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民主一色の開票結果。 そして自民党の大物幹部たちが続々と落選し姿を消して行く。 自民から民主へと政権交代ではあるが、これが国民の声だとは思わない方が良い。 そんな単純な一票ではない事を当選した政治家たちは学ぶべきである。 選挙の時だけアドレナリン全快ハイボルテージの政治家さんたちが、何処まで日本を考えているかは疑問。 他の党、ライバルたちの批判ばかりを繰り返し、自分の声を訴えない立候補者たちの言葉は煩い騒音でしかなく、聞く者の心の奥深くには届かない。 他者を批判するのは簡単だ。 人間は長所と短所で出来ているが、人の長所は目立たず短所ばかりが際立つ。 政治家、政党もそれぞれに長所もあれば短所もある訳で、お互いに攻めるばかりでは何の解決にも結びつかない。 独裁政治が齎す世界は恐怖と混沌。 理想的な政治は、それぞれの党が持つ長所をバランスよく配分し、実践することである。 批判ばかり繰り返している間は何ら変化はないものと思え。
2009.08.31
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誤報は誤爆よりましである。 笑顔で防災訓練するより、よほど効果があった先日の地震速報。 わたしが気象庁の速報を傍受したのは携帯電話。 携帯のメールにも届くことに、さすが地震国日本だと感心してしまった。 その後それが誤報だったというメールは届かなかったが、TVで気象庁の担当者が謝罪していた姿を見て「ありがとう」とわたしは思った。 当然、至る所で地震に備え緊急体制が敷かれた訳だが、本当ではなかった事で一安心。 苦情は仕方ないにしても、これがイザと言う時に役立つだろう。 先日、静岡で大型地震があったばかりだし、この誤報は予報として大いに貢献したと思う。 危機管理を徹底しろと訴える国民は、自分の行動が阻害されるような事があると文句を言い、間違った情報が流れると「正確さ」を声を大にして求める。 まったく我が侭であり、自己中心的である。
2009.08.26
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南国の沖縄を襲った新型インフルエンザ(別名satan)が、本土に上陸。 沖縄に続き、名古屋でも高齢者が死亡。 慌てた舛添厚生労働相が緊急記者会見。 昨年のパンデミック宣言の教訓は殆ど活かされず、死者が出なければ傍観を決め込む国の対策は相変わらず後手後手。 不衛生を毛嫌いする人間は、ファブリーズを部屋中に撒き散らし、清潔になったと錯覚する。 除菌に明け暮れる人々は、人間に元々備わっている免疫力・抵抗力を自らの手で破壊した。 何れ無菌室でもない限り生き延びることさえ困難になるだろう。 インフルエンザに拘り過ぎていると、そのウイルスの本質が見えなくなる。 既に新型ではなく、全く異なる未知のウイルスの可能性を念頭に置かなければ、今後の感染拡大を防ぐことは不可能。 わたしのように心臓や腎臓に致命的な病を抱えていれば、感染した時死亡する確率は高くなる。 だからわたしは雑菌を殺さないし、除菌もしない。 新型インフルエンザと呼ばれるウイルスは、環境破壊が齎した人災とも言えるのである。
2009.08.23
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酒井法子が血祭りに合っている。 彼女を擁護するつもりは毛頭ないし、法を犯したのだから当然の報い。 一般人と違い、タレントは大きな影響力を持っているので、草なぎ剛と同様にあらゆるところからバッシングにあうのも仕方のないことだ。 ファンは意外といい加減なもので、個人の偶像をそのまま自分の心に仕舞い込む傾向にあるので、ショッキングな出来事が発覚すると勝手に失望する。 この地球上に、覚せい剤を使ったことがある人或いは現在も使っている人が一体どれほどあるだろうか。 おそらく想像を大きく超えた数になるだろう。 表面化しているものは氷山の一角に過ぎず、もしかすると隣人も経験済みかも知れない。 基本的にわたしは覚せい剤も煙草も同類だと思っているので、覚せい剤だけを特別視していない。 わたしが初めて覚せい剤に出会ったのは小学4年の時だった。 