全4件 (4件中 1-4件目)
1
皆さん、突然ですがわたくし今入院しております。18日の午前中に三井記念病院の緊急外来へ行ったところ、そのまま入院となってしまいました。去年の6月時と同じような状況になってしまいましたが、今回はうっ血性心不全による体調不良です。最悪、狭心症の再発かと思われましたが、その可能性は今のところ少ないようです。退院の見通しはいまだ立っておりませんが、早ければ2月上旬には退院できるかと思います。友人が静岡から駆け付けてくれ、モバイルPCを貸してくれたので自分で記事をアップすることが出来ました。それでは、みなさんもう暫くお待ちください。
2009.01.21
コメント(10)
圧倒的な火力で空と地上からガザを攻撃するイスラエルに対し、ロケット砲で反撃するパレスチナ・ハマス。この両者の戦いは、数千年の時を経て今もなお憎しみの連鎖によって紅く燃え上がっている。彼らはどちらかが倒れるまで、振りかざした拳を収めることはないようだ。ガザでは民間人に多くの犠牲者が出ており、年寄り、幼い子どもがどんなに血を流しても、それがまるで戦争の生け贄でもあるかのように正当化する。各国でイスラエルへの非難が高まっているにも関わらず、強硬姿勢を緩めることなく却って攻撃を激化させているようにも思える。戦争拡大の懸念が高まる中、フランスやエジプトが平和的解決の調停に乗り出しても、耳を貸さないイスラエル。そして無差別にロケット弾が飛び交い、空では爆撃機がピンポイントと称してアメリカの真似さえする。自国を守るための戦争だと言いながら、その下で恐怖に戦き、震えているのは一体誰なのか。同じ地球上に棲む人類として、戦争の傍観者であることは許されないはず。世界に平和の鐘を届けるのはあなたたち自身の役目である。全ての国が平和になる権利があり、人類が調和しなければ地球の未来は存在しないだろう。理想は実現させてこそその意義がある。武器を捨てる勇気を持て、戦争のエネルギーを隣人のために使え。
2009.01.13
コメント(6)
どんなに家が貧しくとも、お正月になれば我が子にお年玉くらいはあげたいと思うのが親心ではないだろうか。正月を迎えるとわたしは、よそ様の子どもたちがお年玉袋を持って嬉しそうにしている姿を、恨めしそうに見つめていた。わたしの父は酒が好きだったので、家に金があるとその殆どが父の酒代に消えて行き、幼いわたしにまで回ってきたことはなかった。父からお年玉を直接貰った記憶はなかったが、その代わり父の友人たちが遊びに来ると、必ずと言ってよいほどわたしにお小遣いをくれる。それは10円玉だったり、時には100円札だったりと金額はまちまちであったが、その時だけは金持ちになった気分を十分に味わえたものである。ただしそれは友人たちが帰ってしまった後に、父に巻き上げられるのが常だった。先日、30歳になった息子が静岡から彼女を連れて年始の挨拶にやって来た。8月に感激の再開を果たしてから半年あまり、その間はメールのやり取りなどをしてお互いの近況を報告しあっていた。彼女に会うのは初めてだったので、どんな女性だろうと好奇心も手伝って内心わくわくしていたのも事実だった。初対面の印象は、目がクリっと大きく、わりと小柄でとても可愛い女性だと思った。気の強い息子だからきっと苦労しているのではないかと思ったりもしたが、包容力のある芯の強い部分もありそうだなどと、勝手に決め込んでしまった。デリバリーの寿司を囲んで、和やかな食事が始まった時を見計らい、わたしはポケットからあらかじめ用意して置いたお年玉袋を取り出し、息子に渡した。「父さんからの27年分のお年玉だ・・・」。別れてから27年間、何一つ父親らしいことをしてあげることが出来なかった。その反省も込めて、少ないけれども気持ちを受け取って欲しいと息子に渡したお年玉。こんな機会に恵まれようとはおそらく神様でさえ考えもしなかっただろう。お年玉が予想外のことだったらしく、息子は言葉を詰まらせ躊躇していたが、気持ちよく受け取ってくれたのである。お正月の楽しみと言えば子どもたちにとっては一番待ち遠しいお年玉であるが、このお年玉に込められた真の意味は、お金の有り難さ、大切さを子どもたちが、そして大人がお年玉を通じて学んで欲しいと言う切なる願いが込められているのである。現代人に失われつつあるものが、日本の古くからある風習の中には幾つも存在していることを忘れないで欲しいと思う。
2009.01.06
コメント(7)
皆さん、新年明けましておめでとうございます。わたしは予定通り、除夜の鐘が鳴り響く中近くの帝釈天まで初詣でに行ってまいりました。元気のよい若者たちの笑い声が凍てつく夜空に木霊し、露天の光が新年を迎える人たちを温かく包み込んでいました。昨年わたしにとって一番の収穫は何といっても27年振りに息子と出会えたこと。奇跡のような出来事に今でも感激しております。今年は大きな試練が待ち受けておりますが、わたしにとっては精神的自立の年。今まで、散々甘えてきた自分に決別する年でもあり、新たな人生のスタートに一歩踏み出します。皆さんは2009年の抱負は何ですか。不況の風が吹き荒れ、昨年以上に厳しい年になりそうな気配もしますが、必ずや希望の光が射す時は来るでしょう。どんな苦境に立っても諦めない心を持って、笑顔を忘れずに頑張りましょう。今年もよろしくお願い致します。
2009.01.02
コメント(6)
全4件 (4件中 1-4件目)
1