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マナグアのJICAニカラグア事務所で安全対策会議が開かれた。最近、数人の隊員が事件に巻き込まれていることから、安全に対する強化に努めようというものである。朝8時半から始まった安全対策会議には、全協力隊員、専門家、シニアボランティアが参加。まず、JICAニカラグア事務所の所長が前に立ち、マイクを手に取った。所長:「はじめに、専門家、シニアの方には失礼なことを申し上げるかもしれませんが、ご了承ください」そこには、「協力隊員」は含まれていなかった。所長:「最近、協力隊員が巻き込まれる事故が多発している。」所長:「ニカラグア全体の事故数は中米で最低なのに、協力隊員が巻き込まれる事故数は中米一である。」所長:「犬やサルでも、言われたことはわかる。なのに、君たちが事故に巻き込まれる数が増加しているのは、安全に対する配慮が欠けている証拠である。」あ~またなんか言ってる…。所長:「つまり、君たちは世界で一番安全意識の低い隊員であり、」所長:「犬やサル以下である!!!」所長はかなりの剣幕で言い放った。前にも、こんな話をされたことがあったので、「あ~またなんか言ってるな~っ」て感じで、私はあえて所長の話を深くは聞いていなかった。嫌な雰囲気が漂いながらも、その後も、所長の怒り発言は続く…。「ちょっと待ってください!」ある隊員が立ち上がった。隊員Oさん:「所長、その発言はなんですか?隊員に向かって、犬やサル以下なんて」そうだそうだ!私も心の中で叫んだ。たぶん、そこにいた他の隊員もそう思っていたに違いない。隊員Oさん:「安全対策会議は、お互いが悪いところを見直して改善していくものなのに、そうやって隊員を卑下されたら、私たち隊員も…」隊員Oさんと所長のバトルが始まった。でも、結局所長は、犬猿発言を撤回しなかった。4時間後、なんとも嫌な会議が終わった。確かに、隊員の安全に対する意識が低かったかもしれない。統計上からすると、ニカラグアは中米で一番事故件数が低いのに、協力隊員の事故件数が中米一多いと所長は言う。例えば、ニカラグアは観光客の数が他の中米国と比べて非常に低い。コスタリカ、グアテマラなんて日本でも名前が知られているように、観光立国である。それに比べて、ニカラグアの観光客は少ないので、私たち隊員、つまり日本人はニカラグアの中で非常に目立ち、外国人=お金を持っているということから考えると、非常に狙われる可能性が、他国より高くなるのではないだろうか。例えばニカラグアの協力隊員。総勢70名で、中米一隊員数が多い。更に首都に派遣されている隊員は15名近くおり、危険とされる首都マナグアでは隊員の危険遭遇率も高まる。例えば、協力隊員以外の方。シニアボランティア、専門家。運転手付の車に乗っている。別にそれが悪いとかではなく、当然自分専用の車があれば、移動が全て車で出来るわけで、隊員のように、徒歩や公共の交通機関を使うようなことがない。隊員は、歩いたり、タクシー、バスなどを使わざるを得ない。歩いていれば、路上強盗に出くわすこともある。タクシに乗れば、タクシー強盗に出くわすこともある。バスに乗れば、スリに出くわすこともある。隊員の危険性はそれだけ高まるのではないだろうか。この日以来、隊員たちの中では、所長に対して良い感情を持っていないのではないだろうか。少なくとも、ああいう発言をする限りは、今の所長は、隊員の上に立って人を統括すべき人ではないと思う。(この記事に対する苦情はご了承願います)
Aug 21, 2004
配属先のレオン市役所で、サーバを購入することになった。価格は25万円で、メーカーはDELL。この国でメーカー製なんて、日本でボルシェを買うようなもんである。(あれ?例えがおかしい…?)ま、経緯はどうであれ、今月の8月3日に首都マナグアのDATATEXというDELLを扱っている代理店に発注を行った。受渡期限は、発注日から最大15日間。日本で注文してから15日もかかるなんて、よっぽど大きなサーバを購入するときくらいしかありえず、今回買う小規模なサーバであれば、日本だと2,3日で到着するはずである。でも、まぁここはニカラグア。アメリカから取り寄せるとかの事で、15日間は多めに見た。発注日から最大15日間。つまり、サーバの受渡期限は昨日「19日」であった。昨日私は健康診断でマナグアにいたので、配属先の市役所に電話して、サーバが届いたかどうか電話してみた。届いてない。今日も届いてない。しかも、購入先のDATATEXから何の連絡もない。???あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。サーバが届かないと、予定していた計画がどんどん遅れていく。この時は、この後こんなにもサーバに振り回されるなんて思ってもいなかった。