父の思い出がまたも蘇えってしまうのであるが、これもまた父に関するエピソードの一つ。 ある日、父の友人が二人やって来て近くにいたわたしに父が声を掛けた。 「とし坊、小遣いやるから遊びに行って来い」 50円玉を渡されて、思わぬプレゼントに驚いた。 父から小遣いなど貰ったことがないし、50円は当時「いこい」が買える金額。 子どもにとっては大金であり、一週間分の小遣いに相当した。 お正月のお年玉でない限り、貰えぬ金。 わたしは子ども時代から感の鋭いところがあったので、これには裏があると瞬時に分かった。 友人の手の中で鈍く光っている注射針、そして包み紙。 昭和30年代には覚せい剤を「ヒロポン」と呼び、別名(白い粉)で通用した。 わたしは自分が何か悪いことでもしたかのような錯覚を覚えつつ、その場から逃げるように立ち去った。 2回目は20歳を迎えたばかりの冬。 後輩の荻○が見知らぬ友人を二人連れてわたしのアパートにやって来た。 一人は自分と同じ歳くらいの女性。 「かんべさん、悪いんだけど部屋を半日貸して欲しい」 相変わらず感が鋭いので何のために利用するのか判断出来た。 頼まれると断れないのは父親譲りだったから、部屋をそのカップルに明け渡し、後輩と共に時間を潰した。 そして3回目は35歳の時。 仕事の帰りが遅くなり、西葛西から中葛西にある自宅までの道のりの途中、40代と思われる男性からいきなり声をかけられた。 「兄さん、いいものあるんだけどどう?」 どんなに人の良いわたしも流石に断った。 覚せい剤が病気治療のために使われている事は表に出ない。 それを利用する人間の使い方次第で、違法なものが影に隠れて命を救うこともあることを知って欲しい。
2009.08.21
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8月15日を迎える度に、終戦の日と称し各地でイベントや特集番組が紹介される。 終戦とは一体何であろうか? わたしは戦争体験をしていなが、戦争が終わったとは思っていない。 本当に終わったのならば、何処の国も武器を捨てればよいではないか。 真の平和は武器を捨ててこそ訪れる。 然し、現実にはそれが出来ない。 日本は自衛隊という軍隊を持ち防衛に備える。 人間同士が互いに分かち合わなければ永遠に平和は手に入らないだろう。 隣人を信用出来ない人間は、その弱さゆえ常に猜疑心を持ち、相手の行動を監視し続けている。 一見、平和に見える日常は常に危険と隣合わせだ。 人間は、闘争本能を失えば生きて行けない他の動物と何ら変わりがない。 武器を楽器に変えて、歌うことである。
2009.08.18
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わたしの中のヒーローがまた一人逝ってしまった。 山城新伍さんの訃報を聞き、幼かった頃の記憶が鮮烈に蘇えったと同時に涙が出てしまった。 テレビがまだ珍しい昭和30年代の初め、子どもたちの人気を独占していたのは「白馬童子」。 少年たちは眼を輝かせ、その白馬に跨り颯爽と登場する山城さんの姿に釘付けになったものだ。 彼が、糖尿病を患い芸能界から姿を消したことは知っていたが、まさか「特別養護老人ホーム」に入所していることは知らなかった。 70歳という年齢は、俳優としてはまだまだ現役で活躍出来る年齢であり、俳優に定年はない。 身体さえ許せば、ドラマや映画に出演したかっただろうと思う。 病魔に冒されながらも、それを必死に耐えつつ48作目を完成させた名優「渥美清」。 寅さんのように、白馬童子もまた永遠のヒーローとして心の中から消えることはないだろう。 山城さん、お疲れさまでした。 どうぞ、天国でゆっくりお休み下さい。
2009.08.15
