはニュージーランドで撮影されたらしく、主演もトムクルーズで、日本人ではないが、日本人の持っている(持っていた)サムライ魂や日本の姿を割と忠実に再現してある作品であると思う。1週間前から、チラシやポスターを配り始め、配った時の反応は以前の映画紹介時の時と比べて大きかった。ニカ人の、「見に行くよ!」というアテにならない返事を、ハイハイと聞き流しながらも、たくさん見に来てくれると良いなと思った。(ニカ人は行かなくても、行くよと平気で言うので(>_<))18時上映開始にしていたが、案の定時間キッチリに集まるわけが無く、18時から18時半までは、今度広島原爆展で上映する原爆のドキュメントビデオを上映した。小さい子供達もいたが、みんな熱心に観ていた。18時半から始まったラストサムライ上映では、残念ながらあまり人が集まらなかった。今までの映画紹介の中で、一番人が少なかったかもしれない。しかもこの映画長い。2時間半以上あり、さすがの私も後半は飽きてきた…。ニカ人は当然…はい、飽きてました。でも、まぁ50人くらい来てくれたし良かったかな。ラストサムライの映画反応より、その前に上映した原爆のドキュメントビデオの方が、非常に反応が強かった。ニカラグア人が原爆について、非常に興味があり知りたがっているのだということを、この時確信した。後日わかったのだが、このラストサムライ、以前にケーブルテレビでニカラグアでは放映されており、既に観たって人が多かったとのこと。
Jul 2, 2004
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