Aug 20, 2004
半年に一度の健康診断。協力隊に来て克服できたことの一つに、「注射」がある。昔は、採血をするときに時々貧血で倒れることがあった。(お恥ずかしいながらも…)でも、協力隊訓練時に11本もの予防注射を打たなければいけない。3ヶ月の訓練で11本の注射だから、ほぼ毎週の注射。そのおかげか、注射時にも貧血を起こさないようになった。今日も身長、体重などから採血、検尿、検便等の一通りの検査項目を終え、午後の診断を待つのみだった。午後の診断はトップバッター。人柄のよさそうな60くらいのお医者さんだった。何項目か質問を受けて、「うーん。健康である…」「しかし、寄生虫がいるね」寄生虫かぁ…。ついに出たかぁ。って感じだった。日本にいたら、「えぇぇぇーーっ!寄生虫!?」って飛び上がって驚いてたかもしれないが、まぁ、ここはニカラグア。感染する経路はいくらでもあるから、まぁ寄生虫がいたって、そんなもんかって感じである。(でも、寄生虫図鑑なんて読むとちょっとエグイが…。)どうやら、私の後に診察を受けたレオン隊員2人も連続して寄生虫が出たらしい。レオン=寄生虫の街?(いやいや、そんなことはない)処方は、薬を買って2回ほど飲むだけで良いらしい。寄生虫ってそんなもんなんだ…。あっさり死んじゃうのね。でもこの時は、この薬の辛さをまだわかっていなかった…。
Aug 19, 2004
昨日マナグアからレオンに帰ってきたばかりだが、明日、マナグアで健康診断を受けなければならないので、今日の午後、マナグアにあがることにした。友人4人でマナグアにあがる。レオンのバスターミナルに着いた私たちは、マナグア行きのミクロブス(小型バス)乗り場へ。ゲッ…。いつもは常に2台ほど待機しているはずのミクロブスが一台もいない。しかも、ニカ人はミクロブスを待っている様子…。事故でもあったんだろうか…。待ってる人が20人、30人と増えるが一向にミクロブスは来ない。あっ、ミクロブスが来た!ミクロブスの周りに人がぐぅぉーーーーーーーーーって集まる。ニカ人。並びません。はい。ミクロブスはワゴン車なので、入り口が非常に小さい。でも、人をかき分けかき分け、ニカ人は入る入る…。並べよ!!!ニカ人!!!そんなこと無駄である。あれっ…。こんな光景、どこかで見たような…。あっ、そういえば大阪の電車で、おばちゃんがこんなことしてたっけ…?!私は乗るのにあきらめて、遠くからこの光景を見てあきれていた。「まっしー(私のあだ名)、ここ、ここ」誰かが私を呼んでいる。日本語だ。友人の女性隊員。ちゃっかり座って、私の席も確保してくれている。うーん、女強しっ。
Aug 18, 2004
広島原爆展の後片づけも終わったので、今日マナグアからレオンに帰る。今日は新隊員16年度1次隊が語学訓練を終えてそれぞれ任地へ向かう日なので、その車に乗せてもらって帰ることにした。レオンの新隊員は3名。全員小学校教諭として派遣され、現職採用の人たちである。私たちはまず任地に着くと、真っ先に警察に行って、顔挨拶をしなければならないと言う、一種の洗礼を受けなければならない。新隊員もこのまま警察に行くらしく、調整員に同行して欲しいと言われたので、乗せてもらったのにイヤとは言えず、そのまま私も警察に向かった。実は、今回レオンに派遣される3名の隊員の中には、既にマナグアでピストル強盗に遭った隊員がいた。なので、彼女はとても安全面について敏感になっているようであった。私たちは警察のお偉いサンの部屋に通され、一人一人自己紹介する。とりあえず私も自己紹介した。それぞれどのあたりに自分の住む家があるのかを警察に話した。警察の話。いやぁ~レオンはマナグアと違って安全だから、なにも心配することないよ。まとめるとこんな感じである。いや、そうじゃないでしょ。確かにレオンはマナグアと比べると安全だけど、危険な地域もあるし、事件に遭ってるニカ人もいる。そういうのを伝えるのが、あなた達の役目じゃないの???私たち隊員は6ヶ月に1度、安全対策会議というのに参加しなければいけない。ニカラグア警察のお偉いサンと、ニカラグア軍隊のお偉いさんがニカラグアがどんなに「安全か」についてお話しするのである。ニカラグアは他国と比べて犯罪率も少ないし…。いやいや、そうじゃないでしょ。少なくても犯罪は起きてるんでしょ?じゃ、それを伝えるのがあなた達の役目じゃないんでしょうか???それをふんふんって話を聞いてるJICAの職員の方もどうかな?って思う。踊る大捜査線で織田裕二が、「事件は現場手起きてるんだ!」っていうけど、本当にそうである。お偉いサンは、事件の数値を表やグラフにするだけで、どこがどんな風に危ないかなんて教えちゃくれない。むしろ安全なことしか言わない。これじゃ、そこらへんの警官に聞いた方が、よっぽどタメになる。結局1時間、お偉いサンとの顔合わせは、安全話に終わった。