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11日早朝、静岡県全域を巨大地震が襲った。 わたしの故郷でもあり、多くの親戚・友人・知人が住んでいるので非常に心配である。 携帯で連絡が取れる人たちは、二人を除き無事であることが確認出来たが、残る二人とそして連絡先の分からない人たちの安否が気がかりで眠れない夜を迎えることになるだろう。 気象庁の発表によれば、今回の地震が「東海地震」とは関係ないとのことだが、人間は自然の何を何処まで理解している? 相手は予測不能の生き物だ。 これらの自然災害に対処するには、自分の奥底に眠っている本能を呼び覚まし、感覚を鋭くするしか方法はないだろう。 文明の利器に押し流されて、動物的本能を失ってしまった現代人よ、サバイバルで生き残る自信はあるのか? ペット化された現代人の生き残る道はひとつ。 野生を証明して見せろ。 幸いわたしの第6感は冴え渡っている。 東京でも震度4の地震があったばかりだ。 地震は地球の息吹、生命そのもの。 恐がってばかりいては生き残れない。 地球と一体化するべし。 PS:7日に14歳の息子が新潟から上京し、本日、台風9号の影響もなく無事に新潟へ帰った。 5ヶ月振りに父と子の会話、そして家族の絆を味わった。 離婚してもこうして子どもたちや元家内とメールや電話でやり取り出来るのは、なんと幸せなことだろう。
2009.08.11
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小説の執筆に専念するため、暫くブログ更新をお休み致します。 記事を楽しみにしてくれている皆さんには申し訳ありませんが、ご理解の程よろしくお願いします。尚、小説の進捗状況によってブログ更新がいつ頃になるかは不明です。 よろしくお願い致します。
2009.08.09
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トランスフォーマー・リベンジが大ヒット中である。 この映画より一足早く公開されたのが「ターミネーター4」だった。 映画の良し悪しはともかく、進化するCGの技術に驚くばかりだ。 ただし製作の現場を見てしまうと、映画の面白さが半減?してしまうかも知れない。 或いはそれとは逆により一層興味が湧くかのどちらかだろう。 SF映画の金字塔と言える「2001年宇宙の旅」が1968年に公開されてから既に40年の時が流れた。 公開当時は、この映画の難解さに賛否両論が巻き起こり、日本国内では興味すら示す者は皆無に近い状態であった。 頭の固い日本人には理解し難い映画だったのかも知れないし、映画自体が余りにも先を走り過ぎていて、退屈極まりない作品だったのだろう。 しかしその数十年後には「文部省選定作品」となり、大ヒットしたという経緯がある。 いまだにこの映画を超える作品に出会っていないが、ターミネーターやトランスフォーマーの世界にも相通じる「精神世界」があることを付け加えておきたい。 この二つの作品に何かを求めるとするならば、このマシンとも人間とも言える両者が戦った場合、どちらが強いか…。 子ども染みた発想で申し訳ないが、ついその方向に興味が行ってしまう。 世界は今、コンピューターによる「管理社会」である。 あの「核兵器」でさえも人間の範疇から脱皮し、核自体が意志を持つ日がいつかやって来るかも知れない。 臓器移植の項目で、「人間はパーツ」だとわたしは言ったが、それがはっきりと現実になる日はもうそこまで来ている。 コンピューターの世界に矛盾はない。 それ故、人間より純粋に出来ているかも知れない。 心臓が微弱な電気信号で動いていることからも、人間は既にサイボーグなのだろう。 マシンに心(精神)を持たせる試みが、世界中で繰り広げられている昨今、機械と人間が共存しなければならない日が、遅かれ早かれやって来るのは間違いない。 さて、日本ではこの秋公開予定の映画「ウルヴァリン/X-MEN ZERO」人気シリーズの中では最高傑作と言われており、トランスフォーマーなどより数段面白いだろう。 ストーリーを話してしまうとネタバレになってしまうので、ここはぐっと堪えて黙っていよう。
2009.08.07
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あなたと二人で 迎える夜 これで 何回目だろうと 指折り数えてみたりした 十本の指では足りなくて あなたの指も借りてみた デートを重ねた 思い出の分だけ あなたを好きになっていく 川の流れに任せた二人 離れ離れにならぬよう 心のオールで しっかり 舵取りしてみるの ささやかだけれど 幸せが このまま二人に続くよう 今夜も あなたの背中に 手を合わす
2009.08.04
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