Aug 17, 2004
広島原爆展もいよいよ最後の週末である。今日8月14日(土)の会場はUCA。UCAはUniversidad Centro Americanaといい、日本語訳すると中米大学である。この大学は私立であるが、隊員が日本語教師として日本語を教えているので、隊員とのかかわりも多い大学である。今回は、この展示会のためUCAに場所を提供してもらった。ニカラグアの大学は、・ 平日コース・ 土曜コース・ 日曜コースと3つのクラスがある。土日は平日に働いている人たちが通うことが多い。日本ではあまりない光景である。ニカラグアは日本以上に学歴社会かもしれない。ニカラグアでは、就職採用時にDiploma(修了証書)を非常に重要視する。しかもそのDiplomaは一つではなく、何個も持っている人が多い。法律学部と歯学部のDiplomaを持ってたりする人もいる。たくさんDiploma(修了証書)を持ってるほうが、有能な人と見られ、それがまぁ勲章みたいなものになるようである。だから、働き始めても、常に大学に通ってDiplomaを取り、より良い職に就こうという人が多いのである。いろんな分野の勉強をすることは、視野を広げる面で良いと思うし、日本より勉強熱心である。ただしそれがDiplomaレベルつまり勲章レベルで留まらいことを祈る。さて、話は戻って、今日は土曜日なのでUCA内にはあまり学生がいない。土曜日コースの学生がいるが、彼らは授業なのであまりじっと見る時間がなさそうだった。朝9時会場で、9時半から日本人バンドによる客寄せ。10時から映画「はだしのゲン」上映。展示は夕方16時で終了した。マナグアということもあり、JICA関係者の方も来て下さった。シニア隊員の斉藤夫妻にはお昼御飯の差し入れをいただいた。お昼を食べに行く時間がない私たちにとって、差し入れは非常にありがたい。この展示会は、本当にいろんな人の協力の元に成り立っている。感謝。
Aug 14, 2004

広島原爆展会場で私たちはTシャツを着ている。このTシャツ。今回の原爆展のために作成したものである。デザインは同期の協力隊員。彼は絵を描いたりするのがすごく上手い。このTシャツ。原画を彼に描いてもらって、レオンにあるTシャツ作成をやっている女性のところに持っていく。彼女は一枚35コルドバでTシャツを作ってくれる。もちろんTシャツ込みで。一枚35コルドバと言うと、日本円で250円くらい。好きな柄のTシャツが250円で出来るのだからうれしい。デザインは、胸元に「HIROSHIMA1945」と紅葉のマーク。右腕に「広島」。そして後ろの首元に「2004/7/31-2004/8/15」と折鶴の絵柄。とても素敵なTシャツである。レオン、グラナダでは私たちスタッフのみが着ていたが、「そのTシャツ販売していないの?」と多くのニカ人に聞かれた。このTシャツをニカ人が着て歩いてたらどう思うだろう。きっと私たちはうれしいに違いない。デザインが好きで買ってくれるのでも構わない。彼らがこのTシャツを着ることで、そこにメッセージが刻み込まれているのだから…。なので、次回のマナグア会場ではTシャツを販売することにした。もちろんJICA事務所の許可を取ってから。そのため今日はTシャツ50枚を依頼してたので、それを取りに行き、そのままマナグアに向かった。Tシャツ50枚。数字にすると50枚ってそんなに大きな数字ではないが、Tシャツを手にとって見ると…。すっごく重い。Tシャツ50枚ってこんなに重いんだ…。このTシャツ。ニカ人が、原爆展で見たこと感じたことを着る度に思い出してくれるといいな。P.S SさんOさんKさん、ごめんなさい。Tシャツ紹介のため、写真使わせてもらいました。
Aug 13, 2004

広島原爆展inグラナダ2日目。昨日は、お昼12時から3時までは展示会場を一旦閉場としたが、今日は閉場せず、ずっと開場することにした。先週末のレオン会場では、要領がつかめておらず、また人もかなり多かったため、展示会場を訪れてくれた人たちとゆっくり話す時間がなかった。ここグラナダは、人の数もレオンと比べて多くないが、観光の街グラナダだけあって、客層はニカラグア人だけでなく、外国人も多い。ドイツ、アメリカ、スイス、スウェーデン、スペイン、イタリアなどなど。日本からの旅行者も立ち寄ってくれた。そんな彼らと少しでも話す機会をもてたことがうれしかった。特に、私はアメリカ人がどういう気持ちで見ているのかが非常に興味深かった。夜21時。広島原爆展inグラナダ会場閉幕。来週はいよいよニカラグアの首都、マナグアである。
Aug 8, 2004

昨日の「テレビ出演」の日記には1日で200アクセス以上いただき、ありがとうございました。正直驚きました。これからも日記更新していきますので、よろしくお願いします。8月7日。広島原爆展inグラナダ会場。グラナダはスペインのコロニアル調の建物が並ぶ美しい街である。グラナダでは、Casa De Tres Mundos という会場をお借りした。この会場は、歴史ある建物で有料の展示会場となっている。今回、グラナダにいらっしゃるJICA専門家の方々のご支援・ご協力により、この会場を広島原爆展のために借りてくださった。この原爆展中も、何度も差し入れをいただいたり、寄付金をいただいたり、本当に専門家の方たちには感謝感謝である。さて、このCasa De Tres Mundosは展示会場として使われているので、ある程度設備が整っており、順路に従って見ることの出来る効率の良い造りになっている。朝7時半から会場準備を行い、10時会場。先週のレオン会場までは行かないが、かなりの人が来てくださった。午前中にラジオの取材を2件受けた。記者がテープレコーダ片手に質問してきた。その録音内容はメモ用であって、ラジオにはそのまま流さないと言っていたのに、帰りしなに、じゃラジオでこのテープ流すからとあっさり言われてしまった。やっぱニカ人…。夜7時からの映画上映前には、客集めのため、日本人バンドの演奏が行われた。21時終了。ぐっと疲れた。Barでみんなで乾杯する。あーっ、ビールがうまいっ!専門家の家に泊めていただいて、床に就く。あっ、今日は母の誕生日だった。電話できなかったが、お母さんお誕生日おめでとう。
Aug 7, 2004
今日は8月6日(金)。広島に原爆が投下されてから59年目の今日。ニカラグアで広島原爆展をはじめた私達4人は、ニカラグアのCanal2というTV番組に出演することになった。Canal2という放送局はニカラグアで一番大きな民法放送局である。http://www.canal2.com.ni/私達広島出身者4人の出番は、朝7時10分から約25分ほど。PrimeraHoraという朝のニュース番組枠に、インタビューとして生出演する。朝6時にCanal2に集合し、アナウンサーと打ち合わせをする。会場設定は既に済んでおり、思ったより小さなスタジオであった。私達は日本式?にカーペットの上に靴を脱いで座るそうである。緊張しつつも、放送が始まった。15分ほど、広島の原爆投下後の映像などが流れ、アナウンサーが私達にスペイン語で質問をする。現在の仕事内容から始まって、家族に被爆した人がいるか、現在の広島の状況などそれぞれに質問が回ってくる。私も緊張していたが、なんとか質問に答えることが出来た。ボーっとしていて質問を中途半端に聞いていた所があったが、まぁ適当にごまかした。本当にスペイン語は難しい。TV生放送なので、質問を聞き返すことはちょっと出来ない。性格上の違いからか?女の子はガンガンに話し、僕ら男は口数が少なかったと思う。7時半になり、一旦インタビューはここで終わった。ふぅっーっ。肩の荷が下りた。このあと8時13分頃からもう一度出演することになる。原爆投下の8時15分に黙祷を捧げるためである。8時13分に再び放送が再開され、8時15分に1分ほど黙祷を捧げ、このPrimeraHoraという放送が終わった。放送局を出てすぐに、通りがかりの人に「Hiroshima!」と声をかけられた。番組を見たらしい。ちょっと照れくさい…。レオンに帰ってからも、いろんな人に「TVに出てたじゃない~!」って言われた。この後、隊員総会(会議)が1日中行われた。夕方、次の原爆展の会場「グラナダ」へと向かった。
Aug 6, 2004
市役所内で展示している広島原爆展のパネルも、今日の午後には次の会場「グラナダ」に持っていかなければいけない。午前11時に最終ビデオを上映し、正午からパネルの撤去に取り掛かった。撤去中も真剣にパネルを見てくれている人たちには、本当に申し訳なかったが、次の会場に運ばなければいけない。数人のニカラグア人たちに手伝ってもらって、パネル台等をJICAの車に積み込んだ。全然知らない人でも、積み込みを手伝ってくれた。日本だったらどうだろう?私はあまりそういう経験が無い。車はレオンからマナグアへ。最終目的地はグラナダであるが、車の都合で、今日はマナグアのJICA事務所にパネルを保管することになる。荷降ろしのときは、人手が無かったので結構つらかった。荷物を降ろし終えたら、今度は幹事会である。明日開催される半年に一度の隊員総会の準備を、幹事会としてやらなければならない。ドタバタしている。しかもこの幹事会、長い。もう、まとまりのない打ち合わせは嫌いだ。夜の2時まで打ち合わせは続いた。あ~打ち合わせ大嫌い。
Aug 5, 2004
思った以上に盛況だった週末の広島原爆展。 今週末の会場はコロニアル調の街グラナダ。グラナダには木曜日にパネルを移動するので、原爆展のパネル等をそのまま木曜日まで、市役所内に展示することにした。 市役所内という好立地のため、朝からたくさんの人が訪れて、熱心に見てくれている。 残念ながら私は少し離れたオフィスで働いているため、来場者の質問に答えることは出来なかったが、一般市民、学生たちなどが来てくれている様であった。 午後に会場を訪れた際に、たくさんの小学生たちがいたので、どうしたのかと聞くと、学校の先生が社会見学として行って来なさいと学生たちに言ったとのこと。 市役所の人たちから、パネル展示だけしかしないの?ドキュメントビデオ上映はしないの?と質問を受けたので、 仕事の終わる夕方6時から一度だけ、ドキュメントビデオ「母たちの祈り」を上映することにした。 多くの人が真剣にビデオを見入っていた。
Aug 2, 2004
広島原爆展2日目。開催は朝の10時から夜の9時まで。昨日より展示物の配置は良くなった。朝からたくさんの人が来てくれている。アンケートも展示と同時に、真剣に見てくれている人たちにとっているが、人聞きでこの展示会に来てくれている人が多いみたいだ。ニカ人の「噂」は早い。午後、天気が少し怪しくなる。今の時期は雨季なので仕方が無いが、どうにかこの天気、持ち直して欲しい。昨日は残念ながら大雨のため、夜7時から上映予定だった「はだしのゲン」が出来なかった。今日こそは…。私たちの願いが無事通じたのか、空は快晴になり、夜7時を迎えた。映画上映ももちろん「レオン中央公園」で行う。ニカラグアが誇る歴史あるカテドラル(教会)の前に、大きなスクリーンを設置する。場所が公園なので、たくさんの人が「なんだなんだ」と集まってくる。夜7時。映画上映前に、私たち広島出身者4人がスクリーンの前に立つ。簡単な自己紹介と、この広島原爆展に綴る思いを述べる。会場から暖かい拍手。そして上映。用意した椅子100個は、上映前に満席になり、多くの人が立ったまま鑑賞してくれていた。誰も動かず、立ったままじっとスクリーンを見ている。特に原爆投下のシーンは、みんな息を呑んでみていた。この歴史あるカテドラルの前で広島原爆の映画を上映するのは、なんとも言えない気持ちだった。なんか、この今の空間に、すごい時間と歴史となんともいえないものが詰まってるような気がした。約1時間半の上映終了後には、大きな拍手がおこった。手伝ってくれたたくさんの人たち。協力隊員、市役所の人たち、日本大使館の方々、JICA職員の方々。そして、広島出身者隊員。みんなに感謝。やって良かった。そう心から思った。平和というのは、過去を知ることから…。そう思った。私たちが伝えていかなければいけない。広島に生まれたことを、今誇りに思う。広島原爆展の写真は、http://www009.upp.so-net.ne.jp/granblue/fotodebomba.htm広島原爆展の内容が以下のサイトに記載されています。河北新報社http://www.kahoku.co.jp/news/2004/10/2004102101001133.htmYahooニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041021-00000089-kyodo-soci中国新聞ニュースhttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn04102210.html
Aug 1, 2004
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